2021.5.15(土) 寄り道
きのう目をつけた皿小鉢は、それぞれのURLをエディタをに記録しておいた。今朝はそれらをまたひとつひとつクリックし、ためつすがめつする。その行いをしながらときおり目が脇に逸れる。逸れた先とは中国の、今は失われた民窯の酒器だったり高台だったりする。
猪口の直径は45ミリとある。そのくらいあれば充分に酒は飲めるだろうと、ウェブ上の画像を見ただけなら感じられる。しかし家にある器に定規を当ててみれば、直径50ミリでさえ実用にはほど遠いことが分かる。
それとは別に、緑釉の皿もある。ページに示されている値段が気にならないのは、日本にいてそれを見ているからだ。中国の器はインドシナに隨分と流れてきている。タイに旅をしながら求めようとすれば、更に面白いものが更に安く手に入る可能性はある。あるいはこれを言ってはオシマイかも知れないけれど、窯跡まで足を延ばせば宝の山かも知れない。そう考えて、しばし脇道に逸れていた目を正面に戻す。
朝飯 揚げ湯波の甘辛煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、揚げ玉と長葱を薬味にした煮奴、めかぶの酢の物、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトとピーマンの味噌汁
昼飯 なめこのたまり炊、梅干、揚げ玉、焼き鮭のお茶漬け
晩飯 牛肉と牛蒡のすき焼き風、生のトマト、胡瓜のぬか漬け、薩摩芋の蜜煮、小松菜のおひたし、なめこの味噌汁、ヤシオマスの肉団子、ヤシオマスのムニエル、「南部美人」の「プリンセスミチコ純米吟醸」(冷や)
2021.5.14(金) 器えらび
朝食は、この日記やfacebookに画像を載せるほか、TikTokやyoutubeに動画も上げている。それらを見るにつけ、変わりばえのしない食器が気にかかってきた。食器はあれこれあっても気に入ったものしか使わないから、お膳の景色はいつまでも変わらない。よって今朝は新しい器を手に入れるべく、ウェブ上を逍遥してみた。
食器の実店舗は、それを肉眼で見て、手に取って確かめられるところに価値がある。ウェブ上の買い物は、実店舗が在庫しきれない数千数万の中から個体を選べるところに価値がある。
数千数万とはいえ、目に留まるもの、食指の伸びるものが、そうあるわけではない。しかしまったく無いわけでもない。そのようなものがあらわれるたび、画像を拡大し、しげしげと眺め、大きさを示す数字を確かめる。そこでふと立ち止まる。いま使っている器は一体全体、どれほどの大きさだろう。それを知らないまま購入に臨めば、野村克也が長嶋茂雄の采配を評して言った「頓珍漢」とおなじことになる。
そこで、普段づかいの器を食器棚から取り出し、食卓に並べ、その大きさを測ってみることにした。早起きだけに、朝飯前の時間はふんだんにある。そして記録したものが以下である。
波深皿 φ110×H30
菊深皿 φ110×H35
鼠志野皿 φ113×H23
笹文なます皿 φ140×H35
唐草文皿 φ155×H29
草花文皿 φ160×H28
白釉小鉢 φ95×H43
子の字文小鉢 φ98×H45
富士山小鉢 φ104×H45
藁引小鉢 φ105×H53
赤青麦藁手小鉢 φ110×H50
こうしてみると、特に小鉢の直径はおおむね110mmに収まっていた。また、小さく見えても数字にしてみれば、より大きく見えるものと大して変わらないこともあることが分かった。これは中々に面白い発見だった。
そうしてインターネットの大海に引っかかった店の、商品検索窓に「φ11」と入れてみる。次は「φ10」と入れてみる。それらの中からどれを選ぶかを大まかに決めて、以降は後日の楽しみとする。
朝飯 豆腐の玉子とじ、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、若竹煮、上げ湯波の甘辛煮、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、白菜と長葱の味噌汁
