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お買い物かご

清閑 PERSONAL DIARY

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2025.5.23(金) 午後の洗濯

春眠の季節はとうに過ぎたにもかかわらず、タイから戻って以降は早起きができない。今朝の起床は5時。朝食の準備を始めるのは6時30分。持ち時間が1時間30分とは、いかにも短すぎる。どうにかして早起きの習慣を取り戻さなければいけない。

仏壇と自分のためのお茶を淹れようとして、その、近所の鳥屋茶舗で買った茶葉が今朝で終わることを知る。今年の八十八夜は5月1日。とすれば、そろそろお茶農家を営むお客様から営業の手紙の届くころだ。しかし茶葉は今朝で枯渇したわけだから、すこしでも買わなければ明日の朝が困る。

「汁飯香の店 隠居うわさわ」に6月と7月のご予約が入っている。それをメモに残し、別途、承った旨のメールをそれぞれのお客様にお送りする。今週末の隠居は既にして満席にちかい。その週末を狙い澄ましたような雨の予報が恨めしい。お客様の足元を温めるための暖房絨毯は、いまだ片づけられずにいる。

午後、ことし1月10日に買って、いちどお湯に通したのみのJAPAN BLUE JEANS製のチノパンツ、および1月27日に買って、やはりいちどお湯に通したのみのFULL COUNT製のジーンズを洗濯機に入れる。ジーンズは、裾を3センチメートルほど上げないとだらしなく見えると考えていたものの、洗い上がったそれを履いてみれば丈が縮み、裾上げの必要はなくなっていた。

勉強仲間のセキネヒサタケさんがしばらく前に1,000ccのオートバイを買った。準レース仕様だから時に吐き気を覚えるほど速いという。午後、そのオートバイに乗ってセキネさんが店に来てくれる。セキネさんは小倉町の旅館を予約の上で来てくれた。そのセキネさんと夜は街の居酒屋で待ち合わせて、3時間ほども歓談を交わす。


朝飯 オムレツ、菠薐草のソテー、鮭の日光味噌漬けの焼きほぐし、炒り豆腐、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、蕪と椎茸と若布の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 「やまだ宴楽」のお通しの鮪のサラダ、刺身の盛り合わせ、玉子焼き蟹クリームコロッケ、「三岳酒造」の芋焼酎「三岳」(お湯割り)


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2025.5.22(木) 忘備

上澤梅太郎商店は土曜日は平日の倍、日曜日は3倍ほど忙しい。ところがタイから戻った日、つまり今週火曜日の売上げ金額は、先週土曜日のそれに肉薄するものだった。長男に訊いても理由は不明。「そのかわり別の日に失速」とならないよう、気をつけたい。

昼からは今日も隠居へ移動をして、数時間ほども仕事をする。庭は万緑。座敷とは目と鼻の先の梅の木には直径3センチメートルほどに育った実が認められるものの、地面に落ちた実もまた少なくない。紀州の梅は、昨年は大不作だった。そして今年の状況も良くないと、業界紙は伝えていた。それは、どのような理由によるものだろう。

道の駅「日光街道ニコニコ本陣」には、配達係のイザワコーイチさんが休みの日には、日に3度は行って、売り場の掃除や納品を行う。その3度目は15時30分のころ。ふと気づくと、昼すぎにいきなり降ってきた雨が上がって日も差している。よって帰りには如来寺のお墓に寄って、タイへ出かけようとしていた11日に供えた花を片づけ、花立てと線香立ての周辺を水で洗う。

夕刻に到って、ふた月に1度ほど診察をしてもらっている病院に行き忘れたことに気づく。来週の日程を考えれば、病院には今週中に行っておく必要がある。そして「たとえカレンダーに忘備を記してあっても、念には念を入れて、その前日には机上にも追加の忘備を貼る必要があるな」と、反省をする。


朝飯 生のトマト、菠薐草のソテー、スクランブルドエッグ、牛肉と椎茸のすき焼き風、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、葱坊主の天ぷらとカラシ菜と若布の味噌汁
昼飯 「カルフールキッチン」のおこわ弁当、生のトマト、おかずあれこれ、胡瓜と蕪のぬか漬け
晩飯 切り昆布の炒り煮、豆もやしのナムル風、揚げ春巻き、玉子の中華風スープ、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)


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2025.5.21(水) あとはよろしく

まぶたの内側が明るい。「さては部屋の電気を点けっぱなしで眠ってしまったか」と悔やみつつまぶたを開く。明るさは天井の明かりではなく、カーテンに差す朝日だった。きのうの就寝は21時ころ。今朝の目覚めは5時。8時間も眠り続けたのは、飛行機の中での寝不足によるものだろう。すぐに起きて、仏壇へのお供えをするなどの、朝の諸々を始める。

今日は月に1度の店休日。しかし都合のつく社員はすべて出社をして、普段の仕事の他、話し合いや社内の整備を行う。午前、その話し合いのため隠居へ赴くと、座敷に差し込む夏の日の一部を遮るための、グリーンカーテンが作られていた。

午後からは全員が2階の資材置き場へ上がり、取り置くべきものには赤、捨てるべきものには青、取り置くか捨てるかについて相談の必要なものには黄色のステッカーを貼っていく。青いステッカーを貼られたものの整理は来月の店休日に行う。そのことは作業の前に知らされていたものの、皆、走り出したら止まらない慣性のようなものに取り憑かれて、階下の一角には処分すべきものが早くも山になった。

