2025.7.17(木) 長く住んだ家の片づけ
起床は2時台。こんな時間に起きては昼に眠くなる。それは分かっているものの、極端な早寝による昼夜逆転は、いかんともし難い。
道の駅「日光街道ニコニコ本陣」への納品を済ませ、今日は8時30分に出勤の販売係カトーユキさんが店に入ったところで外へ出てトヨタハイエースの助手席に着く。そして長男の運転により東京へ向かう。
住所は湯島でも最寄り駅は本郷三丁目、という場所にある甘木庵は、オヤジが1976年に手に入れた。この、先ずは僕が住み、次は長男が住み、オフクロは別宅として使い、後には次男も住んだ60.5平方メートルのアパートは、数年前からは長男と次男がときおり泊まるのみとなっていた。しかしそれだけの使い途ではいかにも勿体ない。そう考えていたところ先月ひょんなことから不動産業者と知り合い、それを賃貸に出すことがとんとん拍子に決まった。
甘木庵の中は、オフクロが亡くなったときに随分と整理をしたものの、いまだ長男や次男の私物が置かれている。今日の上京は、それらの回収および今月7日に相談をした不動産業者とは別の業者の意見を聞くことを目的とするものだ。途中、首都高速道路の安行と鹿浜橋のあいだで渋滞に巻き込まれたものの、甘木庵には10時53分に着いた。
先日の不動産業者の提案がハイリスクハイリターンとすれば、今日の業者の勧めるそれは、ローリスクローリターンの方法だった。どちらを選ぶかは、彼らの改装計画にかかる経費なども含めて検討をするつもりである。
コンビニエンスストアの弁当による昼食は、長男のみが摂った。そしていよいよ部屋の片づけと、必要なものの回収に取りかかる。
長男が学生のころに神保町の古本屋から人力で運んだ岩波の「鴎外全集」全38巻の総重量は、人の体重ほどもあるのではないか。嵩張るものは、他には革張りの椅子が1客と、漆塗りの座卓は2客。小さなものは、デジタル用の電気コードなど。天袋には、オフクロの着物や帯がいまだ残っていた。また勉強机からは、僕が1979年の1月に泊まったトレドのホテルの精算書、また自由学園男子最高学部の卒業証書なども出てきた。
それらをトヨタハイエースに積み込むうち数時間が過ぎる。汗をかいても、3年前に一新した風呂の使い方を僕は知らない。よってシャワーを浴びることはせず、シャツと靴下を持参したものに着替える。そしてこれからやはり着替えて取引先へ向かう長男を残して外へ出る。
歩いても行ける距離の御茶ノ水まではタクシーを使った。そうして聖橋のたもとにできたエキュートの2階で冷たいものを飲むうち、新橋の大衆床屋で散髪をする気力はなぜか失せた。涼しい喫茶店には、本を読みつつ1時間30分ほどもいただろうか。
ひと息をついたところで外へ出て、聖橋を北へ渡る。湯島聖堂の交差点の先から坂を下り、右へ折れてふたたび上がり、左手の”gallery bauhaus”で田中長徳の写真展”FIRST and LAST”を観る。彼の「東京ニコン日記」は、僕のもっとも好きな写真集のひとつだ。
御茶ノ水からは丸ノ内線で銀座へ出て飲酒活動をする。銀座からは銀座線で浅草に移動をし、19:19発の下り特急に乗る。車内では睡魔と戦いつつ、21時すぎに帰宅を果たす。
朝飯 菠薐草のおひたし、茄子の揚げびたし、生玉子、切り昆布の炒り煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、椎茸と揚げ湯波と三つ葉の味噌汁
晩飯 「三州屋」のお通しの鯛の山葵漬け和え、茄子の揚げびたし、揚げ空豆、鰯の塩焼き、「梅錦山川」の「上撰樽酒」(冷や)
2025.7.16(水) ワックスがけ
月に一度の店休日には、店は休みでも、社員は出勤をして、通常の業務に加えて店休日にしかできない仕事をする。今日は店の床と犬走りに、業者によるワックスがけが施される。その準備は1週間、否、10日ほど前から販売係と製造係により始められていた。そしてきのうは遂に、3台ある冷蔵ショーケースも運び出され、店の床にはほとんど何もない状態になった。
頼みつけの清掃業者であるフクダさんは、僕と配達係のイザワコーイチさんが道の駅「日光街道ニコニコ本陣」への納品から戻った8時30分に来社をした。
