2021.10.27(水) 大人しく
白いシャツに、ほとんど黒に見える灰色のネクタイを締める。汗をかくのはいやだから、スーツは夏用を着る。しかし風邪をひくのも困るから、LとVの字を、織りを変えて浮き立たせた黒いスカーフを首に巻く。スカーフは絹製である。一方、僕の手や指は、特に秋以降は荒れてささくれ立っている。そのため長く使ってきたスカーフは、いまや襤褸にちかい。
下今市08:32発の上り特急きぬがわ号に乗る。桜新町で地上に出ると、時刻は11時をすこし過ぎていた。叔父すなわちオヤジの弟が24日の日曜日に没した。その告別式に、11時30分より臨む。代々幡の斎場から葬儀場に戻ると14時50分。それから精進落としの食事をいただき、15時50分に会場を去る。
桜新町のプラットフォームに入ってきたのは、南栗橋までの直通だった。これで北千住まで行けば早く帰れるものの、表参道で銀座線に乗り換え、日本橋で降りる。そして今日が初日の「第42回グルメのための味百選」を視察するため、日本橋タカシマヤS.C.の8階へ上がる。売場に立つ家内ふたことみことを交わし、会場を3周して下りのエレベータに乗る。
銀座線で浅草まで行けば下り特急の始発に乗れる。しかし上野で日比谷線に乗り換え北千住に至る。飲酒活動の場としては、僕は浅草より北千住の方が好きなのだ。浅草に「うまいち」のあった時代が懐かしい。
北千住には17時18分に着いた。次の下り特急は18時13分発。1時間に満たない持ち時間では飲酒は難しい。それよりもなによりも、つい先ほどの食事により腹は満ちている。この状態で酒を飲んでも美味くないことは、酒飲みなら誰でも分かることだ。
そういう次第にて大人しく18時13分発の特急に乗り、20時前に帰宅を果たす。
朝飯 納豆、揚げ湯波と蕪の葉の炒り煮、冷や奴、胡瓜と蕪のぬか漬け、「夏太郎」らっきょう、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと若布と玉葱の味噌汁
昼飯 「くらしの友桜新町式場」のお膳
晩飯 チーズ、SMIRNOFF VODKA(生にTIO PEPEを少々)
2021.10.26(火) 第42回グルメのための味百選
上澤梅太郎商店は日本橋タカシマヤS.C.で明日より開かれる「味百選」に出店をさせていただく。今回は必要に迫られて、この出張に関わる人員をきのう入れ替えた。先ずは長男に代わって販売主任のハセガワタツヤ君がトラックを運転し、助手席には家内が収まって、会場準備のため、昼前に会社を出発する。
このことにより、パートタイマーの販売係であるサイトーミホコさんとタカハシカナエさんが16時30分に退社をした後は、僕がひとりで店に立つ。17時30分の閉店後は外に飾った花を片づけ種々の看板を片づけ、キャッシュレジスターを締める。明日の釣り銭を整えると、時刻は18時25分になっていた。
明朝の仕事に備えて白衣を蔵へ運ぶ。19時前に自宅へ戻り、風呂に湯を溜める。19時20分に家を出て、月に一度の、本酒会の例会に出る。20時40分に帰宅すると、間もなく家内も戻ってきた。家内は明日より2日間、通いでタカシマヤに出張をする。
明日から6日間の東京の天気は、予報によれば概ね良好のようで、嬉しい。お客様には「いま食べごろの品」を毎日、日光から東京へ直送させていただきます。
朝飯 榎茸と菠薐草のおひたし、納豆、2種の茸とパプリカの味噌炒り、揚げ湯波と蕪の葉の炒り煮、「夏太郎」らっきょう、ごぼうのたまり漬、蕪と胡瓜のぬか漬け、メシ、若布と玉葱の味噌汁
昼飯 きのうの夜のおかずを流用した弁当
晩飯 「魚登久」の酒肴あれや、これや、それや、鰻丼、6種の日本酒(冷や)
2021.10.25(月) 鮎並と豆腐
財界を引退したMさんと、ある集まりを終えた後で立ち話になった。話題は、行きつけの店についてである。互いの好みには通じるところがあった。我々はいつの間にか、連れだって歩いていた。行き先は、先ほどMさんが口にしたうちのいずれかと思われた。しかし違った。