来月の店休日には、僕は不在になる。「あとはよろしく」である。


朝飯 鮭の「日光味噌と粕漬け」焼き、スペイン風目玉焼き、納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、葱坊主の天ぷらとカラシ菜の味噌汁
昼飯 「カルフールキッチン」のおむすび弁当、いちご
晩飯 “JOHNNEY’S CAFE 638″のフォカッチャトリッパの煮込みブレシア風ゆばとたけのことたまり漬「鬼おろしにんにく」と山椒のキッシュ鰯のブカティーニ牛テールシチューカラフの赤ワインバスクチーズケーキ、おまかせのウイスキー(生)


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2025.5.20(火) 日本は5月

70Hの座席の背もたれを最大に倒し、amazonで購入した、航空会社がただでくれるものより格段に優れるアイマスクを着けても眠気は訪れない。

01:40 ふと気づいてアイマスクを外す。いつの間にか眠っていたらしい。機は南シナ海の北部を飛行中
03:00 またまたふと気づくと僕の左手すぐ後ろに朝食を運ぶワゴンが来ている。「眠れない」と焦燥しても、またまたいつの間にか眠ったらしい。朝食は3分の1ほどしか食べられず。それはそうだ、時刻はいまだ3時。睡眠時間は2時間ほどのものだろう。機は沖縄の上空を飛行中
03:27 最後尾ちかくの通路側に席を占めていれば、朝食のトレーは自分でギャレーに片づけられる。その帰りにラバトリーに入り、備えつけの歯磨きセットで歯を磨く

03:32 機の揺れが激しくなる。乗客はシートベルトを締め、客室乗務員はそれぞれの席へ戻るよう、アナウンスが流れる。
03:55 機は四国と紀伊半島のあいだの数百キロメートル南方を飛行中。
04:30 「羽田空港には日本時間で7時に到着」のアナウンスが流れる。
04:55 TG682は定刻の日本時間06:55ちょうどに羽田空港に着陸。以降の時間表記は日本時間とする

07:10 機外に出る。
07:15 入国審査場を通過。
07:56 「まさかロストバゲージでは」と心配になるころ、ようやくスーツケースが回転台から出てくる。
07:57 税関を通過。
08:13 羽田空港第3ターミナルを京急空港線急行京成高砂行きの車両が発。

ホテルのwifiが使えない状況で、MG会場のwifiを頼りにローカルのエディタからWordPressに文章を写し、ホテルで加工した画像をはめ込み忙しなく公開した先週金曜日の日記を京急線の車内でiPhoneを使って読む。その結果、誤字のとても多いことに気づく。

09:02 京急空港線急行京成高砂行きの車両が都営浅草線の浅草に着。
09:13 京急空港線急行京成高砂行きの車内で特急券を確保したリバティ会津113号の席に着く。
09:30 リバティ会津113号が浅草を発車。次の北千住に着くまでに、先週金曜日の「タイ日記(5日目)」の誤字すべてを直す

11:10 リバティ会津113号が下今市に着。ローカルのエディタに書いておいた、先週土曜日と日曜日の日記は画像も含めて車内で完成をさせた。駅に迎えに来てくれた家内が「暑いでしょ」と同意を求める。しかし僕は、日本の5月の爽やかさのみを感じている。

帰社して以降は自宅に上がって荷物の整理をする。ついでに素麺を煮て、これを昼食とする。そうして事務室に戻ると、僕の机の上には先週月曜日からの郵便物や書類が山になっている。遁世すればこのようなものは目にしなくてよくなるのだろうけれど、「このようなもの」からは死ぬまで逃れられなさそうな気もする。


朝飯 “TG682″の機内食
昼飯 にゅうめん
晩飯 鯛の煮付け、炒り豆腐、胡瓜と蕪のぬか漬け、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、豚薄切り肉とグリーンアスパラガスのソテー、メシ、「片山酒造」の「素顔純米吟醸」(燗)


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2025.5.19(月) タイ日記(8日目)

きのう一昨日とおなじ理由により、5時30分にロビーに降りる。そしてきのう一昨日とおなじくソファに座った膝の上にコンピュータを開き、ローカルのエディタにてきのうの日記を書く。また、部屋の電源はテレビのそれ以外は死んでいるため、ソファの横のコネクタにてiPhoneを充電する。

さて最終日の今日にすべきことで欠かせないのは、きのう洗濯屋に預けた洗濯物の回収、および土産の購入だ。ウチはおじいちゃんが土産を配ることを好んだたため、その習いが今にまで続いている。業界の旅行に行くと、社員に土産を買うのは僕くらいのものだから、世間一般がウチと同じ、というわけではないらしい。

8時がちかくなったところでIKEAのトートバッグを提げて外へ出る。洗濯屋は大通りを挟んではす向かいにあるものの、横断歩道の無いところで道を渡ることは、この通りに限っては危なくてできない。よってアソークの大きな交差点まで戻って反対側の歩道を北へ歩く。洗濯屋にはきのうとおなじ女の子がいて、僕の持つ控えと仕上がった洗濯物の伝票を注意深く照合し、洗い上がった衣類を手渡してくれた

その、結構な大きさのプラスティック袋を部屋へ置き、ふたたび外へ出る。そして最初の、大通りの店には思うような品が無かったため、麺やお粥の屋台がふたつみっつ出ているだけのソイカウボーイを抜けてsoi23に出る。そして2軒目となる店で、できるだけ嵩張らないものを買い物カゴに入れる。

