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清閑 PERSONAL DIARY

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2018.6.23(土) タイ日記(3日目)

きのうは2時42分に目が覚めた。今朝は何と、1時34分の目覚めである。今日はバンコクMGの1日目で、昼寝をしている閑などあろうはずが無い。夜まで目を開いていることができるだろうか。

南の国では、日本のように、季節によって日の出や日の入りの時間が大きく変わることがない。空はおおむね、朝の6時ごろに明るくなってくる。5階の部屋より7階のプールの方が眺めが良かろうと考えエレベータに乗る。プールサイドから階段を伝って更にその上まで昇ると、しかし建物の構造上、東の空は望めなかった。

08:10 ホテルを出てトンローのパクソイ、つまりトンローの大通りの入口を目指す
08:30 トンローsoi9で赤バスを降りる。
08:35 トンローsoi12に飲物屋台を見つけ、ここでアイスコーヒーを飲みつつ時間を調整する。タイのアイスコーヒーは「レック」と小さいカップを頼んでも、僕には大きく感じられてならない
08:50 開場を待ちきれず、トンローsoi10にあるメジャータワーのロビーに入る。
09:00 相次いで到着した参加者の中にカードキーを持つ人がいた。皆でエレベータに乗り、10階で降りる

バンコクMGは、僕のように日本から来る者もいれば、現地から参加をする人たちもいる。「なぜ来たか」の理由は勿論、人により異なる。現地から参加の人たちの中には、異国で裸一貫から起業をした人もいれば、本社から大きな期待とともに送り出され、孤軍奮闘をしている人もいる。MGは、日本でしても、海外でしても、極めて刺激的な勉強である。

資本金300円の会社を各自が与えられ、2日間で5期分の経営を盤上に展開するMGの、タナカタカシさんのインストラクションによる第1期はルール説明。僕としては珍しく「ころがり計算」の用紙やマトリックス決算書に赤ペンで結構な文字数のメモを残す。第2期の成績は、損益分岐点比率124パーセントで自己資本は247円第3期は損益分岐点比率130パーセントで自己資本は179円

「明日は東京に出て行くからは、何が何でも勝たねばならぬ」といったところだが「空に灯がつく通天閣に、おれの闘志がまた燃える」となるかどうか。「なるかどうか」などと呑気に構えているところが、僕の最大の欠点である。

バンコクMGの交流会は1日目の夜、そして2日目の夜と、2回ある。今夜のそれは遠慮をして、ひとりトンローのsoi10を去る。MGは”spartan”な研修だ。そして今朝の起床は1時34分だった。しかし疲れは感じていない。トンローのパクソイまでの1キロほどを、今日は赤バスに乗らずに歩き通す

きのうのオースワンは美味かった。今夜もそれを食べたい気分だ。「55ポーチャナー」には思いがけず、店の外にもテーブルがあった。ウェートレスに声をかけて、そのステンレス製の席に着く。油の弾けるオースワンを肴にラオカーオのソーダ割りを飲む。スクムビット通りを突進するトゥクトゥクの排気ガスさえ香しい。メガネを取り出し、持参した文庫本を開く。至福の時間である。


朝飯 “ADELPGI FORTY-NINE”の朝のブッフェの目玉焼きとサラダクロワッサン、コーヒー
昼飯 MG会場のお弁当
晩飯 「55ポーチャナー」のオースワンラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


美味しい朝食のウェブログ集は、こちら。

2018.6.22(金) タイ日記(2日目)

気づくと枕元の灯りを点けたまま眠っていた。サイドボードに置かれた腕時計は2時42分を指している。バスローブに着替えているところからすれば、シャワーは浴びたようだ。寝室から主室に移ると、洗濯機が洗濯を完了している。昨夜の記憶には定かでないところがある。しかし部屋に戻ってからも、実はいろいろと、細々としたことをしたらしい。

持参した粉末スープを明け方に飲んだものの、6時を回ると空腹は耐えがたいほどになった。きのうフロントで手渡された食事券を見ると、朝食は5時30分から10時とある。よってそれまでのバスローブを服に着替えて1階に降りる。

9時2分にようやくきのうの日記を書き終える。「こんなに長い日記を誰が読むか」とは思うものの、書かずにはいられないのだ。その代わり、今日の日記は短くなるだろう。

9時35分、Patagoniaの青いバギーショーツの上に白いポロシャツを着て屋上のプールに上がる。屋上より更に高いところに留まった、少なくとも3種類の鳥が盛んに啼き交わしている。”Dusit Island Resort”の、中国人の客が来るとすかさず中国の音楽を流すプールよりも、耳への心地は格段に良い。鳥が多いのは、このあたりに点在する邸宅の緑陰のお陰だと思う。

