2016

2015

2014

2013

2012

2011

2010

2009

2008

2007

2006

2005

2004

2003

2002

2001

2000

一壺の紅の酒 一巻の歌さえあれば それにただ命をつなぐ糧さえあれば
君とともにたとえ荒屋に住もうとも 心は王侯の榮華にまさるたのしさ
Omar Khayyam

 2006.1031(火) 左翼にしては

4時すぎに起床して製造現場へ降り、次いで事務室へ移動する。先週の月曜日、強雨の中を数キロ歩いた "trippen" の靴に指で2種の油を塗る。黒い革靴は油によりしっとりと湿り、重さも幾分かは増したように感じられた。生まれてこのかた、これほど愛用する靴は他にない。

6時30分に居間へ戻り、今朝も次男の漢字練習を督励する。朝飯は納豆、クレソンの油炒め、冷や奴、プチトマト入りスクランブルドエッグ、塩鮭、メシ、シジミと万能葱の味噌汁

気が短いから社内でもすこし長い移動の際には歩かず走る。事務室の金庫で釣銭を両替し、これを店舗へ運ぶときの移動距離はたかだか10数メートルに過ぎないが、それでも走る。「去年はこんな忙しさの中、オヤジの見舞いに獨協大学まで行ってたんだわなぁ」 と思う。

来月の第2週末に紅葉見物に行く予定だが、奥日光の状況はどうかとのメイルがお客様より入る。狸穴に住む人が東京タワーへ昇らないのと同じく、当方も紅葉は家の窓から眺めるのみである。中禅寺湖周辺の紅葉はもうお終いだとは、つい数日前に耳にしたことだが、それをお客様に言うわけにはいかない。11月も上旬を過ぎれば渋滞もいくらかは落ち着いているでしょうし、お泊まりになる宿のまわりも綺麗なのではないでしょうかと返信をする。

初更、次男の勉強机にて "Chablis 1er Cru Mont de Milieu Olivier Leflaive 2002" を抜栓する。大根と玉葱とピーマンのマリネを肴にそれを飲みながら 「文人暴食」 の荒畑寒村の項を読む。寒村は左翼にしてはいやに食にこだわる人で、それを不思議に思っていたが、三業地の仕出し屋の生まれと知って得心がいく。

茄子のオリーヴオイル焼き鮭を練り込んだパンのバター焼き、鶏肉と長葱と里芋のグラタンにて更に同じワインを飲み進む。

入浴して冷たいお茶を100CCほども飲み、「google誕生」 は今夜も数行しか読めず10時前に就寝する。


 2006.1030(月) 使える構文

4時すぎに起床していつもとそう変わらないことをする。

製造現場から事務室へ移動し、コンピュータを起動してメイラーを回すと、ヤフーオークションに出ていた本にきのう入札をした結果、僕がそれを落札した旨のメイルが届いている。実は入札の直後に 「ハッ」 として同じ本を "amazon" で検索すると、果たして僕の入札価格とほぼ同じ値段の古書があり、送料や送金料を計算すると、"amazon" で調達した方が100円ほど安かった。オークションで本に入札をするときには、その前に "amazon" でも値段を調べるべきと、ひとつ勉強をする。というか、同じ失敗を僕は過去にも犯しているから 「ひとつ勉強をする」 などと言ってもアテにはならない。

7時前に居間へ戻り、次男の漢字練習を督励する。朝飯は茄子の炒りつけ、茹でたブロッコリー、塩鮭、納豆、茹で玉子、里芋とツナのサラダ、柴漬け、メシ、大根と万能葱の味噌汁

午前、ヤフーオークションに本を出品していた古書店に送金すべく郵便局へ行く。ふと気づくと、機械を操作している僕の右横に知らないオバサンが立っている。「人がお金を入れたり出したり、あるいはどこかへ送ったりする操作を機械でしているときにはここで待て」 というような印がかなり明瞭な形を以て機械の後方2メートルの床にはあるが、オバサンは僕の右横に立っている。

オバサンへ向かってニヤリと笑ってみる。オバサンは前方の壁を凝視して僕の送金が終わるのを待っているだけだから、僕の笑顔は眼中にないらしい。これがオバサンではなく男だったら当方も身の危険を感じるところだ。一体このオバサンは何者なのか。

「駅のプラットフォームにあるような黄色いデコボコの線があるのに、どうしてオバサンはそれを無視してオレのすぐ横に立ってたかなぁ」 と帰社して昼飯のとき家内に言うと 「それは、その人がオバサンだからよ」 と答える。なるほど、これは 「根岸の里の侘び住まい」 と同じく結構使える構文かも知れない。「それは、その人がナベツネだからよ」 とか。

初更、クレソンのおひたし、ブロッコリーの油炒め、こんにゃくの甘辛煮、3種のキノコのオリーヴオイル炒め、しょうがのたまり漬とにんにくのたまり漬を使った豚の生姜焼き、黒豆煮にてメシ2杯を食べ、飲酒は避ける。食後に "Queen" のコルネを食べつつ牛乳150CCを飲む

入浴して冷たいお茶を100CCほども飲み、「google誕生」 を数行読んで10時前に就寝する。


 2006.1029(日) 飲み込み

4時すぎに起床して製造現場で小一時間を過ごし、その後は4階へ戻って二度寝をする。6時30分にふたたび起床する。朝飯は3種のおにぎり、豆腐と万能葱の味噌汁

「トイレ、開けていただけますか」 というお客様が開店の45分前にいらっしゃる。トイレを解錠しながら店舗駐車場のゴミを拾う。本日包装して本日販売するための品物を、製造現場からフォークリフトで包装部門に運ぶ。そうこうしているうちに町内のドブさらいの時間が来たからスコップを持って集合場所へ行く。次男をテニスコートへ送る役は家内に頼んだ。朝からこの忙しさである。

ドタバタとしているうち11時がちかくなる。ホンダフィットで丸山公園のテニスコートへ行き、次男を乗せて所野運動公園のテニスコートへ移動する。本日の 「今市テニスクラブ」 のスケデュールは午前が練習、午後は場所を替えての試合となる。フォールディングテイブルを組み立て椅子も組み立て、次男はその好みに従ってコンビニエンスストアの鶏そぼろ弁当を、僕は僕の好みに従って朝飯の残りのおにぎりを昼飯とする

準備運動が始まったところでタカマツ会長の奥さんに試合が終わる予定の時刻を訊くと、「たまには見て上げてください」 と言われる。子供の試合を見てやりたいのはやまやまだが、この時期の弊社は戦争である。

12時30分に帰社して夕刻までのほとんどの時間は店舗にいる。あかぎれの手指3本にバンドエイドが巻いてあるから釣銭が数えづらい。アイスホッケーで選手交代に要すると同じくらいの時間、つまり十数秒ということだが、事務室へ戻ってそれくらいの時間で冷たい紅茶を飲み、また店舗へ復帰することを繰り返す。

終業後に本日出勤の社員たちとミーティングを行う。来月2日からはじまる 「日光そばまつり」 への出店についての打ち合わせも同時にする。社員からの提案をいつまでも理解できないでいる僕を見て一部の社員が笑っている。僕は非常に飲み込みの悪い人間である。僕がクルクルパーでも社員がしっかりしていれば問題はない。

茹でたブロッコリーと茄子の炒りつけ、豚肉の団子、白菜、溶き卵、横浜の何とかという店のワンタンの皮の鍋にて芋焼酎 「五代特黒」 のお湯割りを飲む

入浴して本を読んだか読まなかったか、とにかく10時前に就寝する。


 2006.1028(土) 貧乏性

きのう夜10時すぎのテレビなどを見たせいか、今朝は寝過ごして5時20分に起床する。製造現場へ降りて大したことはできず、事務室へ移動してもまた大したことはできず7時前に居間へ戻る。

朝飯は牛蒡とジャコと穴子と昆布の佃煮、煮こごり状になった鰹の生姜炊き、柴漬けによるお茶漬け。子供のころは煮こごりが苦手で箸を伸ばすことはなかったが、いつの間にかこれが好物になって、蕎麦屋の品書きにこれを見つけると、今やこれを注文せずにはいられない。「そういえば谷中の川むら、行きてぇなぁ」 と思う。

現在はドタバタと仕事をしなくてはならない境遇にあるが、こういう体制はどうも僕には似合わない。蕎麦屋で昼酒を飲んでいるとか、南の島の砂浜に寝そべって黄表紙まがいの本を読んでいるとか、そういう方が性に合っていると思うがしかし、こればかりをしていると飽きてしまうのは、やはり貧乏性によるものと思われる。

