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清閑 PERSONAL DIARY

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2025.10.13(月) アカギレ

1993年9月27日には富山県の金太郎温泉にいて、既にしてかかとにアカギレのあったことを覚えている。今年の9月末から10月頭にかけてはタイにいたこともあって、かかとは無事だった。しかしきのうは遂に左のかかとにアカギレの兆候を感じてバンドエイドのキズパワーパッドを貼った。今朝はそのちかくにもう1枚を追加した。

右の人差し指には、アカギレの一種なのだろう、爪と肉のあいだが2、3日前より剥がれかけていた。その指は、コンピュータのトラックパッドやスマートフォンの操作に使う。よって対策を延ばし延ばしにしていたものの、血が滲んでは仕事ができない。午前のうちに自宅へ戻り、当該の部分に楊枝の先で軟膏「ハクシン」を埋め込み、3枚のキズパワーパッドで覆った。

1階の階段室にはキズパワーパッドが備蓄してある。かかと用の在庫は充分だったように思うけれど、手指に用いる細いものはそろそろ尽きかけていたのではなかったか。早いうちにひと冬分を確保しなくては安心ができない。

今年3月のチェンライでは、アカギレに目を留めたマッサージのオバサンに「痛いか」と訊かれた。込み入ったタイ語は話せないためiPhoneを取りだし「日本の冬はとても寒いです。空気も乾いているので、手や足の皮が切れます。でもタイに来てしばらくすると治ります」と翻訳ソフトに打ち込んて、オバサンに読んでもらった。

来年の3月にもタイに行くことを予定している。そのときにはまた、マッサージ屋のオバサンとはおなじやり取りを繰り返すような気がする。

その乾燥した肌に脂気を補給するため、夜は焼肉屋へ行く。


朝飯 鮭の焼きほぐし、擂り胡麻、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「つぶより」(四つ割り)、ごぼうのたまり漬のお茶漬け
昼飯 にゅうめん
晩飯 「大昌園」のあれやこれやそれや他あれこれ麦焼酎「田苑シルバー」(オンザロックス)


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2025.10.12(日) 祭の準備

どのような種類の団体かは不明ながら、とにかく勉強仲間と列車の一両を借り切って、長距離の移動をしている。やがて夕食の弁当が配られる。その弁当の紙箱を僕は生来の不器用さから床に落とし、拾い上げて蓋を開くと種々のおかずは各々を分ける仕切りを越えて乱れていた。さぁ、この日記に載せる夕食の画像はどうしようと、困惑しつつ目を覚ます。

それはさておき、早朝便で日本に戻ったのは先週の月曜日。午後には道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の売場を見に行った。そうしたところ、品切れ直前の商品が複数あって、慌てて補充をした経緯があった。配達係のイザワコーイチさんによれば「前日と当日の朝に充分の納品をしたにもかかわらず」とのことだった。

今日は、土曜日も含めれば三連休の中日にて、商品の在庫には特に気を遣う必要がある。よって朝礼の後はイザワコーイチさんと開店前の道の駅へ行き、充分な量の納品をした。とはいえ昼すぎには、ふたたび三たびの納品が必要になるだろう。

今日はまた、来週に「今市屋台まつり」を控えて、町内の屋台への、雨屋を取り付けが行われる。僕は9時に春日町1丁目の屋台庫へ顔を出し、更に10時30分には、現在は道の駅の展示庫に置かれている屋台を見に行く。この労働に奉仕してくれた面々の昼食の場所は、タイへ行く前に予約済みである。

店舗の方は、充分な人数が出勤してくれた販売係のお陰で、それほど忙しくは感じなかった。しかし閉店後に締めたキャッシュレジスターの数字は、随分と有り難いものだった。人が遊んでいるときに仕事をすることは大好きな行いにて、明日も良い成績が上げられるよう、心を配りたい。


朝飯 なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「つぶより」(四つ割り)、ごぼうのたまり漬、大根と玉葱とウインナーソーセージと玉子と万能葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 三種のキノコのたまり漬(特別企画品)のスパゲティチーズ、”Finbec Naoto”から持ち帰ったCOTEAUX BOURGUIGNONS Dominique LAURENT 2020、Chablis Billaud Simon 2018