プールの寝椅子に仰向けになって、3時間ほども本を読む。朝食を食べ過ぎたためか、腹が一向に減らない。昼食は抜くことにする。

午後はトンローのsoi7とsoi9のあいだにある、何度か使ったことのあるマッサージ屋へ赤バスでおもむき、昨年もフロントのオバチャンに勧められた2時間のコースを受ける。きのう30分ものあいだ強く揉み続けられた左の肩は、今日は萬金油を塗って撫でるだけにしてもらった。

ホテルに戻ってからは、ふたたびプールに上がることも考えたけれど、結局のところは部屋にいて、きのうの日記をサーバに上げたり、今日の日記の途中までを書いたり、あるいは窓際のソファに寝転んで、このホテルの7階より高く育った巨木を眺めたりして過ごす。

17時26分にコモトリケー君からメッセンジャーの電話が入る。渋滞がそれほどでもなかったので、もうアソークに着きそうだという。「渋滞がそれほどでもなかったので」ということは、会社のあるチョノンシーからはタクシーで来たのだろう。本来の待ち合わせは、ジャスミンシティの1階に18時20分だった。

そそくさと服を着て靴を履く。コモトリ君に頼まれた辛ひしおの大瓶を冷蔵庫から取り出し、ショッピングバッグに入れる。そしてsoi49のホテルから急ぎ足で、いや、それは嘘だ、タイに来れば誰でも歩く速度は落ちる、とにかくトンローの駅へと向かう。

「バンコクの中心はどこか」と問われたときの答えは、人によって違う。タイ人なら「王宮に決まっているではないか」という意見が多数かも知れない。バンコクの中心はアソークと、僕は漠然と感じている。アソークは僕の感覚からすると新宿のような街で、自分から近づくことはない。

コモトリ君と落ち合って10分も経たないうちに、ちかくの会社で仕事を終えた後輩アズマリョータロー君が合流する。そしてタイ中華の店で食事をしつつ、種々の情報を交換する

帰りはアズマ君が、会社のクルマでホテルまで送ってくれた。時刻は20時17分だった。バスタブに湯を張って、からだを休める。そして21時18分にベッドに入る。


朝飯 “ADELPGI FORTY-NINE”の朝のブッフェのサラダ、トースト、コーヒー、オムレツヨーグルト
晩飯 「堂記酒楼」のヤムウンセンオースワングリーンアスパラガスとエリンギの炒め焼叉香港焼きそばラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


美味しい朝食のウェブログ集は、こちら。

2018.6.21(木) タイ日記(1日目)

羽田空港国際線ターミナル105番ゲートちかくに、異常にうるさい姉弟がいた。両親に連れられたこの二人はどこへ行こうとしているのか。「クアラルンプールなら有り難い」と考えていたところ、家族はやがて、僕が乗るとおなじ、タイ航空機への列に並んだ。

飛行機の中に入って最後尾を目指す。ここまで来てなお姉弟の、特に弟の騒ぐ声が間近に聞こえる。「間近ということは、真ん中あたりだな、助かった」と胸をなでおろしつつ最後尾よりひとつ手前の自分の席に近づくと、驚くべきことに、家族は僕の席の真後ろ、つまり最後尾に陣取っていた。機の真ん中あたりで騒いでいると感じられたのは、その子供の声があまりに大きかったからだ。

乗客が頭上の荷物棚にスーツケースを入れるなどしているうちに用を足すためトイレに入る。便器の蓋を開けると、どこかから羽田に飛んで来る際の乗客のものらしい吐瀉物が、洗いきれず便器にこびりついている。うるさい子供といい便所の汚れといい、上々の、旅の出だしである。

“AIR BUS A350-900″を機材とする”TG661″は、定刻に13分おくれて00:33に羽田空港を離陸した。

00:34 ベルト着用のサインが消えると同時にデパスとハルシオン各1錠を飲み、座席の背もたれを最大に倒す。後ろの席は子供だから、遠慮をすることはない。それにしても、この機の客室乗務員は、仕事熱心なことは分かるが、離陸後の飲物を出すにしても、1秒も無駄にしまいと機内を走る。その制服の袖が通路側に座る僕の二の腕をこする。後ろの子供はいまだ声を出している。普段とは異なって、なかなか眠りに入ることができない。

03:55 目を覚ます。
04:36 熱いおしぼりが配られる。
04:42 朝食の配膳が始まる。
04:55 ダナンに近づきつつある。バンコクまで1時間の目安の地点である
05:55 機体から車輪の降りる音がする。

