2020.10.5(月) 続・それを好む理由
「家飲みを好む」と、きのうの日記に書いた。しかしてまた、僕は外で飲んだり食べたりすることも好きだ。人の作ったものが食べたくなれば、そのときには外へ出る。もうひとつ、世間には未知の楽しい人たちがたくさんいる。そのような方々の謦咳に接するには、やはり外へ出ていかなくてはならない。
「むかしナガサキの街の真ん中に競輪場があったの、知ってる?」と、長崎から遠く隔たった池袋の飲み屋で、いきなり話しかけてきた人がいる。「いえ、知りません」と答えて以降の会話は覚えていない。
「可愛いねぇ、新人?」と、北千住の飲み屋でお運びの女の子に声をかけた人がいる。「ケータイ、教えてよ」と食い下がるその常連を横から引き取って「いいですか、1回しか言いませんよ、しっかり覚えてくださいよ」と店長は念を押しつつ「ゼロキューゼロ、以下、省略」と、半笑いで突き放した。
「沖縄には、スモールってのは、ないんですか」
「そりゃ、スコールのことだんべよ」
「あぁ、スモールは煙か」
「煙はスモークだぁ」
とは、我が街の飲み屋で交わされた、常連同士のやりとりである。
明日は東京へ行く。外飲みの予定は今のところ、無い。
朝飯 ごぼうのたまり漬、らっきょうのたまり漬、納豆、生のトマト、すぐき、焼き鮭、メシ、豚モツと玉葱の味噌汁
昼飯 「カルフールキッチン」のサンドイッチ、ホットミルク
晩飯 マカロニサラダ、カレーライス、らっきょうのたまり漬、Old Parr(お湯割り)
2020.10.4(日) それを好む理由
2時台に目を覚まし、3時すぎに食堂の灯りを点ける。お茶のためのお湯を沸かし、それを冷ましながら、朝倉さやの「日本漬け」をBOSEの小さなプレイヤーに差し込む。
「へー、16ビートできたか。いや、えっ? やっぱり8ビート?」と、リズムが融通無碍に揺れ動く「やさしさに包まれたなら」を聴けば、このたぐいまれな歌姫が、更に、とても優れた人たちの力を得られていることがわかる。それにしても、自作のサンバを歌う民謡歌手の素晴らしさはどうだ、ただ聴き惚れるばかりだ。
しばしばあることではあるけれど、今日は特に店の混み具合にムラが大きい。忙しいのはたいてい昼どきで、その時間帯は当然、社員の昼食の時間にもかかっているから、更に忙しくなる。今日の昼どき、僕が店に立っていたのは90分間ほどだっただろうか。
それと前後して、ふた組のお客様を蔵見学にご案内する。以降の蔵見学は長男に任せた。午後の食卓には、14時過ぎに隠居から戻る家内のために、小さなおかずふたつを食卓に用意する。
夜、長男の焼いた肉を前に、自分が家飲みを好む理由をつらつら考えてみる。第一は「メシが安くて美味い」、第二は「酒が安くて美味い」。しかし「それを言ってはオシマイ」だろうか。第三の理由は「タバコを吸う人がいない」かも知れない。
朝飯 すぐき、胡瓜と茗荷の酢の物、牛肉のすき焼き風、生玉子、ごぼうのたまり漬、らっきょうのたまり漬、メシ、ピーマンの味噌汁
昼飯 焼き鮭、梅干、納豆、2種の佃煮、ごぼうのたまり漬によるお茶漬け
晩飯 トマトと人参とレタスのサラダ、玉葱のスープ、マッシュドポテトとブロッコリーのソテーを添えたローストポーク、TIO PEPE、”Bourgogne Aligote Jayer-Gilles 2014″、チョコレートケーキ、Old Parr(生)
2020.10.3(土) どこにいても
昼すぎ、店に張り出した庇の下にいて、いま隠居で食事ができるかと、3人連れのお客様に訊かれる。即、厨房にいる家内に電話を入れる。果たして「汁飯香の店 隠居うわさわ」は満席だった。
