2016

2015

2014

2013

2012

2011

2010

2009

2008

2007

2006

2005

2004

2003

2002

2001

2000

こころよい日和 寒くなく 暑くない  空に雲 花の面の埃を流し
薔薇に浮かれた鶯はパハラヴィ語で  酒のめと聲ふりしぼることしきり
Omar Khayyam

 2001.0331(土) 160の100

朝7時45分に、宇都宮東病院の健康診断車 が到着する。

事務室を血圧測定、血液採取、視力、聴覚の検査場所に充てる。事務室奥で医師の診断、社員休憩所にて心電図の検査、トイレにて尿検査。また社員用通路にて、身長と体重の測定。

僕の血圧は上が160の下が100。軽い二日酔い状態で健康診断を受けるバカは、社内には多分、僕ひとりしかいないだろう。

若い女の医師には 「1、2ヶ月のあいだ真面目な生活をして、それでも血圧が元に戻らないようなら、病院にて診察を受けるよう」 指示される。

週末に降る雪 は、ことのほか迷惑だ。彼岸も過ぎ、遊びに出ようとする人の足を、自宅に留まらせる。

夕食は、家族が帰って、またいつも通りの内容になった。生ハム、トマトとモツァレラチーズのサラダ、茹でたアスパラガス

牛もも肉のステーキ、バルサミコソースのエリンギ添えプチパン

急いで夕食を済ませ、夜の7時に カヌレ を囓りながら、春日町の臨時総会へおもむく。

午後10時に就寝する。


 2001.0330(金) トロトロオムレツ

昨夜の牡丹雪が屋根に残っている。杉並木の向こうに 日光の山々は見えない。激しく降雪しているのだろうか。

午前中、イチモト本酒会長の訪問を受ける。僕はいつも、本酒会では皆よりも早く、夜9時ころに帰宅する。ところが26日の集まりでは、そのまま会場で寝入ってしまった。そのため、具合でも悪いのかと、見舞いに来たという。

「いえ、別に大丈夫です」
「目の周り、黒いぜ」

「寝不足かなぁ? 今朝は3時に起きました。でも昨日は8時に寝ましたからね」
「目の周りだけ見てると、いかにも仕事、してるみたいだよ」

遊亀@長男は昨日、ふたりの同級生と共に兵庫県の御影をヒッチハイクでスタートし、夕刻、愛知県の熱田へ至ってタイムアウトとなったらしい。そこからは東海道線に乗って東静岡へ移動し、友人宅へ宿泊した模様だ。

長男は本日、鎌倉の家内の実家を経由して、母親や次男と共に帰宅する。

終業後は市之蔵へ行く。吉四六のオンザロックスと、付き出しは山かけ

ボタンエビ は食べるために指を汚さざるを得ず、酒の肴としては不適当だ。味はもちろん、悪くない。

僕が持ち込んだ なめこのたまり漬 で、トロトロオムレツ を作ってもらう。

このナメコのオムレツは、イワキインフォテインメントの 岩崎SOINTU和廣社長 のアイディアだ。それにしてもイワキインフォテインメント、せっかくカッコイイ会社なのだから、可及的速やかに、ピシッとしたウェブペイジを作っていただきたい。

大根とホタテの煮物 と空芯菜のおひたしは、多分無料。締めは 鳥たたき鍋

スワさんおよび市之蔵の主人ナガモリさん と歓談。「反貞女大学」 は、ほとんど読まず。勘定は今日も2000円。

自転車で市之蔵から下今市駅へ回り、帰ってきた母子3人を出迎える。彼らはタクシーで帰宅し、僕はもちろん自転車にて帰宅する。酒飲みはときどき、こういう意味のない行動をとる。

開幕したセリーグでは、巨人阪神戦が17対3で巨人の勝ち。名人と4段の将棋を見るようで、面白くないこと甚だしい。


 2001.0329(木) 反貞女大学

anne@家内が次男を連れて鎌倉の実家へ行ってから、すでに何日が経ったのだろう? 洗濯物がカゴに一杯になったため、洗濯をする。

午前中、宇都宮へちょっとした用を足しに出ようとしたところへ、カトーノさん が来る。

先日、僕が事務の花子氏用に購入した"ThinkPad i Series 1200"は、OSが"Windows ME"だった。既存のアプリケイションに不具合が出ないか、これをカトーノさんは家に持ち帰り、いろいろと設定し直しをしてくれていた。

OSの種類も調べずにコンピュータを買ってしまうほど、僕はイイカゲンな人間だ。

カトーノさんがいたときには正常に働いていた花子氏の 一発変換 が、動かなくなる。「出力先を指定してください」 というエラーメッセイジが出る。悪い予感。再設定をしたら、動作は安定した。

午後、オフクロがパリの公衆電話から電話を入れてくる。

テレフォンカードを買って、近所の喫茶店に入ったら、カードの使えない公衆電話だった。店員に 「いくら小銭を投入したらよいのか?」 と訊いたら 「分からない」 と答える。「分からないってのは、おかしいよね」 というような内容の、どうということもない会話だった。

現在の我が家の家族構成は、おばあちゃん、オヤジ、僕の3名。

午後、小雨がみぞれに変わる。夕刻にいたり、みぞれは徐々に、雨よりも雪の割合を高めてきた

洗濯はできても、自分で晩飯を作り、ひとりで食べる気にはならない。風呂のお湯を溜め、飲み屋の和光へ行く。 店の外からガラス越しに 人の影を探る。僕の好きな、最も入り口に近いカウンター席には、先客のあることがうかがわれる。

付き出しは、タケノコと蕗のとうの味噌煮。品書きにあれば、頼まずにはいられない ホタルイカ の後には、ブロッコリーとアスパラガス がサーヴィスされる。

友達が1ヶ月ほど前に、i-mailで 「面白いよ」 と報せてきた

「反貞女大学」 三島由紀夫著 ちくま文庫 \621

を読む。友達に勧められた本を読むと、ひどく面倒な文章だったりして、困ることがある。その代表が、ヘンリー・ミラーの 「北回帰線」。しかし 「反貞女大学」 については、サクサクと58ペイジまで読み進んだ。

締めは 一口カツ

みぞれは、大きな牡丹雪に変わった。クルマがビシャビシャと音を立てながら走る暗い道 を帰る。薄着が好きな僕は、2枚のシャツしか着ていない。さすがに寒い。

夜8時すぎに就寝。


 2001.0328(水) 東京紅團

友人から、港区虎ノ門三丁目の旧地名を教えて欲しいとのeメイルが入った。早速、1万分の1の地図で場所の特定をする。次に、好んで使っている

戦災焼失区域表示 コンサイス東京都区分地図帳 昭和21年刊・復刻版
日地出版 \2800

の 「芝区」 のペイジを開く。たちどころに、現在の虎ノ門三丁目が、町名変更以前には西久保巴町だったことが判明する。

ちなみに、戦災のために焼失した地域は、西久保巴町では南西の一角のみで、比較的少ない。これは町内に寺が多く存在するためだろうか。

この地域の諸々を "Google" で検索しているうちに、素晴らしいペイジを発見した。「東京紅團」 だ。足で稼いだ記事と画像、膨大なデイタの渉猟。不思議なことに、これほど優れたペイジのカウンタが、2年半でいまだ25000に届いていない。

検索エンジンが、「東京紅團」 の途中のペイジにヒットする。そのペイジの良質の情報のみで訪問者は満足を得る。結果、トップまでは遡らない。したがってカウンタも上がらない。そんなところだろうか。

終業後は市之蔵へ行く。カツオのたたき を食べながら キシさん と歓談。


 2001.0327(火) 出もの腫れもの

朝3時30分に起床。ブラウジングをすると、瞬く間に1時間ほどは費消してしまう。気をつけないといけない。

8時前に、中村装備の自宅へ電話をする。既にして留守だ。携帯電話を呼び出してみる。こちらはしっかり通じた。

「あ、どうも。いえ ITOKI の本社が今日ですねぇ、事務机を4つ、御社に納品すると言ってるんですよー」

「それは困りますよ。今日は発注品目の最終確認日でしょ? 現物を持ってこられても、設置できませんよ」

「えぇ、私もきのう連絡を受けてね、驚いて出荷を止めるように言ったんですが、今からでは不可能だって」

「新しい机を使う4人のうち、今日は2人が休みを取っていますしね。電気コードや電話線の扱いも、電気屋を呼ばないとできませんし。どっちみち無理ですよ、今日は」

というわけで、大型ラックによって 「出もの腫れものところ嫌わず」 のように届いてしまった 事務机一式 は、ウチの敷地内にある廃屋に格納された。

中村装備の社長は、ズボラさを愛嬌でカヴァーしていく人間だ。オヤジの友人のため、そう怒るわけにもいかない。

この騒ぎで、午前中に予定していた花粉症の治療が受けられなくなる。

午後3時すぎから、関根耳鼻科へ行く。21日に 採血した結果 が出ている。僕のアレルゲンは、ハウスダストが4.5、コナヒョウダニが4.6、スギが5.2、ヒノキが2.4。

