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清閑 PERSONAL DIARY

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2025.7.31(木) 信頼

月曜日からの3日間で手持ちの現金が残り少なくなったため、午前のうちに銀行へ行く。また、甘木庵の固定資産税を、銀行ちかくのコンビニエンスストアで支払う。そこから今月24日の日記に書いた服のリフォーム屋「マジックミシン」にまわり、長袖から半袖にしてもらったシャツを受け取って会社に戻る。

パタゴニア製の熱帯に特化したシャツは、元から半袖のものも持っている。9月のタイ行きに際しては、二着とも持参すべきかどうかが悩ましい。「無ければ無いで済む」と考えれば、襟付きのシャツなどは、すべて不要になるのだ。

今月11日に作った麺つゆは、今日の昼で枯渇した。僕以外の家族も素麺を食べるようになって、つゆの減る速度が高くなった。そういう次第にて、明日からの分は、今夜から仕込む必要があるだろう。

昼食は、2023年の9月からにゅうめんが多くなった。今年の夏前には、そのにゅうめんに、いささか食傷気味となった。一方、おなじ2023年7月末から昼食にし始めた素麺については、いまだ飽きない。素麺を食べるのは夏のあいだのみだから、それで飽きないのだろうか。

ここ数日、エレベータが1階から4階へ上がるあいだに異音を3回、発するようになった。それを日立ビルシステムに電話で知らせると、たまたま近くにいたのか、ほんの5分ほどで係が来てくれた。異音は、カゴに取り付けられていた落とし物防止のスポンジが外れかかっていたことが原因だった。

2011年3月11日の東日本大震災のときには「病院や役所やオフィスビルなど、大きな建物が優先されて、ウチなどにはなかなか来てくれないだろう」と考えたものの、日立ビルシステムは驚くほどの早さで駆けつけてくれた。そういうことが、会社への信頼を厚くするのだ。


朝飯 隠元豆の胡麻和え、切り昆布の炒り煮、目玉焼き、ほぐし塩鮭、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と若布の味噌汁
昼飯 納豆と玉葱のつゆで食べる素麺
晩飯 パンチーズChablis Billaud Simon 2018


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2025.7.30(水) 伊豆治療紀行(38回目の2日目)

今回の宿は素泊まりにて、朝食は、整体院から2キロメートルほど手前のファミリーレストランで摂ることとした。その食事の最中に整体院から電話が入る。先生によれば、明日に予約をしていた三重県からの患者が、何を間違えたか現在、クルマで伊豆に向かいつつあるという。まさか断るわけにもいかないため、早めに来てくれれば有り難いとのことだった。当方は願ったり叶ったりだから即、席を立つ。

その2キロメートルの道にレンタカーを走らせている最中に、サイレンが鳴り響く。聞き慣れた火事のそれではないため、整体院に着いて先生に訊くと、津波警報ではあるものの、現在の場所は海抜にして200メートル以上のところにあるから心配は皆無、とのことだった。

今日の治療はきのうに引き続いて、腰へのそれは念入りに行われ、膝は幸い軽く済んだ。家内の、今年の2月にいきなり悪くなった膝も、急速に良くなっているらしい。

三重県の患者の勘違いにより、正午まで予約してあったレンタカーは、10時30分に返すことができた。その伊東駅前の営業所で、伊豆急行線が全線にわたって止まっていることを知らされる。

目と鼻の先の伊東駅には、タクシー待ちの列ができていた。列車はしばらくは動かないだろう。駅ビルのベックスコーヒーショップは満席。急ぐ旅でもないらしい白人のバックパッカー数名は、早くも駅の庇の下で横になった。

僕は家内を駅に残して、休むことのできる喫茶店を商店街へ探しに行く。そしてそこに、携帯電話により家内を呼び寄せる。

昭和の雰囲気を残した喫茶店には大きなテレビがあった。津波の原因はカムチャツカ半島沖の大地震で、津波の高さは30センチメートル。それが伊豆半島の東岸に達するのは11時30分と、ニュースはおなじ内容を繰り返している