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2025.10.11(土) 隠居の室礼

上澤梅太郎商店が運営する朝食の専門店「汁飯香の店 隠居うわさわ」の床の軸を、きのうは高久隆古の「秋景山水之図」から田崎草雲の「巌菊之図」に掛けかえた。

我が家には大した掛け軸が無い。そのうち幾らかマシと思えるもののみが、コンピュータにデータベース化してある。「巌菊之図」の次は羅漢山人の「大黒天の図」が控えているものの、これは保存状態が極端に悪い。それでも掛けるのは恵比寿講がちかいからだ。その次は谷文晁の「福神恵比寿之図」で、骨董商の見立てによれば、真物ではあるものの、金銭的な価値は取るに足りないものとのことだった。

床の軸を替えたときにはそれを、お客様の目に入るだろう様々な角度から眺めてみる。そして感じるのは何とはなしの寂しさ、あるいは子供のころに覚えたと同じ、おどろおどろしさだ。

ここ数十年のあいだに日本人が触れてきた美術品は、東洋のものより西洋のものの方が圧倒的に多かったような気がする。そうして西洋のものに慣らされた結果、特に掛け軸などは色彩の乏しさから寂しく思われてしまうのではないか。しかしまさか、床の間に年がら年中いわゆる”abstract”を掛け続けるわけにもいかない。

そして僕は、早くも年の明けることを望んでいる。その理由のひとつには「床の間が賑やかになるから」ということも、含まれているような気がする。


朝飯 納豆、筑前煮、鮭の焼きほぐし、秋刀魚の梅煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「つぶより」(四つ割り)、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と若布の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 “Finbec Naoto”の其の一其の二其の三、パン其の一、其の四パン其の二其の五其の六、コーヒー


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2025.10.10(金) 無意識の領域の具体的な理解

目を覚ましたのは4時台のなかば。起きたのは5時すこし過ぎ。きのうの朝から一転して、今日は涼しい、というか寒くさえある。

洗面所のカーテンの隙間から見る朝の空が美しい。廊下を伝って食堂に来て湯沸かしの電源を入れると即、階段室の鍵を外して屋上へ出る。東の中天には金星が光っている。西の中天には旧暦8月19日の、と言うべきか、あるいは18日の、というべきか分からないものの、月が丸々と、いまだ煌々と照っている。

数分後に階下に降りて、仏壇と自分のためのお茶を淹れる。東の窓に目を遣れば、朝の空は早くも死んだ鳥の、閉じられたまぶたのように薄く頼りなくなっていた。

オマル・ハイヤームの詩のどこかには「一瞬を生かせ」という警句がありはしなかったか。あるいはそれは、この古代ペルシャの文章を駅伝のたすきを繋ぐようにして訳してきた、そのうちの誰かが勝手に章立てた、そのひとつに付けた見出しだったかも知れない。

と、今日もまた、朝のことだけで397文字も連ねてしまった。その理由を考えれば、この日記の書かれる時間がほぼ早朝に限られ、そのときは正に”Real time”のため、筆が進む、否、キーボードを叩く指がよどみなく動くのだろう。

午後、今回の訪タイに持参したCampusの二冊のメモ帳のうち、A7の小さな方の、既にして使ったページを破って捨てる。そこにある文字のすべてはこの日記に残されたから、元の紙は、もはや不要なのだ。

その小さなメモ帳「A7変形普通横罫30枚(7mm×12行)」と、おなじA7サイズのRHODIA No11を事務机に並べてみる。RHODIAのメモ帳は、よくは覚えていないものの、20年ほど前に手に入れたもので、邪魔な表紙を取り去って後もなお僕には使いづらく、いまだ半分ほどのページが残されている。

日本では珍しくもないCampusのメモ帳の使いやすさは、開くとA7が2ページの広さになって、つまり1ページの倍の情報が俯瞰できる。それに対していわゆる「おしゃれな人」に愛されるRHODIAのメモ帳は、一度に目視できるのは1ページのみ。使ったページを後ろにめくると、本体の厚さにより、その裏の面積は本来の3分の2ほどの狭さになって、使う気にはならない。またページは1枚ずつ切り取られることが前提とされているから、必要なあいだは残しておく、ということが不自然に感じられる。それらの理由によりRHODIAのメモ帳には手が伸びなかった、ということが今回はようやく理解できた