「先生、花粉症が出始めたのは、去年なんです。それまでは僕、スギのアレルゲン、持ってなかったんでしょうか?」

「いやぁ、アレルゲンを持っいても、発症しない人は大勢いるから」

というわけで、鼻スプレイ、点鼻薬、目薬、抗アレルギー剤の花粉症4点セット を処方される。

目だけは健康だった僕が、3年ほど前から近眼になった。子供のころからアレルギーだった僕だが、花粉にだけは強いと思っていた。それも昨年からくつがえされた。

次は何において、僕の肉体はくつがえされるのだろう?


 2001.0326(月) NifTermの設定

朝4時起床。オンラインショップの受注をこなし、eメイルを数十通、書く。

@niftyの自動巡回ソフト NifTerm は、今まで年間900円のシェアウェアだった。これが、4月1日以降も有効な登録番号を持っていれば、無期限で使えることになった。

というわけで、会社の あちら こちら からコンピュータを集め、計8人分の "NifTerm" を期限制限解除版にヴァージョンアップする。今週中に、あと6人分のコンピュータを、新ヴァージョンに移行させる。

昼食はラーメンふじやの タンメンバター。タンメンにバターを載せるなどという特別注文をするから、ますます体に脂が溜まる。

午後はオレンジジュースを飲みながら、ゆるゆると仕事をする。

閉店後は、おばあちゃんと僕のために風呂の用意をする。夜7時30分から 本酒会。本日の出席者はそれほど多くなく、14名 に留まった。

僕はしょっぱなの、岩手県稗貫郡石鳥谷町の宝峰という蔵による 「南部杜氏手づくり大吟醸」 に好感を持つ。以降の9本は、花粉症のために鼻が詰まり、まったく香りを聞くことが出来なかった。

面白いことに鼻が利かなくなると、すべての酒は美味くなる。美味くなるというよりは 「これはさぞかし、美味い酒なんだろうなぁ」 と想像される味のみを、舌に感じるようになる。

普段、僕は本酒会からは、9時早々に引き上げる。今夜は不覚にも、会場の蕎麦屋やぶ定の座敷で眠ってしまった。目を覚ますと11時15分。むりやり自分の体を座布団から引き剥がし、帰路に就く。

11時30分に帰宅する。宇都宮にある中村装備の自宅へ、電話をするよう書きおきがある。中村装備とは、購入を予定している4台の事務机について、明日、最終打ち合わせをすることになっている会社だ。しかし既にして、よその家に電話のできる時間ではない。

ビールを270cc飲み、0時30分に就寝する。


 2001.0325(日) 名入りのバケツ

布団の中で15分間ほどグズグズして、起きて時計を見ると3時20分。目が覚めたら即、起床すべきと反省をする。

事務室へ降りて、マイツール による1行1デイタのスケデュール管理ソフトを動かす。手元が狂って、最近の39行39デイタを紛失する。1年分のデイタをバックアップできるよう、マクロを組み直す。

7時40分ころから社員が出勤しはじめる。8時15分に開店。9時30分すぎ、客足が伸びてきたため営業車を店舗駐車場から他へ移す。

上海からオヤジの 「オフクロは、ABCに集荷の依頼をしたか?」 と、心配する電話がかかる。オフクロに訊くと、案の定、忘れている。本来ならばABCへは昨日、電話をしなくてはいけなかった。

ただでさえ インド人の旅行荷物のように大きなトランク だ。自分で空港まで運ぶことは不可能だ。

ABCへ電話をすると、録音テイプが 「日曜日は午前10時からの受付開始」 を告げる。それを待たずに検索エンジンを回す。ABCのペイジ がヒットする。10時を待たず、ここから直接、集荷の依頼を打ち込む。折り返しeメイルにて、予約確認書が届く。

お彼岸を過ぎて、お客様の数も徐々に増えてきた。午後5時15分に閉店。午後6時より 「市之蔵」 へ行く。

吉四六をオンザロックスにて飲む。名入りのアイスバケット は、かつてこの店で、こんなものまでキープしようとした酔っぱらいの置きみやげだろうか?

頼まなくても出てきたものは、甘エビジャコとオニオンスライスのサラダ

アオリイカ を注文し、自由人 を読む。その中の ウシダ・タダシ君による 「礼拝草稿」 を読む。酒を飲みながら 「礼拝草稿」 を読むなど、バチ当たりの限りだ。

友人から電話が入る。着信音の賛美歌380番が、高らかに飲み屋の中に響き渡る。バチ当たりの二乗だ。

今日はあまり、ゆっくりと酒を飲んではいられない。豆腐ステーキ を注文する。これは量の多い料理だけに、時間を気にしながら、あたふたと食べる。そこにまたまた、頼まなくても出てくる オデン が置かれる。

6時50分、すべてを食べつくして勘定を頼むと、これが2000円。毎度のことながら、安過ぎはしないか?

7時すこし前に春日町一丁目公民館まで歩き、役員会 に出席をする。3月31日に開かれる総会資料の点検をし、4月なかばの瀧尾神社例大祭についての諸々について、協議と確認をする。

8時30分に散会する。僕としては遅く、夜11時に就寝する。


 2001.0324(土) 留守番

僕の両親は 「80日ぶりに、中学校3年生の孫が寮から帰ってくるのだから、みんなで団らんをしよう」 というような性癖を、持ち合わせない。オヤジは数日前に上海へ行った。オフクロは数日後、パリへ行く。

もっとも肝心の長男もヒッチハイクへ出かけてしまったから、これはこれでちょうど良い。そして僕も、そういうドライな家族関係を好む。

anne@家内と5歳の次男は本日、鎌倉にある家内の実家へ行った。僕は数日後から、90歳のおばあちゃんと二人暮らしになる。

おばあちゃんは、自分だけの食事を自分で作り、ひとりで簡単に済ます。僕は文庫本を尻のポケットに入れて、飲み屋の 「和光」 へおもむく。

吉四六をオンザロックスで飲む。付き出しは ホタルイカの煮物

「僕、写真入りの日記、書いてるんですけど、料理の写真、撮っても良いですか?」
と断り、マカロニサラダ を撮影する。

鯛の粕漬け が焼き上がるまでのあいだ、しのぎとして 蕗のとうの煮物 が出る。 もう一品、なにか食べたい気持ちを我慢して、会計を頼む。

帰途、家内から電話が入る。長男を含む3名は、東静岡から11時間をかけて、夜8時に甲子園へ到着したそうだ。

サイパンで読み始めた

「鎌倉文士骨董奇譚」 青山二郎著 講談社文芸文庫 \940

をようやく、読了する。

僕は活字中毒者だが、最近はブラウザやメイリングリストで、活字への欲求が満たされてしまう。以前に比べて、読書量は極端に落ちた。


 2001.0323(金) 冒険準備学入門

自宅で食べる限り、朝飯は米の飯でないと気が済まない。メシ、豚汁、ナメコ入りスクランブルドエッグ、半自家製豆腐、ほうれん草とソーセージの炒め物

遊亀@長男はグレゴリーのサブアタックザックに、大した計算もせずに荷物を詰めた。そして入りきらないと見るや、またその一部を出した。旅にとって、装備を揃えることは重要かつ楽しい作業だ。長男は既にして、この楽しみをなおざりにしている。

「冒険準備学入門」 谷口正彦著 時事通信社 \980

これは、僕がもっとも好きな本のひとつだ。この本の中には、著者がこれまでにこなしてきたあまたの旅の 「準備部分」 のみが書かれている。冒険は

"plan(準備)" "do(実行)" "see(振り返り)"