その11時30分が来ても、静岡テレビに映し出される伊豆の海に、大した変化は見られない。しかしアナウンサーは「津波は何度も繰り返し来ます」とか「○○地震のときには、9時間後にもっとも大きな津波が発生しました」と、おなじ原稿を何十回も読み続けている。それを観ながら「伊豆急行は、しばらくは動かないね」との結論に家内と達し、2時間と少々を居させてくれた喫茶店を出る。

駅ビルの中は既にして無人、入口はすべて閉ざされている。タクシー待ちの行列の最後尾に並んだのは12時45分。最前列に立てたのは13時35分。すべり込んできたタクシーの助手席の窓が開く。「熱海までのお客様はいらっしゃいますか」と運転手が呼びかける。「僕たちは熱海です」と答えると、運転手は数メートルを進んでタクシーを停めた。

僕はすかさず行列の後方へ向かって「熱海までの方は、いらっしゃいますか、2名まで」と、人差し指と中指を立てた右手を挙げて見せた。「はい」と、随分と後ろの方で手が挙がる。我々より2、30歳ほども若く見えるカップルは「助かったー」と、そのタクシーに乗り込んできた。

タクシーが伊東の駅前を出たのは13時37分。右手に見える海は平穏そのものだ。14キロメートルをこなして熱海駅に着いたのは14時12分。長距離割引きなるものを受けた料金は7,990円。1,000円札4枚を差し出した男の人に家内はそのうちの1枚を返し、残りは自分の財布から出した。

熱海駅のタクシー乗り場には長蛇の列。みどりの窓口にも、なぜか長蛇の列。とにかく駅の前は大混雑。しかし東海道新幹線は、何ごともなかったように動いている。そのプラットフォームに上がったのは14時17分。そして14:35発の、こだま722号の自由席に、無事に収まる。

以降は大したことは起きず、日本橋で夕食を摂って、21時すぎに帰宅を果たす。ちなみに伊豆急行線は、20時30分に、全線が運転を再開したらしい。


朝飯 「ガスト」のモーニングセット「目玉焼き&ベーコンソーセージセット」
晩飯 「吉野鮨本店」のあれやこれやそれや、他あれこれ、「櫻正宗」の「宮水の華特別純米」(冷や)、同「上撰」(燗)


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2025.7.29(火) 伊豆治療紀行(38回目の1日目)

きのうに引き続いて今日は、今月17日の日記に書いた、ローリスク・ローリターンの提案をしてきた賃貸業者による改装の下調べを受けるため、10時前に甘木庵に入る。きのうの業者とは異なって、今日の業者は足立区にある工務店の二人を同伴していた。

二人の本職は3LDK、見方によっては2LDKプラス1の室内をくまなく調べ、採寸をし、賃貸業者もみずからの知見により様々な提案を彼らに投げかけ、小1時間で大方の結論に達した。改装に要する経費の見積もりは、これから10日のあいだには出るという。その後、賃貸業者にはひとりで残ってもらい、きのうの業者にしたとおなじく、甘木庵の賃貸は、ふたつの会社がこれから出してくる数字を比較検討した上で、どちらに任せるかを決めることを伝える。なお、今日から帰宅をするあさってまでは鍵を使うことはなく、家にはスペアキーもあるところから、今日の業者には甘木庵の鍵を手渡す。

炎天の下を歩いて本郷三丁目の駅ちかくまで来ると時刻は11時10分。乗る予定のこだま729号が東京駅を発つのは13時27分。涼を得るための冷たいものは、どこで飲むべきか。東京駅の中には様々な店があるだろうけれど、そこは広すぎで不案内だ。よって本郷三丁目駅前のドトールコーヒーショップに入ろうとして、充電中のiPhoneを甘木庵に置き忘れたことに気づく。

以前、夜間にタンスと壁の隙間にスマートフォンを落とし、しかしそのタンスはひとりで動かせる構造にはない。よってスマートフォンを拾い上げることはできず、つまりどこにも連絡ができずに難渋した人のウェブログを読んだことがある。現代人はかくのごとく、スマートフォンを欠いては多くのことに手も足も出なくなる。そして現在、僕はその人とおなじ苦境に立っている。つい先ほどまでは自由自在に動けていたにも関わらず、だ。