13時30分、昼休みのため本店に戻った隠居係のタカハシリツコさんに、店の駐車場で行き会う。彼女によればその時間にはまた、10名の若い方々がいきなりいらっしゃって、大慌てをしていた頃とのことだった。折角のご来店ながら、その10名様にも、お帰りを願うしかなかったことは言うまでもない。
夜、同報メッセンジャーで、11月3日夜の宴会を打診される。宴会は、遠方に住む仲間の来訪予定を受けてのものだった。僕は即、その席に連なる旨の返信をした。更には往復の列車の席の確保、また特に宿の確保は明日にも行うべく本人に伝えるよう、幹事役に頼む。コロナ禍の最中とはいえ、紅葉の時期の連休ともなれば、日光は人で溢れるに違いない。
どれほど前のことだろう、ある秋、チェンマイにいて「行ってみたい料理屋はありますか」と地元の人に訊かれた。僕は「クルアペッ、ドイ、ンガーン」と、慎重に口にしてみた。相手はそれをどうにか聞き取って、スマートフォンに打ち込んだ。そうして予約は完了した。どこにいても、席の確保は必須と僕は考える。
上澤梅太郎商店が運営する朝食専門店「汁飯香の店 隠居うわさわ」は毎週、土、日、月の営業。開店は8時30分、オーダーストップは12時30分、閉店は14時。電話番号は0288-25-5844(日光ごはん良し)。本店の電話番号0288-21-0002(08:30~17:30)なら毎日、ぐるなびなら24時間、ご予約を承れます。
朝飯 モツ煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、冷や奴、細切り沢庵、ごぼうのたまり漬、らっきょうのたまり漬、メシ、万能葱の味噌汁
昼飯 「ふじや」の野菜麺
晩飯 茹で落花生、大根の煮付け、厚焼き玉子、小松菜のおひたし、焼き鮭、豆腐となめこと万能葱の味噌汁、「平孝酒造」の酒粕焼酎「日高見」(お湯割り)
2020.10.2(金) 時間の配分
水もお湯も沁みるようになった右下の奥歯は、10月の6日と13日の、ソーマ歯科室への通院を以て、治療が完了する予定だった。ところが先月24日の夜に、なにか硬いものを噛みつぶして、今度は左下の奥歯に欠損が生じた。よってソーマ歯科室には、本日の14時30分にも予約を入れさせてもらった。
新橋で床屋にかかり、大井町に着くと、時刻は13時15分だった。床屋が予想外に空いていたことが、時間の読みを狂わせたのだ。思いがけず空いた小一時間は、駅ビルの中の喫茶店で本を読むことに充てた。
ソーマ先生によれば、左下の奥歯は詰め物が外れただけで、治療は簡単とのことだった。それよりも、かねてより治療中の右下の奥歯を今日は優先させることとして、先ずは消毒液で口をゆすぐ。
あれやこれやに引き続いて、棒状のカメラで口の中の右下をなぞられていく。するとディスプレイには、次第にその部分の、精巧な立体映像が組み立てられていった。最新の歯科技術では、石膏で型を取るなどは、もはやしないらしい。この映像を歯科技工士に電送すれば、精巧な冠ができてしまうのだ、多分。
ソーマ歯科を出たのは16時02分。京浜東北線は、川崎で発生した事故により不通になっていた。大井町から山手線の各駅へは臨海線で大崎を経由するよう、臨時の案内板に書かれている。それに従って神田、そこから末広町に至る。
午後の時間の読みは、ほぼ正確だった。次男と待ち合わせての夕食は、18時すぎに完了した。そして浅草18時59分の下り特急に乗って、21時前に帰宅をする。
朝飯 納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、豆腐の茸と挽き肉の餡かけ、茄子とパプリカの素揚げ、ごぼうのたまり漬、細切り沢庵、メシ、若布と長葱の味噌汁
昼飯 「じゅらく」の秋刀魚の塩焼き定食
