2021.4.26(月) 超小盛り
新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐための緊急事態宣言は、昨年4月から、地域により1ヶ月から2ヶ月半のあいだ発令をされた。これが1回目。2回目は今年1月からお彼岸までの2ヶ月半。そしてより規制の少ない蔓延防止等重点措置の適用を経て、東京、大阪、京都、兵庫の4都道府県にはきのうから5月11日までの17日間において、3回目のそれが始まった。
2回目は、新規感染者が増え続ける中での解除だった。それについては「理解不能」とする人もあれば「経済のことを考えれば、ひと息つかせてくれ」と考える向きもあっただろう。「変異株による新規感染者は指数関数的な増え方にも関わらず、なぜ3回目は17日間という短期間なんですか」と問えば「そのあたりについては国民の皆さんも、忖度してくださいよ」と国は答えたいだろう。
そういう混乱の中においても、商売は淡々粛々と行っていかなければならない。
今月29日より店で売るサラダや軽食の試食を、15時より長男、販売主任のハセガワタツヤ君と行う。僕は感想は述べるものの、基本としては若い人任せだ。
昼にかつ丼を食べていたところにこの試食が加わり、夕刻まで満腹の状態が続いた。よって夜のカレーライスのごはんは「懐石料理のそれくらい」と、超小盛りにしてもらう。
朝飯 榎茸のおひたし、生玉子、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、炒り豆腐、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトとグリーンアスパラガスの味噌汁
昼飯 「大貫屋」のかつ丼(並)
晩飯 トマトとレタスのサラダ、スパゲティのオムレツ、刻んだ「らっきょうのたまり漬」を添えたカレーライス、Old Parr(ソーダ割り)、いちご
2021.4.25(日) 適当な壁
藤の花の、つぼみの不気味な姿を知る人はどれほどいるだろう。隠居の庭の藤棚にも、その、センザンコウの頭のような造形が、つい先日まで見られた。それが今日は、三分咲きほどながら、花房を垂らすまでに、季節は進んでいた。
藤の花は、その特徴のある姿により、古くから多く絵画や技芸の主題になってきた。歌舞伎舞踊の藤娘は、大津絵の藤娘からの派生。その藤娘や座頭など、10枚ひと組の大津絵が、オヤジの生前には事務室に飾られていた。それを「仕事場には似合わない」と、外して倉庫へ仕舞ったのは僕だ。悪いものでなければ、どこかに復活させたいと考えながら、いまだできない。掛けるに適当な壁が無いのだ。
ところで絵といえば、額の、ガラスの割れてしまったものが2点ほどある。そのうちのひとつは、もう何年も、ガラスを失ったまま置かれ続けている。先般、遂に宇都宮の画材屋へ問い合わせた。今はガラスではなくアクリルが主流だという。むべなるかな、だ。そういう次第にて、壊れた額は今週中にも画材屋に預けたい。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、炒り豆腐、ウインナーソーセージと緑豆を添えた目玉焼き、榎茸のおひたし、白菜漬け、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、酸っぱくなった白菜漬けとトマトの味噌汁
昼飯 「ふじや」の広東麺
晩飯 生のトマト、だし巻き玉子、菠薐草のおひたし、大根と万能葱の味噌汁、若竹煮、鰤の照り焼き、芋焼酎「妻」(前割のお燗)、バナナケーキ、Old Parr(生)
2021.4.24(土) サッと一拭き
先月下旬に引き続いて、先週金曜日からおなじ痛みを感じ始めた喉は、おととい朝から急に快方へと向かった。それでもセキネ耳鼻科が開いている限りは毎日、通う。今週水曜日に採られた血液の、検査の結果は「内科的には問題なし」とのことだった。更に詳しい内容は、来週に判明するらしい。
ところで今日は、ふたりの事務係が揃って出勤した。家内は「汁飯香の店 隠居うわさわ」へ行っているが、長男も事務仕事とあれば、電話受けや来客応対の人員は充分だ。よって4階の和室へと上がる。そしてひと月半ほども前に2階の倉庫から運んだ掛け軸の、箱を拭くことに専念をする。
それらの中には、まるで100年以上も埃を蓄積させ続けていたようなものもあって「サッと一拭き」というわけにはいかない。70数本のうちの33本を拭き上げたところで疲労困憊し、今日の作業は終了とする。
