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清閑 PERSONAL DIARY

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2023.4.20(木) タイ日記(3日目)

起床は5時33分。きのう書き終えた初日の日記を整えて「公開」ボタンをクリックする。

朝食の動画は毎日、撮る予定にしている。ハジャイはタイの街ではあるけれど、マレーと中華の色が濃い。動画を撮る件もあって、今朝は飲茶の有名店へ行くことを決めていた。有名な店へ行くのはミーハーあるいは観光客のようで恥ずかしい。しかし「お前も観光客じゃねぇか」と言われれば、確かにその通りだ。

店の場所はおととい、知らない間に遠くまで歩いてしまった際に良い機会と確かめておいた。ホテルはす向かいの歩道に座っていたモタサイのオジサンに声をかける。僕のタイ語が通じないといけないので、店の名がタイ語で書かれたGoogleマップをiPhoneに保存しておいた。それを見せながら「チョークディー」と言ってみる。オジサンは画像をしげしげと確かめて「テーティアム」と答えた。大丈夫だ。「好運茶点」の「茶点」はタイでは「テーティアム」と発音されるのだ。店までの料金は40バーツ。

炎天下を歩けばウンザリする道のりも、朝日へ向かって走るモタサイならほんの数分の距離である。店の前は既に大賑わいで、便乗商法か、果物や宝くじの屋台も出ている。この店の注文方法は以下。

1.店の前の責任者らしいオジサンに人数を伝える。オジサンはおなじ番号を書いた紙を2枚くれる。
2.その紙の1枚を、ショーケースの前のオバサンに手渡す。オバサンは深めのバットに紙を入れてくれる。
3.そのバットにショーケースから自分の食べたいものを選んで入れる
4.そのバットをちかくの店員に渡し、指定された席に着く。
5.別の店員に何ごとか訊かれる。多分、飲物のことだろうと見当をつけて「チャーローン」と答える。
6.ポットの中国茶が運ばれる。次いでバットの中味が蒸気で蒸し上げられて席に届く。

さて僕の席にはまたまた別の店員が、今度は練乳の沈んだグラスのコーヒーだか紅茶を運んできたので「それは頼んでいない」と言うと、店員は不思議そうな顔をしながら去った。

日本を出る前に僕が検索エンジンに当たったところ、熱い茶を頼んだら甘い茶が出てきたと書いている人がいた。つまり熱い中国茶は頼まなくても出てくるものであり、店員に訊かれて「チャーローン」と頼むと甘い別注品が届くのかも知れない。店員には悪いことをしただろうか。6品の合計は150バーツだった。あるいはここに、甘いお茶の値段が含まれていたかも知れない。

ホテルに戻って9時をまわったところでメイドを呼び、これまで着たシャツや下着の洗濯を頼む。洗い上がりが翌日になることを予想して出発の2日前に頼んだが、今日の午後にはできあがるという。メイドには20バーツのチップ。

きのうの日記を完成させてプールへ行く。きのうとおなじく寝椅子は建物の陰に入れた。そして10時48分から13時30分までのあいだに「輝ける嘘」の上巻を121ページまで読む。

南の国には様々な楽しみがある。外から戻ってシャワーを浴びたら寝台にバスタオルを敷き、そこで冷房の風を浴びつつゆっくりする、というのもそのひとつだ。しかし掃除を終えた部屋にバスタオルは無い。仕方なく小さなタオルでからだを拭き、服を着る。そしてちかくの部屋を掃除中だったメイドに声をかける。メイドは今朝、洗濯物を取りに来た人と同じだった。バスタオルが無い旨を伝えると、メイドは”finish,later”と答えた。とはいえ僕は部屋の表示に従って「交換しなくても構わない」という印に、バスタオルはベッドのサイドボードに置いていたではないか。バスタオルは数分を置かずに届けられた。

昼食はきのう目をつけておいた店で米粉の幅広麺による汁麺。部屋に戻ってシャワー。今度は寝台にバスタオルを広げて横になる。

さてプールサイドではきのう今日と日陰にいたものの、首も胸も腹も太腿も日焼けで真っ赤である。マッサージは毎日、受けようとしていたものの、こんな体をこすられては堪らない。よってセブンイレブンのエコバッグに必要なものを入れ、それを提げておとといからのマッサージ屋へ行く。そして脚マッサージを1時間だけ頼む。料金は250バーツ。

オネーサンは僕の脚を揉みながら「かかとがガサガサだね」というようなことを身振りで示し「かかと磨きを含めても400バーツだから」と指を4本、立てる。僕は「おとなしいアメリカ人」でもなく「醜いアメリカ人」でもなく、押しに弱い日本人である。きのうアカギレに萬金油を埋め込みキズパワーパッドで覆ったかかとが心配ではあったものの、オネーサンの提案を呑む。

