2021.12.25(土) 鉄
きのうの「ゆきの美人 山田錦6号酵母 純米吟醸」は美味かった。「2軒目」の酒が美味く、且つ捗るときは要注意だ。何十年も前から分かっているものの、飲んでいるときにはすっかり忘れている。翌朝になってから、ようやく不調に気づくのだ。
浅草から08:00発の下り特急スペーシアに乗る。隣のプラットフォームには、現在のスペーシアが運行する以前の「けごん」や「きぬ」、更にはそれ以前の特急とおなじ色に塗られたスペーシアが停まっていた。その写真を撮ろうとする人たちも、数十人ほどは集まっていただろうか。
僕は、汽車や電車の写真を撮る趣味は持ち合わせない。しかし時刻表には興味がある。また、かつては日本の各所から京都、奈良、日光などに直通で運行した修学旅行列車の経路にも興味がある。バンコクの、もうすぐ役目を終えてしまうファランポーン駅から東線の終点まで、また南線の終点まで一昼夜をかけて乗れたことは、良い想い出だ。
昼食は抜いて、夜はまた飲酒活動を復活させる。
朝飯 「セブンイレブン」の2種のおむすび
晩飯 大根と万能葱の味噌汁、トマトと刻みキャベツと厚焼き玉子を添えた豚の生姜焼き、TIO PEPE
2021.12.24(金) だったらやっぱり
1970年代から80年代にかけては僕が、2000年代には長男が、そして今は次男の住む甘木庵が、この夏に漏水事故を起こした。風呂場はこの45年のあいだにいちど新しくしていたが、それも既にして老朽化したらしい。
そういう次第にて、その風呂場を丸ごと新品にする工事が今月21日から始まった。完成は25日。ところがその後、24日の19時には引き渡せると、連絡があった。僕は予定を1日繰り上げて、本日、東京へ向かうこととなった。
新橋で用を足し、最寄り駅は本郷三丁目、住所は湯島の甘木庵には18時すぎに着いた。作業中の本職はふたり。風呂場は完成し、内装屋が脱衣所兼洗面所の床を張っていた。進捗状況を訊ねると、今日の工事は21時まで、更には電気の配線がややこしくて手に負えず、それについては明日、電気屋を派遣すると、設備屋のモトムラさんは言う。「だったらオレが東京に来るのは、やっぱり明日でよかったじゃんか」ではあるけれど、もちろん口には出さない。
それにしても、21時まで何もせずにいるわけにもいかない。モトムラさんには食事をしてくる旨を伝え、次男とふたりで切り通し坂を下る。
朝飯 菠薐草のソテーを添えたベーコンエッグ、納豆、広島菜、鮭の「朝露」漬け焼き、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、けんちん汁
昼飯 「セブンイレブン」のサンドイッチ、牛乳
晩飯 「やきとんあおい」のあれや、これや、それや、他あれこれ、キンミヤ焼酎(ソーダ割り)。「まつうら食堂」のおでん5種盛り、「ゆきの美人 山田錦6号酵母 純米吟醸」(冷や)
2021.12.23(木) 心はいまだに
インターネット上に動画を上げつつ旅をするミニマリストより僕の方がよほどミニマルだったりすると、今月19日の日記に書いた。それはそうだろう、彼らの荷物には動画用のカメラや三脚が含まれるのだ。
1980年、僕は20リットル程度の、安物のデイパックひとつでカルカッタ、カトマンドゥ、アグラ、カジュラホ、デリー、そしてカルカッタから東京へ戻る、という旅をした。カトマンドゥではシロンとカジランガへの入域許可証も取得はしたが、使うことはしなかった。北半球は真冬で、安宿の水シャワーと部屋の寒さには大いに悩まされた。
その記憶もいまだ新しい1982年、今度はバンコク、コロンボ、ゴール、コロンボ、ゴール、コロンボ、キャンディ、コロンボ、マーレ島、グライドゥ島、マーレ島、コロンボ、マドラス、バラナシ、スノウリ、ポカラ、カトマンドゥ、バンコクと、気の向くままに這いずり回った。季節はやはり真冬で、荷物には極薄の寝袋を加えた。そのことによりザックは容量30リットルのサブアタック型に拡大をされた。
