2025.10.11(土) 隠居の室礼
上澤梅太郎商店が運営する朝食の専門店「汁飯香の店 隠居うわさわ」の床の軸を、きのうは高久隆古の「秋景山水之図」から田崎草雲の「巌菊之図」に掛けかえた。
我が家には大した掛け軸が無い。そのうち幾らかマシと思えるもののみが、コンピュータにデータベース化してある。「巌菊之図」の次は羅漢山人の「大黒天の図」が控えているものの、これは保存状態が極端に悪い。それでも掛けるのは恵比寿講がちかいからだ。その次は谷文晁の「福神恵比寿之図」で、骨董商の見立てによれば、真物ではあるものの、金銭的な価値は取るに足りないものとのことだった。
床の軸を替えたときにはそれを、お客様の目に入るだろう様々な角度から眺めてみる。そして感じるのは何とはなしの寂しさ、あるいは子供のころに覚えたと同じ、おどろおどろしさだ。
ここ数十年のあいだに日本人が触れてきた美術品は、東洋のものより西洋のものの方が圧倒的に多かったような気がする。そうして西洋のものに慣らされた結果、特に掛け軸などは色彩の乏しさから寂しく思われてしまうのではないか。しかしまさか、床の間に年がら年中いわゆる”abstract”を掛け続けるわけにもいかない。
そして僕は、早くも年の明けることを望んでいる。その理由のひとつには「床の間が賑やかになるから」ということも、含まれているような気がする。
朝飯 納豆、筑前煮、鮭の焼きほぐし、秋刀魚の梅煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「つぶより」(四つ割り)、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と若布の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 “Finbec Naoto”の其の一、其の二、其の三、パン其の一、其の四、パン其の二、其の五、其の六、コーヒー
2025.10.10(金) 無意識の領域の具体的な理解
目を覚ましたのは4時台のなかば。起きたのは5時すこし過ぎ。きのうの朝から一転して、今日は涼しい、というか寒くさえある。
洗面所のカーテンの隙間から見る朝の空が美しい。廊下を伝って食堂に来て湯沸かしの電源を入れると即、階段室の鍵を外して屋上へ出る。東の中天には金星が光っている。西の中天には旧暦8月19日の、と言うべきか、あるいは18日の、というべきか分からないものの、月が丸々と、いまだ煌々と照っている。
数分後に階下に降りて、仏壇と自分のためのお茶を淹れる。東の窓に目を遣れば、朝の空は早くも死んだ鳥の、閉じられたまぶたのように薄く頼りなくなっていた。
オマル・ハイヤームの詩のどこかには「一瞬を生かせ」という警句がありはしなかったか。あるいはそれは、この古代ペルシャの文章を駅伝のたすきを繋ぐようにして訳してきた、そのうちの誰かが勝手に章立てた、そのひとつに付けた見出しだったかも知れない。
と、今日もまた、朝のことだけで397文字も連ねてしまった。その理由を考えれば、この日記の書かれる時間がほぼ早朝に限られ、そのときは正に”Real time”のため、筆が進む、否、キーボードを叩く指がよどみなく動くのだろう。
午後、今回の訪タイに持参したCampusの二冊のメモ帳のうち、A7の小さな方の、既にして使ったページを破って捨てる。そこにある文字のすべてはこの日記に残されたから、元の紙は、もはや不要なのだ。
その小さなメモ帳「A7変形普通横罫30枚(7mm×12行)」と、おなじA7サイズのRHODIA No11を事務机に並べてみる。RHODIAのメモ帳は、よくは覚えていないものの、20年ほど前に手に入れたもので、邪魔な表紙を取り去って後もなお僕には使いづらく、いまだ半分ほどのページが残されている。
日本では珍しくもないCampusのメモ帳の使いやすさは、開くとA7が2ページの広さになって、つまり1ページの倍の情報が俯瞰できる。それに対していわゆる「おしゃれな人」に愛されるRHODIAのメモ帳は、一度に目視できるのは1ページのみ。使ったページを後ろにめくると、本体の厚さにより、その裏の面積は本来の3分の2ほどの狭さになって、使う気にはならない。またページは1枚ずつ切り取られることが前提とされているから、必要なあいだは残しておく、ということが不自然に感じられる。それらの理由によりRHODIAのメモ帳には手が伸びなかった、ということが今回はようやく理解できた。