そしてまた、何気なくしている行いは、つらつら考えてみないと、その無意識の領域は曖昧模糊としたまま、ということが分かった。遅ればせながらの納得、である。


朝飯 玉子焼き、筑前煮、納豆、鮭の焼きほぐし、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「つぶより」(四つ割り)、ごぼうのたまり漬、メシ、三つ葉の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 万願寺唐辛子の網焼き鰹節かけ、秋刀魚の梅煮、筑前煮、めかぶの酢の物、鶏の網焼きの「日光味噌ひしお」添え、らっきょうのたまり漬「つぶより」(四つ割り)、「山本合名」の山廃純米「天杉」(冷や)


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2025.10.9(木) 食事会

2時台の前半に目を覚まし、3時台のなかばに起床する。起きたときから半袖のポロシャツに長袖のTシャツを重ねる。食堂に来ると、暖かい朝ということが分かった。しかし窓を開ける気はしない。

TikTokの「梅太郎」のアカウントに、ローマ字によるコメントが付いている。その言語は語感からして何となくインドネシア語に思われる。Google翻訳の左の窓にそのローマ字を入れると、やはりそれはインドネシア語だった。それに対して日本語で返信を書き、その日本語をまたまたGoogle翻訳でインドネシア語にする。

インドネシア語はラテン系の言葉とおなじく、日本人には発音がしやすい。よってGoogleで翻訳されたアルファベットをTikTokの返信窓に人差し指で入れていくこともまた、他の言語よりは楽だ。そんなことをしてからおとといの日記を公開し、続いてきのうの日記を作成する。

以降はすることもないため、来年の春にしようとしている、ウドンタニーからチェンライまでのバスによる移動について、先月ウドンタニーで訪ねたバス会社のページを開いて検討する。しかし英語による予約ページは”Coming soon”となっていた。仕方なく言語をタイ語に切り替えると当然のことながら、何が書いてあるか分からない。しかしまぁ、時間は充分にある。切符は現地で先月あれこれ訊いたオネーサンに手配してもらっても良いのだ。しばらくは気楽にしていることにしよう。

と、ここまでで既にして613文字。僕の日記は朝のことだけで終わることが少なくない。

さて日光が紅葉狩りの観光客で賑わうのは毎年、体育の日の絡む連休から勤労感謝の日の絡む連休までの約六週間。その最後のころは地方発送の年末需要が一気に高まり、いきなり出荷数の増える時期に重なる。それが収束するのはクリスマスのころ。ようやくひと息が付けるのは大晦日の閉店後。

というわけで、その繁忙が目前の今夜は都合の付く社員が自宅四階へ集まって、食事会を催す。


朝飯 目玉焼き、納豆、鮭の焼きほぐし、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「つぶより」(四分の一割)、ごぼうのたまり漬、メシ、菠薐草と揚げ湯波と若布の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 冬瓜と豚薄切り肉の淡味炊き筑前煮秋刀魚の梅煮焼叉レタスとトマトのサラダ鯨の刺身の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬けおむすび焼きおむすびらっきょうのたまり漬らっきょうのたまり漬「ピリ太郎」果物盛り合わせヨーグルトのムースのブルーベリーソース、2種のワイン


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2025.10.8(水) 地球上のどこにいても

2時台と5時台に目を覚まし、しかし起床したのは6時まで2、3分というときだった。きのうの就寝は9時前の早さだったにもかかわらず、だ。旅の疲れがいまだ残っているのだろう。

屋上に上がり、先ずは東の朝日を見る。そして振り向くと、今日に限っては朝日どころではない、西の景色の方が美しかった。雲の具合によるのだろう、男体山の頂上から少し下を、上下に狭い帯状に朝日が差している。そして旧暦8月17日、否、この場合には前夜の8月16日の月というべきだろうか、とにかく朝の月が、その男体山の左の肩に沈もうとしていた。その景色に思わずiPhoneを向けるものの、乾燥機に仕舞っぱなしのニコンD610でもなければ、その様子は多分、画像では確認できないに違いない。

今日は月に一度の店休日にて、9時30分から15時30分まで社内各部の会議につき合う。事務室ではまた、二十数年ほども使い続けたビジネスフォンを最新のものに交換する工事が行われた。

夕刻、嫁のモモ君が僕のiPhoneに、あるアプリケーションをインストールしてくれる。これを使えば地球上のどこにいても、インターネットにアクセスしてさえいれば、会社の代表電話番号からの発信はおろか、社内の内線電話も使えるとのことだった。