それらを提げて部屋へ戻る。そして洗濯屋が仕上げた衣類を圧縮袋に詰め、また買ったばかりの土産もスーツケースに納めて、荷作りのあらかたを終える。

ここで時刻は9時がちかくなった。腹は減っているものの、今日は近場では済ませない。先ずは部屋のコンセントが役に立たないことをレセプションのオネーサンに説明し、その上で、コンピュータに充電をしてくれるよう頼む

部屋に戻って今度はタイのセブンイレブンのエコバッグに本と財布とiPhoneを入れて外へ出る。そしてBTSで東にふた駅のトンローに移動をする。ホテルを出るときの弱い雨は、雷雨に変わっていた。閉じていた傘を再び開いてsoi53とsoi55のあいだの狭い道を北へ歩く。しかしトンローのsoi1までは行かない。右手のカフェの名は”Herringbone”。ここで朝昼兼用の食事を摂る。

僕の着いた大テーブルの端では「君、そんなにたくさんのもの、食えるわけねぇだろ」という量の、いかにも見ばえのする料理と飲み物を、若い女の人がいつまでもDJIのカメラで撮っている。その行いは、僕が注文した品をすべて食べ終えても、なお続いている。「つまり彼女は客ではなくて、広告代理店のカメラマン、ということか」と納得しかけたところでその女の人はふたり分の料理と飲み物を隣のソファ席に移し、そこで男の人と食べ始めた。

「見ばえのする料理の動画をSNSに上げ、多くの承認を得ることによる満足感の方が、作りたてを愉しむよりより上」という価値観を否定するものではない。しかし料理を作る人からすれば、それは面白いことでは決してないだろう。「男の方も、よくもまぁ黙って待っているものだ」と、大いに感心をする。というか、呆れる。

カフェのテーブルでは2時間ほども本が読めた。次はBTSでひと駅を戻ってプロンポンで降りる。そしてこの旅で3回目となるマッサージ屋に傘を返す。ここで「それでは」と去ればお金を使わずに済むところ、窓の無い湿気た部屋に戻る気もしない。天井の灯りのよく届く寝椅子を指定して、2時間の足マッサージを受ける。料金は600バーツ。オバサンには150バーツのチップ。

バンコクに来て以降、盛り場の鮨屋を訪ねるなどの「よそ行き」を除いては、ユニクロの緩いズボンを穿いている。そのズボンに大きな油染みのあることにきのう気づいた。油気のあるものをいくら食べこぼしても、これほどのシミはできないだろう。しばらく考えて、それは脚をマッサージされたときの油によるものと考えが到った。シミは、普通の洗濯でも落ちるだろうか。

帰国日の残り時間はいまだ潤沢にある。プロンポンの駅の北側を広範囲に歩き、あれやこれやを見る。看板は日本語がほとんど、という通りもある。スクムヴィット線のサイアムからトンローのあいだに宿を取れば、便利さはこの上ない。しかしそこここで日本語を目にする、あるいは耳にする、そのことにより旅の感興が削がれる、ということはあるだろう。

午前に洋風の食事を摂ったら、午後にはもうタイ料理が恋しくなった。プロンポンからアソークの部屋へ戻り、シャワーを浴びて外へ出る。アソークの大通りをはす向かいの角へ渡るには、横断歩道を渡るより空中歩道を伝った方が時間は節約できそうだ。しかし今回は敢えて横断歩道を選ぶ。そして夜の駅から眺め降ろせばいつも満席の人気店で、早めの晩酌を始める。空港まではスーツケースを曳きつつ電車で行くことを考えて、ラオカーオは封印してビールにしておく。

料理ふた品とビール2本の料金は500バーツちょうど。物価の低い田舎が主戦場の僕からすれば、仰天するほどの高値だ。その値段でも日の暮れるころには観光客と在住外国人で鈴なりになるのだから、店側の値付けは正解なのだ。客は多分、バンコクの真ん真ん中にあるにも関わらず古き良き時代のバンコクを味わえる、そんなところが気に入ってこの店に来るのではないか。ホテルまでは横断歩道は使わず、駅から伸びる空中歩道を伝って戻る。

19:07 シャワーを浴び、歯を磨く。
19:37 ホテルを出る。
19:44 MRTの車両がスクムヴィットを発。
19:45 その車両がペチャブリーに着。
19:55 エスカレータと空中歩道を使ってエアポートレイルリンクのマッカサン駅へ移動。スワンナプーム空港までの料金は35バーツ。頭と顔は既にして汗まみれになっている。

19:58 ARLの車両がマッカサンを発。次のラムカムヘンから座れる。空港の3駅手前のラックラバンでほとんどの乗客が降りるわけは何だろう。
20:21 ARLの車両がスワンナプームに着。
20:34 4階のDカウンターで、タイ航空の職員の手を借りてチェックインそして荷物預けを完了。スーツケースの重さは13.9キログラム。

20:43 エスカレータを上がって保安検査場を通過。羽田とは異なって、コンピュータはバックパックから出すよう言われる。今回はトリッペンの、ブーツではなく短靴を履いてきたため、靴は脱がされずに済む。
20:45 出国審査場を通過
20:52 シャトルトレインの車両がメインターミナルを発
20:54 その車両がサテライトターミナルに着。

21:05 3月にはカードの会員証で入場を断られたミラクルラウンジに、今日はiPhoneに仕込んだデジタル会員証を見せて受付を通過。腹は減っていなかったものの「折角だから」と、いささか乾き気味のサンドイッチを肴にして南アフリカ共和国のカベルネソーヴィニョンを飲む。また、空港に来る途中で汗をかいたため、シャワーを借り、半袖のTシャツを、襟の高い長袖のシャツに着替える。
21:52 ミラクルラウンジを去る。
21:53 ボーディングパスに指定されたS112Aゲートに着く。ここでジャージー地のカーディガンとウインドブレーカーを長袖のシャツに重ねる。
22:40 なぜかS112Bゲートから搭乗開始。

