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清閑 PERSONAL DIARY

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2017.3.11(土) タイ日記(3日目)

3部屋しかない小さな宿が、きのうは満室になった気配があった。朝8時をすぎて階下の食堂に降り、4種のメニュの中からきのうとおなじ”ABF”を選ぶ。ややあって、その食堂に小さな男児を連れたタイ人の若夫婦が入ってきた。静かで行儀の良い親子に心を癒やされる

僕がプレーに来た目的は、環濠と土塁により守られた旧市街をひとまわりしてみること、本場の藍染めによる品物を手に入れること、プールサイドで本を読むことの3つである。自転車は使い放題らしく、宿の親切なオカミの案内もあって、ひとつ目、そしてふたつ目の目的の半分は易々と達成された。ふたつ目の目的のもう半分は、「アーティスト」がかった人による藍染めではなく、一般大衆のための藍染め製品を手に入れることである。

藍染めを売る店は、プレーから4Kmほど離れた、英語の表記によれば”Bann Tung Hong”という場所にあるという。よって初日に宿で手渡された絵地図を指しつつ、その場所をオカミに確かめる。”Indigo hotel”から4軒目の”Natural Mild Shop”がお薦めと、オカミは教えてくれた。

11時31分に自転車でホテルを出る。11時42分にテスコロータスの前まで来る。オカミによれば”Bann Tung Hong”はこの交差点から1kmとのことだった。それくらいの距離を走ってみて、しかし周囲は見わたす限りの、田舎の広い道でしかない。

不安を覚えつつ走りながら、左手に大きな地図を見つける。近づいて注意深く読む。サイアム商業銀行のマークの先に”Mohom market”の文字がある。「この道で間違いない」と、ふたたび自転車にまたがる。すると、近視と遠視と乱視の入り交じった僕の目にも、800メートルほど先の右側に、サイアム商業銀行の紫色と黄色による看板が見えた。

11時55分、左手に”The Indigo House Phrae”というホテルがあらわれる。オカミの言っていた”Indigo hotel”とは多分、ここのことだろうあたりにはなるほど藍染め屋が集まっている。そして”Natural Mild Shop”はホテルの数軒先に難なく見つかった。

店に入り、ジンジャーブレッドからの紹介で来たことを告げる。他のものには脇目もふらず、タイパンツを出してくれるよう頼む。念のため試着をして即、これを買うことを告げる。価格は900バーツだった。宿を出てから30分も経っていない

バンコクからデンチャイまでの列車こそまともに走らなかったけれど、プレーに来てからは主に宿のオカミの親切心により、すべては順調だ。

「交通量が多いから気をつけてください」とオカミが注意してくれた街道を、心を軽くして戻る。途中左手に、木の柱とトタン屋根だけの、さっかけ小屋のようなクイティオ屋に客の満ちているのを見る。即、その店の前に自転車を停める。

調理場の材料棚を一瞥して「センヤイナム」と注文をする。あるじらしいオバサンは、隙間の空いた前歯に舌を押しつけながら「センヤイナム」と、確認のため繰り返した。タイ語の発音は、日本人にはまったく難しいのだ。

席に届いたセンヤイナムには、煮込まれた鶏の手羽と足がたっぷりと入っていた。味も良い。オバサンが僕に何ごとか言う。その意味を分からずいると、皿に山盛りの生野菜を従業員のオネーサンが持ってきてくれた。もちろんすかさず、それらすべてを汁麺に投入する。

食べながら見ていると、入ってきた客は先ず、調理場の横のバットから生野菜を好きなだけ取っている。また、プラスティックのコップに氷と水を満たしている。なるほどこれは素焼きの水瓶を家の前に置いて「どなたでも飲んでください」とした、タイの古い美風とおなじではないか。僕は勝手に、この店を「ナムジャイ屋」と名付けた

あとは一路、宿へ戻るのみである。市の中心部に入ってからは、知らない道にわざと迷い込み、街の地理をより深く知ろうとする

シャワーを浴び、ベッドで休むうち14時を過ぎる。それから更に30分ほど経ったところで服を着る。代金を払えばプールが使えることを確かめておいた「メーヨムパレス」のロビーには、団体客が溢れていた。フロントできのうのオネーサンに60バーツを支払い、受け取った切符を手に奥のプールへと行く。そうして17時まで寝椅子で本を読む

夕刻の街には、調理のための炭火の香りが漂っている。その匂いを頼りに自転車を走らせると、そこはきのう「まるで昼寝でもしているような」と感じた一角だった。「今日の晩飯はここにするか」と考えつつ奥へと進む。しかしここは持ち帰り専門の屋台街らしく、机や椅子の用意は無かった。また、きのうの昼に美味いバミーヘンを食べさせてくれた店には「11日から15日までお休み」と書いてあるらしい案内があった

