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清閑 PERSONAL DIARY

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2018.10.19(金) 白内障の手術(左目)

夜中に目を覚まし、絨毯張りの部屋からおなじく絨毯張りの廊下に素足で出て共同便所へ行く。時刻は3時だった。「3時まで眠れた良かった」と安堵しつつ部屋に戻り、これから朝までどう過ごそうかと考える間もなく眠りに落ちる。次に目を覚ますと7時を過ぎていた。

「東京に出張をする際にはドヤに泊まる」という人を知っている。気分が落ち着くのだという。「ドヤに泊まると気分が落ち着くとは、一体全体、どのような神経の持ち主だろう」と不思議に感じたけれど、自分もその「ドヤ」で7時間も眠れたではないか。驚くほかはない。

11時30分、正午、12時30分、13時と、散瞳つまり瞳孔を広げるための薬、抗菌薬、抗炎症薬からなる3種の目薬を注す。13時30分の点眼はオーミヤナナサト眼科のロビーで行った。火曜日と同じく手術を受けるに際しての同意書を提出する。やがて「こんな人、”KARA”にいなかったか」というようなオネーサンに案内されて手術室のある2階に上がる。

今日は手術を受ける人が多い。僕は3時をすこし回ったころ手術室に入った。

施術の手順は火曜日とまったく同じ。しかし僕には記憶ちがいがあったらしい。本日、胸に心電計のパッド、そして右腕に血圧計のための布が巻かれたのは、レーザーによる目の切開が終わり、次の、そこにレンズを入れるための手術が始められる前だった。目に液体が流水のように注がれ続ける感じがしたのは、レーザーで目を切られているときではなく、レンズを入れられているときだった。

最初の手術で、まぶたを開いたままにする輪を目の周りに嵌められ、機械が眼球に限りなく近づくと、正方形の角の関係に並んだ4つの光が見える。その真ん中の暗いところを見つめるよう院長に言われる。4つの光はやがて黒の真円に変わる。その細い線をグルリとなぞるように、黒く太い線が動いていく。今こそが、レーザーにより水晶体前嚢が切開されつつある数秒なのかも知れない。

白濁し、かつ硬化した水晶体が綺麗さっぱり取り去られ、そこに3焦点のレンズを入れるための手術の最中には、機械の発する音が様々に変わることに気づいた。その音は「まだまだ」、「もうすこし」、「よし、そこ」と、レンズの正しい位置を報せるためのものだろうか。そしてこの手術は、火曜日よりもすこし時間を要したように思われた。しかし手術室から出て壁の時計に右目を遣ると、時刻は15時25分だったから、全体の所要時間は却って短かったようだ。

2階の椅子に座ってしばらくすると「ご気分はお変わりないですか」と水色のナース服のオネーサンに声をかけられ、1階に降りる。そして本日の手術費用を支払い、明日の診察時間を書いた紙を手渡されてオーミヤナナサト眼科を去る。

よその街へ行ったなら、特に夜は、その街で生まれ育った店で飲み食いをしたい。そして事実、どこででも、僕はそのようにしてきた。しかし今回「術後の1週間は禁酒」という制約を科されてみると、どうも地元の店には一歩を踏み出せない気持ちの芽生えることを知った。よい年をして「あの-、お酒、飲めないんですけど、よろしいですか」などとは訊きづらい。あるいは「アルコールフリーの飲物を置かない店だったらどうしよう」という気後れが働くのだ。

そして結局のところ、夜は駅ビルの中にある鮨のチェーン店に入り、いくつかの握り鮨を肴にノンアルコールビールを飲む。


朝飯 「ドトール珈琲農園」の「ジャンボンハムとたまごのサンド」、コーヒー
晩飯 「築地玉寿司」の平貝の握りトロたく巻き、他あれこれ、”Asahi DRY ZERO”


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2018.10.18(木) ドヤ

下今市17:32発の上り特急スペーシアは満席だった。自分の席は、きのうのうちにウェブ上で確保していた。この時期、つまり紅葉狩りの季節の東武日光線は、観光客により著しく混む。僕が高等学校に通っていたころは、年末年始とゴールデンウィークを除いては、このようなことはなかったように思うけれど、どうだろう。

