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大空に月と日が姿を現してこのかた  紅の美酒にまさるものは無かった 腑に落ちないのは酒を売る人々のこと このよきものを売って何に替えようとか
Omar Khayyam

 2005.1130(水) それができれば苦労はねぇよ。

5時に起床して製造現場へ降り、小一時間ほどの作業に従ってから事務室へ移動する。「きのう注文したギフトの内容を変更したい」 「発注者とは異なる名前で送金したから見落とさないよう注意して欲しい」 というメイルに返信をするなどのよしなしごとをして7時前に居間へ戻る。

朝飯は目玉焼き、キャベツの油炒め、ハム、納豆、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と長葱の味噌汁

ずいぶんと以前に日帰りの人間ドックを経験したことがある。そのスケデュールには参加者と医師との集団による質疑応答が含まれていて、これがなかなか面白かった。

「サケ飲みながらタバコ吸うとムカムカするんスけど、どこか異常スかね?」
「酒と煙草、やめてください」

「食欲が無くて、朝ごはん食べられないんですけど」
「起床からどれくらい後に朝食をとりますか?」
「起きてすぐに食卓へ向かいます」
「朝食の2時間前に起床してください」

僕はそのやりとりをニヤニヤしながら傍観していたわけだが休憩時間になると、先ほどはまるで神託のごとき明快直截な答えを下した当の医師も煙草を吸っているのだからどうしようもない。

初更、ホウレンソウの胡麻和え、里芋の柚味噌和え、大根とあん肝の炊き物、キャベツの代わりに白菜を用いたキャベツ巻きのクリーム煮、湯豆腐にて炊きたてのメシ2杯を食べ、飲酒は避ける

入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2005.1129(火) 長葱の美味いころ

目を覚ましてしばらくは横になったまま静かにしている。それからどれくらい後のことかは知らないが、枕頭の灯りを点け時計を見ると4時30分だった。「遠い国」 を読んで5時30分に起床し、事務室へ降りていつものよしなしごとをする。

7時前に居間へ戻る。朝飯は大根おろし、トマトとチーズのオムレツ、納豆、ジャコ、メシ、豆腐とワカメと長葱の味噌汁

「ことしの長葱は、なんだか良くできたんだわ」 とはサイトウトシコさんのことばだが、今朝の味噌汁の長葱も美味ければ、きのうの昼飯の牛丼に炊き込まれたその葱の青いところも美味かった。そして本日の昼飯は同じ葱をぶつ切りにして投入したカレーピラフで、これも美味かった。その美味さについて、きのう牛丼を食べている最中に似合いの褒め言葉を思いついたが、いざ文字にする段になるときれいに忘れているのはメモを残さなかったためである。

あしたの仕事の段取りをしているうちに初更の時間は見る間に経ち、その最中に本酒会の投票用紙もいまだ準備していないことを思い出してとり急ぎ、これの作成をする。定刻の7時30分をすぎて今月の会場 「八百春」 へ着いてみれば、いまだ1本目の乾杯が為されていなかったから安心をする。その1本目は、オヤジの通夜と告別式で導師を務めてくれたクワカドシューコー会員がことしの春より自宅の冷蔵庫に寝かせていた 「一時」 だった。

この希有の濁り酒は下手をするとその3分の1ほども抜栓時に吹きこぼれてしまうから、イチモトケンイチ会長は細心の注意を10分ほども傾けてこの栓を取り外した。僕は自分の不器用さをよく悟っているため、こういうことにはハナから手は出さない。

ときを見計らい、「本酒会」 からオヤジに香典をいただいたこと、会員の中の何人かが通夜あるいは告別式に来てくれたことへの礼を述べる。

「オヤジが死んだ病室の外で、こんどは葬式の準備だからね。人の死を噛み砕く間もなく儀式に巻き込まれていくというか」 と誰にともなく言うと、クワカドシューコー会員が 「施主は長男の宿命ですからね」 と静かに答える。

「オレにできるかな?」 とヤギサワカツミ会員が心配そうな顔をするので 「大丈夫です、オレにできることはヤギサワさんにもできるんです。なにしろヤギサワさんは、オレにできないこともできるんだから」 と励ますとヤギサワ会員は 「褒められているんだか、けなされているんだか」 とぼやき、オヤジの祭壇を作ったヤマサキジュンイチ会員が大きな声で笑う。

今夜の点数は1本目に開けた喜久水酒造の傑作 「一時」 が他を引き離して第1位になるだろう。

9時に会場を出て帰宅すると、次男は既に眠っていた。入浴して牛乳を300CCほども飲み、10時前に就寝する。


 2005.1128(月) 毎日すこしずつ

4時30分に目を覚まして 「遠い国」 を読み、5時に起床する。製造現場にて小一時間ほどの作業に従い、事務室へ移動していつものよしなしごとをする。朝飯は生のトマト、キャベツとピーマンの油炒め、納豆、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と三つ葉の味噌汁

現金書留などでオヤジへの香典を送ってくださった方々へのお返しは、ワードプロセッサで打ったものだが僕の手紙を添えて、きのうまとめて送り出した。本日は弔電をくださった方々のうち近しい間柄かつ通夜にも告別式にも見えなかった方々に、これまたお礼の手紙を送付する。

通夜や告別式で組内の人あるいは鹿沼相互信用金庫の人たちがまとめてくれた香典帳を見れば、僕の地元の同級生、町なかの商店、あるいはオヤジなどはただの1度も足を踏み入れていない、僕だけが通った飲み屋のあるじなどから香典をいただいた記録があり、だからこれをしっかり頭に入れておかないと、とんだ恥をかきかねない。

こういうもののデータベース化は得意だから始めてしまえば早いけれど、しかし生憎と既にして暮のギフトの繁忙に突入しているから時間のやり繰りがつかない、というのは言い訳で、毎日すこしずつ入力をしていけば良いわけである。

初更、醤油に溶いた山葵漬けで食べるかまぼこ鮪の刺身2種砂肝のオリーヴオイル炒め、厚揚げ豆腐と蕪の葉の炊き物、里芋の柚味噌和えが食卓へ並べば、これはどうしても飲まないわけにはいかない。芋焼酎 「白金之露・黒」 のお湯割りを飲む。

入浴してこんどはビールを350CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2005.1127(日) わざわざイギリスから来てるんだよ。

6時に2分だけ遅れて鳴る仲町のオルゴールにて目を覚ます。そのオルゴールのすぐちかくには時計屋もあるのだから、なんとかこの遅れを元に戻してはもらえないだろうかと考える。何十年も前から鳴り続けているオルゴールだから、あるいはそう精密な調整はできないのかも知れない。

事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時前に居間へ戻る。朝飯はタシロケンボウんちのお徳用湯波と水菜の炊き物、白菜のサラダ、納豆、メシ、シジミと万能葱の味噌汁

19日の土曜日に甘木庵から帰宅した長男が、浅草発の下り快速車中における話として、英国からわざわざ秋の日光を見に来た、英国人の夫を持つ日本人妻の 「今年の紅葉はどうですか?」 との問いに対し 「もうハァ、ダメだね、今がら日光さ行っでもハァ、寒みぃだけだぁ」 と答えたおばあさんがいたという。

このおばあさんは多分、真実を至上とする理科系の人なのだろう。「ホントのことなんてどーでもいいやな」 という文化系が世の中には理科系と同じ数だけいて、これが潤滑油の役を果たしているから世間は上手く動いているのである。

初更、タシロケンボウんちのお徳用湯波と水菜の炊き物、白花豆、大根のマリネ、豆腐と椎茸と牛肉のすき焼き風炊き物をおかずに炊きたてのメシを食べ、飲酒は避ける。

サイトウトシコさんがたわむれに持参した、大きく育った仲間の陰に隠れて小さく不揃いなままに収穫された里芋は僕の好物だ。これを丸ごと食卓へ出し皮を剥きながら食べるのだとサイトウさんは言うが、僕はその頭と尻を包丁で落としてくれるよう頼んだ。それでもこの芋はキヌカツギとは異なり指で押しただけでつるりと中身が出るわけではないから、結局のところは皮付きのまま岩塩を付けてかなりの数を食う

入浴して牛乳を300CCほども飲み、「遠い国」 をすこし読んで10時ちかくに就寝する。


 2005.1126(土) 「これ、ダメだね」 のワイン

2時30分に目を覚まし、二度寝をして1時間後に起床する。製造現場で小一時間ほどの作業に従って後に事務室へ移動する。

「お歳暮の熨斗」 を備考欄で要求しながら納期の指定をしていらっしゃらないウェブショップの顧客へ 「今すぐにお送りして、仮にそちらで12月のはじめまで放置した場合、商品の質は確実に落ちるから希望の到着日を教えて欲しい」 旨のメイルを送付する、"amazon" で洋書和書とり混ぜ計10冊の本や写真集を注文する、きのうの日記を作成するなどのよしなしごとをして7時前に居間へ戻る。