オネーサンは奥から水玉模様のシャツとズボンを着たオバサンを呼んだ。オバサンは老眼鏡をかけるとカゴから軽石とドイツ製の角質削りを取り出し、マッサージを終えた左足を磨きにかかった。左脚はオバサンに、右脚はオネーサンに持ち上げられて、本を読むどころではない。更に、総額400バーツでは済まないのだ。オネーサンには100バーツ、オバサンには50バーツのチップを渡した。

手提げにはラオカーオも納めてきたから、その足で1本先の通りの料理屋に入る。そこで夕食を済ませ、ホテルに戻り、20時すぎに就寝する。


朝飯 “Chokdee DimSum”の飲茶あれこれ、お茶
昼飯 “Thahadsri Noodle Soup”のセンヤイナム
晩飯 「金城燕窝」のオースワンパッセンミークン、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


美味しい朝食のウェブログ集は、こちら。

2023.4.19(水) タイ日記(2日目)

起床は3時13分。旅の初日の日記は長くなる。早くに目が覚めて幸いだった。顔を洗い歯を磨き、机の脇では危ないからポットは洗面所に運んで湯を沸かす。その湯で日本から持参したフリーズドライのコンソメスープを飲む。

この街は昼こそ暑いが夜は推定で20℃台のなかばまで気温が下がる。冷房は昼に外から戻ったときにしか動かさない。にもかかわらず今朝は寒い。南の国の空気調整器には冷房しかないのが恨めしい。暖房を入れたい気分である。からだを温めるため、コンソメスープに続いて部屋に備えつけのインスタントコーヒーも飲む。

鶏の声に気づいて時計を見ると4時51分。外はいまだ暗い。空が明るみ始めるのは、その1時間後だ。それにしても寒い。廊下に出てみると、ここも寒い。11階の部屋からロビーへ降りる。冷房が効きすぎていて更に寒い。ロビーの先に喫煙者用のベランダがあることに気づき、その硝子戸を引く。ここではじめて暖かい空気に触れて人ごこちがつく。タバコを吸っていたオジサンが東の空を指す。ご来光を拝め、ということだろうか。タイの朝日は薄ぼんやりと上がる。その理由は何だろう

TikTokに上げている日本の朝食は、旅の最中には途切れてしまう。代わりにタイの朝食を上げることを、SEには提案してあった。その動画を撮るべく街に出る。店を選ぶ条件は、きのうの昼食と同じく「賑わっている店」だ。ホテルからほど近い辻に格好の店を見つけ、そこで粥を注文し、食べ、同時に動画も撮る。お粥の価格は豚の胃袋と肉団子、鶏卵1個を入れてもらって70バーツだった。

ようようからだも温まって部屋へ戻る。そして早朝からの、日記を書くことを再開する。それにしても、書いても書いても終わらない。しかしこれを完成させないことにはプールへ行けない。まるで夏休みの宿題である。それでも日記が趣味であれば苦痛でもない。タイに入って1日目、つまりきのうの日記は4,836文字を以てようやく完了した。

プールサイドの寝椅子はプラスティックの枠に網を張ったもので、とても寝心地が良い。しかしこのホテルを予約する際にウェブページで確かめたパラソルは無い。管理人の姿もないため、もっとも端にある寝椅子を建物の日陰に引き込んで横になる。そしてニール・シーハンの「輝ける嘘」の上巻を60ページまで読む。

昼食は摂らずに済むような気もしていたが、午後に至ると流石に空腹を覚えてきた。よって部屋に戻ってシャワーを浴び、Tシャツとタイパンツを身につけ外へ出る。そうしてまた賑わっている店を選んで入り、餡かけ麺を注文する。価格は60バーツ。

2016年6月にバンコクのチャルンクルン通りで汁麺を頼んだら50バーツと言われて「随分と高くなったな」と感じた。それがきのうの汁麺は80バーツ、今朝のお粥は70バーツ、そして昼の餡かけ麺は60バーツ。果たして首都の汁麺は、いくらくらいになっているだろう。

プールサイドでは日陰に居続けたにもかかわらず、脚も胸も顔も結構、焼けてしまった。よって午後は部屋の寝台で本を読む。やがて雷鳴が聞こえ始める。時刻は15時をまわったばかりだ。雷鳴は激しさを増すばかり。やがて雨は豪雨に変わる。

「参ったな」と思う。
「雷が聞こえ始めたときに行動を起こすべきだったな」とも思う。
きのうの日記に書いたマッサージの、今日の予約は16時だ。マッサージ屋は目と鼻の先。とはいえ外へ出れば一瞬で濡れ鼠になるだろう。

15時50分、飛行機の中の防寒用として持参したウインドブレーカーをTシャツに重ねる。ロビーに降りて、ベルボーイから傘を借りる。ベルボーイには20バーツのチップ。そして土砂降りの街へ出て行きながら「日本人ってのは大したもんだ」と、なかば自嘲を交えつつ感じる。