左目の白内障の手術に備えて今夜は大宮に泊まる。今週の月曜日とおなじである。しかし宿は異なる。先般のまともなホテルは、月曜日からの2泊しか取れなかったのだ。

20時前に今夜の宿の前に立って、改めて、その厳しさを知る。フロントのある4階から階段を降りて、会議室の仕切り板のようなもので囲われた部屋に入り「やっぱり」と、その侘びしさを実感する、まるで「ドヤ」である。東京および首都圏にある宿泊施設の需給は、かなり逼迫をしているらしい。

1980年、1982年とインドを旅した。インドは旅する者にとっては”tough”であり”spartan”であり、また”bloody”な土地だ。そのインドを旅しながら「しかし、こと宿泊においては、日本よりも気は楽だわな」と感じた。泊まるところは無数にあり、小遣いを求められることはあったものの、そこいらへんにいる有象無象がみずからすすんで案内をしてくれたからだ。

とにかく今夜は、この「ドヤ」に泊まるしか方法はない。そしてサイフと共に明日の手術費用も”Eagle Creek”のポーチに収め、それを手に今夜の食事場所を探すため外へ出る。


朝飯 納豆、蓮根のきんぴら、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、人参の細切りサラダ、ごぼうのたまり漬、たたき牛蒡の胡麻和え、メシ、揚げ湯波とほうれん草の味噌汁
昼飯 “FLYING GARDEN”のランチスープトマト煮込みハンバーグ、ライス
晩飯 「串カツ田中」のマカロニサラダ、串カツあれこれ、冷やしトマト、ホッピーの白(外のみ)ホッピーの黒(外のみ)


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2018.10.17(水) 笑うおばさん

きのうオーミヤナナサト眼科で白内障の手術を右目に受け、帰るとき受付で手渡された紙には、今日の診察時間は10時と書いてあった。それに従って、8時30分に部屋を出る。朝食をゆっくり摂り、大宮から七里まで電車に乗って、病院に着くと時刻は9時45分だった。

人手不足が叫ばれる中、この、決して規模の大きくない眼科には、ほとんど若い女の人ばかり25人ほどが働いている。彼女たちの服装は、水色のナース服、白衣に黒のスキニーパンツ、紺色のスクラブに黒のスキニーパンツの3種類だ。その違いは、各々の職分によるのだろうか。太っている人は、ひとりとしていない。

そのうちの、白衣にスキニーパンツのオネーサン、いや、僕の年からすればオネーチャンと呼ぶ方がふさわしいほどの若い女の人が、とても丁寧に眼帯を外してくれる。3焦点のレンズを入れた右目には、6メートルほど離れたところで別の患者を診察する院長の、日焼けした禿げ頭が異様な立体感を伴って見えた。

今度は紺色のスクラブに黒のスキニーパンツの、ガールズバーにでもいたら似合いそうな女の子に呼ばれ、先ずは両目の眼圧、次に右目の視力が測られる。輪の一部が切れたお馴染みの視力検査表の、かなり下の方までよどみなく答えることができる。「良く見えてますねー」と、彼女はまるで我がことのように嬉しそうに表情を崩す。「どのくらい見えてますか」と訊くと「1.2です」に続けて「前はいちばん上も見えなかったですからね」と、自分でさえ忘れていたことを、若いけれど、立派に自立している女の子は僕に思い出させてくれた。

診察室内のベンチにふたたび戻る。僕の左には、きのうおそろいで手術を受けた夫婦が座っている。眼帯を外されたオバサン、まぁ、世間一般からすればオバーサンだろうけれど、ハンドバッグから老人向けのスマートフォンを取り出し、その画面の電話帳に視線を落とすなり「見えるっ、見えるっ、見えるっ、クッキッキー」と笑った。ダンナの方は水色と白の縞のシャツを指さし「白いところが手術した方の目では真っ青に見える。手術していない方では茶色に見える」と驚いている。真っ青や茶色は大げさにしても、その見え方には僕も気づいていた。濁った水晶体は、見えるものすべてを、知らず知らずのうちに黄色くするらしい。

