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戀する者と酒飲みは地獄に行くという  根も葉もないたわごとに過ぎぬ
戀する者と酒飲みが地獄に墜ちたら  天國は人影もなくさびれよう
Omar Khayyam

 2004.1231(金) 静かな一日

目を覚まして枕頭の灯りを点けると4時だった。「日記のお手本」 を読み終えて4時30分に起床する。

きのう事務係のコマバカナエさんに12月のウェブショップの売上げを集計してもらい、これを含めて年間の売上げをはじき出したところ、その数字は自らが目標とした金額まであとわずかのところに迫っていた。「大晦日の分も含めればその達成は楽勝だろう」 と予想をする一方で 「こんなに押し詰まってからの注文など無いだろうか」 とも考えた。

そして今朝、事務室へ降りてブラウザから受注ペイジを開き見てみれば、有り難いことにいくつもの注文が入っているが、そのほとんどは支払い方法に銀行振込が指定してある。銀行振込の場合、入金があってはじめて正式受注となるため、送金が為されなければシステム上その売上げはゼロ円である。「どうなるでしょうねぇ」 と、まるで人ごとのようにディスプレイの数字をしばし眺める。

朝飯は、大根の麹漬、白菜漬、ソーセージとピーマンの油炒め、納豆、ほぐし塩鮭、ジャコ、生玉子、メシ、豆腐と 水菜の味噌汁

早朝には見えていた日光の山がやがて雪雲に覆われ、その雲は徐々に下界にまで広がって、昼前から雪が降り出す。それは見る間に積もって、しかも歩くとキシキシと音を立てるようなアスピリンスノウである。「この手の雪はすぐには溶けねぇんだよな、いつまで降るんだろう」 と空を見る。

店舗には一応「本日受注分の地方発送は1月4日の初荷になります」 との札が提げてあるが 「そんなにかかるの?」 とか 「なんとか明日までにー」 という顧客のご要望はもちろんある。ウェブショップの注文分も含めて、今日は製造係になりかわり僕が荷造りをする。

店舗前に置かれたポインセチアの鉢は、雪降る中に現れた弓手農園のユミテマサミさんによって、正月用の水仙に交換をされた。いまだ短い水仙が、大きな鉢の中にたくさん茎や葉を伸ばしている。ユミテさんは 「マイナス5度くらいまでは大丈夫だんべぇ」 と言うが、同じ口から 「きのうの朝はマイナス7度だったね」 という言葉が漏れる。ことしは暖冬と言われながら年末に来て急に、昨年よりも寒い冬になった。

日本のあちらこちらではこの雪により高速道路が通行止めになっているという。女子社員のうち5名が帰宅時の事故を心配して早退をする。販売係としてはただふたり残されたサイトウシンイチ君とハセガワタツヤ君が、店舗の駐車場に融雪剤の塩化カリウムを撒く

燈刻、日本酒の 「川反物語」 を廊下から居間へ入れる。芹と長ネギを煮え立つ鍋につかみ入れ薄切りの鴨をピンク色に煮て食べる。きのうあまったきりたんぽはもちろん、これを好物とする次男が同じ鍋に投入する。雑煮用の鰤の、その頭を用いた鰤大根は、頭の中の目玉だのなんだか分からないグニュグニュしたところが美味が、もちろん味の染みた大根も美味い

冷たい水でよく洗われた 「やぶ定」 の茶蕎麦を食べ、家内の叔母が送ってくれた 「鶴屋安芸」 の 「利休饅頭」 を最後の酒肴とする

大晦日とのことにていつもよりも自堕落に過ごしているうち10時30分になってしまう。入浴して牛乳を300CCほども飲んで就寝する。


 2004.1230(木) 蕎麦の買い出し

2時40分に目を覚ます。今月17日に行われた本酒会の会報は、そのメイルマガジン版とウェブペイジ版はすぐに作成をしたにもかかわらず、郵便で送付するものについてはいまだ手を着けていなかったことに気づき、すぐに起床する。メイルマガジンやウェブペイジの会報がすぐに作れて、しかし紙のそれがいつも遅れることの原因はつまり、紙に印刷して綴じて折って封筒に詰めるという行為が退屈で面白くないからである。

事務室へ降り、およそ1時間をかけて紙の会報を完成させる。また、いつものよしなしごとをする。外へ出て凍った雪の上を歩き 「今日はもう、市のゴミ収集車は来ないのだろうか?」 と、よその家のゴミ出し状況を見たりもする。

7時に居間へ戻る。家々の屋根が雪に覆われている。日光方面は雪雲に閉ざされて何も見えない。朝飯は、鶏肉と玉子と三つ葉の雑炊、ほぐし塩鮭、ジャコ、大根の麹漬

既にして本来の仕事の量が減ったコマバカナエさんは残務を後輩のイリエチヒロさんに任せ、事務室まわりの掃除に入った。販売係のハセガワタツヤ君が神棚の掃除をし、注連飾りを飾る。28日にサイトウシンイチ君が水洗いしたお稲荷さんに中身が入り、鏡餅が置かれる製造現場の水神地神も同じように洗われ鏡餅が置かれる事務室には柱飾りが提げられ店舗には生花のカワムラコウセンさんが太い竹を組んだ。コウセンさんは初売りの2日早朝に来て最後の仕上げをする。こうして徐々に、新年の準備が整っていく。

一方、僕は今月はじめのメイルマガジンにて 「ウェブショップの12月の顧客の中から抽選で1名様にお送りする」 と約束をした 「考え得る最高の年越しそば」 の買い出しに出かける。

まず市内の 「やぶ定」 にて茶そば5人前を購う。やけに量が多いため店主のワガツマカズヨシさんに訊くと、1人前が盛り2枚に相当するという。その盛りも、室町砂場の盛りではなく田舎の蕎麦屋の盛りである。「1回でこんなに食えるだろうか」 と考えつつ店を出る。

ホンダフィットの鼻先を北西へ向け、日光の 「晃麓わさび園」 に達して生わさび2本を購う。そのうちの1本は自家用である。いま来た道を南下して 「報徳庵」 の駐車場から雪を踏んで歩く。春から秋にかけての昼時には行列のこの店も、いまは年の瀬を控えてさすがにひっそりとしている。ここでは3人前の蕎麦2包みを求める。

顧客へは「報徳庵」 の蕎麦、「やぶ定」 のつゆ、「晃麓わさび園」 のわさびが贈られる。そしてウチではお客様とは逆に、「やぶ定」 の茶そば、「報徳庵」 のつゆという年越し蕎麦を食べることになる。家で食べる 「やぶ定」 の蕎麦には格別のものがある。ウチでは鴨汁に、この茶そばを合わせるのである。

そのまま大谷川を渡り、「いちもとサイクル」 へ至ってイチモトケンイチ本酒会長にお歳暮の黒豆を手渡す。この 「雪華堂」 の黒豆には優れた和三盆糖が添えられているが、イチモト会長は知り合いの年寄りに本体の黒豆はお裾分けせず、和三盆糖のみ舐めさせて 「美味かんべ?」 などと言ったりする。しかし当の年寄りは和三盆糖のみを舐めさせられて黒豆の存在は知らないのだから、どうということもない

初更、鮪の刺身にて飲酒を開始する。税理士のトール先生が銀座 「秋田藩」 に注文をしてくれた比内鶏の汁が食卓で煮えている。この汁に同梱されてきた芹と長ネギそしてきりたんぽを投入する。髭根が付いたままの芹は一見すると野蛮だが、これが実は非常に美味い。お酒は当然、トール先生が 「きりたんぽ鍋んときはこれせー」 と言った新政酒造の 「川反物語」 である。「秋田の川反かぁ、また行きてぇなぁ」 と思う。

同級生ウエキコウタ君が経営をするジェラート屋 「ダ・ルチアーノ」 のアイスクリームが年末年始の分として冷凍庫にある。ここから 「ジャージーミルク」 を選び出し、本当は2個食べたいところを1個で我慢する

入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時に就寝する。


 2004.1229(水) 「新得」のチーズはやっぱり美味いね

3時30分に目を覚まし、枕頭の活字をあさって5時30分に起床する。雪の予報が出ていたが、外を走るクルマの音にその気配はなかった。窓を開けると雪は屋根や木々の葉や土の上のみにあり、アスファルトは黒く光って濡れている。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、念のため外へ出て店舗駐車場の様子を見る

長男の消化器に来る風邪がうつったわけでもないのだろうが、食欲がない。普段より栄養を摂りすぎているのだから、こういう機会を捉えて絶食をした方が良いのではないだろうかと考える。熱いプーアル茶3杯と梅干1個を朝飯の代わりとする

ふと気がついてみれば、明日はもう12月の30日である。12月1日から27日までにウェブショップで買物をしてくださった顧客の中から抽選で1名様にお送りする 「考え得る最高の年越しそば」 は 「報徳庵」の蕎麦「やぶ定」 のつゆ「晃麓わさび園」の生わさびによる5人前のセットだが、これらは遅くも明日の3時までに整える必要がある。「いやぁ、大丈夫かなぁ」 と、最繁忙期を過ぎていささか緊張の薄れたみずからを振り返る。

雪は1日中降り続いたが、その量はそう多くはなかった。ただし明朝のひどい凍結を避けるため、店舗の駐車場に販売係のサイトウシンイチ君とハセガワタツヤ君が塩化カリウムを撒く。そのような最中に 「午前中必着」 のシールの貼られた発泡スティロールの箱が届いた。「スイマセン」 と詫びるヤマト運輸の運転手に 「大変だね、雪が降っちゃったからね」 と答える。中身は正月用の鰤である。

それはさておき、昼に食べた焼きうどんがいまだ消化しないらしく、またしても腹が減っていない。「晩もプーアル茶にして、今日は1日1食の体制だろうか」 と考えつつ居間へ戻ると、誰が言い出したのかは知らないが、晩飯はチーズフォンデュということになっていた。

底にランプを仕込んだ専用の器に 「新得農場」 のラクレットとレラ・ヘ・ミンタルを刻んで投入し、"Mouton Cadet Blanc Baron Philippe Rothschild 2002"を注いでこれを長男が攪拌する。そのかたわらに 「金谷ホテル」 のフランスパンを刻んで準備する

レタスと胡瓜とツナ、それにサイトウトシコさんちのジャガイモによるサラダを自分の皿へ大量に取り分ける。このジャガイモは、ふかして皮を剥いてもまだ皮の香りが立ち上ってとても美味い生ハムもつまむ。飲みものはもちろん "Mouton Cadet Blanc Baron Philippe Rothschild 2002" である

ポットの中のチーズがいよいよ柔らかく溶けたため、串に刺したフランスパンにこれを絡めて口へ運ぶ。「なんだこれ?!」 「美味いよ」 「いやぁ、すげぇ美味い」 「さすが新得」 「ワインもケチってねぇからな」 「こういうときのワインこそ、ケチっちゃだめなんだよ」 と口々に言いながら、夢中でパンを串に刺しドロドロのチーズへ突っ込んでかき回す。「ぜんぜん腹が減らねぇよ」 とはたかだか2時間前のことだが、先を争ってこのチーズ料理を食べ、またワインを飲むことを繰り返す。