マッサージ屋に入ると、おばちゃんたちは僕が予約の客であることを認識していた。そして僕が予約をしたAoiさんは現在、接客中で、それが終わるのは17時を過ぎるという。しかし「タイ人って、やっぱりダメだな」とは思わない。これもまた「タイあるある」のひとつである。マネージャーらしいオニーチャンは脚マッサージ用の安楽椅子を壁から離し、背もたれを最大まで倒して、それを僕に勧めた。本読みも捗ろうというものだ。

19時をまわって雨はすっかり上がった。「タイの夜は、暗くなるほど明るくなる」と言った人がいる。詩人でもないのに上手いことを言うものだ。傘をホテルに返し、ウインドブレーカーは部屋に戻す。そして捲土重来、ふたたび街に出る。

今日の夕食に選んだ店は大繁盛。それは、店に入る時間がマッサージの遅れにより90分ほども後ろに倒れたこともあるだろう。オネーサンがごはんとお粥を盛った器をバットに載せて席の間を行き来しているのは、量を抑えた、味の濃いおかずでそれらを食べる店、ということだ。とすれば酒を飲むにも最適、ということになる。最初のおかずは豚の小腸の煮込み。次はタイの南に来たからには、ということで苦豆と烏賊の唐辛子炒め。

今夜の締めは青菜炒めでごはんを食べよう。そう決めて、遠くからでも大きな声で注文を通しているオジサンを呼ぶ。

「パッ(ト)パックブンファイデーン」
「パックブンファイデーン」
「ガッ(プ)カーオ」
「カップ」
一気に気分が良くなる。

夜の街はまだまだ賑やかではあるけれど、僕は早寝早起きが信条、というか、からだがそのようにできている。ホテルへ戻り、汗はまったくかいていないからシャワーは浴びず、すぐに就寝する。


朝飯 「楽龍福」の豚の胃袋と肉団子と鶏卵のお粥
昼飯  名前は分からない店のセンヤイラートナー
晩飯 「ナーイヤーオ」のサイパローサトーパップリックプラームックパットパックブンファイデーン、ごはん、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


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2023.4.18(火) タイ日記(1日目)

00:20 “AIRBUS A330-300″を機材とする”TG661″が、ようやく牽引車により動き始める。
00:32 定刻に12分おくれて離陸。

馬が食べるほどの量をオフクロが遺したデパスとハルシオンは、使用期限を過ぎて効き目が薄くなったのだろうか、席の背もたれを最大まで倒し、アイマスクをしても、まったく眠れない。その状態に飽きてアイマスクを外すとテーブルが降ろされていて、サランラップでくるまれた丸いパンが載せられている。タイ航空の深夜便で夜食の出されることは知っていたが、眠っていれば、あるいは眠っているように見えれば、これの置かれることは、これまでなかった。ヒマに任せて食べてみれば、どうやら中味はポテトサラダらしい。時刻は1時20分だった。

03:55 人が立ったり座ったり動いたりする気配で目を覚ます。「周囲が眠っているなら、自分も静かにしているべし」という常識が、どうやら日本人にはあるらしく、そしてタイ人にはそれが薄いのではないか、というようなことを考える。

04:45 朝食の配膳が始まる。僕としては珍しいことながら、ジャムを除いてすべて食べる。

今回の機材は古く、座席のひじ掛けにリモートコントロールは供えていない。いつもはときどき確認する現在位置だが、今回のディスプレイには”Moving Map is currrently unavalable”の文字が見えるばかりだ。

06:25 バンコクの灯りが見えはじめる。
06:35 定刻より15分はやい日本時間06:35、タイ時間04:35にスワンナプーム空港に着陸。以降の時間表記はタイ時間とする。

05:05 ようやく機外に出る。これまではしつこいほど目の前に現れた”Transfer to Chiangmai,Chiangrai,Phuket,Krabi,Samui,Hatyai”の表示が今回はどこにも見えない。よって”Transfer”の案内を頼りに歩いて行く。

05:15 見慣れた小さなカウンターに行き着く。ここでハジャイ行きの便にチェックインをする
05:22 タイの入国審査では指紋の登録を求められる。右手人差し指のバンドエイドを見せると、オバチャンの係官は残りの指だけでよろしいと言う。しかし僕の乾燥肌を、機械はなかなか読み取らない。オバチャンが差し出してくれたボトルのアルコールで指を湿らせて、ようやく完了の表示が機械に出る。

05:45 保安検査場の手前で、先ほど機内で支給された、いまだ開栓していない水のペットボトルを捨てる。ハジャイ行きだから、というわけでもないだろうけれど、女性の係のほとんどはヒジャブを着けている。これまたときどきテロ行為の起きるハジャイへ向かう飛行機の搭乗券を手にしているから、というわけでもないだろうけれど、羽田では見逃された”trippen”のハーフブーツを、ここでは脱ぐよう言われる。