晩飯 「鳥陣」のあれや、これや、それや。チューハイ、それを濃くするための「ナカ」
2020.10.1(木) 数百キロが
朝、facebookを開くと、バンコクに住む同級生コモトリケー君からメッセージが入っていた。この3月に僕が持参した辛ひしおは少しずつ大切に食べてきたが、遂に底をつきかけた。よってその最後のところは瓶にマヨネーズをひねり出し、それと混ぜて残すことなくすくい上げたと、空になった瓶の画像も添えられていた。
大豆、米、大麦、小麦による4種の麹を低温で長期にわたり熟成させた「ひしお」を初めてタイに持ち込んだのは、2018年3月のことだ。それには、ある理由があった。
あるとき店に中華系と思われるお客様が大勢でいらっしゃった。たまり漬も買ってくださったが、特に「ひしお」は大人気で、冷蔵ショーケースはたちまち空になった。蔵の冷蔵庫に在庫があったのは幸いだった。急遽、これを店に運び、お客様の需要にお応えをした。
お訊ねをしたところ、お客様はシンガポールからの旅の途上にあって、「ひしお」は魚の清蒸に添えるとのことだった。
それから数ヶ月を経た2008年3月、僕はタイへの荷物に「ひしお」を加えた。そしてその旅の最終日、チャオプラヤ河畔の料理屋に、それを持ち込んだ。タイでは魚の清蒸をプラーヌンマナオと呼ぶ。プラーは魚、ヌンは蒸す、マナオはライム。広東からインドシナを南下するうち香草と果実を加えられ、遂にはむせかえるほどの香りを放つに至った海鮮料理である。
その日の魚はスズキだった。その横腹に「ひしお」を匙でひとすくい、ふたすくいすると「もったいねぇから、そんなに載せるな」とコモトリ君は僕の手を止めさせた。残りはバンコクへ置いていけ、ということだ。
「ひしお」は、プラーヌンマナオよりも、香りの大人しい広東の清蒸に、より似合うと僕は感じた。しかし良い経験をした。
コロナ騒ぎさえなければ、この秋はウドンタニー、夜行バスに10時間ほど揺られてチェンライ、そしてバンコクに戻る、9泊10日の旅をするはずだった。これが実現していれば、そのときには「ひしお」に唐辛子を加えた「辛ひしお」をたずさえていたに違いない。
次の旅はいつになるか。「ひしお」は蔵の、隠居の庭に張りだした最深部で、数百キロが熟成中である。
朝飯 納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、茄子とパプリカの素揚げ、細切り沢庵、らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、メシ、鶏笹身肉と隠元豆の天麩羅の味噌汁
昼飯 モツ煮、ごぼうのたまり漬、メシ
晩飯 胡瓜と茗荷の酢の物、豆腐と茸と挽き肉の餡かけ、いわし明太の網焼き、薩摩芋の練り切り、「黒木本店」の麦焼酎「百年の孤独」(お湯割り)、月見饅頭、Old Parr(生)
2020.9.30(水) お恥ずかしい限り
「問題のある家の子供の描いた絵」と説明の付いた絵を見たことがある。父親が寝ている。それは、人や物を立体的に描けない子供の絵の特徴で、実は寝ていないのかも知れないけれど、まぁ、寝ているように見える。そしてその横には、明瞭にそれと分かる一升瓶が転がっていた。
おとといの夕食の後で、孫が僕の似顔絵を描いてくれた。孫は先ず、紙に円く線を入れた。それは彼女によれば、絵をはみ出させないための境界線だという。そこに僕らしい人物を描き、サインペンを置くと、その円の外縁を鋏で切り落とした。
孫は次に、別の紙に縦の線の連続を描いた。そしてそれを長四角に切り抜くと、先ほどの似顔絵の左上にセロファンテープで貼りつけた。「これは何」と、その線を指すと、孫はひとこと「サケ」と答えた。まったくもって、お恥ずかしい限りである。