この2度の旅における持ち物は、先ず候補を書き出し、それを欠いては進退が窮まるものに〇、必需品に△、あれば便利なものに×を付けた。そして×はすべて持たないこととした。「あれば便利なもの」を持たないとは、たとえば水着は持たずに下着で泳ぐ、というようなことだ。歯ブラシの柄は戸塚宏に倣って握る部分を短く切った。
現在の僕の荷物は、34リットルのスーツケースひとつとデイパックひとつに落ち着いている。40年前にくらべて増えたものはコンピュータとスマートフォン、それらの電源コードと「あれば便利なもの」の一部。減ったものは寝袋、石鹸、洗剤、細引きのロープ、そしてナショナルのカセットテープレコーダー”RQ-339″。
心はいまだにバックパッカー。とはいえ安宿の共同便所で洗濯をした日々には、戻りたくない気分である。
朝飯 揚げ湯波の甘辛煮、納豆、菠薐草の胡麻和え、たたき牛蒡、胡瓜のぬか漬け、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、なすのたまり漬のからし和え、メシ、けんちん汁
昼飯 「やぶ定」のカレー南蛮蕎麦
晩飯 たたき牛蒡、里芋と牛肉と「しいたけのたまり炊」の炊き合わせ、芋きんとん、鮪の「朝露」漬け、鮭の「朝露」漬け焼き、千枚漬け、紅白なます、けんちん汁、「松の司」の生酛純米酒(冷や)、「進々堂」のパンドカンパーニュ、TIO PEPE、エクレア、Old Parr(生)
2021.12.22(水) カボチャとユズふたたび
門松は、日柄を選んで届けられる。良い日の筆頭は大安である。昨年、門松は12月18日に置かれた。今年はそれより4日遅れの本日、店の前に飾られた。
いつまでが松の内か、ということは地方により異なる。日光におけるそれを僕は知らないものの、上澤梅太郎商店は、門松は新春15日まで置く。できるだけ長く置いて、1日あたりの単価を下げようという魂胆である。
オヤジが亡くなったのは2005年11月20日。そのとき「喪中に門松など出したら世間に嗤われますよ」と、ある人に言われた。よって門松は飾らなかった。年が明けると「どうして今年は門松が出ていないんですか」と、別の人から言われた。
「あちらを立てればこちらが立たず」は世の常。とはいえ「家と商売は分けて考えるべき」との、後者の意見に僕としては気持ちが傾いた。以降は何があっても毎年、門松を飾り続けている。
きのうは南瓜のプリンを食べろと言った家内が、今夜は南瓜の天ぷらを揚げた。僕はその南瓜を避けて、他のものを食べた。風呂には柚3個が浮かんでいた。今年の冬至は21日と、早とちりをしたらしい。
朝飯 揚げ湯波の甘辛煮、菠薐草の胡麻和え、紅白なます、納豆、鮭の味噌粕漬け、胡瓜のぬか漬け、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、なすのたまり漬のからし和え、メシ、けんちん汁
昼飯 ラーメン
晩飯 めかぶの酢の物、マカロニサラダ、蒲鉾、なすのたまり漬のからし和え、天ぷら盛り合わせ其の一、其の二、盛り蕎麦、「菊水酒造」の「酒米菊水純米大吟醸原酒」(冷や)
2021.12.21(火) hot lemon
僕の仕事といえば、早朝に製造現場へ降りてするささいなこと、日中は道の駅の売り場の掃除と納品、電話番、諸々の連絡と調整、販売の補助、キャッシュレジスターの精算と釣り銭の準備くらいのものだ。頑張っているのは僕以外の皆である。そのような中で、師走も残り3分の1のところまでこぎ着けた。
この20日間に起きた諸々の問題は、そのほとんどを覚え書きに残してある。これらは来年の師走に生きてくる。大切なのは、問題が解消された後も、その問題を覚えていられるかどうか、だ。まぁ、僕が忘れても、他の誰かが覚えていてくれるだろう。
南瓜のプリンを食べろと、夕食の後に家内が言う。「芋たこなんきん」を、とかく女の人の好むものと最初に書いたのは西鶴らしい。僕は蛸は好む。しかし薩摩芋と南瓜は「甘い」というその性質により好まない。そう言いながら、それらで作った菓子は喜んで口にするのだから矛盾している。