そしてまた、何気なくしている行いは、つらつら考えてみないと、その無意識の領域は曖昧模糊としたまま、ということが分かった。遅ればせながらの納得、である。
朝飯 玉子焼き、筑前煮、納豆、鮭の焼きほぐし、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「つぶより」(四つ割り)、ごぼうのたまり漬、メシ、三つ葉の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 万願寺唐辛子の網焼き鰹節かけ、秋刀魚の梅煮、筑前煮、めかぶの酢の物、鶏の網焼きの「日光味噌ひしお」添え、らっきょうのたまり漬「つぶより」(四つ割り)、「山本合名」の山廃純米「天杉」(冷や)
2025.10.9(木) 食事会
2時台の前半に目を覚まし、3時台のなかばに起床する。起きたときから半袖のポロシャツに長袖のTシャツを重ねる。食堂に来ると、暖かい朝ということが分かった。しかし窓を開ける気はしない。
TikTokの「梅太郎」のアカウントに、ローマ字によるコメントが付いている。その言語は語感からして何となくインドネシア語に思われる。Google翻訳の左の窓にそのローマ字を入れると、やはりそれはインドネシア語だった。それに対して日本語で返信を書き、その日本語をまたまたGoogle翻訳でインドネシア語にする。
インドネシア語はラテン系の言葉とおなじく、日本人には発音がしやすい。よってGoogleで翻訳されたアルファベットをTikTokの返信窓に人差し指で入れていくこともまた、他の言語よりは楽だ。そんなことをしてからおとといの日記を公開し、続いてきのうの日記を作成する。
以降はすることもないため、来年の春にしようとしている、ウドンタニーからチェンライまでのバスによる移動について、先月ウドンタニーで訪ねたバス会社のページを開いて検討する。しかし英語による予約ページは”Coming soon”となっていた。仕方なく言語をタイ語に切り替えると当然のことながら、何が書いてあるか分からない。しかしまぁ、時間は充分にある。切符は現地で先月あれこれ訊いたオネーサンに手配してもらっても良いのだ。しばらくは気楽にしていることにしよう。
と、ここまでで既にして613文字。僕の日記は朝のことだけで終わることが少なくない。
さて日光が紅葉狩りの観光客で賑わうのは毎年、体育の日の絡む連休から勤労感謝の日の絡む連休までの約六週間。その最後のころは地方発送の年末需要が一気に高まり、いきなり出荷数の増える時期に重なる。それが収束するのはクリスマスのころ。ようやくひと息が付けるのは大晦日の閉店後。
というわけで、その繁忙が目前の今夜は都合の付く社員が自宅四階へ集まって、食事会を催す。
朝飯 目玉焼き、納豆、鮭の焼きほぐし、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「つぶより」(四分の一割)、ごぼうのたまり漬、メシ、菠薐草と揚げ湯波と若布の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 冬瓜と豚薄切り肉の淡味炊き、筑前煮、秋刀魚の梅煮、焼叉、レタスとトマトのサラダ、鯨の刺身の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、おむすび、焼きおむすび、らっきょうのたまり漬、らっきょうのたまり漬「ピリ太郎」、果物盛り合わせ、ヨーグルトのムースのブルーベリーソース、2種のワイン
2025.10.8(水) 地球上のどこにいても
2時台と5時台に目を覚まし、しかし起床したのは6時まで2、3分というときだった。きのうの就寝は9時前の早さだったにもかかわらず、だ。旅の疲れがいまだ残っているのだろう。
屋上に上がり、先ずは東の朝日を見る。そして振り向くと、今日に限っては朝日どころではない、西の景色の方が美しかった。雲の具合によるのだろう、男体山の頂上から少し下を、上下に狭い帯状に朝日が差している。そして旧暦8月17日、否、この場合には前夜の8月16日の月というべきだろうか、とにかく朝の月が、その男体山の左の肩に沈もうとしていた。その景色に思わずiPhoneを向けるものの、乾燥機に仕舞っぱなしのニコンD610でもなければ、その様子は多分、画像では確認できないに違いない。