の3つをこなしてこそ、すべてをしゃぶりつくしたことになる。

長男は午前11時過ぎに、東武日光線の快速に乗った。特急券や座席指定券を買うことは、我慢のならない行為らしい。夕方までに、東海道線の東静岡駅へ行くという。そして彼の地の友人宅へ1泊し、いよいよ明朝、甲子園へ向けてのヒッチハイクが始まる。

無限の時間を持つ人は無限の時間を、自分の血肉を増やすために費消すべきだ。

夕食は、オリーヴオイルとバルサミコを使った一見、和風っぽい酢の物ほうれん草のごま和えにがりを入れて自分で固める豆腐

「これ、本物のキンキかどうか怪しいよな」 と家内に話した干物には 目玉が無い
「安いよ、2枚で398円」

どうやらこの手の干物については、目玉のあるなしで、原材料の素性が占えるようだ。


 2001.0322(木) 無縁坂から、けやき坂

朝7時30分、思い立って甘木庵を出る。岩崎の屋敷を右手に見ながら 無縁坂 を降りる。不忍通りの一本裏道を北へ歩き、30分ほどで 根津 へ至る。

早朝から営業している蕎麦屋 鷹匠 に入る。漆喰の壁を持つ部屋 の、温められた床へ座る。窓の外には懐かしい木造建築が、廃屋 となって迫っている。

「あの、朝からお酒、飲んでも良いですか?」
「はい、それはもちろん」

ということで、鳥取県のお酒 「鷹勇」 を冷やで 注文する。突き出しは酒盗の青大根おろし和え。

鴨せいろ と共に、「鷹勇」 をお代わりする。1合でも済むところをお代わりする、このあたりが、僕のダメなところだ。上出来のそば湯を猪口で3杯も飲む。キリがないので、そこでやめておく。

帰路は根津から湯島まで地下鉄千代田線に乗り、切通坂 を上がって9時30分に甘木庵へ帰る。シャワーの後に朝寝。昼前の11時45分に目覚める。

午後から自由学園へ行く。今日は、生徒の父母が教師の1年間の労に感謝する 「感謝会」 が行われる日だ。けやき坂 を下り、女子部の食堂 へ行く。

女子部の食堂は、自由学園の中でも、僕が最も緊張を強いられる場所だ。これは在学当時から変わらない。この 上品な空間 に、あさ寝あさ酒あさ湯をしたバカ者がひとり、まぎれ込んでいる。

午後のお茶に添えられる チョコレイトケイキと梅ゼリー はもちろん、父母の手製によるものだ。両者とも大変に美味い。卓上には、遊亀@長男の同級生タグチ・ゲンイチロウ君の父母がお送りくださった、八丈島のフリージア が揺れている。

カンザワ・シンタロウ君の感謝の辞が秀抜。カンザワ君は僕よりも1年先輩だ。僕は在学当時から、優しくて粋なカンザワ君が好きだった。

感謝会は予定の時間を1時間過ぎて散会。化学のキンダイチ先生と国語のモトヤマ先生がご退任のため、少しくスピーチが延びた。

長男とは一緒に帰宅をするため、男子部の芝生にて待ち合わせていた。僕はヒッチハイクの計画書にサインをし、長男はそれを教師室へ納める。ヒッチハイクへは明日、出発をする。浅草でのんびりメシなど食べていると、家に着く時間が遅くなる。

夜7時浅草発のスペーシアに乗る。9時前に帰宅する。ビールを600ccほど飲んで、10時に就寝する。


 2001.0321(水) 夜の散歩

本日の朝飯5点セット は、メシ、薄切り豚とエノキダケと三つ葉の味噌汁、納豆、生玉子、蕗のとうのたまり漬。

1杯目のメシは 納豆 にて食べ、2杯目のメシは 生玉子と蕗のとうのたまり漬を撹拌 し、これをぶっかけて食う。

このぶっかけメシのアイディアは、ある掲示板で、東京のどこかに住む杏(あんず)という人から教えてもらったものだ。早速、商売用ウェブペイジの たまり漬を使ったメニュ へも登録をした。

毎年3月21日は、新入社員の初出社の日だ。今年は5名の若い社員を迎えた。8時15分から社内の一角にて全社員の顔合わせをする。

昼食は、昨夜オリーヴオイルで焼いた魚の、調理せずに取り置いた部分を あら炊き にしたもの。それに メシ、ジャガイモとタマネギと三つ葉の味噌汁、白菜の漬け物

午後4時発の東武日光線スペーシアに乗る。甘木庵の鍵とメガネ、ネクタイをザックに入れ忘れたことに気づく。浅草の松屋でネクタイを購入。

浅草から三越前を経て神保町へ行く。3月16日、PDNのオフで置き忘れた スカーフ を、矢野ビル4階の コンピュータリブ にて受け取る。この数年間、物をあちらこちらに置き忘れることが多い。

神保町から10分歩いて、竹橋のパレスサイドビルへ移動する。9階のアラスカに入る。

毎年3月20日は、自由学園の卒業式だ。翌日21日の夜は、卒業生の集まりである同学会へ新卒業生を迎え入れる 新卒業生歓迎会 が行われる。

先ずはヤノ先生の礼拝。礼拝とは、自分のダメさ加減を改めて認識させてくれる機会だ。そしてそのダメさ加減をどうにかしようと考えないところが、また僕のダメなところだ。

種々の報告や新卒業生の自己紹介に1時間30分ほどを要した。酒を飲んでいなくても、僕はこの時間になると非常に眠くなる。

8時30分に懇親会が始まる。シャンペンから白ワインへ移りながら、皿に食べ物を取る。アラスカの スモークトサーモン はいつも美味い。

大先輩、中先輩、後輩、新卒業生たちと歓談。同級生のセキグチ君に、本日購入した ネクタイ の写真を撮ってもらう。

9時30分に散会。22年前、僕が新卒業生としてこのアラスカのメシを食べた晩には、竹橋から甘木庵まで歩いて帰ったことを思い出す。

徒歩で竹橋から神保町へ。駿河台下には回らず、錦華通りから 男坂 を上がる。明治大学裏から 東京ドームホテルを望む神田川沿いの道 へ抜ける。遠回りをしながら50分間歩いて、10時30分、甘木庵に帰着。隠し場所から予備の鍵を出し、戸を開ける。

コンピュータには触らず、午後11時に就寝。


 2001.0320(火) 移動祝祭日

昨夜、寮で暮らす遊亀@長男の同級生の父親から、電話があった。長男をふくむ3人が、春休みのヒッチハイクを計画しているという。行き先は甲子園。現地でアルバイトもしたいらしい。当方の意見を聞きたいという。

電話の相手は、anne@家内がした。甲子園行きは賛成だが、ヒッチハイクには反対の旨を、述べている。

追いかけるようにして、長男から電話が入る。ヒッチハイクに反対する家内に、かなり論理的に食い下がっているらしい。家内は困り、僕に結論を出すよう促した。

僕は受話器を取るなり長男に、ヒッチハイクの許可を与えた。僕は子供のころから軽はずみな人間だ。特にこのような問題を考える際には、その性格が強く現れる。

輝ける冒険の計画が頓挫したとき、人は失望を味わう。そしてそのあとにやってくるのは、怠惰な日常だけだ。

僕は長男に 「死ぬな」 「法律は守れ」 「人に迷惑はかけるな」 と言った。

3番目については、僕は実はどうでもよいことだと考えている。人が生きていくということは、誰かに迷惑をかけているということだ。シャレになるかならないかの境界だけを、わきまえていれば良い。

長男の同級生の父親に、僕から電話を入れる。僕はヒッチハイクに賛成の旨を伝える。先方の父親は、実は既に自分のつてから、甲子園ちかくにある教会のゲストハウスを確保してくれていた。