そうして南瓜のプリンを平らげ、風呂に行くと、お湯には柚が浮かんでいた。おばあちゃんは柚を木綿の袋に収めたが、家内は丸のまま、である。「柚は搾って砂糖を加えて、ホットレモンのようにしても美味そうだよな」と考える。
ホットレモンはネパールではよく飲まれるが、日本では見たことがない。「明日あたり、飲んでみようか」と考えるものの、多分、飲まないまま季節は春になるだろう。
朝飯 クリームシチューかけごはん、なすのたまり漬のからし和え、菠薐草の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 スパゲティナポリタン、Chablis Billaud Simon 2015、バナナとホイップクリームを添えた南瓜のプリン、Old Parr(生)
2021.12.20(月) いつになる
本日、製造顧問のフクダナオブミさんが、勤続29年7ヶ月を以って職を退いた。満年齢63歳。上澤梅太郎商店の就業規則に照らせば、いまだ働き続けることのできる年齢である。しかし来春1月から年金が受け取れるため、もう良いのだという。
フクダさんは、学年は僕のひとつ下。入社は共に1982年。1990年代の半ばくらいまでは、二人三脚のようにして仕事をしていたこともあった。フクダさんが部長として製造現場の責任者になったのは2010年8月。以来11年のあいだ、品質の向上と製造行程の合理化に努めてくれた。フクダさんの先輩のアオキフミオさんと共に、持てる知識と技術のすべてを次世代へ伝えてくれたのも、大きな功績である。
それにしても、今年かぎりでの引退とは、大いに羨ましい。フクダさんの趣味は、家庭菜園と料理と適度な飲酒活動だろうか。フクダさんの隠退生活が、健やかで楽しいことを祈るばかりだ。
ところで僕は、小学生のころより隠遁生活に憧れていた。しかしいまだ人生から降りられずにいる。僕が仕事から解放されるのは、いつになるだろう。
朝飯 マカロニサラダ、赤魚の煮つけ、納豆、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、なすのたまり漬のからし和え、メシ、白菜と若布の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 「大昌園」のあれや、これや、それや、ほか、あれこれ、麦焼酎「田苑シルバー」(オンザロックス)
2021.12.19(日) 尊敬、畏敬、驚愕
旅がままならなければ、それに関わる品を売る店も、今は閑なのだろうか。そう考えながら「スーツケース、日数、サイズ」と検索エンジンに入れてみた。あらわれたのが、以下の目安である。
2~3泊 → 30~50リットル
3~5泊 → 50~60リットル
5~6泊 → 60~90リットル
1週間以上 → 90~120リットル
しかしこれは「あのお城には、この帽子」とか「2日目のレストランには、このドレス」と、毎日、更には朝昼晩と異なる服の必要な人のための基準、という気がする。
一方「海外 旅 荷物」とyoutubeに検索をかければ、上から下までズラリと、いわゆるミニマリストたちが並ぶ。彼らの動画はなかなか面白い。しかし少なくとも僕の役にはほとんど立たない。彼らより僕の方が、よほどミニマルだったりするからだ。
むかしにくらべて増やさざるを得ないものの筆頭は、IT機器である。かつてはデイパックひとつで旅をしていた僕も、現在は、機内持込可能の小さなものではあるけれど、スーツケースを必要としている。
ところで僕のおじいちゃんは、100リットル見当のスーツケースをふたつ持った。ひとつは私物用、もうひとつは、往路においては行った先への土産、復路においては帰ってから配る土産を入れるためのものだった。尊敬、畏敬、驚愕の他は無い。
朝飯 マカロニサラダ、めかぶの酢の物、ウインナーソーセージと白菜のソテー、納豆、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、なすのたまり漬のからし和え、メシ、大根と人参の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 トマトと紫キャベツのサラダ、人参と舞茸のきんぴら、豚と白菜と厚揚げ豆腐の鍋、麦焼酎「こいむぎやわらか」(水割りのお燗)、シフォンケーキ、レーズンウィッチ、Old Parr(生)