日が落ちるのを待ってペットボトルに小分けしたラオカーオとコップを持ち「勝利の門」前の屋台街へと向かう。そうしてきのうとおなじ注文屋台にて、目玉焼きを載せた海老炒飯を頼む。このあたりで英語を使う人はほとんどいない。屋台のオヤジが何ごとか訊くので、とりあえず「日本人だよ」と答える。そしてまた、調理場の黄色い麺を指し「ラートナー」と訊くと、オヤジは頷いた。「明日も来るよ」と、これは英語で告げて、夜の街を宿へと戻る


朝飯 “Gingerbread House Gallery”のアメリカンブレックファスト其の一其の二
昼飯 「ナムジャイ屋」のセンヤイナム薬味盛り合わせ
晩飯 「勝利の門」前の屋台街の注文屋台のカオパックンカイダーオ、ラオカーオ”Black Cook”(生)

2017.3.10(金) タイ日記(2日目)

「ホーウィ、ホーウィ」と、昨年ナラティワートで啼いていた鳥の声を、ここでも聴く。朝の街を托鉢の僧が往く。ベランダから戻り、このゲストハウスの主人がよかれと考えて置いただろう調度品を片づけて、部屋を自分の好みに変える。古いミシンを改造した机は、コンピュータを使うにはうってつけの高さである

朝食は4種の中から選べる。もっともカロリーの高そうな”ABF”を僕は選ぶ。3つある部屋に対して泊まっているのは僕ひとり。通りに面したガラス張りのカフェスペースで、しばしゆっくりする

きのうオカミが教えてくれた藍染めの工房について、更に詳しく訊く。”Kaewwanna”という工房の名は、日本にいるときの下調べにより、既にして聞き覚えたような気もする。その場所は、宿の面するチャロンムアン通りをひたすら南東へと直進し、空港を過ぎて、スーパーハイウェイの手前の左側。距離にして3、4キロだという。

1982年のカトマンドゥには、貸し自転車といえば中国製の、大きく重たいものしかなかった。僕はそれで、1日に30キロほどは走り回った。しかし35年もむかしのことだ。いまの僕に、炎天下の8キロをこなすことはできるだろうか。モータサイを使うことも考えたけれど、自由度を考え、宿の自転車を借り出す。

変速の効かないギヤはかなり高く設定されているにも関わらず、自転車の漕ぎ心地は悪くない。空港を過ぎたあたりから「本当に行き着けるだろうか」と不安になってくる。そして遂にスーパーハイウェイの手前まで来てしまう。仕方なく戻ろうとして、安全な横断場所を探しているとき、左手の林の中に”Coffee Park”という看板を見つける。気になって数十メートルを進んでみると、その林が果たして藍染めの工房”Kaewwanna”だった

宿のオカミによれば、今日はオーナーは不在。明日ならオーナーもいるし、ちょうどランナースタイルを専門にするアーティストも来るとのことだった。しかし人との交流をあまり好まない僕にとっては、今日の方が好都合である。

工房には女の人がふたり、留守番をしていた。タイパンツをあれこれ見せてもらうも、僕の気に入るものは無い。僕が欲しいのは一般大衆が身につけるそれで、いわゆる「デザイン」や「アレンジ」は要らないのだ。しかし何も手に入れずに帰れば、何やら後悔をしそうな気もする。よって女物のシャツ1着を買う。価格は、僕が日本から持って出たバーツの1割を超えた。「本物は顧客を選ぶ」ということなのだろうか

来た道を快調に戻る。途中で左側に市場を見つける。自転車を、日本から持参したワイヤーロックで道ばたの道路標識に繋ぐ。そしてその、中へと入ってみればかなり清潔で広い市場の奥まで歩き、ひと回りして戻る

心配が先に立った自転車での行動だったが、それほど大変なものでもない。当方には勢いがついているから、宿の前を通り過ぎ、そのまま旧市街に直進する。更にはそこも通り抜けて、ヨム川を渡ったところでようやく引き返す。

プレーに来た目的は3つある。

僕は中世以前から戦乱を繰り返したインドシナの、環濠と土塁により守られた古い、それも小さな街が好きだ。瓢箪型の旧市街がぐるりと土塁に囲まれたプレーの地図を”LONELY PLANET”で見たときから「この旧市街をひと回りしないわけにはいかない」と考えてきた。

ヨム川からチャロンムアン通りを旧市街の北の入口まで引き返すと「ナーン、パヤオ、チェンライは左」の標識が見えた。よってこの小さな交差点を起点として、旧市街を右回りに一周することにする