先方の父親も、結論としては既に賛成をしているのだ。ただし賛成の意を彼の息子に与えるまでの経過を、大切にしているのだろう。親としては、当然のことだ。

若い者は得てして性急だ。「今」 のことしか考えない。彼らは今、まさに祝祭の中にいる。15歳の彼らの春休みが移動祝祭日になることを、僕は願っている。

夕食は イカのオリーヴオイル焼きエビとブロッコリーのオリーヴオイル焼きいつものトマトサラダ

北陸から届いた、名前も知らない 魚のオリーヴオイル焼き、煮詰めたバルサミコソースかけ。なんでもかんでもオリーヴオイル焼き。最後に 田舎パンとブリーチーズ

ワインは昨夜、3分の1ほど残した "Bourgogne Blanc" と、更に前から飲み残していた安い赤ワイン。

9時に就寝。


 2001.0319(月) 大抵のものを美味くする方法

スマートメディアを差し込み、コンピュータにデイタを転送する PCカードアダプターのケイス を破損した。机から落としただけで割れてしまう、華奢なモノだった。

しばらくは割れたケイスを輪ゴムで留めて持ち歩いていたが、いかにも使いづらい。旧市街から数キロメートル離れたショッピングモール 「プラグシティ」 まで、物色に出かける。

僕はデジタルカメラとPCカードアダプターを、同じ袋に入れて持ち歩く。固いケイスは、カメラのディスプレイを傷つける。

うまい具合に ゴム製のもの を発見した。ところが売価は527円。どうしてこんなものが、そんなに高いのか? ちなみに PCカードアダプター の価格は4980円だ。

最近は、モノの値段の相関関係が、よく分からない。デジタル屋よりもゴム屋の方が、よほど儲かりそうだ。

帰路、コジマへ寄り、IBM純正のテンキー を買う。8000円と高価だが、使い勝手とデザインが好きなので、仕方がない。数年前から今日まで使ってびくともしないテンキーは、これから社員の誰かが使うことになる。

夕食に、"Domaine Leflaive" の "Bourgogne Blanc 1987" を開ける。普段飲みには勿体ないと、少しずつ開栓して、残りは5本足らずになった。

このボトルに限ってのことなのかどうなのか、特有の光輝燦然としたハチミツの香りが消え、舌に強い苦みを感じさせるようになっている。早く飲んでしまった方が、良いかも知れない。

トマトサラダ生ハム鶏肉とグリーンアスパラとパプリカのソテ
鶏肉や魚に塩を振ってオリーヴオイルで焼き、バルサミコをかけ回せば、大抵のものは美味くなる。

ブリーチーズのフランスパン載せ に至って、ワインのビンをバキュバンにて密閉する。ゴーダ君のチョコレイト を肴にオールドパーを生で飲み、本日の夕食は完了。


 2001.0318(日) 子供と「本物」

久しぶりに晴天の日曜日。店舗の駐車場も、早々にお客様のクルマで埋まる

夕刻、5歳の次男が居間に僕のデジタルカメラを見つけて、大いに喜んだという。

僕はモノを、かなり大切に使う性癖がある。大切に使おうとするあまり、使用頻度が落ちたりする。つまり、使い込んで可愛がるのではなく、撫でて満足する猫かわいがりだ。

自分の道具を小さな子供に使われるのは、あまり良い気持ちのものではない。食べ物の油の付いた指でカメラのレンズを触られたりしたら、我慢がならない。

しかしまた子供とは、不思議なものだ。未だ赤ん坊の時期にさえ、オモチャの携帯電話やカメラにては、決して自らの知的欲求を満足させようとはしない。

というわけで、僕が仕事を終えて居間に戻ったら、僕のカメラの中には、次男の撮影した大量の画像が保存されていた。幼児は大人よりも、よほど澄んだ頭脳を持っている。デジタルカメラの使い方などは、たちどころに身につけてしまう。

子供が撮った数十枚の画像を調べていったら、その中に1枚だけ、まともに写っているものがあった。仏像と "Mac ? si" とウルトラマンが混在するグチャグチャの一角

1992年から渡り歩いた6台のモーバイルコンピュータと、昨年の大晦日に買ったデジタルカメラ "Fine Pix 4500" は、僕には珍しく惜しげもなく使い込んでいる道具だ。

"ThinkPad240X" と "Fine Pix 4500" は、果たして今年いっぱい、他のモノに買い換えられることなく、僕の手元にあるだろうか?


 2001.0317(土) 俳句×3

朝6時45分に甘木庵を出る。浅草松屋の地下入り口にあるショウウインドウの前では、いつも足を止める。面白い意匠を持つ お菓子屋の紙袋 に見入る。

特急スペーシアの中では、僕のpatioへ返信を書く。マイタイさん とeメイルのやりとりをしていている最中に、サイパンを思い出して俳句を3つ、作った。

  南国の 肌に憶えし 火照りかな
  読書灯 ふいに消えたる 熱帯夜
  壊れたる 蛇口の音に 目を凝らし

3句目には季語さえない。句会のメンバーである たまき の社長に、講評をしてもらいたいところだ。

朝10時前に帰社。僕の場合、帰宅と帰社とは、ほぼ同じことだ。午後になって墓参り。

夕食の膳に上がった 鰆(さわら)のみそ漬 が、尾の近くにもかかわらず美味い。anne@家内に訊くと、日本橋高島屋の 丸赤 で買ったもので、安くはなかったという。

そういえば学生時代、甘木庵から切り通し坂を下りた 湯島天神下の丸赤 で味噌汁用にアサリを買い、その高い値段に驚いた憶えがある。

夕食後、チョコレイトを食べる。遊亀@長男の同級生の父親で、自由学園の後輩であるゴーダ君にもらったものだ。お店の名前は "Sprungli" (本当は u の上にウムラウト)。所在地はチューリッヒ。

ゴーダ君は普段、チューリッヒに住んでいる。チョコレイトは、先日の父母会の様子をeメイルで報せてくれたお礼だと言う。お返しなど、してくれなくてもよいのに。

それにしても、箱のモダンなデザイン が素晴らしい。松露型のチョコレイトは、淡い表皮と濃厚な内部の二重構造を持つ。美味いチョコレイトを単体で食べてるのは勿体ない。すかさず "Maururu" の杯 にオールドパーを満たす。

僕にしては遅めの、夜11時に就寝。


 2001.0316(金) ひばりヶ丘、白金、神保町

自由学園の成績報告会へ行く。昼すぎ、西武池袋線のひばりヶ丘で、遊亀@長男の同級生の父親、ゴーダ君に会う。ゴーダ君は僕の3年後輩だ。一緒に歩く。

自由学園の正門を入ると、背筋がビィーンと伸びる。「真面目にしていなくちゃ、いけねぇぞ」 「おまえの品性とここの品性とは、違うんだからな」 との思いが、いつも頭をよぎる。

自由学園に通信簿は無い。体操館 に生徒が集まり、学年ごとに担当教師が個々の生徒について、講評を加える。生徒はみなお互いの成績を知る。またその場に出席している親たちも、例外ではない。

長男のクラスである中等科3年の成績報告会は、1時間30分ほどで終わった。

体操館から出てくる長男を待ち、春休みの予定についてただす。長男は同級生とふたりで甲子園へ行く。宿泊場所について訊くと、しっかりインターネットを使って下調べを済ませていた。

ひばりヶ丘へ向かいつつ、携帯電話でanne@家内に今日の様子を報告する。

ここしばらく ホームの改装を進めてきた南北線や三田線 に、興味があった。池袋から山手線で目黒へ出る。

庭園美術館を過ぎ、白金通りの "La Boheme" で、米茄子のグラタンや、ヤリイカとほうれん草のイカスミ和えを肴に、トスカーナの赤を300cc と、スプマンテを150cc飲む。

"La Boheme" の店内は、銀座旋風児の時代のキャバレーを、そのまま小さくしたような階層構造を持つ。床はビヤホールのようなタイル張り、天井には 狂王ルードヴィッヒ2世が好みそうなシャンデリア、バーコーナーにはアメリカ風のキッチュなネオン。

そして、元気の良い大声での歓迎や、インカムをつけた親切な店員は、居酒屋チェーンを思わせる。面白い店だ。料理も悪くない。

東京大学医科学研究所 の構内を横切り、白金台(しろかねだい)駅 へ行く。僕はボヤーッとしながら電車に乗り込むクセがある。地下鉄が走り出した途端、三田線ではなく、南北線に乗ってしまったことに気づく。

ひと駅となりの白金高輪(しろかねたかなわ) で、三田線に乗り換える。

夜6時30分すぎに、神保町の矢野ビルへ着く。4階まで階段 を上がる。コンピュータリブの マヒマヒ氏 へ声をかけ、となりのアトリエに入る。

自由学園卒業生のメイリングリスト PDN(Primary Dougakunotomo Network)のオフ では、いつもどおり、オンラインと現実との間をジグザグに縫い上げていく会話が、活発に行き交う。

