今回、「地元の産物について調べている」という小学校5年生から質問のお手紙をいただきました。それに対する回答を転載します。
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拝復

冷え込みの厳しい毎日が続いています。この度は御便りいただきありがとうございます。

以下、さっそくご質問にお答えしますね。

いま、栃木県・とりわけ日光地域の名産品として「たまり漬」は定番のものとなっている観がありますが、もともとは、弊・上澤梅太郎商店の先々代が開発した、比較的歴史の新しい漬物です。「なかなか良い資料が見つからない」とおっしゃっていましたが、その理由のひとつには、「たまり漬」の成り立ちが、郷土食というよりかは弊社の開発した「商品」であり、弊社から発信したものが、徐々に県内に広まっていったという事情によるものだと思われます。

文献において弊社の「たまり漬」が紹介された最も古い例は、1965年に柴田書店という料理専門の出版社から出版された『全国うまい店』という本です。いまは図書館でも手に入りにくい本です。コピーを同封しますので、読んでみてください。

「たまり漬」が開発された頃を知っている親戚のおばあさんに話を聞いたことがあるので、それを書いておきますね。

弊・上澤梅太郎商店は、約400年前、日光街道が開通して、東照宮が完成したころ、現在の場所に出てきて商売を始めました。その当時は、今市地域の人が東照宮に納める年貢米の一時保管業をしていたそうです。こういう年貢保管業を、当時の言葉で「蔵役」と言います。この地域の農業をする人にお米を持ってきてもらって、あるていど量がまとまったところで東照宮に運ぶ仕事です。こういうことをしていると、次第に農家さんとのつながりが深くなり、お米のほかにも農作物がたくさん集まってくることになります。そこで、江戸時代の中頃からは、そのお米や大豆を使って、味噌や醤油を作りはじめました。

それから長く、太平洋戦争の頃までは、味噌や醤油の製造卸売をしていました。日光や鬼怒川の旅館街、足尾銅山や陸軍宇都宮駐屯地が大きなお客様でした。むかしは馬車で配達に行っていたそうです。

戦時中(つまり1930年代後半から40年代前半にかけて)、先々代社長の上澤梅太郎は、大口のお客様に味噌や醤油を配達する際「オマケ」として、醤油や味噌で野菜を漬けた漬物を配っていたそうです。

昔はどの家庭でも、保存のために、野菜を味噌に漬ける漬物を作っていたました。このとき弊社がオマケとして作っていたものも、こういったものだったろうと思います。

また、梅太郎の親戚で、横浜の生糸問屋から来たおばあさんが、とても料理がうまく、当時働いていた職人さんたちの食事は3食すべて作ってくれていたといいます。このおばあさんの得意料理が、イチから自分で仕込む福神漬けでした。

戦後、上澤梅太郎は、平和の訪れとともに、日光や鬼怒川が、再び観光客で賑わうことを予見します。そして、日光・鬼怒川地域の名産品を作り、観光客にお土産として買ってもらうことで、いい思い出にしてもらおうと思い立ちました。その時にヒントになったのが、大口のお客様のためのオマケとして作っていた野菜の味噌醤油漬と、親戚のおばあさんの福神漬けでした。

梅太郎が考えた通り、1950年代から60年代にかけての高度経済成長期、日光・鬼怒川は観光客が押し寄せることとなりました。そして、弊社の「たまり漬」はたくさんのお客様の人気を博すこととなりました。
1980年代のバブル期、多くの企業が上澤商店の「たまり漬」とよく似た商品を作り、お店のしつらえも似せて、販売をするようになりました。上澤梅太郎が目指していたとおり、「たまり漬」は日光・鬼怒川地域を代表する名産品になったのです。

弊社のたまり漬の作り方は、この当時からほとんど変わっていません。
以下、漬物の作りかたを書きます。

一般的に漬物は、1年に1度しか収穫できない野菜を保存する技術です。たとえば大根だったら冬、らっきょうだったら夏にしか収穫できません。昔は冷蔵庫がありませんので、これを腐らせないように保存する方法は、「塩漬け」にするしかありませんでした。

というわけで、まずは収穫した野菜を塩漬けにします。

どのようにするかというと、
大きなコンクリートのプールに野菜を入れ、野菜の重さの15%から20%ほどの塩をまぶします。そして、ここに重石を載せます。塩の量や重石の重さは野菜の種類によって違います。塩がたくさんあると、細菌は生きていけなくなります。また、重石をたくさん乗せることで、重石の下に沈んだ野菜には酸素が行き渡らなくなり、さらに細菌が活動しにくくなります。塩と重石で、菌が活動できないようにして、カビたり腐ったりするのを防ぐのが漬物の基本なのです。


ただし、塩があって酸素がない条件でも生き残る菌があります。それが酵母と乳酸菌です。野菜を塩漬けにして1週間も放っておくと、ぶくぶくと泡が立ち始めます。この泡は、主に酵母が野菜のなかの糖分などを食べて、アルコールや二酸化炭素に変化させているために起きます。ビールに泡がでたり、パンが膨らんだりするのと同じです。このとき、独特の香ばしい匂いや、うまみがでてきます。
泡立ちがおさまると、今度は乳酸菌が働きます。乳酸菌は野菜のなかの糖分などを食べて、「乳酸」という酸をだします。また、ビタミンを作ったりします。この状態で半年から1年寝かせて、熟成させていきます。


塩漬けによる発酵・熟成が十分に済んだら、これを「たまり」に漬けます。「たまり」は味噌を作る時にでてくる醤油のようなおつゆのことです。本物の「たまり」は、ほんのわずかしか採れませんので、お醤油やみりんを混ぜて、「たまり調味液」を作ります。


塩漬けにした野菜は、いったん水洗いして塩分を抜きます。菌が生きていけないくらいの塩分のものは、人間も塩辛すぎて食べられませんので。そして、余計な部分を切り落としたり、食べやすい大きさに整えたりしてから「たまり」に漬けます。弊社では、「たまり」に1回だけ漬けて完成というわけではなく、薄い味のものから徐々に濃い味のものにおつゆを取り替えていきます。1回のおつゆについて1ヶ月から2ヶ月、何度も何度も漬け替えをします。少しずつ味を染み込ませていったほうが、香りや食感が良くなるのです。
漬物が完成したら、袋詰めにしてすぐにお店に出します。

これが弊社の「日光みそのたまり漬」の作り方です。野菜の収穫からお店にならぶまで、2年かかるようなものもあります。このような昔ながらの作り方を続けている漬物メーカーは、日本のなかでもかなり少なくなってしまっていると思います。こういう作り方をすると味は良くなるのですが、時間と人の手がとてもかかってしまい、効率が悪いからです。

名前の由来については、先ほども申し上げたとおり「たまり」に漬けるので「たまり漬」という名前です。

説明は以上です。

事前にお電話いただければ、蔵のなかも見学していただけます。先生やお家の方と相談して、よろしければいらっしゃってくださいね。

これから冬休みになるかと思いますが、風邪などひかないよう気をつけてください。それでは。

敬白

321-1261 栃木県日光市今市487
株式会社上澤梅太郎商店
 上澤佑基