先ず考えたのは、来た道を戻ってアパートの管理人に鍵を預かっているか否かを訊ねる手、だった。しかしオフクロが甘木庵を別宅として使っていた2014年以降は、管理室の鍵は撤収したような気がする。財布には500円硬貨1枚と100円硬貨3枚があった。よってちかくの電話ボックスに入り、100円玉硬貨ひとつを入れて会社に電話を入れる。

長男は幸いにも事務室にいた。長男によれば、鍵の預けについては不明ながら、管理室にはマスターキーがあるのではないかと言う。しかし炎天下を戻ってそれが管理室に無ければ無駄足になる。長男には管理室に電話を入れ、マスターキーの有無について訊くよう頼んで一旦、受話器を置く。

3分を待って会社に電話を入れると、管理人は外に出ているのか、電話には応答しないという。次に長男が提案をしたのは、合い鍵を宅急便で伊豆の整体院に送る手だった。しかし明日の午前中指定配達で送っても、ヤマトに不手際が生じれば、鍵は午前中に届かない。

今日の賃貸業者の会社は麹町にある。麹町なら本郷まではそれほど遠くない。よって今月17日には長男も受け取ったはずの名刺の番号に電話をし、貸したばかりの鍵を甘木庵まで持ってきてくれることは可能か、可能であれば何時ごろに来られるかを訊いて欲しいと長男に頼んで、またまた公衆電話の受話器を置く。

またまた3分を待って、3枚目の、最後の100円硬貨を公衆電話に入れる。長男によれば、既にして麹町の会社に戻っていた業者は、これから甘木庵まで引き返してくれるという。また、甘木庵には11時30分には着ける見通しとのことだった。

本郷三丁目の交差点と甘木庵の距離は500メートルほどのものだろうか。それを戻ってアパートの前の日陰に立つ。ここで時刻は11時22分。スコッチグレインの磨き抜いた靴を履いた、いまだ若い賃貸業者は、これまた泥のはねひとつ無い白いアルファードを運転しながら11時32分に姿を現した。「助かった」である。

部屋で充電中だったiPhoneと電源コードを回収し、鍵を業者に返す。ふたたび本郷三丁目の駅ちかくまで戻ったときのTシャツは汗まみれ。ハンカチは絞れば水が滴るほどに濡れていた。今度は迷わず普通のそれよりは随分と高級かつ随分と広いドトールコーヒーショップに入り、880円の「珈琲ゼリーinカフェオレ」を注文して小一時間を休む。Tシャツの前身頃は乾いたものの、背中側はいまだ濡れたままだ。

東京駅の東海道新幹線14番プラットフォームには13時すぎに上がった。4号車の後方昇降口の位置で待つうち、遠くから家内の歩いてくる姿が見える。

伊東駅には14時51分の着。いつものレンタカー屋でクルマを借り、先ずは宿に荷物を置く。「伊豆高原痛みの専門整体院」までの距離はおよそ6キロメートルで、予約の時間は16時。

今日の僕の治療は、主に腰に集中して行われた。皮膚に押し当てられる電子ペンによる痛みは、患部の状態が悪いほど強くなる。しかしてまた腰には肉があるため、肉のほとんど無い膝への治療ほどは痛くない。そして今日の膝への電子ペンは、昨月とは異なって、痛みはほとんど感じなかった。

さて今回の宿は素泊まりにて、夕食は治療院にほどちかい店で摂った。宿へ戻って後は入浴をして即、就寝する。


朝飯 「小諸蕎麦」のたぬき蕎麦、ライス
昼飯 「笹八」の爆弾おむすび、JAVA TEA
晩飯 “RAM PADDLE”のラムタン厚切り肩ロース野菜の盛り合わせラムチョップ「おたる醸造」の「おたる赤辛口」