“TG661″は、定刻より48分も早い日本時間06:02、タイ時間04:02にスワンナプーム空港に着陸。以降の時間表記はタイ時間とする。

04:21 機から出て空港ビルに入ると、目の前にパスポートコントロールへの坂があった。この広大な空港で歩く必要がほとんど無いとは、初めてのことだ。
04:28 パスポートコントロールを抜ける。
04:39 10番の回転台からスーツケースを拾い上げる
04:50 地下1階のエアポートレールリンクの乗り場に降りてベンチに落ち着く。

さて、ここまではとんとん拍子できたものの、エアポートレールリンクの始発は6時。それまではここで、大人しく過ごさなければならない。日本から持参した新聞を開く。

05:25 予期せずエアポートレールリンクの構内の明かりが点く。利用客が次々と、改札口へのゆるい坂を下り始める。僕も遅れまいと、その後に続く。ガラス張りの窓口は開いていない。いつもはここで、1,000バーツ札で切符を買って細かいお金を作るのだが、仕方がない。マッカサンまでの運賃35バーツを自動券売機に入れる。

05:30 エアポートレールリンクがスワンナプーム空港を発車。マッカサンで下車し、アソークディンデン通りにかかる歩道橋を東へ渡る。エスカレーターで地下に降りてペッブリーからMRTに乗る。スクムビットで下車して隣接する駅アソークからBTSに乗り換え、6時24分にトンローに着く。運賃の総額は74バーツ、所要時間は54分だった。

昨年の日記を見てみると、空港からエアポートレールリンクでパヤタイ、そこからBTSでトンローという、遠回りでも乗り換えは1回のみという経路を使って、トンローまで53分で着いている。このときの運賃合計は99バーツ。乗り換えの手前を考えれば、どちらが得かと計算するほどのことでもない。

今回のホテル”ADELPGI FORTY-NINE”は、バンコクMGの会場からそれほど遠くないホテルをウェブ上に物色していて見つけた。規模は駿河台の山の上ホテルほどで、こぢんまりとしている。屋上には小さいながらインフィニティプールを備え、宿泊した人のレビューはほとんど良好なものばかりだった。

トンローの駅からスーツケースを曳きつつ4分ほど歩いて、その”ADELPGI FORTY-NINE”に至る。フロントの若い男の人によれば、チェックインは14時だが、10時30分には部屋が用意できるという。

スーツケースからゴム草履を取り出し、脱いだ靴と靴下は持参したショッピングバッグに納める。そしてザックと供にベルボーイに預ける。人の良さそうなベル係には40バーツのチップを手渡しておく。良い仕事をしてくれそうな人、良い仕事をしてくれた人には、祝儀を切らなくては気が済まないのだ。

本日、したいことは以下の4つ。すべてできるか否かは不明である。

1.明後日におばあちゃんの祥月命日を控えて、お寺にお参りがしたい。
2.バンコクでは手に入りづらいラオカーオを、オンヌット駅前のテスコロータスで買いたい。
3.髪と髭を刈りたい。
4.足裏の角質取りと、脚と肩と背中のマッサージを受けたい。

先ずはトンローの大通りに出て北へと歩く。機内食から4時間を経て腹が減っている。トンローsoi8のちかくまで来てようやく、向かい側の歩道に飲物屋台を見つける。道を渡って席に着き、タイ語で注文を通すと、オネーサンは鶏卵を指して何ごとか言う。タイでは玉子入りのコーヒーがあるらしい。それは断って、砂糖とミルクを加えるよう頼む。蒸し暑いバンコクの路上で飲む甘くて熱いコーヒーには、何とも言えない味わいがある。

メニュに熱いコーヒーは書かれていなかったため、アイスコーヒーと同じ25バーツを差し出すと、オネーサンはそこから15バーツのみつまみ上げた

ふたたび西側の歩道に戻り、トンローの大通りの北詰、つまり終点まで赤バスに乗る。その終点はセンセーブ運河にかかる橋の下にある。橋を渡って水上バスの船着場ソイトンローに降りる。通勤の時間にかかっているのか、来た舟は満員にちかい。それを見送って、次の舟に乗る。

舟はすれ違う舟の立てる波を乗り越え、盛んにしぶきを上げる。そしてそのしぶきは容赦なく当方の顔に霧となって吹きつける。ただのしぶきではない、排泄物も吐瀉物も生活排水も屋台の残飯汁も、何もかも入り交じった泥水のしぶきである。すぐ脇に垂れ下がったロープを引いて、しぶき除けのビニールシートを持ち上げる