“LONELY PLANET”でも、また「地球の歩き方」でも地図には示されていない、しかし古いお寺を右手に見ながら進む。やがて旧市街の東端、瓢箪の小さな玉の先にあたる場所に達する。ここからしばらく行くと、右手に刑務所らしい建物が見えてくる。そのすこし先に自転車を停め、土塁に上がってみる。旧市街の北東側である。環濠は空堀のところもあるけれど、このあたりではいまだ満々と水を湛えている

土塁から降り、自転車を押しながら、その環濠に掛けられた橋を渡る。ちかくで見るとその環濠には、インドシナの例に漏れず、魚が押し合いへし合いをしていた。釣りをする人がいる。釣れなければ不思議なほどの魚影の濃さである

「勝利の門」つまり夜には屋台街になるところから、今度は旧市街の西側に銀輪を向ける。その西端、つまり瓢箪の大きな玉の先にあたるところには、これまた地図には示されていないものの”WAT SRIBUNRUEANG”という名の大きなお寺が、旧市街の端を守るようにしてあった。ふたたび土塁に上がると、涼風はこの高さにのみ吹きわたっていた

旧市街を更に右へと巻いて行く。途中、洗濯を生業としている家が左手にある。土塁下部のレンガの壁を使って干されているタイパンツを見て「そう、オレが欲しいのは、こういう普通のやつなんだ」と、顔も名前も知らない、このパンツの持ち主を羨ましく思う。

そうして遂に先ほどの、「ナーン、パヤオ、チェンライは左」の小さな交差点に戻る。旧市街を周回する道の延長は、5Kmほどではなかったか。

時刻は正午にちかい。ホテルに戻り、冷えた水300ccほどを一気に飲む。シャワーで汗を流し、ベッドで休む。

プレーはまた、藍染めの産地でもある。プレーに来た目的のふたつ目は、本場の藍染めによるタイパンツを手に入れることだ。これについは明日にでも捲土重来を期すこととする。

最後のみっつ目は、プールサイドでの本読みである。僕は南の国においては、プールサイドで本を読まないことには気が済まない。しかし今いる宿は3部屋のみの小さなもので、プールなどは望むべくもない。

午後、ふたたび自転車にまたがり、この街でもっとも大きいと思われるホテル「メーヨムパレス」を訪ねる。「僕、ここに泊まってるわけではないんですけど、お金、払えばプール、使えるんですかね」と訊いてみる。オネーサンはにっこり笑って「はい、大丈夫です。料金は60バーツです」と答えてくれた。明日と明後日は雨でも降らない限り、ここに来ることにしよう

今日はここまでで15km以上は自転車で走ったように思われる。しかし腹は減らない。それでもやはり、昼食は抜かない方が良いだろう。チャルンナコン通りを帰る途中の右手に「閣心紫堂善心一府巾白挽」という赤い看板が目につく。すこし感じるところがあって、その、まるで昼寝でもしているような一角に足を踏み入れてみる。果たしてその突き当たりの右側に、割と大きな食堂があった。席に着き、バミーヘンを注文する。そのバミーはかなり美味かった。「プレーの昼飯は、帰るまでずっと、ここでいいや」という気分になる。

ふたたびチャルンナコン通りを戻りつつ、中華旅社のあることに気づく。名前は”TEPWIAN”。壁の銘板には「天宮両合公司」とある。フロントのお婆さんは、英語は解さないだろう。その娘らしい人に案内を請うと、部屋を見せてくれるという。2階に上がってはじめて、ここがかなり大きな旅社だということを知る。部屋に冷房はなく扇風機のみ、そして冷水によるシャワー。料金は1泊120バーツとのことだった。1980年代はじめの為替に照らしてみても、あの楽宮大旅社より3割も安い。しかも楽宮と異なり、掃除はかなり行き届いている。今より30歳ほど若ければ、大喜びで泊まっているところである

宿に戻ってシャワーを浴び、またまた休む。そして18時をかなり回ったところで外に出る。プレーを田舎と感じるのは、この時間にして既に人の姿のほとんど見えなくなることによる。先ほど”TEPWIAN”の若オカミが教えてくれたマッサージ屋”HAPPY HEALTH SPA”の前まで行くと、あるじらしい女の人が声をかけきた。

2時間400バーツのタイマッサージにしようとしていたところ、特殊配合のハーバルオイルを用いるコースは2時間1,000バーツが、現在はキャンペーン中で700バーツだと薦める。特殊配合のハーバルオイルになど興味はないものの、僕も日本人であれば、妙に格好を付けるところがある。よってその700バーツのコースを、物静かで太ったオネーサンに受ける。

特殊配合のハーバルオイルはやはり、どうということもなかった。それはさておき、100バーツのチップを差し出されて、これほど驚き、嬉しそうな顔をしたマッサージ嬢は、今日のオネーサンが初めてである。