今日は月に一度の店休日にて、9時30分から15時30分まで社内各部の会議につき合う。事務室ではまた、二十数年ほども使い続けたビジネスフォンを最新のものに交換する工事が行われた。
夕刻、嫁のモモ君が僕のiPhoneに、あるアプリケーションをインストールしてくれる。これを使えば地球上のどこにいても、インターネットにアクセスしてさえいれば、会社の代表電話番号からの発信はおろか、社内の内線電話も使えるとのことだった。
まったくもって、便利になったのか、不便になったのか、分かりかねる今の世の中ではある。
朝飯 納豆、生玉子、めかぶの酢の物、玉葱とウインナーソーセージのソテー、らっきょうのたまり漬「つぶより」、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と菠薐草と若布の味噌汁
昼飯 「セブンイレブン」のサンドイッチ、お茶
晩飯 サラダ、焼売、海老のチリソース炒め、麻婆豆腐、油淋鶏、炒飯、あんかけ焼きそば、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)
2025.10.7(火) 剪定作業中
きのうの就寝は21時より前だった。目覚めは3時台、次は4時台。しかし起きたのは6時35分。声が枯れているのは、きのうの機内の乾燥のせいだろうか。飛行機に乗りながら乾燥を感じたことはないものの、喉の弱い人は、それをしきりに訴える。次からはマスクを使った方が良いかも知れないものの、マスクは好きでない。
朝礼の後、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」へ本日最初の納品をすべく、配達係のイザワコーイチさんとホンダフィットに乗る。僕の姿を見たイザワさんは「大丈夫ですか、半袖で」と言う。僕は「暑い寒いよりも、重ね着が嫌いなんですよ」と答える。
重ね着がイヤだから寒くても薄着で震えている、という人は、僕以外にもかならずいるはずだ。とはいえ半袖のポロシャツに長袖のTシャツを重ねるくらいなら、いまだ我慢もできる。よって昼前に自宅へ戻り、衣装箱からクローゼットのチェストに移しておいた長袖のTシャツを着る。
植木屋のカシワギさんからは、タイにいるときから盛んに電話が入った。僕は今どこにいるなどは言わず、ただ隠居の樹木の剪定について、その予定を聞いた。それによれば、カシワギさんはきのうの朝に下見をしたはずだ。そして今日から本格的な仕事が始まった。
問題は「汁飯香の店 隠居うわさわ」の個室「杉の間」へ到る廊下から望める赤松の、こちらは剪定ではなく伐採だ。
カシワギさんによればその松は実生から育ったもので、手を入れつつ残すほどのものでもないとのことだった。雨樋と冷蔵庫の室外機に盛んに葉を落とすそれについては僕も「いっそ無ければ清々する」とは考える。しかし倒されるときに隠居の屋根を直撃すれば、推定築150年の建物の、その部分の再生は不可能になる。
「何とか無事に倒れてくれ」と、祈るばかりである。
朝飯 茄子の揚げびたし、納豆、トマトのソテーを添えた目玉焼き、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と菠薐草の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 サラダ、だし巻き玉子、穴子鮨と鯖鮨、らっきょうのたまり漬「つぶより」、ごぼうのたまり漬、「山本合名」の山廃純米「天杉」(冷や)、「角口酒造店」の「いいやまのさけ特別純米」(冷や)
2025.10.6(月) 帰国
スチュワーデスが何ごとか話しかける。夜食の丸パンを届けに来たのだろう。僕はアイマスクをしたまま手を横に振る。彼女は「それでは置くだけさせていただきますね」と言うのでアイマスクを外し、空いている窓際の席のテーブルを開く。スチュワーデスは「お水も置いていきます」と、いやに丁寧だ。丁寧にされるより放っておかれた方がよほど有り難いことも、飛行機の中では多々ある。
アイマスクをし、イヤフォンで飛行機のジェット音を低くしても、眠れない。足を延ばしたり引き寄せたり、フットレストに載せたり降ろしたり、あれこれ姿勢を変えても眠れない。アイマスクを外してディスプレイに現在位置を確かめたらいまだインドシナ半島を脱していなかったりすれば落胆は大きいから、そのままかたくなに目を閉じ続ける。