いま飲んでいる麦焼酎「凪海」は、長男の同級生にいただいたものだ。これがいよいよ残り少なくなってきた。2階の倉庫に買い置きの焼酎は、なにかあっただろうか。無ければちかくのスーパーマーケットに出かけて、新たな1本を仕入れてくることにしよう。
朝飯 隠元豆の胡麻和え、納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、薩摩揚げの網焼き、水茄子のぬか漬け、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と三つ葉の味噌汁
昼飯 若布の冷や麦
晩飯 春雨サラダ、胡瓜と蕪と白菜の昆布漬け、焼き餃子、麦焼酎「凪海」(お湯割り)、わらび餅
2020.9.29(火) 今年の茗荷
異例の2週間に及んだ新宿高島屋での出張販売は、今日が最終日になる。その片づけに向かう家内は、8時すぎに下今市駅へと向かった。
この2週間のあいだ、長男の仕事机には、届き続ける様々な書類が積み重ねられ続けた。明日に帰社すれば即、長男はこれらの整理に当たらなければならない。今日あたりに入ったあれこれについては、流石にそこには置かず、嫁の桃君に手渡した。
「9月末日まで」とした秋茗荷の買い入れにより、今日も農家の人が軽トラックを乗りつける。今年はどうも茗荷の当たり年のようだ。夕方にその伝票を締め、記帳をする。今日までに買い入れた量は、昨年の総量にくらべて65パーセント増に達しようとしている。「そんなに買ったら余ってしまうではないか」と言われれば、心配には及ばない。足りない年には市場から不足分を手当てし、充分な年にはそれを止めて調整をするから、どうということはないのだ。
夜はひとりで肴を整えて、静かに過ごす。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、オクラのおひたし、「なめこのたまり炊」のなめこおろし、茄子とパプリカの揚げびたし、納豆、ごぼうのたまり漬、メシ、天麩羅と三つ葉の味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」の酸辛麺
晩飯 冷やしトマト、めかぶの酢の物、ごぼうのたまり漬、もつ煮、麦焼酎「凪海」(お湯割り)
2020.9.28(月) 望外の幸せ
朝4時10分に蔵の中を歩きながら「半袖シャツ1枚も、もはや今朝までだ」と感じる。しかしそこに白衣を重ねれば、そんなことは、もう忘れてしまう。4階の食堂に戻ると、東の空から朝日が昇ろうとしている。取り急ぎカメラを持って、屋上に上がる。朝の空は、夜明け前こそ美しい。今朝は遅きに失してしまった。
「何度も書かなくても、もう分かったよ」と言われるかも知れないけれど、朝の空は、夜の明ける数十分ほども前がもっとも美しい。そして山は、日の出から1、2時間、あるいは3時間ほど経ったときが、もっともその青や緑を鮮やかにする。週末にぐずついた天気が週明けに回復するとは、週末が稼ぎ時のウチにとっては皮肉なものだ。
「汁飯香の店 隠居うわさわ」には、今朝は開店の8時30分から5名様の予約を戴いている。夏に来て下さったお客様が、秋に裏を返して下さったのだ。簡素な汁飯香の中にも、季節は確かに存在する。懐に石を抱くようにして、ひと椀の味噌汁を味わっていただければ、僕としては望外の幸せである。
朝飯 牛丼、生姜の昆布漬け、三つ葉の味噌汁
昼飯 揚げ玉と長葱の熱い汁で食べる冷や麦
晩飯 牡蠣の油漬け、蓮根の梅肉和え、グリーンアスパラガスのおひたし、天麩羅あれや、これや、麦焼酎「凪海」(お湯割り)