16時前には毎日のことながら、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の売場へ行く。そして明日の朝までに納めるべき商品を、紙に書き付けて会社に戻る。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、じゃがいもとマッシュルームのグラタン、若布と玉葱の酢の物、生のトマト、白菜漬け、メシ、筍と若布と万能葱の味噌汁
昼飯 カレーライス、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」
晩飯 コーンクリームスープ、レタスとゆで玉子のサラダ、浅蜊とスナップエンドウと筍のスパゲティ、Chablis Billaud Simon 2015、エクレア、Old Parr(生)
2021.4.23(金) 繁忙
今日はすべきことが多い。事務机の左の壁に掛けたカレンダーには、いくつかの用事が書かれている。それに加えて更に、コンピュータ右手に置かれた電子卓上計算機に、”to do”の黄色いポストイットが増えていく。1枚のポストイットには、複数のすべきことが書かれている。それらのひとつを済ませるたびに、1行ずつ赤いボールペンで線を引いていく。
お得意様への夏のギフトのご案内は、5月の最終週に投函をする。その宛先の、顧客名簿からの選び出しを、10時30分より自宅に戻って行う。お住まいの地域を限定してお送りする、百貨店などの催しのご案内よりは、その抽出方法は簡単だ。それでもなお、来客や電話の頻繁にある事務室では、この仕事はできない。
午前中に行くことにしていた銀行から「今日でなくても構いませんが…」と、午後になって電話が入る。カレンダーの、来週月曜日の予定を横目に睨みつつ「いえ、これから参ります」と返事をする。
閉店後にようやく、日本酒に特化した飲み会「本酒会」の、今夜のお酒の内容を紙に出力する。そしてその紙と冷蔵庫に保管しておいたお酒を持ち、今月の例会場へと向かう。
朝飯 納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、炒り豆腐、牛肉のすき焼き風、厚焼き玉子、らっきょうの甘酢漬け、メシ、若布と玉葱の味噌汁
昼飯 「大貫屋」の味噌ラーメン
晩飯 「食堂ニジコ」のあれや、これや、それや、他あれこれ、3種の日本酒(冷や)
2021.4.22(木) 苦く笑う
大きな朝食会場を持つホテルに泊まるたび目にする悲しい風景がある。それは、定められた時間より早く来て、入口に長い列を作っている老人たちの姿だ。老人は早起きで、多くはせっかちだ。あまりに早く起きるから時間をもてあまし、腹を空かせ、決められた6時30分や7時よりも前に食堂に来てしまう。あるいは「メシにあぶれたら一大事」という気持ちがはたらくのかも知れない。
新型コロナウイルスの流行る前は、年に一度、町内の役員でバス旅行に出かけていた。泊まるのは大抵、大きな温泉ホテルだ。上に書いたようなことを僕は同行の皆に話す。皆は「アハハ」などと笑う。そのうちの何人かは翌朝、きのう笑ったことを忘れて自分もおなじことをしてしまう。ときには部屋まで追い返されてくる。「だから言ったじゃないですか」と顔をしかめても「やっぱりダメだったわ」などと屈託が無い。
きのう留守にしてるあいだに「新型コロナウイルス感染症ワクチン接種のご案内」と書かれた黄色い封筒が届いていた。中味を取り出しながら、封筒に大書してある番号に電話を入れる。混み合って繋がらないだろうとばかり思っていたが、応答は意外や早かった。
「ウワサワと申します。ワクチン接種の書類が届きましたので、電話をしました」と話しかけると「その中の、ピンク色の紙を見ていただけますか」と、女の人は僕をうながした。当該の紙には「予約受け付け開始は5月10日(月)です」の文字。「初日は混雑すると思いますので、すこし日を空けていただいた方が…」と、女の人は、あくまでも優しかった。
そうして「なんだ、オレも温泉旅館のジジーと同じじゃねぇか」と受話器を置きながら気づいて苦く笑う。
朝飯 榎茸と菠薐草のおひたし、厚焼き玉子、独活のきんぴら、薩摩芋とタラの芽の天ぷら、らっきょうの甘酢漬け、メシ、筍と若布と万能葱の味噌汁
昼飯 “TULLY’S COFFEE”のボールパードッグラタトゥーユ&マスカルポーネ、ロイヤルミルクティー
晩飯 マカロニサラダ、トマトとキウイのサラダ、ポテトとマッシュルームのグラタン、グリーンアスパラガスのソテーを添えたハンバーグステーキ、Chablis Billaud Simon 2015、NUITS SAINT GEORGES EN LA PERRIERRE NOBLET MACHARD DE GRAMONT 1983