自分の背もたれの後ろには空間があるばかりの70Hの席に着く。そして最後尾のギャレーにいた男の客室乗務員に「薬を飲むのでコップの水をください」と声かかける。彼は水のペットボトルをひとかたまりにしているプラスティックの幕を専用の器具で切り裂き、その中から1本を取り出して、手渡してくれた。

23:11 Boeing777-300ER(773)を機材とするTG682は、定刻から26分おくれてスワンナプーム空港を離陸する。


朝飯 ”Herringbone”のクロックムッシュ、ソルティカラメルラテ
晩飯 “Suda Restaurant”のホイライパットプリックパオバミーヘンシンハビール


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2025.5.18(日) タイ日記(7日目)

きのうとおなじ理由により、5時をまわった頃合いを見計らってロビーに降りる。そしてきのうとおなじく、ローカルのエディタにてきのうの日記を書く。きのうと異なっているのは、枕元のコンセントがUSB、AC共に電力を供給しなくなったこと。よって今朝は壁に掛けられたテレビをずらし、そのコンセントからiPhoneを充電した。

空は曇っているものの、有り難いことに雨は降っていない。「さて、日曜日の今日も開いているだろうか」と、ホテルから徒歩10秒の、朝から昼にかけては人通りも疎らなソイカウボーイを西から東へと抜ける。きのうより20分ほど遅れて入ったsoi23の食堂は、早くもほとんどのテーブルが埋まっていた

部屋に戻って今度は、木曜日に洗濯をして以来の洗濯物をプラスティックバッグに入れ、てアソークの大通りを渡る。Googleで見つけたクリーニング屋”Super Clean”はGoogleの情報の通りに営業中で「タイらしくねぇな」と思いつつ、しかし嬉しいことは嬉しい。店にはそれほど大きくもない洗濯機と乾燥機が1台ずつあった。量りに載せた洗濯物は1.07キログラム。料金は132バーツだった。伝票に記された完成時間は本日の17時。店番の女の子には、引き取りは明日になると伝えて店を出る。アソークのような大都会の真ん中に、今もこのような洗濯屋のあることは貴重だ

バンコクMGの会場には8時45分に入る。きのうの日記に書いたように、ホテルのwifiでは日記を書くためのブラウザが開かない。そのためMG会場のwifiを借りておととい金曜日の日記に画像を添え、あわただしく「公開」ボタンをクリックする。

第19回バンコクMGの2日目は、予定通り9時15分より始められた。講師のタナカタカシさんによる講義は太い線による図を多用し、難しいことを易しく説くための比喩も的確だ。そして第4期のゲームに先だって、きのうの第3期に663円で売上高1位を記録した僕は、第4期の市場の状態や経費の倍率を決めるサイコロを振る。出た目は6。これは厳しいことになった。

その第4期の僕の売上高は1,110円で、自己資本は第1期初の300円から378円に伸張した。しかしこの期の売上高1位はモロタカヒロさんに明け渡した。

MGでは、昼食のあいだにスピーチの順番が回ってくる。出されたテーマは「私とコンピュータ」または「1日半やってみて」。このときの、日本語は片言、MGには初の参加というタイ人チェンさんの、身振り手振りを交えた饒舌な感想には大感動をした。生まれて初めてのMGでは、その辛さに耐えかねて2日目は出てこない、という人もいる中で、言葉のハンディキャップを背負いつつ大きな気づきを得たチェンさんの、今後の明るいことを祈らずにはいられない

食後は第5期を前にして、第4期で売上高第1位を記録したモロさんがサイコロを振る。その第5期において、否、一見、上手く行ったかのように思われた第4期から、ゲーム下手の僕の命運は決まっていたのだ。リスクカードによりふたつの戦略チップを失って以降は安値の市場に活路を求めたものの、最後は小さな荒利を稼ぐことに汲々として赤字に転落。自己資本は265円に落ち、債務はその自己資本を超過した。これがまぁ、僕の実力である

第5期は、期初にサイコロを振ったモロさんの圧勝。僕は第2期と第3期の売上高区間賞、第2期から第5期までA卓を維持した4A、そして第5期の決算順位1位の計数力に爪痕を残すに留まった。バンコクMGには、その開催日が上澤梅太郎商店の外せない日程に重ならない限り、今後も年に一度くらいは参加をしようと考えている

さて今夜の皆との会食はムーカタ。いかにも「タイに来た」と感じさせてくれる食事は嬉しい。そして歓談は2時間ほども続いた。

夜のモントリ通りはいつまでもクルマの往来が激しいそしてアソークの交差点を渡ってホテルに戻り、21時すぎに就寝する。


朝食 “JOK RUAM JAY”の2種のおかずのカオゲーン
昼食 バンコクMG支給の弁当
晩飯 “LIB STORY”のムーカタ、ソムタムタイ、ヤムウンセンムーサップエンコーカイ、他あれこれ、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


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2025.5.17(土) タイ日記(6日目)

目を覚ましたのは3時30分のころ。枕頭のiPhoneを引き寄せると、きのうの就寝前に枕元のUSBコネクタに電源コードを差し込んでおいたにもかかわらず、バッテリーの残量が10パーセントになっている。コネクタは経年劣化によるものか緩い。即、隣のACコネクタにコードを繋ぎ直す。