最後に院長の前に呼ばれる。僕の右目が特殊な拡大鏡でモニターに映し出される。きのうレーザーで真円に切開された傷が明瞭に見えている。経過は順調らしい。そして「金曜日も頑張りましょう」と励まされて丸椅子から立ち上がる。

満席の特急リバティで昼すぎに会社に戻ると「どれ、どれ、どれ、見せて」と家内が駆け寄って、僕の右目を覗き込んだ。いくら凝視をしても、カラーコンタクトレンズでもあるまいし、レーザーにより切られた傷も、また埋め込んだレンズも、肉眼で確かめられるものではない。

眼科で手渡された「白内障手術後の生活について」には「手術日も含めて3日間は安静が理想」と書いてある。しかし昼食後は閉店時まで普通に仕事をする。

夕食は「ワインが無かったら始まらない」というような内容だった。しかし脳の中には何か、覚悟のようなものができあがっているのだろう、アルコールを欲する気持ちは一切、起きない。体重は明らかに、減ってきている気がする。そして入浴をして早めに寝室に入る。


朝飯 「ドトール珈琲農園」の「3種チーズのあつあつたまごグラタン」、トースト、コーヒー
昼飯 「食堂ニジコ」のラーメン
晩飯 野菜スープトマトとモッツァレラチーズとベビーリーフのサラダフォカッチャミートソーススパゲティのグラタンソーダ


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2018.10.16(火) 白内障の手術(右目)

7時、7時30分、8時と、散瞳つまり瞳孔を広げるための薬、抗菌薬、抗炎症薬と、3種の目薬を注す。各々の間隔は、成分を目に吸収させるため、3分間は置くよう注意書きにある。そして3回目の点眼が完了した8時10分に部屋を出る。8時30分の点眼は牛丼屋で、9時の点眼は本日、右目の手術をするオーミヤナナサト眼科のロビーで行った。

手術日の患者に義務づけられた5回の点眼を済ませたところで受付に声をかける。ややあって僕は、年配の男の人と共に呼ばれ、看護婦さんなのか視能訓練士なのかは知らないけれど、とにかく女の人に導かれ、手術室のある2階までエレベータで上がった。どこまでも綺麗な病院である。

2階の待合室で更に、瞳孔を広げるための目薬を10回ちかく注される。どうやら僕の目には、散瞳薬はあまり効かないらしい。やがてその瞳孔も開いたらしく、呼ばれて手と顔を、それぞれの専用洗剤で洗うよう言われる。それを済ませると、不織布による手術着を着せられ、おなじく帽子をかぶらされた。その姿で元の席に戻り、しばらく座っている。

僕と共に2階に上がった年配の男性は僕より先に手術を受け、やがて待合室に戻ってきた。顔に安堵の笑みを浮かべているところからして、手術はそう辛いものでもなさそうだ。

壁の時計を確認したわけではないけれど、僕が呼ばれたのは10時15分のころだったと思う。手術室に入り、指定された椅子に着く。この眼科をはじめて訪ねた7月17日以降、何度も診察してくれた院長が、手術着を着て立っている。

椅子はモーターにより動いて、僕のからだを仰向けにする。看護婦さんの指導を受けて、頭の位置は自分で調整する。やがて院長により、まぶたを開けたままにするための輪が右目に嵌められた。緊張していないといえば嘘になる。しかし恐怖は感じない。恐怖を感じたくないからこそ、人の手に握られたメスではなく、ミクロン単位の精密さで水晶体前嚢を真円に切るフェムトセカンドレーザー手術を選んだのだ。

看護婦さんが襟元から僕の胸に手を突っ込み、心電計のためのパッドを4つ付ける。別の看護婦さんは血圧を計るための布を右腕に巻き付け、更に右手の人差し指にクリップ式の心電計を取り付ける。僕の心臓の鼓動を知らせる電子音が、どこからともなく聞こえてくる。