プラトゥーナムの船着場から西は運河の幅が狭いため、舟を乗り換える必要がある。昨年はソイトンローからプラトゥーナム、プラトゥーナムから終点のパンファーリーラードまでの切符を、それぞれ買った。しかしバンコクを旅する人のウェブログにて、切符は通しで買えることを知った。ソイトンローからパンファーリーラードまでの乗船代は13バーツだった。

パンファーリーラードからワットサケーットまでの道は簡単だ。船着場の上にかかる白い橋を渡りつつ左手を見上げれば、即、金色の尖塔が目に入ってくる。

どこまでも平地と湿地の続くバンコクには珍しく、ワットサケーットは小山の上にある。というか、寺自体が小山の体を為している。外国人の入場料は20バーツから50バーツに値上がりをしてた。

344段の階段は段差が低いため、すこしも苦にならない。売店で蓮の花と線香3本と仏像に貼るための金箔のタンブンセットを買う。価格は僅々20バーツだった。そうして幾体もある仏像の前でいちいちひざまずき、頭を床まで近づけお祈りをする。ワットサケーットの本堂を吹き抜ける風は、とても爽やかだ。

寺から降りて先ほどの白い橋を渡る。時刻はいまだ、9時をすこし回ったに過ぎない。

実はここへ来る途中、舟の終点が近づきつつあるとき右手に、ボブ・マレーの顔を「バカじゃねーの」と驚くほど大きくプリントした服ばかりを売る店が目に飛び込んできた。直後に着いた船着き場には”TALAD BOBEE”の文字があった。あのボーベー市場とは関係ないものの、そこには服屋がたくさん並んでいた。その「バカじゃねーの」という服屋を探して、すこし東へ歩いてみることにする。通りの名は”Thanon Damrong Rak”だったかも知れない

通りの右側には建具の材料屋が軒を連ねている。大きめの道をひとつ渡って更に歩く。建具の材料屋の奥には運河があるはずだ。20分ほど歩き続けて建物と建物の隙間から運河沿いに出てみる。すこし先には果たして先ほどの、服屋の連なりが見えてきた。そして目指す「バカじゃねーの」という服屋で遂に、「バカじゃねーの」という色柄のシャツ1着を買う。仕入れ値は30バーツほどと思われるけれど、言い値の150バーツは値切らなかった。ここで時刻はようやく9時45分。今日は隨分と長い1日になりそうだ。

タラートボーベーからソイトンローまで舟に乗る、ひと桟橋すくない距離にもかかわらず、運賃は往路より2バーツ高い15バーツだった。センセーブ運河の船賃は、時として桟橋に表示されている数字より安く済むこともある。その理由については分からない。

橋の下から乗った赤バスがセンターポイントトンローを過ぎたあたりで降りて道を渡る。パンの”PAUL”や小籠包の「鼎泰豐」が入る高級ショッピングモール「エイトトンロー」の、大通りを隔てた向かい側のセブンイレブンに向かって右に、そのガオラオ屋はある

歩道から数段の階段を上がりつつ「ガオラオは大盛り、ゴハンは不要」とオバチャンに伝えて、建物と建物の隙間に並べられたテーブルに着く。豚の腎臓、肝臓、脾臓、小腸、肺、血のにこごりなどが澄んだスープから盛り上がるこのモツ煮は僕の大好物で、トンローに来ることがあれば、とてもではないけれど、素通りはできない。時刻は10時30分だったが、これが今日の昼食になるだろう。

トンローの通りであれば、どこでも停まってくれてどこでも降ろしてくれて7バーツの赤バスにふたたび乗り、スクムビット通りの終点で降りる。そこからホテルのあるソイ49に向かって西に歩きつつ、小さなローカールスーパーマーケットの前で足を止める。セブンイレブンとは異なって、タイの食品の、それも生の匂いが漂っている。店の名は「杜泰興」。興味を惹かれて中に入ると、その酒売り場には何と3種のラオカーオと、他にラオカーオらしい酒があった。店主らしいオバチャンに訊くと、そのラオカーオらしい酒もラオカーオだという。

ラオカーオは、これまで飲んでもっとも美味いと感じている”BANGYIKHAN”を3月のフアヒンで余分に買い、今回は、それをペットボトルに詰め替え持参してきている。しかしこの店で初めて目にした”LION KING”という銘柄のものも、予備として買っておくこととする。価格は145バーツ。