部屋にコンピュータを開く空間の余裕は無い。よって5時になったところでロビーへ降りる。そして、おとといの日記を完成させるべく、ソファに腰かけ、膝に載せたコンピュータの電源を入れる。wifiには、きのうの設定にて簡単に繋がる。ところが日記を書くためWordPressを開こうとすると、ブラウザには安全を確保できない旨の警告が出て、先へ進めない。

試みにメーラーを回すと、こちらはいつものように巡回する。facebookも開く。他の一般のウェブページも閲覧できる。パスワードを必要とするサイトにはアクセスができない、ということなのだろうか。仕方なくローカルのエディタを開き、きのうの日記はどこまで書いただろうかと記憶を辿りつつ、続きの部分を書いて保存する。

朝食は、週末の朝7時40分にもかかわらず有り難いことに営業を始めていたsoi23の食堂。ここで今回の訪タイでは初めてになるカオゲーンを注文する。ごはんに2種のおかずを載せて価格は60バーツ。ヤワラーの簡素な粥が70バーツだったことを考えれば、驚くほど安い。おかずに混じっていた、皮の下に豊富なゼラチン質を蓄えた魚は何だろう。

さて今日は第19回バンコクMGの初日にて、その場所を確かめるべく、一旦戻った部屋から外へ出る。facebookページの案内は紙に印刷して持っている。講師のタナカタカシさんから送られた、GoogleマップのURLも届いている。会場は、アソークの交差点の北東の角。つまりバンコクでもっとも便利な場所。言葉を換えればバンコクで1、2を争う地価の高いところだ。しかしそこに建つビルの中の、一体全体、どこに会場があるのかが分からない。よって朝はやくから迷惑とは思ったものの、そのことについてタナカさんにメッセンジャーで案内を請うておいた。

間もなく戻ったタナカさんからの返事に従って、空中歩道からInterchange21ビルに入る。そうして歩きまわった結果、ULという日本には無い階に会場となる”PERSONNEL CONSULTANT”をようやく見つける。すっかり安心してアソークの交差点に出ると、ちょうど向いからタナカさんと助手のシミズタカヒロさんが歩いてくるところだった。

第19回バンコクMGは、9時30分に始まった。参加者のうち、日本から来たのは僕とモロタカヒロさんの2名のみ。他はすべて現地からの参加で、中には日本語が片言のタイ人もいる。インドシナにMGを広めようとしているタナカさんは、ハノイでもMGを開催するようになった。それに伴って、バンコクMGは以前の年4回から2回に減った。そのためか、2日間で5期分の経営を盤上に展開するMGの、第1期を前にしての講義は通常より長いものになった

ところで僕のMGは、1991年から始めて今年で34年目になるにもかかわらず、ゲーム運びは異常に下手だ。頭がおかしいのではないかとさえ考えている。よってゲームに臨んでは余裕など無い。「窮鼠」のように、いつも怯えている。そうして始まった第1期に2枚目の研究開発チップを買うと、右隣でゲームに参加しているシミズさんに「ウワサワさん、ガチですね」声をかけられる。「ガチ」もなにも、当方は「会社を倒産させないこと」しか頭にない「窮鼠」である

その、事実上の「勝負開始」である第2期から僕は黒字、売上高は参加者中の第1位を記録した。珍しいこともあるものだ。一方、日本語は片言、漢字は読めない初参加のタイ人チェンさんは、皆に遅れつつもマトリックス決算書による決算を無事に完了させた。僕は自分が初心者だったころの決算のひどさを思い浮かべて、思わず拍手をする。その拍手はすぐに、会場全体に広がった。

第3期の市場の状態や経費の倍率を決めるサイコロ振りは、第2期の売上げトップ、つまり僕が振る。そしてその第3期においても僕の売上高は参加者中の第1位。「アソークの交差点でクルマに撥ねられて死んだりして」と、思わず冗談を洩らす

その第3期の決算を全員が終わろうとするうち19時が近づく。ここで本日のカリキュラムは修了。Interchange21ビルの裏口から皆と出た僕は、ひとり離脱をしてホテルに戻る。そしてトートバッグのコンピュータをスーツケーへ納め、ペットボトルに小分けしたラオカーオを取り出す。スーツケースに鍵を掛けることは忘れない。そして賑わい始めたソイカウボーイを抜けてsoi23を北へ急ぐ。

交流会場”Wanakaam”の門の前には申し訳ないことに、シミズさんが僕を待っていてくれた。以降は次々と運ばれるタイ料理を肴にラオカーオのソーダ割りを飲みつつ皆と歓談を尽くす。そのかたわら明日のゲームにはどのような工夫を凝らそうかと考えても、妙案は浮かばない。そんなものが浮かべば、ハナから苦労は無いのだ。


朝食 “JOK RUAM JAY”の2種のおかずのカオゲーン
昼食 バンコクMG支給の弁当
夕食 “Wanakaam”のプーパッポンカリートードマンクンソムタムタイパットパックブンファイデーンコームーヤーンヤムウンセンタレーパッタイ、他あれこれ、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


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2025.5.16(金) タイ日記(5日目)

きのうは18時30分ころに寝に就き、22時すぎに一度、目を覚ました。隣の部屋のテレビの音が、薄い壁を通して聞こえていた。ヤワラーの大通りからは、群衆となった観光客の声が、二重窓を通り抜けて届いていた。そこでに二度寝に入れたのは幸いだった。次の目覚めは1時30分のころ。次は3時30分のころで、以降は起きてしまうこととした。