右目に液体が注がれる。本日3回目の麻酔薬かも知れない。以降は別の液体が、今度は流水のように注がれ続ける。左目はマスクにより覆われ、右目だけが露出をしている。水晶体前嚢を真円に切開し、水晶体の硬化した濁りを破砕し、角膜を切るための機械が目のすぐ前まで近づいているらしい。

「すこし押される感じがします」と院長に言われて眼球が押されるのかと身構えたが、押されたのは眼窩の周囲に限られていた。僕の目には、万華鏡の中で回る墨流しのようなものが、形を変えながら見え続けている。今、正に、濁って固くなった水晶体が細かく砕かれ、吸い出されているところなのかも知れない。

「あと30秒です」と、横に立っているらしい看護婦さんが教えてくれる。「あと15秒です」に続いて「あと5秒です、もうすぐ終わります」と逐一おしえてくれる看護婦さんの声が、僕の心を落ち着かせる。

「レーザーの手術は上手くいきましたよ」と、院長が教えてくれる。僕は椅子に寝かされたまま、別の機械のところまで動かされていく。目は院長の指示により閉じているから、何も見えない。

さて今度は、積年の濁りを吸い出された右目に、最新式の3焦点レンズを埋め込む手術だ。こちらの方は、先ほどの手術の4倍くらいの時間がかかったように感じられたが、実際のところは分からない。目には、そのレンズがはめ込まれ、また位置を調整されるに従って、様々な光が見えてくる。

やがて、右目のまぶたを開けたままにするための輪が外される。「目を開けてみてください」と院長が言う。「私の手が見えるでしょう」と、院長は僕の目の前で手を振ってみせた。僕は「はい」と答えてふたたび目をつぶった。その右のまぶたには眼帯が絆創膏で貼られた。

手術室を出て壁の時計を見ると、時刻は10時40分だった。実際に手術を受けていた時間は20分もなかっただろう。院長も手術室から出てきて「レンズを入れる手術も上手くいきました」と声をかけてくれる。最初から最後まで、痛みはまったく感じなかった。

七里から大宮まで電車で戻り、ホテルの部屋に入って時計を見ると、時刻は11時50分だった。腹も減っていなければ昼食は摂らず、夕刻までベッドに仰向けになって安静にしている。

窓の外が暗くなり始めて「さて、今夜はどこで食事をしようか」と考える。そして結局はきのうとおなじ「いづみや本店」へ出かけ、3つ4つの肴と共にウーロン茶を飲む


朝飯 「吉野家」の牛丼、生玉子、お新香、味噌汁
晩飯 「いづみや本店」のモツ煮冷やしトマトげそわさハムカツ、ウーロン茶


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2018.10.15(月) 先輩の箸置き

南青山での仕事を終え、長男とは表参道で12時30分ごろに分かれた。その後、僕は所用により新橋、京橋、日本橋と移動をして、夕刻に大宮に至る。今夜、大宮に泊まるのは、東武アーバンクラインの七里にある眼科で明朝、白内障の手術を受けるからだ。

明日は右目、そして3日後の金曜日は左目に人工水晶体を入れる。病院の案内によれば、術後1週間は禁酒だという。つまり明日から来週金曜日までの11日間は酒が飲めない。当然、今夜は飲んでおかなくてはならない。

大宮といえば東口の「いづみや」である。この日記に検索をかけたところ、前に来たのは2003年1月26日。実に、15年9ヶ月ぶりの訪問ということが分かった。満席を心配したが、店内は6割ほどの入りだった

早速に席に着き、近づいて来たオバチャンにモツ煮とチューハイ、それからチューハイのアルコール濃度を高めるための焼酎を注文する。ふと左を見ると、人生の先輩ともいうべき老人が、吸い殻の数本入った灰皿を箸置きにしている。