まったくもって、便利になったのか、不便になったのか、分かりかねる今の世の中ではある


朝飯 納豆、生玉子、めかぶの酢の物、玉葱とウインナーソーセージのソテー、らっきょうのたまり漬「つぶより」、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と菠薐草と若布の味噌汁
昼飯 「セブンイレブン」のサンドイッチ、お茶
晩飯 サラダ焼売海老のチリソース炒め麻婆豆腐油淋鶏炒飯あんかけ焼きそば、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)


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2025.10.7(火) 剪定作業中

きのうの就寝は21時より前だった。目覚めは3時台、次は4時台。しかし起きたのは6時35分。声が枯れているのは、きのうの機内の乾燥のせいだろうか。飛行機に乗りながら乾燥を感じたことはないものの、喉の弱い人は、それをしきりに訴える。次からはマスクを使った方が良いかも知れないものの、マスクは好きでない。

朝礼の後、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」へ本日最初の納品をすべく、配達係のイザワコーイチさんとホンダフィットに乗る。僕の姿を見たイザワさんは「大丈夫ですか、半袖で」と言う。僕は「暑い寒いよりも、重ね着が嫌いなんですよ」と答える。

重ね着がイヤだから寒くても薄着で震えている、という人は、僕以外にもかならずいるはずだ。とはいえ半袖のポロシャツに長袖のTシャツを重ねるくらいなら、いまだ我慢もできる。よって昼前に自宅へ戻り、衣装箱からクローゼットのチェストに移しておいた長袖のTシャツを着る。

植木屋のカシワギさんからは、タイにいるときから盛んに電話が入った。僕は今どこにいるなどは言わず、ただ隠居の樹木の剪定について、その予定を聞いた。それによれば、カシワギさんはきのうの朝に下見をしたはずだ。そして今日から本格的な仕事が始まった。

問題は「汁飯香の店 隠居うわさわ」の個室「杉の間」へ到る廊下から望める赤松の、こちらは剪定ではなく伐採だ。

カシワギさんによればその松は実生から育ったもので、手を入れつつ残すほどのものでもないとのことだった。雨樋と冷蔵庫の室外機に盛んに葉を落とすそれについては僕も「いっそ無ければ清々する」とは考える。しかし倒されるときに隠居の屋根を直撃すれば、推定築150年の建物の、その部分の再生は不可能になる。

「何とか無事に倒れてくれ」と、祈るばかりである。


朝飯 茄子の揚げびたし、納豆、トマトのソテーを添えた目玉焼き、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と菠薐草の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 サラダ、だし巻き玉子、穴子鮨と鯖鮨、らっきょうのたまり漬「つぶより」、ごぼうのたまり漬、「山本合名」の山廃純米「天杉」(冷や)、「角口酒造店」の「いいやまのさけ特別純米」(冷や)


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2025.10.6(月) 帰国

スチュワーデスが何ごとか話しかける。夜食の丸パンを届けに来たのだろう。僕はアイマスクをしたまま手を横に振る。彼女は「それでは置くだけさせていただきますね」と言うのでアイマスクを外し、空いている窓際の席のテーブルを開く。スチュワーデスは「お水も置いていきます」と、いやに丁寧だ。丁寧にされるより放っておかれた方がよほど有り難いことも、飛行機の中では多々ある。

アイマスクをし、イヤフォンで飛行機のジェット音を低くしても、眠れない。足を延ばしたり引き寄せたり、フットレストに載せたり降ろしたり、あれこれ姿勢を変えても眠れない。アイマスクを外してディスプレイに現在位置を確かめたらいまだインドシナ半島を脱していなかったりすれば落胆は大きいから、そのままかたくなに目を閉じ続ける。

不意に肩を叩かれてアイマスクを外すと、朝食の配膳が始まっていた。時刻は3時4分。機は沖縄と九州のあいだまで来ていた。3時間40分ものあいだ眠れずに焦燥を続けたのだろうか。あるいはすこしは眠れたのだろうか。「そろそろビジネスクラスにしないと辛いか」と考えても、着く時間が同じであれば、桁外れに高い運賃は支払いづらい。

「朝食はオムレツ、あるいは豚とライスのどちらになさいますか」と問われて「豚とライス」と答えたものの、実際にはコーヒーとヨーグルトと果物しか口には入れない。そしてラバトリーで歯を磨く。