不意に肩を叩かれてアイマスクを外すと、朝食の配膳が始まっていた。時刻は3時4分。機は沖縄と九州のあいだまで来ていた。3時間40分ものあいだ眠れずに焦燥を続けたのだろうか。あるいはすこしは眠れたのだろうか。「そろそろビジネスクラスにしないと辛いか」と考えても、着く時間が同じであれば、桁外れに高い運賃は支払いづらい。
「朝食はオムレツ、あるいは豚とライスのどちらになさいますか」と問われて「豚とライス」と答えたものの、実際にはコーヒーとヨーグルトと果物しか口には入れない。そしてラバトリーで歯を磨く。
そのうちスチュワーデスが黄色い携帯品別送品申告書を配り始める。その姿を目にした瞬間、いつも航空券を買うトチギ旅行開発が自社のコンピュータから出力してくれたそれは、預け荷物のスーツケースの奥深くに仕舞いっぱなしだった、ということに気づく。仕方なくスチュワーデスから一枚をもらい、朝日の差しはじめた機内にて、その上から下までをボールペンで埋める。
04:44 右の機窓からは太平洋が望めるはず。ところが地上が見える。果たして自分はいまどこを飛んでいるのか。目の前のディスプレイに触れると、機ははやくも房総半島の上空にいた。
04:46 眼下に東京アクアラインが見えてくる。
04:49 TG682は定刻より6分はやく羽田国際空港に着陸。以降の時間表記は日本時間とする。
07:01 機外に出る。機内では「東京は曇り」とアナウンスがあったものの、空は気持ち良く晴れている。
07:09 入国審査場を通過。
07:27 回転台からスーツケースが出てくる。
07:30 税関を通過。
07:39 京急空港線急行の車両が羽田空港第3ターミナルビルを発。
08:31 人形町で日比谷線に乗り換えて北千住に着。
自由民主党の総裁に高市早苗が選ばれたことにより、日経平均株価の先物が先週の終値より2,175円も高い48,200円まで上がったことを、iPhonenのウェブニュースが伝えている。それはそうとして、日比谷線の車内には広告がほとんど無い。上がる一方の株価に対して日本の景気はそれほど良くない、ということなのだろうか。
09:48 東武鉄道のリバティ会津113号が北千住を発車。
11:10 その車両が下今市に着。
駅前にはタクシーが数台あったものの「チップを入れれば250バーツか」と考える。スーツケースを持った状態では日本のタクシーには乗る気がしない、ということもあって、歩いて帰ることを決める。
タイでは、メーターのスイッチを入れないまま価格を交渉してくるような運転手でさえ、こちらがスーツケースを持っていれば即、クルマの後ろに回ってそれをトランクルームに収めてくれる。目的地に着けばこれまた即、運転席を離れてトランクルームからスーツケースを降ろしてくれる。
日本のタクシーの運転手は、運転席に着いたままトランクルームを開けるレバーを操作するのがせいぜいで、スーツケースの上げ下ろしはすべて、客がしなくてはならない。客であるにもかかわらず、まるで運転手の召使いのようだ。このゲンナリする現状はひとえに、日本にチップの習慣が無いからと、僕は認識をしている。
四階の自宅で小一時間ほど荷物の整理をしてから仕事着に着替えて事務室に降りる。以降は夕刻まで通常の業務に従う。夜は先月24日以来の日本食にて、先月21日以来の日本酒を飲む。
朝飯 TG682の機内食、「ドトール」のハム玉サラダサンド、コーヒー
晩飯 玉子焼き、茄子の揚げびたし、秋刀魚の梅煮、明太子、ごぼうのたまり漬、ジンギスカン焼き、メシ、「山本合名」の山廃純米「天杉」(冷や)、「角口酒造店」の「いいやまのさけ特別純米」(冷や)、お菓子、Old Parr(生)
2025.10.5(日) タイ日記(11日目)
最初に目を覚ましたのは、きのうとほぼおなじ0時37分。次は、家とクルマの鍵を見失って焦燥する夢を見ながら目を覚ます。時刻は4時35分になっていた。きのうの夜にビールを飲んだあたりから、からだも気力も復活をしたらしい。いと有り難し。レイトチェックアウトの予約もできて、気分の余裕も充分である。おまけに朝から晴れている。気温は暑くもなく、また寒くもない。
きのうの朝とは異なって、すぐに起きて、きのうの日記に取りかかる。これを完成させて公開したらひと休み。ベランダからは、隣のレストランの、白と紅のリラワディが目に鮮やかだ。ちなみに四日前までいたウドンタニーでは、この花を、ラオス語を用いて「ツァンパー」と呼ぶ。だからと言っては何だけれど、国境のちかくは色々と面白いのだ。