「ラオカーオは私の母も、毎日すこしずつ飲むんですよ。それにしても、あなたは静かで綺麗なタイ語を話しますね」とオバチャンは英語で褒めてくれた。しかし自分の発言を振り返ってみれば、この店で僕の使ったタイ語は「ラオカーオ」のみである。まぁ、それでも褒められて悪い気はしない。

部屋に戻ってシャワーを浴び、新しいポロシャツに着替えて外へ出る。トンローから隣のプロンポンまでBTSで移動し、駅近くのワットポーマッサージに入る。そして足裏の角質取り30分、脚のマッサージ60分、肩と背中のマッサージ30分のセットを頼む。価格は630バーツ。僕はタイに入った途端に現地の通貨に慣れて、この630バーツが6,300円に感じられる。

この店のマッサージ師は、おおむね太ったオバチャンだ。僕に付いた、その中でもひときわ大きなオバチャンは「ここが凝ってる」の「エーウ」の発音を直してくれた。そして30分のあいだずっと、僕の左肩ばかりを「ケン」と言いつつ強く揉み続けた。「ケン」とは「固い」という意味だろうか。オバチャンには100バーツのチップを渡して店を出る。

時刻は16時を5分だけ過ぎている。今週末に開かれるバンコクMGの講師タナカタカシさんからは先ほど、スワンナプーム空港に着いた旨の電話があった。待ち合わせの18時30分までは充分な時間がある。天気は曇りに転じて歩道に太陽の直射は無い。「歩いてホテルまで帰れるんじゃねぇか」と考え、スクムビット通りの北側の歩道を東へ進む。

7分ほど歩いて床屋の前を通り過ぎる。店の中では店主らしい中年男が年配客の耳を掃除している。「なるほど耳掃除か」と引き返して、その床屋”NIN BARBER”に入る。待ち客用の椅子に座っていると、奥からオネーサンが出てきて笑いかける。そして店の入口にいちばん近い鏡の前に僕を呼んだ。

椅子に着く前に鏡の前のバリカンを指す。そして「ソーン」と言いつつ髪と髭を触る。タイの床屋では、これだけで注文は完了である。「ソーン」は「2」を意味するタイ語で、僕の髪と髭は、その「2」の下駄を履かせたバリカンで刈ると、ちょうど良いらしい。料金は看板のとおり、散髪は200バーツ、耳掃除は80バーツだった

オンヌットのテスコロータスに行かなければ手に入らないと考えていたラオカーオがホテルの近くで買え、またどの店に入ろうか迷っていた散髪が、これまた通りすがりの店で完了した。今日は驚くほど効率の良い日だ。ホテルには、床屋を出てから5分で着いた。

本日2度目か3度目かのシャワーを浴び、18時10分にホテルを出る。トンローのマンゴー屋ちかくの停留所から赤バスに乗ったのが18時20分。待ち合わせの18時30分には充分に間に合うと計算していたものの、夕刻の渋滞に阻まれて、センターポイントトンローのロビーには、数分遅れて着いた。待っていてくれたタナカタカシさん、そしてオーサトテツヤさんと挨拶を交わして即、外へ出る。そして反対側に渡る。

トンローsoi9にあるイサーン料理屋「セーップスッチャイ」は、バンコクMGのたびに寄る好きな店だ。ここで楽しく飲み食いをして、旅の初日を締める

ふたたび東側の歩道に渡り、折良く近づいて来た赤バスに乗る。車掌に10バーツを渡して3バーツの釣りを受け取ったところまでは覚えている。しかしそれ以降の記憶はどうも、定かでない


朝飯 “TG661″の機内食
昼飯 エイトトンロー向かいのセブンイレブン右にある店のガオラオ(大盛り)
晩飯 「セーップスッチャイ」のソムタムヤムプラムックガイヤーンコームーヤーンチムジュムラオカーオ”LION KING”(ソーダ割り)


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2018.6.20(水) 辛ひしお

みやげは何を望むかと、バンコクに住む同級生コモトリケー君に、ちょうど1週間前の水曜日にメッセージを送った。返った答えは「辛醤」だった。

「ひしおは魚の清蒸に使う」とシンガポールのお客様に教えていただき、僕はその「ひしお」を今年の3月にタイへ持参した。そしてチャオプラヤ川沿いの馴染みの料理屋に持ち込み、ニンニクや香草を強く利かせたタイのものではあったけれど、そこに「ひしお」を添えてみた