そのうちスチュワーデスが黄色い携帯品別送品申告書を配り始める。その姿を目にした瞬間、いつも航空券を買うトチギ旅行開発が自社のコンピュータから出力してくれたそれは、預け荷物のスーツケースの奥深くに仕舞いっぱなしだった、ということに気づく。仕方なくスチュワーデスから一枚をもらい、朝日の差しはじめた機内にて、その上から下までをボールペンで埋める

04:44 右の機窓からは太平洋が望めるはず。ところが地上が見える。果たして自分はいまどこを飛んでいるのか。目の前のディスプレイに触れると、機ははやくも房総半島の上空にいた

04:46 眼下に東京アクアラインが見えてくる
04:49 TG682は定刻より6分はやく羽田国際空港に着陸。以降の時間表記は日本時間とする。

07:01 機外に出る。機内では「東京は曇り」とアナウンスがあったものの、空は気持ち良く晴れている。
07:09 入国審査場を通過。
07:27 回転台からスーツケースが出てくる。
07:30 税関を通過。
07:39 京急空港線急行の車両が羽田空港第3ターミナルビルを発。
08:31 人形町で日比谷線に乗り換えて北千住に着。

自由民主党の総裁に高市早苗が選ばれたことにより、日経平均株価の先物が先週の終値より2,175円も高い48,200円まで上がったことを、iPhonenのウェブニュースが伝えている。それはそうとして、日比谷線の車内には広告がほとんど無い。上がる一方の株価に対して日本の景気はそれほど良くない、ということなのだろうか

09:48 東武鉄道のリバティ会津113号が北千住を発車
11:10 その車両が下今市に着。

駅前にはタクシーが数台あったものの「チップを入れれば250バーツか」と考える。スーツケースを持った状態では日本のタクシーには乗る気がしない、ということもあって、歩いて帰ることを決める。

タイでは、メーターのスイッチを入れないまま価格を交渉してくるような運転手でさえ、こちらがスーツケースを持っていれば即、クルマの後ろに回ってそれをトランクルームに収めてくれる。目的地に着けばこれまた即、運転席を離れてトランクルームからスーツケースを降ろしてくれる。

日本のタクシーの運転手は、運転席に着いたままトランクルームを開けるレバーを操作するのがせいぜいで、スーツケースの上げ下ろしはすべて、客がしなくてはならない。客であるにもかかわらず、まるで運転手の召使いのようだ。このゲンナリする現状はひとえに、日本にチップの習慣が無いからと、僕は認識をしている。

四階の自宅で小一時間ほど荷物の整理をしてから仕事着に着替えて事務室に降りる。以降は夕刻まで通常の業務に従う。夜は先月24日以来の日本食にて、先月21日以来の日本酒を飲む。


朝飯 TG682の機内食「ドトール」のハム玉サラダサンド、コーヒー
晩飯 玉子焼き、茄子の揚げびたし、秋刀魚の梅煮、明太子、ごぼうのたまり漬、ジンギスカン焼き、メシ、「山本合名」の山廃純米「天杉」(冷や)、「角口酒造店」の「いいやまのさけ特別純米」(冷や)、お菓子、Old Parr(生)


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2025.10.5(日) タイ日記(11日目)

最初に目を覚ましたのは、きのうとほぼおなじ0時37分。次は、家とクルマの鍵を見失って焦燥する夢を見ながら目を覚ます。時刻は4時35分になっていた。きのうの夜にビールを飲んだあたりから、からだも気力も復活をしたらしい。いと有り難し。レイトチェックアウトの予約もできて、気分の余裕も充分である。おまけに朝から晴れている。気温は暑くもなく、また寒くもない。

きのうの朝とは異なって、すぐに起きて、きのうの日記に取りかかる。これを完成させて公開したらひと休み。ベランダからは、隣のレストランの、白と紅のリラワディが目に鮮やかだ。ちなみに四日前までいたウドンタニーでは、この花を、ラオス語を用いて「ツァンパー」と呼ぶ。だからと言っては何だけれど、国境のちかくは色々と面白いのだ。

時計が8時を過ぎたころを見計らって外へ出る。日曜日でも、soi8には様々な屋台が店を開いている。そのままスクムビットの大通りに出て、しばしそのあたりを散歩する。そしてまたsoi8に戻ってきて、ホテルに最もちかい屋台で朝食を摂ることにする。僕の注文をこなしつつ「唐辛子は入れても大丈夫?」と身振りで問うたオネーサンには、いつものとおり頷いた