朝飯は昨夕の肝吸いのあまりを使った玉子と三つ葉の雑炊、大根と胡瓜のぬか漬

なにやかやして初更、家内に今夜のメシの内容を訊ねれば、鯵を素揚げにしてバルサミコをかけるという。「それはマズイ」 と答えつつあたりを見まわせばタシロケンボウんちのお徳用湯波が見えて、これはあしたの晩飯になるのだろうか、だからふたたび 「マズイ、今夜は酒を抜くつもりでいたけど、そういうおかずじゃぁ今日もあしたも酒は抜けねぇ」 と困り果てると家内は 「飲めば良いじゃない、飲んだって飲まなくったって、寿命は運命で決まっているのよ」 と言う。

「飲んだって飲まなくったって、寿命は運命で決まっている」 が本当かどうかは知らないが、この怪しげなドグマを 「遊んでも働いても、一生に稼げるお金は運命で決まっている」 と置き換えてみれば、やはり多少は真面目にした方が良さそうだ。ただし今夜は飲酒を為すことにする。

「なんにもしてないから中に虫がいるかも知んないよ」 と、自分の畑からこれを収穫した人に言われた白菜によるサラダ、うずら豆、里芋とハムのサラダ鯵の素揚げと水菜とトマトとキウイのサラダ、というサラダづくしが食卓には並んだ。

"Saint-Aubin Premier Cru Jean Marie Delaunay 1987" を飲んだオフクロが 「これ、ダメだね」 と言う。コートドオル産とはいえそれほど値が高いわけでもない、しかも白のワインは生産から20年ちかくを経て確かに盛りは過ぎつつある。長男が20歳になる来月の12日以降はこの手のワインを一気に飲み干してしてしまおうと考える。もっとも 「この手のワイン」 の残りはそう多くはなく、在庫のほとんどは値の張るものばかりである。

「これ、ダメだね」 のワインを400CCほども飲んで以降の記憶はない。


 2005.1125(金) 甘いおかず

5時30分に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時前に居間へ戻る。

朝飯はキクラゲと柿の白和え、ワカメの鰹節かけ、生のトマト、なめこのたまり漬、メシ、大根と豚肉と三つ葉の味噌汁

オカラ、現地にも本当にあるのかどうかは知らないがソテーした豚肉にパイナップルの輪切りをのせたハワイアンステーキ、同じくパイナップルの入った酢豚、むかし学校の給食でよく見かけたリンゴやミカンの入ったサラダなど、甘いおかずは総じて好きではない。白和えも甘いという理由から好きではないし、ましてきのうから食卓に載る白和えは柿まで入っているから余計に甘い。ただしこの、オヤジの霊前に供えてくれと組内のハガさんがくださった白和えは僕のキクラゲ好きもあってムシャムシャと食べ進むことができる。

なお甘いおかずを好まないとはいえ、オレンジのソースをかけまわした鴨のローストとか、あるいは生ハムで包んだイチジクというようなものは好きで、このあたりの好きと苦手との分水嶺については自分にも分からない。

オヤジが死んだ翌日に上海から電話をしてきて号泣したトバヤシヒロタカさんが夜7時に来る。トバヤシさんは臙脂色のプジョーから花を取り出すなりまた激しく泣き出した。家内が 「トバヤシさん、トバヤシさん」 と、たしなめるように言いつつ玄関へとうながす。3階の和室にしつらえた祭壇を前にトバヤシさん、オフクロ、僕、家内の4人でオヤジの話をし、「魚登久」 より取り寄せた鰻重を食べる。

辞去する前に 「お骨、拝見させていただいてもよろしいでしょうか」 と言うので知恩院へ分骨するための小さな壺を手渡すと、まるでお道具拝見のように中を覗き込んでトバヤシさんは 「ハーッ」 と声を出した。「食べるつもりだろうか」 と思ったが、トバヤシさんはそこまではしなかった。火葬を経た人の骨はジャリジャリとして砂を噛むこととまったく変わりがないとは、僕はおじいちゃんの骨で確認済みである。

入浴してビールを350CCほども飲み、10時30分に就寝する。


 2005.1124(木) 柚味噌をまぶして炙る芋

5時30分に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時前に居間へ戻る。

朝飯は目玉焼き、ホウレンソウの油炒め、納豆、なめこのたまり漬、キクラゲと柿の白和え、メシ、ワカメと椎茸の味噌汁。しばらく買い物へ行けなかったため、味噌汁には薬味の用を為す野菜が見られない

おじいちゃんが亡くなったときも、しばらくは焼香をしてくださる方が会社や家を訪ねてくださった。その学習から事務室奥の小部屋に祭壇を設けるよう 「菊屋ホール」 に頼んだのはきのうのことだ。四十九日間はこの設備を維持することになるだろう。そしてこれを利用した第1号は、正しい英語によるものかどうかは不明だが "Time Transfer" というオートバイのグループに僕が入っていたときからの友人ホシ君だった。

新しい空気を吸うため終業後に駐車場へ出て振り向けば、包装現場の高窓から外へと明かりが漏れだしている。売り切れ間近の商品を残業の社員たちが作っているのだろう。

初更、芋焼酎 「アサヒ」 をお湯割りにする。豚肉、油揚げ、椎茸、水菜などの鍋および柚味噌をまぶして焼いた里芋をその酒肴とする。たとえ熱く煮えていても、鍋の画像はいかにも冷え冷えと写ってしまうところが難しい

入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2005.1123(水) サーチは間に合わないからソートしました。

ホールの通夜室にて朝4時に目を覚ます。オヤジが死んだ20日は通常の短い線香を翌朝まで絶やさないようにしたが、これをふたりや3人で3日も続けることは辛い。21日の夜からは螺旋状の線香、また太くて長い線香に大いに助けられた。「遠い国」 をすこし読んで起床し、きのうの日記を作成するなどのよしなしごとをする。

8時に家内がおにぎりとインスタントの味噌汁を届けに来る。その朝飯を食べ終え9時前に帰社する。当然のことながら店は社員たちの手により平常と変わらず運営をされている。4階へ上がって黒いスーツを脱ぎ、普段着に着替えて事務室へ行く。

普段と変わらない仕事をしばらくし、ふたたび黒いスーツを着て10時30分にホールへ戻る。告別式の会場に、きのうと変わったところはない

弔問客を出迎えるよう葬儀社の人に言われる。時を同じくして、届いている弔文の中から5通のみを、本文と差出人の双方を披露すべきものとして選ぶよう言われる。田舎でも都会でも祝電、弔電のたぐいは通常、代議士など知名度の高い人からのものを多く採りあげるようだがなにぶん当方の行動規範はいい加減だし、また時間も無い。

高さ20センチほどに積み上げられた弔電の、表紙の分厚い順に並べてトップから5番目までを 「この5通でお願いします」 と葬儀社の人に手渡す。1番上に置かれた漆塗りの差出人を見たら "Computer Lib" のナカジママヒマヒ社長だったから 「しょうがねぇな、こんなことにカネ使ってよー」 と腹の中で言う

通夜、告別式ともに残念なのは、焼香の際になど 「あー○○さん、申し訳ございません、お忙しいのに」 とか 「えっ、○○ちゃん来たの? あんなに遠くから? わざわざ来ることないのにさぁ」 と旧知の顔を見つけても、視線だけで交わす意思の疎通はせいぜい2秒というところで、どうにももどかしい。

祭壇に背を向けホールの後方を見ると、開け放った扉の更に向こうにも弔問客の立ち姿が多く見える。遠慮をして椅子は人に譲ったのだろう、その同級生たちの顔を見ながら施主の挨拶をする。

親族以外の人たちも多く来てくれた火葬場から、これまた親族以外の人たちも加わって墓前へ集まり納骨をする。その物理的なところはウチの印半纏を着た須藤石材の社長、導師は通夜、告別式と同じくクワカドシューコー本酒会員が務めてくれた。最期の挨拶、お客の見送りなどを経て葬儀一式を完了する。時間は午後4時を過ぎていた。

おにぎり、鮨、仕出しの弁当などをここ数日は多く食べていたため、誰ともなく 「ピザなんてどう?」 ということになり、宅配ピザ4種と2種のワインを晩飯とする。

入浴してビールを350CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2005.1122(火) 「ヘーキ」 の内容

