2026.7.22(水) 遺失物の収容
起きて洗面所へ行くと、低い戸棚の上の電波時計は2時54分を示していた。
きのう20時03分に下今市の駅に着いて、跨線橋を渡りつつ、トートバッグにiPhoneの無いことを、うすうす感じた。改札口を出て待合室で調べてみると、iPhoneはやはり無かった。特急の座席指定券はiPhoneを用いて買い、席にはそのiPhoneを確かめつつ着いた。そのことからすれば、iPhoneは車内に置き忘れた可能性が高い。
それを伝えたところ、駅員は僕の席の番号およびiPhoneの色を訊ねてメモに残し、待合室で暫し待つよう言った。
下今市から終点の日光までは僅々7.1キロメートルの距離だから、iPhoneが見つかったとの、日光駅からの返事はすぐに戻った。僕は駅員の差し出した専用の紙に自分の名と電話番号を記し、明朝の、日光駅の開く時間を確かめて家路をたどった。
4階の自宅にはwifiが無く、コンピュータはいつも、iPhoneを用いてインターネットに繋いでいる。今朝はそれができないから事務室へ降りてWordPressを開き、きのう書きかけたきのうの日記をディスプレーに出したまま4階へ戻る。そしてそれをエディタに写し、文章を完成させる。
時刻はいまだ4時にも至らない。よってきのう事務室に届いたらしい、孫のリコのために買った「小さなバイキング ビッケ」の包みを解き、最初の章である「ビッケ、オオカミに追いかけられる」を読む。それでもなお時間があるため屋上へ上がり、明け方の空気に触れる。北に目を遣れば、左から右へと動いていくヘッドライトは、大谷川の手前のバイパスを行くクルマだろうか。その向こうを右から左へと動いていくヘッドライトは、大谷川の対岸を行くクルマだろうか。しかしあの川沿いに、果たして道はあっただろうか。そんなことを考えるうち、一羽の白鷺が東から西へ向かってゆっくりと飛んでいった。
食堂に戻って今度は開高健の「生物としての静物」のうち「ラッキー・ストライクよ永遠に」を最後まで読む。ここで時刻はようよう4時45分に至ったため、地上に降りて外へ出て、ホンダフィットの運転席に着く。そしてハンドルを西へと向ける。
東武線の日光駅には4時59分に着いた。にこやかに応対をしてくれた駅員は所定の紙を差し出し、僕はそれに住所、氏名、電話番号を書き込む。駅員はその電話番号を、駅の電話機で呼び出す。それに応じて僕のiPhoneは着信音を発した。ここですべては終了。きのう下り特急の車内に置き忘れたiPhoneは、無事に僕の手に戻った。今月末に東武線の特急を使うときには家内も一緒だから、今回のような粗相は免れるだろう。
夕食が終わりつつあるころ「小さなバイキング ビッケ」を孫のリコに手渡す。今は「エミール」を読んでいるという彼女に「ビッケ」はいささか簡単すぎたかも知れない。そのリコに「ドイツ語版のエミールでは”auf füße”という言葉のみ覚えている」と伝えると「それだけ覚えていてもしょうがない」と返される。おっしゃる通り、である。
朝飯 生のトマト、鮪の生姜煮、揚げ茄子、スクランブルドエッグ、胡瓜と大根の糠漬け、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、なめこのたまり炊、茗荷とズッキーニの味噌汁
昼飯 揚げ玉のつゆの素麺
晩飯 マカロニサラダ、パプリカとブロッコリーのソテーとマッシュドポテトを添えた鶏のチーズ焼き、クロワッサン、チーズ、「サンサンワイナリー」の「柿沢シャルドネ・ネイキッド2025」
2026.7.21(火) 玉関西望堪腸断
上杉謙信は鞭の音も粛々と、夜の千曲川を渡った。と、ここまで書いたところで、この頼山陽による有名な詩がしっかり韻を踏んでいるかどうかを、新漢字林で調べてみる。すると、当該の漢字を音読みしたときに薄々感じていたことだが、まったく押韻していないことが分かった。よって次は「日本人のつくる漢詩 韻を踏んでいない」と検索エンジンに入れてみる。「AIによる概要」には「それでいいのだ」という意味のことが出た。