“HAPPY HEALTH SPA”とは目と鼻の先の宿には寄らず、そのままきのうの屋台街まで歩く。そして今夜は父と息子で営んでいるらしい注文屋台にてガパオ飯を頼み、これを肴にしてラオカーオを飲む


朝飯 “Gingerbread House Gallery”のアメリカンブレックファスト
昼飯 名前を知らないクイティオ屋のバミーヘン
晩飯 「勝利の門」前の屋台街の注文屋台のカーオパッガパオムーカイダーオ、ラオカーオ”Black Cook”(生)

2017.3.9(木) タイ日記(1日目)

“BOEING747-400″を機材とする”TG661″は、定刻に22分遅れて00:42に羽田空港を離陸をした。きのうの目覚めから現在まで23時間も起き続けている。よってオフクロの遺したデパスとハルシオンは、持参はしたものの、服用はしなかった。それが裏目に出て全然、眠れない。

”sorry”の声と共に二の腕を軽くつつかれて、アイマスクを外す。窓際に座ったタイ人のオネーサンが手洗いに立ちたいらしい。僕は脚を通路側にずらし、オネーサンを通してあげる。時刻は2時15分だった。

ジェットエンジンの音が轟々と響いている。音が聞こえているということは、眠れていないということだ。腕時計は5時を示している。このまま起きてしまうこととして、そろそろダナンの上空にさしかかるころだろうと、目の前のディスプレイのスイッチを入れる。しかし機は、いまだ海南島の東洋上を飛んでいるところだった。

05:20 機内の明かりが点く。
05:30 朝食の配膳が始まる。
06:00 ダナン上空を通過。
06:43 「バンコクは曇り、気温は27℃」と、機長のアナウンスがある。
07:05 タイ時間05:05、定刻より20分はやくスワンナプーム空港に着陸。

以降の時間はタイ時間による。

06:05 エアポートレイルリンクARLの始発で市内を目指す。いまだ夜は明けていない。
06:43 マッカサンから歩道橋でペチャブリーに移動。地下鉄MRTに乗り換える
06:53 シーロムに停車中に同級生コモトリケー君から位置確認の電話あり。
06:56 ファランポーン着。

バンコクの中央駅たるファランポーンは、日本でいえば東京駅ではなく、断然、上野駅の雰囲気だ。その構内のベンチにコモトリ君の姿を認め、近づいていく。そうしてスーツケースを開いて土産を手渡し、首都に戻ってから飲むための”TIO PEPE”を預ける。

タイ国鉄北線7号列車ディーゼル特急の、デンチャイまでの切符は、コモトリ君が駅員に発券を頼んでくれた。時刻はいまだ7時20分、よって外へ出て駅前のメシ屋でコーヒーを飲む。頼んだのはアイスコーヒーだが、届いたのはホットコーヒーだった。「気にしなくていいよ」と、コモトリ君が店のオバチャンんに声をかける。オバチャンは元より、そんなことは気にしていない。

08:05 入線してきた列車に乗り込む
08:31 定刻に1分遅れて発車
08:44 駅でないところで謎の停車
08:57 サムセン着(既にして17分遅れ)
09:03 バンスージャンクション着
09:50 サービス係のオネーサンがチョコレートパンと飲物を配り始める。

チェンマイ行き7号列車の編成は冷房二等車のみの3両。おざなりな掃除しか受けない汚れた窓は開くことができない。また多くの乗客は、日差しを避けるためカーテンを引いている。よってインドシナの熱風を感じることはできず、泥田に咲く蓮の花の、濃い紅色を愛でることもできない。タイの列車は、昼は三等、夜は二等寝台に限ると、早くも悟る

きのうの日本経済新聞を読むうち、アユタヤは過ぎたらしい。前述の理由により、車窓の景色に関心が向かないのだ。また、通過する駅の名を確かめようとしても、これまた窓の汚さにより、著しく見えにくい。英語による駅名が、終わりの”tion”しか読めなかった駅は、北線と東北線に別れるバーンパーチー分岐だったかも知れない。

10:45 バーンパーワーイを通過
10:50 ロッブリー着
11:35 ひと車両に一人ずつ乗ったサービス係のオネーサンが弁当を配り始める。

タイの特急で支給されるメシの不味さについては藤井伸二の「タイ鉄道散歩」で読んではいた。しかし本当に不味いかどうかは、試してみなければ分からない。

“Cooked Thai Jasmine Rice”はタイ米だからというわけではなく、ポロポロで固まっている。”Fried Mackerels Chilli Saice”は、鯖というより鰯のように小さな魚が甘く煮込まれてはいるけれど、辛くはない。”Sweet Fried Chicken”は、どこが”Fried”なのか分からない。それぞれ匂いを嗅ぎ、舐め、そしてほとんどすべてをオネーサンに返却する。