貧乏性といえば数日前に柳原良平がどこかの新聞で、船旅とは本来退屈を楽しむものだから、そこにカルチャースクールやスポーツクラブなどのオプションを多く盛り込むのは本末転倒というようなことを言っていた。憂愁に親しむのが "KIND OF BLUE" とすれば、退屈の楽しみについては、これを英語ではどう表現するのだろう。

残業をしなければ売る物に支障をきたすとのことにて、きのうは一部の社員が残業をした。今日はその数倍の社員が1時間の残業をした。疲れて初更、焼肉の 「大昌園」 へ行く。

僕はレヴァは生で食うが、次男にはこれをオーブルーに焼いてやる。すると次男はこれをいくらでも食うからレバ刺しは1皿では足りない。「大昌園」 は明後日から店内改装のため休みに入り、営業再開は来年になるという。締めにテグタンラーメンを頼むとオヤジさんは 「最後だから」 と、これにコムタン2個を載せてくれた。飲みきれなかった 「田苑」 のボトルは持ち帰ることとする。

帰宅して入浴し、9時30分に就寝する。


 2006.1027(金) 匂い

4時30分に起床してきのうとおなじこと、きのうと異なることをして7時前に居間へ戻る。朝飯はブロッコリーのバター炒めマヨネーズかけ、納豆、柴漬け、鰹の生姜炊き、メシ、豆腐と小海老と万能葱の味噌汁

知人のお父さんが亡くなったため初更、そのお通夜に行きがてら 「かみじょうカメラ」 へ寄り、朝のうちに頼んでおいたプリント数十枚を受けとる。帰途、こんどは "TSUTAYA" にて、オフクロが注文して届いた本を保管庫から出してもらう。

7時すぎに帰宅する。カニクリームコロッケ、春雨サラダ、里芋とツナのサラダなどにてメシ2杯を食べ、飲酒は避ける

夜は9時30分には寝てしまう自分としては珍しく、荒木経惟の出るテレビ番組を10時より見る。

いわゆる 「売れている人」 には得てして 「使い古された慣用句」 といったおもむきの陳腐さ、金銭や名を得ることを最大の目的にしながら目指すところは別の高みにあると世間を誤読させようとするいいかがわしさ、現在の地位を維持するためのハッタリなどの感じられることが多いが、荒木経惟の人間と作品からは、そのようなものが匂ってこない。

荒木はこの番組の中でみずからの最高傑作を 「センチメンタルな旅・冬の旅」 と断じたが、僕が考えるそれはやはり圧倒的に 「東京は、秋」 である。

「google誕生」 を開いてこれをほとんど読めず、11時前に就寝する。


 2006.1026(木) 情熱?

「何かがあったときだけ日記を書く」 という例をウェブ上でよく目にする。「常に何かある状況にいる」 という人は毎日いろいろなことを書くことができる。針小棒大と言っては語弊があるが、道ばたに咲く月見草から数千文字を起こす技能のある人も、日記のタネには困らないだろう。

ウェブ日記を続ける条件として 「情熱、ただこれに尽きる」 という意見があるが、僕はそれに与しない。「日記を書くことが嫌いでない」 とか、あるいは日々の要約を記録することに対してマメであるとか、そういうどうということもないところにこそ継続の理由はあるのではないか。

朝飯は南瓜の煮付け、納豆、ゆで玉子、プチトマト、ソーセージとグリーンアスパラガスの油炒め、メシ、豆腐と小海老と万能葱の味噌汁

リンゴ狩りとかキノコ狩りといえば、それはその果実なり自然の産物を文字通り採ってくることを意味するが、紅葉狩りについては別段、山から木の枝を手折ってくるわけでもないだろう。それはさておき日光地方は5月の大型連休よりもこの紅葉狩りの季節こそ行楽客が多く、たとえ平日であっても僕が店舗から呼び出されることは多い。いちど店へ行けば自分の机にはなかなか戻れず、結局コンピュータを使う仕事は夜か早朝にするしかない。

ところが夜は飲酒を為しあるいはいつも早寝をするため仕事の時間は朝に限られ、しかしこの限りある時間の中でも脳を諸方へ逍遙させていることがままあり、だからたとえば返信のできないメイルがどんどん溜まる。それが誰の責任かといえば、すべて自分の責任である。

朝、山で採ってきたばかりのナメコと栗茸をもらった。昼前には別のお宅から自家製の幅広ウドンをもらった。キノコは豚肉と豆腐とがもどきと共に味噌の汁にし、そこへウドンを投入する。茄子の塩漬け、鰹の生姜炊きなどもあって、これにて芋焼酎 「さつま五代」 のお湯割りを飲む。

入浴して冷たいお茶を飲み、「東京人生」 巻末の文章をすこし読んで10時30分に就寝する。


 2006.1025(水) ボロボロと

4時30分に起床して製造現場へ降り、小一時間ほどして事務室へ移動する。きのうの日記は帰りの特急スペーシアの中でほとんど書き終えているから、ウェブショップへの注文や顧客からのメイルによる問い合わせを確認した後は、さっさと4階へ戻って二度寝をする。

月曜日の雨と火曜日の風は、まるで台風前のそれを思わせるようなものだった。携帯していた "RICOH GR DIGITAL" のカードからは、タクシーの雨滴に滲んだ窓から見た東京国際フォーラムとか、鮫肌のようなアスファルトとそこに分厚く盛られた白いペイントが濡れてビルの窓を反射している様とか、あるいは雨を避けて軒先から軒先へとジグザグに走り抜ける傘を持たない人の影とか、そういうものがボロボロとこぼれ落ちてきた。今朝は台風一過とはいかない、めでたさも中くらいの青空が見えている

朝飯はトマト入りスクランブルドエッグ、茄子の炒りつけ、壬生菜の古漬け、納豆、塩鮭、メシ、シジミと万能葱の味噌汁

先日、田中長徳のウェブ日記を読んでいたら、320ページの写真集が1,500円とはほとんど原価ではないか、というような意見と共に、荒木経惟の最新刊が紹介されていた。僕は本はほとんど "amazon" に出品している古書店や個人からしか買わないが、「ほとんど原価ではないか」 という言葉には弱い。思わず注文ボタンをクリックして、それが僕の不在中に届いていた。その

「東京人生」  荒木経惟  バジリコ  \1,575

を終業後に見ていて 「こんな写真集を出して、アラキは間もなく死んでしまうのではないか」 と思った。「こんな写真集は、その写真家が死んだ後に誰かが出せば良いじゃねぇか」 とも思ったが、腰巻を見ると 「著者自身が厳選したベストショットを編んだ」 とあるから、とすればやはり、アラキが生きているうちにしかこれは出せなかったということになる。

この写真集の良さも悪さも、いわゆる 「ダイジェスト」 というところにある。ざっと俯瞰するにはダイジェストは便利だ。しかし 「厳選されたショット」 は、それぞれが収められた個々の写真集で見るにしくはない。この 「東京人生」 でもやはり、僕の目を釘付けにさせたのは 「東京は、秋」 からの何枚かだった。いろいろ書いたがこの写真集を買うべきか否かと問われれば、それは買うべきだ。

7時20分、「第161回本酒会」 が開かれる 「とんかつあづま」 に行く。「あづま」 のメニュには豚かつしかないが、今日は他のものも出してくれて、そのすべては美味かった。北海道から四国までの8本の日本酒を飲み、9時20分に帰宅する。

入浴して何も飲まず、10時前に就寝する。


 2006.1024(火) ダニヤ

"MOD" の3杯目はダイキリで、これがヤケに効いた。というわけで6時30分に目覚めた途端、自身が二日酔いであることを認識する。数十分後に起き出し、洗面ののちきのうの日記を完成させる。また、お湯を沸かして熱いお茶を飲む。きのうの残り飯とコンソメスープによる西洋風の雑炊を朝飯として長男が学校へ向かったのは、何時ごろのことだっただろうか。

本郷龍岡町から神保町までは、普段であれば歩く距離だがきのうに引き続き雨が降っている。本郷消防署から御茶ノ水方面に延びている道まで出てタクシーを掴まえ、水道橋経由にて "Computer Lib" へ行く

昼が近づいてようやく気分も回復してきたため、裏手の通りにある "SHANTI CLUB INDIA" にて茄子のカレーのすこし辛め、ライス、ラッシーを昼飯とする。「すこし辛め」 とはいえハゲ頭に大量の汗をかく。ここのカレーには、インドではダニヤと呼ばれる葉が散らしてあるから、これに弱い人には向かない