05:47 A9ゲートに達する。夜が明け始める。天候は曇り。霞か霧か、遠くの景色は薄ぼんやりとしている。
06:25 搭乗開始。バスに乗せられたため沖駐めと思われたが、バスから降りてみれば、飛行機はブリッジで空港の建物と繋がれていた。理由は不明。4月はインドシナの最暑期と言われているが、気温は20℃台と思われる。

07:02 “AIRBUS A320-200″を機材とする”TG2259(WE259)”の43Hの席に着く。羽田から乗った “AIRBUS A330-300″より足元が広く、圧倒的に楽だ。

07:21 定刻に21分おくれて離陸。間もなく機窓から日が差しはじめる。今回の軽食はミートパイ。タイスマイル航空の機内食は美味い。コーヒーも美味く、お替わりをする。
08:25 地上が見えはじめる。
08:29 定刻に4分おくれてハジャイ空港に着陸。
08:40 大勢の乗客と手荷物受取所の回転台の前に立っていると「あなたはあちら」と、係員からドアの先を指される。国際線から乗り換えた乗客の荷物は別の回転台から出てくるらしい。

僕の他にはもうひとりの乗客しかいない場所で、自分のスーツケースを回転台から拾い上げる。それを足元に引き寄せベンチに座る。そして財布から日本円やPASMOを取り出し、封筒に仕舞う。別の封筒から1,000バーツ札1枚、500バーツ札1枚、100バーツ札5枚、50バーツ札2枚、20バーツ札5枚を引き抜き、先ほどの財布に入れる。

立ち上がって、エックス線による荷物検査をここでも受ける。出てきたスーツケースとザックを拾い上げながら、係のオネーサンに声をかけられる。

「ボトルが2本、入っていますね」
「はい」
「持ち込めるボトルは1本のみです。今回は見逃しますが、次からは決まりを守ってください」
「あ、はい」

そう答えたものの、スーツケースには今回、片山酒造の「久太郎」が1本、「粕華」が1本、他に2020年3月にバンコクから持ち帰ったラオカーオのペットボトル2本の、計4本が納められている。オネーサンの言う「ボトル」とは、酒類のことだろうか。タイにはこれまで何度も来ているけれど、今回のような注意を受けたのは初めてだ。

外へ出ると、ミニバスの受付小屋はすぐに見つけられた。そこでセンタラホテルまでと告げると、オネーチャンは「ミニバスは個別のホテルには行きません。タクシーを呼びます。タクシーは18番。料金は250バーツです」と言う。それに従って1,000バーツ札を出す。高額の紙幣を苦にしそうにない場所ではかならず1,000バーツ札を使い、小額の紙幣を得ることにしている。

数分を待つうち来た18番のタクシーが目の前に停まる。ヒジャブの上にピンク色のキャップをかぶった華奢な女の子が、僕のスーツケースをタクシーのトランクに入れてくれる。空港から出ると、タクシーは間もなく、タイの地方ではお馴染みの、片側三車線の道路に入った

タクシーの速度計が100キロを超えたところでシートベルトを締める。タイの隅々まで張り巡らされた広い道路は、1960年代、インドシナのドミノ現象を防ぐためのアメリカの宣撫政策によると、どこかで読んだことがある。それが本当かどうかは知らない。

「どちらから」
「日本から」
「何泊しますか」
「土曜日にバンコクへ戻ります」
「観光の予定は」
「無いなー。プールサイドで本を読む。あとは美味いメシ。それだけですねー」
「OK、OK」

空港から街までは、結構な距離があった。繁華街の真ん中にあるセンタラホテルにクルマを寄せると運転手はすかさず降り、トランクからスーツケースを取り出してくれた。日本のタクシーの運転手は多く、客がスーツケースを持っていても、運転席に着いたままだ。なぜそれをトランクへ納めることを手伝わないか。それは日本にチップの習慣がないためだと思う。

運転手には50バーツのチップ。時刻は9時30分。そしてエレベータで6階のロビーへ上がり、チェックインを済ませる。部屋は11階の7号室。ベルボーイにも50バーツのチップ。ここで時刻は9時40分。部屋は古びているものの明るく、掃除は行き届いている

日本のホテルでは大抵、1泊しかしないから、部屋をいじることはしない。しかし海外では何泊もするから、部屋を自分の好みに変える。

先ずは4つある枕のうち3つを窓際のテーブルに重ねる。デスクの脇には大きめの箱があって、無料のミネラルウォーターやグラスやカップが納められている。そのうちのミネラルウォーターは冷蔵庫に入れる。箱にできた隙間には、部屋に備えつけのタコ足コンセントを置き、そこにコンピュータとiPhoneの電源コードを差し込む。このホテルのコンセントは三穴にて、差し込むのにいささか苦労をする。2客のグラスのうち1客は、申し訳ないけれど、ボールペンやインク消し、コンピュータのディスプレイの埃を払うためのブラシを入れさせてもらう。持参したコンソメスープの顆粒やピルケースも、その箱に置く。そうするうち昼がちかくなってくる。