僕は、人の吐いたタバコの煙を毛嫌いする。あるとき完全禁煙のモツ焼き屋をウェブ上に見つけ、喜び勇んで出かけてみた。濁りの無い、しっかりした店だった。規律が保たれるのは良いことだ。しかしその店には、いわゆる「フラ」が無かった。噺家だけでなく、飲み屋にも「フラ」があれば、僕は嬉しい。

「いづみや本店」の「フラ」の醸成には欠かせない存在と思われる老人は幸いにも、既にして喫煙を終えていた。他にタバコを吸う客は見あたらない。そうして3種の肴にてチューハイを3杯ほどもこなし、駅前の大きな道路を辿って今夜の宿に至る。


朝飯 おむすび、ごぼうのたまり漬、揚げ湯波とピーマンの味噌汁
昼飯 「ニューニコニコ」の新サンマ焼き定食
晩飯 「いづみや本店」のモツ煮ハムエッグ肉豆腐、チューハイ、そのアルコール濃度を高めるための焼酎


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2018.10.14(日) 絶妙の時間

目を覚ますと素っ裸で布団の中にいた。いつもは枕の下に入れて寝るiPhoneが無いから時刻は分からない。寝台から起き上がり、床の乱れ籠に置かれた服を身につける。記憶を無くすほど酔っても、翌朝に着る服の準備は忘れなかったらしい。ベッドカバーの上にバスタオルが広げられているところからすれば、風呂には入ったようだ。

食堂に来て明かりを点けると、食器棚の電波時計は4時45分を指していた。早朝の仕事を始めるには絶妙の時間である。湯沸かしにいつもの量だけ水を入れ、スイッチをオンにして製造現場に降りる。そしてあれこれの用意を済ませてからいちど食堂に戻り、仏壇に供えるためのお茶を淹れる。

「真夜中の時間が大好きだから、深夜に寝ているようなことはしない」という人がいる。僕の場合は「夜が朝に変わる時間が大好きだから、明け方に寝ているようなことはしない」である。真夜中とは通年、0時から2時くらいで変わらない。だから「真夜中の時間が大好き」と言う人の生活には時間的なブレは無い。

ところが夜が朝に変わる時間は、季節により大きく変わる。夏至の前後は3時台から東の空が明るくなり始める。清少納言は「夏は夜」と書いたけれど、僕に言わせれば夏は断然、朝だ。

今朝は5時30分ごろからようやく夜の闇がほどけてきた。東の方には青い空と白い雲が重なりあって、太陽はいまだ望めない。


朝飯 筑前煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、「なめこのたまりだき」によるフワトロ玉子、納豆、塩鮭、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと椎茸とレタスの味噌汁
昼飯 「ふじや」の野菜麺
晩飯 春雨サラダ炊き込みごはん鶏肉と厚揚げ豆腐の鍋、胡麻焼酎「紅乙女」(お湯割り)、


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2018.10.13(土) 早朝よりも早い時間の仕事

通称キュービクル、正式にはキュービクル式高圧受電設備という。6,600ボルトの高圧電力を外部から引き込み、それを社内で使える100ボルトや200ボルトまで落とす、いわば変圧器である。製造現場の北西に四畳半ほどの面積を占めて置かれているそのキュービクルの、メーターを交換する時期が来ていることは、8月の下旬に東京電力から知らされていた。

このメーターを交換する際には、2時間ほど停電する。ウチは「ほぼ年中無休」の体制を採っているため、この作業を日中に行うことはできない。そして指定したのが10月13日の4時30分から、という時間である。

僕は早寝早起きではあるけれど、もし寝過ごしでもしたら、関係の各方面に多大の迷惑をかける。そういう次第にて、iPhoneには3時30分の目覚ましを設定しておいた。

今朝は、その音と共に起床し、先ずは仏壇に花と水とお茶を供える。そして自分も「お流れ頂戴」とばかりに食堂でお茶を飲んでいると、3時55分に電話が鳴った。東京電力の依頼を受けた電気工事会社が早くも到着したらしい。