5時30分に目を覚ます。「遠い国」 をすこし読んで起床し、事務室へ降りていつものよしなしごとをする。 電卓による計算と手書きによる記帳とを必要とする紙の金銭出納帳を僕は好まないが、葬儀に関わるお金の出し入れについては、これを記録しないわけにはいかない。計算のためのマクロを仕込んだディスケット1枚を準備する。

朝飯は3種のおにぎり、豆腐とワカメの味噌汁。

通夜と告別式の受付を手伝ってくれるようお願いをしてあった鹿沼相互信用金庫のワタナベタカユキさんが9時すぎに来社したため、葬儀用の口座を開設してくれるよう、これまたお願いをする。

「ちょっとあなた、お通夜と告別式のスピーチ、大丈夫なの?」
「オレ、そういうの、ヘーキだから」
「だったらいいけど」

とはきのう、オヤジの妹と僕とのあいだに交わされた会話である。これは襤褸のような服装、世間の常識に沿ってはいないらしい言動を周囲に嗤われてもヘーキということだから 「だったらいいけど」 という叔母の認識が順当なものかどうかは知らない。

一旦ホールへ行き、会社へ戻り、着替えて夕刻4時前にふたたびホールへ行く。祭壇は昨夜9時すぎまでかけて、また本日も短くない時間をかけて 「本酒会」 のヤマサキジュンイチ会員と助手の人が整えてくれた。"amazon" で購入し、一聴して 「これはゲテモノだ」 と分かったからすぐにオヤジへ渡してしまったCD 「美空ひばりジャズを歌う」 をホールの人に頼んで流してもらう。祭壇の写真には、オヤジが尖沙咀のなんとかという店で遊んでいるときのものを選んだ

4時30分にオヤジは納棺され、6時より通夜が始まる。「本酒会」 のクワカドシューコー会員が導師を務めるその通夜は7時を前にして無事に完了した。思いがけない人から花をいただいた。多くの人、思いがけない人から弔問をいただいた。

通夜ぶるまいのお客様のうち、大きな部屋にご案内した一般の方々は8時前に去った。小さな部屋に集まった社員や元社員たちも8時すぎにはみな去った。ホールの照明が落とされた9時を回ったころ、東京から1台のクルマに同乗して同級生3名とハセガワヒデオ君のお母さんが来てくださる。料理の一部を綺麗な形で残しておいて良かったと安心をする。

オフクロと僕と長男の3名が通夜室へ泊まることとし、不覚をとっても心配の無いよう螺旋状の線香、また太くて長い線香に火を点ける。携帯電話を見ると時刻は0時30分だった。小林紀晴の 「遠い国」 を読む。


 2005.1121(月) ますます

昨夜は風邪をひかないよう、絹のパジャマの上からホールが用意した浴衣、その上に更に半纏を羽織って布団に入った。部屋には僕とオフクロのみがはべったが、いつも9時30分には寝てしまう僕が終夜にわたって線香を絶やさないとは至難の業である。「遠い国」 を読みつつ夜11時30分より深夜2時までうつらうつらし、その後はずっと線香立てを見張っていた。

7時50分に長男がオフクロの朝飯を運んできたため、それと入れ替わりに帰社して必要なことをする。本日は血中の脂肪濃度やγGTPを調べるための採血があるから朝飯は食べない。

9時にその採血へ行こうとするが "Must to do" のメモにした仕事が進捗しない、あるいはオヤジの訃報を知って来社した途端に帽子を取りシクシクと泣き出す人、親指を突き立て 「一旦ウチに帰さないっちゃオヤジが可哀想だんびゃっ」 と怒鳴る人、「いま上海です、申し訳ありません、飛んでいきたくても行けません」 と言うなり電話口で号泣する人などの対応もあり、そういう血の熱い男には当方も弱いからついもらい泣きをしてますます次の行動へ移れない。

オヤジを安置したホールと会社のあいだを往復し、お線香を上げに来てくださる方々の相手をして夕刻に至る。

今夜、オヤジの側にはオフクロと長男が付き添う。僕は家内と次男との3人でホールからの帰途、ファミリーレストランの "COCO'S" へ寄る。デミグラスソースで煮込んだハンバーグステーキ、サラダ、フランスパンにてカリフォルニアの赤ワイン1本を飲む。

帰宅して入浴し、10時に就寝する。


 2005.1120(日) 最期の晩飯は何だった?

5時に起床する。事務室を経由して製造現場へ行き、小一時間ほどの作業をしてふたたび事務室へ戻る。いつものよしなしごとをして7時前に居間へ上がる。紅葉の見ごろを過ぎたら週末ごとに降った雨がなくなり、とたんに晴れ出すとは皮肉なものである

朝飯は炒り卵とツナとレタスのサラダ、なめこのたまり漬、オニオンスライスを薬味にした納豆、メシ、白菜の味噌汁

開店の準備中、肺炎をわずらい10月4日より入院していたオヤジの容態がいよいよいけないと、付き添っているオフクロから電話が入る。いわゆる向こう三軒両隣の組内へ出向いてそのことを知らせ、もしものときには助けてくれるようお願いをする。ホンダフィットにガソリンを満たし、きのう甘木庵より帰宅した長男と壬生町にある獨協医科大学病院を目指す。

8時50分に病室へ着き、10分の後にオヤジの心臓が停止する。

人が亡くなってから葬儀が完了するまでの仕事をひとつずつこなす。本日の晩飯は冷たい牛乳400CCだった。ふと 「オヤジの最期の晩飯はなんだったんだろう」 と考える。僕は最期の晩餐にはサーロインのでかいステーキ、トマトとレタスと小タマネギのサラダ、コートドオル真ん中あたりの赤ワインが欲しい。しかしこれを食った宵にコロリと死ねるほど人生は甘くない。

オヤジを安置した 「菊屋ホール」 の一室にて本日の日記を書く。


 2005.1119(土) 数字のとりこ

目を覚ますと部屋は水族館の底のように青く、夜明けが近いことを知る。5時すぎに起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをしたり、あるいはギフトの繁忙期に使う諸々の品を倉庫から出し、事務室へ置いたりする。

7時前に居間へ戻り、熱いお茶を飲む。朝飯はホウレンソウの油炒め、これでもハムエッグというのだろうか、ハムと玉子を別々に焼いたもの、納豆、なめこのたまり漬、メシ、大根と万能葱の味噌汁

12年前の瀧尾神社例大祭で、長男は彫刻屋台を先導する金棒曳きを務めた。来年は春日町1丁目の当番町がまた廻り来るため、当時あつらえた衣装をいまだ朝のうちにイワモトミツトシ区長宅へ運び、今夜の会議の席上、皆さんに見せてくれるよう頼む。その他の用事にても町内をまわり、もちろん通常の仕事もこなして夕刻になる。

万歩計を付けて歩くことを始めると、いわゆる 「数字を稼ぐこと」 に興味が湧いて、つい歩きすぎてしまう例が少なくないという。ジョギングをした人なら分かると思うが、走った後の心拍数が平常時のそれに戻るまでの時間は日を追って短くなる。この数字のとりこになる人も少なくないらしい。ダイエットが意外な効果を発揮して欣喜し、減り続ける体重に歯止めのかけられなくなる人も、また少なくないらしい。

なにが言いたいか。断酒する日数に固執するあまり、ついに死ぬまで断酒できたら健康にも財布にも大いに役立つだろう、という一瞬の妄想について述べたかった。現実にはあり得ないことをあれこれ考えるのが妄想である。

牛肉の大きなかたまりがふたつ入ったカレーライスを晩飯として飲酒は避ける。

入浴して牛乳を300CCほども飲み、「遠い国」 を読んで10時30分に就寝する。


 2005.1118(金) ハムエッグと水割りのウイスキー

何時に目を覚ましたかは知らないが、本は読まずに起床して居間の時計を見たら5時だった。会社の施錠を外して先ず事務室へ行き、次に製造現場へ移動して小一時間ほどの作業に従う。ふたたび事務室へ戻り、いつものよしなしごとをして7時前に4階へ上がる。

洗面所の窓を開けると、西の空の高いところに丸い月が出ている。本日、学校で漢字のテストがあるという次男の予行練習を督励する。朝飯はマヨネーズ入りスクランブルドエッグ、きのうの白菜と豚肉と椎茸のクリーム煮、さらし玉葱とワカメの鰹節かけ、納豆、メシ、豆腐と万能葱の味噌汁

