2021.4.16(金) いそいそと
「夜の集まりで遅くなっても、家に戻ればいそいそと仕事場に入る。何より小説を書くことが好きだから」と、林真理子は週刊誌の随筆に書いた。僕の日記もそれに似ている。朝、いまだ暗い時間に起きて食堂に来て、お茶を淹れたらいそいそとコンピュータを起動するのだ。
「日記、見ました。20年以上も続けているんですね、感心しました」と言ってくれる人がしばしばいる。僕が日記を書くことは、蛭子能収が競艇場に通うことと同じく、別段、人に感心されることでもない。
「毎晩、仕事場から帰宅すると着替えてジョギングに出ます。普通の人の晩酌とおなじですね」と笑った人がいた。僕は心の底から驚いた。しかしその人にとっては「好きなことをしているだけ」なのだ。人の「好きなこと」は文字通り「人それぞれ」である。
きのうは22時前に自宅に戻った。早朝の仕事を要求する社員の覚え書きは、裏玄関には貼られていなかった。時間の余裕は充分にて、明日の日記まで書いてしまおうと考えて、しかしコンピュータの電源を落とす。そしていそいそと、味噌汁の準備にとりかかる。
朝飯 生のトマト、納豆、豆腐の玉子とじ、キャベツとピーマンのソテー、白菜漬け、ごぼうのたまり漬、メシ、アスパラ菜の味噌汁
昼飯 みょうがのたまり漬、白菜漬け、塩鰹のふりかけ、明太子のお茶漬け
晩飯 生のトマトとキウィ、らっきょうのたまり漬を使ったポテトサラダ、ホタルイカとアスパラ菜のスパゲティ、パン、チーズ、TIO PEPE、Chablis Billaud Simon 2015、ウィークエンドシトロンケーキ、Old Parr(生)
2021.4.15(木) マンボー
「洗わなくちゃ、酸っぱくなっちゃうじゃん」
「いーんだよ、酸っぱいの、好きなんだから」
「やだよー」
冷蔵庫の野菜室に大量にあった白菜漬けの、先に漬けた方がいよいよ少なくなった。その充分に、あるいは過度に乳酸発酵した白菜を、味噌汁のための出汁に投入したのだ。
「一番好きなタイ料理は」と、チャオプラヤ河畔の料理屋でオネーサンに訊かれて「トムセーップ」と答えたことがある。トムセーップとは、肉と野菜を煮込んだ熱々のスープだ。味は、酸っぱくて辛い。多分、その風味を、僕は日本にいても求めるのだ。今朝の味噌汁も美味かったことは、言うまでもない。
9時より始めた場長会議が終わったのは11時。急いで着替えて下今市11:35発の上り特急スペーシアに乗る。5号車の乗客は、僕と長男のふたりのみ。新型コロナウイルス蔓延防止等重点措置が、東京ではおとといから実施され始めた。「東京に来ないでください、そして東京から出ないでください」と小池百合子は言っている。しかしきのうに引き続いてデザインについての仕事であれば、遠隔会議の形は採りたくない。打合せの後、渋谷に用事のある長男とは表参道で別れた。
新橋で床屋にかかり、日暮里で買い物をして北千住に至る。カウンター活動のため入った繁盛店に、客は僕ひとり。20時の閉店により、提灯の明かりは19時30分に落とされた。二階俊博がはじめて東京オリンピックの中止に言及したと、ウェブニュースが伝えている。
朝飯 切り昆布の炒り煮、納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、スペイン風目玉焼き、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、白菜漬けとタラの芽の天ぷらの味噌汁
昼飯 3種のおむすび
晩飯 「ささや」のあれや、これや、それや
2021.4.14(水) 気持ち
「35万円が2億円」と、その骨董商は自宅に戻るなり奥さんに告げた。骨董商の頬には緊張と興奮が浮かんでいる。奥さんは唖然としたまま目を見開いている。小さなオークションで落札した鐔が、その後、2億円の価値を持つものと分かったのだ。金による象嵌などは持たない、傘にも富士山にも見える透かし彫りを施された地味な鐔である。居合わせた僕は許可を得て、朝食の膳の右手に畳まれたナプキンの真ん中に、その鐔を乗せた。