新得の、「なんだか 『生』 としか書いてなかった」 というカマンベール風のチーズも美味いキーマカレーの添えられたナンをちぎって溶けたチーズを絡め次男に手渡すと 「チーズをつけるときには、ナンよりもパンの方が美味いね」 と言う。

いつもと変わらない量の晩飯を、結局はいつのまにか胃へ収めてしまう。

入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2004.1228(火) 引き潮

6時前に起床する。製造現場へ行って作業の進捗状況を調べ、次に事務室でいつものよしなしごとをする。きのうの昼に送付したことし最後のメイルマガジンによるものか、ウェブショップからの受注が少なくない。7時に居間へ戻る。朝飯は、玉子と三つ葉の雑炊、刻み塩昆布、ほぐし塩鮭、ほうれん草の胡麻和え、ジャコ

スマトラ沖の地震に端を発した津波の被害は遠くアラビア半島にまで及び、死者の数は6万人にも達する勢いだという。1982年にしばらく滞在したスリランカのウナワトゥナ村はどうなっただろう、漆喰の床に牛糞を塗って虫除けとし、椰子の葉ぶきの屋根を持つあの民宿の家族はどうなっただろうかと考える。毎朝、素焼きの壺でヨーグルトを売りに来たオヤジや、僕の髪を10ルピーで刈ってくれた床屋の兄貴はどうなっただろうかと考える。

誰が言い出したのかは知らないが、晩飯は水餃子ということになる。初更、次男が肉のミンチを餃子の皮に包む。次男の技術では中身のはみ出すものがどうしても多くなるため、後半は長男が手伝いに入る。その作業を僕は、近くで眺めるばかりである。

白菜の浅漬叩き胡瓜の生ニンニク和え水餃子にて泡盛 「宮の華」 を八酌グラスで2杯のみ飲む

すこし前にまとめて注文した小林紀晴の本はすべて届いた。これを廊下に置いたインドネシアの長椅子に並べる。入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2004.1227(月) なんでも好きなもの

夜中に目を覚まし、しばらく後に二度寝に入る。次に気がつくと5時45分だった。本を読むでもなく横になったままで過ごし、6時45分に起床する。事務室へは降りたものの、きのうの日記を書く時間はない。メイラーを回してウェブショップの受注を確認し、きのうの画像をカメラからコンピュータへ移したところで7時を過ぎる。

長男はきのうの朝より気分が優れず、吐いてみれば24時間前に食べたものがいまだ胃に残っていたという。消化器に来る風邪だろうか。部屋を覗いてみるとぐっすりと眠っているため起こさず、長男抜きで朝飯をとる。その内容は、納豆、ジャコ、ほうれん草の胡麻和え、ほぐし塩鮭、大根の麹漬と胡瓜の古漬、メシ、ナメコと三つ葉の味噌汁

いちいち憶えてはいられないようなこまごまとしたことに仕事を中断され、しごくせわしない。「仕事に割り込んで中断させる諸々もまた仕事のうちじゃねぇか」 と言われればそれまでだが、「今日1日でこれだけのことをしました」 と計量化できない仕事というものが、世の中には確かにある。

お客様がクルマの中へ鍵を置いたままドアをロックしてしまったため助けを求めていらっしゃると、事務係のコマバカナエさんが店舗へ僕を呼びに来る。窓の隙間から薄い金属の板を差し入れてクルマの鍵が開けられたのは遠い昔のことだ。最新のクルマにそのようなことをすればたちまち警報が鳴り、それでなくても電動ウインドウの解錠は楽でない。

5年前にお客様のセルシオでやっかいになった宇都宮の専門家に電話をすると、なにやら面倒くさそうに色々な理由を上げて当方を諦めさせようとする。仕方がないので我が町にある、お客様のクルマと同じ企業名を冠したディーラーに電話をすると 「JAFの会員でいらっしゃいますか?」 と早くも逃げ腰である。その "JAF" に電話をしたとしても、ここから紹介される専門家は先の、面倒くさそうに応対をした鍵屋なのだから、ここにたらい回しという円環が完成したことになる。

お客様は遂に、埼玉県のご自宅までスペアキーを取りに戻ることをお決めになった。「JRの駅はどこでしょう?」 と訊かれたため行き先を確かめると栗橋だという。「栗橋なら東武日光線の方が早そうだな」 と考えキーボードを叩けば、乗り換えのタイミングにも助けられて、やはり東武線を利用した方が1時間ほど早く目的地に達することが分かった。

その東武日光線の準急が下今市駅を出るまでの残り時間は7分だから、お客様を歩かせては間に合わない。三菱シャリオにて駅までお送りし、ちょうどプラットフォームに入ってきた列車を指さし 「あれに乗ってください」 と言う。

一方、事務室にあるコンピュータの何台かを入れ替える件につき、"FSE" のシバタサトシさんが来社をする。間もなく昼飯の時間になったため居間へ戻る。今日は次男の誕生日につき、昼飯には川原町の 「みとや寿司」 から鮨が配達された。次男はまるで山本益博のような速度で好物の 「鮪づくし」 を次々と口へ押し込み、あっという間に平らげた。まわりの大人はその様子を眺めながら普通の鮨をゆっくりと食べる。

栗橋のご自宅からスペアキーを持って戻られたお客様の手には、下今市駅前にあるフジワラヒサアキ本酒会員の家 「二宮堂」 で購った菓子折があった。「そんなご心配をいただかなくても」 と、鉄道だけで往復147キロの旅をされたお客様に言う。

一方、シバタさんの仕事が完了したのは夜の10時だった。僕の "ThinkPad X31 2672-CAJ" を "2672-A9J" に替え、しかしハードディスクはこれまでのものをそのまま新しいマシンに移植するというような作業は早期に終えたが、他のことでは色々な試行錯誤があり、だがシバタさんは最後まで諦めずに11時間の激闘だった

長男と次男は既にして就寝し、居間には家内だけがいた。僕は次男の誕生日の晩飯につきあわなかったことになるが、昼飯は一緒に食べたのだからまぁ良いだろう。誕生日の夜に次男が家内に頼んだメニュはポテトフライのみだったという。「なんでも好きなものを作ってあげるよ」 と子供に言えば、およそこのような食卓になるのだろう。

「なんでも好きなものを作ってあげるよ」 と僕が言われたらどうなるだろうかと考える。キヌカツギ、茹でたホタルイカ、ジュンサイの酢の物から始まって、などと夢想すればその品にはきりがない。

ところで今朝は2杯のメシを食べ、それほど腹の減っていないところにかなりの量の鮨を平らげたため、10時を大きく回っても一向に腹が減らない。「クリスマスの晩からこのかた、ちと食い過ぎだわな」 と考え、熱いプーアル茶3杯を晩飯の代わりとする。気がつけば12月に入ってより何と9回目の断酒である。

入浴して本は読まず、11時に就寝する。


 2004.1226(日) 月はどっちに出ている?

5時に目を覚まし、枕頭に散らばった活字をあさって30分後に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。家々の屋根を白くしていた霜が日の光により徐々に溶けていく。朝飯は、タシロケンボウんちのお徳用湯波と椎茸と三つ葉の雑炊、大根の麹漬、厚揚げ豆腐と小松菜の炒め煮浸し、ほぐし塩鮭、ジャコ

お菓子を飾ったクリスマスツリーは、今日の夕刻まで店へ置くことにする。森友地区のユミテマサミさんが来て、年末から正月にかけて店先へ置く花の相談をする。いつものように仕事をし、いつものように仕事を終える。

むかしは一緒に山で遊んだ仲間たちが、いまでは年に数回ほども酒を飲むだけの集まりになって今も続いている。何かの拍子に 「確かその飲み会は23日だったよな、忘れちゃったよー」 と、3日を経てからようやく自らの不義理に気づく。

きのうに続いて近所の温泉 「長久の湯」 へ行く。脱衣所から風呂場へ入り、すたすたとそのまま露天風呂を目指して行くと、次男が 「からだ、まだ洗ってないよ」 と言う。「いいんだよ、そんなの」 と返すと 「えー、ダメなんだよ」 としつこいため、洗い場へ戻って髪やからだを洗う。きのうよりも早い時間からの入浴であるとは、茶臼山の稜線からようやく現れ始めた月を見て知ったことだ。およそ45分後に帰宅をする。

タシロケンボウんちのお徳用湯波と水菜の炊き物、生のトマト湯豆腐鰆の粕漬にて税理士のトール先生にいただいた新政酒造の 「川反物語」 を飲む。良い意味で、まるで水を飲んでいるように美味いお酒だ。

食後のアイスクリームを食べる皆を尻目に寝室へ入り、9時30分に就寝する。


 2004.1225(土) 思い出した3軒の店

モンベルの厳冬期用シュラフの中は室内のベッドで寝るときとかわらず暖かいが、気が付くと次男がもぞもぞと動いている。声をかけシュラフのジップを更に上まで締めてやったりするが、どうも二度寝に入ることができないらしい。撤収を決めて星空の下を寝ぼけ眼で歩き、階段室から廊下、そして寝室へ入る。時刻は午前1時30分だった。

5時にふたたび目を覚まし、8月にも読んだ 「使うリコーGR」 を6時まで読んで起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、居間へ戻る。

サンタクロースに頼んだ任天堂の "DS" は無事に届いていた。「サンタクロース、見たか?」 と訊くと次男はハッとした顔をして 「あー、忘れた」 と答えた。プレゼントに添えられた手紙には 「1日に1時間以上やるとバカになっちゃうぞ」 とか 「一生懸命に勉強をするなら、また来年も来てやろう」 などとあるが、起き抜けからその "DS" を操る次男はもちろん、馬耳東風である

朝飯は、メカブの酢の物、納豆、大根の麹漬、だし巻き玉子、ジャコ、メシ、シジミと長ネギの味噌汁

昼休みに屋上のテントとシュラフを撤収する。向こう正面とでもいうべき北西の空には晴れた空があって、日光の山が強いコントラストで浮き上がって見える。ポカラでマチャプチャレやアンナプルナを前にして 「ここら辺のヤツ、山の名前も知らないんだぜ」 と嗤った日本人がいたが、地元の人にとってみればそれはヒマラヤの名峰などではなく、生まれたときからそこにあるただの山である。我が身を振り返っても、家から見える日光連山のすべての名を言えるわけではない。

来客があったこともあり、終業後はクルマで5分ほどの 「長久の湯」 へ行く。露天風呂へ入り石を枕にしてみれば、雑木に覆われた茶臼山の稜線に月が出ている。「ことしはホントに寒くねぇよなぁ」 と思う。