事務室に降りると時刻は3時59分。製造現場の北西にあるシャッターを開けたのが4時3分。外には青い作業服を着てヘッドランプを点した5人が立っていた。そのうちの、電話をかけてきた人にふたたび事務室に戻ってもらい、持参の発電機を回してもらう。そこから伸ばしたドラムのコンセントに、電話の主装置と電気スタンドのコンセントを繋ぐ。

聞いていた通り、4時30分ちょうどに社内の電源が落ちる。するとコンピュータのサーバから警告音が響き始めた。即、そのコンセントも発電機からのドラムに繋ぐ。

発電機は途中、2度、止まった。事務室内は真っ暗になり、電話の主装置とコンピュータのサーバが警告音を発し始める。そのたび、停電灯に薄明るく照らされた社内の通路を歩き、作業の現場まで人を呼びに行く。

突然、事務室の明かりが点る。時刻は5時21分。どうやら作業は無事に完了したらしい。よってコンピュータを立ち上げ、ブラウザを開こうとすると「インターネット側の接続が確立されていないため、設定を確認せよ」とのポップアップが立ち上がった。「設定を確認せよ」と言われても、その手のことには極端に疎い。

社内のルーターは諦め、iPhoneによりインターネットの回線を確保する。そして外注SEのシバタサトシさんにメッセンジャーを経由して状況を説明する。

05:45 シバタさんから予期せず「これから行ける」との返信が届く。
05:50 シバタさんが事務室に到着する。
05:55 ルーター経由でのインターネット回線を復旧させ、シバタさんが去る。
06:03 電気工事会社の求めに応じて作業完了報告書2葉に署名をする。
06:05 いつもは5時から始める早朝の仕事にようやく取りかかる。

腹が減っている。そして7時前にようやく、おむすびと味噌汁による朝食にありつく。

夜は4階の応接間に社員を集め先月の4日から5日にかけて行われた日光MGの社内的表彰式を行う


朝飯 5種のおむすび、ごぼうのたまり漬、揚げ湯波とキャベツの味噌汁
昼飯 「大貫屋」の味噌ラーメン
晩飯 カプレーゼ茄子のグラタン3種の野菜のピクルス秋刀魚のコンフィレタスと人参のサラダポテトサラダ揚げパンフォカッチャローストビーフトマトと白海老のスパゲティ南瓜のプリンのキャラメルがけ、”Barolo Marchesi di Barolo 1998″、”Jacques & Francois Lurton Gran Araucano Cabernet sauvignon 1997″、”Old Parr”(生)


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2018.10.12(金) 日本酒ばかりを飲む会

日本酒に特化した飲み会「本酒会」で、僕は書記および酒の取り寄せ係を務めている。本日は5名の出席で、用意した四合瓶は4本だ。採点表は僕がA4の紙に出力をして人数分を複写する。その日に飲むお酒は、月ごとに変わったり変わらなかったりする会場がウチから遠ければイチモトケンイチ会長が、例会日の朝に取りに来て会場まで運ぶ。会場が近ければ、僕が手に提げて持参をする。

今回の採点表には、その最上部に「2018.1012 第305回本酒会出品酒」の文字がある。例会は月に1回だから、305を12で割ると25.4。ただの飲み会でも四半世紀も続けば素晴らしい、という意識は僕にはない。他の会員も、また会長も同じではないだろうか。まぁ「ただ飲んでるだけ」である。

例会はいつも、19時30分に始められる。採点表と四合瓶4本の入った袋を提げて通用口から外へ出ようとしているところに取引先から電話が入る。その電話は意外や長引いた。日本酒を飲む会に日本酒を持つ人間が遅参をしてはまずい。電話は幸い、19時23分に終わった。よって余裕を以て今月の会場へと徒歩で向かう。


朝飯 筑前煮、大根のたまり漬、納豆、鮭の昆布巻き、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、スクランブルドエッグ、メシ、大根と小松菜の茎の味噌汁
昼飯 「コスモス」のランチセットのスープとサラダ豚の生姜焼き、ライス、デザート、コーヒー
晩飯 「魚登久」の先付け、松茸の土瓶蒸し、刺身盛り合わせ烏賊と大根の炊き合わせ会の予算により無理なお願いをしている鰻重、漬物盛り合わせ、赤だし味噌汁、4種の日本酒(冷や)