オフは9時過ぎに散会。大江戸線は完成したのに、いまだに なにかの工事 が続く本郷三丁目付近を歩き、甘木庵に帰着。

画像の処理をしようとして、昼間、自由学園で撮影したものがすべて消去されていることに気づく。64MBのスマートメディアを装備していながら、頻繁に不要な画像を削除する、僕のケチな性分が原因だ。以降、気をつけよう。


 2001.0315(木) 床屋と蕎麦屋

十何歳も年下の友人チョーヤさんは、坊主頭の持ち主だ。髪に寝癖のつきだしたときが、床屋へ行くタイミングだと言う。僕も朝8時すぎから加藤床屋へ行く。バリカンではなく、ハサミを使った高級坊主にする。

今日から幼稚園は、昼食前の解散となるらしい。雨がパラリと降ってきたので、anne@家内とクルマで次男を迎えに行く。親子3人でクルマに乗るわけは、昼食にある。anneが蕎麦を食べたくてならないと言う。

いま読んでいる 「半ズボンをはいた播磨屋」 中村吉右衛門著 PHP文庫 \590 に、やたらと蕎麦についてのことが出てくるらしい。

旧市街から日光方面へ向かい、杉並木の中の報徳庵 へ行く。報徳庵の建物は、二宮金次郎が 「農家の建物はこうあるべき」 と推奨した、報徳仕法農家と呼ばれるものだ。

店内に入り五合蕎麦をひとつ天ぷらをひとつ、注文する。

五合蕎麦は五合のそば粉を用いて打った蕎麦が、直径40Cmほどのザルに広がっている。僕はよく冷えたこれを、10回ほども休みなしに口へ運び続けた。

少し落ち着いて、天ぷらをかじり、つゆに薬味を入れ、食べる速度を落とす。大人ふたりと5歳の子供は、五合の蕎麦を、瞬く間に食べ尽くした。

午後は カトーノさん と一緒にコンピュータの整備。作業が夜8時まで延びたため、夕食を一緒にとることにする。

市之蔵へ行くと、奥で宴会をしている人たちの中から、本酒会のコバヤシさん が現れる。彼が属している陶芸の会の集まりだそうだ。

頼まなくても出てくるものは、タコブツと白子

チゲ鍋 に、カトーノさんが食べたロールキャベツのスープの残余と、モロキュウで使い切れなかったチゲ味噌を投入する。

10時少し前に帰宅。寝酒のビールは飲まず、10時30分に就寝。


 2001.0314(水) 文章の在庫

3時30分に起床。いつもなら事務所でeメイルの返信を書くところだ。しかし次男を寝室に置き去るわけにはいかない。自宅居間の机でコンピュータを使う。

品質保持期限の切れた義理チョコを食べながら、ドライシェリーを飲む

次男は昨夜8時に就寝したため、6時30分に目を覚ました。朝食を済ませサンドウィッチの弁当を持たせて、午前8時30分に、徒歩で幼稚園まで送る。

最近、法人ペイジ よりも、この 清閑PERSONAL へのアクセスが多い。喜んで良いものかどうなのか。

法人のペイジも、「我が社の最新予定」 などというコンテンツを作れば、"Last Updated" の日付は新しくなるだろう。よそのペイジの最終更新日が1ヶ月前だったりすると 「ダメだな」 などと感じるくせをして、自社のペイジの、トップ以外の更新がままならない。

更新といえば、清閑PERSONAL"BANYAN BAR" "MY FAVORITE" "GOURMET" への最新6つの文章 は、数ヶ月前から書き溜めておいたものだ。つまり文章の在庫。それも3月1日で底をついた。

新しく、街歩きに出かけるときがきた。


 2001.0313(火) ふたり暮らし

ゆえあってanne@家内が2日間ほど留守にしている。その間、僕は5歳の次男とふたり暮らしだ。

20年ほど前、甘木庵に暮らしているころは、自炊が好きだった。いまはその気も起こらない。4時に起床し、コンビニエンスストアへ行く。朝飯と、次男の弁当にするサンドウィッチを調達する。

次男を幼稚園まで送る。土の上の雪 は、容易に融けない。

その足で宇都宮へ向かう。積雪と事故のため、どこもかしこも渋滞だらけだ。お得意さんに、到着が少し遅れるむねの電話を入れる。他の取引先にも、同様の報せをする。

帰路、たまき へ寄る。両側にロウソク立てを備えた、まるで青銅製の鼎(かなえ)のような造形を持つ、織部の花器が目に留まる。置き場所の確保に手間取ることは必定だ。

気に入ったものがあっても、置き場所を思って買わない。これは昔からのことだ。クルマは車庫があれば置ける。ワインは保冷庫があれば置ける。花器については、そうもいかない。

友人のお父さんの訃報を、i-mailが同報で伝えてくる。この晴天の下で、お葬式の準備をする友人を想う。献花を申し出る。

午後、本酒会のヤギサワさんからeメイルが届く。送られてきた本酒会報の封筒の中に、コジマ電気の高額の領収書が入っているという。

先日コジマデンキから、社員用のThinkPad1200を購入した。その際、領収書の紛失を避けるために、それを入れて持ち帰るための封筒を、わざわざ持参したいきさつがある。その領収書入りの封筒が帰社後、未使用の封筒にまぎれ混み、やがて本酒会報の送付に使われた、ということだ。

僕は子供のころには万事、几帳面だった。いまではこのていたらくだ。

夕刻、家でドライシェリーを1杯。近所の洋食屋である金長(かねちょう)へ行く。次男はカレーライス、僕はステーキと赤ワインを2杯。

帰宅し、次男と入浴をして、午後8時に就寝。


 2001.0312(月) 笹乃雪

午後から牡丹雪が風に舞い始めた。そのまま収束するかと思った。夕刻にいたって雪は、その勢いを増し始めた。

市之蔵へ行く。いつもは焼酎のオンザロックスを飲むが、さすがに 「氷をください」 とは言えない。「お湯をください」 と頼む。

「本日のおすすめ」 の黒板をながめて 「えぇっと、ロールキャベツ」 と言うと 「いいわよそれ、いまよそっているから」 と、返事が戻る。小エビと三つ葉のかき揚げが出てくる。忙しく酒を飲む。

忙しく酒を飲んでいるうちに、玉子サラダと肉じゃがが出てくる。今夜は 「頼まなくても出てくるもの」 の行列だ。

この店にカメラを持参すること数度、やっと アンザイ畳屋のオヤジ の撮影に成功する。

昭和20年代の後期、歌舞伎座の裏手、木挽町の修業先から杉並区の得意先まで自転車で出張し、仕事上がりに酒をふるまわれて、そのまま家主である未亡人と同衾してしまった話が秀逸。

その後2、3の肴を注文して、勘定は2000円。

ガラリと戸を開けて外に出ると、降る雪はますます激しい。他家の笹の上に雪 が積もっている。鶯谷の豆腐料理屋を思い出した。


 2001.0311(日) 3軒のはしご

ウチの作業着のデザインは存外に、社外の人から褒められることが多い。なんのことはない、ユニクロの スエットハイネック のシャツに、何十年も前から使っている、図案化した陽明門をプリントしただけのものだ。

会社に置く予備の分とプレゼント用に、これを何枚か新調することにする。終業後、宇都宮の ユニクロ へ行く。スエット数枚とTシャツ数枚を購入する。もちろん、作業着分とプレゼント分は別勘定だ。

環状線をはさんではす向かいの XEBIO へそれを持ち込み、保存してある版下によるプリントを頼む。夏前には、ロゴ入りのポロシャツも、大量に作ることにする。

帰りに、同じ環状線沿いにある "FLYING GARDEN" に寄る。

サラダ@380円、ステーキ@980円ワイン500cc@480円スパゲティ@680円 で腹が一杯になる。

"FLYING GARDEN" は最繁忙時間にあわせた人員を揃えていないため、客が帰った後のテイブルの後かたづけに手間取り、入り口付近にウェイティングの客が溜まっていた。仕方のないことだろう。

