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清閑 PERSONAL DIARY

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2023.4.10(月) 西の会あらため

記録を残していないから正確には分からない。あるいは徐々に、だったのかも知れない。とにかく1泊以上をするときには必ず持参したコンピュータを、数年前より持ち歩かなくなった。理由は荷物嫌いの僕が、より荷物を少なくしたくなったこと、もうひとつは日記の書き溜めが上手になったことによる。しかし今日現在においては日記の在庫が無い。よってきのうの日記は下今市13:44発の、上り特急の中で、紙とペンにより書くこととした。

あるとき勉強仲間のナカヤカツヒコさんと、御徒町の焼鳥屋で飲んだ。そのときウェブログを書くための「覚え」はどのような形で残すか、という話になった。ナカヤさんは画像だと言った。僕の場合は記憶、あるいはメモだ。特急の中に持ち込んだA4の紙1枚には、その最上部に、きのうあったことをあらかじめ印刷しておいた。その日記は新鹿沼に着くか着かないころに書き上がった。つまり所要時間は20分ほどだった。A4の紙はクリアファイルにはさみ、”CCP”のショルダーバッグ「バイサコ」に納めた。

西順一郎先生が自らの著作を解説される形で始まった「西の会」は、その後、勉強仲間がみずからの経営を発表する形に変わり、南青山の「薬樹」で10年ちかく続いた。それを中断させたのが「コロナ」である。その「西の会」が「東京シーガルクラブ実践発表会」として今月より甦った。場所は神田の会計事務所兼社会保険労務事務所の「ウィズアクト」で、僕にとってはより便利になった。

所用のあった文京区役所から地下鉄2本を使って三越前に移動する。そして2008年の秋から使い続けているパスホルダーを、土屋鞄の日本橋店で修理に出す。時刻は17時を過ぎたばかりにて、ちかくの喫茶店で本を読む。目と鼻の先の神田までは徒歩で移動し、会場には18時すぎに入った。定員は20名とのことだったが、受付の名簿には25名の名があった。

「オレンジマン」ことカンダヒロトさんの話は高揚と示唆に満ちたもので、僕が聴くよりは長男に聴かせたい内容だった。カンダさんが次に日光に来たときには、彼の仕事に資する場所を、複数、案内したいと思う。


朝飯 菠薐草のおひたし、納豆、ウインナーソーセージとブロッコリーのソテー、めかぶの酢の物、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、三つ葉の味噌汁
昼飯 「小諸そば」のたぬきそば
晩飯 「炭火焼肉浅草だん」のあれやこれや、それや、「麹醇堂」の生マッコリ


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2023.4.9(日) 仏教から神道まで

いろいろあった一日だった。「いろいろあった」とはいえ別段、不快なことや一大事ではない。

このところ何かと忙しく、お墓に行けなかった。今日もすべきことは少なくなかったものの、その合間を縫うようにして、10時すぎに如来寺へ行く。そしてお彼岸の入りに花を生けた、新旧9対の花立てを洗う。そのうちそれが可能なものについては、雨水が溜まらないよう伏せて置く。

15時前に、町内の公民館に役員が集まる。先ずは二手に分かれ、その片方は床の間の祭壇を、もう片方は戸外の諸々を片づける。それが済むと、今度は全員が日光街道に出て、今月1日に張り巡らした注連縄を外していく。次は7月の八坂祭だ。

定時の17時30分を過ぎても、お客様が途切れない。キャッシュレジスターも締められない。そのうち日本人とは思われない方が入口で”Restaurant?”と言葉を発する。よって「汁飯香の店 隠居うわさわ」の名刺をお渡ししながら、こちらは朝食の店で、昼すぎには閉める旨をお伝えする。すると男性はおもむろにスマートフォンを取り出し、何やら打ち込み始めた。その文字はタイ語である。

翻訳ソフトは間髪を入れず「良いレストランを教えてください」と、タイ語を日本語にした。僕は店の中へ戻り、どなたにも差し上げられるよう用意してある地図の、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の場所をサインペンで大きく囲み、”P”の文字を入れた。そこから日光街道を少しくだった角もまた囲み”western food KOSUMOSU”と書き込んだ。

その地図を男性に手渡し”P”の文字を指しつつ「オーキナチューシャジョー」と説明すると「セブンイレブンノトコロ」と男性は認めた。「ソコカラヒャクメートルクライサキノヒダリカドニヨーショクノヨイレストラン」とお教えする。そして男性の頷いたところで「ボク、イッシューカンゴニタイヘイクンデスヨ-」と続けた。男性はマスクの上の目を丸くして笑い「コップンカップ」と手を合わせて去った。