新型コロナウイルスの蔓延中は店の中にも外にもアルコールの噴霧器が置かれ、お客様はそれでしきりに手の消毒をされた。そのアルコールは床にも散り、犬走りと店内の黒い石には白いマダラができた。あるいはその「マダラ化」を防ぐため犬走りの一部にはビニールを敷き、周囲を粘着テープで固定した。その粘着成分の一部はビニールを撤去した後も残り、いくら拭いても落ちない汚れとなった。素人による掃除には、限界があるのだ。
一方、10時からは上長会議にて、僕も隠居へ移動をする。会議は13時まで続いた。そうして昼食の前に道の駅「日光街道ニコニコ本陣」へ本日2回目の納品に赴くと、朝のうちは夕刻まで保つと予想した品に売り切れや売り切れ寸前のものが出ていた。よってすぐにきびすを返し、それらの準備と配達を製造係のタカハシアキヒコ君とイザワコーイチさんに頼む。店が休みの日には道の駅での販売量が増える。それは分かっていたものの、今日はその見積もりが甘かった。
隠居では15時よりもうひとつの会議があり、しかし僕はその途中でまたまた道の駅へ出かけ、明日に納品の必要なものを予想して会社に戻る。そして包装係にその数を伝える。
明日は都合により、道の駅への納品は朝に一度しかできない。そういう次第にて、18時前にもういちど現場へ出かけてみる。すると売り場の商品はまたまた極端に減っていた。よって奥の冷蔵庫に保管してある予備の品すべてを売り場に出す。明日の朝はまた、奥の冷蔵庫を満杯にするつもりである。
夜は食事をしながら風呂に湯を満たし、食後はそれに浸かって早々に寝る。
朝飯 揚げ湯波の甘辛煮、茄子の揚げびたし、塩鮭、梅干、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」によるお茶漬け
昼飯 「ファミリーマート」のサンドイッチ、野菜ジュース
晩飯 ミックスサラダ、フライ其の一、フライ其の二、刻みキャベツ、SMIRNOFF VODKA(ソーダ割り)
2025.7.15(火) 7月にもかかわらず
起きて食堂に来て、南西と南東に向いた窓をそれぞれ開ける。小雨が降っている。風も強い。台風は北海道の沖に去ったはずだが、気圧はいまだ安定しないらしい。
食卓できのうの日記を書くうち、寒さを覚えてくる。そこで窓を閉め、壁際に置いた足温器を引き寄せ、電源を入れる。
酷暑により記憶はとうに薄れてしまったが、春から5月の黄金週間も含めて、先月のなかばまでは気温の低い日々が続いた。その後は熱中症が話題になる暑さがいきなり始まり「日本に梅雨は無くなった」と言う人さえ出てきた。しかしこのところはなぜか寒い。7月にもかかわらず、である。
出勤してくる社員のため7時40分に事務室のシャッターを上げようとしながら、外で涼しげな音のしていることに気づく。シャッターを天井まで上げ、扉を押すと、犬走りの軒先には複数の風鈴が提げられていた。「いかにも早すぎる」とは感じたものの、僕の仕事のひとつ減ったことは有り難い。
日中は雨風が強くなり、風鈴の短冊は激しく揺れ続けた。ノレンも風に煽られ、その一部は屋根の下から外へと吹き流されて雨に打たれている。よって事務室に取り込み、風が弱くなったら外へ出し、ふたたび屋内に取り込み、ということを繰り返す。
夕刻になって「関東甲信と東北は金曜日に梅雨明けか?」の文字がスマートフォンの天気予報に現れる。日光の畑で採れるらっきょうを塩とお酢だけで漬けた「夏太郎」については、今日も問い合わせの電話をいただいた。蔵出しは明らかに、昨年より遅れるだろう。
朝飯 玉子焼き、隠元豆の胡麻和え、茄子の揚げびたし、切り昆布の炒り煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と若布とズッキーニの味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 ブロッコリーのバターソテー、クロワッサン、シェパードパイ、鶏もも肉のヴェルデソース、Chablis Billaud Simon 2018
2025.7.14(月) 新商品の撮影
この秋からの新商品の撮影には、長男が立ち会うことになっていた。ところが長男の関係する卸先様から10名様が、今朝は「汁飯香の店 隠居うわさわ」にいらっしゃることがその後に決まった。そういう次第にて、東京のスタジオには僕が代わりに行くこととなった。
撮影すべき商品は、先週末にスタジオへ送り込まれた。しかし中には手で運んだ方が安心なものもあり、それについてはきのうの夜に嫁のモモ君が用意をしてくれた。