三省堂で少々の買物を済ませて富士見坂、続いて駿河台坂と上りつつ、すこし足を伸ばせば "Gallery bauhaus" へ寄れるではないかと気づき、聖橋を渡って、このできたばかりの写真専門ギャラリーに行く。清水坂から聖橋にかけては、年に数度は歩いたりクルマを運転したりして通るが、これだけ様子の良い建物がいつごろできたかについての記憶はない。

帰宅して初更、薬味やポン酢をたっぷりふりかけた鰹の刺身のたたき風、黒豆煮、豚肉と水菜の胡麻マヨネーズ和え、湯豆腐にて芋焼酎 「さつま五代」 のお湯割りを飲む

入浴して冷たいお茶を100CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2006.1023(月) 雨中散策

目を覚ますと雨の音がする。この2週間ほどは天候に恵まれていたが、いつまでもそれが続くはずはない。4時すぎに起床してとり急ぎ製造現場へ降りる。事務室へ移動して10分後の5時30分からは、顧客名簿を更新する。それに引き続いて年末ギフトのためのダイレクトメイルの送付先を抽出する。この2つの作業が70分を要することを確認して7時前に居間へ戻る。

朝飯は納豆、キャベツとソーセージの油炒め、壬生菜の古漬け、生のトマト、塩鮭、メシ、白菜と小海老と万能葱の味噌汁。その味噌汁が美味い

8時30分よりダイレクトメイルの宛名印刷を始める。事務係はこれに並行して日常の業務もあり、また繁忙の店舗から応援を要請されたりする。販売係は販売係で別の部署を手伝いに行く。自発的で小規模な配置転換により社員たちは本来の持ち場を離れ、また戻ることを繰り返す。

下今市駅14:35発の上り特急スペーシアに乗って4時30分に日本橋へと至る。取引先を訪ねて名刺を置き、しかし先方に迷惑をかけるといけないからすぐにそこを離れて5分後に、その取引先から電話が入る。戻ってしばし雑談ののちふたたび外へ出てすこし歩き、別の取引先のインターフォンを押す。多分レプリカとは思うがピサロの絵のあるマホガニー色の部屋で2時間ほどを過ごす。

新橋烏森の 「三政」 へ行く。ピーマンの肉詰め、メニュには 「シロ」 とあるが串の先から2、3枚は明らかにテッポーというような、つまりは上出来な串焼きを食べつつ芋焼酎360CCをお湯割りにして飲む。外へ出ると雨脚は午後7時のそれよりも弱くなっていた。濡れたアスファルトがクルマの明かりをはね返して光る様を眺めながら銀座まで歩き、ときどき写真を撮る。立ち飲みの方ではなく座って飲む方の "MOD" でカクテル3杯を飲む。

夜更けて甘木庵へ帰着し、入浴して 「文人暴食」 の折口信夫の項を読む。この国文学者が若くしてコカインを濫用したとは知らなかった。「荒畑寒村」 の項は明日以降に読むこととして多分、1時30分ころに就寝する。


 2006.1022(日) コンピュータに近づけず

秋の繁忙と共に為すべきことが増えてきたため、いつもよりすこし早い4時に起床する。製造現場から事務室へ移動して6時過ぎにシャッターを上げると、国道121号線の電光掲示板には、日光宇都宮道路が終点の清滝で早々と渋滞を起こしている旨の表示があった。

朝飯は牛蒡、穴子、ジャコの佃煮、塩鮭、壬生菜の古漬け、塩らっきょう、大根の辛子漬けによるお茶漬け

次男を豊岡運動公園のテニスコートへ送って帰社した9時以降は社員と一緒に店舗で販売をし、地方発送の受付をし、足りなくなった商品を製造現場の冷蔵庫から店舗の冷蔵庫へ運ぶなどのことをする。コンビニエンスストアの海苔巻きを昼食として午後も掃除、接客、用度品の運搬などに動きまわる。

夕刻、三日月ランプが点灯して休眠状態にあるThinkPadを再起動すると、ディスプレイに現れたのは今早朝に書きかけたこの日記だったから 「あぁ、忙しすぎて10時間もコンピュータに近づけなかったんだ」 と気づく。自分の日記だけならいくら遅れても実害はないが、お客様からのメイルによる問い合わせ、ネットバンクからの入金などに対する反応が普段より数時間おそくなってしまったのは失敗だった。

初更、横浜の何とかという店の皮を用いて次男などが作った水餃子、春雨の辛味炒めにて芋焼酎 「さつま五代」 のお湯割りを飲む

入浴して今度はビールを飲んだのか飲まなかったのか、そのあたりの記憶は曖昧ながら、遅くも9時30分ころには就寝する。


 2006.1021(土) コマーシャル

4時すぎに起きて6時45分まではきのうと同じことをする。

朝飯は舞茸の醤油煮、トマト入りスクランブルドエッグ、大根の葉と油揚げの炒め煮、小松菜の油炒め、メシ、白菜とワカメと小海老の味噌汁

事務机の足許に、籐で編んだ夏用のハンドバッグが転がしてある。取っ手部分の飾りが外れてしまったからアロンアルファで貼ってくれとオフクロに頼まれ、これが2ヶ月もそのままになっている。アロンアルファが事務室のロッカーに無いわけではないが、この接着剤、1度使って次に使おうとするとガビガビに固まっていて捨てるしかなく、次に買うとまた1度使ったきりで2度と使えない。少なくともウチではそういう状況だから、この接着剤をまた買おうという気にはならない。

あれは1966年のことだったがテレビコマーシャルで、ライフル銃に "BIC" のボールペンを装填し、これを撃つと壁を貫通して、しかしそのボールペンは何ごともなく線を描く、というものがあった。僕の筆箱には具合の良いことに同じボールペンが入っていたから、木の壁や机にそれを何度も打ち付け、あるいは錐のように揉み込むと、こちらの "BIC" はすぐにインクが出なくなった。

重さ数トンはあろうかと思われる建機が、たった数滴のアロンアルファにより鉄棒からぶら下がってしまうコマーシャルを、10年ほども前にテレビで見たことがある。あれも非常に手の込んだ、ガマの脂売りの口上のようなものだったのだろうか。それともアロンアルファはチューブの口がガビガビになって2度目以降は使えないとしても、やはり驚異の接着剤なのだろうか。

というわけでオフクロのハンドバッグがいつ修理されるかは知らない。

夜7時から春日町1丁目公民館で町内役員の会議がある。そのため晩飯を肴としてゆっくり飲酒をしているわけにはいかない。白花豆、大根の辛子漬け、壬生菜の古漬け、鮭とイクラの親子丼、豆腐とワカメと三つ葉の味噌汁をとり急ぎ食べる

会議は30分で終わったからすぐに帰宅し、入浴して冷たいお茶を飲む。そして9時30分に就寝する。


 2006.1020(金) 苦笑い

奇しくもきのうと同じ1時30分に目を覚ます。ただし布団の上に寝ているところがきのうとは違う。起床して製造現場へ降り、続いて事務室へ移動する。日中が忙しいから、いまだ一般社会が動き出さない早朝のうちにできるだけ仕事の能率を上げておきたいところだが、分かっていてもできないことはできない。

あしたのメシはカレーうどんが食べたいと次男はきのうの夕刻から言っていた。そのためカレー南蛮鍋の一部は夕食前から別にしておいた。この 「あらかじめ分けておいたカレー南蛮鍋の一部」 にうどんを投入して煮る。これがなかなか美味い。「もうすこし食べたい」 という次男のお椀に、僕のお椀からエノキダケとうどんの一部を移動させる。

1キロ進むのに1時間という大渋滞に疲れ切った紅葉見物のお客様に以前 「今夜、どこか泊まるところはありませんか」 と訊かれたことがある。僕のような段取り好きからすれば信じがたいことだが、このような行き当たりばったり、「とにかく行っちゃえばどうにかなるだろう」 の人は意外と多い。

商売の繁忙を圧して心当たりの旅館やホテルに電話をすると、どの相手の声にも 「君、いかにもそれは常識はずれだぜ」 との色が滲むから当方も恥ずかしい。

そのときのお客様は江東区大島からいらっしゃったということだったから 「だったら帰宅されるのがベストではないですか、それからこういう観光シーズンであれば大島の東京健康ランド、ああいうところでゆっくりなさるのが楽ですよね」 と言葉を添えたらお客様は苦笑いをされたけれど、こういうことはあまり言わない方がよいのだろうか。

初更、家内が出張先から買って帰ったノドグロの押し鮨などなどにて芋焼酎 「さつま五代」 のお湯割りを飲む。

入浴後に居間のソファでうたた寝をしていたら早く寝ろというようなことを言われたから 「いや、これからビール、飲もうと思って」 と返したが、しかし飲まずに寝た方が理にかなっていることは自分にも分かる。言われるまま寝室へ行き、9時30分に就寝する。