そうしてコモトリ君が持たせてくれた、手製のおむすびと焼叉の辛味噌和えを本日の昼食とする。おむすびも焼叉も美味かった。

これまた悪口になるけれど、”DRC”と表記されるディーゼル特急でなければ、不味いメシなどあてがわれず、各駅のプラットフォームや、あるいは次々と乗り込んでくる弁当売りのオバチャンから上出来のガイヤーンやガパオ飯が買えるのだ。

12:19 ナコンサワン着(42分の遅れ)。19分間の停車
13:04 チュムセーン着36分間の停車
14:02 タパーヒン着。10分間の停車。
14:40 外の景色を撮りたくなって便所へ行く。ここにだけは爽やかな風が吹いている
15:00 ピサヌローク着(1時間48分の遅れ)

この7号列車は、昼前ころからラジエターに不具合が発生したらしい。よって停まる駅、停まる駅で、そのラジエターにホースの水をかけて冷やしている。また不具合は、ラジエター以外のところにも及んでいるらしい。2012年8月のウボンラチャタニー行き、また昨年のスンガイコーロク行きのときとおなじく、列車の遅れに怒ったり焦燥を募らせたりする乗客は皆無だ。そして国鉄側からの説明も一切、無い。

15:49 バーンダーラー通過
15:51 ターサックに停車
15:59 トゥーン通過
16:02 ワーンカーピー通過
16:10 ウッタラディット着(1時間48分の遅れ)。且つ、46分間の停車

ウッタラディットでの停車中に、後ろからバンコク発デンチャイ行きの列車が来る。それに乗り換えさせられるのだろうかと考えたけれど、そのようなことは言われなかった。謎のデンチャイ行きに追い越されたのは、本日2度目のことである。

ウッタラディットを出ると、徐々に高度が上がっていく。これまで直線を激走することの多かった車両が、山あいの谷や切り通しを蛇行し始める

17時56分、ようよう目的のデンチャイに着く。定時に2時間36分遅れの到着である。日暮れのちかい時間で心配をしたけれど、駅を出るとソンテウの運転手らしいオバチャンが手招きをする。タイ語をカタカナ読みしても通じない。「プレー」ではなく「プラエッ」と素早い巻き舌で強く返してみる。オバチャンは頷いて荷台を指した。

ソンテウには、赤ん坊を抱いて助手席に収まっている人の子供らしい女の子が2名、タイ人2名、ファラン1名、そして僕が乗っている。プレーまでの料金は60バーツと告げられた。片側3車線の広い道を、オバチャンは時速45キロでゆっくり走る。計器板では、燃料が残り少なくなったことを知らせる警告灯が点いたままになっている。

先ずは、スマートフォンで場所を示したファランが”Come Moon Loft Hotel”という名の小さなホテルで降りる。次にタイ人のひとりがかなり大きなホテルで、またもうひとりのタイ人は助手席の女の人、赤ん坊、荷台のふたりの女の子と共に降りた。

女の子を降ろす手伝いをしたオバチャンが僕の方を見る。「ロンレーム、ジンジャーブレッ、タノン、チャロンムアン、カイカイ、ポリーステイション」と告げる。タイ語の発音にはコツがあるのだ。赤信号で泊まったソンテウの荷台から外の”BED & BREAKFAST”の文字を眺めつつ「プレーにはこの手のゲストハウスが多いんだな」などと考えていたら、運転席から降りてきたオバチャンが「ここだ」と身振りで示す。なるほどそこは僕が日本から予約をした”Gingerbread House Gallery”だった。時刻は18時47分になっていた

チェックインの手続きをしつつ、薄い藍染めのベストを着た趣味の良いオカミが「インディゴは好きですか」と訊く。タイパンツを穿いた、僕の服装に何ごとかを感じたせいかも知れない。「もちろん好きです」と答えると「私の友だちが藍染めの工房を経営しています。よろしければご紹介しましょう」と、押しつけがましさの一切、感じられない表情と口調で言った。願ってもないことである。

宿は街の中心にある、小ぶりなところが好きだ。チークの古建築による宿の二階には外の階段から上る。廊下から見おろす交差点は、いにしえには街一番の交通量を誇っていたところかも知れない。部屋は「チークの小箱」とでも形容すべき可愛らしさで、居心地は大いに悪くない

地図やインターネットで知ってはいたけれど、オカミもまた、旧市街へと至る「勝利の門」ちかくに広がる屋台街を教えてくれた。よってホテルから数分を歩いてその場に至り、セブンイレブンで買ったビールと日本から持ち込んだラオカーオにて飲酒活動に入る。


朝飯 “TG661″の機内食
昼飯 7番列車ディーゼル特急の車内食コモトリケー君による2種のおむすびと焼叉の辛味噌和え
晩飯 「勝利の門」前の屋台街の串焼き、バミーナム、シンハビール、ラオカーオ”Black Cook”(生)