昼飯 「大貫屋」のオムライス(ケチャップはかけないでね特注)
晩飯 帆立貝とパプリカと胡瓜とレタスのサラダ、スパゲティミートソース、チーズ、TIO PEPE
2021.5.13(木) マツタニ先生
きのうティオペペを飲むために使った藍色の小さなグラスを、朝、食器棚にしまう。定位置はすこし奥の方だから、先ずは手前に置いて、それを指先で奥の方へと押し込む。その際に、グラスの底が棚板とこすれてジャリジャリと音を発する。地震か何かでグラスが倒れ、割れ、それを片付けた後も、そこに小さな破片が残っているのだろう。気がついているならそれを掃除すれば良さそうなものを、そのままにしているのは僕の怠惰さのあらわれだろうか。
いざしようとすれば数分で片付くその小さな仕事を僕が怠っているのは、生来の怠け癖からのものともあながちは言えないと、心の中で思う。
日光街道に面して旧市街の中心にあったスーパーマーケット「かましん」は、4月のはじめにJR今市駅のちかくに移転をした。むかしそのあたりには古い洋館があって、そのマツタニ医院は僕のかかりつけだった。白髪にちょびひげを生やしたマツタニ先生は町医者だったから、内科も、また簡単なことなら外科もこなした。飼っているシェパードの具合が悪くなったときは、自分が注射を打って治す、などとも言っていた。
マツタニ先生は愛嬌のあるオジイサンで、僕は好きだった。診察室の窓際に寄ろうとすると「ガラスが危ない」と、いつも注意を受けた。注射液のアンプルは明るい窓際で割る、そういう習慣が、先生にはあった。
食器棚のガラスの破片をいつまでも拭かないのは、多分、僕がマツタニ先生を懐かしく思い出すために、無意識のうちにしていた行いなのだ。その破片を今朝は思い切って、綺麗さっぱりぬぐい取った。しかしまぁ、僕が先生を忘れることはないだろう。
マツタニ医院にはいつも、消毒液の匂いが濃く漂っていた。ひとけの無い待合室には、和田英作だか誰かの油絵が掛かっていた。シェパードは、善意の人が塀越しに投げ込んだ鶏の骨を食べて死んだと、後に聞いた。
朝飯 アスパラ菜と「ほぼカニ」のサラダ、納豆、若竹煮、ラタトゥイユを添えた目玉焼き、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波とアスパラ菜の味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」の海老そば
晩飯 らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、「マルサン葡萄酒」の「醸し甲州2019」、トマトとキウイのサラダ、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、玉子焼き、鮪の「にんにくのたまり漬」和え、鶏の唐揚げ、芋焼酎「妻」(前割のお燗)、自由学園のクッキー、Old Parr(生)
2021.5.12(水) いま観るべきは
本日はおじいちゃんの祥月命日により、6時前に家内と如来寺へ行き、墓参りをする。
おじいちゃんは酒もタバコもやらず、その代わり甘いものは好んで糖尿病に罹った。そして72歳で亡くなった。それを反面教師にしたか、オヤジは食事制限を好み、栄養失調と長年の喫煙により肺炎を起こして75歳で亡くなった。上澤家の男はおしなべて短命である。さて僕は何歳まで生きるだろう。
春先からのならいにて、今日も宇都宮の喫茶店でしばし本を開く。いま読んでいる「東京オリンピック 文学者の見た世紀の祭典」は、350ページまで進んだ。ここまででは、小田実の「メダルに縁のない国の話」と安岡章太郎の「オリンピック映画作り奮戦記」が心に残った。双方の文章に、勝者についての記述はひとつも無い。
先週まで、野党はオリンピックの開催に対して懸念は示すものの、明確には反対の立場を取らなかった。「オリンピック中止」を主張したところにオリンピックが開かれ、感動の場面がいくつもテレビに映し出されれば、国民の反感と冷笑は野党へと向かい、与党は息を吹き返す。それを恐れるゆえの、態度の保留だったのではないか。