 2006.1019(木) 「土曜日に抜くよ」

気が付くと、煌々と明るい居間で、布団をかけられて寝ている。違い棚の電波時計を見ると1時30分だったから 「まだお湯、出るかな」 と心配しつつゆるゆると起きあがり、風呂場へ行く。お湯の蛇口をひねると水だったものが熱湯に変わりつつあるため、風呂桶のぬるま湯にそれをほとばしらせつつ入浴する。

ベッドへ戻っても眠気はさっぱり訪れない。枕頭の灯りを点け 「google誕生」 を床から拾い上げる。「ここにいきなり『叔父』と出てくる人物は一体だれを指すのか?」 と、そこへ至る数ペイジを読み直して遂に分からないとか、「『レストランを何件かオープンし』の『件』は、やっぱり翻訳者の変換違いだろうなぁ」 というようなことをいちいち考えてしまうのが僕の本の読み方だから、1ヶ月近く前に最初のペイジを開いたこの本には、いまだ4分の1ほどの未読部分が残っている。

4時すぎに起床して以降はきのうと同じことをして7時に至る。朝飯は舞茸の醤油煮、大根の酢の物、生のトマト、鶏手羽の炊き物、大根の葉と油揚げの炒め煮、メシ、けんちん汁

午後、くどくどしい電話がかかり、要約すれば、北方領土関係の本を4万なにがし円で買えと相手は言っている。「いりません」 と大きな声で断りその電話を切ると同じ相手からまた電話が入り、「お前が今そこにいるならすぐに若い者を派遣する」 と怒っている。「いつでもおいで」 と怒鳴り返してまた電話を切ると、またまたかけ直してきて 「馬鹿にしとるのか」 と始末に負えない。電話線の向こうには、亀田三兄弟のお父さんのような風体の人がいるのだろうか。

「会話の途中で勝手に切るやつがおるか」 と、先ほどまでは濁った低音だった声に、甲高いものが混じりはじめる。「話の途中で電話を切るのがいけないとなれば」 と、事務机の引き出しを開け、受話器を格納してこれを締める。「シャッチョー、シャッチョー、シャッチョ」 と、先方の連呼は3度目で途絶えた。僕は本はほとんど、"amazon" の古書でしか買わない。

初更、2種のキノコと厚揚げ豆腐を煮たカレー南蛮鍋にほうれん草、豚の薄切り肉、うどんなどを次々に投入して、これを晩飯とする。きのうひとりでの入浴を強いられた次男が 「おとうさん、今日はお酒、やめたら」 と言うから 「土曜日に抜くよ」 と答えて芋焼酎 「さつま五代」 のお湯割りを飲む。

入浴の後に居間でビールを飲んでいると、寝室から次男が出てきて僕の様子を窺う。「オヤジは今夜も畳の上で寝ているのではないか」 との懸念によるものだろう。「今日は大丈夫だよ」 と答えて次男を元来た場所へ帰らせる。

「オレもそろそろ」 と寝室へおもむき、「google誕生」 をすこし読んで9時30分に就寝する。


 2006.1018(水) ホワイトソースとウイスキーとの関係

3時30分に目を覚ます。「google誕生」 を読んで4時30分に起床する。

きのうと同じことをしながら何時のころだったか事務室のシャッターを上げると東の空全体に、尋常ひととおりではない朝焼けが広がっていたから "RICOH GRD" を持ち、春日町交差点の横断歩道に立つ。手探りで電源ボタンを押し、おもむろにカメラを構えてディスプレイを見るとこれがピンぼけ。歩道に避難して再起動しているうちに信号が変わったのでふたたび電源ボタンを押しつつ道路に出てディスプレイを見ると、またもやピンぼけ。オートフォーカスは3度目の立ち上げでようやく作動したが、先ほどまでの空の色はすっかり失せていた

なにかと故障の多い "GRD" のこの不具合は、銀座のサーヴィスセンターへ持っていけばすぐに直してくれるとウェブ上のどこかで読んだ記憶がある。しかしそれは本当のことだろうか。前にも書いたことがあるけれど、このカメラには、交配を重ねた末に美しくはなったが病気や寒さにはひどく弱い花、といったおもむきがある。

朝飯は大根の葉と油揚げの炒め煮、胡瓜の酢の物、舞茸の醤油煮、大根の炊き物、メシ、けんちん汁

昨年の同月期にくらべると今年の方がお客様の数が多く、加えて家内と販売係のトチギチカさんが大阪へ出張中だから、たびたび店舗へ呼び出されて僕も販売の仕事をする。左のヒジが痛む。「ショーケイスに味噌を陳列するときにストレスがかかったか」 と考えかけて 「そんなこともねぇだろう」 と思い直す。

7時前に4階へ上がると、クリームシチューの匂いがする。常識からすれば飲み物は白ワインだが、ホワイトクリームには意外とウイスキーが合う。そういうわけで今夜もきのうに引き続き "Macallan 12 Years old" のハイボールを飲む。シチューの中の豚肉とウイスキーとの合いの手に、生のトマトや茹でたブロッコリー、はたまた薄切り大根の塩もみを食べる。なお、茹でたままのブロッコリーとカリフラワーについては、これを生まれて以来ただの一度も美味いと感じたことはなく、だから今夜の野菜にはオリーブオイルとワインヴィネガーをかけまわす。

メシを食い終えて以降の記憶は無い。


 2006.1017(火) 物語

朝4時30分に起床して先ず製造現場へ降り、次に事務室へ移動する。4階に戻ってからは仏壇を整え、きのうの洗濯物を洗濯機へ入れ、そして朝飯の用意という、ここ数日のあいだ変わらないことをする。

椎茸の佃煮、ほうれん草のおひたし、舞茸の醤油煮、生のトマト、薄切り大根の塩もみ、メシ、けんちん汁を以て朝飯とする。ほうれん草のおひたしにも、また薄切り大根の塩もみにもお酢をかけたから、これは酢の物ということになるのだろうか。あるいはそれなりの下準備を経た料理でなければ酢の物とは呼べないのか。しかしこういう考えを突き詰めていくと、ナレズシ以外の鮨は鮨ではないというような、最大公約数の認識からはいささか乖離した理屈に行き着くことになる。

「きのうもそうだったけど今日もバカに忙しいな」 と思っている日中の店舗に包装係のサイトーヨシコさんが来て、「だってきのう今日と東照宮のお祭だから」 と教えてくれる。それを聞いて 「あぁ、だからか」 とようやく得心しているのだから、僕もかなり脳天気である。

閉店の90分前になって、商品を陳列している冷蔵ショウケイスの底が見え始める。ウチは常に新鮮な商品のみを売ることとし、繁忙期においても作り置きは一切しない。地方発送に用いようとしていた品の一部を店舗へ回し、売り切れに備える。「らっきょうのたまり漬、これが売れちゃったら、会社の中にはもう1袋も無いよ」 と販売係のキクチユキさんに言うと 「エー」 と不安そうな顔をする。

客足は途切れず、店は結局、定時に25分遅れてようやく閉まった。「このまま飲んでも不味いよ、酒と混ぜないと」 と、帰宅しようとしている遅番のハセガワタツヤ君に缶入りのソーダ1本を上げる。

居間へ上がり、ハセガワ君に手渡したと同じソーダで "Macallan 12 Years old" を割る。ハイボールのレシピを無視した濃いそれを次男の勉強机に運び、国語の教科書の朗読という宿題をする本人の横で飲む

初更、大根の葉と油揚げの炒め煮、「正嗣」 の餃子、胡瓜の塩もみ、大根と鶏手羽の炊き物、けんちん汁にて今度は芋焼酎 「さつま五代」 のソーダ割りを飲む

「これから宇都宮で餃子屋さんに行こうと思うんですけど、どこかお薦めのお店、あります?」 と、お客様から訊かれるたびに 「有名店で行列をされるより、地図を差し上げますから今市のマサシというお店にいらっしゃったら良いですよ」 と提案をして、しかしこれが受け入れられた試しはない。「宇都宮」 と 「餃子」 のふたつが揃ってはじめて、行楽客の物語は完結するのだろう。

居間のソファにもたれながらいつの間にか眠ってしまい、次男に大きな声で起こされる。次は風呂に浸かりながら眠っていて、またまた次男に大きな声で起こされる。そうこうしながら9時30分に就寝する。


 2006.1016(月) 格好

4時すぎに目を覚まし、4時30分に起床する。以降の90分間は、きのうとおなじことをする。

紺と白の細い縞模様のシャツを着た清楚なオネーサンと食べ物話のなりゆきから、味噌汁のだしは何で取っているかと訊くと 「ダシですか? いえ、普通の、顆粒状の」 と答えたから 「カリューのダシを普通のダシとはいわねぇよ」 と突っ込んで以降、その人が僕を嫌っているかどうかは知らない。