9時すぎに帰宅。風呂の中で1度、寝てしまう。午後10時に就寝。


 2001.0310(土) 初めてのふたり組

大崎のMG会場 では今日から2日間、東京MG が開かれている。急きょ、昼食時間を狙って日光MGのちらしを持参することにする。

anne@家内が 「次男を連れていってくれれば、私は仕事が出来る」 と言うので、5歳の次男@佐基が生まれて初めて、僕は彼とふたりだけで小旅行をすることになる。

朝9時36分、下今市発の特急スペーシアに乗る。次男は長男とは異なり、ノーブルなこらえ性に欠ける。出発して15分ほどで 「まだ東京には着かないのか?」 という、いつものフレイズが出る。

北千住から千代田線で西日暮里へ。そこから山手線の外回りで大崎へ。上野から、山手線の車内は混み合ってくる。

次男が 「人がたくさん乗ってくると、不便だ」 と言う。一理ある。人が多いと、車窓から外の景色も眺められない。

大崎駅前のコンビニエンスストアで、昼食を調達する。

MG会場へ入ると、まだ第1期の決算が終わっていなかった。やがて昼食。MG第1日目の昼のスピーチ 「なぜ来たか?」 が始まる。48人という多めの出席者がスピーチを終えるまでに小一時間かかる。

最後に僕にマイクが渡され、出席者のみなさんに、1月に引き続き4月に行われる日光MGのお知らせをする。

西順一郎先生はじめ、周囲の方々に挨拶をし、会場を出る。大人のスピーチに飽き飽きしてむずかっていた次男は、とたんに元気を取り戻してスキップをする。

新橋から地下鉄で日本橋へ。地下道を歩いている最中に、次男はすでに 「ディズニーストアへ行こう」 と提案をする。「ディズニーシャトルで簡単に行けるよ」 などと、大した記憶力を発揮する。

ディズニーストアで、オモチャをひとつ購入。地下1階へ降りる。

高島屋での販売の際には、店の前に大量のお客を滞留させて迷惑をかけている、フルーツパーラーのレモンへ行く。次男は 100ccほどのグラス3杯に分けられたスイカのジュース。大きなグラスでは飲みきれないとの、店側の配慮だろうか?

僕はドリアンカットを頼んだが、これが品切れ。パパイヤアイスクリームシェイク を注文する。このレモンという店、こういうご時世にハイプライスでも客が集められるという、格好の見本だ。

今日は午後7時から、春日町1丁目の役員会が開かれる。早く帰宅して早く夕食をとる必要がある。

野呂食品の黒豆納豆 \550
西利の塩らっきょう \600
ブリーサンノベア \850
田村長のカマスの干物、サバ一汐、焼きアナゴ \2,290
ペックのパルマ産プロシュートクルード \800


を購入。

地下鉄銀座線で浅草へ移動し、少し散歩をして午後4時、浅草発の特急スペーシアに乗る。午後6時前に帰宅。

夕食には黒豆納豆と塩らっきょう、それにサバ一汐で冷酒を飲んだため、役員会ではときおり居眠りをする。

会がはねた後は、洋食屋の金長で食事が出るという。僕は 「聞いてないよ」 という感じ。みなにつきあい、しかしカツライスは食べずに酒だけを飲む。

午後11時に就寝。


 2001.0309(金) 回り番

夜7時30分より春日町公民館にて、春日町一丁目青年会と育成会の合同総会 が開かれる。

これまで何十年も、町内の役員は少数の有志によって維持されてきた。いくつもの役職を、長年にわたって務めている人も少なくない。

少数が大きな負担を担うのではなく、多くの人が仕事を分担する町内会。より公平で、多くの人の顔が見わたせる町内会活動。2001年度からはこれを目指すべく、以前から根回しが行われてきた。

本日、育成会活動においては、自分の子供が小学校6年生と中学校3年生に達した親は、なにがしかの係を引き受けることに決まった。

同時に任期2年の青年会長と育成会長が、次の人に引き継がれた。

育成会長を2期4年務めた僕にとっても、今般のシステムは大いなる福音だ。


 2001.0308(木) 海上の雪

朝5時に起床。いまや何の心配もなくなったeメイルの送受信とウェブペイジの更新、それからpatioの巡回を行う。

旅行に行かなかった社員へのお土産が、僕のケイスに入りきらない。バッグに余裕のある社員に頼み、これを振り分ける。

朝食の後、9時45分からホテル北ウイングの ひょうたん型プール へ行く。昨日に続き、青山二郎の 「鎌倉文士骨董奇譚」 を読む。

暑さに耐えきれなくなるとプールへ飛び込み、水深2.5m付近を潜水で泳ぎ、シャワーを浴びて再び本を読む。これを数回、繰り返す。

11時に部屋へ戻り、持ち物チェックをして、11時45分にロビーへ降りる。

手持ちの現金は50ドル余りあるが、電話代が心配だ。添乗員のトバヤシさんが持っているカードで精算をしてもらったら、これがなんと、たったの9ドル。日本への2分の電話が6ドル。ローカルコールは接続時間に関係なく、すべて1回あたり50セントだった。

昼食は、ビーチロードの 明苑海鮮酒家で飲茶。シェイドの隙間から差し込む細い外光さえ、目にまぶしい。免税店やスーパーマーケットで最後のドルを使い、空港へ向かう。

ボーディングカードを受け取り、手荷物検査場 へ進む。僕のショルダーバッグの中身は綿密に調べられた。丸い紙でバッグの外側をふき取り、ionなんとかinstrumentという機械にセットし、何かを読みとっている。

次にコンピュータを出せと言われ、また丸い紙で表面をなぞる。アラームが鳴ったとかで、こんどはコンピュータの起動を命じられる。デジタルカメラも携帯電話も、電源を入れるよう言われる。

すべてが正常に起動することを確認し、10分ほどで放免された。

サイパン空港にチェックインしてしまうと、喫煙可能な場所は、紫色のプラスティックで一般客と仕切られたビヤホールに限られる。僕は喫煙はしないが、ニコチン中毒者の気持ちは理解できる。

僕の手持ちの現金は、350円と75セントだ。製造担当のマキシマ君に18ドルを借り、他のメンバーからも小銭を募る。ひとりあたり4ドルを支払い、飲物をひとつもらって席に着く。この喫煙部屋から出たときには、他の社員の姿はロビーから消えていた。

狭い空港にしては長い通路を歩き、ノースウエスト機に乗り込む。ラグーンを見下ろしながら機は北北西に進路をとる。

自分のpatioに遅れがちな返信を書き、簡素な機内食 を食べ、ふたたびeメイルを書く。飛行機の中でのメシは、このくらい素っ気ない方が有り難い。

あっという間に九十九里浜の上空に達する。機外のランプに、激しい勢いで前から後ろへ飛んでいく雪が見える。街の明かりがみるみる近づいてくる。

午後7時20分に無事着陸。バスにて10時30分に帰社。入浴し、ビールを飲み、午前0時30分に就寝する。


 2001.0307(水) 形だけのカモメ

朝5時に起床。本来ならばサイパンに着いて即、試さなくてはいけなかったGRICへのアクセスを行う。

1.2月22日に、もっちゃんの会社で行ったGRICの試運転。
2.たまたま検索エンジンにヒットした掲示板を経由しての、モーバイルダイヴァー林ケイジュ氏の情報。
3.添乗員トバヤシさんの 「ゆっくりダイヤルしないと」 というひとこと。

この三者から、ダイヤルアップネットワークのダイヤラーに、外線発信番号も含めて9,6,8,2,9,3,6,7 という数字を入れる。ユーザー名とパスワードを保存場所からペイストし、接続ボタンをクリックする。

モデムは正常に作動してサイパンのアクセスポイントを呼び出す。パスワード確認の後、当方のコンピュータはあっけなく、GRICに繋がった

Beckey!によるメイルの送受信、niftermの巡回、ウェブペイジの更新とブラウジングを同時に行う。

モデュラージャックを外し、コンピュータをベッドの上からライティングデスクへ移す。オンラインショップからの受注を処理し、会社のpatioにペイストする。数通のeメイルを書く。それを再び送る。

8時30分、ヴェランダからフィリピン海を臨みつつ 朝食へ向かうころには、ひと仕事おえた気分だった。

午前中は 船遊び。船底のガラスから、サンゴや第二次世界大戦の残骸を見る。1/5ほどの乗客が船酔いをし、デッキに上がって行った。

ホテルへ戻って昼食の後は自由時間となる。4Kmほど離れたマニャガハ島へバナナボートで渡る者、レンタカーでドライヴをする者、買い物へ行く者などに分かれる。僕は午後1時30分、スカイダイヴィング会社のクルマにホテルからピックアップされる。