時計が8時を過ぎたころを見計らって外へ出る。日曜日でも、soi8には様々な屋台が店を開いている。そのままスクムビットの大通りに出て、しばしそのあたりを散歩する。そしてまたsoi8に戻ってきて、ホテルに最もちかい屋台で朝食を摂ることにする。僕の注文をこなしつつ「唐辛子は入れても大丈夫?」と身振りで問うたオネーサンには、いつものとおり頷いた。
ことし2月のチェンライでは、多分、タイ料理を食べ続けたことによるのだろう、胃腸の具合をおかしくした。それが分かっていながら「辛さはどうしますか」と訊かれて「普通でお願いします」とか、あるいは今朝のように、唐辛子をタイ人のそれ並に加えることに首を縦に振ってしまう。これはやはり、見栄による自動反応なのだろうか。
チェックアウトの時間が通常の正午から18時まで延びると、荷作りに向かう気持ちに多大な余裕が生じる。大きな荷物を嫌う僕は、特に必要のない限り、機内持込サイズのスーツケースを使う。これに社員への土産が収まるか、というのがひとつの勝負なのだ。そして荷作りは数十分で完了した。
スイミングプールの水は二日目から綺麗になったものの、なぜか泳ぐ気にはならなかった。更に今日は最終日のため、水着は濡らしたくないどころか汗に湿らせることさえ避けたい。ベランダから見おろすsoi8は雨季の南国にふさわしく、いつの間に濡れたかと思えば、また乾くことを繰り返している。
バンコクに入った初日には、スクムビットの大通りからsoi11に入ってすぐの左側で客待ちをするモタサイを使ってナナチャーンの船着場まで行った。その際、左手に木造の、洒落た植民地様式のレストランを横目で見て「あぁ、これが有名なヘミングウェイか」と記憶に留めた。
14時を10分ほど回ったところでようよう、本日二回目の外出をする。大通りから随分と歩くかと思われた「ヘミングウェイ」には、この通りの左右にある様々な店やホテルが歩く者を飽きさせないこともあって、意外や早く着いた。
「お席は外になさいますか、それとも中になさいますか」と責任者らしいオネーサンに訊かれれば、ほぼ反射的に「外」と答えてしまう。そして白人に合わせたものか、木製の、とても高い椅子に、勢いをつけて上がる。そして先ずはグラスの赤ワインを注文する。
この、カベルネソービニョンよりメルローを強く感じるワインが中々美味い。周囲を見まわせば、メニュに”Sunday Grill”と載っているものだろう、丸鶏の網焼きを食べている人たちがちらほらいる。しかし僕にそれは無理だ。僕は三段ほど上がったテラスで待機するウェイトレスを呼び、チーズケーキを追加した。
チョコレートソースをふんだんにかけ回されたチーズケーキは、やはり白人向けの大きさなのだろう、カロリーの固まりだった。これをやっつけるために赤ワインをお代わりする。
そのチョコレートソースを垂らさないよう細心の注意を払いつつ「権力者と愚か者」のページを繰る。フィナンシャル・タイムスのかつての編集長が日記に書いた2015年から2016年にかけての米国と英国を、今年の日本はなぞっている。
ところで先月26日の朝、朝食を摂る僕のかたわらにあったこの本について「訳もよろしいですか」と訊いてきた白人のオジーサンに「悪くないです」と僕は答えた。しかし460ページの
……
ホタテのカルパッチョに続き、仔牛のカツレツを、マス・シャンパーとシャトー・ロスピタレ・ド・ガザンのグラスワインで流し込みながら…」
……
の「流し込みながら」はいけない。戦国の武将や江戸の駕籠かきが汁かけメシを掻き込んでいるわけではないのだ。ちなみにおなじ表現は520ページにも再出をする。
それはさておき、日本人にとっては巨大なチーズケーキと二杯の軽くないワインをこなした僕は、先ほどとは異なったウェイトレスに勘定を頼んだ。いまだ充分に若い彼女は何ごとか言葉を発しつつ右の人差し指一本を立てた。外の席はsoi11を往来するモタサイやトゥクトゥク、また人の声で充分にうるさい。よって彼女の言ったことを理解しないまま、僕は頷いた。
奧から戻ってきた彼女は三杯目の赤ワインと共に、当たり前のことだが、それを加えた請求書をテーブルに載せた。果たして僕は、空港まで無事に辿り着くことができるだろうか。
部屋に戻ったのは16時5分。シャワーを浴びる。シャワーの後は服は着ず、腰にタオルを巻き、もう一枚のタオルは上半身に巻いて、それを部屋着にする。そしてiPhoneに17時30分のタイマーを設定し、ベッドに仰向けになる。夕刻の雨は、幸いにも降ってこない。