フライパンで焼いたハムも目玉焼きも頻繁に食べるがハムエッグは嫌いだ、という人がいる。ハムエッグのどこに問題があるのだろう。水をチェイサーにしてストレートのウイスキーを飲むのは好きだが水割りは嫌いだ、ということと同じだろうか。僕はメカブは好きだがモズクは得意ではなくて、しかしこの 「食べ物の好き嫌いにまつわるちょっとおかしな感じ」 は上記の、ハムエッグや水割りを嫌う人の例とはすこしずれている。そして好きだったメカブもずいぶんと食べ続けたためこのところは食傷気味で、数日前から摂取する海藻はワカメにした。

血中の脂肪濃度やγGTPを調べるための採血が来週の月曜日にある。たった1日の酒を抜くにもそれなりの気の持ちようを必要とする酒飲みとは滑稽なものだが、その採血のために今夜から3日間の断酒をしようかと考える。一方 「バカ言うな、血ぃ採る前に酒抜いたら、いつもの数字が出なかんべ」 という、アンザイ畳屋のオヤジの理屈も正論ではある。

とりあえず今夜の断酒を決め、きのう残した餃子とメシのみという、体が酒を求めづらい組み合わせを晩飯とする。

入浴して牛乳を300CCほども飲み、「遠い国」 をすこし長く読んで10時30分に就寝する。


 2005.1117(木) 餃子原理主義

目を覚ましてしばらくは闇の中にいる。どれほどかして枕頭の灯りを点け時計を見ると4時だった。「遠い国」 を書いた小林紀晴の文体は人に読む速度を強いるものではなく、だから遅読癖のある僕はよけいにこれをゆっくりと読むことになる。5時にようやくその第1章 「盤谷」 を読み終え起床する。

ドアを開け放した洗面所から廊下へ光が漏れている。その光は消し忘れた電灯のものではなく、ひさしをよけて届いた旧暦10月16日の月明かりだった。照明のスイッチを入れないまま窓を開けると、その丸い月により僕の影が壁にくっきりと浮かぶ。江戸時代であれば、それを頼りに辻斬りもできそうな明るさである。

事務室へ降りてコンピュータを起動し、メイラーを回すと自由学園同学会広報委員長のイリヤノブオ君より画像1点とハニジュン先生による文章が届いている。それを用いて同学会ホームページの 「卒業生訪問」 を更新し、サーヴァーへ転送する

昨夕の閉店時から今朝までにウェブショップへ入った注文を確認する、きのうの日記を書くなどのよしなしごとをして7時前に居間へ戻る。朝飯はホウレンソウの油炒め、なめこのたまり漬によるなめこおろし、納豆、メシ、アサリと万能葱の味噌汁

日中、むかしはずいぶんと買った、そして3年ほど前からはほとんど購入履歴のないワイン屋から営業の電話が入る。田崎真也が高得点を付けたワインのセットが評判だが興味はあるか、というのが話の内容だった。自分の好みとその有名ソムリエの採点基準が一致するとは限らない、という意味の理由を述べて受話器を置く。

僕が早晩すたれると考えて廃れない代表がパチンコ、カラオケ、そしてボジョレヌーヴォーの解禁騒ぎで、聞くところによれば日本はボジョレヌーヴォーの最大の輸入国だという。そういえば今朝のニュースには、未明のスーパーマーケットでこのワインを抜き、乾杯をする人の姿があった。

家内は社員たちと残業をする予定だから今夜はどこかへメシを食いに行こうかと提案すると、家内は家で食べるという。下校した次男に希望を訊けば2番目か3番目に餃子を挙げるので 「よし、それにしよう、今夜はウチで作らず『正嗣』の餃子だ」 と決める。

餃子を食うに、宇都宮の有名店で行列をすることについては 「どうだろうねぇ」 という思いがある。「正嗣」 で1人前170円の餃子を買って帰り、それを家で食えばことは済む。焼きたてを店で食べた方が美味いには違いないが、「正嗣」 のメニュは焼き餃子と水餃子のみでライスもビールもないから餃子原理主義者以外にはちと辛い。

その 「正嗣」 の餃子生のトマト、白菜と豚肉と椎茸のクリーム煮を酒肴として焼酎 「アサヒ」 のお湯割りを飲む柿は見るだけで食べない

入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2005.1116(水) その1行に疑問符を

夜中に何度か目を覚まして 「うー、疲れたー」 とうめいた記憶がある。5時30に起床して事務室へ行き、いつものよしなしごとをして7時前に居間へ戻る。窓から外を見れば紅葉が完全に、山から街まで降りてきたことが分かる

朝飯は納豆、茹でたソーセージとグリーンアスパラガス、さらし玉葱とワカメの鰹節かけ、メシ、万能葱ときのうの肉団子の味噌汁

花のアレンジメントをなりわいとしている義姉に頼まれ枯れたあじさいを取りに行くので手伝って欲しい、と家内に言われる。滅多に足を踏み入れない隠居へ行くと、木々の中でもサルスベリの隣の紅葉がことに色づいている。幾株かのアジサイから数十個の枯れた花を切り取り事務室へと運ぶ。僕はアジサイを好まないが、段ボール箱に詰められたそれを見て 「この花も、枯れてみれば綺麗じゃねぇか」 と認識を新しくする

初更、晩飯は魚介系のスパゲティだと知らされ、早々と "Veuve Clicquot Ponsardin Brut" を抜栓する。算数の宿題する次男を、それを飲みつつ督励する。次男は割り算の問題を早々と解き、コロコロコミックを読むためソファへと去った。僕はその場にいて 「日記のお手本 - 自分史を刻もう」 を読む。何人もの日記からなるこの本のアンカーは中上健次で、その文章は 「日記はいずれにしろ気の弱りから書きつがれるはずだ」 で終わっているから 「そうかなぁ」 とその1行に疑問符を付けつつ階段室へ行く。床に積み重ねられたいくつもの本のかたまりから

「遠い国」  小林紀晴著  新潮社  \1,680

を選び出し、先ほどまでいた窓際の籐椅子に座り直す。

ズワイガニのスパゲティ水菜とレタスとトマトと鶏レヴァのサラダを酒肴として先ほど開けたシャンペンを空にする

入浴して牛乳を200CCほども飲み、「遠い国」 をすこし読んで10時前に就寝する。


 2005.1115(火) 持ち替え

4時に目を覚まし、6時ちかくまで 「日記のお手本 - 自分史を刻もう」 を読んで起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時前に居間へ戻る。朝飯は納豆、ワカメの鰹節かけ、大根おろし、メシ、きのうの天ぷらを煮込んだ味噌汁

本日、紀宮清子さんと結婚する黒田慶樹さんに祝電を送った旨の報告が、カドワキノブオ委員により "CCCJ"(日本クラシックカークラブ)のメイリングリストにアップされる。幾日か前のテレビのニュースではこの清子さんに、黒田さんが自身の古いフォクトレンダーを持たせている映像が流された。

僕はここで、楽器の 「持ち替え」 を思い出さないわけにはいかない。クラッシック音楽においてフルートの奏者がピッコロも吹くようなことを 「持ち替え」 という。ジャズではアルトサックスの奏者が同時にフルートを吹く例は少なくない。

二玄社からクラシックカーについての本を多く出している高島鎮雄は同時にクラシックカメラの評論家でもある。長く "Car Graphic" の編集長を務めた小林彰太郎は "?F" ばかりを何台も持っている。僕の事務机右の防湿庫にある 「エムサン」 の前の持ち主は "CCCJ" が創設されたころからの会員ウスイベンゾーさんだし、そういう僕のクルマはクラシックカーまではいかないが、みな1960年代のものばかりだ。

ここに 「クラシックカー好きのクラシックカメラ好き」 という、いわば 「持ち替え」 のような関係が見えてくる。似たものに 「ジャズ好きの落語好き」 というのがあって、その代表は林家正蔵だろう。

にんにくのたまり漬としょうがのたまり漬のみじん切りを混ぜ込んだ肉団子、白菜、椎茸、春雨による鍋が晩飯の食卓へ運ばれる。他には米のメシしかないことを見た次男が 「これだけ?」 と訊くので 「そう、これだけ。こういうメシも、オレは好きだよ」 と答える。肉団子には鶏肉だけではなく豚肉も合わせてあるからその脂が美味い。焼酎 「アサヒ」 のお湯割りを飲み、次いでビールを350CCほども飲む。

入浴して9時30分に就寝する。


 2005.1114(月) ドグマの実証

5時に起床して会社の施錠を外し、製造現場で小一時間ほどの作業に従う。事務室でのよしなしごとを経て7時前に居間へ戻り、次男の漢字練習を督励をする。小学4年生が習う漢字には僕にも書けないものがそろそろ混じり、またその書き順においても誤りを指摘すると次男の方が正しかったりするからややこしい