7時45分の朝食の会場に、宿泊客の姿はすくなかった。きのうの日記は画像のはめ込みも含めて9時20分に完了した。以降は今日の日記のここまでを書く。更に書き続けることもできるものの、いつまでコンピュータにかじりついて以降の時間を忙しくする、という悪癖が僕にはある。それを知っているから9時54分にコンピュータを閉じ、荷物をまとめることにする。

チェックアウトは10時45分。ワットマンコンの駅まではスーツケースを曳いても徒歩3分。とても小さな粒の雨が、ほとんど何も濡らさないだろう疎らさで降っている。

東へ向かうMRTの車両が発車をしたのは11時1分。さてアソークへ行くにはどこで乗り換えるべきだったかとスマートフォンを取り出し、バンコクの路線図を見る。ワットマンコンからアソークまでは、スクムヴィットで降りれば乗り換えは不要だったことに改めて気づく。

11時14分にMRTの車両の着いたアソークは、僕の感覚からすると新宿の都庁側のような感じで、あまり好きなところではない。しかし交通の便利さはバンコクで随一だ。駅から目と鼻の先のホテルを目指してアソークの大きな交差点に沿って歩く。

するとそのホテルの前に見慣れた顔がある。手を挙げると相手は一瞬のあいだ思考が止まったような表情を浮かべ、それはすぐ笑顔に変わった。日光の片山酒造の前社長カタヤマタカユキさんの同級生であり、またコモトリケー君の後輩でもあるカトリアキナリさんだった。カトリさんはたまたま、これから僕が泊まろうとしているホテルに友達を迎えに来たところだった。海外ではしばしばこの手の偶然に遭遇する。

レセプションのオネーサンに知らされたチェックインの時間は14時。現在時刻は11時18分。よってスーツケースとバックパックを預かってもらい、今度はBTSで隣のプロンポンに移動する。そして月曜日とおなじマッサージ屋で前回とおなじ2時間の施術を受ける。その最中に大きな雷鳴が何度も聞こえてくる。オバサンには200バーツのチップ。それにしても僕がバンコク入りしてからは、毎日のように「驟雨沛然」が日に何度も起きる。オバサンは小さめながら、傘を貸してくれた。

その傘を差してホテルに戻ると時刻は14時5分。さてここからが忙しい。フロントに預けたスーツケースとバックパックを持って小さなロビーの脇の小さなエレベータに乗る。家庭用と見まがうばかりの小さなそれがゆっくりと動いて3階に着く。エレベータから廊下に出るには、自分でドアを押す必要がある。僕の部屋は目の前にあった。

明日から月曜日までは「どうせ寝るだけだから」と、窓の無い、小さな、交通至便と安さだけが取り柄の部屋を予約した。しかし一歩を踏み入れてみれば、スーツケースを開くスペースも無く、歯を磨くときのコップも無く、これは予約時から分かっていたが、椅子もデスクも無いという無い無いづくしの部屋だった。仕方なくスーツケースはベッドの上で開き、襟付きの白いシャツを取り出して、Tシャツからそれに着替える。サンダルは革靴に履き替える。そしてふたたび傘を差して外へ出て、アソークの大きな交差点を渡る。

BTSの車両が隣のトンローからなかなか来ないのは、大雨のせいだろうか。ようやくプラットフォームにすべり込んできたそれに飛び乗り、サイアムでシーロム線のバンワー行きに乗り換える。サパーンタクシンには15時2分に着いた。そうして15時10分の舟でコモトリケー君の家へ向かう

コモトリ君は既にして、火曜日に手渡した上澤梅太郎商店の商品や生野菜を食卓に並べ、また台所では火を使う準備も整えておいてくれた。「なめこのたまり炊」のフワトロ玉子だけは慣れている僕が調理し、それらにて夕食のひとときを持つ。

ベランダの向こうには、いつの間にか首都の夜景が広がっている。いつまで寛いでいたい気分だが、今いる場所からアソークは、それほど近くもない。20時発の、コンドミニアムの専用船でサパーンタクシンに渡る。そうしてBTSにて来た道を逆に辿ってアソークには20時42分に着く

部屋に戻ってシャワーを浴び、備えつけのガウンなどないからスーツケースの圧縮袋からパジャマを取り出す。部屋が狭すぎるため、必要なものをあらかじめ出しておく、ということができないのだ。そうして「もういい年なのだから、そして今やバックパッカーでもなければ、こんな節約旅はこれでお仕舞いにしよう」と決める。


朝飯 “Hotel Royal Bnagkok”の朝のブッフェ其の一其の二
晩飯 らっきょうのたまり漬「ピリ太郎」とナチュラルチーズのカナッペ、野菜スティックの「辛ひしお」添え、牛肉の鉄板焼き「鬼おろしにんにく」添え、「なめこのたまり炊」のフワトロ玉子、たまり漬「ホロホロふりかけ」のまぜごはん、日光味噌のフリーズドライ味噌汁”with Love”、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


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2025.5.15(木) タイ日記(4日目)

南の国では、日当たりの良い部屋は、却って嫌われる。僕のいる1108号室の窓は西を向いている。その西の空には傘をまとっているものの、月が見えている。「今日の天気は、いくらかは良くなるだろうか」と期待をした瞬間、雷光が走る。