家内は早朝より「汁飯香の店 隠居うわさわ」の厨房に入るため、僕をクルマで駅まで送ることはできない。よって商品を入れた大きなトートバッグは肩に掛け、不安定な姿勢のまま自転車にまたがる。待ち時間を好まない僕は、駅へはいつもぎりぎりの時間に行く。しかし今日ばかりは粗相はできない。下今市には、始発の上り特急の発車時刻より16分もはやい6時46分に着いてしまった。
浅草と上野のあいだにあるスタジオには、数年前に、ナッツとドライフルーツのたまり漬「山のにぎわい」の撮影で来たことがあったから、最寄り駅である稲荷町からの行き方は分かっている。ほとんど気にならないほどの雨は、スタジオが近づくころ大粒に変わったものの、何とか傘を開かないまま歩き通せた。
商品撮影の立ち会い、という仕事が僕は好きだ。ブツ撮りのスタジオには密室の雰囲気がある。人工の照明を使うため、部屋の灯りは低く落とされている。閉所を好む僕は、その環境を心地よく感じるのだ。
スタジオにはカメラマンひとりとデザイナーふたりが詰めている。商品の撮影に限らず、僕は本職に従うたちだ。よってストロボの光るちかくに立つことはせず、離れたところに座っている。そして確認を求められたときのみモニターに近づいて、自分なりの意見を述べる。後はデザイナーにお任せ、である。
撮影の終わった後は僕が持ち込んだ品も含めて、すべてを宅急便で送り返すようカメラマンとデザイナーに伝える。心配された台風はどこかへ去ったらしく、午後の街は晴れていた。暑さは感じず、湿度も一向に気にならないのは、僕が熱帯の湿熱を好むせいかもしれない。
朝飯 2種のおむすび、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、トマトと玉葱とズッキーニの味噌汁
昼飯 「ドトール」のカルツォーネタンドリー風チキン、アイスロイヤルミルクティー
晩飯 「焼鳥どん北千住店」のお通しの枝豆、冷やしトマト、3種の焼鳥、チューハイ、それを濃くするための「ナカ」
2025.7.13(日) 朝顔とカーネーション
朝は、食堂の3枚ある窓の2枚を開け放って風を通す。しかしてまた、冬からこのかた片づけていない足温器を食卓の下に引き入れて、電源を入れる。おとといからの低い気温にて、きのうの昼は素麺を食べる気が起きず、熱いつゆのにゅうめんにした。珍しいこともあるものだ。
きのうに引き続いて今朝も「汁飯香の店 隠居うわさわ」への食材運びを手伝う。時刻は6時。グリーンカーテンの朝顔は、今朝は紫が一輪だけ開いていた。
上澤梅太郎商店の開店は8時30分。本日は14歳で病没した妹の祥月命日にて、販売係の揃った9時を過ぎたところで如来寺へ墓参りに行く。家内の用意してくれた一双の花束は、色とりどりの、小さなカーネーションだった。夏でも雨がちであれば、数日は保ってくれるだろう。
きのうは小笠原諸島にあった熱帯低気圧が今日は台風になり、明日は茨城沖に接近するという。明日は仕事で東京へ行く。予報は強い雨を示唆している。服装には重々、注意をしなければならない。この日記を遡れば2023年9月8日には暴風雨の東京にいて、腹から下をびしょ濡れにしたままあちらこちであれこれをした。その二の舞は二度と御免である。
修業後、旅先で自転車に乗るときに使っている、濡れてもすぐに乾きそうな生地のズボンを押入の衣裳ケースから出す。ついでに分厚い靴下も出す。靴下は、防水クリームを擦り込んだブーツを履くときに使っているものだ。
いま太平洋上にある台風が北海道まで北上して温帯低気圧になれば、関東地方はめでたく台風一過の晴天になるのだろうか。そう考えてtenki.jpの2週間予報を開いてみる。それによれば、来週の金曜日からは、晴れて気温の高い日が続くらしい。それがすなわち梅雨明けなのかどうかは分からない。
朝飯 牛丼、生玉子、らっきょうの「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、若布とズッキーニの味噌汁
昼飯 「やぶ定」の冷やしたぬき蕎麦(大盛り)
晩飯 スパゲティボロネーゼ、Chablis Billaud Simon 2018、桃とヨーグルト、Old Parr(生)
2025.7.12(土) あさがほ
早朝に鳴る電話は、家内からのもの以外には無い。青い、いや緑だっただろうか、とにかく「受話器を取る」ボタンをタップすると、朝食は食べ始めてしまったかと訊かれたため、いまだそれには取りかかっていない旨の返事をする。会話の内容は、自宅の冷蔵庫に置き忘れた酒粕を「汁飯香の店 隠居うわさわ」まで持って来て欲しいというもので、すぐに諒承する。