2021.12.18(土) 雪の予報
大陸から日本海を越えて、列島に風が吹きつけている。その寒風が、日本海側を中心とする広い範囲に雪を降らせると、きのうの朝の天気予報は伝えていた。
雪が降って嬉しかったのは、せいぜい学生のころまでだ。否、無責任な旅行者として北国へ遊びに行こうとすれば、今でも、そこに大量の雪のあることを期待する。降って欲しくないのは、自分の生活圏内の雪である。
降雪を予報するテレビの画面では、日光はいつも、微妙な位置にある。群馬県との境にちかい山間部は、雪を意味する白い色で塗りつぶされている。一方、僕の住む南東部は、その白いところから外れているように見える。しかしその境界が、いかにも曖昧なのだ。
4時すぎに起きて洗面所へ行く。顔を洗ってから、窓のカーテンをすこしずらして外を見る。雪は降っていなかった。
雪は、朝礼を終えて道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の売り場へ掃除に出かけるころ、舞い始めた。それは頭上から降る雪ではなく、山から風に乗って運ばれてくる風花だった。その風花もやがて消え、日が差しはじめる。
「汁飯香の店 隠居うわさわ」には今朝、門松が置かれた。家の土地から伐り出した竹、先日、植木屋が剪定した松の枝、そしていただきものの南天を使い、隠居係のタカハシリツコさんが作ったものだ。門松は、正月10日の月曜日まで、置くつもりでいる。
朝飯 煮奴、生玉子、牛肉のすき焼き風、白菜キムチ、じゃこ、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、なすのたまり漬のからし和え、メシ、白菜の味噌汁
昼飯 「大貫屋」の中華丼
晩飯 レタスと紫キャベツのサラダ、カレーライス、らっきょうのたまり漬、Old Parr(水割りのお燗)
2021.12.17(金) 年賀状
小学生のころは、年賀状を送ったり送られたりすることが、心から楽しかった。冬休みに入ると年賀状づくりに精を出し、元旦は年賀状が届くのを心待ちにした。その楽しさは以降、漸減したものの、余韻は高校生のころまで続いたような気がする。
自分はいつ年賀状に対して興味を失ったか。それはどうも、年賀状を家庭で印刷作成できるワードプロセッサが世に現れた時期と重なっているような気がする。
現在、年賀状は一顧だにしない。と言いたいところだけれど、一瞥くらいはする。そして僕個人に届いたものには旅先から返事を書く。これがまぁ、大変な苦労である。
年賀状は大抵、コンピューターとプリンターで作ったか印刷屋に頼んだもので、そこにせいぜい「今年もよろしく」と、ほんの数文字の手書きが添えてある例がほとんどだ。一方、僕は返信のための絵ハガキに数百文字を連ねる。個人に届く年賀状は、それほど多くない。とはいえ、20通くらいはある。とすれば数百文字の20倍を、ひたすらペンで書き続けることになる。まるで「B29 vs. 竹槍」である。
旅とは、からだを休め、気を鎮めるために行くものだ。そこに毎年「数千文字を手書きする」という義務が生じている。そろそろ反撃に移るべきではないか。吟行で秀句を得る方法のひとつに「出かける前に詠んでおく」というものがある。この手は使えそうだ。
……
先般はご丁寧に季節のお便りをお送りくださいまして有り難うございました。
熱帯の朝は、日中の暑熱が信じられないほど爽やかです。緯度が低いため、日本の夏のように早く明けることはしません。いまだ暗いうちに目を覚ますと、先ずは既にできあがっている一昨日の日記を公開し、それからきのうの日記にとりかかります。そうするうち、外が明るくなり始めます。当たり前のことですが、啼く鳥の声は、この土地でしか聴けないものです。