外へ出て、取りあえずは目の前の通りを東へ往く。ハジャイは2016年2月にナラティワートへ行く際に、列車でプラットフォームに停車をしたのみで、街のことはなにひとつ知らない。いくつかのメシ屋を通り過ぎながら、通りの角に混み合った汁麺屋を見つける。すかさず調理場のオヤジにバミーナムと告げ、ひとつだけ空いていた席に着く。そのまま座っていると、オネーチャンがタイ語で何ごとか訊く。先ほどのオヤジはいない。注文を繰り返して2杯が届いては困るから「既に」とだけ答えると、オネーチャンは理解をしたらしかった。

いつの間にか現れたオニーチャンが運んできた汁麺の、肉団子、薄切り肉、すじ肉のすべては牛肉だった。味の水準は高い。量も多い。ナラティワートでは、イスラム寺院の前の屋台が焼くパン以外は、すべて不味かった。この街が、その逆なら嬉しい。

ホテルへ戻り、シャワーを浴びて窓際に立つ。外には雨らしいものが見える。地上を見おろすと、人は傘を差して歩いている。その雨の弱まるのを待って7階のプールへ降りてみる。僕の旅の楽しみの随一は、プールサイドでの本読みである。しかし寝椅子のすべては濡れている。番人のオバサンに「雨が降る…」と声をかけると、オバサンは「雨が降る」と繰り返して笑った。

その雨の上がったところで外へ出る。昼の街は、まるで死んだように静かだ。タイのマッサージ師は通常、外に座って道行く人に声をかける。しかしこの街の彼らはおしなべて、冷房の効いた店内のソファに寝そべっている。そうするうち、自分の居る場所が分からなくなる。スマートフォンを取り出し位置を確かめると、何と、いつの間にかトエイ川の東岸まで来てしまっていた。

気温は高く、汗まみれで、歩いて帰る気はしない。そこに上手い具合にモタサイが来る。手を挙げると、反対方向へ向かおうとしたオートバイはそれを認めてUターンしてきた。問えば運賃は50バーツ。即、その後席にまたがってホテルに戻る

夕刻までは寝台で本を読む。そして17時に起きて服を着る。今夜の食事の場所は日本を出る前から決めておいた。ホテルからは徒歩で7、8分くらいのところだっただろうか。いまだ外の明るい時刻であれば、客の姿はまばらだった。先ずはソーダと氷を頼み、セブンイレブンのエコバッグに入れてきたラオカーオを、それで割る。これまた持参した本を開く。ラオカーオのソーダ割りを口に含むと、高揚と鎮静が一気に、同時にからだ中に広がった。肴はこの店の名物らしいベトン風蒸し鶏、そしてあんかけ焼きそば。価格は締めて270バーツ。お釣りの30バーツはそのまま置いた。

ホテルへの帰り際に、通り沿いのマッサージ屋から声をかけられる。そのオバチャンが相手と考え、2時間のマッサージを頼む。オバチャンは僕を店の中に案内し、若い女の子を僕につけた。若い女の子では、技術は大したこともないのではないか。オバチャンの方が上手なのではないか。腑に落ちない気持ちと共に階段を上がり、マッサージ台に横になる。

マッサージの上手下手は、そのマッサージ師が自分のからだに触れた瞬間に分かることがある。そしてその女の子の技術は大したものだった。2時間が経って階段を降りるなり、先ほどのオバチャンに声をかけ、明日の16時におなじ人で予約を入れる。

マッサージ屋からホテルまでは目と鼻の先。部屋へ戻るなり、ここに来て何度目か覚えていないシャワーを浴びる。時刻は20時37分。パジャマに着替えて即、就寝する。


朝飯 “TG661″の機内食“WE2259″のミートパイコーヒー
昼飯 “Ko Tum”のバミーナム
晩飯 「勿洞大人饭店 」のベトン風蒸し鶏あんかけ焼きそば、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


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2023.4.17(月) 駆け足

8時の朝礼から終業後に至るまで、移動は常に駆け足、気持ちもずっと駆け足だった。

17:30 閉店
18:00 終業
18:15 すべての社員を送り出す。
18:38 風呂を出る。
18:43 いまだアカギレの残る右手人差し指にバンドエイド2枚を巻く。