スカイダイヴィングは初めての経験だ。車内にて免責同意書に書き込みを行う。「危険を承知で参加していることに同意しますか?」 などの質問を斜め読みしながらチェックを入れる。「高血圧と言われたことはありますか?」 という質問には 「いいえ」 とウソを書く。

やがてクルマは 芝生の降下場 へ着く。チャモロ人の運転手が空を見上げ、「オチタ」 と言う。上方に目を凝らすと、砂粒ほどの落下物が見える。やがてそれは 徐々に大きくなり、15分ほどして芝生の上に着地した。

我々が乗ってきたクルマには、いましがた降下を終えた3人の客が乗る。別のクルマに僕と3人の学生、空から降りてきた4人のインストラクターと3人のカメラマンの計11人が乗り込み、空港へ向かう。

オーストラリアなまりのインストラクターに 「1日に何本をこなすのか?」 と訊くと、「最高で8本」 との答えが返ってきた。「今日はこれで5本目だ。もう疲れて力が入らない」 と、こちらを笑わせる。

飛行場に隣接する格納庫の事務所にて、ヴィデオを見ながら簡単な説明を受ける。すべての持ち物を事務所へ預ける。ジャンプスーツとハーネスを身につけ、双発のプロペラ機に向かう。インストラクターのひとりが、飛び出しと着地の姿勢を身振りで示す。

準備運動もしないまま、4人の客と4人のインストラクター、それに3人のカメラマンが、ドアのない飛行機へ乗り込む。銀色の飛行機はやがて軽々と離陸し、あっという間に高度を上げていく。

1番前の席についた僕は、4人の中で最後の降下となる。インストラクターとハーネスによって繋がれ、飛行機の開口部に進む。眼下には緑濃い森と、水色の環礁が見える。

カメラマンは機外の取っ手にしがみつき、空気の抵抗に青いポロシャツをバタつかせている。ヘルメットに内蔵されたSONYのヴィデオを当方へ向け 「笑え」 と言う。僕は感受性の鈍い人間ゆえ、平気で笑いかえす

「1、2、3」 の合図とともに、空へ向かって飛び出す。インストラクターの手さばきにより、体が地上を向いたり、あるいはゼニス・ブルーの空を向いたり、クルクルと回転する。気がつくと、カメラマンが僕の正面へ来て笑っている。

しばらくはパラシュートを開かず、自由降下を続ける。落ちているでもなし、飛んでいるでもなし、不思議な感覚だ。僕は形だけジョナサンになった。ゴーグルが風圧によって徐々にせり上がる。パラシュートが開いたとたん、カメラマンは下方へ去った。

ゆっくりと降りながら、背後のインストラクターが 「あそこがティニアン島」 「あそこがゴルフ場」 「あれは植物園」 などと説明をしてくれる。

サイパン島の真ん中に、石灰岩を掘り出しているような山が見える。「コンクリートの山か?」 と訊くと 「とにかく何かの工場だ」 と、いいかげんな答えが返る。

見覚えのある降下場が近づいてくる。地上10mほどに達したところで脚を上げ、無事に着地をする。カメラマンがカメラを構え、ガムを噛みながら笑って当方に近づいてくる。

修了証 を受け取り、一緒に飛んだ3人の学生とインストラクターとの集合写真を撮る。学生のひとりは、空中で右の靴を紛失した。もうひとりの学生は、芝生に胃の中の物を吐いている。

午後3時30分にホテルへ戻る。プールサイド で青山二郎の 「鎌倉文士骨董奇譚」 を読む。泳いで本を読んで、そのまま5時すぎまでデッキチェアに留まる。

夕食は 「楽園」 にて、アメリカ西海岸で食べるものと同じ 薄味の焼き肉 を食べる。一体に、サイパンの食料価格は高い。冷麺が2000円ちかくもした。

みなは三々五々、分かれてそれぞれ目的の場所へ行く。僕は "Hard Rock Cafe" のi-Macにて、友人の掲示板にローマ字で書き込みをする。

スケベマッサージの客引きやクスリの売人をかわしながら歩いてホテルへ帰り、10時30分に就寝する。


 2001.0306(火) 南の匂い

成田全日空ホテルにて、朝4時30分に起床。顧客あてに2通、自由学園のメイリングリストに1通、patioに大量のeメイルを書く。

朝食後、フロントの金庫に預けた17名分のパスポートを出す。外に空港へのバスが停まった。大切なパスポートを持ってバスに乗る。

「金塊でも入ってるんですか? ずいぶん重いですね」 と言いながら、製造担当のフクダナオちゃんが ThinkPad240X入りのショルダーバッグを持ってきてくれる。何かを持てば何かを置き忘れる。悪いクセだ。

空港内の本屋にて、エド・マクベインの "The Last Dance" を買い、時間をつぶす。

午前10時35分発のノースウエスト機では、なぜか僕に ビジネスクラス の席があてがわれる。背もたれを倒し、脚のせを出すと、ほとんどデッキチェアのようになる。つま先を延ばしても、前の席までは数十Cmの余裕がある。これは快適だ。

2時間40分も飛ぶと、左手に リーフ が見えてきた。無事に着陸し、ラジオで音楽番組がバンバン流れる バス で街へ向かう。

バスを降りて第一ホテルの前に立つと、僕の好きな南の匂いに包まれた。この匂いをどう説明したら良いか、僕はそのすべを知らない。部屋の中にも、別の南の匂いが漂っている。ひんやりした部屋に、樟脳のような消毒液の匂い。この匂いも大好きだ。

ホテルのプール からフィリピン海のプライヴェイトビーチへ出て少し泳ぐ。

沖で海底に足を着くと同時に、チクリとした痛みを感じる。海から上がると、右親指の付け根にケガをしている。岩かリーフか貝殻か、あるいはガラス片を踏みつけたらしい。プールのシャワーで洗い、部屋に戻る。

キズは長さ7mmほどのものだが、深くて血が止まらない。バスルームで止血に悪戦苦闘する。メンソレータムを塗り、バンドエイドを3枚重ねるが、吹き出す血でバンドエイドは瞬く間に赤く染まる。

心配になり、フロントへ電話をする。このホテルに医務室はないと言う。とりあえずフロントまで降りる。ロビーの藤椅子に座り、ホテルの人の治療に任せる。消毒液をキズにかけながら、脱脂綿で血を綺麗にふき取ること数度。出血も収まったようだ。有り難い。

海にほど近いレストランで、ショウ を見ながら ヴァイキング形式の夕食 をとる。バンドのリーダーはサーヴィス精神に富み、踊り手はみな楽しそうに仕事をこなす。

30分もすると満腹になるが、ショウの楽しさのためにずっと居残る。ボトルで注文したワインも豊富だ。1時間15分ほどで散会。

上出来の添乗員トバヤシさんと社員の皆につきあい、免税店へ行く。建物も各お店の作りも、香港九龍半島西側の免税店よりはるかに優れている。できて間もないのだろうか。

今日の午後、スカイダイヴィングの申し込みに259ドルを使ったら、持ち金が半分になった。シャツ2枚を買ってカードを出すと、売場のオバチャンに 「これは期限切れですね」 と言われる。

アメックスから届いた新しいカードは、会社の仕事机の中ある。他のクレジットカードは不要と考え、わざわざ家に置いてきた。僕のすることは、大体こんなものだ。米語ではこういう人間を評して "sophisticated" というらしい。残金は76ドルになる。

お台場のショッピングモール のような通路を抜けると "HardRock Cafe" があり、複数台のi-Macが並んでいた。自社のウェブペイジがどう見えるかを確認し、また友人が主催する掲示板にローマ字で書き込みをしたりする。

日本よりも1時間針を進めた現地時間で11時30分に就寝する。


 2001.0305(月) 空母とゼロ戦

明日からサイパンへ行く。江戸川区のもっちゃんの事務所でGRICの設定をし、ひょうたん屋でウナギを食べ、"GOOD TIME" でロブロイを飲む。こういう次期繰り越しはしたが、肝心の荷物については、なんの準備もしていない。