朝食はたっぷり摂ります。そして部屋でひと休みをしてからプールサイドに降り、ここで午後の日が傾くまで本を読みます。驟雨の通り過ぎる日もあります。しばらくすると、濡れた椰子の葉やプルメリアを夕日が眩しく照らします。シャワーから上がったら、ゴム草履を突っかけ、手提げ袋に土地の焼酎の瓶とコップ、そして本を入れて部屋を出ます。
街の食堂では簡単な料理とソーダ、そして氷を注文します。そしてそのおかずを肴にして焼酎のソーダ割りを飲み、本を読みます。
酔うと歩くのが億劫になりますので、流しのオート三輪を拾い、それに乗ってホテルに帰ります。湿った夜風の心地の良さは、文字にできるものではありません。当たり前のことですが、鳴く虫の声は、この土地でしか聴けないものです。
部屋に戻ったらシャワーを浴びます。いまだ20時を過ぎてはいませんが、明かりを落として横になります。
気づくと早くも翌朝です。朝食までは3時間ほどもありますから、ポットにお湯を沸かし、持参したスープを飲みます。そしてコンピュータを起動し、既にできあがっている一昨日の日記を… とまぁ、こんな日々を、いましばらくは続けるつもりです。
またお目にかかれる日を、楽しみにしています。どうぞお元気にお過ごしください。
★にて
……
と、こういう文面のハガキを作り、旅の荷物に加えておく。出かけた先では★の部分に、そのとき滞在している土地の名を書き入れれば完成である。なかなかの妙案ではないか。
朝飯 納豆、牛肉のすき焼き風、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、千枚漬け、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、なすのたまり漬のからし和え、メシ、蕪と蕪の葉の味噌汁
昼飯 「ふじや」の野菜麺
晩飯 トマトとベビーリーフのサラダ、ブロッコリーの鉄板焼きとじゃがいもと人参のバターソテーを添えたハンバーグステーキ、トースト、Chateau Leoville Las Cases 1984
2021.12.16(木) お茶と味噌汁
味噌汁は毎朝、上手に作れる。出汁は多く、煮干しと昆布で引く。昆布はいつも、上出来のものがある。煮干しは上出来のものが切れることもあるけれど、工夫さえすれば、やはり美味い味噌汁は作れる。
難しいのはお茶、である。
朝のお茶については、手を変え品を替え、日々、あれこれ試している。それでも美味いお茶は、僕の場合、僥倖を祈るしか得る方法が無い。そして今朝の一煎目は美味かった。
と、「美味かった」に句点を打ったところで「地球は青かった」という言葉を思い出す。「さて、それは誰によるものだったか」と検索エンジンに当たって「そうだ、ガガーリンだった」と思い出す。一方「私はカモメ」と言ったのはテレシコワで、こちらは忘れなかった。
念のため再び検索エンジンを頼れば、女性初の宇宙飛行士としてテレシコワが地球を周回したのは1963年6月。そのとき僕は小学1年生。2021年12月16日現在、宇宙にいる前澤友作の「宇宙なう」を、還暦が過ぎるまで覚えている小学1年生がどれほどいるだろう。「昔は万事、ひとつのニュースをみんなで見ていたよな」と、隔世の感を覚える。
朝飯 千枚漬け、納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、揚げ湯波と蕪の葉の炒り煮、明太子、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、なすのたまり漬のからし和え、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と万能葱の味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」の中華焼きそば
晩飯 「共働学舎新得農場」のレラ・ヘ・ミンタル、TIO PEPE、ツナと玉子とベビーリーフのサラダ、2種のパン、林檎ジャム、レバーペースト、茹でたブロッコリーを添えたクリームシチュー、「進々堂」のシュトーレン、Chablis Billaud Simon 2015