僕の感覚からすれば「ひしお」はやはり、香りの淡い、広東の清蒸にこそ向くようだ。しかしタイのそれに合わせても勿論、悪くはなかった。

ところでその川沿いの料理屋で、鱸の腹の上に「ひしお」を盛る僕の手を「あまり使うな」とコモトリ君は制止した。そして「もったいねぇ、残りはオレがもらう」と続けた。

コモトリ君は仕事柄、タイ人を自宅に呼んで接待をすることがある。3月に僕が残していった「ひしお」をどのように使ったかは不明ながら、それはタイ人にも評判で、すぐに底を突いてしまったという。そこまで言ってくれれば当方は嬉しいから、大きなビンを探し、それをフクダナオブミ製造顧問に手渡しつつ「辛ひしお」で満たすよう頼んだ。「辛醤」なら当然「辛ひしお」だろう。

ところがこの日記を書くにあたって3月の日記を調べると、持参したのは「ひしお」の方で「辛ひしお」ではなかった。「辛ひしお」は、日本人の標準からすれば、かなり辛いらしい。しかし僕が自家用に使うのは、もっぱら「辛ひしお」だ。タイ人も多分、こちらの方を好むだろう。

台所の食器棚に見つけた大きなビンには、店で売る「辛ひしお」の4.5倍の1,126グラムが収まった。いくらホームパーティに使っても、これだけあれば、しばらくは保つだろう。


朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、蓮根の薩摩揚げの大根おろし添え、ベーコンエッグ、納豆、生のトマト、ピーマンと塩昆布の炒りつけ、ごぼうのたまり漬、メシ、シジミと三つ葉の味噌汁
昼飯 「麺屋ききょう」の塩つけ麺(大盛り)
晩飯 「魚がし日本一TOKYO SKY KITCHEN店」の3種の巻物


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2018.6.19(火) 四十七回忌

2ヶ月ほど前に、何の気なしに「年忌」と検索エンジンに入れて2、3のページを眺めるうち「四十七回忌 昭和47年 1972年」の文字が見えた。

僕は過去のあれこれを、元号で覚えることはほとんどできない。その数字の並んだ一行についても「昭和47年」ではなく「1972年」に目が反応して「俺の妹の死んだ年じゃねぇか」と気づいたのだ。気づけば捨て置くこともできない。如来寺の寺務所を訪ね、今日の法事を決めた。

寒かったきのうとは打って変わって今日は晴れて暑い。

朝、春日町の交差点の西側角に建つ「安全の灯」と書かれた、しかし実際には何十年ものあいだ灯りの点らない灯籠の前に溜まった砂と、そこから生えた雑草をスコップでさらう。砂は、猫車に軽く1杯ほどになった。その砂を店舗向かいの砂利の駐車場に撒き、およそ40分の作業を完了する。汗は滂沱として、ポロシャツは替えざるを得なかった。

その、本日2着目のポロシャツをワイシャツに着替え、ネクタイを締め、スーツを着て9時55分に如来寺の本堂に上がる。そうして妹の四十七回忌の法要を、クワカドシューコー住職に営んでいただく。当方は、僕と家内とのふたりのみだ。

真新しい卒塔婆を手にお墓へと歩く。気温は高いものの、湿度は低く、風は爽やかだから、朝とは異なって汗はかかない。日照により熱せられた墓石を、水を含ませ固く絞ったタオルで拭く。そして花と線香を供えて、46年前に亡くなった妹の供養を終える。


朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、ピーマンと塩昆布の炒りつけ、すり下ろした山芋と「しいたけのたまりだき」の磯辺焼き、生のトマト、切り昆布の炒り煮、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、豆腐と茗荷の味噌汁
昼飯 「ふじや」の冷やし味噌ラーメン
晩飯 トマトとベビーリーフとモツァレラチーズのサラダたまり漬「青森県田子町産のにんにくです。」と温野菜を添えたビーフステーキたまり漬「鬼おろしにんにく」のバターライス“Meursault Cote de Beaune J.F.Coche Dury 1998”


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2018.6.18(月) 地震

きのう15時30分ごろ、事務室が揺れた。事務室は1階にあり、すこしの地震なら何も感じない。地震のことをいち早く知りたいときには、僕は公のニュースではなく、twitterにアクセスをする。震源は群馬県南部、震度は5弱と知れた。

きのうの日記に書いたように、仕事を終えてから町内会へ出かけるまでの忙しい中で、仏壇の花とお茶と水を片付けようとすると、湯飲みからこぼれたお茶と水が、専用のお盆からあふれだし、仏壇の一部を濡らしていた。仏壇は4階にあって、地震が起きると、揺れは地上より強くなるのだ。

今朝、大阪で発生した震度6弱の地震については、自由学園男子部35回生、つまり僕の同級生による同報メッセンジャーで知った。その問いかけは、関西に住む、あるいは関西で活動をする同級生たちの安否を確認するものだった。徐々に集まる情報により、大方の者に被害の無かったものの、吹田市に住むヒロオカヨシヒロ君の家は食器が全滅、そして現在は靴を履いて、片づけに当たっているとのことだった。