場所は銀座の2丁目だった。中央通りと外堀通りのあいだの一角である。その店の玄関は、傷むたび分厚い木っ端を釘で打ち付けたらしく、でこぼこしている。そのでこぼこには砂埃が溜まっている。馴染みのMさんはさっさと座敷に上がった。僕はかまちに腰をかけたまま、しばし躊躇っている。その逡巡は、まるであばら屋のようなその店の様子によるものではない。ここまで着いてきてしまって何ではあるけれど、僕はひとり飲みを好む。しかし遂に心を決めて、靴を脱ぐ。
床には左手の壁から5尺ほども間を開けて、一枚板がカウンターのように奥まで延びている。店主は壁を背にして仕事をする。客は煎餅布団に座る。畳はなくて板敷きで、その板と板の隙間から縁の下の砂が見えている。
できる料理は渋団扇のような紙に墨で書かた3品のみ。先ずはアイナメと豆腐の炊いたもの、3ミリ角ほどの刺身を10種ほど細長い皿に並べたものは4万5百円、そして炙った魚の干物。
特に注文もしないうちに、とりあえずは燗酒が出る。もっとも安いひと品と銚子1本で中座をしようと考えていたものの、この酒がやたらに美味い。
店の名は以前は「ささき」だったという。それなら現在の名は何だろう。しかし店主は気むずかしそうな男だから、何も訊かずに黙っている。店主によれば、漱石の三四郎の家とこのあばら屋とは、梁と煙突を共有しているという。また先の天皇の養育係が引退後に開いた居酒屋が、すぐ裏手にあるという。
ふと、自分はいま眠りの最中にあることに気づく。しかしこの夢は面白いから、いましばらく見ていられるよう、努めてみる。
朝飯 椎茸とシメジの味噌炒り、納豆、生玉子、「夏太郎」らっきょう、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、ごぼうのたまり漬、メシ、舞茸の天ぷらとパプリカの味噌汁
昼飯 「大貫屋」のチャーハン
晩飯 柿と菠薐草の白和え、刺身湯波、マカロニサラダ、豆腐と大根の味噌汁、豆苗の玉子とじ、鶏肉の味噌酒粕漬け、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)
2021.10.24(日) 話はまた別
このところ、朝、目を覚ますと同時に勢いよく布団から抜け出すことができない。枕の下からiPhoneを取りだし、ついTikTokのアイコンをタップしたりする。するとこのSNSは時間泥棒のようなものだから、20分や30分はまたたく間に経ってしまう。すべての原因は、寝室の気温の低さにある。
ようよう起きて、半袖ポロシャツに長袖のTシャツを重ねる。仏壇に花と水とお茶と線香を供えたら、製造現場へ降りて、いつもの仕事に従う。蔵の中は、いまだそれほどは冷え込まない。
朝食を済ませてから西側の洗面所へ行く。窓を開けると日光の山々はその上の方に、粉をはたいたような雪を乗せていた。それを目にしてあらためて、ここ数日の寒さに得心する。
僕は厚着を嫌う。身動きの邪魔になるからだ。すこしの寒さなら、それに耐えて薄着を選ぶ。しかし半袖のポロシャツは、流石に仕舞いどきではないか。
そういう次第にて夕食の前に、しばし寝室へ籠もる。そして箪笥の半袖シャツと、押入の箱に仕舞っておいたヒートテックの長袖シャツを入れ替える。半袖のポロシャツが次に日の目を見えるのは、来年の初夏になるだろう。それ以前に海外への渡航が可能になれば、話はまた別である。
朝飯 納豆、春雨サラダ、トマトとキャベツとウインナーソーセージのソテー、めかぶの酢の物、「夏太郎」らっきょう、ごぼうのたまり漬、メシ、菠薐草の味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 もやしナムル、里芋と鶏そぼろの炊き合わせ、らっきょうのたまり漬、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、揚げ春巻き、刻みキャベツとトマトを添えたハムカツ、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)、バナナクリームチーズ春巻き、Old Parr(生)