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2025.7.28(月) 白ワインか白酒か

小遣い帳を検索しても出てこないから、いつ買ったものかは分からない。とにかく3着で1,000円の値付けをされていたユニクロのTシャツのうち2着と下着を2着、それに靴下2足をロールケーキのように丸めてSALEWAのスタッフバッグに入れる。時刻は4時20分。東の空には笠智衆が「東京物語」で歎賞したとおなじような、かどうかは不明ながら、夜明けが見える。

1泊2日の外出にコンピュータを持たなくなったのは、この日記を遡ったところ、2021年のことと知れた。最も大きな理由は体力の消耗を抑えるため。二番目の理由は日記の「書き溜め」と「思い出し書き」が上手くなったからだ。今日からは2泊3日の外出になるものの、やはりコンピュータは持たない。

下今市10:34発の上り特急スペーシアXに乗り、千代田線の湯島には12時23分に着く。最寄り駅は本郷三丁目でも住所は湯島、という場所に僕が所有する甘木庵は、ここ数年はほとんど空き家の状態だった。これを先月、遂に賃貸に出すこととし、仲立ちの業者をふたつに絞った。今日は13時より、そのうちの一社と改装についての具体的なすり合わせを行う。

予報によれば、本日の東京の最高気温は36℃。切り通し坂は、日陰を選んで上ろうとしても、湯島ハイタウンの前を過ぎてしまえば、もう日陰などはない。坂の途中で右へ折れ、裏道を辿って甘木庵に荷物を置く。そして目と鼻の先の龍岡門から東京大学の構内に足を踏み入れ、右手のローソンにて業者のためのペットボトルのお茶を買う。

今日の不動産業者はハイリス・クハイリターンの賃貸計画を持つものだが、一緒に来るはずだった改装業者は熱中症にて現れなかった。そのためひとりで来ざるを得なかった不動産業者は、今月7日の現地視察のときに引き続いて家の中の写真をスマートフォンで撮ってまわり、次回に備えて甘木庵の鍵を貸りたいと申し出た。しかし明日はもう一方の、ローリスク・ローリターンの賃貸計画を持つ業者との、やはり改装のための下調べがある。よって今日の業者は31日の木曜日に、宇都宮から日光まで鍵を取りに来るよう伝えた。

夕刻には新橋に移動をして、今夜の飲酒活動について、あれやこれや考える。ビストロなら冷えた白ワイン、中華料理屋なら白酒。そのどちらにするか散々迷った挙げ句、両者とはまったく異なる店を思い出す。そして開店の17時が近づくころに今夜のねぐらを出て、はじめは西へ、次は南へと歩いて行く。


朝飯 納豆、冷や奴、生玉子、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、2種の天ぷらと小松菜の味噌汁
昼飯 「セブンイレブン」のサンドイッチ、牛乳
晩飯 「三政」のトマト(半分)、おしんこ(半分)、串焼き其の一其の二其の三ウーロンハイ、「四ッ谷酒造」の麦焼酎「のんじょくれ」(オンザロックス)


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2025.7.27(日) 打ち水

東武線で東京へ出て、その先は兎に角、また東武線で戻ってくる。その翌日は早起きができない。いつもより寝る時間が遅いということと、もうひとつは寝過ごさないよう注意を払いつつ100分間を列車に揺られている、その緊張がからだを疲れさせるからではないかと思う。

配達係のイザワコーイチさんと道の駅「日光街道ニコニコ本陣」への本日1回目の配達をし、春日町の交差点まで戻ってくると時刻は8時20分。店の駐車場には8時30分の開店をお待ちになるお客様が、クルマの数にして7台もいらっしゃった。

今日は長男が休み。販売係が出社をするのは9時にて、店のシャッターを上げてからの16分間は孤軍奮闘が続いた。それにしても、今日のお客様の出足の早い理由は何だろう。

推定で築150年の隠居には、壁や天井に穴を開けるわけにはいかないから空気調整器、いわゆるエアコンは入れていない。夏のお客様のためには扇風機と冷風機のあるばかりだ。先日はふと、夏でも囲炉裏で燗を付ける、顔に風を送る手段はウチワのみ、という神楽坂の居酒屋を思い出して、amazonにウチワを発注した。その12本が午前の早い時間に届いたため、竹の籠に入れて隠居へ運ぶ。

