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清閑 PERSONAL DIARY

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2018.6.20(水) 辛ひしお

みやげは何を望むかと、バンコクに住む同級生コモトリケー君に、ちょうど1週間前の水曜日にメッセージを送った。返った答えは「辛醤」だった。

「ひしおは魚の清蒸に使う」とシンガポールのお客様に教えていただき、僕はその「ひしお」を今年の3月にタイへ持参した。そしてチャオプラヤ川沿いの馴染みの料理屋に持ち込み、ニンニクや香草を強く利かせたタイのものではあったけれど、そこに「ひしお」を添えてみた

僕の感覚からすれば「ひしお」はやはり、香りの淡い、広東の清蒸にこそ向くようだ。しかしタイのそれに合わせても勿論、悪くはなかった。

ところでその川沿いの料理屋で、鱸の腹の上に「ひしお」を盛る僕の手を「あまり使うな」とコモトリ君は制止した。そして「もったいねぇ、残りはオレがもらう」と続けた。

コモトリ君は仕事柄、タイ人を自宅に呼んで接待をすることがある。3月に僕が残していった「ひしお」をどのように使ったかは不明ながら、それはタイ人にも評判で、すぐに底を突いてしまったという。そこまで言ってくれれば当方は嬉しいから、大きなビンを探し、それをフクダナオブミ製造顧問に手渡しつつ「辛ひしお」で満たすよう頼んだ。「辛醤」なら当然「辛ひしお」だろう。

ところがこの日記を書くにあたって3月の日記を調べると、持参したのは「ひしお」の方で「辛ひしお」ではなかった。「辛ひしお」は、日本人の標準からすれば、かなり辛いらしい。しかし僕が自家用に使うのは、もっぱら「辛ひしお」だ。タイ人も多分、こちらの方を好むだろう。

台所の食器棚に見つけた大きなビンには、店で売る「辛ひしお」の4.5倍の1,126グラムが収まった。いくらホームパーティに使っても、これだけあれば、しばらくは保つだろう。


朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、蓮根の薩摩揚げの大根おろし添え、ベーコンエッグ、納豆、生のトマト、ピーマンと塩昆布の炒りつけ、ごぼうのたまり漬、メシ、シジミと三つ葉の味噌汁
昼飯 「麺屋ききょう」の塩つけ麺(大盛り)
晩飯 「魚がし日本一TOKYO SKY KITCHEN店」の3種の巻物


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2018.6.19(火) 四十七回忌

2ヶ月ほど前に、何の気なしに「年忌」と検索エンジンに入れて2、3のページを眺めるうち「四十七回忌 昭和47年 1972年」の文字が見えた。

僕は過去のあれこれを、元号で覚えることはほとんどできない。その数字の並んだ一行についても「昭和47年」ではなく「1972年」に目が反応して「俺の妹の死んだ年じゃねぇか」と気づいたのだ。気づけば捨て置くこともできない。如来寺の寺務所を訪ね、今日の法事を決めた。

寒かったきのうとは打って変わって今日は晴れて暑い。

朝、春日町の交差点の西側角に建つ「安全の灯」と書かれた、しかし実際には何十年ものあいだ灯りの点らない灯籠の前に溜まった砂と、そこから生えた雑草をスコップでさらう。砂は、猫車に軽く1杯ほどになった。その砂を店舗向かいの砂利の駐車場に撒き、およそ40分の作業を完了する。汗は滂沱として、ポロシャツは替えざるを得なかった。

その、本日2着目のポロシャツをワイシャツに着替え、ネクタイを締め、スーツを着て9時55分に如来寺の本堂に上がる。そうして妹の四十七回忌の法要を、クワカドシューコー住職に営んでいただく。当方は、僕と家内とのふたりのみだ。

真新しい卒塔婆を手にお墓へと歩く。気温は高いものの、湿度は低く、風は爽やかだから、朝とは異なって汗はかかない。日照により熱せられた墓石を、水を含ませ固く絞ったタオルで拭く。そして花と線香を供えて、46年前に亡くなった妹の供養を終える。


朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、ピーマンと塩昆布の炒りつけ、すり下ろした山芋と「しいたけのたまりだき」の磯辺焼き、生のトマト、切り昆布の炒り煮、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、豆腐と茗荷の味噌汁
昼飯 「ふじや」の冷やし味噌ラーメン
晩飯 トマトとベビーリーフとモツァレラチーズのサラダたまり漬「青森県田子町産のにんにくです。」と温野菜を添えたビーフステーキたまり漬「鬼おろしにんにく」のバターライス“Meursault Cote de Beaune J.F.Coche Dury 1998”


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2018.6.18(月) 地震

きのう15時30分ごろ、事務室が揺れた。事務室は1階にあり、すこしの地震なら何も感じない。地震のことをいち早く知りたいときには、僕は公のニュースではなく、twitterにアクセスをする。震源は群馬県南部、震度は5弱と知れた。

きのうの日記に書いたように、仕事を終えてから町内会へ出かけるまでの忙しい中で、仏壇の花とお茶と水を片付けようとすると、湯飲みからこぼれたお茶と水が、専用のお盆からあふれだし、仏壇の一部を濡らしていた。仏壇は4階にあって、地震が起きると、揺れは地上より強くなるのだ。

今朝、大阪で発生した震度6弱の地震については、自由学園男子部35回生、つまり僕の同級生による同報メッセンジャーで知った。その問いかけは、関西に住む、あるいは関西で活動をする同級生たちの安否を確認するものだった。徐々に集まる情報により、大方の者に被害の無かったものの、吹田市に住むヒロオカヨシヒロ君の家は食器が全滅、そして現在は靴を履いて、片づけに当たっているとのことだった。

その報せを読んで僕は、2011年3月11日に起きた、東日本大震災を思い出さざるを得なかった。その日は僕もやはり家内と靴を履き、深夜まで割れた食器の片づけをした。アドレナリンが盛んに放出されていたのか、夕食抜きで働き続けたにもかかわらず腹は一向に空かず、深夜2時を過ぎてからコーヒー2杯を飲んで横になった。

地震は怖い。今回の地震が発生したとき、関西の人たちは、関西淡路大震災を思い出して恐怖を増幅させたに違いない。今回の地震による被害のできるだけ少ないこと、できるだけ復旧の早いことを祈るばかりだ。


朝飯 切り昆布の炒り煮、生のトマト、ベーコンエッグ、納豆、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、揚げ湯波とズッキーニの味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 ピーマンと塩昆布の炒りつけ、すり下ろした山芋と「しいたけのたまりだき」の磯辺焼き、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、イケダツヨシさんの畑のらっきょうと豚肉の「日光味噌ひしお」炒め、金時豆の甘煮、鶏とマッシュルームのグラタン“Petit Chablis Billaud Simon 2015”


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2018.6.17(日) フルーツトマト

今日は、僕としては長く店にいて、販売の手伝いをした。やはり日曜日は忙しい。

店から15キロ離れた鬼怒川温泉のホテルに大きなお届けがある。お客様のご希望の配達時間は夜の宴会の前。17時に出発するハセガワタツヤ君には、配達先から自宅に直帰して構わない旨を伝える。

18時の閉店後はそのハセガワ君を欠いて、長男とふたりで3台のキャッシュレジスターを精算する。精算レシートを家内の事務机に置き、売り上げ金を金庫に納めると、時刻は18時30分。ここからが忙しい。

「人からもらったトマトが驚くほど美味かった。だから自分も即、買いに行った」と、税理士のスズキトール先生にフルーツトマトをお裾分けいただいたのは、きのうのことだ。その夜のうちに食べた、色も大きさも様々なトマトはなるほど、まるでプラムのように甘かった。

事務室から4階の食堂に戻ると18時35分。いまだ充分に残っているそのトマトを朝鮮の器に盛り、日記のための写真を撮る。ここで時刻は18時40分。

食器棚から「うすはり」のグラスを取り出し、氷で満たしてオールドパーを注ぐ。ここにあらかじめ冷蔵庫で冷やしておいたソーダを加え、最後にふたたびオールドパーを、今度はすこしだけ注ぐ。ソーダの泡を壊してしまうような気がするから攪拌はしない。

そのハイボール2杯を干すと18時52分。グラスを流しに置き、しかし洗っている時間は無い。そのまま食堂の灯りを消し、エレベーターで1階に降りて外へ出る。そして八坂祭へ向けての話し合いが19時から始まる公民館に向かって早足で歩く。