17:58 ホテルをチェックアウトする。”I’m going out”と伝えたときにレセプションのオバチャンから返った問いをここに書けば日記が長くなるから、今日のところは割愛をする。
18:05 BTSスクムビット線の車両がナナを発。
18:15 その車両がパヤタイに着。
18:28 ARLの車両がパヤタイを発。北側に見える高速道路は、順調に流れている。
18:57 その車両が終点のスワンナプーム空港に着。
それにしても、タイの駅の券売機には、硬貨のみを受けつけるものと紙幣のみを受けつけるものが混在して、使いやすくない。自動改札機には「故障中」を示す”Out of Business”の紙を貼られたものが、毎日、あちらこちらの駅に目立つ。「日本の技術を導入してくれていたら」と、思わずにはいられない。
酔っているから早めの行動を心がけた今日は、時間にとても余裕がある。ARLの改札ちかくの、先月25日にも使った両替所の円とタイバーツの交換率は、1万円あたり2,165バーツだった。
19:06 出発階の四階に上がり、タイ航空のポロシャツを着たオネーサンに手伝ってもらいつつチェックインを完了。オネーサンはこの単純作業ばかりをしてるから、当方への質問と、タッチパネルに触れる手の動きは素早い。「荷物に危険物は含まれていませんか」と訊かれたものとばかり思って”No”と答えたときのタッチパネルの表示は「預け入れ荷物はありますか」の英文だったらしい。
「あ、荷物、ありました、これ」とスーツケースを指すと、オネーサンは「なによー」という感じの仏頂面で振り出しに戻り、おなじ作業を繰り返した。「タイは微笑みの国」などと耳にしても、あまり真に受けないことが肝要である。
19:08 オネーサンがスーツケースに巻いてくれたバーコードを、こちらはにこやかなタイ航空の係が読み取って、荷物の預け入れを完了。
ここで身軽になって、今度はエスカレーターで一階へ降りる。そして8番出口ちかくの”MAGIC food point”に入る。こちらは、十数年前までは空港職員専用の感があり、人もまばらだった。しかし現在は、団体では席の確保も難しい混み具合になっている。ここでカオマンガイによる夕食および時間調整をしながら缶ビール2本を飲む。ちなみにカオマンガイは「茹でと揚げの相盛り」が80バーツ、シンハビールの350cc缶は55バーツ、チャンビールの350cc缶は45バーツだった。
20:40 “MAGIC food point”を出てふたたび四階へ上がる。
20:51 保安検査場を通過。
20:54 出国審査場を通過。
チェックインが早すぎたためか、僕の搭乗券に搭乗ゲートは印刷されていなかった。その場所を電光掲示板に探してS116Aの番号を知る。
21:03 サテライトターミナルへ向けてシャトルトレインが発車。
21:05 その車両がサテライトターミナルに着。
アルミニウムの帯を編んで作ったようなの巨象の右手にある案内所でミラクルラウンジの場所を訊く。先月19日のウドンタニーのオネーサンは”Down stair”だったが、今日のオネーサンは”Up stair”と、これまたひと言だけ答えた。巨象のはす向かいのエスカレーターで上階へ上がるとしかし、広い空間のあるばかりだ。ラウンジは左か、はたまた右か。「案内の親切さは、日本人が最高だわな。しかし日本人は、英語に関しては、あまり得意ではないわな」などと考えつつ勘を頼りに右へ進む。
しばらく往くと左手にミラクルラウンジの”First Class”があったから「ここはオレの来るところではないわな」と、更に進む。すると突き当たりにおなじミラクルラウンジの”Business Class”があって、こちらには見覚えがあった。
楽天のゴールドカードを持っていれば誰でも入れるそのラウンジの受付に、会員のQRコードをスマートフォンでで見せて入場する。しばらく前にカオマンガイとビールを腹に入れているから、ここでは水しか飲めない。そして「そうか、時間を調整するなら、あそこよりここだったな、無料だし」と気づいても、もう遅い。時刻は21時16分。搭乗時間は22時15分のため、22時5分のアラームをスマートフォンに設定する。そしてシャワー室でパタゴニアの南洋に特化したシャツを脱ぎ、来たときとおなじ長袖シャツにカーディガン、そこに更にパタゴニアのウインドブレーカーを重ねる。