隠居で涼を得る手段は、他に打ち水がある。それを自動的にしてくれる装置については、なるべく早く導入したい。


朝飯 擂り胡麻、明太子をまぶしたほぐし塩鮭、梅干、なめこのたまり炊、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」によるお茶漬け
昼飯 熱いつゆと天ぷらで食べる素麺
晩飯 夏野菜とベーコンと豚挽き肉のスパゲティChablis Billaud Simon 2018


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2025.7.26(土) 同窓会

「2025年 D35クラス会のお知らせ」という表題のメールが自由学園男子部35回生の同級生セキグチヒロシ君から届いたのは今月1日のことだった。本文の最上段には「D35グループLINEでのメッセージを見ていない可能性を考えてメールします」とあった。確かに、僕のLINEは昨年6月2日に起きた小さな騒動により途切れ、以降、同級生のあいだの情報は、LINEでは得られなくなっていたのだ。

クラス委員のセキグチ君には、同窓会に参加の意思のあることを返信した。LINEグループの復旧については「簡単なので、当日現地で」と返事があった。

同窓会は神田で15時からとのことで、下今市からは10:53発の上り特急に乗った。浅草のプラットフォームから改札口を抜けると「今日は隅田川の花火大会です」のアナウンスが聞こえてきた。そうであれば、帰りの座席指定券は早めに確保する必要がある。駅の大階段の下ではウチワを配る人がいて、僕も1本をもらって地下鉄銀座線に乗る。

新橋には13時03分に着いた。大衆床屋には11名の待ち客があったものの、13時15分に予約を入れておいた僕の散髪は14時に完了した。

僕が時間の調整に用いるのは登山用品屋と本屋だ。京橋でモンベルを覗き、日本橋まで歩いて丸善でひと休み、という順路が頭に浮かぶ。しかし気温36℃の炎天下を、たとえ地下鉄ひと駅分とはいえ歩く気はしない。新橋からは神田に直行し、冷たいものを飲みつつ本を読むことを選んだ。

15時からの同窓会には北は青森から、西は大阪から、総勢17名が集まった。酷暑を思えば驚くほどの参加率である。乾杯と同時に献杯をしたのは、既にして鬼籍に入った同級生のためのものだ。LINEグループが読めないこの1年間に、またひとり同級生が亡くなっていた。

歓談は賑やかに3時間ほども続いた。三々五々駅へ向かう面々から僕はひとり離れて銀座線に乗る。その浅草のプラットフォームには結構な混雑があった。そして19:19発の下り特急リバティに乗って、21時過ぎに帰宅を果たす。東京の昼の暑さにくらべれば、日光の夜はいかにも涼しい。


朝飯 なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と玉葱とズッキーニと小松菜とウインナーソーセージの味噌汁
昼飯 「セブンイレブン」のサンドイッチ、牛乳
晩飯 「屋台酒場バッテン」のあれやこれやそれや他あれこれ、チューハイ、それを濃くするためのナカ

2025.7.25(金) 紛争

タイとカンボジアの国境ちかくで発生した紛争の様子が、朝のテレビのニュースに映し出された。カンボジア側からのロケット弾がタイ側のセブンイレブンに落ちたことによる被害は、テロップによれば「子供を含む民間人14名が死亡、46人が負傷」したらしい。タイからの報復攻撃については「カンボジア軍の拠点を空爆、破壊」のみの報道で、負傷者や死者の数字は無かった。

タイとカンボジアの国境を挟んだ小競り合いは、むかしから頻繁に起きている。それが今回は、なにが引き金になったかは分からないけれど、かなり大きな形で発生した、ということだ。

タイとカンボジアの国境には、タイ語ではカオプラウィハーン、カンボジア語ではプレアヴィヒアという名のクメール遺跡がある。僕と次男は2012年夏にタイ側からそこへ入ろうとしたものの、ときおり発出される公的制限に阻まれて、近づくことさえできなかった。諦めきれない僕は、翌年の夏に今度はカンボジア側からやはり次男とそれを試み遂にその目的を果たしたことがある