朝飯はピーマンの油炒め、納豆、ふきのとうのたまり漬、さらし玉葱とワカメの鰹節かけ、メシ、豆腐と万能葱の味噌汁

メシが久しぶりに美味いので 「今日は炊き方、成功したな」 と言うと家内が 「違う、今朝からおばちゃんのお米なのよ、まだ新米じゃないけど」 と返す。おばちゃんとは沢又地区に田んぼを持つサイトウトシコさんのことで、ここから供給してもらうお米が切れてしまったため緊急用として今年の新米を他から買ったが、それよりもなおサイトウさんちの古米は段違いに美味い。「ぜーんぜん違うんだわなぁ」 と感心しつつ 「サイトウさんちの新米が届いたら塩だけのおにぎりにして大量に食べよう」 と勝手に決める。

あれやこれやと考えたり、その考えを元にした資料を持って製造現場へ行ったりする。あるいは明朝、諸方へ連絡を入れるためのメモを事務机ちかくの壁に留めたりして夕刻にいたる。

駿河台裏手にある蕎麦の名店の、蕎麦とつゆとワサビは美味い。しかし酒肴として注文したなめこおろしは直径7ミリほどのナメコが情けなかった。それよりも段違いに美味い、ウチの 「なめこのたまり漬」 によるなめこおろしにて焼酎 「アサヒ」 のお湯割りを飲む

僕のハンググライダーの骨組みを使い、当時、富士重工に勤めていたタモリさんが設計と製作を請け負ったグライダー "GAMECOCK" は四半世紀ほども前に琵琶湖の夏の大会でたかだか10数メートルしか飛べずに墜落し、クルマの雑誌ではあるが "Car Graphic" の埋め草記事に 「美しいものは優れるというドグマを実証できず」 と書かれた。

この例にも見られるように、ドグマとは実証されないものがほとんどではないか。包装係ツカグチミツエさんのお母さんにいただいた蕎麦はお母さんの勤め先 「小代行川庵」 のものだからもちろん美味い。そして 「蕎麦は噛まずに呑み込んだ方が美味い」 とは誰が主張したドグマかは知らないが、蕎麦は噛んで食った方が明らかに美味い。蕎麦には4種の天ぷらが添えられた食後に大学芋をひとつだけ口へ入れる

入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2005.1113(日) 美味さのいろいろ

5時前に目を覚まし、「トオイと正人」 を読み終えて5時30分に起床する。「トオイと正人」 は良い本だった。ただし、この本でも言及している撮影行による写真集 「バンコク、ハノイ1982‐87」 にある文章と 「トオイと正人」 とでは、同じ事柄について述べているにもかかわらず話の違っているところがある。著者は、細かいことは気にしない性質なのだろうか。

事務室へ降り、きのうの日記を書くなどのよしなしごとをする。春日町1丁目公民館と、その後に行った 「金長」 での画像が真っ黒のためカメラを調べたら、モードダイヤルがいつもの "P" ではなく、シャッター速度優先の "S" に合わされてしまっていた。

朝飯はメカブの酢の物、納豆、レタスとトマトと炒り卵のサラダ、ふきのとうのたまり漬、メシ、シジミと万能葱の味噌汁、メロン。メロンはただし見るだけで食べない

テニスの練習をする次男を豊岡運動公園へ送り、帰社して仕事に従う。朝方はそれほどでもなかった客足が徐々に伸びて昼ちかくには店舗から抜け出せない状況になる。ホンダフィットに乗って12時9分に豊岡運動公園へ着くと、次男は用心のため居残ってくれたふた家族と一緒にポツンと僕の迎えを待っていた。来週の日曜日までは、紅葉の繁忙が続くものと思われる。

初更、鶏ささみ肉とレタスと胡瓜のサラダ、うずら豆にて焼酎 「アサヒ」 のお湯割りを飲む。イチゴをつぶし、砂糖と牛乳を加えて混ぜる食べ物がある。ああいうものの美味さを分かりやすい美味さとすれば、芋焼酎の美味さはいささか抽象的な美味さと思われる。一体に酒の美味さとは、具象的でないところが面白い。

いわゆるカレー南蛮蕎麦の汁を作り、その鍋で豚肉、エノキダケ、舞茸、厚揚げ豆腐などを煮る。そこへ大量のほうれん草を徐々に投入しながら食べ、幅広のうどんにて締める

週明け早々に漢字のテストがあるという次男に乞われ、その復習を督励する。しばらくの後、すこしのあいだと思いつつ裸でベッドへ潜り込み、そのまま眠ってしまう。10時30分に目覚めて入浴し、牛乳を飲みながら

「日記のお手本 - 自分史を刻もう」  荒木経惟他著  小学館文庫  ¥540

を読んで11時すぎに就寝する。


 2005.1112(土) それをピッチャーに移してくれれば

3時30分に起床して製造現場へ行き、小一時間ほどの作業に従ってから事務室へ移動する。いつものよしなしごとをし、新聞を取ろうとシャッターを上げると地面の溜まり水には雨の落ちる様子が見える。「また週末に雨かよ」 と落胆しつつエレヴェイターを上がって4階の居間へ行く。日光の山々は薄灰色の雲にその身のほとんどを隠していかにも寒々しい

朝飯はハムとキャベツの油炒め、納豆、ふきのとうのたまり漬、メシ、大根の葉と豆腐の味噌汁

テレビが栃木県地方の天候回復を告げているため半信半疑でいたところ、空は1時間後に予報どおり晴れ上がった。中止を伝える回し電話を待っていたテニスの練習も、間違いなく行われることだろう。9時前に次男を丸山公園のテニスコートへ送ると、雨に洗われた駐車場のアスファルトと芝生、木々や幾台ものクルマが作る風景は、まるでレンズを絞り込んで撮った大判カメラによる写真のように澄んでいた。

日中を繁忙に過ごして夕刻になる。残業をしている事務係のイリエチヒロさんに後を頼み、日光街道を徒歩で遡上して春日町1丁目公民館へ行く。15人ほどの役員といくつかの議題につき話し合いをして1時間が経ち、晩飯が用意してあるという洋食屋の 「金長」 へみなでゾロゾロと移動をする。

「焼酎、ボトルでください」
「ちょっと、いまボトル切らせちゃって」

「そこにあるでしょ、でかいの」
「あ、これはオレの個人用で」

「いいよ、それで。それをピッチャーに移してくれれば良いんだよ」
「あ、はい」

と、店主用の焼酎を強引に取り上げ、各々がオンザロックス、水割り、お湯割りにする。全員がカツ丼で仕上げて外へ出たとき、星を見上げて 「明日は寒みぃぞー」 と言ったのは誰だっただろうか。

帰宅して入浴し、牛乳を300CCほども飲んで9時30分に就寝する。


 2005.1111(金) 忘れていた写真集

闇の中で目を覚ます。ふたたび眠ることができるだろうかとそのまま静かにしていたが眠気は訪れず、枕頭の灯りを点けて時計を見ると4時だった。「トオイと正人」 をずいぶんと長いあいだ読み、「もう1時間は経ったはずだ」 と視線を上げると時計はいまだ4時を指している。「なんだ電池切れか」 と起床し、居間へ移動したところで6時に2分遅れて鳴る街のオルゴールが聞こえる。

事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時前に居間へ戻って次男の漢字練習の督励をする。次男は10問のうちの1問を間違えた。朝飯はメカブの酢の物、納豆、ハムとホウレンソウの油炒め、茹でたブロッコリーと生のトマト、メシ、大根と万能葱の味噌汁

紅葉見物の客足は漸減し、今日あたりは販売係に雑務を手伝ってもらう余裕も出てきた。午後は税理士のトール先生を訪ね、真面目な話半分、ヨタ話半分をして帰社する。

いま読んでいる 「トオイと正人」 の著者が1980年代に出した写真集 「バンコク、ハノイ1982‐87」 を燈刻、次男の勉強机で見る。購入から15年以上を経てその内容はすっかり忘れていたが、瀬戸正人は良い仕事をする写真家だった。使われたカメラは、第二次世界大戦で敗走し、住み着いたタイ東北部に写真館を作って成功した瀬戸の父親が現地で手に入れたローライフレックスだろうか。

「ナポリタンならお酒、飲みたくならないでしょ」 と、今日は飲酒をしないと決めた僕に家内は言ったが、トマトとアボカドとサーモン、それに3種の豆のサラダはいけないでしょう、と思う。これは明らかに白ワインの肴である。また、食べるものがスパゲティナポリタンでも、飲みたいヤツは飲みたいのである。 食後にエクレア1個を肴のようにし、牛乳2杯をビールのような勢いで飲む。