とすれば、日本のある政治家が自作を毛沢東に贈り、毛沢東はそのお粗末さを嗤い、しかし周恩来は紳士だから漢詩についての本をその政治家に土産として手渡したという噂話の、その漢詩は日本式のものだったのかも知れない。
とにかく、僕は夜の千曲川ではなく、14時38分の神田川を、聖橋の上を歩いて南から北へ渡る。そして湯島聖堂への石の階段を降りて、斯文会館の講堂に入る。スマートフォンの天気予報によれば、本日の東京の気温は35℃。講堂には冷房が効いていた。
ゴトージュンイチ先生の講義のあいだに時宜を得て、今月10日の日記に書いた、唐代の中国人は辞書を調べなくても漢字の平仄や韻目が分かっていたのではないかという、かねてからの疑問を質してみた。先生の答えは「それは今となっては不明です」とのことだった。
ところで本日、教材に用いたうちの、岑参による以下を皆で声に出して読み下したときには「僕、行ったことあります」と手を挙げたいところだったけれど、講義の邪魔をしてはいけないと考えて、それをすることはしなかった。
東去長安万里余
故人何惜一行書
玉関西望堪腸断
況復明朝是歳除
それにしても、あのような砂漠の先まで赴任する気分を想像してみれば、「堪腸断」も決して大げさではない。進士の試験に合格してなお、楽でなかった役人もいたのだ。
定時の15時に5分おくれて講堂に入ってきた先生は、しかし16時30分の定時で講義を終えた。来月の教室は夏休み。9月は仕事の関係から僕はここに来られない。よって10月までにどこまで自習してくるべきかを先生に訊き、それをノートに書き付ける。
床屋へは教室の前に行っていたから今日の時間配分は楽だ。17時すぎに北千住へ戻って飲酒活動をし、18時33分発の下り特急に乗って20時すぎに帰宅を果たす。
朝飯 目玉焼き、ピーマンの網焼きと茄子の素揚げ、キャベツの浅漬、胡瓜と大根の糠漬け、なめこのたまり炊、たまり漬「七種刻み合わせ」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布とズッキーニの味噌汁
昼飯 「ドトール」のトースト、アイスコーヒー
晩飯 「加賀屋北千住店」のあれや、これや、それや、他あれこれ、チューハイ、それを濃くするためのナカ
2026.7.20(月) 海の日
おとといは強い雨。きのうもまた、ぐずついた天気だった。しかし今朝の空には日の出の気配がうかがえた。よって家内がつけたテレビではFIFAワールドカップの決勝戦が始まっていたものの、食堂から応接間を横切って、階段室の扉に鍵を差し込む。
夜が明けつつある屋上には暖かい空気があった。「防ぎようのない暑さの夏より、着込めば凌げる冬のほうがまし」という人がいる。まったくもって、信じがたいことだ。
スペイン対アルゼンチンの延長戦が決まったところでようよう、家内は隠居の厨房へ向かうべく席を立った。僕はテレビを消して、家内と共に1階へ降り、急ぎの注文などがファクシミリで入っていないかどうかを事務室で確認する。そこに長男に連れられて3人の孫が降りてくる。その姿を見て、今朝から町内のラジオ体操が始まることを、あらためて思い出す。
「汁飯香の店 隠居うわさわ」のお客様からのご要望があって、11時がちかくなるころ蔵見学にご案内する。自分の体感としてはそれほどのこととも思ってこなかったが、今年は例年にくらべて梅雨どきの日照が少なく、雨が多かったらしい。その結果、夏野菜の不作と高騰が心配されている。一方、水を好む生姜は「今のところ」ではあるけれど、豊作が予想されている。紫蘇の実の出来については不明ながら、できるだけ長い期間で買入れをしたいと考えている。
午後には清々しく天気雨が降った。それが上がろうとする間際には、ごく小さくではあったものの、雷鳴が届いた。日光地方の梅雨は、今日を以て上がるのではないか。夏に最も似合いの四字熟語は光輝燦然。冬至のころを思えば、天国である。
朝飯 キャベツの浅漬け、揚げ玉、焼鮭、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」のお茶漬け
昼飯 生玉子のつゆの素麺
晩飯 「コスモス」のトマトとモッツァレラチーズのサラダ、カツレツ、ドライマーティニ、家に帰ってからのエクレア、Old Parr(生)