バンコク在住の同級生コモトリケー君からLINEで送られた情報によれば、タイ側の空爆によりカンボジア側が受けた被害は民間人200名以上が死亡というもので、とすれば爆撃を受けたのは「カンボジア軍の拠点」ばかりとも思えない。タイでは更に「フン・セン上院議長が国外逃亡か」という噂もネット上で飛び交っているとのことだけれど、あれだけ権力欲の強い人間が、これくらいのことで現在の地位を投げ出すことは考えづらい。

きのうは偶然、タイと周辺国との国境について考えていた。カンボジアとの国境は上記の通り。ミャンマーとの国境は、ミャンマー国内にある中華人民共和国の詐欺集団の件で、現在はすこしく緊張をしている。マレーシアとの国境は、イスラム教徒の気の毒な事情があるものの、ときおり爆弾テロが発生するところから、日本の外務省は渡航中止勧告を出している。しかしまぁ、行って行けないこともないため、僕は2016年の2月に行ってみた。平穏なのはラオスとの国境のみか、という気もするけれど、詳細は分からない。

午後、北西の空に積乱雲が立ちのぼる。夜は所属する団体の会議にて、街の料理屋へ赴く。


朝飯 生のトマト、茄子のソテーを添えた目玉焼き、納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と若布と夏葱の味噌汁
昼飯 納豆と玉葱のつゆで食べる素麺
晩飯 「幸楽」のスッポンの生き血と肝と心臓と胆嚢スズキの薄造り鰻の蒲焼きと豚の塩麹漬けスッポン鍋、他あれこれ、「清開」の「きざけ日光誉」(燗)


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2025.7.24(木) その日は生憎と

血圧と血中の脂質を適正に保つため、ふた月に一度の頻度で内科医の診察を受けている。その病院では、思い出したころに血液検査をされる。しかし血管に針を刺されることは何より嫌いだから、今年3月10日に受けた会社の健康診断の結果を持参すると、先生には前回の診察時に告げていた。しかしそのカラーコピーを今日は事務室に置き忘れてしまった。「というわけでそれは次回に」と言うと先生は頷いてくれたから助かった。

外科の病院に月に二度だけ出張してくる先生は壁のカレンダーを見上げて「次は9月25日でよろしいですか」と訊いた。その日、僕は生憎とタイとラオスの国境付近にいる。「その前の、9月11日でお願いします」と答えて、僕は丸椅子から腰を上げた。

郊外にある病院まで乗ってきたホンダフィットの助手席には、パタゴニア製の熱帯に特化した長袖シャツが載せてある。これを病院からほど近いイオンに入っているリフォーム屋「マジックミシン」に持ち込み、半袖にしてくれるよう店主に頼む。「別段、急ぎません」と告げる僕に店主は「7月31日」と記した引換券を手渡してくれた。

僕は、着ている服の枚数が少ないほど気分が良い。その布の面積が狭ければ更に気分が良い。夏を好む理由には、そのようなことも関係しているのだ。


朝飯 トマトのソテーを添えた目玉焼き、納豆、ツナとレタスのサラダ、茄子の揚げびたし、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と若布の味噌汁
昼飯 納豆と玉葱のつゆで食べる素麺
晩飯 稲荷寿司と巻き寿司、三種の焼き鳥、なめこのたまり炊、らっきょうのたまり漬「つぶより」、「松瀬酒造」の「松の司生酛純米酒」(冷や)、「和久傳」の「西湖」


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2025.7.23(水) そのような長年の習慣は

きのう今日と、朝は「汁飯香の店 隠居うわさわ」でお客様が記入してくださった感想カードの内容を、コンピュータにデータベース化した。この仕事を朝食の前にし終えると、かなりの充実感を覚えることができた。お盆や年末年始に限らず、最大公約数の人が休んでいるときに仕事をすることは結構、好きだ。とはいえ、最大公約数の人が働いているときに南の国のプールサイドで寝転んでいる、ということも、また嫌いではない。当たり前である。