ことし2月のチェンライでは、多分、タイ料理を食べ続けたことによるのだろう、胃腸の具合をおかしくした。それが分かっていながら「辛さはどうしますか」と訊かれて「普通でお願いします」とか、あるいは今朝のように、唐辛子をタイ人のそれ並に加えることに首を縦に振ってしまう。これはやはり、見栄による自動反応なのだろうか。

チェックアウトの時間が通常の正午から18時まで延びると、荷作りに向かう気持ちに多大な余裕が生じる。大きな荷物を嫌う僕は、特に必要のない限り、機内持込サイズのスーツケースを使う。これに社員への土産が収まるか、というのがひとつの勝負なのだ。そして荷作りは数十分で完了した。

スイミングプールの水は二日目から綺麗になったものの、なぜか泳ぐ気にはならなかった。更に今日は最終日のため、水着は濡らしたくないどころか汗に湿らせることさえ避けたい。ベランダから見おろすsoi8は雨季の南国にふさわしく、いつの間に濡れたかと思えば、また乾くことを繰り返している

バンコクに入った初日には、スクムビットの大通りからsoi11に入ってすぐの左側で客待ちをするモタサイを使ってナナチャーンの船着場まで行った。その際、左手に木造の、洒落た植民地様式のレストランを横目で見て「あぁ、これが有名なヘミングウェイか」と記憶に留めた。

14時を10分ほど回ったところでようよう、本日二回目の外出をする。大通りから随分と歩くかと思われた「ヘミングウェイ」には、この通りの左右にある様々な店やホテルが歩く者を飽きさせないこともあって、意外や早く着いた。

「お席は外になさいますか、それとも中になさいますか」と責任者らしいオネーサンに訊かれれば、ほぼ反射的に「外」と答えてしまう。そして白人に合わせたものか、木製の、とても高い椅子に、勢いをつけて上がる。そして先ずはグラスの赤ワインを注文する。

この、カベルネソービニョンよりメルローを強く感じるワインが中々美味い。周囲を見まわせば、メニュに”Sunday Grill”と載っているものだろう、丸鶏の網焼きを食べている人たちがちらほらいる。しかし僕にそれは無理だ。僕は三段ほど上がったテラスで待機するウェイトレスを呼び、チーズケーキを追加した。

チョコレートソースをふんだんにかけ回されたチーズケーキは、やはり白人向けの大きさなのだろう、カロリーの固まりだった。これをやっつけるために赤ワインをお代わりする。

そのチョコレートソースを垂らさないよう細心の注意を払いつつ「権力者と愚か者」のページを繰る。フィナンシャル・タイムスのかつての編集長が日記に書いた2015年から2016年にかけての米国と英国を、今年の日本はなぞっている。

ところで先月26日の朝、朝食を摂る僕のかたわらにあったこの本について「訳もよろしいですか」と訊いてきた白人のオジーサンに「悪くないです」と僕は答えた。しかし460ページの

……
ホタテのカルパッチョに続き、仔牛のカツレツを、マス・シャンパーとシャトー・ロスピタレ・ド・ガザンのグラスワインで流し込みながら…」
……

の「流し込みながら」はいけない。戦国の武将や江戸の駕籠かきが汁かけメシを掻き込んでいるわけではないのだ。ちなみにおなじ表現は520ページにも再出をする。

それはさておき、日本人にとっては巨大なチーズケーキと二杯の軽くないワインをこなした僕は、先ほどとは異なったウェイトレスに勘定を頼んだ。いまだ充分に若い彼女は何ごとか言葉を発しつつ右の人差し指一本を立てた。外の席はsoi11を往来するモタサイやトゥクトゥク、また人の声で充分にうるさい。よって彼女の言ったことを理解しないまま、僕は頷いた。

奧から戻ってきた彼女は三杯目の赤ワインと共に、当たり前のことだが、それを加えた請求書をテーブルに載せた。果たして僕は、空港まで無事に辿り着くことができるだろうか。

部屋に戻ったのは16時5分。シャワーを浴びる。シャワーの後は服は着ず、腰にタオルを巻き、もう一枚のタオルは上半身に巻いて、それを部屋着にする。そしてiPhoneに17時30分のタイマーを設定し、ベッドに仰向けになる。夕刻の雨は、幸いにも降ってこない。