入浴してまたまた牛乳を200CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2005.1110(木) 水

0時、次は不明、その次は4時と目を覚まし、そのつど 「トオイと正人」 を読む。5時に起床して製造現場へ行き、小一時間ほどの作業に従って後に事務室へ移動をする。いつものよしなしごとをして7時前に居間へ戻る。

朝飯はホウレンソウのおひたし、ブロッコリーの油炒め、納豆、メカブの酢の物、メシ、豆腐とワカメと万能葱の味噌汁

このところの繁忙で行くことのできなかった銀行や取引先などを午前中から一気に回って昼を過ぎたため、蕎麦屋の 「糸屋」 へ車を乗りつけ幌内産の新蕎麦粉による十割蕎麦を食べる。我が町の蕎麦がなぜ美味いかと考えたとき、行き着くところはやはり水である。東京ではいくら凝った店でも、調理のすべてにミネラルウォーターは使わないだろう。

社員へ手渡す資料を作っている閉店前に、とり急ぎ返信の必要なメイルが入る、あるいはそのメイルに関連した電話が何本も入る、警備保証会社からは 「これから伺ってもよろしいですか」 という電話が入る、駐車場ではお客様のクルマのうちの1台が動かなくなり 「どこかに修理屋さん、ありませんか?」 という事態が発生する。人に頼めることは頼み、あれやこれやと方策を考える。

ごく短い時間でドタバタの収束を計って豚かつ屋の 「あづま」 へ行く。本日は年末の繁忙を前にしての社員との食事会だからその席上、先ほど作ったばかりの資料を各人へ手渡し短い説明をする。レタスと玉ネギと胡麻のサラダ、大根と胡瓜のぬか漬、枝豆にて焼酎のお湯割りを飲む牡蠣フライにてもそのお湯割りを飲み、メシと豚汁にて締める。

帰宅して入浴し、牛乳を300CCほども飲んで9時30分に就寝する。


 2005.1109(水) いろいろとしているわけだが

5時に目を覚まし、「複写『写真時代』」 を読み終えて6時前に起床する。

事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時前に居間へ戻ると火事を報せるサイレンが鳴る。これが3回なら郊外、4回鳴れば旧市街あるいはその近辺の火事で、今朝のそれは4回のため屋上へ上がるが四囲を見まわしても目立つ煙りはない。とすればこのサイレンは、火災予防週間の始まりでも告げるものなのか。隠居の紅葉の塩梅をカメラへ収めて階段を降りる

朝飯はメカブの酢の物、納豆、トマト入りスクランブルドエッグ、ホウレンソウの油炒め、メシ、豚汁

「さしたることもなかりせば」 というわけではなく、いろいろとしているわけだがこの日記は業務日報ではないから、そうすると本日は特に書くこともない、とここまでキーを打って事務机の周囲を見まわすと、背後の棚に積み重ねられた印刷物の最下段に見慣れない、黒くて分厚い本がある。引き出してみるとそれは本ではなく、マン・レイの写真集だった。いつ購ったものかも知れないものを見つけ、なにやら得をした気分になる

初更、学校の特別授業で作成した新聞の仕上げを次男がする脇で

「トオイと正人」  瀬戸正人著  朝日新聞社  \1,890

を読み始める。この本は初め 「Yahoo!オークション」 に700円で出ているのを見つけ 「安いな」 と入札をしようとして 「ちょっと待てよ」 と "amazon" へ行ったら同じものが200円で出ていたので迷わず注文ボタンをクリックしたものだ。僕はこの著者による写真集 「バンコク、ハノイ1982‐87」 を、1980年代が終わりかけるころに買っている。

茹でたブロッコリー胡瓜とレタスとトマトのサラダカレーライスを晩飯として飲酒は避ける。カレーはお代わりをしたかったがこれ以上に腹が出るのも嫌なため我慢をする。ワッフル1個を肴のようにして牛乳2杯をビールのような勢いで飲む

入浴してまたまた牛乳を飲み、9時30分に就寝する。


 2005.1108(火) 食えなくなったらお終いだ。

5時に目を覚まし

「複写『写真時代』」  荒木経惟・末井昭  ぶんか社  \3,675

を読んで6時前に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時前に居間へ戻る。朝飯は納豆、メカブの酢の物、生卵、メシ、うどん用のお椀へよそった、普段の味噌汁の倍ほどもある豚汁。

営業時間のうちどのあたりが忙しく、どのあたりが割合に楽かということは業種により、季節により、あるいはその日その日の状況により異なるだろう。本日は空母のカタパルトから発射された戦闘機のように、朝1番から電話その他による問い合わせに忙殺される。

昼どきにひょんなことからオフクロとメシを食べることになり、我が町の大沢地区にある 「菜もん」 へ行く。鮨屋では板前のおまかせで食べ、フランス料理屋ではアラカルトで注文する、そういう僕の姿勢に 「だからアンタはお金が貯まんないんだ」 というオフクロが今日に限っては黒板のランチメニュなどには目もくれず、カウンターへ着くなりウエイトレスに 「ステーキね」 と告げる。

「リブロースと栃木和牛のサーロインがございますが」 との問いに 「サーロイン」 とオフクロが答えるので 「僕はリブロースで結構です」 と言うと 「えっ、どうして?」 と、森の中で珍奇な動物に出会ったような顔をオフクロはする。コンソメで煮た大根や半割にしたジャガイモの素揚げ、隠元などをあしらったサーロインは、僕がナイフを差し込みつつあるリブロースの5割増はありそうだ。それを齢78にしてペロリと食ってしまうオフクロは別段、満腹中枢がボケているわけでもないらしい。

終業後、本日出勤している包装部門と販売部門の社員すべてが1時間の、事務係は30分の残業をして、日中に売り切れた商品の完成作業をする。

初更、次男の勉強机の灯りを点けて 「複写『写真時代』」 を読みながら "Mouton Cadet Blanc Baron Philippe Rothschild 2002" を飲む。社員たちに混じって残業をした家内がごく短い時間で作ったツナと里芋とキャベツのサラダ、生のトマト具は唐辛子だけのリングイネモツァレラチーズを載せて焼いたナン、なにも載せていないナン、キーマカレーを晩飯とする

入浴して牛乳を300CCほども飲み、ついでにチョコレート入りのアイス最中をすこしだけ食べる。カーテン越しに旧暦10月7日の月が見える。9時30分に就寝する。


 2005.1107(月) メモにあってできないこと

4時に目を覚ますと雨の音が聞こえる。「きのうの繁忙の余韻は今日まで残ると思ったけど、雨じゃなぁ」 といささか落胆しつつ起床し、製造現場へ降りて小一時間ほどの作業に従う。事務室へ移動してからは真っ先に 「今市そばまつり」 の簡単な損益計算書を作る。こういう仕事は大好きだから、インターネットのブラウジングなどには脇目もふらない。その計算書にフェルトペンで寸評を加え、社員用通路の掲示板に貼付する

「そういえばきのう、中上健次の本が欲しいけど、カードがないから "amazon" で古本を買うことができないと言っていたな」 と、焼肉屋で交わした長男との会話を思い出し、甘木庵を送り先として計7冊の本を発注する。酔ってはいても、こういうことは忘れない。

7時前にエレヴェイターを上がって洗面所へ行き、窓を開けると未明までの雨は嘘のように上がって空は天頂まで青かった。朝飯は生玉子、納豆、メシ、皮が着いたままふかしたジャガイモと万能葱とバターの味噌汁。

「今日すべきこと」 のメモにあってできないことの代表は買物で、業者に電話をすれば配達してくれるもの、ウェブショップで注文できるもの以外のつまり、自分で買いに行かなくてはいけないものについては何日経ってもこれを手に入れることができない。これからクリスマスまではずっと、有形無形の繁忙が続くことと思う。事務係のコマバカナエさんは2時間の残業をこなしてようやく帰宅した。

初更、タコの酢の物とトマトのオリーブオイル和えを肴に芋焼酎 「アサヒ」 のお湯割りを飲む。夕刻に次男が 「今日は焼きそばが食べたいなぁ」 と言っていたが、卓上にはホットプレートがあり、羊肉、ピーマン、キャベツ、舞茸、椎茸、更には焼そば用のゆで麺も準備されたから次男は大満足だった。

入浴して牛乳を400CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2005.1106(日) 子供の上品さ

4時に起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをする。6時30分を過ぎたところで本日 「今市そばまつり」 の会場で売るための商品を冷蔵庫から出し、三菱デリカに積みやすい場所へ移す。