22:06 ミラクルラウンジを去る。
22:10 S116Aゲートに達する。
22:17 搭乗開始。
22:32 右列最後尾通路側の席に着く。
23:24 うとうととするうち、Boeing777-300ER(77B)を機材とするTG682は、定刻に39分おくれてスワンナプーム空港を離陸。
朝飯 “Stable Lodge”のちかくに店を出した屋台のパッガパオムーカイダーオ
昼飯 “Hemingway”のブラウニーチーズケーキ、赤のハウスワイン
晩飯 “MAGIC food point”のカオマンガイトムトードパッソム、シンハビール、チャンビール
2025.10.4(土) タイ日記(10日目)
体調に優れないことは、きのうコモトリ君の家に着いて、心づくしの夕食に箸を伸ばしたときに気づいた。きのうそれまでに摂った食事は朝の汁麺のみ。旅の最中にはそれほど空腹を覚えず、昼は抜くことの多い僕だが、夜になっても食欲が湧かないとは普通ではない。結局のところ、夕食は小鳥の食べるほどの量をラオカーオの肴にして、19時の舟に乗った。
BTSを乗り継いでホテルに戻ったのは19時47分。シャワーを浴び、パジャマを着、部屋の明かりを落として寝台に横になった。大事を取って、天井の空気調整器は動かさなかった。
目覚めて朝が近かろうと思っても、しばらくは枕頭のiPhoneで時間を確かめることはしなかった。ようよう手に取ったそれはいまだ、0時27分を指していた。からだは汗ばんでいるものの、空気調整器はなお、動かさない。そうして闇の中に、ただ横たわっている。
次にiPhoneを手に取ると、4時49分になっていた。眠れた感じは無かったものの、4時間ものあいだ、じっとしていられるわけはない。すこしは眠れたものと思われる。
雨の激しく降る音が聞こえる。やがてカーテンの隙間が明るみを帯びてくる。普段であれば、目が覚めればさっさと起きて、きのうの日記に取りかかる。その気力が今朝はまったく湧かない。そのまま7時まで、つまりきのうの夜から11時間も横になり続けている。一体全体、僕のからだは、どうなってしまったのか。喉に痛みはなく、熱も平熱であることが、ただ有り難い。
「腹が減ったら食べろ」と、コモトリ君がきのう持たせてくれたアップルパイと、日本から持参のコンソメスープを朝食とする。雨はますます激しい。
結局のところ、部屋には13時ちかくまでいた。腹が減っていない、ということもない。ホテルの、表通りに面した食堂にてオープンサンドと白ワインを昼食とする。
それにしても寒い。体調の悪さによる寒さではない。半袖のシャツ1枚で耐えがたいところから推せば、気温は恐らく20℃を下まわっているのではないか。そのうち自由民主党の裁選が高市早苗に決まったことを、ウェブニュースが伝えてくる。そのiPhoneをセブンイレブンのエコバッグに入れて部屋へ戻る。
寝台に仰向けになって、その総裁選の結果をiPhoneでふたたび見る。ふと気づくと、早朝からひどく降り続いた雨はいつの間にか上がって、窓の外に林立するビルは午後の陽に照らされていた。次に部屋を出たのは実に18時5分。ほぼなにもしない一日ではないか。
実は数日前に、最終日のレイトチェックアウトをホテルに打診していた。そのときのレセプションのオネーサンは「これからの予約で満室になることもありますので、その日が近づいてから、もういちどいらっしゃってみてください」と言われた経緯があった。
「まさか、あしたまた来てください、なんて言われたりして」と恐れつつ、今日はメガネをかけたオバチャンにおなじことを問えば、コンピュータのディスプレイを見て即、それが可能なことを教えてくれた。追加の料金は1,000バーツ。精算書を要求すると、オバチャンは動かないプリンターを叩いて「しばらくお待ちください」と僕に笑顔を向けた。
さて外へ出られるほどに体調は回復したものの、食欲はまったく無い。飲食店の密集するsoi8に宿を定めながら、情けない限りだ。胃が受けつけそうなのは液体のみ。そういう次第にて、小さなオープンバーでビール、それを干したら調子が良くなって、ウォッカのソーダ割りもこなす。
部屋には19時前に戻った。シャワーを浴びたら今日の数少ない画像をコンピュータに取り込み、そのうちのひとつをfacebookに上げる。そして諸々を整えてから寝に就く。
朝飯 コモトリケー君からもらったアップルパイ、コンソメスープ