そういう夢を見ながら目を覚ます。時刻は4時すこし前だった。
「本物のワインで漬けた本物のワインらっきょうリュビドオル」の瓶の蓋に貼るシールがいよいよ少なくなってきた。馴染みのシール屋はデザイン部門を廃し、現在は外注に頼っている。その外注先は偶然、上澤梅太郎商店が昭和30年代に出した手拭いを復刻するときに使った会社だった。
新型コロナウイルスが流行って以降にわかに勃興した「リモート」という仕事の形態を、僕は好まない。かねてより約束の時間に宇都宮のデザイナーを訪ねる。たたき台ができたらもう一度、顔を合わせてすり合わせをする必要があるだろう。「気持ちこの曲線を緩やかに」とか「気持ち隙間を空けて」というときの「気持ち」の説明は特に、リモートの不得意な部分と思う。
朝飯 納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、切り昆布の炒り煮、「なめこのたまり炊」のフワトロ玉子、生のトマト、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と菜花の味噌汁
昼飯 「タリーズ宇都宮駅東店」の厚切りトーストツナチーズメルト、ロイヤルミルクティ
晩飯 榎茸と菠薐草のおひたし、刺身湯波と小松菜の餡かけ、焼き鮭、刺身湯波、薩摩芋とタラの芽と舞茸の天ぷら、麦焼酎「麦っちょ」(前割のお燗)、自由学園のクッキー、Old Parr(生)
2021.4.13(火) ナミ
本日の日本経済新聞朝刊第40面に、橋田壽賀子への追悼文を内館牧子が寄せている。それを昼どきに読む。読めばすぐに、橋田の大人物ぶりが分かる。
橋田に弟子入りをしてから9年後、内舘はNHKの朝の連続ドラマの脚本を任されるまでに成長する。「長丁場のドラマだから、先々もつまいと恐れて水増し」することの無いよう、橋田はそのとき内舘に注意を与える。水増しなどしなくても「追い込またら、必ず次のいい手が見つかる」との教え得て、内舘は書き上げていた全151回分のあらすじすべてを捨てる。その、師匠への傾倒ぶりは凄い。そして我が身を振り返って「オレなどは、ナミのナミだわな」と思う。思うだけで、反省などはこれっぽっちもしない。
ところで今日の天気は春の嵐と伝えられていた。しかし日光市今市地区の上空は荒れなかった。風は、普段よりいくらか強いくらいのところで収まった。雨も、傘はほとんど必要としなかった。隠居の枝垂れ桜は何とか、次の営業日まで保ってくれるだろう。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、牛蒡と人参のきんぴら、蓮根の梅肉和え、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、白菜漬け、明太子、メシ、2種のズッキーニと大根と人参と椎茸と万能葱の味噌汁
昼飯 「珍来軒」の呉冷麺
晩飯 トマトとキウイのサラダ、TIO PEPE、チーズ、グリーンアスパラガスのソテーと人参のグラッセとマッシュドポテトを添えたハンバーグステーキ、NUITS SAINT GEORGES EN LA PERRIERRE NOBLET MACHARD DE GRAMONT 1983
2021.4.12(月) 単機能
「パパは風邪をひくと大汗をかくから」と、男物のパジャマ数十着を、オフクロは買い溜めた。オヤジの死後も新品のまま置かれていたそれらのほとんどは、オフクロが亡くなってから、今は忘れたがどこかに寄付をした。僕専用の背の低い箪笥には、そのとき取り残されたらしい冬用の2着がいまだあった。それらを今朝は新品のままゴミ袋に入れた。
「安い」という理由でオフクロが複数着を買ったダウンコートから外したフードも、箪笥の上で埃をかぶっている。これについては、今朝はいまだ残した。惜しく感じたからだ。しかしいずれ捨てることになるだろう。