ようやくシャッターを降ろし、3台のキャッシュレジスターを締め終えると時刻は18時15分。現金を金庫に納めて18時18分。そそくさと財布の中身を確かめ、携帯電話と共に手提げ袋に入れて外へ出る。町内役員の直会は18時30分。予約係兼会計係の僕が、その時間に遅れるわけにはいかない。そして気温の急に下がった街に自転車をこぎ出す。


朝飯 メシ、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、ブテチゲ風味噌汁
昼飯 トースト、ホットミルク
晩飯 「やまだ宴楽」のあれやこれやそれや、他あれこれ、「アサヒ」の麦焼酎「一番札特撰」(お湯割り)


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2023.4.8(土) 春季例大祭

日程管理をGoogleカレンダーで行えば、スマートフォンでも簡単に閲覧できる。しかもAsanaなどと連携させれば集団でも使える。しかし僕は自作の仕組みをコンピュータの中に作り、それを1990年代から愛用してきた。それとは別に、事務机の左の壁に掛けたカレンダーにも予定が書き込んであり、使用頻度はこれがもっとも高い。その月替わりのカレンダーの今日のところには「8:45 神社」の文字があって、黄色い蛍光ペンでなぞってある。ピンクや黄色や緑の蛍光ペンによる文字の強調は「忘れてはマズイぞ」の印に他ならない。

そういう次第にて、6日の写真撮りの日とほぼおなじ服を着て8時38分に会社を出る。責任役員を務める総鎮守瀧尾神社には、予定どおり8時45分に着いた。拝殿の前には既にして稚児や金棒引き、その保護者たちが立ち、記念撮影が行われている。

今年の当番町である小倉1.2丁目は、JR今市駅から日光街道までの道の拡幅、またバイパスの開通により、戸数の激減した町内である。それにもかかわらず当番町を担って下さることは有りがたい。稚児や金棒引きの数がとても多いのは、この町内で育ち、現在は他の場所で暮らす親たちが、自分の子を参加させてくれているのだろう。それもまた有り難い。

人口減や少子高齢化などの問題により、我が春日町1丁目が当番町を務めた2018年度より、瀧尾神社の祭りは簡略化をされた。かつては本殿の「開扉」から「閉扉」まで小一時間を要した式が、今は10数分で終わる。社務所にて行われていた直会も、今は紙コップの酒を一口で飲み干して完了である。

定年年齢の引き上げや「一億総活躍社会」の浸透により、老人の自由時間が減っていることも、お祭の人員の確保に影響しているとのことを、今日は自治会長のひとりに教えられた。一方「東日本大震災において、復興の早かった地域とは、お祭を維持してきた地域」との調査報告もある。

いずれにしても、土地のお祭ができるだけ長く続くことを、僕は願っている。


朝飯 揚げ湯波と蕪の葉の炒り煮、日光味噌「ひしお」による肉味噌を添えた煮奴、納豆、薩摩芋のレモン煮、メシ、キャベツの味噌汁
昼飯 トースト、ホットミルク
晩飯 菠薐草のおひたし、鮪のヅケ、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、生のトマト、焼売ちまきごはん、「飯沼銘醸」の「新波」(冷や)、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)


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2023.4.7(金) 桜は桜

「アメリカでは、桜はせいぜい、石鹸の箱の意匠に使われるほどのものではあるけれど」という文章が、高等学校の英語の教科書にあったことを覚えている。「石鹸の箱の意匠に使われるほどの」とは、この場合「つまらないもの」を意味していると教師は説明した。

桜の花を眺めてみれば確かに、特に染井吉野は桃色に灰色を混ぜたような色で、綺麗でも何でもない。「それほど騒ぐほどのものか」と、日本人の僕でさえ思う。その感想とは矛盾するけれど「いちばん好きな花は」と訊かれれば「桜」と答えたりする。やはり、桜は桜なのだ。

隠居の桜のうち山桜は、花より葉の緑が目立ってきた。染井吉野は、花びらを散らすことさえ終えつつある。例年は4月の下旬まで目を楽しませてくれる枝垂れ桜も、今年は既にして盛りを過ぎた。「見ごろは4月11日」とした僕の予想は完全に外れた。

所用により下今市13:04発の上り特急に乗る。予報によれば雷雨もあり得るとのことだったので、傘を持参した。しかし東京では夕刻にようやく霧雨、北千住19:33発で戻った今市もまばらな霧雨にて、傘は遂に、使われることはなかった。


朝飯 生のトマトと茹でたブロッコリー、納豆、独活と人参のきんぴら、ハムと長葱のソテー、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と長葱の味噌汁
昼飯 2種のおむすび
晩飯 「シンスケ」のあれや、これや、それや、他あれこれ、タルヒヤ