晩飯の初っぱなに豆腐と豚の中華風スープを飲んで、酒の前に汁物の供される店を3軒ほど思い出す。そのうちの1軒は有楽町のガード下、もう1軒は駿河台の富士見坂、そして最後の1軒は縄手通りを四条から上がった西側にあるバーだが、ここがいま休業中であるとは、京都のお客様からいただいたメイルにより知ったことだ。

僕としては珍しく、350CCの缶ビール1本をワイン蔵から持ち出してグラスに注ぐ鮪のぶつ切り春雨サラダ厚揚げ豆腐と小松菜の炒め煮浸しホタテ貝のネギ油風味大根の麹漬。ビールを空にして後は、小さな器にて高粱酒2杯を飲む。

入浴して本は読まず、9時30分に就寝する。


 2004.1224(金) クリスマスには外で寝る

4時に目を覚まし、古今十数人の作家による 「日記のお手本」 を読んでいくと、留学中に触れたフランス人作家による日記は文学史上の資料に過ぎなかったけれど、帰国して荷風の斷腸亭日乗をひもといてみれば、これは立派な文学作品だったという遠藤周作の一節に差しかかって、「この先はもったいねぇから、あとで読もう」 と考え5時に起床する。

エレヴェイターを降り、製造現場へ行って作業の進捗状況を見る。蔵の中を逆行して事務室へ至り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、刻み塩昆布、ジャコ、大根の麹漬、ほぐし塩鮭によるお茶漬け

外の掃除を終えメイラーを回すと、先日200,001のアクセスカウントを当てて "Chablis Premier Cru Les Vaillons BILLAUD-SIMON" を得た近所のユザワクニヒロさんからのメイルが降りてくる。そこには 「妻と2人で、あっという間に空けてしまいました。とてもうまいワインを、どうもありがとうございました」 という一節を含む文章と共に、カレンダーよりもなぜか1日早いクリスマスの食卓写真が貼付してあった。「オレのことを呼んでくれれば、半分くらいは飲んであげたのに」 と思う。

午後、次男が学校から戻り、家内の実家より送られたクリスマスプレゼントの梱包を、ようやく解くことを許される。閉店の直前に長男が帰省をする。僕は4階の階段室から屋上へ上がり、テントを張る

「○○ちゃんのバーチャンは、サンタクロースなんていないって言うんだって」 とか 「△△君のお父さんが、サンタクロースなんてウソだって言ったらしいよ」 ということを、ここ10日ほどのあいだに次男の口から相次いで聞いた。そういうワケの分からないことを子供の耳に吹き込む大人がいるために 「サンタクロースはいるよ。屋上のエントツの近くに寝て、サンタクロースがトナカイのソリに乗ってくるところを見ようぜ」 と、僕と次男はこの寒空に、外で寝る羽目になるのである。

人の家の食卓ばかりが良いワインで飾られるのは片腹痛い。晩飯の前から次男の机で "Veuve Clicquot Ponsardin VINTAGE RESERVE 1996" を抜栓する。籐椅子に腰かけ次男の椅子に脚をのせてこれを飲む

トマトとベビーリーフのサラダジャガイモのグラタン次男がかねてより食べたいと言っていたチキンライスブロッコリーとマッシュルームを付け合わせた鶏の脚のローストシュトーレン。"Chez Akabane" のショートケイキが切り分けられるころにはシャンペンは空になっていた。バキュバンで栓をしたボジョレを廊下から持ち込み、これを深煎りコーフィーの代わりにする

入浴してパジャマではなくスエットパンツやフリースを身につけ、次男と屋上へ上がって9時30分に就寝する。


 2004.1223(木) 欲望あるいはアルコール中毒

目を覚まし、暗闇の中でしばらく静かにしていたが、時間が惜しいため枕頭の灯りを点けると3時だった。床に置いたリコーGR関係のムック本2冊を交互に眺めて4時に起床する。きのう 「今市小学校3年つけものグループ」 より漬物について調査したい旨の手紙が届き、今朝はその返事を書く必要があるため、いつまでも横になっているわけにはいかない。

事務室へ降りてコンピュータを起動する。先方が便せんに鉛筆でしたためた質問をメイラーに引用し、そのひとつひとつに答えを書いていく。これを印刷して万年筆で署名を入れ捺印する。手紙に同封されてきた茶封筒にこれを収めると重さが25グラムを超えたため、10円切手を追加して貼る

ウェブショップについての仕事を種々する。きのうの朝に入ったあやふやな注文に対して送付したお問い合わせメイルについての返信は、いまだ届いていない。もうすこしお待ちしてなお返信のないときには電話に頼ることになるだろう。きのうの日記を作成する。

朝飯は、メカブの酢の物、ほうれん草の油炒め、納豆、メシ、きのうの茸鍋を作り直した味噌汁大根の麹漬け

誕生日がクリスマスと接近しているため、この時期の次男には盆と正月が同時に来るようなものである。次男は10ヶ月も前から欲しいものの算段をしてきたが、それほど早くから絵図を描いても、世の流行と同じく子供のそれも移り変わるから、長いあいだには欲しいものも二転三転をする。

今秋、次男は家内に 「誕生日には何もいらないから」 と、いわば手形を振り出すような形でなにかの電子ゲイムを買ってもらっている。しかし次男のまわりにはプレゼントをくれそうな大人が何人もいるから、母親はアテにしないとしても、そういう他の大人に対して様々な皮算用を次男はする。そして更に 「お年玉で何を買おうかなぁ」 などと、その欲望は留まることを知らない。

欲望を持たないとは、ある種の怠惰である。端的に言えば、世は人間の欲望によって進歩する。と次男の弁護をしているようで、クリスマスにも誕生日にも、僕は次男にはなにもやらない。

二宮金次郎は毎夕2合の酒を飲んだ。その記録が今市市大沢宿のある家に古文書として残っている。僕は今月8度目の断酒を決め、なんだか知らないがとても甘い生のトマト、ほうれん草の胡麻和え、黒豆豚の薄切り肉とモヤシとニンニクの油炒めにて炊きたてのメシを食う

「酒を飲みたいと感じたけで、既にしてその人はアル中である」 と言った医者がいたが、酒から少しでも遠ざかってみれば、この言葉もあながち大げさとは思われなくなってくる。道を行くクルマがスモールランプを点灯し始める初更になると決まってドライマーティニが飲みたくなるのもアル中なら、野球場で生ビールが飲みたくなるのもアル中。そして酒よりも炊きたてのメシの方が美味いと知りながら翌日は酒を飲んでしまうのもアル中と言われれば、確かにその通りなのかも知れない。

入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2004.1222(水) 雑魚と雑キノコ

5時に目を覚まし、「日記のお手本」 を読んで5時30分に起床する。

事務室へ降りてメイラーを回すと、きのうの終業後から今朝までに入ったウェブショップへの注文が次々と降りてくる。それらのひとつひとつを開き内容を確認しながら、このウェブショップができて以来ずっと規則正しく注文を下さっている名前を見つけ、思わず 「シモちゃん、有り難う」 と声が出る。ちゃん付けは失礼だが、しかしその名字が僕の古い知り合いと同じため、このお客様に対してはどうしてもそのようなことになる。

7時に居間へ戻ると、食卓にはおにぎりがあった。小学校の運動会の昼飯どき、隣に座った家族が寿司を食べていても、「それよりもおにぎりだろう、やっぱり」 と子供心に思ったほど、おにぎりは大好きである。3種5個のおにぎりタシロケンボウんちのお徳用湯波と豆腐と長ネギの味噌汁、京都の漬物を朝飯とする。

年末ギフトの受注は最盛期の半分に減ったが、それでも普段にくらべれば、いまだその何倍もある。事務室では1時間の残業をして、しかし仕事の完了は明朝まで持ち越された。

初更、次男の算数の宿題を督励する

30分後、大根の柚風味漬けを肴に泡盛 「宮の華」 を飲み始める野生のキノコと豆腐と長ネギの味噌仕立て鍋で豚肉をしゃぶしゃぶにする。このキノコをくれた人に 「なんてキノコ?」 と訊いたら 「うーん、ナメコと、あとは雑キノコだぁ」 と答えたが、釣りもたしなむこの人はまた、イワナとヤマメ以外の魚を何のてらいもなく 「ザコ」 と呼ぶ。贅沢といえば贅沢な環境に暮らす人である。

入浴して牛乳を300CCほども飲み、10時に就寝する。


 2004.1221(火) 次のワインはどうするよ?

目を覚ましてしばらくは闇の中で静かにしている。しかしいつまでもそうしているのは退屈だから枕頭の灯りを点けると3時だった。「愛情生活」 を開き、4時30分にこれを読み終える。起床して、事務室へ降りるよりも先に製造現場へ行き、年末の仕事の進捗状況を調べる。事務室ではメイルにエクセルを添付したギフトの注文を処理し、また、メイルによる質問に対して思うような答えの戻らない顧客へ宛てて、更に噛み砕いた内容のメイルを送ったりする。

きのうの日記を書き終えて居間へ戻る。男体山が正面から太陽の光を浴びて、赤男体山になっている。朝飯は、メカブの酢の物、ブロッコリーの油炒め、納豆、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と三つ葉の味噌汁「瓢亭」 に勤めるヨコタケイ君が送ってくれた京都の漬物

登校する次男をちかくの交差点まで送っていくと、頭上から 「ウワサワさん」 と声がかかる。春日町1丁目青年会のユザワクニヒロ会計は子煩悩だから、登校していく3人の子供をいつも2階のヴェランダからタバコを吸いつつ見送っている。そのユザワ会計が折りたたんだ紙を手に持ちヒラヒラさせているので 「投げて」 と頼み、地面から拾い上げてみればそれは "清閑PERSONAL" のトップペイジのコピーで、そのアクセスカウントは "200001" を示していた

このウェブペイジではきりの良いアクセスカウントを当てた人に紅白どちらかのワインを送っているが、今回はご近所さんがその権利を得たことになる。「赤? 白?」 と訊くとユザワ会計は明確に 「白!」 と答え、僕は思わず 「ウッ」 と思うが仕方がない。赤の "Castillo de Molina Cabernet Sauvignon Reserva SAN-PEDRO" は年代にこだわらなければいつでも高島屋の酒売り場で購うことができるが、白の "Chablis Premier Cru Les Vaillons BILLAUD-SIMON" はそう簡単には市場に出ない貴重品である。

自宅へ戻り、2階のワイン蔵へ入って問題の白を見ると在庫は僅々3本しかない。このうちの1本が、近日中にもユザワ会計の食卓へ上るのである。事務室へ降り、この上出来のシャブリをきのうの日本経済新聞に包んで早速、ユザワ会計の家まで届けに行く。そして奥さんにこれを手渡しながら 「ほんっとーに美味いっすから」 と、念のために言う。