旅に出て3日目ともなれば、また僕は観光などはしないから、特筆するようなことは少なくなってくる。そのお陰できのうの日記は朝食の前に書き終えた。

朝食の会場へ向かうには服を着る必要がある。昨夜はシャワーを浴びなかった。新しいシャツに袖を通す前にはからだを洗っておきたい。よってシャワー室に入るも、今日も水は熱くならない。仕方なく、ぬるま湯にはほど遠い水を全身に浴びつつ「インドの安宿でもあるめぇになぁ」と、バックパッカーをしていたころのことを思い出す。

さて今日は洗濯の日にて、袋に集めておいた5バーツ硬貨10枚、1バーツ硬貨10枚、それに100バーツ紙幣1枚を手にフロントに降りる。そしてそれらを10バーツ硬貨16枚に替えてもらう。フロントのオネーサンは、10バーツ硬貨を10枚と6枚に分けて、それぞれをセロテープで巻いて渡してくれた。

部屋に戻り、日曜日に家を出てから昨日までの洗濯物をクローゼットの引き出しから出し、IKEAのトートバッグに入れる。9階の洗濯室の、液体の洗剤と柔軟剤はカゴに無造作に入れてある。そこから洗剤のみを取り出し、サムソンの洗濯機のしかるべき場所に絞り出す。

洗濯機に洗濯物を入れ、洗濯機の右手に取り付けられた投入口に10バーツ硬貨10枚を入れる。すると洗濯機はコントロールパネルのいくつかの場所を賑やかに光らせ、水も流れ始めた。人がすべきことは10バーツ硬貨10枚を投入するのみだった。これは楽だ。”Delay End”の文字のある脇の液晶には58の数字が出ているため、iPhoneに58分間のアラームを設定して部屋に戻る。

そのアラームが残り1分になったところで部屋を出て洗濯室へ向かう。洗濯機の”Delay End”には「1」の数字があった。洗濯室には広い窓があり、タイに入って4日目にしてようやく雨雲のない街が見晴らせた。洗濯機が電子音を発して止まる。次は隣の、今度は”Whirlpool”と社名のある乾燥機に洗い上がった洗濯物を入れる。10バーツ硬貨5枚を投入すると、そこには「25」の数字が出た。今度はiPhoneに25分間のアラームを設定して部屋に戻る。

洗濯は至極簡単に完了した。wifiが安定しない、シャワーから温水が出たのは2日目まで、工事によりスイミングプールが閉鎖されることを予約客に知らせてこないなど、このホテルは突っ込みどころは満載だが、ワットマンコンの駅から徒歩3分という利便性はとても魅力的だ。大通りとその周辺の食べ物屋の料金は高いものの、すこし歩けばバンコクの平均になる。よって気が向けば、僕はまたこのホテルを選ぶかも知れない。

さて時刻はいまだ9時30分。本を読む環境が欲しい。よって座り心地の良いソファを備えたカフェでもありはしないかと、セブンイレブンのトートバッグに本を入れて外へ出る。歩いたのはヤワラーの大通りの南側。

途中、ホテルの窓から見えていた、工事中のかなり大きなお寺の脇に出る。特に信心深いわけではないものの、門を入り、緑陰の下を進んで階段を上がる。無人の販売台に花と線香が置いてある。しかし蝋燭に火を着けるマッチは持ち合わせていないから、そのまま先へと進む。それをしたからといって何がどうなるわけでもないけれど、本尊らしい金色の仏像に手を合わせ、まるで体育館のように広い本堂を去る。立て札によればお寺の名前は”Wat Samphanthawong Saram Worawihan”とあって、これがタイ語になれば、更にわけが分からなくなるだろう。

炎天下を歩いても歩いても、そこには昔ながらのバンコクの街並み、そしてごくたまに、古い店を改装した画廊、古着屋、喫茶店が現れるものの「座り心地の良いソファ」はどこにも見つからない。そうするうちチャオプラヤ河畔に行き当たり、きびすを返す意図して建物と建物のあいだを歩き続けるうち今度は靴屋ばかりの並ぶ小路に出る。そうしてそこを抜ければ何と、初日の夜にオースワンを食べた食堂「笑笑酒楼」が間近にあった。

チェンライに滞在をしているときには、朝食をたっぷり食べれば昼食は不要と考えるほど腹は減らない。それは頭を使わないせいと考えていた。しかし今夏のバンコクでは、頭を使わないことはおなじでも、腹はなぜか減る。正午にはいまだかなり間のあるころにホテルを出て、ちかくの店で餡かけ麺を食べる。ホテルまではわざと、建物と建物のあいだの、昼なお暗い路地を辿って戻る。

正午を過ぎることにふたたび外を出て、おといからずっと通っているマッサージ屋で2時間の足マッサージを受ける。今日もまたその途中で眠ってしまって本はほとんど読めず。料金は600バーツ。悲鳴を上げる寸前という絶妙の強揉みをしてくれたオニーチャンは200バーツのチップ。

それにしても、プールサイドの寝椅子を与えられなければどれほど本が読めないか、ということが今回は良く分かった。しかし本は読みたい。ちかくのホテル「上海マンション」の入口は、夜はバンドの演奏もあるレストランになっている。外からの壁はなく開放的だが、天井からの冷気は歩道にまで及んでいる。ここに14時30分に出かけてマンゴースムージーを注文し、1時間30分ほど滞在をした。ライオネル・バーバー著「権力者と愚か者」は71ページまで進んだ

さて17時もちかければ夕食、ということになる。ホテルはヤワラーの繁華街の真ん真ん中にあり、一般には美味い食べ物屋の集合体、ということになっている。ちかくにはピブグルマンの店も点在し、そのようなところは僕の見たところ、18時までは空いている。しかし数分ほども考えた末、きのうとおなじ店に出かけることとする。僕が第一に求めるのは、美味さではない。南の国らしい屋外の席での、本を読みながらラオカーオを飲みながらの、更には押しかける客に遠慮をしなくてもよい食事、である。