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2023.4.6(木) 記念写真

3月のはじめから数えて、実に4度目の衣替えをする。今朝からのそれは”United Athle”の半袖ポロシャツに”Good On”の長袖Tシャツを重ねるもので、厚着を嫌う僕にはまことに具合が良い。ポロシャツは6着がある。そのうちもっとも古いものは10年前に買ったものだが、いまだに壊れない。Tシャツは4着があって、こちらは6年目だが、やはりビクともしていない。服や靴は、僕にとっては耐久消費財といえる。

2月14日に産まれた孫のカコの、今日は写真撮りの日だ。事務室にいると、嫁のモモ君の両親の姿が見えて「もうそんな時間か」と、いささか慌てる。4階の自室へ戻り、白いシャツ、濃い灰色のズボン、紺色の上着に着替える。ネクタイは、応接間の写真を確かめた上で、初孫のリコや、次のシンのときとは、また違うものを選んだ。そして20年前から使っている、脱ぎ履きのしやすい”TRIPPEN SHEET-PULL”を履いて外へ出る。

撮影用の寝椅子にひとり寝かされたカコはよく目を見開いてお利口だった。この春から小学生になるリコは、このところ格段に聞き分けが良くなった。シンはいまだ2歳で、こちらを落ち着かせるには、いささか手間取った。いずれにしても、スタジオ久良多のウエダアサコさんは、前回とおなじく良い写真を仕上げてくれるだろう。


朝飯 小松菜のおひたし、独活と人参のきんぴら、茹でたブロッコリー、温泉玉子、納豆、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、長葱の味噌汁
昼飯 「大しま」の特注膳、ごはん、浅蜊の味噌汁
晩飯 ベーコンと野菜のスープ、2種のパン、生ハムのムース茹でたブロッコリーを添えたオムレツChablis Billaud Simon 2018


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2023.4.5(水) 伊豆治療紀行(15回目の2日目)

きのうは治療院の玄関に入るなり「イタイ、イタイ、ダメ、ソコダメ、ダメ-ッ」と悲鳴が聞こえてきた。先生は「うるさい」と笑っている。

次の患者が治療室に入ると「いいですか、ストレッチをひとつ教えます」と先生は何やら指導をはじめ、そのうち「イチ、ニイ、サン」と、かけ声が聞こえてきた。そのかけ声のたび「ウーッ」とか「アーッ」という、患者の苦吟も届く。「動きが小さくなってきたよー、大きく動かさないとカウントしないからね-」と先生は続ける。一体全体、何が行われているのだろう。

9,000ボルトの電子ペンによる治療は、1日目より2日目の方が楽になる。それは初日の施術により患部が快方に向かうことによる。しかし僕の膝に関しては、そうとも限らないことがままある。今朝の治療はきのうより辛かった。昨年の1月から年末までのそれにくらべれば幾分かはマシ。とはいえ充分に痛い。僕は悲鳴は上げない。痛くて声も出ないのだ。

右膝に続いて左膝にも電子ペンが突き立てられる。痛みに耐えようとして、左の太腿がつりそうになる。尻のポケットからハンカチを取り出し、額の脂汗を拭う。電子ペンによる痛みは膝のような、骨と皮ばかりのところが最も強い。左膝の皿の中心に打たれた電子ペンによる窪みは、数十分を経ても元に戻らなかった。

熱海から乗った新幹線を品川で山手線に乗り換える。新橋の大衆床屋で散髪を済ませ、銀座線に乗る。浅草で地上に出ると、時刻は14時56分。電子掲示板には15時発の下り特急が見えている。もはや次発の特急券しか買えないのではないか。そう考えつつ券売機の前に立つ。幸い15時発は、いまだディスプレイから消えていなかった。特急券を握りしめ昇りのエスカレーターを駆け上がり、14時58分にプラットフォームに達する。いつもと異なり帰りを急ぐのは、今日は長男が東京に出張中で、会社が手薄なことによる。

夕食の席ではそれほどの飲酒もせず、早めに入浴して早めに寝る。


朝飯 「伊東園別館」の朝のブッフェ
昼飯 「東華軒」のシューマイ弁当
晩飯 カツ煮、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)


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2023.4.4(火) 伊豆治療紀行(15回目の1日目)

乗り換え案内の「出発」に下今市、「到着」に伊豆高原、出発時刻には11:30を設定しても、現れるのは下今市12:35発のみだ。「11時35分発があったはずだが」と、今度は東武線のウェブページから下今市11:35発の特急券を買ってしまうこととする。そして当該のページへ行くと、果たしてその列車は時刻表から消えていた。12時35分発では伊豆高原に着くのが16時48分となり、伊豆高原痛みの専門整体院に予約した17時には間に合わない。