トップペイジにあるワインのプレゼントについては、今後どのように表示したらよいだろうかと考える。現在のシャブリは残り2本で、ふたたび手に入る保証はない。これよりも更に出来の良い白ワインがウチのワイン蔵にないわけではないが、しかしたとえば "Corton Charlemagne Olivier Leflaive 1986" を人にくれてしまうのもシャクである。

「いっそのこと赤だけに絞って、10,000,001カウントを当てた方には "Romanee Conti 1978" 1本を進呈いたしますとでもするか」 というようなことも考えるが、いくらなんでもそれは下品だろう。 とりあえず 「白ワインについてはただいま選定中です」 とトップペイジに表示して、これをサーヴァーへ転送する

午後、高島屋東京店のオオタトモヤさんが来社をされ、来年2月下旬にある 「老舗の味を集めて・特選会」 への出店を要請される。とはいえこの出店は毎年の恒例にて、暮に高島屋の社員さんがお見えになるのは、いわば儀式のようなものである。ただし今回は、高島屋が夏に大規模なリニューアルをしたことを受けて、売り場の移動やそのレイアウトなどにつきかなり細密な話し合いになった。

燈刻、次男の算数の宿題を督励する。そしてそのかたわら

「日記のお手本」  荒木経惟ほか  小学館文庫  \540

を読む。そしてまたそのかたわら、今朝ユザワ会計に届けたシャブリとくらべれば5分の1ほどの価格となる "Mouton Cadet Blanc Baron Philippe Rothschild 2002" のバキュバンを抜く

トマトとモツァレラチーズのカプレーゼ3種のチーズのピッツァサイトウトシコさんの次女がイタリアから買ってきてくれた乾麺によるイカスミのスパゲティ

食後に昨年のボジョレヌーヴォーを抜栓して、ハセガワヒデオ君の一周忌にいただいた自由学園のクッキーを食べる。地球に存するすべてのクッキーを食べたわけではないが、僕はクッキーならこれが1番好きだ。このクッキーにはブルゴーニュの軽い赤がよく似合うけれど、本来であればボジョレなどではなく、"Domaine Leflaive" の "Blagny" あたりと合わせたかった。

入浴して牛乳を300CCほども飲む。横になって 「日記のお手本」を読むうちこれをバタリとベッドの下へ落とし、いつの間にか自分が眠っていたことに気づく。即、就寝する。


 2004.1220(月) 年賀状への返信用ハガキ

5時30分に目を覚まし、6時まで 「愛情生活」 を読んで起床する。採血のある朝にメシを食べてはいけないことになっているが 「お茶くらいならいいんだろうな」 と煎茶1杯を飲む。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、そのまま社員の出勤に備えてシャッターを上げる。

家族の年賀状には長く長男の木版画を使ってきたが、来春の分はどうするのだろう。それはさておき僕だけに宛てて届く年賀状もあって、たとえハガキにタックシールを貼り付けただけの義理のものであっても、顔を見知ったり話をしたりしたことのある人からのものであれば、それらには返信を出そうといつも考えているが、遂に返事を書けないものも実は少なくない。

僕が個人的に返信をする年賀状は、ハガキの上半分に先方の住所氏名、線で区切った下半分には、宛先と同じく万年筆で短くない文章を書く。しかしそんなに義理堅いことをしているからしまいには疲れて、返事の書けない相手がどうしても発生してしまうのだ。そしてこの用にはここ数年、世田谷美術館による魯山人の写真ハガキを使ってきた

「魯山人のハガキだから自分が文章を書かなければ格好が付かないのであって、これが自分の撮った写真のハガキであれば、そこには魯山人ではなくオレという人間が投影をされているのだから文章は必要ないのではないか? 文章を書かなければ手間が省け、受け取った年賀状のすべてに返事を送ることができるはずである」

と考えたのは、先月下旬のことだ。そして1週間ほど前だっただろうか、ことし撮ったネガから選んだ1枚をカミジョウカメラに持参してハガキに仕立ててくれるよう注文をしたところ、本日の午後に電話があって、それがフジフィルムから上がってきたという。そこで数時間後にカミジョウカメラを訪ねてみると、店主のカミジョーさんはやおら紙袋から分厚いハガキの束を取り出して 「ちょっと心配で見てみたんですが、これじゃダメでしょ」 と、僕の意向を訊くというよりは 「もう返品を決めました」 という口調で断定をする。

ハガキの材料として渡したネガは白黒のものだったが、示されたハガキの写真はなるほどシアン色を帯びて、カミジョーさん好みの、白と黒のコントラストが強い 「トライXだよねー」 というものにはほど遠い。「まぁ、しょうがないんじゃないですか」 とは注文した僕の言葉で、「いえ、これじゃダメです」 と答えるのが店側なのだから面白い。

僕の指定は 「いちいち切手を貼るのは面倒だから、あらかじめ官製ハガキにしておいてください」 というものだった。「カミジョーさんに損害はかからないんですね?」 と確認をして、そのハガキの作り直しに同意をする。どのみちこのハガキは今年中には使わないのだから、時間の余裕は十分である。

終業後、残業をする家内とふたりの事務係に声をかけて事務室を出る。会合をひとつこなして10時に帰宅する。入浴して牛乳を300CCほども飲み、11時に就寝する。


 2004.1219(日) 汗

目を覚まし、薄暗い中で枕頭の時計に目を遣ると既にして6時がちかく、「そんなに長いあいだ眠ってしまったのか」 と大いに驚く。起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。

朝飯は、銀鱈の粕漬、千枚漬、メカブの酢の物、納豆、メシ、キャベツの味噌汁。このおかずでメシを1杯に留めるのはなかな難しい。あるいは燗酒の2本も欲しくなる内容である。

空は薄曇りだが気温はそう低くもなく、だから社内のあちらこちらを歩くうちにからだは汗ばんで、早々にシャツ1枚になる。先日 「たまき」 を訪なったとき、社長のタマキヒデキさんは長袖の下着、長袖のシャツ、毛糸のベストにウールのマフラーを巻いて額に汗を浮かべていた。僕は数百粒の小さな汗の玉を眺めながら 「どうして着ているものを脱がないのだろう?」 と不思議に感じつつ上品なお菓子を食べ、またほうじ茶を飲んだ。

その手段がサウナだろうがスポーツだろうが、「汗をかいて気持ちがよい」 という人の気が僕には知れない。「汗をかいて気持ちがよいという人の気が知れない」 という人と 「酒を飲んで美味いと思う人の気が知れない」 という人とは、どちらがどれだけ多いだろうか。

夕刻、来年3月に予定されている社員旅行について、大きな紙に雑誌の切り抜きなどをベタベタと貼り、これを社員用通路に掲示する

本来であればきのう食べる予定だった牡蠣とホタテは今夜に繰り越されたが、明朝には検査のための採血が控えているから、シャンペン1本コースはおあずけである。ホタテの貝焼き牡蠣フライ刻みキャベツ、プティトマトのオリーヴオイル漬け千枚漬とすぐきにて炊きたてのメシ2杯を食べる

食後に階段室の本棚をあさっていて不意に、行方不明になったとばかり思っていた

「ヒマラヤ自転車旅行記」 ベッティナ・セルビー著 柴田京子訳 東京書籍 \1,800

を発見する。これは "amazon" に 「出物があったら買うよ」 という登録をして手に入れた絶版の本で、いまだ読んでいないものだった。「よかったー」 と思わずつぶやき、これを本棚の中の絶対に見失わない場所へと移す。

入浴して牛乳を300CCほども飲み、「愛情生活」 をすこし読んで10時すぎに就寝する。


 2004.1218(土) 予定変更

朝4時に目を覚まし、5時に 「くさっても、ライカ 2」 を読み終える。起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをする。きのうの晩に栄養を摂りすぎたため朝飯は抜いてそのまま事務室へ居残り、7時30分にシャッターを上げる。開店40分前に事務係のコマバカナエさんとイリエチヒロさんが出社して、きのう余した仕事を始める。その3分後に販売係のヤマダカオリさんが出社して、店舗に置く試食を整える。

会社の敷地に面した国道121号線沿いの歩道を掃除していてここ10日ほど毎朝、アスファルトの裂け目に小さな紫色の花の咲いているのを見ている。いつ枯れるかいつ枯れるかと思い続けているが、これが一向に弱る気配も見せない。その草の名前は知らないが、小さな鉢植えにすれば鑑賞のための花になるし、このまま地面に置けば雑草として、いずれは社員が鎌でほじくり捨てるかも知れない。

雑草を見て思うのは、いつも人間のことである。適所を得れば人に認められ褒められ大切にされ、そうでなければ踏まれ刈られ捨てられるのは、雑草も人間も同じではないか。「しかし、誰にも邪魔にされないところで雑草として生きるのは、そう悪いことではないかも知れない」 というようなことを、路上のゴミをほうきで集めながら考える。

晩にはホタテ貝のマリネと牡蠣フライにてシャンパン1本コースかと考えていたが、諸般の理由により焼肉屋へ行くことになる。「大昌園」 の所定の位置より自分のボトルを取り出し、氷で満たした大きなグラスの縁までこれをゴボゴボと注ぐ。モヤシとオイキムチレヴァ刺タン塩カルビ子袋とホルモンとミノにてこの焼酎を飲みテグタンラーメンにて締める

「朝飯を抜いても、晩にこれだけ食っちゃぁダメじゃん」 などということは、焼肉屋にいるときには決して脳の表面に浮かび上がってこないのだから、不思議といえば不思議である。

帰宅して入浴し、牛乳を300CCほども飲む。

「愛情生活」  荒木陽子著  作品社  \1,800

を読む。この本は第一に表紙が良い。

ことし買った写真の本は多く古書だが、古書にもかかわらずそれらのほとんどは初版本だった。それで僕は 「写真の本とは、よほど売れないものなのだろうか」 と考えていた。しかしこの 「愛情生活」 は1997年9月25日の第1刷からわずか1ヶ月後に第3刷として発行されている。そうなればそうなったで 「よほど1刷あたりの部数が少なかったのだろうか」 などと考える。

9時30分に就寝する。


 2004.1217(金) ワイングラスで飲む日本酒も美味いね

5時30分に起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、2種のおにぎり千枚漬とすぐき、熱いプーアル茶。

店舗駐車場と国道121号線沿いの掃除をして戻り、メイラーを回すと顧客から、注文とは異なるものが計3ヶ所に配達されてしまったとのメイルが入っている。原因はすぐに判明したため、善後策の提案とそれに対する指示を待つ旨のメイルを取り急ぎ送付し、宇都宮の栃木県味噌工業共同組合へ向けて三菱シャリオを発進させる。

ウチのノヴェルティを頼んでいる器屋の 「たまき」 はこの秋、店舗に和食屋を併設したが、そこではまた甘味も供しているところから、家内に託された麻布 「青野」 の 「石衣」 をおみやげにして、その見学に行く。客席はこれまでギャラリーだった土蔵の2階にまるで隠れ家のようにしてあった。「オレがこの空間に名前をつけるとしたら『繭中居』だなぁ」 などと考えるそれは暖かみのある空間だったが、こういうときに限ってカメラを持っていない。