その報せを読んで僕は、2011年3月11日に起きた、東日本大震災を思い出さざるを得なかった。その日は僕もやはり家内と靴を履き、深夜まで割れた食器の片づけをした。アドレナリンが盛んに放出されていたのか、夕食抜きで働き続けたにもかかわらず腹は一向に空かず、深夜2時を過ぎてからコーヒー2杯を飲んで横になった。

地震は怖い。今回の地震が発生したとき、関西の人たちは、関西淡路大震災を思い出して恐怖を増幅させたに違いない。今回の地震による被害のできるだけ少ないこと、できるだけ復旧の早いことを祈るばかりだ。


朝飯 切り昆布の炒り煮、生のトマト、ベーコンエッグ、納豆、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、揚げ湯波とズッキーニの味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 ピーマンと塩昆布の炒りつけ、すり下ろした山芋と「しいたけのたまりだき」の磯辺焼き、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、イケダツヨシさんの畑のらっきょうと豚肉の「日光味噌ひしお」炒め、金時豆の甘煮、鶏とマッシュルームのグラタン“Petit Chablis Billaud Simon 2015”


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2018.6.17(日) フルーツトマト

今日は、僕としては長く店にいて、販売の手伝いをした。やはり日曜日は忙しい。

店から15キロ離れた鬼怒川温泉のホテルに大きなお届けがある。お客様のご希望の配達時間は夜の宴会の前。17時に出発するハセガワタツヤ君には、配達先から自宅に直帰して構わない旨を伝える。

18時の閉店後はそのハセガワ君を欠いて、長男とふたりで3台のキャッシュレジスターを精算する。精算レシートを家内の事務机に置き、売り上げ金を金庫に納めると、時刻は18時30分。ここからが忙しい。

「人からもらったトマトが驚くほど美味かった。だから自分も即、買いに行った」と、税理士のスズキトール先生にフルーツトマトをお裾分けいただいたのは、きのうのことだ。その夜のうちに食べた、色も大きさも様々なトマトはなるほど、まるでプラムのように甘かった。

事務室から4階の食堂に戻ると18時35分。いまだ充分に残っているそのトマトを朝鮮の器に盛り、日記のための写真を撮る。ここで時刻は18時40分。

食器棚から「うすはり」のグラスを取り出し、氷で満たしてオールドパーを注ぐ。ここにあらかじめ冷蔵庫で冷やしておいたソーダを加え、最後にふたたびオールドパーを、今度はすこしだけ注ぐ。ソーダの泡を壊してしまうような気がするから攪拌はしない。

そのハイボール2杯を干すと18時52分。グラスを流しに置き、しかし洗っている時間は無い。そのまま食堂の灯りを消し、エレベーターで1階に降りて外へ出る。そして八坂祭へ向けての話し合いが19時から始まる公民館に向かって早足で歩く。


朝飯 生のトマト、納豆、冷や奴、らっきょうのたまり漬ごぼうのたまり漬、切り昆布の炒め煮、メシ、揚げ湯波とピーマンの味噌汁
昼飯 「大貫屋」のオムライス(ケチャップはかけないでね特製)
晩飯 生のトマト、カレーライス、ごぼうのたまり漬、”TIO PEPE”


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2018.6.16(土) お料理しましょう

朝、冷蔵庫の扉を開くと「なめこのたまりだき」が瓶の底の方にすこし残っているのが見えた。「なめこのたまりだき」は、子供のころから今に至るまでずっと、ウチの商品の中では僕がもっとも好むものだ。今朝は、これで雑炊を作ることを決める。

同じ冷蔵庫の野菜室にキヌサヤを見つけ、袋から5つ6つのみ取り出して洗う。そして固い部分を除く。鍋に300ccの水を張り、ここに適当量の昆布を投げ入れて熱をかける。水が沸騰したら昆布を取り出し、そこでキヌサヤを煮る。

キヌサヤに熱が通ったら皿に取り出し、次はおなじ鍋で1膳分の冷や飯を煮る。そこに「なめこのたまりだき」を加え、火を小さくする。味見をすると塩気が足りない。「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」と塩を、双方ともすこしだけ足す。日本酒があれば風味づけになるだろうとあたりを探したものの、これは見あたらなかった。