2026.7.19(日) 伏兵と提灯
きのう早く寝に就いたせいか、今朝、起きて仏壇に花と水とお茶と線香を供えたのは1時45分のころだった。外の道は黒く濡れて街灯の明かりをはね返しているものの、雨は止んでいる。
おとといの日記は既にできていて、きのうの日記もきのうのうちに九割方は書けていたから、すぐに完成してしまった。以降は「流れ流れて木更津の」の「与話情浮名横櫛」についてウェブ上で調べるうち十五代目羽左衛門、岩下尚文の著作、更には松岡正剛のサイトに至って長い文章をふたつ読む。
ここで流石に活字には飽きて、普段は決してしないことながら、外へ出て、小倉町三丁目のセブンイレブンまで歩く。そして少々の買い物をして、600メートルほどの散歩を終える。
今月の6日から病院に通い始めた風邪は、おとといまでは事務室に龍角散を持ち込むなどしていたものの、きのうに至ってようやく完治したらしい。全治13日とは、なかなか手強い風邪だった。こんなものに旅行の直前に罹ろうものなら、その全日程が台無しになる。もっとも「だから気をつけよう」などと考えても、風邪は夜露に濡れた藪の中の伏兵のようなものだから、いつ狙い撃ちをされるかは、分かりづらい。
ところでその準備日から数えれば7日のあいだ店の前に飾り続けた八坂祭の提灯は、いつ作られたか分からない古いもので、流石に傷みが目立ってきた。今回はそれに加えて、後退してきたお客様のクルマが当たって、4丁のうちの1丁は大きく破れた。よって9時ちょうどに隣の町内のタムラ提灯にそれを持参し、来年の春の大祭までに張り替えてくれるよう頼む。なお、お盆の「お迎え」に使う提灯も傷みがひどければ、こちらもお盆すぎに、タムラさんに持ち込むことにしよう。
朝飯 キャベツの浅漬け、大和芋のすりおろし、生玉子、なめこのたまり炊、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、ズッキーニの味噌汁
昼飯 大和芋のすりおろしのつゆの素麺
晩飯 チーズ、穴子の佃煮、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、TIO PEPE、たらこと大葉のスパゲティ、Chablis Billaud Simon 2018、桃
2026.7.18(土) 長梅雨
「梅雨明けは7月15日ころ」とした予報をウェブ上で目にしたのは7月14日のことだった。しかし梅雨が明けたとする明確な宣言は、いまだ気象庁からは出ていない。僕が住むあたりには「梅雨は雷に始まり、雷に終わる」という言葉がある。確かに今年は、その雷鳴は聞いていない。
しかし自分では「梅雨明けは7月15日ころ」の情報を信じ込んでいたから、きのうは高さも重さもある脚立を隠居へ運び、軒先に風鈴を釣った。また床の間の絵は今井アレクサンドルの「ガーベラ」から、まるで庭の木々を映したような「ヒサオさんの緑の絵」に換えた。このひと仕事を終えると上半身は汗ばんだが、なんとはなしの遠慮があって、シャワーを浴びることはしなかった。
虫が知らせたわけではないけれど、軒先に立てた脚立を仕舞うころを見計らったように、細かい雨が落ちてきた。そしてその雨は13時30分を過ぎるころには強雨に変わった。ホンダフィットは配達で出払っていたから、所用による外出にはトヨタハイエースを使った。そして最初の立ち寄り先のある森友地区へ行くと、街からは3、4キロメートルしか離れていないにもかかわらず、道に雨の形跡は一切なくて、大いに驚いた。雨のまだら模様は、確かにあるのだ。
雨の合間を見計らいつつ、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」に、本日最後の検品に赴く。そのついでに、如来寺のお墓へ回る。5日前の、妹の祥月命日に供えた花は、お寺の係が気を利かせてくれたか、既にして片付けられていた。よって花立ておよび線香立ての周りを水で洗うのみにて会社に戻る。