18:50 着替えを完了
18:59 グレゴリーのデイパックを背負い、リモワのスーツケースを曳いて外へ出る。
19:00 予約しておいたタクシーに乗り込む。
19:04 下今市駅着
19:06 上りプラットフォームの待合室に入る。風呂上がりの暑さの消えたところで長袖のシャツに木綿のセーターを重ねる。

19:20 上り特急リバティ152号が発車。
21:02 北千住より日比谷線の車両が発車。リバティが遅れたことにより地下鉄も1本遅れ。
22:06 人形町で都営浅草線に、泉岳寺で京急本線エアポート急行に乗り換えて羽田空港第3ターミナル駅着。

頼みつけのトチギ旅行開発のイシカワヒロシさんから届けられたeチケットの控えには「羽田4/17 22:20チェックイン」の赤い太文字があった。2020年3月以来のタイ航空のカウンターに旅客の姿はほとんど無い。

22:15 チェックインを完了。荷物はハジャイで受け取る旨を確認する。
22:25 保安検査場を通過。ボーディングパスは機械による読み取りになり、荷物を流すためのコンベアも新しくなっている。
22:27 出国審査場を通過。審査の方法は、パスポートの写真のあるページを機械で読み取る式。前回の2020年3月のときは、どうだっただろう。アカギレの絶えない僕にとっては、指紋認証よりこちらの方がよほど楽だ。

ボーディングパスにある142番ゲートを目指して進む。これまでよく利用していた鮨の「魚がし日本一」はシャッターで閉じられている。だったら”BOOK & DRUG”などと看板のあるコンビニエンスストアでおむすびでも買うか、そう考えながら行くうち、それらもすべて閉まっている。近づいて張り紙を見ると、営業は22時までとある。空港がコロナ前に戻るのは、いつになるだろう。

遂にどん詰まりの142番ゲートまで歩くものの、途中には飲物と菓子の自動販売機しかなかった。よって来た道を、動く歩道も使いつつ数百メートルほども戻り、サンドイッチとビールを売る店の列に並ぶ。そして目に付いたおむすびとペットボトルのお茶を買う。おむすび2個に少々のおかずを添えたその値段は、こちらももう閉まっている「六厘舎」の味玉つけ麺より高い950円だった。

23:22 ふたたび142番ゲートに戻り、空いている椅子に腰を下ろしたところで”All passenger…”のアナウンスが聞こえる。しばらく待って、列の最後尾が自分の脇まで来たところで席を立つ

23:35 “TG0661″の63Jの席に着く。コロナ前は日本の乗客が過半を占めていたこの便だが、今夜の大部分は、日本での旅行から帰路に着くタイ人と思われる。胸のポケットからデパスとハルシオン各1錠を出し、先ほど買ったペットボトルのお茶で嚥下する。


朝飯 蓮根と鶏とコンニャクの炊き合わせ、菠薐草のおひたし、納豆、生玉子、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、ブロッコリーの味噌汁
昼飯 トースト、ホットミルク
晩飯 羽田空港で買った「おにぎりランチボックス」


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2023.4.16(日) 花とサカヅキ

街を歩けばやたらに水を掛けられるソンクラーンの、今年の日程は4月13日(木)から15日(土)まで。日本の黄金週間は4月29日から。ハジャイは週末に混み合う。それらすべてを避けて、僕は今回の旅程を決めた。きのうの日記の表題「避けるかズラすか」である。

とはいえ「避けたくもないし、ズラしたくもない」という人は少なくない。あるいは「避けることもできないし、ズラすこともできない」という人もいるだろう。だから盆暮れや長い連休の観光地には人が殺到してにっちもさっちもいかなくなるのだ。しかしこの傾向も、徐々に薄れていくのではないかと僕は予想している。

昼前に事務室にいるところに販売係のサイトーミホコさんが来て「汁飯香の店 隠居うわさわ」の席の具合について訊く。僕はすぐに隠居へ電話をし、ご用意ができることを確かめる。お客様は外国の方だった。その3名様をご案内しつつ隠居の暖簾をくぐると、幸い、枝垂れ桜はいまだ花をたくさん残していた。

終業後、ウォッカを小さな杯に注いでひと息をつく。その食卓を18時50分に立ち、定刻の19時すこし前に町内の公民館に入る。そしてウカジシンイチ自治会長の用意した資料を元に、今月29日の総会についてのすり合わせを役員同士で行う。


朝飯 メシ、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、ブテチゲ風味噌汁
昼飯 トースト、ホットミルク
晩飯 豚肉とエリンギの中華風ソテー、菠薐草のナムル、オイルサーディン、焼き餃子、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)


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2023.4.15(土) 避けるかズラすか

起きて食堂に来ると、食器棚の電波時計は4時を20秒だけ過ぎていた。

沸かしたお湯を湯飲みに注いで煎茶にふさわしい温度まで冷ますあいだにアイロンとアイロン台を用意する。そして数日前に着て洗った、赤と白の格子模様のシャツにアイロンをかけ、畳んで、きのうの日記に書いた圧縮袋に納める。

