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清閑 PERSONAL DIARY

2019.9.19 (木) タイ日記(1日目)

00:33 “BOEING747-400″を機材とする”TG661″は定刻に11分おくれて羽田空港を離陸。
00:40 ベルト着用のサインが消えると同時にオフクロが遺したデパスとハルシオンを各1錠ずつ服用。
04:20 不織布による蒸しタオルを配る客室乗務員の気配で目を覚ます。気分は爽快。
04:49 ダナンの海岸線からインドシナ半島の上空に入る。
05:05 朝食を完了。片づけを待っていては遅くなるため、即、洗面所で歯を磨く。

05:45 地上の明かりが見え始める。
05:56 “TG661″は、定刻より54分はやい日本時間05:56、タイ時間03:56にスワンナプーム空港に着陸。以降の時間表記はタイ時間とする。

04:14 国内線乗り換えのためのカウンターに辿り着く。ここが開く5時までに腕時計を現地時間に合わせる。昨年の9月と今年の3月には2時間を遅らせるべきところ3時間も遅らせて冷や汗をかいた。そして今回も、重々注意をしたはずが、なぜか3時間を遅らせていた。腕時計とiPhoneとの照合は僕の場合、必須である

05:12 バンコクエアウェイズのカウンターでチェックインを完了。搭乗口はいまだ示されず。
05:15 パスポートコントロールで入国を完了。
05:17 保安検査場を抜ける。
05:20 搭乗券のバーコードをスキャンさせて諸々の情報を得る機械を見つける。これにより向かうべき搭乗口はA8番ゲートと知る
05:33 薄暗く歩く人もいない通路やエスカレータを経由してA8番ゲートに達する

06:46 搭乗開始
06:52 冷蔵庫のように冷えたバスに運ばれた先で機に乗り込む
07:25 “AIRBUS A320″を機材とする”PG231″は定刻ちょうどに離陸。
07:36 飛んでいるのか飛行場に駐機しているのか分からないほどの静かな飛行
08:34 “PG231″は定刻より21分はやくチェンライのメイファールン国際空港に着陸。

バンコクは雨だったが「常春の国」は晴れ。僕の胸に貼られた”BAGGAGE CLAIM”のシールに気づいたオネーサンが、いま歩いている2階の通路から荷物の出てくる1階まで僕を案内しようとするものの、僕の歩行速度が高いため、オネーサンが僕を追いかける形になる。

08:45 回転台から荷物が出てくる

国際線から国内線に乗り換えて到着した旅客のための出口から左に進んで外へ出る。タクシー券の販売所は、昨年までのひさしの下のブースから、壁も窓もある事務室風に変わっていた。街までのタクシー代200バーツは変わらず。

スーツケースの鍵が壊されていることには、運転手がそれをクルマまで運んでくれたときに気がついた。空港へ戻って善処を求めても埒は開かないだろう、ここはタイである。運転手には、そのままスーツケースをトランクに積んでもらう。

08:53 タクシーが空港を離れる。

「どちらから?」
「日本」
「ニホンのどちら?」
「日光。東京から100キロくらいのところかな」
「チェンライには休暇で? それとも仕事?」
「休暇だね」

「チェンライに来るのは何回目?」
「12回目かな」
「休暇では何を?」
「水泳、散歩、本読み、それからナイトバザールでラオカーオを飲む」
「チェンライのオンナは綺麗ですよ」
「30年前ならいざ知らず、今は遊び場なんで無いでしょう」
「まぁ、それはそうです」

黄金の三角地帯のうち、タイ国内では阿片の栽培も置屋街も、今は昔の物語である。ちなみにクン・サは2007年にヤンゴンで死んでいる。

見覚えのある正門から”Diamond Park Inn Chiang Rai Resort & Hotel”の敷地に入る。フロント棟はいちばん奥にある。

「真っ直ぐ、真っ直ぐ」
「お客さん、タイ語が話せるかね」
「すこしね」

運転手には50バーツのチップを手渡した。

僕はホテルには贅沢を求めない。ただひとつ、プールだけは欲しい。ナイトバザールにほどちかくてプールがあって宿泊料は1泊1,400バーツ弱。至らないところも多々あるが、繰り返して言えば、僕はホテルには多くを求めない。このホテルには、そういう理由から裏を返した。ただし、昨年より5割上がった宿泊料がこれ以上高くなるようであれば、次回は使わないかも知れない。

“agoda”から予約の際には昨年とおなじ301号室に泊まりたい旨を添えたが返事は無かった。期待はしていなかったが、フロントのオネーサンが差し出したキーホルダーには”301″の数字があった。最上階の3階までスーツケースを運んでくれたオニーチャンには40バーツのチップを手渡す。

オニーチャンが去ったところでスーツケースを低いテーブルに載せて開く。中に入れたものを安定させるための、コの字型にジップを締める式の網が開きっぱなしになっている。盗まれていることを最も恐れたコンピュータの電源コードは無事だった。返事を書くための、ことしの正月に届いた年賀状こそ袋から出されていたものの、ざっと見たところ、失われたものは無さそうだ