これまで「2026 関東 梅雨明け」と検索エンジンに入れると「平年並なら7月19日」とか「7月15日ころ」などと出て、その日を待ち望んでいた。しかしことによると今年の梅雨は例外的に長引いて、それが明けたとする宣言は、8月にずれ込むかも知れない。
朝飯 らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、なめこのたまり炊、胡瓜のぬか漬け、メシ、精進揚げの味噌汁
昼飯 精進揚げの熱いつゆで食べる素麺
晩飯 生のトマト、チーズ、穴子の佃煮、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、焼売、炒飯、「山本合名」の山廃純米「天杉」(冷や)
2026.7.17(金) 精進揚げ
2時30分のころ、耳の後ろ、肘の内側、太ももの後ろ側に、点々と痒みを覚え始める。当初、痒さは、その部分を指先でひねるなどしてやり過ごしていたものの、そのうち「これは蕁麻疹ではないか」と、しばらく前のことを思い出す。
痒いところの特に太ももの後ろ側にはやがて、蚊に刺されたときのような、小さな膨らみがあらわれた。「蕁麻疹ではないか」という疑いは「また、蕁麻疹だ」という確信に変わった。よって洗面所を経由して食堂へ行き、テレビ台の下の、僕のためだけの薬を収めた抽斗から皮膚科の処方による抗アレルギー薬を取り出す。そしてそれを1錠だけ服用する。
症状は30分ほどで軽くなり、1時間が経つころには痒みも皮膚の膨れも引いた。そこでようよう起床する。食堂の電波時計は3時58分を差していた。
この日記を遡ったところ、人生初の蕁麻疹は、今年の5月1日未明のことだった。その日記を読み返してみれば、蕁麻疹は、胃痛を追いかけるようにして起きていた。それではその前の晩は何を食べていたか。1日を遡って4月30日の夕食を確かめたところで「あーっ」と声が出た。それはきのうの夜とおなじ天ぷらだった。胃は、実は今朝も、胃薬を飲もうか飲むまいか迷うほどには痛かったのだ。
蕎麦屋でたぬき蕎麦を食べても、またスーパーマーケットの出来合いの天ぷらをにゅうめんに乗せて食べても、蕁麻疹は起きていない。とすれば家の天ぷらの、何かの具材が悪さをしているに違いない。その具材とは何だろう。そして家においては、しばらくは精進揚げのみに箸を伸ばすことにしようと決める。
朝飯 揚げ湯葉の甘辛煮、トマトのソテーを添えた目玉焼き、納豆、胡瓜のぬか漬け、なめこのたまり炊、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、大根とズッキーニの味噌汁
昼飯 納豆のつゆの素麺
晩飯 チーズ、穴子の佃煮、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、トマトとベビーリーフのサラダ、目玉焼きを添えたカレーライス、Old Parr(ソーダ割り)、メロン
2026.7.16(木) 極悪非道のクソ野郎
家内は今朝も4時に起きてテレビの電源を入れるだろう。静かな時間を確保するには、それより先を行く必要がある。洗面を済ませて食堂に来て明かりを点ける。時刻は3時になりかかろうとするところだった。
FIFAワールドカップのアルゼンチン対イングランド戦がハーフタイムに入ったところで席を立ち、開高健の「生物としての静物」を、本棚の高いところから脚立を用いて取る。そしてその中の「書斎のダンヒル、戦場のジッポ」を、応接間のソファに仰向けになって読む。ベトナム戦争の最中にサイゴンの露天で売られていたという、聖句をパロディにして彫り込んだジッポのライターについて調べたかったからだ。
その聖句のそもそもは詩篇23篇の「たとひわれ死のかげの谷をあゆむとも禍害をおそれじ、なんぢ我とともに在せばなり、なんぢの笞なんぢの杖われを慰む」だが、ジッポに彫られた文字は、開口によれば以下と紹介をされている。
……
Yea Though I Walk Through The Valley Of The Shadow Of Death, I Will Fear No Evil For I Am The Evilest Son Of A Bitch In The Valley.