とにかく6時すぎより僕なりの普通の方法でだしを取り、モヤシの味噌汁を作る。薬味のない味噌汁では格好が付かないから冷蔵庫をあさってピーマンを見つけ、これをみじん切りにする。納豆を小鉢へ出し、薬味のない納豆では格好が付かないから茗荷を刻む。「あとなんかできねぇかな」 と考え、ひと袋すべてを洗ったら味噌汁の鍋に入りきらなくなったモヤシとピーマンの余りを油炒めにする。味噌汁の具と野菜炒めの中身が同じでは俳句の季がさなりのようで格好が付かないが、時刻は既にして7時にちかい。

そうしてモヤシとピーマンの油炒め、舞茸の醤油煮、納豆、メシ、モヤシとピーマンの味噌汁による朝飯を食べる

子供のころからどうにも物忘れが激しい。普段は首から名札を下げているが、今日はそれに加えてタイマーを下げた。「10分後にはこれこれのことをしなくてはいけないから」 と、携帯電話と灰皿を、まるでおしゃぶりのように首から下げたどこかのオッチョコチョイと似た格好で会社の中を歩く。しかして10分後に電子音が鳴ってみれば 「えぇっと、何をするんだったっけ」 と、肝心なことを忘れている。"RHODIA" のメモ帳にヒモを通し、明日はこれも首から下げてはどうかと考える。

初更、薄切り大根の塩もみ、けんちん汁、鯖の味噌煮、ほうれん草の胡麻和えにて芋焼酎 「さつま五代」 のお湯割りを飲む。先月はノルマより4日も多く断酒したことを免罪符とし、今月はいまだ1日しか酒を抜いていない。

入浴して350CCの缶ビールを飲み、9時30分に就寝する。


 2006.1015(日) ブンブン

4時30分に起床して以降はいつもと同じ朝を送り、またお茶を飲むに際しても、やはりきのうと同じく先ず仏壇を整える。些事を書かなければ、ほとんどすべての日記は、つまりほとんどすべての人生は前日分のコピーを本日分にペイストしてことが済む。些事の範疇に入らないのは、人の生き死にくらいのものではないか。

朝飯は、舞茸の根もとの白いところを具にしたカレーとメシ、胡瓜の古漬け。

「今市ソフトテニスクラブ」 の試合が行われる瀬尾地区の 「ひろしコート」 へ8時すぎに次男を送り、すぐに帰って仕事にかかる。

日光のいろは坂や、あるいは鬼怒川から川治にかけての山が錦秋をまとうまでには、いまだしばらくの間があるだろう。現在は紅葉狩りの出だしにあたるが、それでもウチは2週間前の週末から交通整理のガードマンを頼んでいる。

そのような繁忙の最中にふたたび 「ひろしコート」 へ出かけて次男の試合を見、あるいは係のお母さん方が弁当屋から持ち帰ってくれた、1週間前に予約しておいた弁当を食べる。家内は大阪へ出張をし、長男が2歳のときからあれこれ手伝ってくれているサイトートシコさんも今日は来ないから、当方はてんてこ舞いである。

閉店後、社員たちとのミーティングをこなして後、オフクロと次男との計3人でフランス料理屋の "Finbec Naoto" へ行く。

「タラバガニのサラダ、根セロリのムースと共に」 の平皿が下げられ、「伊達鶏のささみとキノコのナージュ」 のスープ皿が運ばれた瞬間から松茸がブンブン匂う。それをひとさじ口へ入れて 「チョー美味い。松茸と舞茸、食べられるようになっといて良かったよ」 と次男が喜ぶ。「だから前に教えたろ、好き嫌いのある人は不幸だって」 と子供には言うが、鮨屋で玉子と胡瓜巻きしか食べられない人も、嫌いな小鰭や赤貝を食べずに済むという点においては幸福を感じているはずである。

次男が選んだ豚のソテーから、ケモノとしての豚がブンブン匂う。僕が選んだ羊のローストからも、ケモノとしての羊がブンブン匂う。昼に食べた盛り蕎麦の葱と、食後に吸った煙草のヤニとの混交が歯のあいだからブンブン匂うオヤヂは嫌いだが、素材がブンブン香る料理は好きだ。クレームカラメルを最後の酒肴としてシャルドネイの発泡ワイン1本を干し、エスプレッソで締める。

帰宅して入浴し、冷たいお茶を150CCほども飲んで9時30分に就寝する。


 2006.1014(土) 更に舞茸を食べる

夏はとうの昔に去った。現在の朝5時の光量は夜に等しい。そういうときにお茶が飲みたくなり、しかし習慣として、仏壇に朝のお供えをする前に自分がお茶を飲むことはできない。仏間の明かりをつけ仏壇の明かりもつけ、その仏壇に水、お茶、花、線香を供える。日が昇る前に仏壇を整えるのはいかがなものかとも思うが、「しかし熱心なお寺は、やはり暗いうちからこれくらいのことはするだろう」 と考え直す。

朝飯は、舞茸の天麩羅、ジャコ、梅干しのお茶漬け。

今月のなかばごろに僕を訪ねてくるという人に連絡をするためメイルを送ると、これがバウンズする。相手の携帯電話の番号は知っているが、電話という通信手段には 「出物腫れ物ところ嫌わず」 というところがあるから、僕はこれをあまり好まない。相手の経営するウェブショップの問い合わせフォームから再度メイルを送ると、今度は数時間後に返事があった。

鬼怒川の奥から川治にかけての山が驚くほど美しく染まるのは、11月に入ってからと思われる。現在は紅葉見物の出だしの時期で、天気予報は首尾良くこの1週間の晴天を伝えたが、日光の上空は朝から夕刻まで雲に覆われたまま閉店の時間を迎える。

初更、オフクロと次男との計3人で鰻の 「魚登久」 へ行く。この時期の 「魚登久」 には困ったことに土瓶蒸しがあり、これは次男の好物である。世の中にはドルとかユーロとかバーツとか、いろいろな通貨がある。僕の頭の中には長く 「ラーメン」 という通貨があって、土瓶蒸しはラーメンの10分の1ほどの量ながら、その価格は3ラーメンか4ラーメンはするため、どうにも注文しづらい。

ところが壁の品書きを見ると、土瓶蒸しを含んだ上鰻丼のセットメニュがある。よってひとつはこれを取り、オフクロは並の鰻丼、次男は子供鰻丼として各々に付く味噌汁を肝吸いに換える。別途肝焼き2本を注文し、この1本と土瓶蒸しを次男に与える。僕は 「片山酒造」 のカストリ焼酎 「粕華」 を2合ほども飲む。牡蠣が海のミルクなら、「魚登久」 の鰻は湖沼のミルクである。

帰宅して入浴し、冷たいお茶を150CCほども飲んで9時に就寝する。


 2006.1013(金) また舞茸を食べる

2000年9月1日にこの日記を始めて以降しばらくは、散文のようなものが続いている。しかしこれがいつの間にか、その日にあったことを時間に従って並べただけの、小学生の絵日記のようなものに変わってしまい現在に至るとは数日前に書いた。自分が本当に書きたいのは、6年前のような日記である。あのころに戻ることはできるだろうか。

あのころに戻るといえば、"WORKS" の写真にも、この1年半ほどは苦労をしている。"WORKS" の、実質的には最初の組写真となる 「天神ちかく」 は2004年の夏の終わりに撮ったもので、これは甘木庵のちかくを朝1時間ほど歩いただけで12枚が揃った

写真、特に街のスナップショットあるいはキャンディッドフォトを撮る人はとにかく歩く。「写真の上手いヤツとはどういうヤツかって? それは、そのときそこにいたヤツだよ」 とは 「マグナム」 の誰かが言ったことだ。写真を撮る人は 「そのときそこにいる」 ために靴の底をすり減らす。「そのときそこにいる」 とは、ハッとすることに出くわすということだ。

「天神ちかく」 を撮ったときにはたった1時間で

自動販売機で飲み物を買う主人を待ちながら、うろんげにカメラを見つめるまだらの犬
夏の落ち葉をひとり掃く人
集めた大量の空き缶を小さな台車に載せ、湯島天神の鳥居をくぐってくる人
天神下の繁華街で外国人の女になにやら手渡している朝帰りの男
路上で仰向けに寝る、森山大道に似た男
その男に倣うように、仰向けで死んでいる水槽のフグ
柳の木の下を、まるで此岸から彼岸へ渡り行くようにして過ぎる老人