朝飯 生のトマト、納豆、冷や奴、らっきょうのたまり漬ごぼうのたまり漬、切り昆布の炒め煮、メシ、揚げ湯波とピーマンの味噌汁
昼飯 「大貫屋」のオムライス(ケチャップはかけないでね特製)
晩飯 生のトマト、カレーライス、ごぼうのたまり漬、”TIO PEPE”


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2018.6.16(土) お料理しましょう

朝、冷蔵庫の扉を開くと「なめこのたまりだき」が瓶の底の方にすこし残っているのが見えた。「なめこのたまりだき」は、子供のころから今に至るまでずっと、ウチの商品の中では僕がもっとも好むものだ。今朝は、これで雑炊を作ることを決める。

同じ冷蔵庫の野菜室にキヌサヤを見つけ、袋から5つ6つのみ取り出して洗う。そして固い部分を除く。鍋に300ccの水を張り、ここに適当量の昆布を投げ入れて熱をかける。水が沸騰したら昆布を取り出し、そこでキヌサヤを煮る。

キヌサヤに熱が通ったら皿に取り出し、次はおなじ鍋で1膳分の冷や飯を煮る。そこに「なめこのたまりだき」を加え、火を小さくする。味見をすると塩気が足りない。「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」と塩を、双方ともすこしだけ足す。日本酒があれば風味づけになるだろうとあたりを探したものの、これは見あたらなかった。

「なめこのたまりだき」が煮えすぎないところで先ほどのキヌサヤを鍋に入れ、それが温まったところでお椀によそう。

「なめこのたまりだき」を茶漬けの供にしたことはあった。しかし雑炊の具として鍋で煮たのは今日が初めてだ。今回のような煮方をすると、たまりで炊いたなめこは「たまり」よりも素材の香りを強くすると、これまた初めて知る。当然のことながら、その雑炊は見た目は地味なものの、とても美味かった。

アマゾンに発注していた本が昼ちかくに届く。50年ちかく前に出版されたこの料理本はシリーズになっていて、ものによっては2万円を越す。その中に1,000円と少々の品が混じっていたたため、即、注文をしたのだ。僕が孫に買う、はじめての品物である。

夕食の前に、その本を1歳半の孫に手渡す。孫はそれを床に広げ、表紙から順に1ページずつ眺めて最後のページに至った。僕は孫に、読んだ本は棚にしまうよう言い、孫はそれを大きな本棚の、自分に与えられた置き場に差し込んだ。

あと数年もすれば、孫の作る何かを食べられるかも知れない。


朝飯 「なめこのたまりだき」とキヌサヤの雑炊
昼飯 「ふじや」の雷ラーメン
晩飯 生のトマト、春雨サラダ、鶏豆腐、カレー南蛮鍋、芋焼酎「愛子」(生)


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2018.6.15(金) むかしの駅

目的地の住所をgoogleマップに入れて「東北道の那須インターから3キロだね」と教えると「上から行っても下から行っても、時間差は5分だから」と答えつつ、長男はiPhoneの画面から顔を上げた。

長男が操縦するホンダフィットは、カップホルダーに案内役のiPhoneが突っ込んである。その指示は最初「えっ、そんな方向へ」と驚くような道を示したものの「まぁ、任せておくか」という気分で、僕はただ助手席に座っている。

点在する、ふもとから頂上までせいぜい100メートルほどの山以外はすべて田んぼ、といったおもむきの船生は意外に面積が広く、その6月の緑を左右に見ながら往く道は、なかなか次の矢板に入らない。

途中、右手に新幹線の停まりそうな駅がある。クルマの窓から見上げると、それは西那須野駅だった。いまだ駅舎が地べたにあった1972年の夏、僕はこの駅に同級生たちと降り、自由学園那須農場での1週間ほどの労働を経て、またこの駅から、しかし今度は上野行きの列車に乗った。以来、46年の月日が経つ。まさに光陰矢のごとし、である。