「なめこのたまりだき」が煮えすぎないところで先ほどのキヌサヤを鍋に入れ、それが温まったところでお椀によそう。

「なめこのたまりだき」を茶漬けの供にしたことはあった。しかし雑炊の具として鍋で煮たのは今日が初めてだ。今回のような煮方をすると、たまりで炊いたなめこは「たまり」よりも素材の香りを強くすると、これまた初めて知る。当然のことながら、その雑炊は見た目は地味なものの、とても美味かった。

アマゾンに発注していた本が昼ちかくに届く。50年ちかく前に出版されたこの料理本はシリーズになっていて、ものによっては2万円を越す。その中に1,000円と少々の品が混じっていたたため、即、注文をしたのだ。僕が孫に買う、はじめての品物である。

夕食の前に、その本を1歳半の孫に手渡す。孫はそれを床に広げ、表紙から順に1ページずつ眺めて最後のページに至った。僕は孫に、読んだ本は棚にしまうよう言い、孫はそれを大きな本棚の、自分に与えられた置き場に差し込んだ。

あと数年もすれば、孫の作る何かを食べられるかも知れない。


朝飯 「なめこのたまりだき」とキヌサヤの雑炊
昼飯 「ふじや」の雷ラーメン
晩飯 生のトマト、春雨サラダ、鶏豆腐、カレー南蛮鍋、芋焼酎「愛子」(生)


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2018.6.15(金) むかしの駅

目的地の住所をgoogleマップに入れて「東北道の那須インターから3キロだね」と教えると「上から行っても下から行っても、時間差は5分だから」と答えつつ、長男はiPhoneの画面から顔を上げた。

長男が操縦するホンダフィットは、カップホルダーに案内役のiPhoneが突っ込んである。その指示は最初「えっ、そんな方向へ」と驚くような道を示したものの「まぁ、任せておくか」という気分で、僕はただ助手席に座っている。

点在する、ふもとから頂上までせいぜい100メートルほどの山以外はすべて田んぼ、といったおもむきの船生は意外に面積が広く、その6月の緑を左右に見ながら往く道は、なかなか次の矢板に入らない。

途中、右手に新幹線の停まりそうな駅がある。クルマの窓から見上げると、それは西那須野駅だった。いまだ駅舎が地べたにあった1972年の夏、僕はこの駅に同級生たちと降り、自由学園那須農場での1週間ほどの労働を経て、またこの駅から、しかし今度は上野行きの列車に乗った。以来、46年の月日が経つ。まさに光陰矢のごとし、である。

会社を出てから帰るまでの行程は5時間ほどだった。午後は製造と包装の責任者を事務室に集め、直近のあれこれについて話し合いを持つ。


朝飯 切り昆布の炒り煮、なめこのたまりだきとほうれん草のソテー、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、揚げ茄子、明太子、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトとズッキーニの味噌汁
昼飯 「大貫屋」のタンメン
晩飯 生のトマトジャガイモのオムレツカポナータトマトと浅蜊のスパゲティ“Petit Chablis Billaud Simon 2015”


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2018.6.14(木) torinokoe

食堂のテーブルできのうの日記を書きながら、鳥の声に気づく。食器棚に置いた電波時計に目を遣る。時刻は3時58分。窓の遮光カーテンを巻き上げると、東の空には既にして赤味が差していた。

本棚のある廊下の突き当たりまで行き、左下の防湿庫の扉を開く。”NIKON D610″には50ミリのレンズが付いていた。よってその本体と共に24-85ミリのズームレンズも取り出す。

ニコンの一眼レフからレンズを外すときにはいつも「なぜ外すときは右に回し、付けるときには左に回すのか」という疑問を禁じ得ない。ネジは右に回していくと、やがて対象に食い込んで止まる。左に回していくと、やがて緩んで対象から外れる。ニコンの一眼レフは、それとは逆に設計をされているから、常に戸惑うのだ。

そうして24-85ミリのズームレンズに付け替えたカメラを4時03分の東の空へ向けて、シャッターを切る。

午後は長男と顧問税理士を訪ね、これまでは不明だったことを、1977年の資料から発掘してもらう。終業後は本日出勤の社員を集めてミーティングをする。


朝飯 ほうれん草の胡麻和え、切り昆布の炒り煮、生のトマト、納豆、大根おろしを添えた揚げ茄子、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、揚げ湯波とグリーンアスパラガスの味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」のサンラーメン
晩飯 トマトとレタスと3種のピクルスのサラダ茄子とピーマンとズッキーニのソテーを添えた鶏のハンバーグステーキじゃこと「ごぼうのたまり漬」を載せたごはん“Petit Chablis Billaud Simon 2015”バームクーヘン、”Old Parr”(生)


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上澤卓哉

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