朝飯は2種のおにぎり、シジミと万能葱の味噌汁。

「今市そばまつり」 の最終日に販売を担当するトチギチカさん、ハセガワタツヤ君と共に現地へおもむき、売り場の準備にかかるふたりを残して帰社する。きのう帰宅した長男が僕に代わって次男を豊岡運動公園のテニスコートへ送る。兄弟とはいえ10歳も離れれば、文字通りの大人と子供である。

非常に忙しく日中を過ごす。販売の社員は時間をずらせて昼休みを取る。シフト表を見ると2時にふたたび全員が揃うため 「オレは2時に昼メシ食おう」 と考えるが、2時にいたれば 「いま昼飯を食ったら晩飯が不味くなる」 と、昼飯は抜くこととする。「3食を決まった時間にではなく、腹の減ったときに食べるようにすれば、人はそう太りはしない」 と、何ヶ月か前に誰かがどこかへ書いていた。僕は朝飯を大量に食べるので昼には大抵、腹は減っていない。

夕刻になって雨が降り始めるが客足はなかなか衰えない。店舗の混雑あるいは混乱の隙を見計らってお祭りの会場へ駆けつけてみれば、会場の狭い周回路で大型トラック2台が接触事故を起こして大渋滞が発生している。ようやくウチのブースへたどり着いたときには、あたりは薄暮というよりも夜に近かった。販売担当のふたりと5時すぎに帰社して即、後かたづけを始める。

今年に入って4番目の売上金額を記録して閉店する。社員とのミーティングを済ませ、明日、取引先へ発注する品物のメモなどをつける。

弱くない雨の中を家内、長男、次男との4人でホンダフィットに乗り、焼き肉の 「大昌園」 へ行く。預けてあるボトルの焼酎 「田苑」 をオンザロックスにする

毎日のように売り切れる品物の完成作業を手伝った後にふたたびテニスコートへ行き、次男を迎えた長男がその足で 「そばまつり」 の会場へ行ったことを知る。昼飯について問えば、次男の希望により 「本酒会」 の会場にもなる我が町の蕎麦屋 「やぶ定」 で食べたという。全国各地から38軒の蕎麦屋が集まった会場にいるにもかかわらず、自宅と目と鼻の先にある店のブースでわざわざ食べるあたりがいかにも子供らしく、のんびりとして上品だ。

モヤシナムル、オイキムチ、タン塩レヴァ刺、子袋、ホルモン、ミノカルビ石焼きビビンバときてテグタンラーメンにて締める

最終のスペーシアで甘木庵へ戻る長男を下今市駅へ送り、帰宅する。入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2005.1105(土) そこそこに美味い食べ物

3時30分に起床する。エレヴェイターで1階へ降り、灯りのスイッチを入れながら会社の中を歩いていく。製造現場で小一時間ほどの作業に従い、事務室へ移動していつものよしなしごとをする。本日 「今市そばまつり」 の会場で売るための商品を冷蔵庫から出し、三菱デリカに積みやすい場所へ移す。

朝飯はメカブの酢の物、ほうれん草のおひたし、トマト入りスクランブルドエッグ、納豆、メシ、豆腐とほうれん草の味噌汁。そういえば、それに含まれる蓚酸が体に悪いと、オヤジはほうれん草を食べなくなったという。「気にすることねぇのになぁ」 と思う。僕のひいおじいちゃんは、どれほど大量のタールとニコチンが含まれていたか知れない煙草 「朝日」 を吸い続けて84歳まで生きたのである。

サイトウシンイチ君、キクチユキさんと共に、本日3日目となる 「今市そばまつり」 の会場へ行く。人と荷物を降ろしてしまえば僕に用事はない。つきたての餅を売るため、ドラム缶を切ったカマドで薪を焚き始めている人がいる蕎麦猪口を売る店には骨董屋を経営する同級生ナカモトコージ君がいる

「小代行川庵」 に勤める、ウチの包装係ツカグチミツエさんのお母さんが挨拶に来る。東京の名店老舗で蕎麦を食べても 「へぇ、そう」 くらいの感想しか僕が持たないのは、普段から 「行川庵」 のような店へ行っているからに違いない。もう一点、僕は蕎麦については 「そこそこに美味い」 あたりが最も粋なところではないかと思う。食べ物の味についても他の物事についても、あまりに先鋭化したものにはある種の滑稽さが見え隠れするような気がするけれどもどうだろう。

9時前に次男を豊岡運動公園のテニスコートへ送り、12時に迎えに行く。そのあいだは会社にいて忙しく過ごす。昼の繁忙時間だけ 「そばまつり」 の売り場を手伝いに行く家内が渋滞を避けるため自転車で出ていく。仕事に付きものの行き違いが2件3件と続けて発生する。「そりゃウチの責任じゃないすよー」 というようなことは言えないからそのつど解決策を探してあちらこちらへ電話をしたりする。

夜の7時30分にようやく落ち着いて、家内が 「そばまつり」 の会場で求めたシャモの焼き鳥、北海道から来ているお蕎麦屋さんにもらったというふかしジャガイモを肴に芋焼酎 「アサヒ」 のお湯割りを飲む。ニラ、椎茸、エノキダケ、モヤシ、ニラを煮た鍋に豚肉を投入してこちらも酒肴とする。

入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時に就寝する。繁忙の手伝いとして甘木庵から呼び戻された長男の声に目を覚まし、居間へ行くと0時が近かった。小さなアイスクリームを食べ牛乳を飲み、30分後にふたたび就寝する。


 2005.1104(金) 3時間待って蕎麦を食う

のどの痛みで目を覚ます。枕頭の灯りを点け時計を見ると1時だった。洗面所へ行きイソジンガーグルでうがいをし、アスピリンを飲んで二度寝をする。5時にふたたび目を覚まし、ふたたびうがいをして 「アラ~キズム」 を読む。「これはことし読んだ中でベスト4の本だわなぁ」 と考えつつ上位3冊を思い出そうとしてそのうちの1冊がどうしても思い出せない。

6時に起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをあわただしくして40分後に居間へ上がる。次男の漢字練習を督励して後の朝飯はハムエッグとほうれん草の油炒め、納豆、メカブの酢の物、メシ、油揚げとおととい買った刻みキャベツの味噌汁

7時20何分かに家内の携帯電話が鳴る。「ラッキョの袋づめ、早く始めないと朝のうちに売り切れっちゃう」 と、包装係のサイトウヨシコさんが外で待っているという。ウチはいくら忙しくても商品の作り置きはしない。とり急ぎ1階へ降りシャッターを上げてサイトウさんを迎え入れる。

「今市そばまつり」 の第2日目に出向するミズヌマセイコさんとアキザワアツシ君の出社を待ち、初日のきのうよりは少ない商品その他を積んで会社を出る。

お祭りの会場 「日光だいや川公園」 には、赤松林にアメリカ製のキャンピングカーとテント用の区画を多く持つオートキャンプ場が併設されている。僕が仮によその土地の者で、日光へ遊びに来るとしたら名所景勝の見物はせず、こういうところでゆっくり過ごすだろう。晩飯は街なかへ食べに行き、風呂はちかくにいくらでもある温泉を使うことができる。

8時前に会場入りし、ウチのブースへ荷物を置いて三菱デリカをキャンプ場の周回路に停める。日本のあちらこちらから来たお蕎麦屋さんの中には、早くも蕎麦を打ち始めているところが目立つ。彼らは会期中、下手なビジネスホテルなどよりはよほど居心地の良いキャンピングカーに寝泊まりしているのだろうか。

長男が今市小学校野球部にいたときの下級生ニカイドー君のお父さんとお母さんがいるので店でも出しているのかと訊けば、高橋邦弘名人の蕎麦を食べようときのうの朝9時20分に来てみればこれが90分待ち、行列が短くなるまでと一回りしているうちに3時間待ち、もう一回りして来たら売り切れていたとのことにて、本日はその捲土重来だと言う。「ハハハ、今日はまだ行列、なかったですよ」 と、先ほどクルマの中から見た現場の様子を話す。

その高橋邦弘のブースに今度は徒歩で近づいてみると、「名人」 もやはり既にして蕎麦を打ち始めていた。ディズニーランドの人気アトラクションのように行列用のロープが張られたその脇には見学者用の場所も用意され、他店の本職たちがじっとその手元を見つめている。優れた職人ほど自分の技術は隠さない、高橋邦弘はその見本である。