会社を出てから帰るまでの行程は5時間ほどだった。午後は製造と包装の責任者を事務室に集め、直近のあれこれについて話し合いを持つ。


朝飯 切り昆布の炒り煮、なめこのたまりだきとほうれん草のソテー、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、揚げ茄子、明太子、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトとズッキーニの味噌汁
昼飯 「大貫屋」のタンメン
晩飯 生のトマトジャガイモのオムレツカポナータトマトと浅蜊のスパゲティ“Petit Chablis Billaud Simon 2015”


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2018.6.14(木) torinokoe

食堂のテーブルできのうの日記を書きながら、鳥の声に気づく。食器棚に置いた電波時計に目を遣る。時刻は3時58分。窓の遮光カーテンを巻き上げると、東の空には既にして赤味が差していた。

本棚のある廊下の突き当たりまで行き、左下の防湿庫の扉を開く。”NIKON D610″には50ミリのレンズが付いていた。よってその本体と共に24-85ミリのズームレンズも取り出す。

ニコンの一眼レフからレンズを外すときにはいつも「なぜ外すときは右に回し、付けるときには左に回すのか」という疑問を禁じ得ない。ネジは右に回していくと、やがて対象に食い込んで止まる。左に回していくと、やがて緩んで対象から外れる。ニコンの一眼レフは、それとは逆に設計をされているから、常に戸惑うのだ。

そうして24-85ミリのズームレンズに付け替えたカメラを4時03分の東の空へ向けて、シャッターを切る。

午後は長男と顧問税理士を訪ね、これまでは不明だったことを、1977年の資料から発掘してもらう。終業後は本日出勤の社員を集めてミーティングをする。


朝飯 ほうれん草の胡麻和え、切り昆布の炒り煮、生のトマト、納豆、大根おろしを添えた揚げ茄子、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、揚げ湯波とグリーンアスパラガスの味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」のサンラーメン
晩飯 トマトとレタスと3種のピクルスのサラダ茄子とピーマンとズッキーニのソテーを添えた鶏のハンバーグステーキじゃこと「ごぼうのたまり漬」を載せたごはん“Petit Chablis Billaud Simon 2015”バームクーヘン、”Old Parr”(生)


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2018.6.13(水) 着るもの

今市小学校に通っていた当時、校庭の標高は405メートルと聞いた。行きつけのカトー床屋の前にアーケードがあった時分には、そこに「標高400メートル」の札が提げられていた。そのことからすれば、ウチの標高は400メートルと405メートルのあいだ、ということになる。

今日は東京で仕事がある。iPhoneの天気予報によれば、東京の今日の最高気温は27℃だという。服は半袖シャツ1枚が妥当だろう。しかし夜、標高400メートルの土地に帰ってくれば、それだけでは寒い。しかし半袖シャツの上にセーターを着て家を出れば、東京に着いた途端、それを脱がなくてはならない。脱げば荷物になる。荷物は嫌いだ。つまり東京へ行くときにはほとんど常に、着るものに困るのだ。

普段は使わない、下今市08:32発のスペーシアきぬがわ号に乗る。終点の新宿で山手線に乗り換え原宿に出る。原宿の駅に降りたのは、多分、30数年ぶりのことと思う。明治神宮前から千代田線で表参道へ向かいつつiPhoneのgoogleマップに目を遣ると、表参道と明治通りとの交差点に地下鉄の駅ができている。「さて、こんなところに駅があっただろうか」とその画面をじっと見て、それが地下鉄副都心線の駅であることを知る。まるで浦島太郎だ。

南青山の、ほとんど高樹町といっても差し支えのないあたりで行われた話し合いは、2時間たらずで完了した。北千住14:42発の下り特急に乗って、16時09分に下今市に着く。半袖シャツの上に重ねた長袖のシャツは、結果からすれば、着ていく必要はなかった。難しいものである。


朝飯 ブロッコリーと人参のスープ煮、納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、生のトマト、なめこのたまりだきのフワトロ玉子、切り昆布の炒り煮、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、揚げ湯波とズッキーニの味噌汁
昼飯 「珍来」の冷やし中華
晩飯 春雨サラダ、ほうれん草の豆味噌炒め、明太子、焼き餃子、”Nep Moi”(ソーダ割り)