日光味噌「梅太郎白味噌」と混ぜて鮭を漬け込むための酒粕は結構、重かった。それを勝手口から上がって調理台の上に置く。勝手口から出たら庭へまわり、座敷に差し込む午前の日を避けるための、朝顔によるグリーンカーテンの具合を見る。白と紫の二輪の朝顔は萎んでいた。朝顔とはいえ、開くのはもうすこし後になるのだろうか。
本日は八坂祭の宵祭りにて、総鎮守瀧尾神社と追分地蔵尊のあいだを各町内の青年会による御輿が巡行する。その警笛が聞こえてきたのは、宵まではいまだ間のある16時30分のころだった。お祭とはいえ僕は現場には出ず、準備と片づけ、そして会計係としての仕事を淡々とこなすのみだ。
夜は、僕としては珍しく米のメシを食べて、早々に寝る。
朝飯 擂り胡麻、塩鮭、梅干、なめこのたまり炊、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」によるお茶漬け
昼飯 にゅうめん
晩飯 冷や奴、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、牛丼、麦焼酎「こいむぎやわらか」(ソーダ割り)、エクレアとシュークリーム、Old Parr(生)
2025.7.11(金) 素麺のつゆ
起床は4時23分。窓2枚を開け放つと、角部屋の食堂は、7月の朝とは思えないほど、あるいは足温器が欲しくなるほど涼しくなった。
「フィルターを掃除せよ」と、きのう警告灯の点いた天井の空気調和機から、脚立に昇って2枚のフィルターを外す。そしてこれを、流しの蛇口をシャワーに切り替えて洗う。からだが思うように動かなくなった独居老人は、このようなときには、さぞかし不便だろう。
ところで先月19日に作った麺つゆ1,600ccが「あと1回分」のところまで減ったため、昨晩より昆布と干し椎茸を鍋の水に沈めておいた。5時よりその鍋を加熱し、沸騰させないまま一定時間を煮る。昆布と干し椎茸を除いて後は2種の鰹節を加え、やはり沸騰させないまま一定時間を煮る。
麺つゆは、朝食をはさんで7時30分に完成した。備蓄は人の心を豊かにする。前回の分は、3週のあいだ保った。とすれば今回の分は、来月の頭まで保つ計算になる。麺つゆは、作るより既製品を買ってしまった方がよほど安い。手間は勿論かからない。それでも自分で作るのは、まぁ、趣味のようなものだ。
きのうの日記に書いた雷は、残念なことに、今日は鳴らなかった。7月6日から翌7日にかけてのたかだか半日のあいだに「関東甲信の梅雨明けは当分無し?」と「梅雨明け秒読み」の予報が入り乱れたことを振り返れば、この先の天気も気にするだけ無駄、という気はする。
朝飯 切り昆布の炒り煮、茄子の揚げびたし、菠薐草のソテーを添えた目玉焼き、納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、舞茸の天ぷらとズッキーニの味噌汁
昼飯 納豆と擂り胡麻のつゆで食べる素麺
晩飯 豚薄切り肉と小松菜の鍋、らっきょうのたまり漬「つぶより」、ごぼうのたまり漬、「出羽桜酒造」の「つや姫純米吟醸」(冷や)、ロシアケーキ、Old Parr(生)
2025.7.10(木) カミナリ三日
きのうは早く寝に就いたものの、今朝の起床は4時12分だった。からだが眠りを必要としていたのだろう。
既にしてほとんど書けていたおとといの日記を完成させて公開し、きのうの日記を完成させたところで、きのう事務室から持ち来た「汁飯香の店 隠居うわさわ」のお客様にお書き戴いた感想カードの束をコンピュータの手前に、また10キーはコンピュータの右側に置く。そしておもむろに、カードの内容の入力にとりかかる。人と交わらなくてもできる仕事は早朝のうちに済ませておく。昼にはまた別の仕事があるからだ。
13時30分にご予約の団体様は、ほぼ時間どおりに来てくださった。店とは国道121号線を隔てて向かい側の駐車場にバスをお駐めになった運転手さんには、にわかに暗くなった空模様をお伝えし、店の駐車場の真ん中に駐められたクルマの去ったところで、バスを店の前に回していただく。
少なくない買い物をして下さった団体様をお見送りしてから4階の食堂に上がり、遅い昼食を用意し始めたそのとき、遂に雨が降り始める。雷も盛大に鳴り始める。その「驟雨沛然」の様子を眺めつつ「これで梅雨も明けるだろうか」と考える。