という風景に出くわした。首からエムロクを下げ、街を1時間歩いただけで、これだけのものが目の前に現れてきた。以降、このような僥倖を得ることはない。すこし前までは、自分は 「時代」 を撮りたいと考えていた。今は永島慎二の 「漫画家残酷物語」 のような、湿った抒情のただよう写真が撮りたい。それは果たして可能だろうか。

初更、舞茸の醤油煮、舞茸ごはんのおにぎり、胡瓜の古漬け、塩らっきょうにて芋焼酎 「さつま五代」 のお湯割りを飲む。

入浴して今度は冷たいお茶を150CCほども飲み、10時前に就寝する。


 2006.1012(木) 舞茸を食べる

普段は枕頭に置く携帯電話が今朝は見あたらず、目を覚ましても現在時刻が分からない。障子を透かしての外の明かりに見当をつけて起床し、洗面所で小さな時計を見ると、予想より30分以上も遅い5時すぎだった。仕事場へ降り、その後は事務室に移動していつもとおなじことをする。

7時前に居間へ戻る。朝飯は椎茸の佃煮、ジャコ、「はれま」 の 「やさい」、玉子と万能葱の雑炊

テレビの天気予報によれば、今日の東京は夏日になるとのことだが、その東京の予想最高気温が26度で、しかし100キロ北に上がった宇都宮のそれは27度だという。日光の空は秋らしく晴れている。きのう、巨大な舞茸を四つ割りにしたうちのひとつをいただいた。これを風通しの良いところへ置いてふたたび仕事場へ降りる

人と会ったり近所へ出かけたりして午前が過ぎる。舞茸のつゆによる冷たい稲庭うどんを昼飯とする。もちろん美味い

事務室の奥の小部屋を改造する計画があって午後、建築会社の人や大工さんが来る。部屋の床に穴を開け、天井にも穴を開け、中の構造を調べてから外へ出て屋根に上がる。そのときふと油絵の具の匂いがして振り返ると、今月5日に下塗りしたキャンヴァスを乾かしている部屋の窓がちょうど僕の背後にあった。しかしいくらなんでも油絵の具が、二重ガラスのサッシを通してまで匂うものだろうか。

初更、だし巻き玉子少々、胡瓜の古漬け、塩を振って炙った鶏肉、舞茸の天麩羅にて芋焼酎 「さつま五代」 のお湯割りを飲む

入浴して今度は350CCの缶ビールを飲む。僕としては珍しく、11時ちかくまであれやこれやしてようやく就寝する。


 2006.1011(水) 日光が吉方?

目覚めてしばらくは闇の中で静かにしている。しかしいつまでそうしているわけにもいかず、洗面所に立って小さな時計を見ると4時15分だった。すぐに起床して仕事場へ降り、次いで事務室に移動する。

その事務室できのうの日記を書くなどのよしなしごとをしていると、なにやら外で物音がする。シャッターは既にして開けてあるから格子窓のガラス越しに見ると、足立ナンバーのメルセデスを停めた夫婦が、お稲荷さんの脇で井戸水を汲んでいる。水の量は細く絞られ、20リットルのポリエチレンタンクを満杯にするにはかなりの時間がかかるだろう。外へ出てその夫婦にひと声かけ、普段は施錠してある栓をひねって水量を増やして上げる。彼らは喜んでお稲荷さんの方に目を遣り 「お賽銭、上げておきますんで」 と言う。「はぁ、いえ、どうも」 と、僕はあやふやな返事をする。

実はこの数ヶ月、東京から定期的にウチの井戸水を汲みに来る別の夫婦がいる。そしてそのつどお稲荷さんには賽銭や油揚げを、ウチには菓子折をくれるから、お稲荷さんはともかく、ただ同然の井戸水に菓子折はいらないと言うのだが、しかしこの人たちはいつも義理がたい。あるとき 「お料理に使うんですか」 と訊くと 「吉方の水だから」 との返事があった。

しかし江戸城からみて北東の鬼門にあたる上野に江戸の鎮護を目的とした東照宮が造られたことを考えても、東京の北にある日光が吉方とは思えない。ウチの水を汲む人たちは、一般に流布する方位学とは別の、なにかアミニズムのようなものを信じているのかも知れない。そして 「だったらここに住んでいるオレにとって、ここは吉方なのかどうなのか、いや、違うな、だったらウチの敷地から湧き出る井戸水をオレがガバチョと飲んでも別段、良いことがあるわけでもねぇだろう」 と考える。

朝飯は秋刀魚煮、ほうれん草の油炒め、納豆、メシ、シジミと万能葱の味噌汁

夜は故あって懐石料理屋の 「ばん」 へ行く。洒落た吹き寄せから始まり最後の茶漬けへ至るまでに大量の日本酒を飲む。

10時前に帰宅して入浴し、しかし何時に寝たのかの記憶はない。


 2006.1010(火) こんどは羊の肉を詰めてみよう

4時30分に起床し、いつもと同じことをして6時すぎに居間へ戻る。朝飯は胡瓜の南蛮漬け風、納豆、茄子の炒りつけ、秋刀魚煮、メシ、4種のキノコと豚肉の味噌汁

先おとといは 「昼間のできごとを点線で省いた日記」、おとといは 「能率手帳のような日記」、きのうは 「画像を省いた散文のような日記」 を書いてみた。僕がどのような日記を書きたいかといえば、それは3日目の散文のような日記だ。

振り返ってみれば、この 「清閑日記」 を始めた2000年9月1日より半年ほどはそのような散文調のものが続いているが、しかしこれはいつの間にか、その日にあったことを時間に従って並べただけの、小学生の絵日記のようなものになっていった。その 「小学生の絵日記」 のまま2003年の暮れに文体だけを大きく変え、以降これについてはそのままを保っている。

「散文のような日記」 の良いところは、これが 「演説や講釈」 から遠く離れていることで、だったら 「演説や講釈」 のどこがいけないかといえば、 それは 「演説や講釈」 を好んでする人を見れば分かる。とここまで書いて 「おめぇがいま言っていることも、演説や講釈のたぐいじゃねぇのか」 と指摘をされれば返す言葉もない。

大谷川と並行して旧今市市と旧日光市を結ぶ道にあたらしくできた蕎麦屋へ昼に行く。「こんな太い柱、どこから持ってきたんですか」 と思わず訊きたくなる、銘木好きの夢を実現したような店内に請じ入れられ、天盛りの大盛りを注文する。キノコと大根の和え物、里芋と隠元の胡麻和えを添えた天麩羅の盛り合わせは目にも楽しく、できれば酒肴にしたいものだった。

五合升に盛られた蕎麦は野趣あふれる本当の田舎蕎麦で、この手の味わいが好きな人にはたまらない品だろうが一方、麻布の白い蕎麦はもとより明治大学裏の 「松翁」 あたりで粋にやることの好きな人には合わないかも知れない。

依頼を受けて初更、「自由学園同学会」 のウェブペイジを更新する

先月下旬の8日間に7日も断酒したことを錦の御旗とし、以降きのうまで11日間も酒を飲み続けたが、今朝はさすがに酒疲れを覚え、本日の断酒を決めた。というわけでポテトサラダ、うずら豆、茄子の味噌炒り、ピーマンの肉詰めにて炊きたてのメシ1杯を食べる

「自由学園」 の、三重県海山にある演習林でメシ当番になった晩、僕が作ったおかずはピーマンの肉詰めだった。あのころから、いやそうではない子供のころから僕はピーマンの肉詰めが好きだった。意匠形状からして、これはもともとムスリムの料理ではないだろうか、とすれば詰めるのは羊の肉こそふさわしい。

入浴して冷たいお茶を飲み、「google誕生」 をすこし読んで9時30分に就寝する。


 2006.1009(月) 散文のような、しかも画像のない日記

9月の末から降り続いた雨はやがて暴風雨となり、海では幾艘もの船を沈め、また山では何人もの登山者を殺した。それが収まって3日後の今日、キノコの入った袋を手渡す人がいた。中を覗き込んで 「ムキタケですか」 と問うと 「モダシ、モミハツ、地ナメコ、ジャリタケだね」 と、その人は答えた。

夕刻、南西の窓からは、薄オレンジ色の空を背にして青灰色の稜線がまるでパン切り庖丁の刃のように見え、そしてその上には、不器用で几帳面な子が筆を水平に動かしたような紅色の雲がある。

4種のキノコは小さく刻んだ豚肉、手でちぎった絹ごし豆腐と共に味噌汁にした。湿った森の香りを聞くため、薬味は使わない。小さなジャガイモの煮ころがし、茄子の炒りつけ、大豆と昆布と人参の炊き物、キャベツと胡瓜の中華風ソテー、秋刀魚煮で芋焼酎のお湯割りを飲む。