僕はなぜか、取り外しによる多機能を好まない。屋根の外せるドロップヘッド型のクルマなどは、その典型だ。多機能、多目的を僕は利便と考えない。このような性格は、どのような経験により醸成されるものだろう。
「だったらスマートフォンも使わないのか」と問われれば、流石にそれは使う。しかしスマートフォンで写真を撮ることは好まない。デジタルカメラは2006年2月からずっと、RICOH GR DIGITALを使い続けている。
朝飯 牛丼、生玉子、白菜漬け、ごぼうのたまり漬、トマトと菠薐草の味噌汁
昼飯 「大貫屋」の味噌ラーメン
晩飯 生のトマト、春雨サラダ、焼き餃子其の一、焼き餃子其の二、水餃子、「紅星」の「二頭鍋酒」(生)
2021.4.11(日) ハクシン
「4月であれば、もうよかろう」と、冬のあいだ毎朝1錠ずつと決めていたビタミンEの服用を止めた。そのせいかどうかは不明ながら、手指の先のアカギレがにわかに増えた。左足の親指の先にもできた。
アカギレは、そのクレバスのような傷口に、僕の場合には「ハクシン」という、今はもう作られていない軟膏を満たし、バンドエイドのキズパワーパッドで覆えば数日で治る。それは分かっているものの、指先の絆創膏は鬱陶しいからしばらくは何もしない。すると傷口はますます開き、痛みも増す。鬱陶しさと「このままではいつまでも治らないぞ」という気持ちのせめぎ合いが、早く治したい方にいくらかでも傾くと、そこで初めて治療に取りかかる。
キズパワーパッドは1枚ではすぐに剥がれる。よってひとつのアカギレに対して3枚を巻く。キズパワーパッドは今のところ最強の絆創膏だ。しかしその性能を引き出すため、巻く前に掌と掌のあいだに1分のあいだ挟んで柔らかくする。巻いた後も空いた方の手で秒針がひとまわりするまで握ってより密に圧着をさせる。今朝は3本の指に処置をほどこした。キズパワーパッドが計9枚なら、それを温めたり押さえつけたりで18分もかかる。もちろん実際には18分では済まない。厄介なこと甚だしい。
ビタミンEは、今日からまた飲み始めることにした。夜は、まるで紙やすりのように荒れた手にメンソレータムを多めに塗り、手袋をして寝る。
朝飯 牛蒡と人参のきんぴら、蓮根の梅肉和え、切り昆布の炒り煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、生のトマト、白菜漬け、ごぼうのたまり漬、メシ、ピーマンとベーコンの味噌汁
昼飯 「フジヤ」のタンメンバター
晩飯 レタスと水菜のサラダ、カプレーゼ、“POSTE DE BLE”の2種のパン、クリームシチュー、Chablis Billaud Simon 2015、いちご、チョコレートケーキ、Old Parr(生)
2021.4.10(土) お祭の催行
総鎮守瀧尾神社の春の例大祭の日だ。お祭が始まるのは9時でも、現地には8時40分までに入るよう、カレンダーには書いておいた。今朝はいつもの仕事の順番をすこし組み替えた。そして着替えて8時30分に会社を出る。
首都圏の1都3県に発令されていた緊急事態宣言は、3月21日に解除をされた。しかしその後も新規感染者の数は増えるばかりだ。そして1府3県には4月5日から、1都2府県には4月12日から、今度は蔓延防止等重点措置が実施中あるいは実施をされる。そのような世情から、今年のお祭も昨年に続いて静かなものになることを予想しつつ数百メートルを歩く。
一の鳥居が見えてくるころ、思いがけずお囃子の笛と太鼓に気づく。更に進むと二の鳥居の前に、きらびやかに着飾った金棒引きと稚児の姿が見えた。「やっぱり、こうでなくちゃな」と思う。
ここ数年に及ぶ「当番町を考える会」で、瀧尾神社のお祭は隨分と簡素になった。時代に合わせなければ、伝統は生き残れない。しかし子供の元気な姿は不変であるべきだ。
猪口に御神酒一杯のみの、これまた簡略化された直会に先だって、責任役員として挨拶をする。子供についても触れたことは、言うまでもない。