しかし「このあたり」では雷が三日のあいだ続けば梅雨明けと言われていることを、数時間の後に家内より教えられた。だったら雷には、明日も明後日も続いて欲しいと思う。
朝飯 菠薐草のソテー、スペイン風目玉焼き、揚げ湯波の甘辛煮、切り昆布の炒り煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布とズッキーニの味噌汁
昼飯 納豆と万能葱と擂り胡麻のつゆで食べる素麺
晩飯 天ぷらあれこれ、らっきょうのたまり漬「つぶより」、「出羽桜酒造」の「つや姫純米吟醸」(冷や)、水羊羹、TIO PEPE
2025.7.9(水) 悩んでいるうちに
必要があって、この日記を大きく遡って読み返すことがある。今朝もおなじことをしていて気づいたのは、20年、あるいはそれ以前の日記は今よりよほど、あれこれについて具体的に書いている、ということだ。その具体性がなぜ徐々に失われていったかと考えてみれば、情報をウェブに上げるに当たっては、以前よりよほど注意を要する時代になったからではないか、そして自分も薄々とそのことに気づき、いつの間にか、意識するしないにかかわらず、書くことに規制をかけるようになったからではないか、という結論に達した。
「物いへば唇寒し穐の風」の昨今「沈黙は金」ではあるけれど、沈黙をしていてはウェブログにならないから、よほど注意をしながら、たとえばどこかへ行くにしても「○○をするため」ではなく「所用にて」という書き方になる。そして上記の世の傾向がますます強くなれば、この日記もますます具体性から離れ、しまいには花鳥風月を愛でるのみ、あるいは永井荷風による大正10年1月10日の日記の「晴」のようなひと文字のみ、になってしまう可能性も皆無とは言えない。
と、ここまで書いて、昨年から出始めた岩波の「断腸亭日常」は全冊を揃えたい気持ちがあるものの、ルビが振られていない。1987年に出た摘録にはルビが振られている。しかし摘録は好まない。買おうか買うまいか悩んでいるうち活字を追えない視力になるか、あるいは頭が呆けてしまうかも知れない。
朝飯 温泉玉子、冷や奴、鮭の焼きほぐし、切り昆布の炒り煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布とズッキーニと揚げ湯波の味噌汁
昼飯 納豆と万能葱のつゆで食べる素麺
晩飯 水茄子のサラダ、焼き鳥其の一、焼き鳥其の二、鰻の蒲焼き、メシ、「出羽桜酒造」の「つや姫純米吟醸」(冷や)、わらび餅
2025.7.8(火) 稀少な景色
「ウワサワさんも知っている〇〇さんが、現在の場所から○○へ店を移したがっている。ウワサワさんが間に入ってくれれば話はすぐにまとまる。ここはひとつ手を貸してもらえないだろうか。○○さんはこのところなぜかいきなり商売に積極的になって、港区のオイル○○ストリートにも土地を取得しようとしている」と、不動産屋から頼まれごとをしている夢を見ながら目を覚ます。
僕に欠けているものは星の数ほどある。周旋の才などはその最たるところで、だからなぜ今朝のような夢を見たかは分からない。枕頭のスマートフォンを引き寄せ見れば時刻は4時13分。それほど急がず起きて食堂に出る。食器棚の電波時計は4時18分を指していた。
先月までは、晴れさえすれば、鮮やかな夜明けが望めた。しかしこのところの朝はなぜか、ぼんやりとしたまま明るくなっていく。まるで1982年の春にバンコクの安宿で、人の形に凹んだ寝台から窓の鉄格子ごしに見上げた空のようだ。
日光の山々が夏の湿気をしっとりとまとって、その青や緑をひときわ深くする朝がある。そのような景色も、年に何度も見られるものではない。
いずれにしても、朝の鮮やかな空も、また緑の濃い山も、朝にはやく起きなければ拝めない。夏のあいだはせいぜい早寝をして、美しい空や山を、できるだけ多く眺めたいと思う。
朝飯 スクランブルドエッグ、切り昆布の炒り煮、大根おろしを添えた茄子の揚げびたし、隠元豆の胡麻和え、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波とズッキーニと万能葱の味噌汁
昼飯 玉葱と擂り胡麻のつゆで食べる素麺
晩飯 ブロッコリーのソテーを添えた鶏のトマト煮、クロワッサン、Chablis Billaud Simon 2018