初更、肉豆腐、ツナとキャベツとトマトのサラダ、銀鱈の粕漬、オカラにてメシ2杯を食べ、飲酒は避ける

入浴して本日、親戚のセキネ耳鼻科で処方された薬を牛乳300CCと共に飲んで9時すぎに就寝する。


 2005.1103(木) 子供の食べたいもの

3時に目を覚まし、起床して製造現場へ行く。以降2時間ほどの間をおいて2度の作業に従う。空いた時間は事務室にていつものよしなしごとをする。

7時前に居間へ戻る。朝飯はメカブの酢の物、納豆、生卵、メシ、容量は味噌汁椀の倍以上と思われるうどんの椀によそった油揚げとキャベツとワカメの味噌汁。

いつもより早い7時30分に事務室のシャッターを上げる。「今市そばまつり」 の第1日目に出向するヤマダカオリさんとハセガワタツヤ君の出社を待ち、かねてより段取りの諸々を三菱デリカに積む。僕とハセガワ君はその三菱で、ヤマダさんはホンダフィットにて会社から2キロほど離れた祭りの会場 「日光だいや川公園」 へ移動し、与えられたテントに売り場を作る。ふたりは昨年もこの場所での販売を経験しているから、僕は大した手伝いもせずに帰社する

昼どきの数時間は店舗で繁忙に見舞われ、会社と 「そばまつり」 会場との5往復目に出店の片付けをして社員と帰社する。閉店後に晩飯の外食を決め、次男に希望を訊くと 「爆弾ハンバーグ」 と言う。次男にメシの選択を任せれば回転鮨かファミリーレストランになるに決まっているのに学習能力がないからついこういうことになる。

先ずスーパーマーケット 「カワチ」 で買物をし、目と鼻の先の "FRYING GARDEN" へ行くカラフの赤ワインは軽いから水のように飲める大量のサラダを僕ひとりでまたたく間に食べる。爆弾ハンバーグとはこの店の名物だ。外側だけを焼いた俵型のハンバーグステーキを席へ運んでからウエイトレスが半割にし、生焼けの部分を鉄板に押しつけ改めて焼くのが売り物で、肉には大量の核酸系調味料が練り込んである。ただし低廉な価格、限界まで頭数を絞った人員の働きぶりは立派と思う。

帰宅して次男の漢字練習を督励する。入浴して缶ビールをいくらも飲まないうちに窓際の籐椅子で眠ってしまう。家内に起こされ寝室へ入り、推定で9時30分に就寝する。


 2005.1102(水) オカラを好んで食べる男

夜中に目を覚まして 「アラ~キズム」 を読む。二度寝をして今度は5時に目を覚まし、同じ本を6時まで読んで起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は納豆、目玉焼きときのうのポテトサラダと刻みキャベツ、生のトマト、メシ、ワカメと万能葱の味噌汁

僕はザラザラと荒れた指先で、しかもMAS突撃銃のような勢いでキーを打つからキーボードはおよそ1年ほどしか保たない。昨年の12月16日に "ThinkPad X31" のキーボードを注文したときには、在庫が無いので納品は1ヶ月ほど先になるかも知れないと言われて4日後に配達された。今回は同じキーボードを10月31日に注文してやはり在庫がないと言われ、しかし2日後の本日、それは配達された。"IBM" の部品センターは在庫確認のシステムを見直すべきではないか。紺屋の白袴はいつの時代にも存在する。

明日から始まる 「今市そばまつり」 については社内の各部署にて準備が進められているようだが僕が担当して揃えるものもあり、その作業を夕刻から始める。今年の人出はどうだろうか。明日は普段よりも早くに社員が出勤するから朝飯もそれだけ早くに食べ始める必要がある。

今年はウェブショップのメイルマガジンを毎月1回は発行しようと考え、9月までは実行してきたが10月になって頓挫した。本日ようやく10月分として考えていたそれを作成し、終業後の6時より送付を開始する。顧客名簿の最上段アアサワアアタロウさんから最下段のンンサワンンタロウさんまでのすべてにメイルマガジンが発射されるまでには数十分の時間がかかるからその間には、まるで 「桑原甲子雄特集」 のような1994年1月発行の 「deja-vu 第15号」 を、コンピュータのディスプレイをチラチラ眺めながら読む。ナン・ゴールディンの文章が良い

このところあれやこれやと忙しく、晩飯の時間は中秋のころよりも30分は遅れているように思う。肉豆腐、ほうれん草の胡麻和え、うずら豆、オカラにて芋焼酎 「アサヒ」 のお湯割りを飲む。年長の友人クスヤマモッちゃんになにかの件でお世話になった折、銀座で一夕おごらせて欲しいと言って1丁目の 「ひょうたん屋」 へ入ったことがある。鰻が焼き上がるまでの 「とりあえず」 としてモッちゃんは品書きから 「オカラ」 を選んだ。好んでオカラを食べる男を目撃したのは生まれて以来、そのときが初めてだった。鯛と鮪の刺身も酒肴とする

入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2005.1101(火) ハムカツの中身はスパムっぽかった。

旧帝国ホテルの食堂で、ロゼのシャンペンの表面に細かく砕いた濃いピンク色のメレンゲを浮かべたカクテルを飲んでいる。磨き上げられ、外からの光を反射する床の広さに比して天井が低く感じられる食堂の入りはいまだ4分というところだから、昼の喧噪はこれから訪れるものと思われる。

しばらくしてその食堂に続く、ライト特有の土偶風彫刻を施した手すりを持つヴェランダへ席を移す。空気は爽やかだがその爽やかさは初秋というより初夏の少し前のそれを想像させる。大きな銀のボウルからヘラですくい取ったベリー系のムースを、同じテイブルにいる家内が食べている。「これ、かけると美味いんだぜ」 と、その器に僕はシャンペンを注いだ。

夢から覚めると部屋の中はほの暗く、あるいは薄明るく、時計を見ると6時がちかかった。起床して1階へ降り、事務室の施錠を外す。「第149回本酒会報」 の紙ヴァージョンを印刷し、20数人分をコピーして1枚目と2枚目を重ねる。それをホッチキスで留めて三つ折りにする。これを封筒へ収めてタックシールを貼る。アナログの文書作成はいかにも面倒だ

7時前に居間へ戻る。晴れ上がった秋空を見て 「火曜日に晴れても週末に雨が降っちゃぁ、しょうがねぇんだ」 と思う。朝飯は蕪のぬか漬、生玉子、蕗のとうのたまり漬、炊き込みご飯、椎茸と三つ葉の味噌汁

なにやかやと忙しくして終業時間を迎える。売り切れた商品の下ごしらえのために製造現場へ入ろうとしている家内が、おかずを作っているヒマがないので 「ジャスコ」 でコロッケを買ってきてくれと言う。外で買ったコロッケなんてイヤだからどこかへ食いに行こうと提案するが 「でもご飯を炊いちゃったのよ」 というのが家内の返事だった。「あしたも食べられるように、いっぱい買ってきて」 とはなにやら南極越冬隊並みの買い出しである。

スーパーマーケットの陳列台からトングでカニクリームコロッケだのメンチカツだのを選び、そばにあるプラスティックの器へ入れて輪ゴムで留める。他にマカロニサラダ、ポテトサラダを選ぶ。僕の横には今市小学校のジャージーを着て2個のたまごっちを首から提げた次男がいる。最後に刻みキャベツをバスケットへ入れたときには、なんだか落魄した気分になった。

帰宅して次男の算数の宿題を督励する。泣いた先日とは異なり、計算で角度を求める問題にも答えられるようになっている。その指先を見るといかにも爪が伸びているので 「そろそろ爪は、自分で切った方が良いぞ」 と言う。しようと思えば人の助けを借りなくてもできることは大人にも少なくない

ようやく家内が1階から4階へ戻り、僕の買物を見る。そして 「あっ、○○のコロッケじゃない」 と言う。○○とは 「ジャスコ」 の中にある揚げ物の専門店らしい。「ジャスコでコロッケ」 としか聞いていないから広大な食料品売り場の陳列台からコロッケを選んだ。僕は幼稚園のころから 「人はだれもオレのことを理解しない」 と感じているから人に何かを伝えるときには言葉や図を尽くして説明する。「ジャスコでコロッケ」 だけで僕が特定の専門店へたどり着くと考えた家内は多分、幼稚園のころから人に理解されて育ったのだろう。

買ってきたポテトサラダ買ってきたマカロニサラダ落魄した気分で買い求めた刻みキャベツ。これらを目の前にしてハムカツにソースをかけ、酌グラスの芋焼酎を飲む。新橋の烏森神社の参道にある掘っ立て小屋のような飲み屋で飲んでいる気分もしてこれはこれで悪くないが、ハムカツの衣にたっぷりと含まれた油を摂取したから次の1個には手が出ない。白菜の漬け物にて炊きたてのメシ1杯を食べる。

入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時すぎに就寝する。