3月までは運行していなかった、下今市10:53発の上り特急に乗る。伊豆高原までの経路は以下。こんな記録を残すのは、僕に「乗り鉄」の傾向があるからだろう。

10:53 下今市発(けごん20号)
12:22 北千住着
12:29 北千住発(常磐線)
12:49 東京着
13:27 東京発(こだま729号)
14:10 熱海着
14:29 熱海発(伊東線。伊東からは乗り換え不要で伊豆急行)
15:23 伊豆高原着

伊豆高原のひとつ手前の城ヶ崎海岸駅から治療院までは1,100メートルの急坂を登る必要がある。そしてこれは一度ためしたのみで止めた。以降は、往路においては伊豆高原からタクシーを使うことにしている。しかし17時の予約にはいささか早すぎる。よって山桃の大木を間近に望む待合室で1時間ほど本を読む。

肩と背中と膝の治療を18時すぎに終えて、城ヶ崎海岸駅までの急坂を下る。東伊豆の海はいかにも春らしく霞み、その先に浮かぶ大島には灯りが点り始めている。駅に辿り着いたのは18時26分。列車はほぼ1時間に1本。18時50分発の上りに乗って19時12分に伊東に着く。

ホテルまで歩く途中、前回3月7日に見つけた、非常に味のあるもつ焼き屋に入る。店の中は意外に広く、カウンターが5、6席に4人用のテーブルふたつがあった。カウンターの先客はふたり。ふたつのテーブルは埋まっている。焼き場のオバサンは静かで、調理担当のオニーサンは感じが良い。

何人かの集団が戸を引き、混み合う様子を見て入ることを諦める。しばらくして奥のテーブルの4人が去る。またしばらくするとふたたび戸が開き「シーシー」と言葉を発しながら新しい4人が入ってきた。

「シーで4人ならタイ人か」といぶかしんだが、彼らの話す言葉は聞き慣れないものだった。中国語、それも南方のそれだろうかと想像するうち、彼らのうちのひとりがカウンター上の冷蔵ショーケースの前に立ち、指さしで注文を始めた。しかし飲物については、どうするつもりだろう。

見るに見かねて、というほどのことでもないけれど、彼らと店の間には僕が入ることにした。何を飲むかと問うと「ショーチュー」と言う。その言葉は知っているらしい。水で割るのかお湯で割るのかと訊くと迷っている。だったら日本酒はどうかと問うと、それにするという。暖かいのか冷たいのかと続けると、彼らは冷やを選んだ。

「それにしても、よくもまぁ、こんな掘っ立て小屋のような店に、言葉もおぼつかないのに入ってくるよなぁ」と、呆れるよりむしろ感心をする。そうするうち4人組のひとりが僕のところに品書きを持ってきて「みりん干し」の文字を指す。「ホシタサカナ、アミデヤク、チョットアマイ」と教えると大きさを問う。両手の親指と人差し指で細長い楕円形を作って見せると彼女は頷いた。僕は「みりん干しだそうです」と、オニーサンに伝える。

勘定を頼むと「助かりました」と、オバサンは2合徳利1本分をおまけしてくれた。4人組はマレーシアからの旅客だった。僕は話し込む彼らのうちの一人の肩をつつき「ヨイタビヲ」と声をかけて店を出た。旅は「モノより思い出」である。彼らは国に帰っても、今夜のことを懐かしく思い出すだろう。そして数分を歩いて今夜の安宿に入る。


朝飯 茹でたブロッコリーを添えたハムエッグ、独活と人参のきんぴら、菠薐草のおひたし、納豆、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと大根の味噌汁
昼飯 「笹八」の爆弾おむすび
晩飯 「ひさご」のお通しのたぬき奴もつ煮もつ焼きあれこれ焼きそば、日本酒(燗)


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2023.4.3(月) メールより、リモート会議より

ここしばらく着なくなったフリースのセーターは、ベッド下の衣裳ケースに仕舞った。そして今朝からは、襟の高いシャツには長袖のTシャツを重ねることにした。仕事着というか普段着は、このひと月のあいだに冬のもの、早春のもの、そして春のものと三転した。1年のうち気温の最もめまぐるしく変転するのは今どきだと実感する。

今日は、僕としては、することがたくさん予定されている。やむを得ない事情とはいえ、そんなときに限っていきなり社員が休んだりする。すべきことのうちひとつふたつは先に延ばすことを考える。しかしそれをすると、その先で更に困ることになる。そういう次第にて頭を巡らせ、先ずは最初の作業に取りかかる。