昼に帰社して仕事に復帰する。朝、クレイム処理のメイルを送付した顧客からは、そちらの提案した通りでかまわないという返信が戻っていた。早速に詫び状と発送伝票を作成する。

「あのー、注文は遅れましたが、しかしお歳暮なので、すぐに出荷していただけますか?」 と、法人の顧客から電話が入る。「遅い注文」 と 「すぐの出荷」 との相反する矛盾を高次元で妥結させる手段は、人の智恵と手とコンピュータの三位一体である。

「バタバタしてて注文が遅れましたけどね、日曜日の午前中までに品物を届けて欲しいの」 という電話も入る。「いえ、ウチもバタバタしてんスよ」 などとは口が裂けても言えない。「大丈夫でございます」 と答えつつメモを取って受話器を置く。

「あした支払いに行きますけどね、とりあえず請求書を郵便で送っておいてください」
「あの、いまから請求書を郵便でお送りしても、あしたまでには御社に届きませんが」

「お支払いはあしたします。しかし請求書は請求書で欲しいんです。私が何か、おかしいことを言っていますか?」
「あ、いえ」

いろいろな電話のやりとりをしつつ、「遅い注文」 と 「すぐの出荷」 とのあいだをつなぐ作業も並列して行っていく。製造現場へ行き作業の進捗状況を調べ、包装部門へ転じ、また店舗へ呼ばれる。

「このへんに美味っしいお菓子屋さんがあったんだけど、ご存じ?」
「そのお菓子屋さんの名前は分かりますか?」

「それが分からないのよ」
「どんなお菓子でした? 種類とか形とか、憶えていらっしゃいますか?」

「それも確かじゃないのよ」

というようなやりとりを、来店客と交わしたりもする。僕とお客様とのあいだに展開される、このように抽象的な会話の頻度は非常に高い。

連日の残業だった事務係のコマバカナエさんとイリエチヒロさんは、今日こそは残った作業を明朝に残して定時に帰宅した。僕はその後1時間だけ事務室へ居続けて仕事をした後、ゆっくりと本酒会へ行く準備をする。

第139回本酒会は定刻の7時30分に "Finbec Naoto" で始まった。今日ここに出る17本のお酒はすべて、秋田県能代市の天洋酒店による

スモークトサーモンとタラバガニのフリボリテ小海老と板谷貝のグラチネフォアグラのフラン。僕が最も好きな名前を持つ日本酒 「聴雪」 を飲むスズキのムニエル牛フィレ肉のロースト。なにしろ今夜は17本のお酒を飲むわけだから、1杯あたりの量は1酌以下に抑えて慎重にグラスへ注ぐ。口直しのカレーライスは小皿へ上品に盛られるが、その上品さゆえ、これを3皿もこなす人がいる

金柑のコンポート焼きリンゴのパイと蜂蜜のアイスクリーム、エスプレッソてに締める。

今日の出席者16人に対してお酒は4合瓶1升瓶をとりまぜて17本もあるため、誰がどの瓶を持ち帰るかのくじ引きをし、僕は喜久水酒造の 「高橋良吉」 を引き当てた。

そのクジに連動して選ばれた、会員の持ち寄りによるプレゼント、「高橋良吉」 の飲みかけの1升瓶、会が始まる直前、会員でもあるカトーノ外注SEにウェブショップのシステムをすこし手直ししてもらったThinkPad X31、中のフィルムを撮り終えていないため持ち込んだ2台のライカと1台のデジタルカメラ。この大荷物をザックへ入れたりカゴへ収めたりして 「帽子、かぶってきて良かったー」 という寒さの中を電動自転車にて帰宅する。

入浴して牛乳を300CCほども飲み、11時前に就寝する。


 2004.1216(木) 材料と完成品のどちらが美味い?

4時に目を覚まし、「くさっても、ライカ 2」 のペイジをかなりこなして5時30分に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。

南から東へ向けて一直線に伸びる雲が窓の外にある。この季節には珍しいもののように思われ、おばあちゃんの居間のヴェランダへ出てその写真を撮る。北西にある日光の山々はいつもの姿で晴れている。

25年ほども前に読んだ 「香港 旅の雑学ノート」 の中で、自室から見える風景について山口文憲は、建物と建物とのあいだの、まるで隙間のような空間からヴィクトリア湾を望遠できるが、これは香港に住む者にとっては例外的に贅沢な景色、というようなことを書いていたように記憶する。そこからすれば、自分の住む環境は非常に空が広い

ここでふと 「パリの街なかの空はどうなのだろう?」 と考える。玉村豊男の 「パリ 旅の雑学ノート」 はとうのむかしに紛失をしてしまった。あるいはオフクロに貸したままになっているのかも知れない。

朝飯は、メカブの酢の物、納豆、ほうれん草の油炒め黒酢がけ、メシ、けんちん汁

事務係のコマバカナエさんが休みの日という非常時に限って、夜中に入ったウェブペイジの注文が多い。これを早々に処理しようとするが、次から次へと電話が鳴ってその目論見が阻まれる。しかしその電話の中には、いまからでもお歳暮の発送はしてくれるか? 送付先リストは希望の形で送る、などという新規顧客からのものも混じっていて、20分後にはエクセルによる数十件の名簿がメイルに添付されて到着したりするのだから、もちろん泣きごとを言ってる場合ではない。

あるいは、年末にこれくらいの忙しさがなければ、メシは食っていけないのである。

僕はザラザラと荒れた指先で、しかもMAS突撃銃のような勢いでキーを打つから、キーボードはおよそ1年ほどしか保たない。そうすると新しいコンピュータを買い、それまで使っていたものはキーボードを交換して、コンピュータを持たない社員に上げたり、あるいは社内用にしたりする。今月10日に "IBM" の部品センターに電話をしたところ、いま使っているX31のキーボードの在庫は無く、納品は1ヶ月ほど先になるかも知れないと言われた。

そのキーボードが、送金からわずか4日にして配達をされる。不確実な情報提供も、こういうものであれば迷惑ではない。

終業後90分ほど仕事を続けて居間へ戻る。体調は既にして復旧しているが、「夜の闇が迫ったら、やっぱり酒だよねぇ」 という気分でもない。「このまま酒を必要としないからだになってしまったら、蔵に汗牛充棟のワインは誰かに飲んでもらうしかないが、それもいかにも惜しい」 と、現実味のない心配をしたりもする。

椎茸と水菜と胡麻のおひたし銀鱈と鮭の粕漬湯豆腐千枚漬とすぐきにて飲酒は為さず、炊きたてのメシを2杯食う。ワインよりも葡萄の方が美味いと思ったことはただの一度もないが、しつこいようだが酒よりは米の方がはるかに美味い。

家内と次男がデザートのイチゴを食べているあいだ、僕は飯茶碗に白湯を入れ、こびりついた壬生菜を箸の先で茶碗の壁から解かし剥がして、これを禅坊主のように飲む。「3日も酒を抜いたんだから、来週月曜日の採血はあしたにしてもらいてぇなぁ」 と思うが、それは血中の諸々を調べようとしているオカムラ外科が承知をしないだろう。

入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2004.1215(水) 扇動

目を覚まして枕頭の灯りを点け、時計を見ると4時だった。「この時間ならしばらくは本が読める」 と、嬉しい気分で

「くさっても、ライカ 2」  田中長徳著  アルファベータ  \1,470

を床から拾い上げ1ペイジ目を開く。熱は去ったようだがそのかわりに腰が痛く、倦怠感も消えない。すぐに疲れて灯りを落とし、ふたたび眠って7時に起床する。朝飯は、玉子と三つ葉の雑炊、刻み昆布、熱いプーアル茶

始業したばかりの時間に得意先のラーメン屋さんから電話が入り、うっかりして注文をし忘れた、明日の商売に使う味噌が無い、すまないが今日中に配達をしてくれないか、と言う。数十キロも離れたところに数千円の味噌を自社のクルマで配達をすれば粗利が経費に追いつかない。採算を度外視したとしてもいまは年末にて社内は高密度高回転の時期である。

しかし方法がないわけではない。朝9時30分までにヤマト運輸の営業所へ荷物を持ち込めば、本日の午後2時には県内のどこであっても配達をしてくれるサーヴィスがある。これを利用すべく製造現場で荷造りをし、8時50分に三菱シャリオをヤマト運輸の日光営業所へ乗り入れる。

その足で関根耳鼻科へ向かい診察を受ける。ノドは腫れていないとのことにて葛根湯を処方される。会社へ戻る途中 「死んだ枝雀の 『葛根湯医者』 を聴いたのは、どこの寄席でだっただろうか」 と考える。

「今日の晩飯もおにぎりにしよう」 とは、昼前から思っていたことだ。きのうは2個だったそれを今日は3個にしてけんちん汁と熱いプーアル茶を飲む

30年ちかく以前 「中国人が常飲するウーロン茶には脂肪を分解する性質があるため、彼らの中にデブはいない」 との理由にて、それまでは見たことも聞いたこともなかったこのお茶を日本人がこぞって飲んだ時期があった。「中国人にデブはいない」 などという馬鹿ばかしい扇動に、人はどうしてこうも簡単に乗ってしまうのかと不思議に感じたが、つい数年前には 「赤ワインにはポリフェノールが含まれるから、これを飲めば健康が増進される」 という扇動があった。

すこし考えてみれば、あるいは少しも考えなくても分かることだが、酒を飲んで健康に良いことなどひとつもあるわけがない。あるいは百歩譲って少量の赤ワインであれば健康を害さないとして、しかし少量の赤ワインから一体どれだけのポリフェノールを摂取できるというのか?