虫の声は絶えて久しく、しかし冬のきざしはいまだ見えない。つと立って壁のカレンダーに近づけば、本日は陰暦の8月18日と、それは示していた。


 2006.1008(日) 「能率手帳」 のような日記

04:30 起床する。
04:45 製造現場へ降り、なかば趣味のようなことをする。
05:45 事務室へ移動し、いつものよしなしごとをする。
06:45 ほうれん草の油炒め、納豆、トマト、鰯煮、メシ、湯波と万能葱の味噌汁を朝飯とする
07:30 開店準備。
08:30 次男をテニスコートへ送る。
11:00 繁忙。
12:30 焼そばを昼飯とする
14:00 繁忙。
15:30 まだ繁忙。
17:30 定時に閉店できず。
18:00 社員とミーティング。
18:45 居間で 「google誕生」 を読む。
19:30 キムチ鍋を肴に泡盛 「玉友」 のお湯割りを飲む。
21:00 入浴する。
21:30 就寝する。


 2006.1007(土) 昼間のできごとを点線で省いた日記

目を覚ましていくらもしないうち、念のため携帯電話に設定した4時30分の電子音が鳴って起床する。製造現場へ降り、そこから事務室へ移動すると、数時間前に警備保障会社の人が書き置いた報告書が机上に見える。読むとそこには、今朝まで続いた強風により内側から施錠してあった窓のひとつが開き、警報が発せられたから点検に入ったとあった。

高層ビルなどの構築物により自然の風が増幅されあるいはその方向を複雑に変える現象を、マリリン・モンローのスカートが歩道の排気口からの風でめくれ上がったむかしの映画の一場面から "Monroe effect" と呼ぶ。今朝はそれが、ウチとお隣の家とのあいだで起きたというわけだ。

6時30分にエレヴェイターを上がり、仏壇の水やお茶や花を整えるなどのことをする。朝飯はふつうの白いおにぎりに加えてきのう 「和光」 からもらってきた栗ごはんのおにぎり、けんちん汁、焼き海苔。

----------------------------------------------------------------

終業後、本日は風も雨もないから自転車で日光街道を下り、狭い路地を辿ってきのうと同じく飲み屋の 「和光」 へ行く。

「和光」 のカウンターには、きのうとほぼ同じメンバーが座っていた。きのう僕の隣にいた人は今日も僕の隣にいて 「ホタテのチーズ焼きください」 と、きのうと同じ注文をしている。ほうれん草のおひたしと焼き鮭のマヨネーズ和え、それに人参と隠元と牛蒡の豚肉巻きという、これだけでひと品にもなるお通しにて麦焼酎 「吉四六」 の、しかしここだけはきのうのお湯割りとは異なりオンザロックスを飲む。そしてまた 「きのうと同じ、玉葱とポン酢の、鰹の刺身ください」 と注文をする。

「文人暴食」 を、きのうに続いて平塚らいてうの項から読み始める。そうこうするうち僕の隣の席がひとつ空いて、ここに来たのが誰かと思えば 「本酒会」 のイシモトヒトシ会員だった。イシモトさんは月曜から木曜までの4日間を断酒日としているそうだから、僕などはとてもかなわない。そしてきのうとは異なり、「文人暴食」 のペイジはいくらも進まなかった。

鰹の刺身を食べ終え、しかしもうすこし何か食べたい。まわりを見まわせば茹で玉子を自分で剥いている人が何人かいる。僕は酔ってそのようなことはしづらいから 「茹で玉子にマヨネーズを添えてください」 と頼む。運ばれた小鉢に、玉子はふたつ入っていた。

血液の数値を見て僕にあれこれ指導をする医師によれば、鶏卵は百害あって一益なしなのだから、もしどうしてもこれを食べたければ1週間に1個か2個までにせよと言った。しかしこの7日間に、僕は実に7個の玉子を食べている。きのう入れたばかりのボトルは、底から辛うじて2センチ半ほどは残った

帰宅して入浴し、牛乳を200CCほども飲んで9時30分に就寝する。


 2006.1006(金) 風と雨の中に出て行く

4時30分に起床し、その後2時間はきのうと同じことをする。

今朝から明朝にかけては、今年になって最も多く雨の降る地域もあると、テレビのニュースが伝えている。窓の外にある空はいまのところ穏やかで、まがまがしさのかけらもない。

朝飯は椎茸の佃煮、納豆、ハムエッグ、生のトマト、メシ、けんちん汁。血液の数値を見て僕にあれこれ指導をする医師によれば、鶏卵は百害あって一益なしなのだから、もしどうしてもこれを食べたければ1週間に1個か2個までにせよと言った。しかしこの6日間に、僕は実に5個の玉子を食べている

ここ数ヶ月のあいだ店舗犬走りの軒先に下げてきた 「涼味在中」 の白い暖簾を、夏が過ぎても出しておくのはおかしい。そのため秋冬用の、こげ茶の地に白で店や醸造品の名を染め抜いた暖簾を早くから注文しておいた。これが9月の下旬にできてきたから早速、春夏用のものと交換しようとしたところ、届けてくれた 「岩本京染店」 のイワモトミツトシさんは、暖簾にも衣替えというものがある、10月1日は塩梅の良いことに大安だから、この日を使い初めとして欲しいと告げて帰った。

言われるままこれを今月1日に軒先へ下げてみると、白の文字が大きく目立ってなかなかよろしい。つまらないのは、この暖簾を出して本日まで、1日として晴れの日がなかったことだ。秋晴れという言葉もあるが、そして統計的に10月は晴れの日が多いらしいが、今年はどうなることだろうか。

初更めでたくも傘を差し、まるで台風接近中のような風と雨の中に出て行く。日光街道を下り狭い路地を辿って飲み屋の 「和光」 へ行く。秋刀魚の天麩羅とかき揚げという、これだけでひと品にもなるお通しにて麦焼酎 「吉四六」 のお湯割りを飲む。めでたいひとは僕だけではなく、やがてカウンターは計8名の客で埋まった。

「文人暴食」 の、いまだ途中だった尾崎放哉から武者小路実篤、若山牧水、そして平塚らいてうの中ほどまでを、この店の常連たちに挟まれて読む。刻んだ玉葱や貝割れ大根をどっさりと載せポン酢をかけまわした鰹の刺身を食べるうち、今日入れたばかりの焼酎のボトルが半分ちかくまで減る。

ふたたび雨の中に出て5、6分を歩き、8時前に帰宅する。入浴して何も飲まず、推定で9時ごろに就寝する。


 2006.1005(木) 松茸ごはんはどうするのがいちばん美味いか

5時に起床し、むかしアルルに住んでいた貧乏な人のような格好をしてワイン蔵のある2階へ行く。

2階のコンクリートのたたきには、数日前より簀の子や段ボールを敷いておいた。今朝はここで1時間ほど絵を描く。僕は手先が異常に不器用で、しかも空間や立体への認識も劣っているから大工仕事はもとより粘土をいじることもおぼつかない。ただしキャンヴァスに筆で絵の具を置いていくくらいのことならできる。

「白木屋画材店」 に特注した縦35センチ横150センチのキャンヴァスに、今朝は下塗りだけをする。絵の具をかなり厚く盛った部分もあるから、すべてが乾くころには普段ひとけのない2階は水も氷るほどの寒さになっているに違いない。

僕には休日というものが無い。なにかするとなれば仕事前の早朝にこれを行うことになり、しかし冬の朝は暗い。だったらどうしようか、と考える。こんなことなら下塗りは春先にすべきだったが、そのころは絵を描くつもりなどさらさらなかった。40年前の僕の絵の師匠は、当時どこかの中学校の美術教師だったフクダサカエ先生である。

7時前に居間へ戻る。朝飯は金目鯛の粕漬けと味噌漬け、ジャコ、生玉子、松茸ごはん、豆腐と椎茸とタシロケンボウんちのお徳用湯波と万能葱の味噌汁。混ぜご飯に生玉子を投入して食べると美味いが、松茸ごはんにこれをするのはさすがに勿体なくはないか。松茸ごはんはおにぎりにするのが最も美味いと僕は思う。

日中、「今市第二小学校」 の3年生がごく少人数で会社見学に来る。蔵の一番奥から品物ができる順に従って店舗まで案内し、最後に質問を受けて、その利発さに舌を巻く。これまでの経験でも分かっていたことだが、見学に来る児童生徒の年齢が中学生、高校生と高くなるほどその感受性や、脳を働かそうとする意欲は鈍っていく。そして 「これからはやっぱり、見学の受け入れは小学生だけに絞ろう」 と決める。