マイツールに保存してある 「旅の荷物」 をプリントアウトし、諸々を揃える。下着と靴下、Tシャツ3枚と半ズボンだけでも、結構な量になる。

若いころ、ひとりで旅をしていたときには、ザックを背負っていた。荷物の量は、僕にとっての限界まで削った。歯ブラシの柄を短く切りおとすことさえした。

いまでは入れ物も車輪つきのトランクになり、荷物のチェックも甘くなった。僕も堕落したものだ。

午後5時30分に閉店。社員は休憩所で着替えを済ませ、5時50分に バスにて会社を出発 する。今回の旅行参加者は、僕も含めて17名だ。バスの中で14通のメイルを、niftyのpatioに書く。

午後9時に、成田の全日空ホテルに着く。オリエンテイションを済ませ、各自が部屋に入る。niftyのpatioにメイルを1通書く。部屋の電話を通じて、Beckey!とniftermを回す。

自由学園で7年先輩の オノさん は、在学中はラヂオ小僧、いまでは屈強のモーバイルオヤヂだ。

自由学園の 「男子部遠足50周年」 を記念する上高地での催し には、なんとTV型のディスプレイまで持ち込んだ。

オノさんが海外に持参する数十キロのモーバイル装備を空母とすれば、僕の道具 はゼロ戦のようなものだ。

マルディヴ共和国からもサクサク通信をしてくる "Mobile Diver" の林ケイジュさんは 「しかしサイパンだけは、難物だ」 と言う。ウチの無線LANを設定した "FSE" のシバタさんは 「サイパンは、IT鎖国って感じですよね」 と言う。

僕にオノさんのような根性は無い。この日記も、数日間は途絶する可能性が高い。


 2001.0304(日) 昼酒

甘木庵にて午前5時に目覚める。ちょうど良い時間だ。シャワーを浴び、少々のレスポンスをpatioに書く。7時すこしまえに浅草へ着き、地下道の会津屋でベイコンエッグ定食を食べる。

9時20分に帰社すると、11時すぎのJRで見えるはずだった アキオちゃん、nobさん、おにやんまさん、東宮さん が、すでに事務室の中にいらっしゃる。とても驚く。

MUG の関東総会が昨日、宇都宮のロマンチック村で行われたそうだ。ロマンチック村から今市市への移動は、バスと鉄道を使うよりもクルマに頼る方が合理的だ。地元の東宮さんが、自家用車で送ってくださったそうだ。

僕のマイツールの中身をお見せし、オンラインショップ の諸々をお見せし、愛用のブラウザ NetCaptor をお見せする。

東宮さんには、いままで不可能と考えてきたウチ独特の複雑な発送伝票を、マイツールから発行するためのヒントをいただく。

事務室から出て、製造現場へ。最も奥の味噌蔵から、店舗へ向かって完成に近くなっていく仕掛品を見ていただく。

昼食は ラーメンふじや へ。5人で、餃子6人前と野菜炒め2人前にて、燗酒を5本。聞くところによれば皆さん、昨日は餃子のまち宇都宮で3軒の餃子屋をはしごされたという。

そして今日も餃子。

アキオちゃんが 「餃子といえばビールと思っていましたけれど、燗酒も良いですね」
おにやんまさんは 「新潟では、ビールみたいな弱い酒を飲むと、叱られるんだ」

20世紀に日本中の鉄道を乗りつぶされたおにやんまさんは、21世紀にもう1度の乗りつぶしをされるため、JR日光線の終点である日光までいらっしゃるという。他の方は東宮さんの自家用車で、JR宇都宮駅へ。

午後2時ころ、イワモト春日町一丁目区長が、今週末の役員会について、知らせに見える。「なんだか目が眠そうじゃねぇけ?」 「いえオレ、昼から酒、飲んじゃったんですよ」

anne@家内が留守のため、3月1日に続き、5歳の次男とふたりで過ごす2日目の夜になる。次男はすでに、僕とふたりだけの行動に、痛痒を感じなくなっているようだ。


 2001.0303(土) 父母会

父母会のため、下今市駅9時36分発のスペーシアに乗る。下今市と浅草とのちょうど中間に、利根川を渡る鉄橋がある。この鉄橋までは、なんとかeメイル書きができていた。この鉄橋以降は睡眠。

午後2時すこし前、自由学園 に着く。正門からほど近い場所に、大きな タイサンボク がある。僕が25年以上も前に、ほとんど丸坊主になるまで剪定した木だ。

「調子に乗ってここまで刈ったが、枯れてしまうのではないか?」 と、当時は心配をした。しかしいまや、いささか葉の茂りすぎた巨木に成長している。

自分の手がけた樹木がいまでも残り、健康を保っている。これは嬉しいことだ。

記念講堂にて礼拝と全体会。その後に新東天寮の見学。

正門の外にあった清風寮(女子寮)は主に治安の問題から、正門内に新築されることになった。僕の在学中に新築された東天寮(男子寮)は、老朽化が進んだ。そこで2001年度からは、男子部の生徒が清風寮へ移り、これが新たな東天寮となる。

食堂 から徐々に階上へ上がり、いくつかの部屋を見る。長男にとっては、高等科1年生へ進級する春の、良い節目となるだろう。

新東天寮からグラウンドの端を歩いて、男子部体操館裏 から 男子部 へ至る。

父母会は、夕食のお弁当をはさんで、夜8時30分すぎに散会した。

本郷三丁目の駅を出ると、本屋の 文泉堂 が空っぽになっている。洋服屋、本屋ときて、次は飲食店だろうか?


 2001.0302(金) 春の雪

3月に入っての雪は、やはり 「春の雪」 と呼ばれるのだろうか? 朝の風景 は春にほど遠く、暗く静かだった。

店の駐車場の雪かきは、朝の1時間で、あらかた終了した。次第に晴れてくる。

本酒会のイチモト会長が、1月に行った 金沢旅行のイラスト を持ってきてくれた。いずれ 本酒会のペイジ に掲載されるだろう。

夜は土蔵の中で酒を飲むべく、市之蔵へ行く。

まずは ホタルイカ。ホタルイカ漁は昨日が解禁で、生のホタルイカには1尾120円の値がついたそうだ。僕は生のものよりも、むしろ茹でたものを好む。

頼まなくても出てくるものは、小さな蒸しジャガイモの油炒めと、金目鯛の煮付け。

揚げ出し豆腐、冷やしトマトと進み、締めは湯豆腐。あえて 肉も魚も入らない湯豆腐 を作ってもらう。

「キューポラのある街」 で、東野英治郎が演じた鋳物工の石黒辰五郎は、晩酌のときに湯豆腐を見て 「タラが入ると、美味いんだがなぁ」 と、つぶやくという。

「もっとも好きな映画は?」 と訊かれて 「キューポラのある街」 と答える僕も、このシーンに記憶はない。

それにしても朝鮮に渡ったサンキチは、その後、どうなったのだろう?

帰り道に雪は、ほとんどなかった。


 2001.0301(木) ちぐはぐ

3月4日までに、ウチの会社に沿った車道の砂取りをし、雪かき道具 を洗って片づけようと、考えていた。

醸造会社とはどこでも、広い敷地を持っている。当然、その敷地に接する車道も長くなる。自動車のタイヤにスパイクが許されていたときには、この粉塵が春先には多く、車道の両側に堆積していた。

スパイクタイヤが禁止になってからは、降雪時に役所から依頼された建設会社が道路に砂を撒く。そしてその砂は当然、車道の両側に堆積する。

春先の道路掃除は、スパイクタイヤの有無に関わらず、必須の仕事だ。

ところが今朝は、弱い雨が降っていた。雨が降ると砂は重くなり、掃除は困難になる。本日の作業は見送り。

それではと、雪かき道具の整理をしようと考えた。ところが弱い雨は、午後から みぞれ に変わった。明日には雪かきの道具が、ふたたび必要になるやも知れない。

ウチに届け物にみえた近所の奥さんが 「今日は冷え込みますねぇ」 と言う。
「そうですか?」 と答える。

お茶を飲むため店内に入ってきたバスの運転手さんが 「寒いですねぇ」 と言う。
「そうですね」 と話を合わせる。

本酒会のイチモト会長が 「さっむいなぁ」 と言いながら、ガラス戸を開けて入ってくる。
「おれ、わかんないんすよね」 と、返す。

僕は暑さ寒さの分からない人間だ。日本的でないこと、この上ない。