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2018.6.12(火) 演歌巡礼

「今、一番うまいと感じるものは何か」と先日、考えた。真っ先に浮かんだのは、朝、自分で作る味噌汁だった。その味噌汁を、5日ぶりに口にする。

家以外のところにいるときには、その時、その場の朝食で一向に苦にならない。しかし家にいる限り、朝は和食、そして夜は、まぁ毎日である必要はないけれど、洋食が嬉しい。そしてこれは正に、僕の幼児期からの、朝食と夕食の組み合わせである。

5月の連休が過ぎて、日光市東郷町の「ふじや」に冷やし味噌ラーメンが出始めると「さて、この夏は、これを何回、食べられるだろう」と、大げさに言えばワクワクする。しかし今日の気温は、冷たいラーメンが欲しくなるほどには高くない。13時45分に豆板醤入りの熱いラーメンを食べている最中に、まるでインドシナに降るような豪雨の音を背中に感じる。

「いずれ15分ほどで止む」と予想したその雨は、10分足らずで上がった。そのすきを突いて会社に戻ると、雨と風を避けるためだろう、ノレンは犬走りの軒下から外されて、事務室の中に入れられていた。

物忘れの激しいたちだから、必要なことはあらかじめ、事務机の左に提げたカレンダーに書いておく。今日のそのところには「演歌巡礼 忘れずに行く」という赤い文字がある。

栃木県塩谷郡船生村出身の作曲家・船村徹先生とは縁あって、幾度か酒席をおなじくさせていただいた。芸能の世界で長く生きていれば、さぞかしアクの強い人物だろうと、なかば及び腰でお目にかかった先生は、案に相違して、おっとりとして上品な”humorist”だった。その先生の遣いとして10年半のあいだ、日光市の楽想館から数え切れないほどウチの店に通ってくださった内弟子が村木弾の芸名を得て凱旋するとなれば、これは訪ねていって、楽屋見舞いのひとつも差し入れなければ気が済まない。

そういう次第にて、らっきょうのたまり漬の入った箱を抱え、15時30分に道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の船村徹記念館におもむく。


朝飯 人参とブロッコリーのスープ煮、じゃこ、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、切り昆布の炒り煮、ベーコンエッグ、納豆、ごぼうのたまり漬、メシ、浅蜊と三つ葉の味噌汁
昼飯 「ふじや」の雷ラーメン
晩飯 ニース風サラダトースト鶏とマッシュルームのグラタン“TIO PEPE”“Petit Chablis Billaud Simon 2015”


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2018.6.11(月) その時間には食べられない。

「台風5号による揺れを避けますため、朝食は離陸の2時間後にお出しいたします」とのアナウンスがある。その時間に目を覚ましている可能性は限りなく低い。よって客室乗務員が近づくのを待って、朝食は不要と伝える。

00:24 “BOEING 787-9″を機材とする”JAL752″は、定刻に19分おくれて離陸。
00:50 ベルト着用のサインが消えたところでデパスとハルシオン各1錠を飲む。

03:45 着陸は40分後とのアナウンスで目を覚ます。機は愛媛県の上空を東に飛んでいる。
03:50 「よろしければご朝食をお持ちしますが…」と客室乗務員のオネーサンに声をかけられる。その朝食は断って、緑茶のみもらう。手洗いで歯を磨き、席に戻ってうつらうつらする。
04:40 胴体から車輪の降りる音で目を覚ます。

定刻より35分はやいベトナム時間04:45、日本時間06:45に成田空港に着陸。以降の時間の表記は日本時間とする。

06:58 パスポートコントロールを抜ける。
07:05 ターンテーブルからスーツケースを引き上げる。
07:10 7時50分発のマロニエ号の切符を買う。
09:57 マロニエ号が柳田車庫に着き、ジンボタカシさんのクルマに乗せていただく。
10:41 帰社。

4階に上がり、きのうの朝から着たままの、ハロン湾でたっぷり汗を吸い込んだポロシャツを脱ぐ。おなじ形と色の、ただし洗いたてのポロシャツに着替えて即、仕事に復帰する。


朝飯 成田空港のセブンイレブンで買った3個のおむすび
昼飯 ラーメン
晩飯 ポテトサラダ、セロリと2種のパプリカのピクルスピーマンの肉詰め“GEVREY CHAMBERTINE 1er CRU AUX COMBOTTES DOMAINE DUJAC 1985”


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上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

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