2021.4.21(水) 夏日
今日は東京での複数の用事により、下今市07:03発の始発特急に乗ろうと考えていた。しかし検査のための採血をすると、きのうセキネ耳鼻科で言われてしまった。セキネ耳鼻科へは9時前に着いて順番を待った。電車は3時間半おくらせて10:35発に乗った。仕事の予定は組み替えた。
開店直後に入ろうと考えていた銀行の昼休みが明けるまでは、こちらも昼食を摂りつつ時間を調整する。新型コロナウイルスの蔓延に伴う緊急事態宣言を受けて、昼休みを設けるようになった銀行は少なくない。というか、銀行の昼休みの導入については、コロナ以前からその動きはあった気がする。
それはさておき、半袖シャツ1枚で歩き回れる季節が、また巡ってきた。とても嬉しい。今日の東京は、夏日になるかも知れない。
国際展示場の青海展示棟では、上澤梅太郎商店の、5月から一新される包装資材を見た。これこれこういう条件でこの器を使うという契約書を、同時に担当者に手渡す。他にいくつかの会社の展示を巡りつつ”FABEX東京2021″の会場を去る。
「汁飯香の店 隠居うわさわ」で使う食材のうち、地元では買えないものを日本橋で手に入れる。次男とは池袋で待ち合わせて、およそひと月半ぶりに近況を聞く。そして北千住から下りの特急に乗って、21時前に家に戻る。
朝飯 菠薐草と玉子の雑炊、白菜漬け、ごぼうのたまり漬、肉味噌、明太子、じゃこ
昼飯 「コネクトカフェ」のホットドッグ、コーヒー
晩飯 「男体山」のあれや、これや、それや、チューハイ
2021.4.20(火) いろいろと出てくる
3月21日の寝る前に、喉の痛みに気づいた。風呂上がりに素っ裸でうたた寝をする悪習により風邪をひいたと、そのときは思った。翌日にセキネ耳鼻科で診察をしてもらうと、しかしその痛みは、軟口蓋に群発した口内炎が原因だった。生まれて初めてのことである。完治するまでには10日を要した。
先週の金曜日、つまり16日の夜より、またまたおなじ痛みをおなじ場所に感じ始めた。翌日は何かと忙しく、病院へ行くことを忘れた。週が明けたきのう、セキネ耳鼻科へ行った。「結構、赤いなぁ」と大先生はつぶやいて、患部に複数の薬を塗った上、複数の薬の処方箋を出してくれた。念のため加えれば「大先生」は「ダイセンセイ」ではなく「オオセンセイ」と読んで欲しい。
今日もまたセキネ耳鼻科へ行く。きのう不在だった若先生は、今日は診察用の椅子に座っていた。大先生は先月とは位置を逆転させて、後見人のように立っていた。
僕の口の奥を覗き込むなり「うわっ、真っ赤」と若先生は声を上げた。内視鏡を喉に差し入れ、モニターに目を遣ると、今度は「うわっ、ビラン」と驚いた。直後に紙に出力された画像には、数え切れないほどの、口内炎状のものが写っていた。
若先生は僕に、いくつかの質問をした。僕の答えはすべて「いいえ」だった。それを受けて、明日は検査のための採血をすることになった。「年はとりたくねぇな」である。
朝飯 牛蒡と人参のきんぴら、納豆、若竹煮、アスパラ菜のおひたし、白菜漬け、ごぼうのたまり漬、メシ、酸っぱくなった白菜と蕗のとうの天ぷらの味噌汁
昼飯 「珍来軒」の呉冷麺
晩飯 レタスと人参のサラダ、ベーコンと玉葱のオムレツ、トマトとアンチョビのスパゲティ、Chablis Billaud Simon 2015、“Chez Akabane”の杏仁豆腐、Old Parr(生)
2021.4.19(月) 書をたばさんで
年に1冊くらいは、読みながらページの減っていくことが惜しくてならない本に出会う。このひと月ほどは、そのような2冊が立て続けに舞い込んで幸せだった。
小澤征爾といえば大スターであり「世界のオザワ」である。それに対して山本直純は、今はもう知らない人も多いだろうし、僕からすればテレビタレントの印象が強い。そのオザワをして「僕はいつも彼の陰にいました。でも対抗心なんて全くなかった。彼(直純)の方が圧倒的に上だったんです」と言わしめた山本直純の天才ぶりを、柴田克彦の「山本直純と小澤征爾」は縦横無尽に書いている。
もう1冊について。1970年11月25日、学校から帰って玄関に入ると、真っ先に出てきたのはおばあちゃんだった。「大変なことがあったんだよ、三島由紀夫が切腹して死んじゃったの」と、おばあちゃんは息せき切って僕に伝えた。翌日、今市中学校2年3組の窓際で級友に、前日の出来ごとについて話しかけた。相手が誰だったかは思い出せない。彼は、僕の問いかけにまったく興味を示さなかった。