 

2017.3.8(水) 出発前夜

今日は高圧受電設備の、年に1度の検査の日だ。コヤマ電気管理事務所のコヤマアキラさんは、朝の6時30分に来る。万一を考え、コヤマさんには僕の携帯電話の番号を教えておいた。またきのうの夜は「3/8(水) 06:30 コヤマ電気来社」と書いたポストイットをメガネケースに貼った。

今朝、目を覚ましたのは早朝どころではない、1時40分のころだった。それから30分ほどして食堂のテーブルに着く。新聞その他の活字を拾い読みしつつ、ポストイットの貼られたメガネケースは常に、左手のそばから離さない。

一方、本日は旧暦の初午に当たる。この日はお稲荷さんに郷土食しもつかりと赤飯をお供えし、五穀豊穣、商売繁盛、無病息災、家内安全などを祈る。そのしもつかりは昨夜のうちに家内が作り終えた。赤飯は今朝、これまた家内が、検査により停電をする前に蒸し上げた。

冷えたしもつかりと熱い赤飯を、小さなお盆に載せて長男が持つ。僕も共に1階へ降りて、通用口から外へ出る。予期しないことにちょうど、コヤマさんと助手が到着をしたところだった。お稲荷さんのことは長男に任せ、事務室のシャッターを上げてコヤマさんと助手とを社内に招じ入れる。その後ふたたび外へ出て、お稲荷さんの様子を確認する

高圧受電設備の検査は、社員が出勤をする前に無事、完了した。

下今市18:53発の上り特急スペーシアに乗る。ひとりで海外へ行くときの夕食は大抵、浅草の立ち食い鮨だ。立って物を食べる利点は僕の場合、酒を欲しくならないところにある。浅草から羽田までは都営浅草線に乗ったままで行けるから、楽なことこの上ない。

羽田空港国際線ターミナルには22時04分に着いた。即、タイ航空のカウンターでチェックインをする。スーツケースの重さは9.1Kgだった。ここから2Kgほどは、明日の朝には軽くなるはずだ。

22時24分にパスポートコントロールを抜ける。そして当座に必要なものとコンピュータの入ったトートバッグを提げ、左へ進んで奥から2番目の147番ゲートに達する。目を覚ましてから21時間が経っている。


朝飯 巻湯波の淡味炊き、蓮根のきんぴら、なめこのたまりだきのスクランブルドエッグ、春菊の胡麻和え、しもつかり、大根の甘酢漬け、メシ、揚げ湯波と三つ葉の味噌汁
昼飯 カレーライス、らっきょうのたまり漬「浅太郎」
晩飯 「まぐろ人雷門出張所」のあれやこれや、浅蜊の味噌汁

2017.3.7(火) 時候の挨拶

村田蔵六はすこぶる愛想のない人で、暑さを嘆きつつの夏の挨拶には「夏は暑いものぢゃ」、寒さを嘆じつつの冬の挨拶には「冬は寒いものぢゃ」と応えたという。僕は自分を「すこぶる愛想のない人」とは思わないけれど、村田の気持ちはよく分かる。

「いつまでも寒くて、イヤになっちゃいますよね」と、今日は街で声をかけられた。「そうですね」と答えてみたものの、しかし実際には、寒さはそれほど感じていなかった。

いまウチのホンダフィットにはスタッドレスタイヤが履かされている。先日は「そろそろ普通のタイヤに交換しても良いのではないか」と考え「しかし案外、これから雪が降るということもあるからな」と、思い直した。

ひと仕事を終えて午後、4階の食堂に上がって生姜湯を飲む。そしてふと外に目を遣ると、雨には見えないものが降っている。窓を開け目を凝らしてみると、それは紛れもない雪だった。

結局のところ、その雪が降り続くことはなかった。しかしスタッドレスタイヤは、いまだしばらくは履き続けた方が良さそうな気がしている。


朝飯 切り昆布の沖縄風炒め、納豆、トマトとレタスと炒り卵のサラダ、茹でたウィンナーソーセージ、細切り人参の炒め煮、じゃこ、胡瓜の古漬け、メシ、豆腐と揚げ湯波と三つ葉の味噌汁
昼飯 「ふじや」の雷ラーメン
晩飯 春雨サラダ、皮蛋豆腐、グリーンアスパラガスのバター焼き、「しいたけのたまりだき」を刻み入れた水餃子、「光酒造」の麦焼酎「博多小女郎」(お湯割り)、とちおとめとスカイベリーの盛り合わせレモンパイ

2017.3.6(月) あれこれ教えていただく会

先月15日を以てバッテリーの機能を失ったらしいLet’s noteを午前、秋葉原の「LUMIX & Let’s note修理工房」に持ち込む。インターネットによる予約は数日前に済ませておいた。