ひと安心をしてスーツケースを閉じたところで見慣れないシールに気づく。そこには”SUVARNABHUMI AIRPORT SECURITY CHECKED”の文字があった。鍵の破損は盗人の仕業とばかり考えていたが、どうやら空港の抜き打ち検査に遭ったらしい。リモワのスーツケースはTSAロックを備えている。それでも鍵をこじ開けられたとは、一体全体どういうことだろう。またまた繰り返して言えば、スワンナプーム空港で善処を求めても、時間を無駄にするだけで埒は開かないだろう、ここはタイである。日本に帰って修理が利かなければ、新しいものを買い直すまでだ。

ところでこのホテルの部屋は、セーフティボックスを備えない。昨年は貴重品をスーツケースに収めて鍵を掛けていた。しかし今回はそれができない。フロントに降りてオネーサンに訊くと、ホテルのセーフティボックスを使うにはデポジットが必要で、その金額は何と5,000バーツだという。オネーサンが開けてくれたロビーの隠し扉の奥には、なるほど5,000バーツにふさわしい金庫が3台のみ並んでいた。

ここで時刻は10時20分。昨年「チェンライでは今ここが一番でしょうか」と地元の人に教えられたマッサージ屋”ARISARA”に電話を入れて開店時間を訊くと11時とのことだったので、昨年、2度にわたって強烈な施術を施してくれたプックさんを予約する。

“ARISARA”はホテルから歩いて10分ほどのところにある。プックさんの施術は今回も「癒やし」や「リラックス」とはほど遠い、たとえて言えば拷問のようなものだった。

「僕、マッサージ、何回、受けるべきかな」
「3回ですね」
「次は明日? それとも明後日?」
「次は明後日の土曜日、その次は月曜日です」

というわけで明後日の11時に予約を入れて外へ出る。

おととしの9月に食べて美味かったクイティオ屋をバスターミナルの近くに探して見つからない。仕方なく別の店で昼食を摂る。そのまま目抜き通りに出ていつもの酒屋の前まで行くと、老夫婦が店番をしていたその店は廃業をしていた。2本のペットボトルに詰めて持参したラオカーオが尽きたら、次の1本はどこで買おうか。

チェンライにいるあいだに1度は使わなければならない貸し自転車屋を確認するため、ワンカムホテルへ向かう横道に折れる。郵便局の出張所を備えて便利だったエジソンデパートも廃業をしている。ふたたび目抜き通りに戻って南へ歩く。昨秋、あまりに客の入っていなかったイタリア料理屋”Da Vinci”も、また廃業。チェンライの、ここ数年の新陳代謝はかなり激しい。

宿泊料は高くないものの、”Diamond Park Inn Chiang Rai Resort & Hotel”の敷地は広い。その面積はおよそ、銀座8丁目の中央通りと旧電通通りのあいだの真四角くらいはあるだろうか。広い道に面した正門は、繁華街からは遠回りになる。よって僕はいつも、裏手にある柴折り戸から出入りをしている。

シャワーを浴びて冷房の電源を入れ、ベッドに仰向けになる。知らない間に寝入って目を覚ます。時刻は14時50分。その時間からプールサイドに降りて寝椅子に本を開く。石川文洋の「戦場カメラマン」は6月に144ページまでこなしていたものの、ふたたび最初から読み返すことにする。そして日が西に傾くまで、これを読むことと泳ぐことを繰り返す

ホテルの裏口からこの街の目抜きであるパホンヨーティン通りまでのあいだの道には、新しく舗装が施されていた。ナイトバザールの入口の門が、これまでのランナー様式のものから電飾を備えたものにかけ替えられようとしている。土産物を売る露店の客はそれほど多くない。しかし更に奥に進んだ、僕が愛して止まないフードコートの席は大分、埋まっていた。

いつもの32番ブースでチムジュムを注文する。酒を売るブースでソーダと氷を買う。チムジュムの値段は昨年とおなじ100バーツでも、盛りつけは昨年のそれと全然、異なっている。2客の小さな皿に平たく並べられていた肉が、今年は大皿に高く盛り上げてある。しかしその盛りつけは、大量の野菜の上に肉を薄く載せた、見た目のみの豪勢さだった。また、店は肉の盛りつけに、団体用の大皿も用意するようになっていた。他の多くの店もしかり、だ。

それにしても大した中国人観光客の数だ。チムジュムの派手な盛りつけは、彼らを意識したものに違いない。チムジュムといえば炭火と素焼きの壺と相場は決まっていたけれど、中国人観光客のテーブルには、アルミニウムの大鍋とカセットコンロが置かれている。すべては市場の要求に従う。そして賑やかなことは良いことだ。寂れれば、人はメシが食えないのだ。

部屋に戻ったのは20時のころだっただろうか。シャワーを浴び、蚊取り線香に火を点け、今日の日記に使う画像の加工をしてからベッドに横になる。


朝飯 “TG661″の機内食“PG231″の機内食
昼飯 バスターミナルちかくの名前を知らない店のバミーナム
晩飯 ナイトバザール奥のフードコート32番ブースのチムジュムラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


美味しい朝食のウェブログ集は、こちら。

  

上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

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