中川右介の「昭和45年11月25日」は、その日、誰は、どこにいて、三島の死をどのようにして知って、何を感じ、どう行動をしたかの、121人分を集めたものだ。その顔ぶれは当時の防衛庁長官・中曽根康弘から、いまだ世に出る前の荒井由実までと範囲は広く、意外性に富んでいる。印象に残ったのは、椎根和と寺山修司。
市ヶ谷のバルコニーから撒かれた「檄」は、死出の旅路の花吹雪。とすれば、その文章は更に彫琢されるべきだった。あるいまた、古今東西の演劇に精通しつつ任侠映画を好み、当日午前、時間調整のため周回した神宮外苑では学生たちと「唐獅子牡丹」を歌った三島なら、あれこそが、実はふさわしかったのかも知れない。著者による239ページ10行目からの2行は、個人としては不要。ただし279ページ末尾2行から281ページ5行目までは、まさに「おっしゃるとおり」だ。
さて、棚には次に読まれるべきものが控えている。「書をたばさんで町へ出よう」である。
朝飯 ベーコンと長葱とセロリの雑炊、ごぼうのたまり漬
昼飯 「大貫屋」のタンメン
晩飯 冷やしトマト、胡瓜のぬか漬け、刻みキャベツを添えた豚カツ、豆腐と大根と万能葱の味噌汁、芋焼酎「妻」(前割のお燗)
2021.4.18(日) 小さな滝
「汁飯香の店 隠居うわさわ」の開店は8時30分。「交通事情もあるので、到着は開店から9時のあいだ」と予約をしてくださっていたお客様は、8時50分に漬物の本店にいらっしゃった。その4名様を隠居までご案内し、店に戻る。
「枝垂れ桜の盛りは4月の半ばすぎ」と、いまだ寒いころにお知らせしたお客様のご予約は10時30分。その時間に合わせて、ご挨拶のためふたたび隠居へ行く。数ヶ月前には予想できなかったことながら、その後、桜の開花は全国的に早まった。今日の枝垂れ桜は、きのうに増して花びらを降らせ続けている。「それもまたよし」と、お客様はその、小さな滝のような桜を愛でつつ目を細くされた。
夕刻よりいちじるしく腹が減ってくる。何も口にしないまま町内の役員会に出かけることは耐えがたい。食卓でラスクにバターを塗りながら「そんなものにバターを塗る人がどこにいるか」と家内に言われる。「ここにいるじゃねぇか」だ。
今夜の役員会は、総会を控えてのすり合わせだった。会計係の僕は仮の決算書を配った。日本全国ほとんどの組織がそうであったように、昨年度は新型コロナウイルスの蔓延に阻まれて、集団による行事はほとんど何もしていない。それにより浮いた予算の大部分は営繕積立金に繰り入れることとして、出席者の合意を得る。
朝飯 牛丼、生玉子、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、キャベツとピーマンの味噌汁
昼飯 揚げ玉、ごぼうのたまり漬、白菜漬け、塩鮭によるお茶漬け
晩飯 ラスク、チーズ、TIO PEEP、ケールのサラダ、カレーライス、らっきょうのたまり漬「浅太郎」、みょうがのたまり漬、Old Parr(ソーダ割り)
2021.4.17(土) いつまでも見飽きない
3時すこし過ぎに目を覚まし、30分後に起床する。僕は新聞は昼食を摂りながら読む。今週は外へ出る機会が多く、いまだ読んでいない分が溜まっている。それらを4時前から食堂のテーブルに広げる。鳥の啼く声に気づいて時計を見ると4時13分だった。4時40分よりコンピュータを起動し、きのうの日記は空白のまま今日の日記を書き始める。
午前、何やかやの用事により、店と隠居のあいだを幾度も往復する。日本の庭を座敷から眺めるときには、当たり前のことながら、立ったり椅子に座ったりよりは、正座をしたときの目線こそふさわしい。縁側にちかい枝垂れ桜には、若葉が目立ってきた。その柳のような枝からは、ふたひら、みひらと、絶えず花びらが舞い続けている。その根元はまるで、雪が降り始めたように点々と白い。見飽きない風情だ。しかし仕事中であれば、いつまで呆けているわけにもいかない。
ところで「汁飯香の店 隠居うわさわ」が製造販売する弁当は、4月より2段重ねで2,400円のものになった。名前は当初「花見弁当」とつけたが花見の季節は過ぎた。新聞の折り込み広告には「新緑山見弁当」としてお出ししようと思う。
朝飯 めかぶの酢の物、ベーコンエッグ、みょうがのたまり漬、らっきょうの甘酢漬け、干し海老を薬味にした冷や奴、メシ、白菜漬けと揚げ湯波の味噌汁
昼飯 「ふじや」の広東麺
晩飯 だし巻き玉子、油揚げと三つ葉の炊き合わせ、トマトと胡瓜の蕗味噌、豆腐となめこと万能葱の味噌汁、大根おろしを添えた鯵の干物、「岩倉酒造」の芋焼酎「妻」(前割のお燗)、孫が焼いたクッキー、Old Parr(生)