午前のいまだ早い時間に、僕が日光市内に所有する土地に興味を示している人がいるとの、不動産業者からのメールが入る。そこには、売却の意思の有無だけでも来週の月曜日までに知らせて欲しい旨が添えてあった。

田舎の古い家には「出入り」というものがある。大工、石工、左官、塗装、経師、畳、水まわりなど、それを担う出入りの職人とは数十年、あるいは百年を超えるつきあいがあって、用のあるときには見積もりも求めない。他の業者との相見積もりなどは勿論、取らない。しかしながら、そのような長年の習慣はそろそろやめるよう、オヤジが亡くなって以降は顧問税理士に強く言われるようになった。

そのこともあって、午後になってから、過去に世話になったことのある、別の不動産会社の社長に電話を入れてみる。するとこちらは朝のメールにあった価格より数割ほども高い値を口にした。「とすれば」ということで、朝の不動産業者には来週の月曜日を待たないまま、2通目の返信を送ることになるだろう。

相見積もりなどはハナから考えもせず「ウチは昔からおたく一本だから」という仕事の頼み方は気持ちの良いものではあるけれど、諸事せちがらい世の中であれば、相見積もりも致し方のないこととは思う。


朝飯 ピーマンのソテー、豆腐の玉子とじ、納豆、茄子の揚げびたし、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と夏葱の味噌汁
昼飯 納豆と玉葱のつゆで食べる素麺
晩飯 梅きゅうり豚薄切り肉と菠薐草ときのこの鍋、「松瀬酒造」の「松の司小仕込みの会限定純米酒」(冷や)、メロン


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2025.7.22(火) 高くても

起きて食堂に来て食器棚の電波時計に目を遣ると時刻は3時58分。角部屋の、南東と南西に面して3枚ある窓の、すべてのカーテンを巻き上げる。東の空には既にしてうすい紅色が差している。紅色の上には夜の紺があり、しかしそこには朝の青も混じっている。それを更に確かめたくなって、部屋の明かりを消す。

その状態でコンピュータの電源を入れ、パスワードを打ち込む。ほぼ真っ暗でも、キーボードはディスプレイにうっすらと照らされている。キーボードのアルファベットまでは見えないものの、パスワードくらいならいわゆるブラインドで打てる。その最中に「そういえば、Thinkpadにはキーボードを照らす照明がディスプレイの上端中央にあったけれど、今はどうなんだろう」と、むかしのことを思い出す。

僕の、インターネットに接続可能なコンピュータは、1995年に手に入れたThinkpad530が初代になる。以降2008年までの13年間に10台のThinkpadを使った。そのあいだにIBMのPC部門はLenovoに売られ、ハードは日本製から中国製となった。質を大きく落としたThinkpadに業を煮やした僕は、2011年の夏に、愛機をLet’s noteに換えた。

Thinkpadを使い続けた一番の理由はトラックポントの使いやすさだった。それがLet’s noteではトラックパッドに換わる。不安は大きかったものの「一週間で慣れる」と言う人のことばを信じた。そして実際には3日で慣れた。

Let’s noteの価格は、普通のラップトップコンピュータの数倍はする。しかし2011年から今年までの14年間に使ったそれはたったの2台。その2台目は先月の29日で7年目に入ったものの、いまだ元気だ。

「高くても長く使える道具が好き」という僕の好みにLet’s noteは沿っている。2台目を3台目に換えるのは、いつになるだろう。


朝飯 目玉焼き、大根おろしとおろし生姜を添えた茄子の揚げびたし、切り昆布の炒り煮、胡瓜のぬか漬け、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と夏葱の味噌汁
昼飯 納豆と夏葱のつゆで食べる素麺
晩飯 胡瓜と大葉の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、隠元豆の胡麻和え、南瓜の甘煮、らっきょうのたまり漬「つぶより」、なめこのたまり炊、キンキの干物豚三枚肉の塩焼きレタス、「松瀬酒造」の「松の司小仕込みの会限定純米酒」(冷や)


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上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

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