2021.10.23(土) 陽光礼賛
空は晴れた。よってきのうの日記に書いた大黒の掛け軸を小脇に抱え、隠居へ行く。そして数週のあいだ床の間にあった柏木弘の絵を、大黒の軸にかけ替える。さてこの軸は、恵比寿講を旧暦でおこなう直前の、来月22日までの期間限定である。それ以降は何を掛けようか。あるいはまた、柏木の朱色の絵に戻すかも知れない。
「床の間になぜ現代の抽象画を掛けるか」と以前、「汁飯香の店 隠居うわさわ」のお客様にご指摘をいただいたことがある。
新しい建物の、日当たりの良い床の間に、新しい軸が掛けられている、それなら僕も平気である。しかし隠居は幕末のころの建物であり、大黒の軸も、描かれたのは多分、同じころだろう。古いもの同士の組み合わせはまるで森の中に人知れず存在する底なし沼のようで、僕には不気味に感じられるのだ。しかし隠居の座敷には、晴れれば南からの日が燦々と差す。それがあるから、そんな僕にも古い軸が掛けられるのだと思う。
隠居には午後、インターネット経由でふたつのご予約が立て続けに入った。電話によるご予約もあって、明日は開店時から閉店時まで満席になった。「汁飯香の店 隠居うわさわ」にご来店をご希望のお客様は、どうぞ前日の15時までに、以下までご予約ください。どうぞよろしく、お願い申し上げます。
・上澤梅太郎商店 TEL.0288-21-0002(08:30~17:30)
・ぐるなび予約フォーム
朝飯 焼売、納豆、トマトとマカロニのサラダ、菠薐草のおひたし、「夏太郎」らっきょう、ごぼうのたまり漬、メシ、キャベツの味噌汁
昼飯 うどん、おむすび、「夏太郎」らっきょう
晩飯 4種のらっきょうの食べくらべ、菠薐草のおひたし、キムチ鍋、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)、自由学園のクッキー、Old Parr(生)
2021.10.22(金) 恵比寿と大黒
「恵比寿講」という家の中のお祭がある。これを旧暦で行おうとすれば師走に近い、心が忙しなくなってくるころがその日に当たるから、油断はならない。
事務机の左手に提げたカレンダーの、10月22日のところには「大黒の軸 隠居」の文字がある。この日が来たら、大黒の軸を隠居の床の間に掛けるべし、という忘備である。しかし今朝は生憎の雨にて、箱に収められているとはいえ、古い掛け軸を外へ持ち出す気はしない。朝の時間が密にはなるものの、この仕事は明日に回すこととする。
「恵比寿講の時期になぜ大黒か」と問われれば、家にある恵比寿の軸は、まるで夜店にぶら下げられているようなつまらさであり、一方、それと対の大黒の方は、保存こそ良くないものの嫌いではない、それが理由である。
閑散期には、いつ両替をしたか忘れてしまうほど、釣り銭は長く保つ。逆に繁忙期、特に紅葉の時期などは、週に1度はそれを整える必要がある。今日は久しぶりにその両替のため銀行へ行く。
店の売上金額は、今月初より漸増を続けている。きのうの数字はすこし異常だった。普段であればそれほどお客さまのいらっしゃらない木曜日にもかかわらず、日曜日のそれとほぼ同じ額を記録したのだ。理由についてはわからない。
明日は土曜日にて、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」への納品分は普段の倍を作るよう、包装係には伝えた。お客さまには「いま食べごろの品」を、途切らせることなくお届けしたい。
朝飯 菠薐草のおひたし、納豆、キャベツのソテー、温泉玉子、「夏太郎」らっきょう、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と若布の味噌汁