朝飯 切り昆布の炒り煮、温泉玉子、牛肉のすき焼き風、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、白菜漬け、ごぼうのたまり漬、メシ、菠薐草の味噌汁
昼飯 切り昆布の炒り煮、白菜漬け、明太子、しその実のたまり漬のお茶漬け
晩飯 レタスと人参のサラダ、コーンポタージュスープ、じゃがいもの素揚げと日光味噌のたまり漬によるソースを添えたビーフステーキ、にんにくのたまり漬と玉葱と玉子の焼き飯、NUITS SAINT GEORGES EN LA PERRIERRE NOBLET MACHARD DE GRAMONT 1983、ウィークエンドシトロンケーキ、Old Parr(生)
2021.4.9(金) 未知の樹木
朝、食堂から隠居の方角を望む。蔵の屋根に遮られて、認められるのは、左手前の染井吉野に右奥の山桜くらいのものだ。しかし今日は、すこし遠いところに高い木のあることに気づいた。丸く広がった枝には薄桃色の花さえ見える。さて、そのような木が隠居にあっただろうか。
朝の仕事を片付けて早速、隠居の柴折り戸を引く。そして「汁飯香の店 隠居うわさわ」の営業日以外は水を止めている池泉の石橋を渡る。これまで知らずにきたその木は、果たして山桜だった。
隠居の庭には木が多い。桜もそのひとつで、オフクロは晩年に植木屋を頼んで幾本も伐らせた。この1本は、そのときには見逃されたのだろうか。山桜は既にして大きな1本がある。とすればこちらの方は、いずれ伐ることになるかも知れない。
事務室に戻ると嫁のモモ君が白衣を着て、長男のシンを抱いていた。これから製造現場で仕事をするのだという。シンは乳母車に寝かせておくとのことで、その乳母車は僕が裏玄関から出してやる。シンは、母親が仕事をするかたわらで静かにしている。その様子を写真に撮ってから、ふたたび事務室に戻る。
朝飯 納豆、菠薐草のおひたし、「なめこのたまり炊」のフワトロ玉子、白菜漬け、ごぼうのたまり漬、明太子、メシ、大根と万能葱の味噌汁
昼飯 白菜漬け、ごぼうのたまり漬、牛肉のすき焼き風、明太子、塩鰹のふりかけのお茶漬け
晩飯 切り昆布の炒り煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、鮪の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、薩摩芋の天ぷら、筍ごはん、ごぼうのたまり漬、「清開酒造」の「夢ささら55%無濾過生原酒」(冷や)、トマトのゼリー、クッキー、TIO PEPE
2021.4.8(木) 伊豆治療紀行(3日目)
バンコクのマンダリンオリエンタルホテルやフアヒンのレイルウェイホテルを宿としたとき、もっとも大きな楽しみを得たいとすれば、外には出ず、その敷地の中にできるだけ長く留まることだ。「おちあいろう」においてもしかり。しかし今日は、それほどゆっくりもしていられない。
朝日の差すころ内湯に入り、あとは庭を眺めながら本を読む。7時に設定した音をiPhoneが発すると同時に着替えて荷物をまとめる。8時からと決められている朝食は、7時45分からに早めてもらった。食事処の窓からは、東西の匠たちを競わせつつ建てたという棟々が、間近に望まれる。
修善寺駅の駐車場にクルマを駐めたのは9時すこし前だった。駅前にビルを経営し、駅構内に「舞寿し」の店を出すタケシトーセーさんと知り合って四半世紀以上が経つ。タケシさんが「日光MG」に参加をしてくれた回数は、20数回に及ぶと思う。伊豆に来てタケシさんを訪ねないことは考えられない。開店直後の店にはお母さんがいらっしゃり、タケシさんと息子さんも、製造現場からすぐに来てくれた。予約の品を受け取り、挨拶もそこそこに駅を出る。
きのう越えた伊豆スカイラインは、往路とおなじ距離でありながら、隨分と短く感じた。整体院には、指定されていた時間に10分おくれて9時50分にすべり込む。今日の電子ペンは、おとといの治療により半ばほどまで復調していたため、それほど強い痛みは感じさせなかった。