17:58 ホテルをチェックアウトする。”I’m going out”と伝えたときにレセプションのオバチャンから返った問いをここに書けば日記が長くなるから、今日のところは割愛をする。
18:05 BTSスクムビット線の車両がナナを発。
18:15 その車両がパヤタイに着。
18:28 ARLの車両がパヤタイを発。北側に見える高速道路は、順調に流れている
18:57 その車両が終点のスワンナプーム空港に着。

それにしても、タイの駅の券売機には、硬貨のみを受けつけるものと紙幣のみを受けつけるものが混在して、使いやすくない。自動改札機には「故障中」を示す”Out of Business”の紙を貼られたものが、毎日、あちらこちらの駅に目立つ。「日本の技術を導入してくれていたら」と、思わずにはいられない。

酔っているから早めの行動を心がけた今日は、時間にとても余裕がある。ARLの改札ちかくの、先月25日にも使った両替所の円とタイバーツの交換率は、1万円あたり2,165バーツだった。

19:06 出発階の四階に上がり、タイ航空のポロシャツを着たオネーサンに手伝ってもらいつつチェックインを完了。オネーサンはこの単純作業ばかりをしてるから、当方への質問と、タッチパネルに触れる手の動きは素早い。「荷物に危険物は含まれていませんか」と訊かれたものとばかり思って”No”と答えたときのタッチパネルの表示は「預け入れ荷物はありますか」の英文だったらしい。

「あ、荷物、ありました、これ」とスーツケースを指すと、オネーサンは「なによー」という感じの仏頂面で振り出しに戻り、おなじ作業を繰り返した。「タイは微笑みの国」などと耳にしても、あまり真に受けないことが肝要である

19:08 オネーサンがスーツケースに巻いてくれたバーコードを、こちらはにこやかなタイ航空の係が読み取って、荷物の預け入れを完了。

ここで身軽になって、今度はエスカレーターで一階へ降りるそして8番出口ちかくの”MAGIC food point”に入る。こちらは、十数年前までは空港職員専用の感があり、人もまばらだった。しかし現在は、団体では席の確保も難しい混み具合になっている。ここでカオマンガイによる夕食および時間調整をしながら缶ビール2本を飲む。ちなみにカオマンガイは「茹でと揚げの相盛り」が80バーツ、シンハビールの350cc缶は55バーツ、チャンビールの350cc缶は45バーツだった。

20:40 “MAGIC food point”を出てふたたび四階へ上がる。
20:51 保安検査場を通過。
20:54 出国審査場を通過

チェックインが早すぎたためか、僕の搭乗券に搭乗ゲートは印刷されていなかった。その場所を電光掲示板に探してS116Aの番号を知る

21:03 サテライトターミナルへ向けてシャトルトレインが発車。
21:05 その車両がサテライトターミナルに着。

アルミニウムの帯を編んで作ったようなの巨象の右手にある案内所でミラクルラウンジの場所を訊く。先月19日のウドンタニーのオネーサンは”Down stair”だったが、今日のオネーサンは”Up stair”と、これまたひと言だけ答えた。巨象のはす向かいのエスカレーターで上階へ上がるとしかし、広い空間のあるばかりだ。ラウンジは左か、はたまた右か。「案内の親切さは、日本人が最高だわな。しかし日本人は、英語に関しては、あまり得意ではないわな」などと考えつつ勘を頼りに右へ進む。

しばらく往くと左手にミラクルラウンジの”First Class”があったから「ここはオレの来るところではないわな」と、更に進む。すると突き当たりにおなじミラクルラウンジの”Business Class”があって、こちらには見覚えがあった。

楽天のゴールドカードを持っていれば誰でも入れるそのラウンジの受付に、会員のQRコードをスマートフォンでで見せて入場する。しばらく前にカオマンガイとビールを腹に入れているから、ここでは水しか飲めない。そして「そうか、時間を調整するなら、あそこよりここだったな、無料だし」と気づいても、もう遅い。時刻は21時16分。搭乗時間は22時15分のため、22時5分のアラームをスマートフォンに設定する。そしてシャワー室でパタゴニアの南洋に特化したシャツを脱ぎ、来たときとおなじ長袖シャツにカーディガン、そこに更にパタゴニアのウインドブレーカーを重ねる。

22:06 ミラクルラウンジを去る。
22:10 S116Aゲートに達する
22:17 搭乗開始
22:32 右列最後尾通路側の席に着く
23:24 うとうととするうち、Boeing777-300ER(77B)を機材とするTG682は、定刻に39分おくれてスワンナプーム空港を離陸。


