2025.7.2 (水) たこぶつ
早朝にきのうの日記を書き上げ、その表題を「半夏生」として「下書き保存」のボタンをクリックする。それからおもむろに、検索エンジンに「半夏生」と入れてみる。すると「仕事から離れて疲れを癒し、滋養のあるものを摂ることにより英気を養うべき日」という意味のことが出てきたから「そんな境遇じゃねぇんだよ」と、腹の中で苦く笑う。しかしてまたその「滋養のあるもの」が気になって更に調べると、半夏生に蛸を食べる理由が出てきた。
僕は歯ごたえや食感に特徴のある食べものを好む。蛸も例外ではない。先月25日の「シンスケ」の壁の短冊には「たこぶつ」の文字もあったものの、注文はしなかった。「この店のたこぶつは、自分の好みからすれば上品すぎるものではなかったか」という曖昧な記憶が頭をよぎったからだ。
自分ごのみのたこぶつはどのようなものかと考えれば、蛸の、特に脚をぶっきらぼうにぶつ切りにしたもので、味付けには本わさびとレモン、そして贅沢を言わせてもらえば醤油ではなく「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」が欲しい。そしてこんなことを書いているうち、蛸が食べたくなってきた。孫のリコは僕に似て食感ヲタクだから、食卓に載せれば喜んで食べるかも知れない。
夜、リコの妹のカコに催促をされて、ヨーグルトとカレー粉に漬けて焼いた鶏肉とブロッコリーのソテーを小さな木皿に取り分ける。すると彼女は先ず、ブロッコリーに箸を伸ばした。肉より先に野菜を食べようとする二歳児は珍しい。しばらく見ていると彼女は柔らかい頭の部分のみを咀嚼して飲み込み、残った茎は僕にくれるという。よって僕は自分の皿を差し出し、そこにポトリと落とされた固いところをハイボールの肴にする。
窓の外はいまだ夜になっていない。そのことが、食事の楽しさを倍加させているような気がする。夏にはできるだけ長く続いてもらいたい。
朝飯 スクランブルドエッグ、菠薐草のソテー、生のトマト、胡瓜のぬか漬け、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、ズッキーニと揚げ湯波の味噌汁
昼飯 玉葱のつゆで食べる素麺
晩飯 ズッキーニのチーズ焼き、豚薄切り肉とキャベツのソテー、ブロッコリーとニンニクのソテー、ヨーグルトとカレー粉で風味漬けした鶏肉のソテー、Old Parr(ソーダ割り)