……
サイゴンに旅したとき、もっとも訪ねるべきは、戦争博物館と戦跡のクチトンネルと、人に訊かれれば言い続けている。あのような戦場に放り込まれれば、こんな戯言を彫り込んだライターも、身に付けたくなろうというものだ。
ところで僕の手元には、ダンヒルのシルフィードと、ジッポのスターリングシルバー製が、ひとつずつある。ダンヒルはオヤジが遺した新品、ジッポは1980年代のはじめに従姉妹が新婚旅行先のハワイから土産として買ってきてくれたものだ。タバコは年に4本までと決めている僕にはいずれも無用の長物ではあるけれど、ときどき取り出してその重さを確かめる玩弄物としては、中々に悪くない。
さてサッカーは、アルゼンチンがイングランドに2対1で勝った。「生物としての静物」は、しばらくしたら、また別のページを開きたくなるだろう。
朝飯 生のトマト、きのうの夜の煮物の残り、納豆、胡瓜のぬか漬け、なめこのたまり炊、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、ズッキーニの味噌汁
昼飯 すり胡麻のつゆの素麺
晩飯 チーズ、穴子の佃煮、天ぷら其の一、天ぷら其の二、稲庭うどん、「山本合名」の山廃純米「天杉」(冷や)、メロン
2026.7.15(水) malicia
普段は6時30分に食堂に来る家内が、今朝に限っては4時に姿をみせた。そしておもむろにテレビの電源を入れた。FIFAワールドカップのフランス対スペインの試合は、既にして始まっていた。
老人は何かにつけて「昔は」と口に出す。ことによると僕も、その例に漏れないかも知れない。とにかくオリンピックのサッカーで日本代表が銅メダルを獲得した1968年のころは、サッカーのボディコンタクトは、少なくともルール上は、肩や背中でするのみが許されていた。しかし今は、相手を手で突き飛ばす、相手のユニフォームを掴んで引く、走る相手の脚に自分の脚をカンヌキのように差し込むなど、何でもありになっている。あるいは相手が自分を蹴らざるを得ない位置に故意に突進することまでする。そして望んだ通りに相手が自分を蹴ってくれれば大仰に転んで痛がってみせるたりする。まるでプロレスである。
卑怯さが勝つことに貢献しないスポーツは、あるだろうか。競泳などは、それに該当するかも知れない。
ところで本日は月に一度の店休日にて、すべての入口を閉じた社内で、9時30分から16時30分までのあいだに、複数の会議に参加をする。夜は早々に夕食を摂って、早々に寝室に入る
朝飯 茄子とパプリカとブロッコリーのソテー、スクランブルドエッグ、「中華丼」のあたまだけ、胡瓜のぬか漬け、なめこのたまり炊、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、芋がらと玉葱の味噌汁
昼飯 オクラのつゆの素麺
晩飯 小松菜の胡麻和え、鮭の昆布巻き、胡瓜のぬか漬け、竹輪とこんにゃくの炒り煮、鶏肉と厚揚げ豆腐と茄子の煮物、「山本合名」の山廃純米「天杉」(冷や)
2026.7.14(火) 初そうめん
数日前からの予報が当たって、東の空には赤みが差している。一瞬を逃せば、その最高のところは望めない。食器棚に置いたキーホルダーを掴んでそそくさと応接間を横切り、廊下に出て階段室への扉を解錠する。
屋上から食堂に戻って「2026 関東 梅雨明け 予想」と検索エンジンに入れる。すこし前までは「平年は7月19日」と、予想でも何でもない日が出てきた。しかし今朝は「7月15日ごろ」と、ようやく断言めいた見解が示されていた。思わず食卓の右手に置かれたテレビ台のカレンダーに目を遣って、それが明日であることにすこし驚く。
きのうに引き続いて、4時25分より素麺のつゆを作ることをふたたび始める。既にして完成している一昨日の日記を公開し、きのうの日記を整え、素麺のつゆ作りが最終の段階に差し掛かっても、時刻はいまだ5時45分なのだから、早寝早起きのできる体質は有難い。