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2018.10.11(木) 山の料理屋

運動会の季節である。僕の運動会の弁当は、おむすびと決まっていた。巻き寿司や稲荷寿司は甘いため、子供のころでさえ好まなかった。おむすびこそ僕の弁当の大本命である。おむすびは、朝に食べるのも、また好きだ。

「今朝はおむすびにしようか」と家内が言ったため、喜んで同意をした。味噌汁はいつも通りに僕が作った。おむすびは鮨とおなじく酒の肴になるから、夜に食べても悪くはないけれど、夜におむすびを食べた経験は、ほとんど無い。

夜は家族5人で小来川の和食屋「炉心庵」へ行く。古い農家を再生させた建物を持つこの料理屋は、夜はひと組の客しか取らない。人柄の良いあるじ夫妻には小さな子供がいる。よって当方は気兼ねなく孫を同伴できる。肝心の味は、とても良い。酒は隨分と安く感じられる。山の中にあるため、ウチからクルマで25分ほどかかる点を除けば良いことずくめだ。

そうして特に僕は「おまかせ」で頼んだ燗酒を相当にきこしめして「熊に注意」などという看板も立てられている山道を帰宅する。


朝飯 5種のおむすび、大根のたまり漬、豆腐と水菜の味噌汁
昼飯 カレーうどん
晩飯 「炉心庵」の其の一燗酒「い」其の二其の三其の四燗酒「ろ」其の五其の六燗酒「は」其の七其の八


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2018.10.10(水) 「ガバナンス」は「統治」と言ってくれ

秋にタイの最北部から戻ると、初秋はおろか仲秋の空気さえ、既にして失われていた。つい数日前には台風25号の置きみやげのようなフェーン現象があり、列島の各所で30℃以上の気温が観測をされた。しかしそれは気温だけのことで、日は確実に短くなっている。

先週土曜日の夕刻、18時の閉店直前に駐車場に出て何気なく視線を上げると、国道121号線沿いの看板がいやに暗い。その瞬間、看板に時限装置着きの…と、その字面を眺めれば何やら物々しい、つまり「タイマー」という外来語を使いたくないからそう書いたわけだけれど、とにかく照明の電力通断機…これまた「スイッチ」という外来語を使いたくないからそう書いたわけだけれど、つまりタイマー付きの照明のスイッチを入れる時期が来ていたことに気づいた。

よって翌日の昼に、その看板の直下にある制御板の扉を開き、タイマーを設定した。今のところは16時から18時までの通電である。そうして夕刻を迎えると、当たり前のことながら看板の「日光味噌のたまり漬」の文字が闇に浮かび上がり、心は落ち着いた。

それはさておき、かつての植民地や多くの旧植民地では、高等教育の現場において、教科書は宗主国のそれをそのまま輸入して使われることが多いと、どこかで読んだ。つまり宗主国の言語の読み書きが自国語並みにこなせなければ、高等教育は受けられない、ということだ。

その仕組みは、外国語をひとつ強制的に身につけさせられる、という点においては優れている。しかし不便といえば不便、情けないといえば情けない。

日本では、明治初期の先輩方が頑張って外来語を日本語にしてくれた。しかし以降はその頑張りが弱まって、外国語をそのままカタカナで表すことが多くなった。何でも漢字にしてしまう中国語の文化圏に暮らす人たちが、なんとなく羨ましい。


朝飯 レタスとトマトのサラダ、鮭の昆布巻き、筑前煮、納豆、穴子の佃煮、大根のたまり漬、メシ、豆腐と万能葱の味噌汁
昼飯 「ふじや」の広東麺
晩飯 ジャガイモとレタスとセロリのサラダ、5種のパテパン3種のソーセージ“Petit Chablis Billaud Simon 2015”、”TIO PEPE”


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上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

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