朝飯 “Stable Lodge”のちかくに店を出した屋台のパッガパオムーカイダーオ
昼飯 “Hemingway”のブラウニーチーズケーキ、赤のハウスワイン
晩飯 “MAGIC food point”のカオマンガイトムトードパッソム、シンハビール、チャンビール


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2025.10.4(土) タイ日記(10日目)

体調に優れないことは、きのうコモトリ君の家に着いて、心づくしの夕食に箸を伸ばしたときに気づいた。きのうそれまでに摂った食事は朝の汁麺のみ。旅の最中にはそれほど空腹を覚えず、昼は抜くことの多い僕だが、夜になっても食欲が湧かないとは普通ではない。結局のところ、夕食は小鳥の食べるほどの量をラオカーオの肴にして、19時の舟に乗った。

BTSを乗り継いでホテルに戻ったのは19時47分。シャワーを浴び、パジャマを着、部屋の明かりを落として寝台に横になった。大事を取って、天井の空気調整器は動かさなかった。

目覚めて朝が近かろうと思っても、しばらくは枕頭のiPhoneで時間を確かめることはしなかった。ようよう手に取ったそれはいまだ、0時27分を指していた。からだは汗ばんでいるものの、空気調整器はなお、動かさない。そうして闇の中に、ただ横たわっている。

次にiPhoneを手に取ると、4時49分になっていた。眠れた感じは無かったものの、4時間ものあいだ、じっとしていられるわけはない。すこしは眠れたものと思われる。

雨の激しく降る音が聞こえる。やがてカーテンの隙間が明るみを帯びてくる。普段であれば、目が覚めればさっさと起きて、きのうの日記に取りかかる。その気力が今朝はまったく湧かない。そのまま7時まで、つまりきのうの夜から11時間も横になり続けている。一体全体、僕のからだは、どうなってしまったのか。喉に痛みはなく、熱も平熱であることが、ただ有り難い。

「腹が減ったら食べろ」と、コモトリ君がきのう持たせてくれたアップルパイと、日本から持参のコンソメスープを朝食とする。雨はますます激しい。

結局のところ、部屋には13時ちかくまでいた。腹が減っていない、ということもない。ホテルの、表通りに面した食堂にてオープンサンドと白ワインを昼食とする。

それにしても寒い。体調の悪さによる寒さではない。半袖のシャツ1枚で耐えがたいところから推せば、気温は恐らく20℃を下まわっているのではないか。そのうち自由民主党の裁選が高市早苗に決まったことを、ウェブニュースが伝えてくる。そのiPhoneをセブンイレブンのエコバッグに入れて部屋へ戻る。

寝台に仰向けになって、その総裁選の結果をiPhoneでふたたび見る。ふと気づくと、早朝からひどく降り続いた雨はいつの間にか上がって、窓の外に林立するビルは午後の陽に照らされていた。次に部屋を出たのは実に18時5分。ほぼなにもしない一日ではないか。

実は数日前に、最終日のレイトチェックアウトをホテルに打診していた。そのときのレセプションのオネーサンは「これからの予約で満室になることもありますので、その日が近づいてから、もういちどいらっしゃってみてください」と言われた経緯があった。

「まさか、あしたまた来てください、なんて言われたりして」と恐れつつ、今日はメガネをかけたオバチャンにおなじことを問えば、コンピュータのディスプレイを見て即、それが可能なことを教えてくれた。追加の料金は1,000バーツ。精算書を要求すると、オバチャンは動かないプリンターを叩いて「しばらくお待ちください」と僕に笑顔を向けた

さて外へ出られるほどに体調は回復したものの、食欲はまったく無い。飲食店の密集するsoi8に宿を定めながら、情けない限りだ。胃が受けつけそうなのは液体のみ。そういう次第にて、小さなオープンバーでビール、それを干したら調子が良くなって、ウォッカのソーダ割りもこなす。

部屋には19時前に戻った。シャワーを浴びたら今日の数少ない画像をコンピュータに取り込み、そのうちのひとつをfacebookに上げる。そして諸々を整えてから寝に就く。


朝飯 コモトリケー君からもらったアップルパイ、コンソメスープ
昼飯 “Stable Lodge”のレストランの”Tomato w Chopped Onions & Egg Yolk Open Sandwich”、白のハウスワイン
晩飯 “Street Bar”のシンハビール“SMIRNOFF VODKA”(ソーダ割り)


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