午後は、僕としては珍しく、長男と連れだって市内の団体を訪ねる。そしてしばらく前に依頼した仕事の、より具体的な完成のさせ方についてすり合わせを行う。メールよりリモート会議、リモート会議より顔を合わせることが肝要と、僕は考えている。

終業後、指先に巻くためのキズパワーパッド10枚入り20箱を、ウェブ上の薬局に注文する。記録によれば、前回の購入は昨年の7月だった。200枚を8か月であれば、ひと月に25枚を使っている計算になるけれど、もちろん、使用頻度は冬が圧倒的に高い。

夕食の量は少ないように思われたが、炭水化物を追加することはせず、早めに入浴して早めに就寝する。


朝飯 菠薐草のおひたしを添えた鮭の味噌煮、温泉玉子、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豚汁
昼飯 トースト、ホットミルク
晩飯 刺身湯波、独活と人参のきんぴら、トマトの蜜煮、鯛と菠薐草の炊き合わせ、胡瓜と蕪のぬか漬け、「飯沼銘醸」の「姿・袋吊瓶囲い山田錦純米吟醸」(冷や)


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2023.4.2(日) シメナワ

きのうの午前は春日町1丁目の役員として、町内の、日光街道に面した家々の前に注連縄を張り渡した。その総延長は、日光街道の北側と南側をあわせて300メートルくらいになるだろうか。上澤梅太郎商店は、僕が中学生のころまでは日光街道に面していた。1970年代の後半に日光宇都宮道路ができ、その今市I.C.から春日町の交差点までバイパスが延びてからは、このバイパスに接して店舗は南東に向いた。しかしお祭の縄は張る。

総鎮守瀧尾神社の春の大祭は今週末に催行される。しかしこの縄が張られれば、祭礼までいまだ6日はあるとはいえ、僕は毎朝、お祭の提灯を出す。それは、店の景色が華やぐからだ。あるいはまた「お祭ですか」とお訊ねになるお客様とのあいだに新たな会話が生まれるからだ。

公民館の祭壇に飾る、また当番町に手渡す御神酒は細かい指示書と共に、きのう酒屋に注文した。数日にわたって労力を提供してくれる役員たちの直会の場も、既にして予約済みである。

ところで3月から4月にかけての町内の会計はややこしい。3月から新年度の行事のための出費があり、4月になっても前年度の入金があったりするからだ。2022年度の会計監査は今月の15日。よって会計係の僕は、14日までに決算書を仕上げる必要がある。すべての入金がその日までに成されることを、僕は望んでいる。


朝飯 めかぶの酢の物、生玉子、冷や奴、納豆、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豚汁
昼飯 トースト、ホットミルク
晩飯 ハムとトマトとピーマンのサラダ、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、たきたきうどん、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)


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2023.4.1(土) またひとつ

「八重洲ブックセンターが、きのう44年の歴史に幕を下ろしました」というアナウンスに気づいて、思わず「エッ」と声が出た。理由は周辺の再開発のため。おなじ地区に建設が予定されている超高層大型複合ビルへの出店は「計画中」とのことだから、今はまだ何も決まっていないのだろう。

八重洲ブックセンターは、僕の行動範囲には近くなかったから、訪れたことは記憶にある限り1度きりだ。それでも寂しさを覚えないわけにはいかない。

銀座では旭屋が2008年に消え、福家が2010年に消えた。不意を突かれたのは5丁目の近藤書店の消滅だった。本を欠いてはひとりで飲食のできない僕にとって、この店にはもっとも足繁く通った。それがいきなり無くなったのだから「これは困った」と、しばし焦燥したものだ。旭屋や福家のような大きな店はなかったから、近藤書店の閉店がいつだったかは、検索エンジンに当たっても見つからない。3階のイエナの閉店は2002年とのことだから、あるいは近藤書店も同時に無くなったのかも知れない。

「本はウェブ上より実店舗で買った方が断然、面白い」という文章を書いたのは1999年9月のことだ。しかしその数年後より、本はもっぱらインターネットで探すようになった。ニワトリが先なのか、卵が先なのか。恐らくはその双方によるものと思う。


朝飯 赤魚の煮つけ、ブロッコリーの油蒸し、納豆、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと小松菜の味噌汁
昼飯 「やぶ定」の冷やしたぬき蕎麦(大盛り)
晩飯 菠薐草と海苔のおひたし、鮭の味噌煮、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、豚汁、メシ、「飯沼銘醸」の「姿・袋吊瓶囲い山田錦純米吟醸」(燗)


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上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

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