ふたつみっつの質疑応答の後、係はそのコンピュータを奥の部屋に持ち込んだ。そして真新しいバッテリーと共に受付カウンターへと戻した。「ご迷惑をおかけして、申し訳ございませんでした」という言葉と共に、係員はバッテリーを交換した。代金は無料だった。

このLet’s noteは2011年8月に購入をしたもので、もちろん、保証期間は過ぎている。バッテリーは、使い始めて何年か後にリコールで交換をしたものだ。今日の代金無料は、そのあたりが関係をしているのかもしてない。いつも書くことながら、この「LUMIX & Let’s note修理工房」が存在する限り、僕はパナソニックのコンピュータを使い続けるだろう。

丸の内に移動しウェブ上での商売に関するセミナーに参加をする。そこで落ち合った長男と、今度は新宿へと移動をする

勉強仲間のタナカノブコさんとは、数週間ほども前から今日の飲酒活動を約束していた。そうしてタナカさんの得意分野についてあれこれ教えていただく。


朝飯 ほうれん草のソテー、納豆、切り昆布の沖縄風炒め、細切り人参の炒め煮、スクランブルドエッグ、なすのたまり漬(試作品)、じゃこ、メシ、大根と揚げ湯波と万能葱の味噌汁
昼飯 “curry shop C & C”のポークカレー(大盛り)
晩飯 「鼎」のあれやこれやそれや。麦焼酎「中々」(お湯割り)

2017.3.5(日) 紅梅

きのう、朝一番に来るはずの取引先が16時30分を過ぎても現れない。その業者の携帯電話を鳴らしても応答は無い。しばらくするとしかし、相手は着信に気づいて折り返し電話をしてきた。「スイマセン、駅前のローソンでトイレに入っていて…」というのが相手の言い訳だった。

問題は、今しがたの電話に応答できなかったことではなく、朝一番で来ると約束をしながら夕方まで姿を現さない、その時間管理のだらしなさにある。しかし僕は相手をなじることも、苦情を申し立てることもしなかった。それは、仕事の内容がそれほど時間の精密さを要さないこと、もうひとつは相手の、何に因って醸し出されるものかは不明ながら、そこはかとない愛嬌による。

気にせず定時で帰るよう社員には伝えた。そして僕と長男のみ社内に居残って、約束に9時間ほど遅れて来た相手の仕事ぶりを見守った。その最中に業者がアルミサッシの具合を説明するため隠居の庭に面した窓を開けると、いまだ明るい夕刻の空気の中に、濃いピンク色の花が見えた。紅梅である。

きのうは忙しくてそれどころではなかったけれど、今朝は庭に足を踏み入れ、ゆっくりとその梅を観る。冬は去りつつあるのだ。あるいは既にして去ってしまったのだ。そしてウチの紅梅は白梅に先駆けて咲くことを、生まれて60年目にしてようやく知る。


朝飯 切り昆布の沖縄風炒め、ほうれん草のソテー、蓮根のきんぴら、生のトマト、チーズ入り炒り卵、なすのたまり漬(試作品)、メシ、揚げ湯波と小松菜の味噌汁
昼飯 「大貫屋」の味噌ラーメン
晩飯 “Parrot”のパロットサラダリブロースステーキ“evodia 2015”家に戻ってからの杏仁豆腐とカステラ

2017.3.4(土) 失望と転進

理科のテスト用紙に蜂が描かれている。その体の各所から延びた線の先に回答欄がある。触角から引かれた線の先に「しょっかく」と答えを書いたら後日、バツをつけられ戻ってきた。「へげ」と答えた隣のヤギサワエーイチ君はマルだった。

「教科書では『ひげ』と教えている。『触角』とは教えていない」というのが教師の説明だった。それならなぜ「へげ」はマルなのかと畳みかけると「『ひげ』は『へげ』ともいう」と、教師は僕との質疑応答を打ち切った。

今朝の日本経済新聞第44面の「私の履歴書」を読んでいくと、アメリカのオクラホマ大学で、ジョー・プライスがおなじ経験をしていた。以下にそれを引用する。


ある試験で、自分なりの解法を見つけて問題を正解に導いたことがあった。ところが教授は教科書に載っている公式でないからダメだという。「あぁ、普遍的ではないが、この手もあるね」という理解さえ教授は示さない。私は機械工学に失望した。ますます専攻への意欲がうせ、苦痛さえ感じ始めていた。

後に名を成すジョー・プライスでさえ、たった一度の失望により学問への意欲を失うのだ。まして凡人である僕においてをや、である。小学5年生のときのあの経験は、その後の僕の考えや行動に、かなり濃い影響を与えたと思う。