昼飯 「やぶ定」の魚天ぷら蕎麦
晩飯 春雨サラダ、菠薐草のナムル風、「夏太郎」らっきょう、うずら豆、焼売、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)、葡萄、チーズケーキ、Old Parr(生)
2021.10.21(木) 帳面の使いみち
小遣い帳は、学生や修行中には無駄遣いの防止として役立った。あるいは金を貯めることに役立った。しかし家に戻って以降はなぜか、それを付ける習慣が途絶えた。
小遣い帳を再開したのは2006年6月。理由はふたたび昔に戻って無駄遣いを避けることにあった。
しばらくして、小遣い帳を付けても無駄遣いは無くならないことに気づいた。ただし無駄遣いを数字として残すことはできる。それを振り返ることにより、ことその用向きに限っては、徐々に無駄を減らせているような気がする。
ところで第三者から見れば無駄遣いでも、本人は一向にそれを無駄遣いとは考えていない、そういうたぐいの出金がある。これは残念ながら減らせない。当たり前のことだ。
と、ここまで書いてきたことは戯れ言のようなもので、小遣い帳の使い途は別にある。それは行動の記録に他ならない。自分はいつどこで何をしていたか。それを一瞬で探し出してきてくれるのは、コンピュータの中の小遣い帳である。ウェブログでも検索はできる。しかし日記には、たとえば買った本の名や価格までは残していない。昨年、小遣い帳の5年分を失ったことは痛かった。
夜はひとり街の居酒屋へ行く。この店に最後に来たのはいつだったか。その日は小遣い帳の失われた部分にあったことだから、すぐには調べはつかない。
朝飯 メカブの酢の物、生のトマトとマカロニサラダ、ウイナーソーセージと菠薐草のソテー、「夏太郎」らっきょう、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と菠薐草の味噌汁
昼飯 「大貫屋」の味噌ラーメン
晩飯 「和光」のお通しの里芋と大根の挽き肉あんかけ、酒肴三点盛り、鮪の山かけ、もつ煮、麦焼酎「吉四六」(お湯割り)
2021.10.20(水) なぜ失うことを繰り返すか
午前、銀行や道の駅「日光街道ニコニコ本陣」を回るついでに如来寺のお墓へ行く。そしてオフクロの祥月命日10月15日に供えた花の様子を見る。水は枯渇していなかったものの、白菊の葉は寒さに萎れ気味だった。しかし花はいまだしばらくは保ちそうだったため、花立ての水を新しくする。また線香立てのまわりを水で洗って会社に戻る。
おなじ午前のうちに、きのうおとといに出て行ったお金を小遣い帳に記録する。すべてを入力した直後に、ほんの少しの手違いから、今月の出金すべてを消してしまう。このデータの消滅については、大抵、ふたつの行いのどちらかが関係している。ひとつは「消す」、もうひとつは「別のものを上書きする」である。今日は「上書き」だった。
日計表は1990年6月1日からコンピュータに残している。こちらは失ったことがない。顧客名簿は1993年5月1日からコンピュータに更新をし続けている。こちらも消したことはない。それに対して2006年6月1日から始めた小遣い帳は、極端な場合には数年分をまとめて消滅させることを繰り返している。個人のことについては、気を抜くのだろうか。今日は、よそ見をしながらキーボードを操作したことが原因だった。
というわけで今月の分は諦めて、小遣い帳は来月の1日から、またつけ始めることとする。
朝飯 里芋の淡味炊き、納豆、焼き鮭、菠薐草のおひたし、「夏太郎」らっきょう、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと揚げ湯波の味噌汁
昼飯 カレーライス、「夏太郎」らっきょう
晩飯 レタスと二十日大根ほかあれこれのサラダ、「ぱんいしづか」のトースト、南瓜のグラタン、Chablis Billaud Simon 2015