「健康のためにあれこれを食べる」 という考えが僕は好きではないが、きのうから飲んでいるプーアル茶には利尿作用があるのだろうか、おなじほどの日本茶や牛乳を飲んだときにくらべて、便所へ立つ回数は明らかに増えている。もっともこのことについても別段、飲んだものや小便の量をメスシリンダーで計測しているわけではないから本当のところは分からない。

もはや体調の不良も感じないため、入浴して9時に就寝する。


 2004.1214(火) 消極的な理由

何かの気配で0時30分に目を覚ます。それからずっと眠れず、しかし 「東京装置」 を読み続けることは辛く、ときおり灯りを落としては浅い夢を見る。気がつくと6時30分になっている。起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。

目を覚ました0時30分には、晩飯どきに飲んだ泡盛のお湯割り2杯がいまだからだに残っていた。そして明け方近くになるとそのアルコールはどこかへ去ったが、こんどは胃に鈍い痛みがある。朝飯は家内に頼んで、玉子と椎茸と三つ葉の雑炊にしてもらう。高級すぎる牛肉を食べて腹に変調をきたしたのだろうか。

胃の痛みが強くなってきたため昼ごろに胃薬を飲むが、これが吸収をされないらしく、いつまでもその爽やかな匂いがのど元にこみ上げてくる。そして痛みは夕刻まで去らなかった。ことによると消化器を狂わせる性質の風邪にかかったのかも知れない。今年は10月末、11月末と高熱で数日を伏せったが、今回もまた風邪となると、この十数年のうちに丈夫になったからだがまた元に戻ってしまったのではないか? という懸念さえ浮かぶ。

不調に耐えて社内のあちらこちらを見て歩く。更に終業後も事務室へ居残って、突然舞い込んだ、多方面へお歳暮を送付する注文をマイツールに打ち込み、先ず品別に、次に郵便番号順にソートをかける。そして繰り越し演算。このフォーマットを完成させて居間へ戻る。

晩飯にはおにぎりが食べたいと思い家内に注文すると、胃の具合が悪ければ雑炊かうどんにする方が良いと言うが、雑炊は朝に食べたしうどんは昼に食べた。というわけで、明太子と刻み塩昆布のおにぎり各1個を晩飯とする。もちろん飲酒は為さない。1ヶ月に8回の断酒予定を、10月と11月にはそれぞれ9回も達成した。これは自分の意志の強さによるものではなく、とてもではないが酒など飲む調子ではないという消極的な理由によるものである。

入浴はせずに熱いプーアル茶を飲む。先日発熱をした際に関根耳鼻科から処方されいまだ余っていた薬も飲む。家内と次男がデザートのイチゴを食べている時刻からベッドに入る。すぐに寝入ったが、急に熱が上がり、またその熱の落ち着いた感触を夢のうちに感じる。

10時30分に目を覚まし、すぐに二度寝に入る。


 2004.1213(月) 「脂が食いたいぞ」欲求

5時30分に目を覚ます。きのう僕が寝るとき家内はテレビで 「新選組!」 を見ていたことを考えれば、およそ9時間も休みなしに眠り続けたことになる。僕は早寝早起きではあるけれど、今日の睡眠時間をみても、別段、規則正しい生活を送っているわけではない。

事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、白菜漬、ほうれん草の油炒め、納豆、メシ、きのう次男がサイトウトシコさんちからもらってきたけんちん汁

ソウルに住む韓国人の男の人から2万円の送金があり、別途、旧仮名遣いの日本語で書かれた手紙も届いて、そこには大根のたまり漬をその金額内で可能な限り送ってほしい旨の文章があった。また年末ギフトの注文に混じって、遠洋航海に出る船員の奥さんから、だんらんのたまり漬を3万円分すぐに欲しいという電話が入る。

お客様の注文はすべからく有り難いが、本日のこの2件は、ことに記憶に残った。

終業時間から90分が経過して、いまだ発送伝票に起こせないメモが事務机に山積している。「今日はもうここで終わろう」 と、事務係のコマバカナエさんに帰宅をうながす。

晩飯をひかえて、白菜漬を肴に泡盛 「宮の華」 のお湯割りを飲む

厚揚げ豆腐、玉ネギ、エノキダケ、舞茸、椎茸、糸こんにゃくを煮た鍋に、自腹では購わない性質の高級牛肉を1枚ずつ差し入れすき焼きとする。肉好きにもかかわらず次男はこれを数枚こなしたのみにて 「もう食えない」 とため息をついた。サシの細かく入った牛肉は少量でも 「脂が食いたいぞ」 欲求が満たされてしまうため、そうたくさんは食べられるものでない

入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時に就寝する。


 2004.1212(日) 計画経済

目を覚ましてしばらくは、その姿勢のまま静かにしている。しばらくとはこの場合、数分ではなく数十分と思われる。いよいよ枕頭の灯りを点けて時計を見ると3時20分だった。「東京装置」 を開き、これを6時まで読んで起床する。

事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、納豆、ハヤトウリのぬか漬、長ネギと椎茸の和風オムレツ、メシ、大根と三つ葉の味噌汁

先月の27日、連日の二日酔いにより朝飯のおかずをそれまでの5、6品から3品に落としたところ、この量で腹も気分も充分に満たされることを知った。以降、家内には朝飯のおかずを3品にするよう言ったが、そのうちこれが4品になることが多くなった。「このまま元の5、6品に戻ってしまうのだろうか?」 と懸念をしていたところが、今朝からはまた3品に落ち着いて安心をする。

事務室、店舗、製造部門、包装部門と渡り歩いて終業時間に至る。冷蔵ショウケイスの商品がほとんど空になりながら接客に追われ、その補充ができないといういっときが本日の店舗にはあった。しかし師走はいまだその半ばにも達していないから、この繁忙にはこれから更に2週間ほどは長引いてもらう必要がある。

「家庭の計画経済」 というような言葉がある。家計において無駄を廃し、よく練られた計画の通りに購買活動を行えば、これは健全な家庭の礎になるだろう。しかし街を5分ほども歩けば、あるいはスーパーマーケットやホームセンターのフロアをひととおり回れば分かることだが、勉強をしている店であればあるほど、人に無駄金を使わせるような仕組みをそこここに用意している。

「買いたい病」 という病がある。これは計画経済の対極にある、人間の欲望による病である。「35ミリはズミクロンがあるんだから」 と言ったにもかかわらず、オヤジはフォクトレンダーの35ミリパンケーキを買った。「フードなんて、どうせ使わないんだから」 と言ったにもかかわらず、オヤジはこのパンケーキ用のフードを買った。

ライカマウントの35ミリが2本あって、どのようにしてそれを使い分けるのか? そして本日、このフォクトレンダーのレンズをライカの "M2" に付けてみる。それは悪い景色ではない。しかし僕がこのエムニを使うとしたら、そのレンズにはやはりズミクロンを選ぶだろう。

しかるに、このパンケーキを死蔵しないためにはどうしたら良いか? エムニごと誰かにくれてしまう以外に道はないのではないか? 計画経済という思考が常に念頭にあれば、こういう状況は訪れなかったに違いない。だったらお前はやはり、そういう品行方正な経済の下に身を置きたいか? と訊かれれば、決してそのようなことはない。

初更、サイトウトシコさんの家へ朝から遊びに行っていた次男が鍋ごとおみやげにもらったカレーによるカレーライスを食べる。酒を遠ざけるに、カレーライスは格好のメニュである同じくサイトウトシコさんからもらった白菜漬を食べる。また、ご近所からもらったふかしジャガイモのユズ味噌和えを食べる。最後に、これだけは家で作ったツナとキャベツのサラダを食べる

入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時前に就寝する。


 2004.1211(土) 水くさい友達

5時に目を覚まし、「ライカの写真術」 を開いて6時にこれを読み終える。僕は本は読むそばから忘れる。小説なら忘れても損害はないが、こういう技術の伝達書も同じように忘れる。だったら読んでも仕方がないではないかと言われれば、返す言葉もない。

事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、ハヤトウリのぬか漬、メカブの酢の物、ほうれん草の油炒め、納豆、メシ、シジミと長ネギの味噌汁

空は晴れているが雲も多い。暖かいのか寒いのかについてはよく分からない。人が 「寒いですねぇ」 と言えば 「そうですねぇ」 と答え、別の人が 「今年はいつまでもモヤモヤして変な天気ですねぇ」 と言えばまた 「そうですねぇ」 と返事をする。暑いも寒いも個人に帰結して、決して客観的なものではない。

閉店もちかいころに家内が外に目をやりながら 「ホシ君、らっきょうを買ってくれたんだけど、なにかが切れちゃったみたい」 と言う。店舗駐車場に出てみると、むかし "Time Transfer" という、正確な英語かどうかは知らないが、とにかくそういう名のオートバイのグループで一緒だったホシ君が、ワンボックスカーのエンジンフードを上げて中を覗き込んでいる。

近づいてみるとホシ君は携帯電話のカメラが補助光とする小さな豆電球で手元を照らしながら、ヘッドランプの切れたバルブを交換しているところだった。僕にひとこと懐中電灯を貸してくれと頼めば良いようなものを、しかしこういう水くさい友達が僕は好きだ。事務室から懐中電灯を取って戻り、それをホシ君に使ってもらう

やがて閉店の時間になったため 「ホシ君、それ貸しとくよ」 と言うと 「店が閉まっちゃったら、どこから返すんですか?」 と訊くので 「いいよ、そのうちで」 と重ねると義理堅いホシ君は 「とんでもありません、すぐに終わらせます」 と答え、本当にすぐ作業を終了させた。

そのまま事務室で1時間ほど残業をし、先日は金曜日の夜にもかかわらず我々を含めて二組しか客のいなかった "Casa Lingo" へ行く

オリーヴオイルを振った生ガキを食うカラフの白ワインを飲む。立って厨房の入口へ行き、生ガキの追加を頼む出てくるまでは何が盛られているのか不明のサラダが好きだ石釜で焼いたラザニアも食う。まだまだ食ったが 「そんなに食って馬鹿じゃねぇか」 と思われるのもシャクなので、このあたりで止めておく。家内と次男がアイスクリームの乗ったデザートピッツァを食う僕はそれには手を伸ばさずにグラッパを飲む

"Casa Lingo" は今夜こそは、毛糸の帽子をかぶったままでメシを食うような女の子たちのパーティもあって満杯だった。

帰宅して入浴し、"amazon" への出品者から1円で買った

「東京装置」  小林紀晴写真・文  幻冬舎  \1,680

を少し読んで10時前に就寝する。


 2004.1210(金) あづまはし

昨夜の就寝が0時だったにもかかわらず、目覚めて枕頭の時計を見るといまだ4時だった。「ライカの写真術」 を読んだり、また灯りを落として休んだりしつつ5時30分に起床する。ダイニングキッチンで熱いお茶を飲み、明け方に読んだ本をふたたび机上に開く。

長男が起きて米を研ぐ。この時間から朝飯を作り食べるのだから、本日の登校はそれほど早くもないらしい。炊飯器が蒸気を吹き始めるころに玄関を出る。家の中ではメサイヤのCDが鳴り続けている。

切通坂を降りて天神下から湯島の繁華街、いや繁華街というよりは享楽街と呼ぶべき一角を歩き上野広小路へと抜ける。7時をすこし過ぎて浅草に着く。首から "?c" を提げて吾妻橋のあたりを散歩する。橋のたもとにある銘板へふと目を向けると 「あづまはし」 とあって、「はし」 の読みに濁りのないことを知る。隅田川にかかる他の橋についてはどうなのか。

9時をまわって帰社する。日常の業務をこなして夜に至り、なお事務室に居残って仕事をする。

白菜、椎茸、豆腐、豚肉団子などを煮込んだ鍋に水菜と薄切りの豚肉を投入し、ポン酢にて食べる。また泡盛 「与那国」 のお湯割りを飲む。

入浴して冷たいお茶を飲み、9時30分に就寝する。

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本日の日記は理想の600文字に収まった。毎日このサイズ守れれば、その制作時間は僅々15分で足りるだろう。それが分かっていながらついつい長く書いてしまうところが悩ましい。