治療院と初日に泊まった赤沢温泉、そして伊豆高原駅は、半径数キロメートルの範囲にある。レンタカーのスズキスイフトに最寄りのガソリンスタンドでガソリンを満たし、駅前のレンタカー屋に返却をする。
予定より小一時間ほども早い、伊豆高原12:30発の熱海行きに間に合う。東京と北千住で乗り換えて、下今市には16時42分に着いた。
夜は昼に続いてタケシさんの弁当を食べる。酢で締めた鯵は日本酒の肴に最高だ。そして早々と寝室に入る。
朝飯 「おちあいろう」の朝食膳、柑橘
昼飯 「おちあいろう」で持たせてくれたおむすび、「舞寿し」の「田舎セット」
晩飯 ブロッコリーの胡麻和え、「舞寿し」の「あじ寿司」、大根と万能葱の味噌汁、「清開酒造」の「夢ささら55%無濾過生原酒」(冷や)
2021.4.7(水) 伊豆治療紀行(2日目)
きのうの夜、懐石料理だけでは足りずに小さくないおむすび2個を平らげた。にもかかわらず、今朝、風呂で測った体重は普段とそれほど変わらない56.4キロだった。BMIは19.5くらいのところだろうか。炭水化物は僕を太らせない。目の前には伊豆半島南西端の海と空が青く広がっている。
きのう伊豆高原駅前で調達したレンタカーにて伊豆スカイラインを越える。昼食は、天城山を間近に望む丘の上の蕎麦屋で摂った。そこから修善寺の街へ下る。
カンボジアの西バライのような超弩級を除いて、僕は名所旧跡には興味がない。それらを観るための教養に欠けているのだ。しかし湯ヶ島温泉の宿に入れるのは15時とのことで、しばし時間を調整する必要がある。町内役員のバス旅行でこの街を訪ねた際、自由時間にひとり散歩をしながら旧い教会を見つけた。それを覚えていたから、お土産屋にクルマを駐め、その修善寺ハリストス正教会顕栄聖堂に家内を案内する。
それでも時間は隨分と余っている。修善寺に参拝し、修善寺川に面した茶屋で一服をしてようやく14時が過ぎる。
修善寺から湯ヶ島温泉とくれば、なんと言っても川端康成だ。しかし僕はこのノーベル賞作家の作品をひとつも知らない。読んだものといえば「川端康成・三島由紀夫往復書簡」のみだ。一高時代の川端とは異なって、当方のクルマはほんの20分ほどで湯ヶ島温泉に至った。
「おちあいろう」の、幕を垂らした巨大な門の手前には2台分の駐車場があった。そこに後退でクルマを駐めようとしながら、奥まで入るよう手招きをする人の姿に気づく。その人に荷物を手渡しているところに身分は支配人になるのだろうか、満面に笑みを湛えたムラカミノブオさんが出迎えてくれた。ムラカミさんは上澤梅太郎商店が主催する研修「日光MG」に何度も来て下さった恩人である。
香のたきしめられた玄関から先ずは喫茶室に通される。そしてここで種々の説明を、女の人より受ける。そこから部屋に案内される途中には読書室があった。既にして部屋に運ばれていたザックから中川右介の「昭和45年11月25日」を取り出して即、その「大正時代のモダン」といった趣の小部屋に戻る。そして小一時間ほども静かに過ごす。僕にとって旅の一番の楽しみは、本読みを措いて他にはない。
17時より、国の登録有形文化財でもある建物の見どころを、女将が案内してくれる。特に3階大広間の紫檀による床柱は圧巻だった。これまで自分が見たことのあるものでは、趣味は異なるものの、智頭の石谷家住宅の大黒柱と双璧を為すような気がした。
ところでこの宿の飲物は、特別のものを除いてはいわゆる”inclusive”、つまり飲み放題だ。僕は酒を好む。しかし量としては、それほど飲まない。就寝は多分、21時前だったと思う。
朝飯 「赤沢温泉ホテル」の朝のブッフェ其の一、其の二、其の三
昼飯 「やまびこ」のサービスの野菜、飛竜頭、ざる蕎麦(粗挽き)
晩飯 「おちあいろう」の其の一、其の二、其の三、其の四、其の五、其の六、其の七、其の八、其の九、「八海山」の純米大吟醸「ひょうたん」(冷や)、グラスの白ワイン、同赤ワイン