旅についての諸々を集積した”TR”というファイルには現在、経験や反省による136の注意書きがある。シャツにアイロンをかけたのは、その忘備録の「服の枚数を最小限にすると洗濯屋が休みのときに着るものがなくなる」の1行をきのう目にしたことによる。

2016年6月のミャンマー以来、南を旅するときには”United Athle”の白い半袖ポロシャツを着続けている。つまり夏の仕事着と同じである。今回もそれを4着、他に下着や靴下やタイパンツを圧縮袋に入れてみたところ、嵩張ってまったく圧縮できない。よってポロシャツをすべてTシャツに替え、タイパンツを外に出して、ようやく圧縮が完了した。

人はしばしば服装で格付けをされる。シャツは白の襟付きが無難である。しかし今回はTシャツで通してみよう。とにかく赤と白の格子模様のシャツ、そして初日と最終日に着る隠しポケットの付いたシャツには襟があるのだ。

雨の降る中、16時に会計監査のサイトーヒロカズさんのお宅へ伺う。そこで町内会計の、2022年度の特徴について説明をする。そしてサイトーさんと、もうひとりの会計監査であるトヨダトシオさんから決算書に判を戴く。会計係の僕も判を捺し、それを濡れないようプラスティック袋に収めてウカジシンイチ自治会長に預ける。

明日の朝の小一時間は、また旅の準備に費やされるだろう。


朝飯 菠薐草のおひたし、蓮根と鶏とコンニャクの炊き合わせ、トマトとウインナーソーセージとブロッコリーのソテー、納豆、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、レタスの味噌汁
昼飯 トースト、ホットミルク
晩飯 スパゲティナポリタン、TIO PEPE、Chablis Billaud Simon 2018


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2023.4.14(金) ピッタリ

きのうは10数分のあいだに「ピッタリ」という言葉を少なくとも2回は発した。町内の会計係として前年度の決算書を作りながら、金銭出納帳の残高と、全収入から全支出を引いた数字が一致したのだ。「当たりめぇじゃねぇか」と言われれば確かにその通りだ。しかし実際には会社でも家庭でも、これの合わない方が圧倒的に多いのではないか。

今朝はウカジシンイチ自治会長と短い打ち合わせをし、今年度の予算も決めて、決算書は完成した。これが今週末に会計監査を通れば、週明けはタイ行きである。

先憂後楽ではないけれど、町内の決算書ができあがるまでは、旅の荷作りをする気が起きなかった。その準備に、いよいよ取りかかれるときが来たのだ。

先ずは昼休みに、バンコクとハジャイのオフラインマップをiPhoneにダウンロードする。次に、コンピュータに保存した計138におよぶ持ち物を、A4の紙5枚にプリントアウトする。計138とはいえ時と場合により必要としないものもある。傘などは一覧にあっても荷物に含めたことはこれまで一度も無い。よっていつも138の物をスーツケースやバックパックに入れるわけではない。

一方、普段とは異なって、今回は酒の四合瓶2本を持つ。スーツケースは相変わらず、機内持込が可能な”RIMOWA SALSA AIR 34L”だ。よって今回は、いくら便利と言われても使うことのなかった衣類圧縮袋を用意した。

谷口正彦の「冒険準備学入門」をひもとくまでもなく、旅の面白さのかなりの部分は準備にある。これからの数日が、楽しみでならない。


朝飯 冷や奴、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、蓮根と鶏とコンニャクの炊き合わせ、納豆、トマト、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、ごぼうのたまり漬、メシ、長葱の味噌汁
昼飯 トースト、ホットミルク
晩飯 「食堂ニジコ」の豆腐サラダ揚げ玉子豆腐の塩煮エビ春雨丼の頭だけ鶏の唐揚げチャーハン、他あれこれ、麦焼酎「二階堂」(お湯割り)「渡邊佐平商店」の「自然醸清開」(冷や)


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2023.4.13(木) 共に来たりてパンを食べる

ヨーロッパアルプスのフランスのどこか、ナイフリッジの山稜をひとつ越えたところで進退が窮まる。連れは家内で、装備は丸腰。ザイルも持っていない。進むこともできなければ退くこともできない。狭い岩の窪みから脱出を計って滑落するか、あるいはその場に留まって凍え死ぬか。そんな夢にうなされながら目を覚ます。僕は悪夢を見ることが少なくない。時刻は3時1分だった。

TikTokには隔日で朝食の動画を上げている。また週末には朝食の、作り方を説明しながらの長い動画を上げている。今週末には今月4日の朝食が公開されるだろう。来週末にはきのうの朝食が使われる予定になっている。しかし次の週末つまり4月29日のそれはいまだ撮っていない。そういう次第にて今朝は、レトルトカレーによる動画を撮った。もっともタイにいるあいだは週末が来ても、現地の朝食を紹介し続けるかも知れない。