 2004.1209(木) ピョロリンあるいは "?c"

薄闇の中で目を覚まし、「ライカの写真術」 を途中まで読んで6時に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。きのうまでの晴天は今日から曇りに転じたが、それほどの寒さは感じない。

朝飯は、ハヤトウリのぬか漬、メカブの酢の物、明太子、納豆、メシ、ワカメと油揚げと長ネギの味噌汁

ウェブショップはその構造上、複数の送付先への商品発注を一度の手間で処理することが難しくできている。この面倒さを幾分かでも軽減するために考えカトーノ外注SEに頼んで作ってもらったのが、エクセルによるフォーマットだ。これは最大10件の送り先に対して、ウェブショップにある商品であれば、これを個々の送付先へどのような組み合わにても一発で発注できる優れたシステムだ。

エクセルのファイルで届いた注文書をマイツールへコピーし、これを製造現場や顧客のための発送伝票に書き換えるとき、この1年ほどは手動でこれを行ってきたが、きのう遂にその30手ほども費やす作業をマクロに組んだ。そうしたところが折良くこのエクセルによる複数宛の注文が顧客によりメイルに添付され入ってきたため、早速できたばかりのマクロを回してみる。これまで手で数分の行程を要したその伝票化は結果、ピョロリン!とゼロコンマ数秒でマイツール上に整理統合されてしまった。思わず 「いいじゃん」 と口走る。

で、そのマクロによって浮いた時間に何をしているのかといえば、別段、大したこともないところが愛嬌といえば愛嬌である。

初更、毎月第二木曜日に自由学園の明日館で開かれる、同学会の本部委員会へ出席をする。明日館は9時に閉まるため、更に協議すべき案件については、ちかくの中華料理屋へ移動をしてこれを行う。34回生のテイブルと35回生のテイブルとの間に今期と来期の諸々についての相談連絡が何度も往復する

日記用にその様子を撮っていると 「よー、オレの写真も撮ってくれよー」 と知らないオジサンに肩を叩かれたため、デジタルカメラに1枚を収めた後、25ミリのレンズを付けた "Leica ?c" にて更に3枚を撮影をする。

11時をすぎて甘木庵に帰着する。シャワーを浴び冷たいお茶を飲んで0時に就寝する。


 2004.1208(水) 旧ラヴェルのワイン

むかしの小学校にあったような小さな木の椅子に知らない人ふたりと共に座り、地面から1メートルほど浮いた状態で、森の急な斜面を滑るように落ちていく。目の前には次々と大木や鋭くとがった葉を持つ植物が現れるが、不思議なことに我々がそれらに衝突をすることはない。落ちていく速度があまりに速いため、腰のあたりがゾクゾクする。

小さな木の椅子は遂に森から抜け出して、グッゲンハイム美術館のような丸い建物の屋上に着地した。その建物の外縁部には螺旋状のひさしがあり、それをグルグルまわりながら地上に近づこうとするが、そのひさしが外へ向かって傾斜をしている上、四つんばいでなくては前へ進めないような危険な場所であるにもかかわらず、我々3人はここをなぜか、今にも足を踏み外しそうになりながら走り下っている。またしても、腰のあたりがゾクゾクする。

このころになるとさすがに眠りの中でも 「こんな夢は心臓に悪い」 と感じはじめ、まぶたを強制して開いてしまう。枕頭の灯りを点けて右へ目を転ずると、時計は5時を指していた。高所から落ちる夢を、僕はかなり頻繁に見るような気がする。

事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、メカブの酢の物、ほうれん草のおひたし、胡瓜のぬか漬、納豆、メシ、豆腐とワカメと長ネギの味噌汁

いつものように淡々と仕事をこなす。必要に応じて諸方に電話をかけまたメイルを書く。あちらこちらの本屋で絶版の表示が出ていた

「ライカの写真術」  内田ユキオ著  ナツメ社  \1,890

"jbook" より届いたため、これを持って居間へ上がる。

宅配ピザを宅配させず、店におもむいて買ってきたトマトとベイジルのピッツァそのオマケのポテトフライ水菜とベビーリーフとタラバガニのサラダタラバガニとトマトのスパゲティこれらを肴に "Mouton Cadet Blanc Baron Philippe Rothschild 2002" を飲む

このワインは旧ラヴェルの在庫が希望小売価格の半額で放出をされたものにて、1本が950円という価格は上出来である。「ラヴェルが汚れているために安いワイン」 とか 「表紙が汚れているために安い写真集」 とか 「露出計による擦り傷があるために安いライカ」 とか、そういう出物が僕は嫌いではない。

入浴して冷たいお茶を飲み、「ライカの写真術」 をすこし読んで9時30分に就寝する。


 2004.1207(火) 酒の代わりにポカリスエットでも飲めば

気がつくと6時を知らせる街のオルゴールが鳴っている。きのうの睡眠時間は日記を見る限り3時間30分にすぎない。その反動だろう、今日は9時間も眠ったことになる。

起床して事務室へ降り、きのうの日記を書き終え題名を 「酒の代わりに牛乳を飲もう」 としたところで、20年ほど前に町内のオノグチショーちゃんから 「卓ちゃん、酒の代わりにポカリスエットでも飲めば体にいいぜ」 と言われたことを思い出す。酒の代わりにノンアルコール飲料を飲んで恬淡としていられれば、これほど楽なことはない。

更に 「週刊ポストの代わりにドラッカーでも読んだ方が人間は高級になるぜ」 とか 「コバヤシサチコの代わりにヘンデルでも聴いた方が子供の教育にはいいぜ」 とか 「エルグランドの代わりにホンダのセダンにでも乗った方が趣味の良い家族に見えるぜ」 というようなその応用を思いつく。思いつきはするが、人の好みというものはどうすることもできない。

7時にエレヴェイターを上がり洗面所の窓を開けると、霧降高原のスキー場には刷毛ではいたような雪があった。もっとも何ヶ月か前に読んだ下野新聞によれば、ここ数年の赤字により、ウチから最も近いこのスキー場は今年は営業されないらしい。

朝飯は、白菜漬、キャベツとソーセージの油炒め、ほうれん草のおひたし、メシ、大根と三つ葉の味噌汁。キャベツの油炒めが多いために、つい飯をお代わりしてしまう。キャベツの油炒めは40年来の好物である。

おやじが明日エムロクを持ち出したいと言うので、残っている5、6枚のフィルムを使ってしまおうと、昼飯を素早く済ませて外へ出る。カウンターが24を越え25を越えてもまだフィルムは無くならない。「さては36枚撮りのフィルムだったか」 と、そのすべてを費消することはあきらめ仕事場へ戻る。

夜7時より、一昨日に続いて 「市之蔵」 へ行く。先日は春日町1丁目役員会の忘年会、今夜は同青年会の忘年会だ。我が町に 「市之蔵」 以外の飲み屋がないわけではもちろんないが、ここを公認酒場のようにして使う町内は多い。本来であれば定休の火曜日であるため軒先にノレンはないが、磨りガラスの奥からは店内のさんざめきが伝わってくる

飲んで話し、来年の新年会の取り決めなどをする。なかなか現れない青年会員には遠慮なく電話で招集がかけられる。そうして呼び出された者にはカメラや家電製品と同じくスキミングプライスが採用され、到着が遅れるほど会費は安くなる。今夜の最低会費は500円だった。喧噪の中、入れ込み奥にある座布団置き場で僕は1時間ほどの睡眠をとる。

10時30分をすぎて帰宅し、入浴して冷たいお茶を飲む。「アジア的生活」 を読んで0時30分に就寝する。


 2004.1206(月) 酒の代わりに牛乳を飲もう

何かの物音に目を覚ましたのは、深夜0時30分のころだったと思う。それから延々と眠れず、先ず 「魂の流れゆく果て」 を読み終える。次に、既にして枕頭に用意しておいた

「アジア的生活」  浜 なつ子著  講談社文庫  \600

を開き、遅読の性分にもかかわらずこれを半分ちかくまで読んでしまう。さすがに疲れて時計を見れば5時がちかく、だから灯りを落として眠ろうとすると、うとうととした直後に不快な夢を見ることを2度くり返し、遂に起床する。

事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、白身の部分を削ぎ落とした目玉焼き、ハム1枚、メカブの酢の物、白菜漬、ほうれん草と海苔のおひたし、メシ、豆腐と万能ネギの味噌汁

日中は 「生まれてこの方、これほど地方発送の伝票を作成したことはなかったぜ」 という量の伝票を処理する。別段、景気が良いわけではない。たまたま本日に注文が集中してあしたはヒマ、ということも考えられるし、また今日は事務係のひとりが交代で取る休みに当たっている。それに伝票の量は多くても、その総額が高いかどうかはいまだ集計をしていないから不明である。

晩飯の前に 「アジア的生活」 をすこし読む。

生のトマト牡蠣フライ刻みキャベツメシ、イクラの醤油漬、白菜漬。牡蠣フライはおしなべて、家で食うものが第1等に美味い。フライを食べたら次は刻みキャベツを口へ入れるのが常道かも知れないが、炊きたてのメシが美味すぎて、どうにもメシばかりに箸が伸びる。

12月は飲酒の機会が多くなるだろう。だから断酒のノルマは早めにこなさなくてはいけない。今月2度目の酒断ちをし、牛乳を250CCほども飲む。

入浴して更に250CCの牛乳を飲み、9時に就寝する。


 2004.1205(日) カイロ

闇の中で目を覚ます。枕頭の灯りを点けると4時だった。ハセガワヒデオ君の一周忌からの帰りに、池袋駅中央コンコースから北口へ抜ける通路の本屋で買った

「魂の流れゆく果て」  梁石日著  ペソ写真  光文社文庫  \514

を読んで5時に起床する。手がヤスリのように荒れているため、フリースのセーターでさえまるで伝線しそうにその繊維が指に絡みつく。製造現場や冷蔵庫へ入って作業の進捗状況を調べ、事務室へ戻っていつものよしなしごとをする。一晩中降り続いた雨は上がった。7時に居間へ戻る。朝飯は、白菜漬、メカブの酢の物、スペイン風目玉焼き、納豆、メシ、大根と三つ葉の味噌汁

きのう注文したばかりの家内のコンピュータが早くも午前中に配達されて、大いに驚く。僕のマシンは "IBM" へ直に発注をしたが、こちらの納品がいつになるのかは分からない。日中は事務室、製造現場、包装現場、店舗と渡り歩く。

春日町1丁目の役員はその大方が既にして仕事から引退をしているため、また本日は日曜日のため、その忘年会は早くも6時の開始と知らされていた。上着の左袖に 「安全安心パトロール 今市市・今市警察署・今市市防犯協会」 と文字のある反射板付き腕章をはめて自転車に乗る。これは先日イワモト区長より 「なにかのときにはつけてください」 と頼まれたものだ。「なにかのとき」 と言われても、僕が夜の街に身をさらすのはこの時期、町内の忘年会くらいしかないのではないか

