その名も「梅と星」。

の文字が躍ります。
のれんをくぐれば大きな羽釜に湯気がたち、ごはんと豚汁と梅干し、そしてごはんの「お供たち」が勢揃いしています。
そして、この錚々(そうそう)たる『ごはんのおとも』のラインナップに、たまり漬も入れていただいているのです。
というわけで、このたび、「梅と星」代表の竹内順平さんに、お店をつくるまでのお話しや、これからのあれこれについてお伺いいたしました。
目 次
イントロダクション

上澤:お気遣いいただいてすみません。今回事務所にお邪魔しているのですが、本棚が楽しいですよね
竹内さん:カレンダーの本とか、結構写真集もすごく多くて、梅干し関連の本も多いですし、糸井重里さんのところにいたんで、もう糸井さんが「いいぞ」って言った本はもう無条件に買いますし。
上澤:糸井さんがお師匠さんなんですね。すばらしい。
竹内さん:こういう感じでいいんですね?笑
今回は「お客様インタビュー」というようなことで、当店のたまり漬を知ったきっかけとか、使っていただくようになった経緯とか、あとはその後どうかとか、あとこういうとこを改善してほしいよとかありましたらお伺いできればと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。
東京下町の梅干しと日光のらっきょうの出会い

梅と星のメニューに梅太郎商店のたまり漬が!
出会いのきっかけ
竹内さん:たぶん2019年、コロナの前だったと思うんですけど、東京スカイツリーのなかの商業施設「ソラマチ」で、ウチが梅干しのポップアップをやっていたんですね。その頃はまだイベントのみの出店で、定番の立ち食い梅干し屋のお店というのは持っていなくて。
上澤:テレビの「マツコの知らない世界」にたまたま竹内さんが出演していらっしゃって、ぼくと同世代、なんならちょっと若い方が梅干しの専門店で起業した、と知って驚きました。何しろ漬物業界は高齢化が進んでいる上に消費量も右肩下がりで、明るいニュースが少ないですので。たしかその頃20代だったですよね?
竹内さん:そうです、起業したのが25歳だったので。
上澤:それはすごい。ほんとうに衝撃的で。ウチも梅干しは扱ってないですが屋号が「梅太郎」商店で漬物屋なので、なんとなく勝手にシンパシーを感じまして。
竹内さん:多分僕その時あんまりこう気が回ってなくて「上澤梅太郎商店って、梅干し屋さんですか?」って言って「いや違うんですけど」っていう話で多分バタバタご挨拶させてもらって、もう頭の中には『梅太郎商店』っていうフレーズがいいなっていうのはずっとあったんですよ。
そのときたまたま、「気仙沼漁師カレンダー」の制作の仕事もしていたんですけど、現地でコーディネートを頼んでいた気仙沼のおかみさん会、気仙沼つばき会のメンバーのトモちゃんが、上澤さんと知り合いだということがわかって。
その後コロナの時代になり、もうバタバタになってしまったタイミングで、僕が別件の取材があって今市に行ったんですね。
上澤:えっ、そうだったんですか?
竹内さん:天然氷のムロの取材だったんです。
日光の漬物と浅草の梅干し:コラボのきっかけ
でも上澤さんのところのらっきょうだけはものすごい気になって、らっきょうを食べたらものすごい美味しかったんで、いやこれはちょっとただ者じゃないぞという思いがして。で、一緒に買ったのが大根のたまり漬だったりとか、なめこのたまり炊だったりとかで、もうすっごい美味しかったのをずっと覚えてたんですよ。
竹内さん:その時はまだ立ち食い梅干し屋の実店舗をソラマチの中にオープンしたばかりでした。そのあとで、浅草の路面に「梅と星」っていう、羽釜で炊いたごはんと梅干しのお店と、あと色んなごはんのお供も出すお店を作ろうと思った時に、そのお供の中に、もうすぐに上澤さんのたまり漬を入れたいなと思って。しかも豚汁をメインのお店にしようと思ってたので、お味噌も。
上澤:新宿タカシマヤさんの催事にいらしていただいて、そこでもうたくさんいろいろご購入いただいたんですよね。そこが、2回目の出会いでした。例のトモちゃんから連絡がきて。「トモちゃん」なんて気安く呼んでますけど、高校の先輩なんですよね笑 在学中は憧れの先輩だったんですけど、卒業後になんとなく仲良くなりまして。そんなトモちゃんから「竹内さんを紹介してもいいか?」とメッセージが笑 もちろん二つ返事でした。
上澤:じつは新宿での催事は、はじめて出る場所で勝手がわからずでした。コロナの問題が発生して、観光のお客様が日光までなかなかいらっしゃることができない。だったらこちらから行きますよ、というタイミングだったんです。ただ、緊急事態宣言中の新宿に社員を連れて行くことはご家族の理解なども得られないだろうということで僕がひとりで店番をしていまして。そんななか、たしか「梅と星」さんの構想をしてらっしゃるというお話を伺って、それでかなり勇気づけられました。
漬物への「好きの量」
竹内さん:なつかしいですね。ロクにちゃんと下調べもせずに、梅太郎商店さんに「梅」がついてるから、ぐらいのなんか気安い感じで行ってしまったんですけど。なんかやっぱり、その新宿タカシマヤさんでの催事で、僕が会場に着いた時に、上澤さんが別のお客様を接客されてて。
そのお客さんの熱量というか、上澤さんに対しての「好きの量」がなんかすごく感じたんですよ。なので買って行き方もすごかったですし。
「普通そんなにらっきょう食べられないでしょ?」っていうぐらいらっきょうをたくさん買われているところを見て、本当にすごいなって思った記憶があります。
それから、自分が「とらや」さんとか「エルメス」とか、そういう老舗と言えばいいんですかね。ブランドを参考として勉強させてもらってるような中で、もう上澤さんのところもやっぱりすごい歴史があるんで、それこそ「梅」どうしでやるってなって、コンセプトを固めてやっていこうって時に、上澤さんも、やっぱり朝ごはんをやられてるじゃないですか。
上澤:そうなんです。これもコロナまっただなかの開店になってしまいました。
竹内:この朝ごはんのお店も行かせてもらって。
上澤:そうだったんですね!ご来店されるときは教えてくださいよ〜
竹内:ああいうことは東京ではできないですしね。さっきこう「若くて」って言ってくださったんですけど、僕も同年代の人が「たまり漬」っていう切り口で、あそこまでやられてるということがすごいことだなって思ったんですよね。
上澤:それは嬉しいです。店自体は母がやっているので、母の方針が大きいですが。
コロナ禍が生んだ白米をおいしくする出会い