終業後は社員のうち都合のつく者すべてが街の焼き肉屋に集まって食事会を催す。実に2019年6月以来、3年10か月ぶりの、全社的な食事会である。今夜の集まりは、名目は花見でも、2020年3月に入社したスギヤマアイカさん、また今年3月に入社したヤギサワアヤカさんの歓迎会のようなものだ。

companyとは「共に来たりてパンを食べる」が語源と、高等学校のとき英語のアカギヒデヤ先生から教えていただいた記憶がある。新型コロナウイルス感染症は、来月の8日より、季節性インフルエンザなどとおなじ「5類」に移行する。社員との食事会も、これからはもとの頻度に戻していきたい。


朝飯 カレーライス、生玉子、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」
昼飯 冷やし中華
晩飯 「板門店」のあれやこれやそれや「眞露」(オンザロックス)


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2023.4.12(水) 春眠不覚暁

ここ数日は、目を覚ますと外が明るくなっている。正に春眠暁を覚えず、だ。しかし明るくなってからの起床は損した感を拭えない。今夜はせいぜい早寝をすることにしよう。それにしても今朝は暖かい。上は半袖のポロシャツ1枚で寒さを感じず、靴下などは履く気もしない。その格好のまま朝食までの時間を過ごす。

8時30分に店を開け、販売台の後ろに立ちながら、よそ行きの服を着た孫のリコに気づいく。いかにも大きなランドセルを背負っている。その姿を目にして、今日は小学校の入学式の日と知る。僕の、小学校の入学写真に僕は写っていない。風邪をひいたか何かして休んだのだ。今の小学校にも入学写真はあるのだろうか。

午後、プロパンガスを配達する会社の人が来て、ガスボンベの転倒を防ぐための鎖を、これまでの1本から2本にするよう決まりが変わったという。ボンベを立ててあるのは2ヶ所。そのうち事務室に近い場所については、その人と共に確認をした。一方、隠居のそれについては、自分ひとりで見に行った。漆喰の壁に穴を開けられることには気が進まないけれど、仕方がない。工事は明日になるという。

ところで上澤梅太郎商店が運営する朝食の専門店「汁飯香の店 隠居うわさわ」では、食後にお客様より感想をいただく。それをコンピュータにデータベース化するのは僕の仕事である。毎日、あるいは毎週、規則正しく入れていけばそれほどの労力ではないけれど、たとえばひと月分を溜めると入力には半日を要してしまう。目の前にはタイ行きが迫っている。よって午後は、直近の3日分を入力する。そして今週末のそれについては、日々、入れていくことに努めようと思う。


朝飯 湯波と人参と牛蒡のおむすび、焼き海苔、トマトの甘酢漬け、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、三つ葉の味噌汁
昼飯 トースト、ホットミルク
晩飯 めかぶの酢の物、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、手巻き鮨、「片山酒造」の「かしわざかり佳撰」(燗)


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2023.4.11(火) 4月は避けるべし

コンピュータの”TR”というフォルダには、2007年5月の中国行きからの、海外旅行の日程が記録してある。その数は31。うち4月に行われたものはこれまで皆無。その理由が今回は明瞭になった。

瀧尾神社の4月の大祭を過ぎれば、10日ほど留守にしても、何の問題も無いと考えていた。ところが、である。4月の末には町内の総会が開かれ、会計係の僕は前年度の決算と今年度の予算を報告する。その決算書の作成が、案外、面倒だったことを忘れていたのだ。

今日は、昨年度に自動引き落としされた電気代を、手持ちの現金から銀行の口座に入金した。ちなみにその金額は、昨年度にくらべて5割増しの急騰である。一方、複数の法人から振り込まれた町会費は、これを口座から払い戻して現金とする。徴収する町会費は複数の費目からなる。よって現金はそれぞれ分けて、コンピュータの”CHO”というフォルダの金銭出納帳に記録した。残るは営繕積立金の金額を決めることで、これについてはウカジシンイチ自治会長と相談の必要がある。いずれにしても、会計監査は今週の土曜日。決算書はその前日までに完成をさせる予定である。

店を閉める準備をしながら、きのうのカンダヒロトさんのことを長男に話す。閉店後は冷蔵庫から6本の日本酒を隠居に運ぶ。そして日本酒に特化した飲み会「本酒会」の、4月の例会に臨む。


朝飯 「松屋」のソーセージエッグ定食(小鉢はとろろ)
昼飯 トースト、ホットミルク
晩飯 「汁飯香の店 隠居うわさわ」の酒肴其の一其の二むすすびと漬物豆腐と鳥肉団子と菜花の味噌汁苺の冷たい汁粉6種の日本酒(冷や)


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上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

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