初更、かさごの干物、ジャガイモと胡瓜とハムのサラダ、けんちん汁にて泡盛 「玉友」 のお湯割りを飲む。日本の中に、天麩羅をソースで食べる地域があると、いつか新聞だかテレビで見聞きして驚いたことがある。しかし今夜の、豚肉を巻いたグリーンアスパラガスの天麩羅は、僕も豚かつ用のソースで食べる

入浴して何も飲まず、10時前に就寝する。


 2006.1004(水) 松茸はどうするのがいちばん美味いか

3時に目を覚まして 「Google誕生」 を4時30分まで読む。起床して仕事場へ降り、いつもの決まりごとをしてから事務室へ移る。

「第160回本酒会」 は昨月20日の開催で、この分の会報を早く発行しなくてはいけないと思いつつなぜか気が向かなかった。「気が向かない」 とは何を書いて良いやら分からないということに他ならず、しかし会報には来月の予定も載ることだから、いつまで出さないわけにもいかない。

というわけでここ数日の身辺雑記に肉をつけたものを書く。それを元に先ず 「本酒会報」 のウェブペイジ版を整えてサーヴァーへ転送する。次にメイルマガジン版を作成し、しかし寝坊の会員を慮って、こちらはいまだ送らずにおく。

6時30分に居間へ戻る。朝飯はトマト入りスクランブルドエッグ、カサゴの干物、鮭の昆布巻き、納豆、ジャコ、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁

1ヶ月に1度はどこかの港から魚が届く。そして今日はその定期便により鰹が来る予定だったが、きのうの漁獲が良くなかったという理由にて、その予定は変更された。当方は数日前から、ポン酢よりもはるかに酸度の高い自家製のたれによる鰹の刺身を楽しみにしていたから、いわば肩すかしを食う格好になった。

そういうときに期せずして松茸の到来物があったから 「よしっ」 と欣喜し、これはフライにしてくれと家内に頼んだが、その意見は聞き入れられなかった。長くウチに勤め、そして山遊びが好きだったコイズミヨシオさんはかつて、松茸は採ったばかりを新聞紙にくるみ、焚き火で蒸し焼きにするのがいちばん美味いと言った。僕にそのような技術はないから、松茸はフライにするのがいちばん好きだ。

松茸は結局、上品な味つけの松茸ごはんとお吸い物になった。これはこれとして食べ、別途、焼いた万願寺唐辛子を添えた金目鯛の粕漬けと味噌漬け、黒豆の炊き物、タシロケンボウんちのお徳用湯波と水菜の炊き物にて泡盛 「玉友」 のお湯割りを飲む。メロンにて締める

入浴して何も飲まず、本は読んだか読まなかったか忘れたが、いずれにしても10時前に就寝する。


 2006.1003(火) 分かっていながら

目を覚ましてしばらく後に枕頭の携帯電話を開くと、時刻は2時30分だった。「google誕生」 を読んで4時30分に起床する。以降はきのうと同じことにて7時前に居間へ戻る。

朝飯はほうれん草の油炒め、鮭の昆布巻き、大根おろし、米麹を混ぜ込んだ納豆、生のトマト、メシ、きのうと同じく玉葱と豚挽肉と万能葱の味噌汁。ウチの窮屈なホンダシティに乗り込みながら 「ホンダであれば、なんであろうと構いません」 と言ったホンダファンがいた。僕としては、脂の浮いた味噌汁であれば、なんであろうと構わない

オヤジの遺した小さな預金を解約したり、あるいは出資していた組合から退会するなどの雑務がいまだ終わらない。金融機関とはいえ求められる手続きは各々まちまちで、だから何度も足を運んだり、また書類を書き直したりする手間が馬鹿にならない。「ホントにこれで最後だろうな」 と思われる2個所を回って夕刻に至る。

終業後、自由学園同学会ウェブペイジの、数日前から依頼を受けていた個所を更新する。秋から初冬にかけては、なにかと催しの多い季節となる

初更、3種のキノコのソテー、豆腐を混ぜ込んだ、大根おろしで食べる和風ハンバーグ、里芋と水菜のサラダの食卓を見て 「このおかずはメシに合うんだよな、で、そのメシは酒よりも美味めぇんだよな」 と分かっていながら米のメシは食べずに泡盛 「玉友」 のお湯割りを飲む

入浴して冷たいお茶を100CCほども飲み、「google誕生」 をすこし読んで10時前に就寝する。


 2006.1002(月) 菜飯

4時30分に起床する。ベイルートの瓦礫に座り込んでいるわけでも、また氷雪のテラスにビヴァークして凍えているわけでもないから僕の行動は極めて自由である。きのうと同じく仕事場へ降り、2時間後に居間へ戻る。

朝飯は冷や奴、鮭の昆布巻き、納豆、トマト入りスクランブルドエッグ、メシ、玉葱と豚挽肉と万能葱の味噌汁。

最近の高等学校にはインターンシップという、生徒をあちらこちらの会社に派遣して実際の仕事を経験させる制度があって、ウチにも今日から男女あわせて4人の高校生が来た。社員の指導の元、彼らはおぼつかない挙措動作、おぼつかない言葉づかいで新しい世界を手探りしつつ今週の金曜日まで働く。

昼前、所用で出かけた先から戻る途中に蕎麦屋の 「報徳庵」 へ寄る。正午を過ぎると混み合う店も、今日はそれより20分も早く来たから空いていた。椅子席の先に開け放たれた戸の外には雨に濡れた緑があり、その向こうには黄色く実った米が頭を垂れる田んぼが広がっている。「盛りの大盛り」 を食べ、蕎麦湯を飲んで12時30分に帰社する。

日光近辺の稲刈りは、多く次の連休に行われるのだろうか。そして今年の米の作柄は、あまり良くないらしい。

初更、グリーンアスパラガスの胡麻マヨネーズ和え、大根の塩もみにお酢をかけたもので泡盛 「玉友」 のお湯割りを飲むおでん大根の葉とジャコによる菜飯にても、おなじお酒を飲む。

入浴して冷たいお茶を150CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2006.1001(日) よほど手間

いつ目を覚ましてどれほど闇の中にいたかは不明ながら、枕頭の携帯電話を開くと4時をすこし過ぎていた。念のために設定した4時30分を報せる電子音と共に起床する。製造現場へ降り、そこから事務室へ移動するという日課をこなして6時30分に居間へ戻る。

朝飯は目玉焼き、鮭の昆布巻き、レタスとハムのサラダ、米麹を混ぜ込んだ納豆、メシ、おとといの鍋の残りに手を加えた味噌汁

先週は、僕としては恐らく1982年以来となる、6日連続の断酒をした。この断酒の4日目に行った血液検査については、少なくともγGTPの値だけは標準の範囲内に収まっていることだろう。

血液の数値を見て僕にあれこれ指導をする医師によれば、鶏卵は百害あって一益なしなのだという。「そんなこたぁねぇだろう」 と思う。あるいは成長期の人間にとっては良いけれど、からだの諸方が減衰していく人間にとっては害になる、ということだろうか。いずれにしても僕は、栄養学は信用しない。永平寺の禅僧の食事に現在の栄養学を当てはめると、その肉体はおよそ1年で消滅してしまう計算になるのだというが、彼らは立派に生きている。あるいは栄養学の先生はその流派により、占い師と同じく言うことがまちまちである。

昼の繁忙を縫って、ウチの蔵の向かいにある 「メンチ屋トム」 へハンバーガーを買いに行く。1個では夕刻まで腹が保たず、しかしメンチカツバーガー2個では僕には重すぎるから、2個のうち1個はメニュにないコロッケ入りにしてもらった。これを食べて12時30分に店へ戻る

「清閑日記」 を始めるおよそ2年前の1998年秋に、このペイジ「清閑PERSONAL」 はできた。当時は月にいくつもの文章を書いていたが、友人のマエザワマコトさんに 「書き散らしたら、いずれネタは尽きます。そうして更新が止まって放置されるページがたくさんあります」 と注意されて以降は、月にひとつと決めて文章を載せてきた。そのうち月にひとつも書けなくなりそうな気配があったため、眠っていたコンテンツ "WORKS" を復活させて写真を並べることにした。

しかしいざこれを始めてみると、ひとつの文章を書くよりも、12枚の写真を揃える方がよほど手間だということが分かった。分かったからどうというものでもないが、その今月分を "WORKS" に作ってサーヴァーへ転送する

雨の降り始めた初更に "Casa Lingo" へ行く。カラフの白ワインを注文し、あれやこれやをその肴とする

帰宅して入浴し、冷たいお茶を100CCほども飲んで9時30分に就寝する。