部屋には早くも18時に戻ってしまった。そしてすることは何もない。相変わらず冷たいシャワーを浴び、ナイトガウンを羽織って寝台に上がる。外はいまだ、明るい。表の通りからは、いまだ人々の声は上がってこない。ヤワラーの夜は、いまだ始まっていないのだ。


朝飯 “Hotel Royal Bnagkok”の朝のブッフェ其の一其の二
昼飯 「如意」のミークローブラートナー
晩飯 “Aiem Pochana”のビーフンと魚貝類の炒めラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


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2025.5.14(水) タイ日記(3日目)

きのうの就寝は、僕としてはとても遅かった。それにもかかわらず、今朝は4時台に目が覚めた。焼酎やジンを随分と飲んだ記憶がある。しかし気分はそれほど悪くもない。

昨日の日記にも書いたように、南の国の夜明けはそれほど早くない。そのこともあって、カーテンを早々と開けることはしない。6時がちかくなってそれを横にずらせてみれば、空は既にして明るかった。天気はきのう一昨日に引き続いて、あまりよくない。それでも数分のあいだは日が差した。

「あれだけ飲み食いをしたにもかかわらず、大したものだ」と思わざるを得ないけれど、腹が減っている。14階の食堂に上がって朝食を済ませ、部屋に戻ると時刻は7時45分。窓の外に雷光が走り、雷鳴も届く。雨季でもないのに雨続きとは、一体全体、どういうことだろう。

きのうの日記を書き終えると11時がちかくなっていた。とにかく屋上のプールが使えないのだから、どうにもならない。更にこの天気では、いずれにしても、外の寝椅子で本を読むことはできなかっただろう。

傘を差さなくてもどうにかなるほどの雨の中を、暗い路地を選んで北へ歩く。チャルンクルン通りに出たところで向かい側の歩道に渡り、東を目指す。すると左手に、金色の鍋で豚足を煮る清潔そうな店があったため、歩道から数段を上がって席に着く。時計は見ていなかったものの、早めの昼食になった。そして今日のカオカームーは、初日のプロンポンのそれとは異なって、かなり美味かった。

そのチャルンクルン通りを今度は西へ戻り、きのうと同じマッサージ屋「泰満足」に入る。GoogleマップではPhadung Dao Rd.に表示される「泰満足」だが、ヤワラーの大通りからワットマンコンの駅に続くPlaeng Nam Rd.にもまた、おなじ名の店があるのだ。コースはきのうとおなじ足マッサージを2時間。今日のオネーサンはそれほど上手でなかったため、チップは100バーツ。「権力者と愚か者」は、眠ってしまって1ページも読めなかった。

マッサージ屋の寝椅子でふと「今日は洗濯の日でなかったか」と気になり、部屋に戻って壁の日程表を見る。洗濯ははたして明日の備考欄に忘備があった。念のため洗濯室のある9階へ降り、案内に従って廊下を往く。ホテルの北西側に設けられた洗濯室には洗濯機3台と乾燥機2台があった。明日になってから慌てないよう、両者の使い方を記した壁の張り紙をザッと読んでから写真にも納めておく。その文章は以下。

WASHING MACHINE
1.Put clothes in tha machine and spread them out for effective washing.
2.Fill detergent and softner in the designated compatrments.
3.An alarm will active when the wash has finished.

DRYER MACHINE
1.Put clothes in tha machine and spread them out for effective washing.
2.n alarm will active when the DRYER has finished.

乾燥機は兎に角として、洗濯機にはたくさんのボタンがある。果たしてこれだけの説明で、僕は洗濯をすることができるだろうか

とにかく時間だけはたくさんあるから、部屋でコンピュータに向かううち、2018年3月26日から29日にかけての、フアヒンとバンコクでの日記の最下部に置いた3枚並びの画像が2枚しか表示されていないことに気づく。そしてこれを、いささか苦労しつつ復旧させる。

17時になりかかろうとするころ、トートバッグに本とラオカーオの小瓶を入れて外へ出る。そうしてワットマンコン駅の通りを抜け、7月22日ロータリーに近づいていく。楽宮旅社に逗留していた20代はじめのころには、このロータリーのタイ語の名をどうしても覚えられなかった。それは今もおなじである。

タイに来たら、夕食は、いかにもタイらしいところで摂りたい。それが今回は3日目にしてようやく叶った。路上に置かれたステンレス製の席に着き、牛鍋、ソーダ、バケツの氷を注文する。その鍋が美味いかどうかは、さして問題ではない。旅先での食事に僕が求めるのは「日本ではできない経験」である。

「ヤワラーの観光客がこのまま増え続ければ、このあたりもやがてははカオサンの2本奧の通りのように、洒落た店が建ち並ぶのではないか」と思わせる、今はどうということもない通りを歩いて大通りに戻る。昼の雨は上がったから、通りはまた夜遅くまで賑わうだろう

シャワーの水が、いつになっても熱くならない。シャワーは昼に浴びて後は汗もかいていないため、備えつけのナイトガウンを羽織り、いまだ19時になりかかるころではあったものの、寝ることにする。


朝飯 “Hotel Royal Bnagkok”の朝のブッフェ其の一其の二
昼飯 チャルンクルン通りの名前を知らない店のカオカームー
晩飯 “Aiem Pochana”のモーファイ(全部入り)ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


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上澤卓哉

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