朝飯 納豆、厚揚げ豆腐と小松菜の淡味炊き、ウィンナーソーセージのソテーを添えた目玉焼き、ひじきと人参と揚げ湯波の甘辛煮、すぐき、メシ、揚げ湯波と万能葱の味噌汁
昼飯 「ふじや」の野菜麺
晩飯 “TIO PEPE”、人参と隠元豆のスープ煮、マッシュドポテト、スパゲティを添えたハンバーグステーキ“Chateau Montus Madiran 2003”焼きメレンゲ

2017.3.3(金) 旅の準備

谷口正彦の「冒険準備学入門」を紐解くまでもなく、旅の楽しさのかなりの部分は、出発前の準備が占める。旅の持ち物はデータベース化してあり、それほどの時間を要さず整えられるとはいえ、切羽詰まってからの行動は避けたい。本日、コンピュータから日程表と持ち物の一覧表を印刷し、その4枚の紙にサインペンで印を付けつつ必要なものを集め始める。

衣類の数は、日程表に従って最小限に留める。日中用には化繊の白いポロシャツを複数着。プミポン前国王の喪中であれば、夜用のシャツも地味なものにしておく。田舎ではゴム草履でも、首都では革靴を履くから靴下は予備が必要だ。

昨秋、チェンライで余らせ持ち帰ったラオカーオは、軽くするためペットボトルに詰め替える。首都に戻って飲む”TIO PEPE”も、同じ理由によりペットボトルに詰め替える。

薬は、使わない可能性が限りなく高いけれど、いざというときに困るから、かなりの種類を持つ。ガイドブックは不要にて、地図や、ウェブ上から印刷した時刻表のみクリアホルダーに納める。鉄道の路線図は、iPhoneにダウンロード済みだ。

首都から北部までは列車で行く。北部から首都へはノックエアで帰る。いつものようなスーツケースとザックのふたつでは、低価格の飛行機に対して荷物が大きくなる。それを避けるため今回は、手荷物にはザックではなくトートバッグを使うこととした。

そうして手荷物以外をスーツケースに納めてみれば、いまだ空間はかなり広い。ここに何を入れるか、あるいは入れないかは、出発の前夜までに決めることとして、荷造りを完了する。


朝飯 ひじきと人参と揚げ湯波の甘辛煮、生のトマト、ほぐし塩鮭、スクランブルドエッグ、納豆、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、にんにくのたまり漬(試作品)、なすのたまり漬(試作品)、メシ、豆腐とパセリの味噌汁
昼飯 ひじきと人参と揚げ湯波の甘辛煮、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、肉じゃが、なすのたまり漬(試作品)、焼きたらこによるお茶漬け
晩飯 サラミソーセージ、”TIO PEPE”、トマトとモツァレラチーズのサラダロールキャベツ入り野菜スープ牡蠣とベーコンとマッシュルームのスパゲティ“Petit Chablis Billaud Simon 2015”

2017.3.2(木) トロール外出

8時40分、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」のウチの売り場に商品を納めるべく、国道121号線にホンダフィットを乗り出す。しかし「ほら、今朝もオレの悪い癖が出た」と、すぐに会社の駐車場にUターンする。複数の用事を一度で終わらせず、そのつど会社を出たり入ったりする悪癖が僕にはある。

事務室に上がり、資料や見本、銀行の預金通帳などを手提げ袋に入れてから、それを手にふたたびホンダフィットに乗る。

道の駅「日光街道ニコニコ本陣」からセイブンシャ印刷にまわる。そして先日来、保留にしていた仕事の、いまだ決まっていなかった数量と、印刷物の綴じ方について説明をする。すぐちかくの、いまだ朝礼の最中だったホンダにフットを乗り入れ、メーターの正面に表示の出ているミッションオイルの交換をしてもらう。そこから帰る途中で銀行に寄り、ここ1週間で必要と思われる額のお金を下ろす。

1度に複数の訪問先をまわり、複数の仕事をこなす出張を「トロール出張」と呼んだ人がいる。外へ出る際には僕もよく考えて、それを「トロール外出」にしなくてはならない。

夜は社員みなと4階の応接間に集まり、1月18日と19日に行われた社員研修「日光MG」の反省会を行う。


朝飯 ほぐし塩鮭、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、ほうれん草の卵とじ、生のトマト、ひじきと人参と揚げ湯波の甘辛煮、大根のぬか漬け、メシ、白菜と玉葱とベーコンの味噌汁
昼飯 「金谷ホテル」の2種のパン、コーヒー
晩飯 枝豆カリカリスナックとアボカドのディップトマトのサラダレタスのサラダホタテと蟹のリガトーニジャガイモのグラタンオムレツブロッコリーのソテーを添えたビーフシチューなすのたまり漬(試作品)、”Cono Sur Cabernet Sauvignon 2011″、イチゴのババロアイチゴのタルト桜餅

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上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

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