2020.9.27(日) 汁飯香
午前、事務室にいて寒さに耐えかね、半袖のポロシャツに半纏を重ねる。そしてその姿で店に立つ。
11時がちかくなるころから、特に外に注意を払う。11時を7分ほど過ぎたところで、駐車場に入ってこようとする、焦げ茶色の軽自動車に目の焦点を合わせる。「多分、あのお車だ」と、確信めいたものを感じる。軽自動車は、犬走りに歩み出た僕の目の前に停まった。
きのうの夕刻「汁飯香の店 隠居うわさわ」について、電話でお問い合わせをいただいた。その女性は27日つまり本日、隠居で一汁五菜膳をお召し上がりになることをご希望になった。そのお膳は仕込みの関係から、前日の15時までにご予約をいただかないと、お出しすることはできない。より簡素な汁飯香のお膳なら承れるとお伝えをしたところ、はじめて行くならおかずの付く方を食べたいと、一旦は電話をお切りになった。
しばらくするとおなじ女性から、また電話をいただいた。よって、簡素なお膳とはいえ味噌汁は地元の湯波と季節の地野菜、そして日光味噌による具だくさんのものであること、ごはんは地元の棚田米をお客様ひと組ずつ土鍋で炊き上げること、たまり漬を基本とする漬物は充分な種類と量を高台でお出しすること、汁飯香は何といっても和食の基本であることをご説明し、遂に本日11時のご予約をいただいた。
そのお二人を店から隠居までご案内し、後は家内とお運びのタカハシリツコさんにすべてを任せる。
「隠居」の閉店の14時を待って隠居へ歩く。するとちょうど仕事を終えた家内が、裏の柴折り戸から出ようとしているところだった。家内によれば、当該のお客様は満足と共にお帰りになったとのことだった。「良かった」と胸をなでおろす。そして「次は是非、早めにご連絡をいただいて、その時こそは一汁五菜膳を」とも思う。
朝飯 薩摩揚げの網焼き、納豆、「なめこのたまり炊」によるなめこおろし、ピーマンとソーセージのソテー、らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、メシ、缶詰の鯖と長葱の味噌汁
昼飯 「大貫屋」のタンメン
晩飯 「魚登久」の胆焼き、鰻重、肝吸い、胡瓜のぬか漬けと沢庵、「片山酒造」の酒粕焼酎「粕華」
2020.9.26(土) 暑さ寒さも
四季のうちの夏には「盛り」という雰囲気がある。「熱狂」とか「バブル」という言葉の似合うところがある。それが裾を引くようにして去って行く。否、季節は彼岸を境として、いきなり、秋になる。まるで歌舞伎のどんでん返しを見ているようだ。
今朝、蔵には4時15分に入った。そのときは半袖のポロシャツ1枚でもどうということはなかった。しかし4階の食堂に戻り、この、今日の日記を書くうち、いささか寒さを覚えてきた。寝室の、クローゼットに格納した箪笥には、既にして長袖のTシャツが用意してある。それを着ることを考えて、しかし気持ちはなかなか切り替わらない。
6時にテレビの電源を入れる。天気は西から回復の傾向にあると、気象予報士は四国中国地方のあたりを丸く指示棒で示した。とはいえ列島に夏日の戻ることは、もうないだろう。
伊丹十三の「お葬式」で、藤原鎌足演ずる「小さい老人」は「お寂しくなりますが」と挨拶をしながら主人公「侘助」の家を辞去した。夏が去ってしまったとは、まったく寂しい限りだ。
朝飯 トマトのサラダ、冷や奴、薩摩揚げの網焼き、大根おろしを薬味にした納豆、ごぼうのたまり漬、らっきょうのたまり漬、メシ、若布と長葱の味噌汁
昼飯 「ふじや」の雷ラーメン
晩飯 枝豆、TIO PEPE、3種の茸のスパゲティ、Petit Chablis Billaud Simon 2016、プリン、Old Parr(生)