4階のベランダの、既にしてツバメの去った巣の下の卵の殻や糞や細い枯れ枝を、午前のうちにホウキで掃いて、塵取りに集める。ツバメが日本に留まるのはいつごろまでだろう。そのころになったら、僕は彼らを追って、南の国へ行きたい。
素麺を包んでいる紙には
……
ざるそうめん(ゆで時間約四分)
冷やしそうめん(ゆで時間約四分)
にゅうめん(ゆで時間約三分)
……
の説明がある。しかしきのうまでのにゅうめんは、タイマーを1分30秒にしていた。昨夏の茹で時間は覚えていない。3分30秒で試してみると、氷水で締めても麺は明らかに柔らかすぎた。明日は3分まで縮めてみようと思う。
朝飯 筑前煮、揚げ茄子、納豆、いんげん豆の胡麻和え、胡瓜のぬか漬け、なめこのたまり炊、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と若布と万能葱の味噌汁
昼飯 納豆のつゆのざる素麺
晩飯 チーズ、鰻の佃煮、ズッキーニとブロッコリーとパプリカのソテー、スパゲティミートソース、TIO PEPE、伊予柑のゼリー、Old Parr(生)
2026.7.13(月) 墓参り
吉行淳之介の角川文庫版「牝らいおんと豹」に、amazonで4,250円の値がついていて一驚を喫する。そのamazonで、佐多稲子のちくま文庫版「私の東京地図」の表紙が桑原甲子雄によるものと知って「やっぱり」と思う。アーネスト・ヘミングウェイの「日はまた昇る」は彼の最高傑作と、広く認められているらしい。処女作が最高傑作と言われる作家の気分は、どのようなものだろう。と、そういうことを寝床に仰向けになってスマートフォンで見ているから起きる時間が遅くなるのだ。
今日は中学2年生のときに病没した妹の祥月命日にて、8時20分に販売係のサイトーミホコさんが出社をしたところで如来寺のお墓へ行く。そうして家内が用意してくれたピンク色のカーネーションと白菊を供え、線香を手向け、また夜来の雨に濡れた墓石をタオルで拭って会社に戻る。ここで時刻は8時55分。
9時からは町内役員による、お祭りの後片付けが予定されている。その9時にすこし遅れて公民館へ行く。今日は平日のため、集まれた役員は少ない。オノグチショーイチ責任頭と日光街道に沿って延ばされた七五三縄を外しているところに「銀行の方がいらっしゃいました」と、事務係のサイトーハヅキさんから電話が入る。よって申し訳のないことながら、オノグチさん一人を残して一時、その場を去る。
縄外しの現場に戻れたのは、それから15分ほども後のことだっただろうか。七五三縄は当然のことながら、張るときよりもよほど、外すときの方が作業は楽で早い。それをしながら同時に路上に捨てられた缶やペットボトルも拾いつつ公民館へ戻る。
東地区や西地区の七五三縄を外した役員たちと共に一服をしていると、それまで堪えに堪えていたような空から雨が強く落ちてくる。その雨が上がるまでは、今週末に控えた役員旅行について話をしたり、あるいはお祭りの直会について打ち合わせをしたりする。ちなみに7月、それも連休の週末となれば僕は忙しいから、今年の旅行は見送った。
梅雨は列島の西から次々と明けている。関東のそれはいまだながら、明日は暑くなるらしい。そういう次第にて夕食の前より、意を決して素麺のつゆの作成に取りかかる。なぜ「意を決して」かといえば、結構な手間がかかるだ。「だったら既製品に頼れば良いではない」と言われれば、自分で作った方がよほど美味いから、そうするしかないのだ。
朝飯 鰻の佃煮、鮭の焼きほぐし、揚げ玉、なめこのたまり炊、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬のお茶漬け
昼飯 にゅうめん
晩飯 「食堂ニジコ」のテイクアウトの「中華丼のあたまだけ」、同「鶏もも肉の唐揚げ」、トマトスープの冷やし中華、チーズ、鰻の佃煮、「山本合名」の山廃純米「天杉」(冷や)、豆乳のゼリー、Old Parr(生)








