ところが今週に入ると、彼らは一転して「オリンピック中止」を声高に訴え始めた。オリンピックは開催されない可能性が過半に達し、更に伸張しつつあるとの確証を得たのかも知れない。
いま観るべきは、市川崑の「東京オリンピック」だと思う。小学生の僕はこの映画を妹と共に二宮町の千歳座で2回続けて観た。そして「帰りが遅い」とオフクロに叱られた。小学生が2回、飽きずに観られる記録映画など、滅多にあるものではない。
朝飯 胡瓜と「ほぼカニ」のサラダ、納豆、菠薐草と榎茸のおひたし、鶏とリガトーニのグラタン、めかぶの酢の物、ごぼうのたまり漬、メシ、アスパラ菜の天ぷらとトマトの味噌汁
昼飯 なめこのたまり炊、豚挽き肉とマッシュルームのそぼろ、焼き鮭、しその実のたまり漬のお茶漬け
晩飯 ラタトゥイユ、リガトーニのミートソース、パン、茹でたブロッコリーを添えた鱈のバターソース、グリーンアスパラガスの豚三枚肉巻き、TIO PEPE
2021.5.11(火) パクチーどころではない
きのういち早く、新型コロナウイルスワクチンの接種予約済ませた。その理由は、市民としては地域のため、経営者の立場からすればお客様と社員のため、そして極私的にばタイの最北部で寝転がっているため、となる。
「タイの北部は山ばかり。アンダマン海に浮かぶ宝石のような島々こそ楽園ではないですか」と言われれば、そういうところは”Let’s enjoy”と、元気溌剌とした人に絶えず声をかけられているような気がして、それほど好みでないのだ。「オレの勝手にさせてくれ」である。
タイといえば、おととい街のベトナム料理屋から長男が持ち帰った数々は、その香りによりタイを思い出させてくれた。ベトナム料理は香草を豊かに使いつつ、日本人には馴染みやすい。さらに南下してインドネシアの料理はどうかといえば、これまた驚くほど日本人の舌に親和する。「何だ、これは」という違和感、良く言えば異国情緒は、インドシナでは圧倒的にタイのそれだと思う。
チムジュムを生まれではじめて食べたのは、2009年8月24日。ミントの強烈な香りに思わずのけぞった。湿熱の土地で食べる鍋料理は、ことのほか美味い。
朝飯 菠薐草と榎茸のおひたし、納豆、若竹煮、胡瓜と茗荷の酢の物、揚げ湯波の甘辛煮、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと大根とズッキーニの味噌汁
昼飯 バターとママレードとらっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」のトースト、ミルク番茶
晩飯 ラタトゥイユ、コーンポタージュスープ、刻みキャベツと茹でたブロッコリーを添えたコロッケ、TIO PEPE、Chablis Billaud Simon 2015、西瓜の寒天寄せ
2021.5.10(月) 9分
日光市役所による「新型コロナウイルスワクチン予約について」というページを8時58分に開く。そして別窓に開いたウェブ時計が9時になると同時にキーボードの”F5″を押して、画面にリロードを加える。するとそれまでは見えていなかったURLが現れた。すかさずそれをクリックする。
新しい画面の中央には、混雑を示す丸い線が回り続けている。「さすがに初日の開始直後は混み合うようだな、2、3日経ってから、また試してみるか」と考えつつも、そのまま放っておく。画面はしかし、数分の後に次のページへと遷移をした。
自分の生年月日を示す8桁、接種券番号の10桁など、必要な数字はあらかじめエディタに保存をしておいた。それらを、次々と現れるテキストボックスにコピー&ペーストで入力していく。自分のメールアドレスは、何十年も前から辞書に登録済みだ。
そして1回目の接種は5月24日、2回目は6月14日と、もっとも早い日に予約を確定することができた。9時ちょうどから9分が経っていた。後からの確認は可能としても、接種日、接種時間、接種場所は画面に残らない。受付完了を報せるメールにも、それは記載されない。申込みに際しては、役所から届いた書類と共に、紙とペンを用意しておくと便利だろう。
