サイドビジネスの一環として、梅太郎は、仕込み桶の底にたまった「たまり」や味噌醤油のあまりを混合して漬け床を作り、そこに野菜を漬け込むことを思いつく。



当時の農家であれば、野菜の味噌漬けなどは生活の知恵であったはずだが、梅太郎はそのような素朴なもののもう少し向こう側、砂糖やみりんを使って甘味を加えたリッチな味わいを志向していた。




このようにして造った漬物は、足尾銅山や陸軍宇都宮連隊のような味噌・醤油の大口顧客へのオマケとして使用していた。