殖産興業の波に乗り、上澤商店の事業は大きく拡大しました。


このころには「桶売り」、つまり大手メーカーの下請けとしての醤油製造も請け負うようになりました。


この当時、桶の封緘に使用していた思われる、千葉の某大手醤油メーカーの印章の大判木製ハンコが、現在も蔵に残っています。



一方で、上澤家は子供には恵まれず、直系の子は全員早世、後夫や婿養子を迎えながら、どうにかこうにか家系をつないでいきました。まだ旧来のイエ制度が根強い時代のことでもありました。