2度の接種を終えたときには、申込書に添えられた接種済証明を複写して、蛍光ペンで縁取りをしよう。そして仕事中は、それを首から提げようと思う。
朝飯 刺身湯波、アスパラ菜の天ぷら、揚げ茄子、なめこのたまり炊のなめこおろし、生のトマト、ごぼうのたまり漬、メシ、ブロッコリーの味噌汁
昼飯 バターとフォアグラとママレードとらっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」のトースト、ミルク番茶
晩飯 生のトマト、マカロニサラダ、カレーライス、Old Parr(お湯割り)
2021.5.9(日) 新春山見弁当(其の二)
普段は日が改まらないと寝に就かない家内が、きのうは僕より早く寝室に入った。そして今朝は4時に起き、ひとりそそくさと朝食を済ませて5時に隠居へと去った。「汁飯香の店 隠居うわさわ」の規模からすれば少なくない数の弁当を作るためだ。
7時55分からの朝礼を終え、外へ出ると、駐車場の北側に、オートバイをお駐めのお客様がいらっしゃった。よって声をおかけし、開店前の店にご案内してお買い物をしていただく。
朝の仕事の一段落をしたところで隠居へ行ってみる。厨房では長男が、弁当の盛りつけをしているところだった。家内は開店直後よりお入りになったお客様に、食後の甘味をお出ししようとしている。
5月の「新緑山見弁当」は、本職の指導による。いざ本番に臨んでみると、2段重ねの弁当は当たり前のことながら、1段にくらべて倍の手間を要することが分かった。「さばき」に長けた本職ならともかく、朝食のお客様を座敷にご案内しながらの、この弁当のお作りは中々に大変だ。とはいえ31日の月曜日までは、とにかくこのままでいく。お陰様で、評判が良いのだ。
弁当のご提供は、毎週土、日、月の3日間。ご予約は前日の15時までに、0288-21-0002へお電話ください。どうぞよろしく、お願い申し上げます。
朝飯 なめこのたまり炊、生玉子、刺身湯波、焼き鮭、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、大根とズッキーニの味噌汁
昼飯 「ふじや」の野菜麺
晩飯 男体山漬け、トマトと玉子のスープ、「アオザイ」のサラダ、生春巻き、蒸し春巻き、揚げ春巻き、バインセオ、鶏と豚の鹵味、芋焼酎「妻」(前割のお燗)、チェー
2021.5.8(土) 新春山見弁当(其の一)
「来年は3連休だ」と、小学生のころ、クラスの誰かが気づいて皆で喜び合った記憶がある。当時の5月に祝日は、3日の憲法記念日と5日のこどもの日のふたつがあるばかりだった。西暦元年だろうが西暦5,000年だろうが、その月のカレンダーを見ることのできる命令を、コンピュータに与えてみる。「来年は3連休だ」は果たして1967年のことと分かった。小学5年生の5月、僕は何をして過ごしたのだろう。商売をする家の子供だから、行楽に出かけていなかったことだけは確かだ。
今年の5月は、1日の土曜日も入れれば5連休。大きな工場などは、6日と7日の木金も休みにして9連休としたところもあったかも知れない。上澤梅太郎商店は「ほぼ年中無休」で商売をしている。よってコロナ禍が去っても、引退をしても、働く社員のことを慮って、僕がこの時期に会社を空けることは無いだろう。
「汁飯香の店 隠居うわさわ」には明日、これまでになかった数の弁当の予約をいただいている。「新緑山見弁当」と名付けた5月の弁当は2段でひと組。よって先月までの1段の、倍の量を作る必要がある。有り難いことと、感謝をしなければならない。
朝飯 納豆、炒り豆腐、揚げ湯波とアスパラ菜の炊き合わせ、トマトとブロッコリーとベーコンのサラダ、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、白菜とズッキーニの味噌汁
昼飯 バターとフォアグラとママレードとらっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」のトースト、ミルク番茶
晩飯 刺身あれこれ、鶏そぼろと夏野菜の冷やしかけ素麺、「小林酒造」の「鳳凰美田純米吟醸生酒」(冷や)
2021.5.7(金) 不要不急
新型コロナウイルスの、いま以上の蔓延を防ぐための、3度目の緊急事態宣言が発令をされたのは4月25日。対象地域は東京、大阪、京都、兵庫の4都府県。期限は5月11日までの17日間。それが愛知、福岡の2県を加えて5月31日まで延長されることになった。
第1次オイルショックは、1973年秋に勃発した第四次中東戦争による。当時、僕は高校1年生。寮の食料や用度品を確保するため、学校がどれほど苦労したかは知らない。呑気なものだった。しかし銀座の地下道の電飾看板が、すべて電源を落とされ真っ暗だったことは覚えている。
「酒は出すな、そして営業は20時までとせよ」と現在、東京の飲食店は都から要請をされている。僕が直近で東京へ行ったのは4月15日。このとき東京都は蔓延防止等重点措置、いわゆる「マンボー」の実施中ではあったものの、飲食店は、いまだ酒を売ることを許されていた。
現在の東京は、一体全体、どのような具合になっているのだろう。第1次オイルショックのときとおなじく、街は相当に暗くなっているのだろうか。
「不要不急」とは「潤い」とか「余裕」の別名だろう。「潤滑油」と言っても良いかも知れない。とすれば「不要不急」は「必需品」ということになる。「不要不急」はいつ、街に戻ってくるだろう。
朝飯 揚げ湯波と蕪の葉の炒り煮、納豆、菠薐草のおひたし、若竹煮、スペイン風目玉焼き、ごぼうのたまり漬、メシ、大根とズッキーニの味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」の冷やし中華
晩飯 胡瓜とサラダ菜とキウイとブロッコリーのサラダ、3種のパン、フォアグラ、リングイネと鶏とベーコンのグラタン、チーズ、Chablis Billaud Simon 2015、西瓜
2021.5.6(木) 今日わかったこと
このところ、週に1度は宇都宮の本屋へ行く。本を買うためではなく、クルマを駐めるために行く。その本屋は、かかりつけのカイロプラクティックのちかくにある。併設の喫茶店で何かを飲めば、駐車代はタダになる。本はほとんど、amazonの古書でしか買わない。
先日、この本屋に興味を惹かれる本があった。いつものように書名を覚え、帰宅してからamazonに検索をかけた。案に相違してその古書は、本屋のそれより5割も高かった。刷り部数は少なく、しかし求める人は予想外に多かった、それゆえの価格だろうか。
その「恥ずかしい料理」は7日を経た今日も、売れずにそこにあった。即、棚から取り上げて帳場へ持っていったことは言うまでもない。喫茶店では、買ったばかりの本は開かず、持参したものを読んだ。タリーズコーヒーでコーヒーは頼まない。いつも紅茶ばかりである。
家に帰って、それを食べていることは家族にも隠したいほどの「恥ずかしい料理」が自分にはあるかと、考えてみる。梅干の種の「仁」は好きだが、あれは料理ではない。魚の煮汁の煮こごりなら、かろうじて料理と言えるかも知れない。しかし別段、それを食べて恥ずかしい、ということはない。
僕は何でも食べてしまう、いわゆる「乞食腹」である。そういう人間に「恥ずかしい料理」はなかなか思いつかない、ということが今日は分かった。
朝飯 鮭の味噌漬け焼き、揚げ湯波と蕪の葉の炒り煮、納豆、菠薐草のおひたし、炒り豆腐、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、キャベツの味噌汁
昼飯 カレーライス、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」
晩飯 トマトと春雨のサラダ、男体山漬け、水餃子、キンミヤ焼酎にTIO PEPEチョロリ