栃木県民のソウルフードとして近年注目されている「しもつかり」の作り方をご紹介します。


この料理を見たことも聞いたこともない、という方に、どのような説明が可能かというと、魚介類と野菜および大豆のうまみが凝縮した、和素材のやさしいブイヤベースのようなもの、と考えていただければ、まず間違いありません。

材料(家族数人で2、3日食べられる量)

    • ・荒巻鮭の頭 2個
    • ・大根2本(約3,500g)
    • ・人参2本(約450g)
    • ・節分の炒り大豆(約60g)
    • ・酒粕(約200g)



道具としては、

    • ・鮭の頭を煮崩すための鍋
    • ・仕上げのための大鍋
    • ・鬼おろし(竹のおろし金)

を使います。

鮭の頭を煮崩します


この料理は、工程は単純ですが、とにかく時間と根気を要します。
むかしは家の外のおくどさんに放っておいたのかもしれませんし、あるいは、
家庭の主婦の弛みなき労働によって得られるものだったのかもしれません。


ともかく、鮭の頭がひたひたになる程度に水をそそぎ、約12時間、ひたすら弱火で熱し続けます。

大豆を入れて煮込みます


鮭の頭が骨ごと完全に煮崩れてフレーク状になったら、
節分の大豆をとっておいたものを投入。これが柔らかくなるまで煮込みます。
お正月の鮭と節分の豆を使うのですから、おめでたい食べ物ですね。

皮を剥いた大根、にんじんを鬼おろしでおろします


目の粗い、竹製の「鬼おろし」で大根とにんじんをおろします。
実際にやってみると、「おろす」というよりも「削る」かんじに近いです。

おろした大根とにんじんに、鮭と大豆を煮たものを加えます。


家でいちばん大きい鍋を用意してください。
そこにおろした大根とにんじんを入れて火にかけ、さきほど煮込んでおいた鮭と大豆を加えます。
この時点では、鮭と大豆はフレーク状、ないしは、ペーストに近いところまで煮えているはずです。
大根やにんじんが原型を失うまで、弱火で2時間ほどさらに煮込みます。

酒粕を少しづつ入れてさらに煮込みます


さいごに酒粕で香りとコクを追加します。
酒粕を入れると焦げやすくなるので火加減に注意して、全体に風味がなじむよう、さらに弱火で2時間煮込みます。
この段階で刻んだ油揚げを入れる人も多くいます。というより、お稲荷さんへのお供えなので、油揚げを入れるレシピの方がおそらく主流かと思います。しかしながら、我が家ではなぜか油揚げを入れないレシピが受け継がれています。
なお、酒粕を入れすぎるとクドくなりすぎる気がします。酒粕の量はお好みで微調整してください。(いちどに入れすぎると溶けにくいほか、後戻りができなくなります)

充分に冷やして完成です


家の外に設えたかまどに、できあがった「しもつかり」を残しておくと、寒い季節ゆえ、凍ってしまうことも多かったと聞きます。その冷たいしもつかりを、熱々のごはんにのせて解かしながら食べるのが通の食べ方。

現代でも、十分に冷ましてから保存することで、保存性を高めることができます。

お供えいたします


我が家では旧暦の初午の日に、赤飯、清酒と共に、店のお稲荷さんにお供えします。

何となく季節の風物詩といったかんじで、これをやらないと春がこないような感じがします。

いよいよ私たちも、しもつかりをいただきます


神様にお供えしたあとは、いよいよ人間がいただきます。

「うめーーー」

しもつかりは白いごはんにも合いますが、赤飯との相性は抜群です。
それから、当然、日本酒ですね。

地域エンパワーメントの時代

このレシピは、明治生まれの曽祖母から母が一代とばしで習いました。木更津出身の祖母はこの料理を作ることはおろか、苦手で食べることもできなかったようです、、、。
「家庭のお雑煮、父方の系統か母方の系統か」問題などよく話題になりますが、郷土料理を受け継いでいくことも、なかなか一筋縄ではいかないものです。
(ちなみにウチのお雑煮は母系統のさらに母系統、北九州風です)


近年、栃木県の郷土料理の代表格として知名度を上げている「しもつかり」ですが、上述のとおり、これを苦手とする地元民も少なくありません。
見た目がなんだかぐちゃぐちゃで気持ち悪いという人も多くいます。
鮭の頭を食べるなんてヤダ、という人もいます。


しかしながら、国民食のひとつに数えられるカレーだって見た目としてはぐちゃぐちゃですし、ミネストローネなどの野菜煮込み系スープなども大体同じような格好をしています。しもつかりだけが差別を受けるいわれはありません。
(これは郷土料理研究家の白央篤司さんにご指摘をうけてハッとしたことです)
また、たとえばマグロの兜焼きが珍重されるように、魚の頭には、その部位に固有のうまみがあるものです。
料理の鉄人・道場六三郎も、鮭は「1ヒレ2カワ3アタマ」の順でうまい、と言っていましたよ。


「『しもつかり』を郷土の誇りとしよう」という方の中にも、「海なし県の環境で、本来廃棄される部分を利用した生活の知恵、、、」というような説明をされる方がいらっしゃいます。たしかにそれも事実だと思います。貴重な海産物を余す所なく利用する、素晴らしいことだと思います。それを否定するつもりはまったくありませんが、しかし、どこか自己卑下的な、「自虐ネタ」的なニュアンスが幾分か混じっているように感じてしまうのは、考えすぎなんでしょうかね?


長時間の煮込みによってアタマ、ホネ、カワまで余す所なく味わう、大根・にんじんという芳香のある野菜と煮込む、酒粕を添加する、といった作業は、「廃物利用」のニュアンスではなく、むしろ、鮭のうまみを最大限味わい尽くすための精緻な知恵の結実、と言うべきなのではないでしょうか。


さらに加えるならば、「魚の頭」を神様にお供えする、という行為には、魔除けの意味もあるのかもしれません。なにやら呪術的なはなしですが、いまでもイワシの頭とヒイラギの葉っぱを割り箸にぶっ刺したやつを玄関にぶら下げているおうちが、この地域にはけっこうあるんです。


この料理を説明するときに、「いやあーわが郷土にはこんな珍品がありましてね、」というスタンスをとるのか、「いやあーわが郷土では神様にお供えする食べ物にこんな料理がありましてね、」というスタンスをとるのか、ということだと思うんですね。


途方もない手間はかかりますが、どうかみなさんも、ご家庭でおためしいただければと思います。


なお、一般には「しもつかれ」の表記も多く見られますが、我が家では「しもつかり」で通っているため、記事のなかでは「しもつかり」に統一しました。
「しもつかり」の語源としては、「酢憤り(すむつかり)」という食べ物があったという説もあります。
語源が何だったかの正当性はなかなか同定しづらいものもあると思いますが、ともかく、「すむつかり」が「しもつかり」に変化する説には一定の説得力があります。この地方のことばには、21世紀の現代においてさえ、「い行」と「え行」の中間音というべき母音が存在するからです。
(ex.「えんげん豆」「えろいんぴつ」「飲め物におベールえかがですか?」など。)
元来発音されていた音を表記するとき、曖昧模糊としたものを48個の文字のどれかにあてはめなければならなくなります。それが「り」にあたるのか「れ」にあたるのかどちらかよくわからない、そのあたりの曖昧さを、この地域のことばがそもそも持っている豊かさの一端として、大切にしておきたいのです。