コロナ禍の影響
竹内さん:コロナの前はそんなに催事はやられてなかったんですか?
上澤:コロナの前は、ほとんど年1・2回しか出てなかったです。
それで、ウチがその朝ごはんの店を始めたのは2020年の3月でして。
竹内さん:あの時、それこそ自分がいっぱいいっぱいだったんで、東京しか見れてなかったですけど、栃木の方も結構やばかったですか?
2020年の2月に日本橋の高島屋さんに催事で出てたんですよ。夜もう疲れたしサウナでも行こうと思って上野の北欧に行きまして。そのサウナの中にテレビがあって、ニュースとかやってるじゃないですか。そうしたら、ダイヤモンドプリンセス号が横浜に入港しました。
日光の漬物と浅草の梅干し:コロナ禍を語る
上澤:外に出かけること自体が悪みたいな感じで。「上澤の駐車場に他県ナンバーの車が駐まってる」とか言って、SNSにあげられちゃうぐらい。
竹内さん:他県ナンバーのクルマが入ったら地元の人が石投げてきたっていう、本当かどうかわかんない噂も流れてましたね。
気仙沼って宮城県のかなり岩手よりじゃないですか。
上澤:仙台より一関の方が近いぐらいの位置関係で。だから他県ナンバーを気にしても仕方のないところではあると思うんですけど、なかなかでしたよね。
梅干し屋、テナント経営の悲喜劇
竹内さん:「立ち食い梅干し屋」も、初めてのオープンだったのですごい量のお花をいただいたんですけれども。30鉢ぐらいお花をいただいていたのにすぐにソラマチが休業になってしまって。モールが閉まってる中、お花に水だけをあげに行ってましたね。
そこに向かってもう一回準備して店を開けると、ウェブとかの動きは止まるじゃないですか。そうするとまた2週間3週間して閉めますっていう話で。最初はそういうことの繰り返しでしたね。
浅草に誕生した、梅干し専門店「梅と星」の挑戦
上澤:そうなんですか。それはご縁ですね!
竹内さん:もう絶対借りれるような金額じゃなかったですし、無理無理って思ってたんですけど、その大家さんがいかにも浅草の方らしくて「早く借りるか借りないか決めなさいよ!」ってけっこう強く言われたんで、じゃあちょっとだけ待ってくださいって言って。逆に言うと、月なんぼ稼げばここが維持できるかな、から入ったんですよ。
これだけ稼ごう。じゃあこれだけ稼ぐためには何をするべきかな?と思った時に、、、ここからはお金の話という以上に、価値観の話で。
ちょうどコロナの時期で「人が触ったものは良くない」とか「会話しながら食事」っていうのもダメで、『黙食』っていう言葉があったぐらいの時期だったので、「同じ釜の飯を食う」っていうことが、すごく悪いイメージになってきてしまっているなって思ったんですね。でも、「同じ釜の飯を食う」って、「みんなで一つの時間を共有するみたいな」言葉だと思って。だからこれがなくなってしまうのは絶対に良くないなと思って、「同じ釜の飯を食える場所を作りたい!」と思ったのが、『梅と星』だったんですよね。

「立ち食い梅干し屋」は梅干しを主役にするお店だったので、同じことをやっても仕方がないから、正反対に、梅干しが脇役として輝ける場所を作りたいなという思いもあって。だったら「ごはんに梅干し」だと。ごはんが梅干しを輝かせてくれるし、ごはんが美味しいと、より梅干しも輝いてくれる。
そういうコンセプトを考えたとき、でも別にそれって梅干しだけじゃないなと思って。色々なごはんのお供についても、やっぱりお供が美味しければごはんも美味しい、ごはんが美味しければお供が美味しい、ってなるなと。
それってもう完璧な「幸せ」だなと思ったんで、それで美味しいものを、ごはんのお供として集めようという思いから入ったんですよね。

梅干しの専門店を始められた経緯とも話が重なってしまうかもしれないんですけれども、冒頭でもお話ししたように漬物の消費量ってものすごく下がっていますし、お米の消費量自体、日本人がお米を本当に食べなくなってきているので、ごはんのお供ジャンルのものっていうのもお米と合わせて一緒に消費量がすごく落ちている現状がありますよね。
その中で敢えて、じゃあ「ごはんと梅干しだ!」とか「ごはんのお供だ!」っていう風に思われたのは、やはりコロナでの経験がきっかけなんですか?
それよりもやっぱり「梅干しってものすごく価値があるよな」「すごく面白いやつだよな」っていうのがスタートだったので、その価値を感じてもらえることは全部やり切りたいし、この梅干しの面白さを一人でも多くの人と共感できたらいいなって思うし、そこしか考えてない気がします。
上澤:梅干しの面白さっていうのは、例えばどういうところにあるんでしょうか?
<以下つづく>