2021.10.19(火) 行間
多くの人の知る、重い障害を持つ娘を風呂に入れる母親の写真が、水俣のユージン・スミスからニューヨークの”LIFE”に届く。それをひと目見るなり編集長は”fuckin’ guy”とつぶやいたように、僕には聞こえた。字幕は特に出なかった。「あいつ、やりやがった」くらいの意味だろうか。
映画を映画館で観るのは多分、1年8ヶ月ぶりくらいになる。TOHOシネマズ日本橋の3番スクリーンの部屋で”MINAMATA”を観ていたのは、僕もふくめて8人だった。
午後は大井町のソーマ歯科室にて検診を受ける。最後に来たのは昨年の10月。半年ごとにと言われているにもかかわらず、きのうの眼科とおなじく、隨分と無沙汰をしてしまった。
夕刻より日本橋にて飲酒活動に入る。「三つは行けるだろう」と考えていたものの、きのうすこし多めにやらかしたせいか、今日は2合しかからだが受けつけない。それでも古い酒場でひとむかし前の本を読むについては、格別の感がある。
そうして浅草18:59発の下り特急に乗り、21時前に帰宅を果たす。
朝飯 「大戸屋」の朝の定食
昼飯 「ドトール」のトースト、ホットコーヒー
晩飯 「ふくべ」の刺身三点盛り、板わさ、くさや、「菊正宗」の「純米樽酒」(常温)
2021.10.18(月) 規則性
3年前の10月、埼玉県のオーミヤナナサト眼科にて、先ずは右目、その3日後には左目に、白内障の手術を受けた。以降は半年に1度の診察を義務づけられ、その言いつけは概ね守り続けてきた。しかし昨年からは、その規則性を保てなくなった。理由はひとえに「コロナ」にある。
今日は昨年の10月10日以来、ほぼ1年ぶりに当該の眼科で診察を受けた。すべて異常なし。視力は両眼とも、遠近双方で1.0。「次は半年から1年後に」と医師には告げられた。
大宮、東京と列車を乗り継いで本郷三丁目に至る。
改札口を出て右へ進むと、右手に新しい立ち飲み屋ができている。本郷通りに突き当たる左角の上島珈琲は無くなっている。その角を左へ折れる。ドトールコーヒーのショウウインドーにスパゲティの食品サンプルががいくつも並んでいて驚く。何度となく世話になった小諸蕎麦は保険屋に変わっていた。「かねやす」にはシャッターが降りて「貸店舗」の紙が貼られている。
三丁目の交差点から春日通りを南へ歩く。右手にはいつの間にかセブンイレブンができている。左手の、何があったか思い出せない場所が更地になって、東京大学の欅の大木が間近に迫っている。本郷消防署手前の鶏肉屋の左隣には何があっただろう。とにかく鶏肉屋も含めた2軒が消えて、新しいマンションが建っている。その1階はローソンで、向かいのサンクスは廃業をしたらしい。
しばらく来ないうちに、街の景色は激変する。森田芳光の「の・ようなもの」で主人公の志ん魚は深夜、堀切から浅草まで歩きながら道中付けをする。その場面を思い出しつつ本郷消防署、次いで本富士警察署の前を過ぎる。
かつては僕が、そして長男が、今は次男の住む甘木庵の風呂は、この45年のあいだにいちど新しくしている。しかしそれもいつのまにか時代遅れとなって、この夏には水漏れを起こした。そういう次第にて、16時に初対面の設備屋モトムラさんが甘木庵に来る。モトムラさんは現場の採寸をして、30分後に去った。
僕はふたたび本郷三丁目に戻り、銀座に出る。8丁目の鮨屋では隨分と酒の進んだ気もするが、手帳に正の字で記録をしたりはしていないから、どれだけ捗ったかは分からない。そして今夜の会食の相手と取りあえずは新橋まで歩く。
朝飯 たぐり湯波の淡味炊き、生玉子、コールスローと生のトマト、納豆、「夏太郎」らっきょう、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と玉葱と舞茸の天ぷらの味噌汁
昼飯 「スマトラ」のスマトラカレー
晩飯 「鮨よしき」のあれや、これや、他あれこれ。「山本酒造」の「フォレストグリーン純米吟醸」(冷や)、ヱビスビール