ぴったりの額の会費を 「釣りはいんねぇよ」 と会計係に差し出す人がいる。お運びの女の子に 「握手!」 と言って、握った手を放そうとしない人がいる。またその女の子に、自分の背中から粘着式のカイロを引きはがして 「まだ使えるよ」 と手渡す人がいる。どれもこれも同じ人物であるが、この人はまた清廉な気質や少年のような愛らしさを持ち合わせているため、店の人も含めて周囲に不快な感じを与えることは絶えて無い。もっともだからといって、僕がこの人の行為を称揚するものでもない。

長老たちの宴会は早くに始まり、また早くに終わる。8時前に帰宅する。入浴してビールを350CCほども飲み、「魂の流れゆく果て」 を読んで9時30分に就寝する。


 2004.1204(土) 朝飯のおかず

深夜2時に目を覚まし 「カメラコラム300」 を開くが、体の疲れからこの軽い文章ですら読み続ける気力が湧かない。枕頭の灯りを落としていつの間にか二度寝に入る。街の真ん中で鳴る6時のオルゴールに気づいて起床し、事務室へ降りていつものよしなしごとをする。きのう受注していまだ処理を終えていない伝票が、乱れ箱に仕分けをされてそこここにあるのも年末の風景だ。

朝飯は、納豆、胡瓜と大根のぬか漬、白菜漬、ほうれん草の油炒め、メシ、豆腐とワカメと長ネギの味噌汁。48歳の朝飯のおかずは、これくらいカロリーの低いものが妥当のような気がするが、これをもう一歩すすめて胡麻塩とか刻み塩昆布とか海苔とか山葵漬けにしてしまったらどうだろう、というようなことも考える。

家内は "ThinkPad 530" をキーボードの文字も判別できないほどに使い、その後 "240" に乗り換えたが、しかしこれもOSが98ということを考えれば、かなり古いマシンである。午後、家内と僕の "X31" を、それぞれのスペックに応じて最も価格の安い店に発注する。折り返しメイルが届き、家内の分については早くも明日に到着する旨を知らされる。自分の買物のかなりの部分は、ウェブ上のそれが占めている。

終業後に顧客へ宛てて、11月のはじめより数えれば3通目のものとなるメイルマガジンを発行する。「粗相があってはいけない」 と考えつつ行うメイルマガジンの発射は、あいかわらず神経を使う作業だ。

鮪ホタテいくら丼白菜漬シジミと万能ネギの味噌汁を晩飯にして飲酒は避ける。12月は飲む機会が増えるだろうから、断酒のノルマは早めにこなしていく必要があるだろう。「食えないもののあることが悔しい」 とすら考える長男にくらべて次男は未知の食べ物に保守的だが、今日はホタテの刺身が食べられるようになって同慶の至りである。

入浴して冷たいお茶を飲み、9時30分に就寝する。


 2004.1203(金) メシ屋へ行こうよ

隣室に置いた長男のものと思われる携帯電話が電子音を発して目を覚ます。およそ人工的な音で眠りを破られるほど面白くないことはない。枕頭の時計を見ると4時30分だった。それからの1時間に携帯電話は更に2度の呼び出し音を闇にとどろかせ、長男は5時40分に起床した。僕も同時に起きて熱いお茶を飲む。

湯島の切通坂を歩き天神下の交差点をすぎると薄明よりも幾分か光を増した街に、汚いものであれば歩道に流れ出した生ゴミの汁であったり、綺麗なものであれば胴体に仕込まれた灯りを消し忘れたサンタクロースの人形であったりというような、昨夜の名残が見えてくる。

9時すぎに帰社して仕事に復帰する。とたんに暮の繁忙へと巻き込まれる。

午後、"FSE" のシバタサトシさんが来て、使い始めてから2ヶ月にも満たないBフレッツを元のADSLへと戻す作業をする。「ウワサワさん、ノボリは多少はやくなっても、クダリはほとんど変わりませんよ」 と言った外注SEのカトーノさんに従っていれば、この2ヶ月の心地悪さは感じずに済んでいたことになる。

1時間後に復旧作業が完了する。以降はルータの力不足による回線の断裂もなく、複数のコンピュータはみなしごくなめらかな通信環境を取り戻した。

終業時間が来ても、事務室では日中に受けた注文のメモやファクシミリを発送伝票に起こしきれず、連日の残業になっている。「オレのする仕事、なにかないかな?」 と訊くとコマバカナエさんが 「ありません」 と言うので、それらの仕事は家内とふたりの事務係にまかせて居間へ戻る。

ソファで田中長徳の 「カメラコラム300」 を読みはじめてしばらくしたころに家内が帰宅する。7時もすぎていれば今夜は外食だろう。次男の提案する店をさえぎり "Casa Lingo" へ行くことに決める。

春先にホタルイカ、秋口にキヌカツギなどの文字を料理屋の黒板に見つけると、それを注文せずにはいられない。冬の生ガキもまた同じである。 その生ガキにはほんの少しのオリーヴオイルが差してあってとても美味かったカラフの白ワインを飲む

カボチャのポタージュ、ブロッコリーとゆで玉子のピッツァ、ニンニクと唐辛子とベイコンのスパゲティ、トリッパのトマトソース煮込み、スズキのジェノヴァ風牛すじ肉の煮込み。店主兼料理長ヨシハラさんの奥さんが 「いくらでも飲んでくれ」 という風に、僕の目の前に無濾過のボジョレヌーヴォーを静かに置く。これにてほぼ酩酊である。

それはさておき金曜日の夜にもかかわらず、この店の客が我々を含めてわずか2組とはどういうことだろう。食べ物屋にとって最も大きな店内装飾は、楽しそうにメシを食う満杯の客に他ならない。「いい店なんだけどねぇ、みんなもっと、こういうところで金を使えよ」 と、見えない誰かに向かって声にならない声を出す。

帰宅して入浴し、9時30分に就寝する。


 2004.1202(木) ハセガワヒデオ君の一周忌

早めに事務室へ降りて11月本酒会報の綴じ、折り、封筒詰め、それにタックシール貼りを行う。タックシールは毎月これを印刷するのが面倒なため1年分をまとめて作ってしまう。そうするといきおい新しい会員への封筒は手書きになる。どちらが便利なのかは知らない

朝飯は、ワカメの土佐酢、納豆、蕪と胡瓜のぬか漬、きのうの夜の豚肉と白菜と椎茸のクリーム煮、メシ、けんちん汁

下今市駅16:03の上り特急スペーシアに乗る。この6両編成の筒の中にいてつかの間、朝からつい30分前まで続いた繁忙から開放される。エムロクにフィルムを装填する。夜間行軍をしながらフィルム交換のできるカメラはライカだけ、と岡村昭彦は言ったそうだが、彼が使ったライカはエムサンである。"M3" までのフィルム交換と "M4" 以降のそれとのどちらが簡単かは慣れによる。

師走の喧噪、既にして目立ち始めたクリスマスの飾りつけを横目に雑踏を過ぎ、静かな暗い道に浸透していく。桜の古木と暖かな白熱灯の明かりが見えたら、そこが自由学園の明日館だ。今夜はここで、昨年の12月7日に亡くなった同級生ハセガワヒデオ君の一周忌が行われる。

受付を済ませて中二階の食堂へ行く。故人をしのぶたくさんの人たちがそこにはいた。ヴィオラよりも小振りの、初めて見る古楽器4台による前奏が静かに流れるなか、ヒデオ君の弟ノブタカ君による礼拝は始まった。賛美歌は1番、聖書の朗読は詩編23篇。お祈りがあり間奏があり、賛美歌276番を歌う。

「思い出の話」 のひとり目は同級生のヤマシタヨシマサ君が務めた。その後、ヒデオ君の仕事仲間が自分の追憶を披露した。ハセガワヒデオ君は、目白の幼児生活団がこの明日館に置かれていた時代の最後の卒業生だ。そのときの友達が当時の写真を持ち来てヒデオ君のお母さんにそれを見せ、思い出を語る

ヒデオ君は生前なにかの折に 「神聖な明日館でビールなんか飲むんじゃねぇよ」 と言ったという。そのため礼拝後のパーティにはビールではなく紅白のワインが準備された。当方はビールよりもワインを好むからすべて問題はない。しかし、どのような点をもってワインなら許されるのかは知らない。ハセガワヒデオ君の一周忌は、良い集まりだった。校歌の 「掲げよ旗を」 をまともに歌うと泣いてしまうので、「裏声で歌へ君が代」 のような塩梅で声を出す。お母さんに挨拶をして明日館を去る。

日本人がどうしてこうもビール好きなのかは不明だが、とにかくビールが飲みたいという同級生の面々と近くの中華料理屋へ移動をし、しかし僕は茶碗で紹興酒を飲む

10時30分をすぎて本郷三丁目へ達する。甘木庵に荷物を置いてから本富士警察前の 「神勢。」 へ行きウーロンハイを飲む。帰って熱いシャワーを浴び、0時30分に就寝する。


 2004.1201(水) これなら1本いけるね

いつものように事務室で朝のよしなしごとをするが、既に書いて保存しておいた11月の本酒会報は印刷をしたのみにて、ホッチキス止めと封筒詰めはできなかった。このウェブペイジ版も作らなくてはいけないが、そのためには更に早く起床をする必要がある。

朝飯は、タシロケンボウんちのお徳用湯波と三つ葉と椎茸の炊き物、蕪と胡瓜のぬか漬、納豆、メシ、けんちん汁

たくさんのお菓子を提げたクリスマスツリーを、家内と販売係が店舗に飾り付ける。これから忙しくなるのは製造部門と包装部門だが、12月の店舗は案外と静かだから、人に押されてつぶれるようなことはないだろう。お客様がお連れになる子供には本日以降 「そのお菓子、どれかひとつ取ってください」 と持ち帰りをすすめるが、大人にはもちろんそのようなことは言わない。

初更7時をすぎて "Moet & Chandon BRUT IMPERIAL" を抜栓する。飲み残してバキュバンで栓をするわけにはいかないから、 これを水のように飲む。思わず 「ヨシッ!」 という言葉が口をついて出る。何が 「ヨシ」 なのかはそれを発した本人にも不明である。そういえば本棚にある関川夏央の 「水のように笑う」 は、一度は読んであっただろうか。

茹でたタラバガニの脚より肉を引き出し、鉢へ溜めていく。より甲羅にちかい部分の肉も鉢へ溜める。蟹の肉をチマチマと食べるのは精神の衛生に良くない。溜めに溜めた蟹の肉にバルサミコとサラダオイルをかけまわし、これをシャンペンの肴とする。豚肉と白菜と椎茸のクリーム煮も、またシャンペンの肴とする。

当初の予定通りに緑のビンを空にし、入浴して9時30分に就寝する。