昼飯 “Stable Lodge”のレストランの”Tomato w Chopped Onions & Egg Yolk Open Sandwich”、白のハウスワイン
晩飯 “Street Bar”のシンハビール、“SMIRNOFF VODKA”(ソーダ割り)
2025.10.3(金) タイ日記(9日目)
目を覚ましてしばらくしてから枕頭のiPhoneを引き寄せる。時刻は5時20分。きのうの日記によれば、19時43分に寝台に上がっている。とすれば睡眠時間は10時間弱。これまでが寝不足気味であったなら、それをからだが一気に取り戻そうとしたのかも知れない。
雷鳴と共に、とてつもない勢いで雨が降っている。僕の知る限りにおいて、日本の鳥は、雨の中では啼かない。しかし部屋の南の方では、例の鳥が「ホーイッ、ホーイッ」あるいは「キヨイッ、キヨイッ」と、いつもと変わらない声を発している。
部屋のWIFIが途切れている。天井の空気調整機は動いているから、停電ではないだろう。灯りを点けて顔を洗い、歯を磨く。きのうの日記は二行目で止まっているにも関わらず、5時50分より今日の日記にとりかかる。
ふと気づくと外が静かになっている。ベランダに出てナナ駅の方に目を遣る。空は明るさを取り戻し、日さえ差しはじめそうな塩梅だ。「良かった」とは思うものの、今のバンコクの天気には要注意だ。今日の外出に際しては、レセプションで傘を借りることを決める。
きのうの日記は何とか8時までには書き上げようと、ときどき寝台に仰向けになって休む回数を、意識して少なくする。きのうの日記は8時に書き終えても、TikTokのアカウント「梅太郎」へのアクセスが、ここ数日はなぜか多い。寄せられたコメントも少なくないため、それに返信をつけているうち、たちまち30分ほどが過ぎる。
9時を回ったところで外へ出て、毎日、特に昼どきには客を集めている”RED HOG BAR”の前の汁麺屋へ行く。そしてバーのスツールに上がりながらバミーナムを頼む。ふと屋台の調理台に目を遣ると、餃子がある。よってそれも入れるよう頼む。するとオバサンは「ギアオ、ドゥアイ、ムー、ドゥアイ」と、機嫌良さそうに軽口を発した。食べてみたところ、この店の人気は味よりも、量の多さと具の多さにあるのではないかと感じた。
プールサイドに降りたのは10時。エレベータの中には”27 September-29 September(3 days) During this time, the poolside area will not be accessible”と張り紙があるものの、僕がこのホテルに入った10月1日には大きな音と共に石の床がカッターで切られているところであり、その工事はいまだ終わっていない。そしてプールサイドの寝椅子にいても、別段、叱られることもないし、レセプションは笑顔と共にタオルを手渡してくれる。
さて明後日の深夜便でタイを離れなければいけない今朝は、今日すべきことの、一応の予定を立て、手帳に箇条書きをした。
1.サイアムワンで買い物。
2.バンコクでの初日に豪雨に阻まれて行けなかったマッサージ屋への訪問。
3.ゲートウェイエカマイでのラオカーオの購入。
4.トンローで買い物。
12時2分に部屋を出て、きのう”Tommorow same time”と言われたマッサージ屋兼クリーニング屋で洗濯物を受け取る。それを、部屋に戻って引き出しに仕舞う。水を飲むなどして、次は12時33分に部屋を出る。外は晴れているものの、バンコクでの初日に参ったため、レセプションで傘を借りる。
はじめて訪ねるショッピングモール「サイアムワン」は、サイアム駅に直結なのは有り難いものの、フロアが卵形のため、目的の店を探すことに苦労をする。買い物は12時52分に終了。僕は買い物に時間をかけることを好まない。
サイアムからプルンチットまではBTSで移動。駅の北側に広がる広大な空き地は、一万坪、ことによると一万五千坪くらいはあるのではないか。空中歩道を伝ってエラワン廟を左手に見おろし、ラチャダムリの通りを横断したら、右手のアップル・セントラルワールドの螺旋階段を下って地上に降りる。
ここからプラトゥーナムまでの炎天下500メートルを歩く気はしない。飲み物を飲んでひと休みをしようとしていたモタサイの運転手に声をかけ、プラトーナムまで走ってもらう。センセーブ運河を超えたところで100バーツ札1枚を出すと、運転手は20バーツ札3枚を返してよこした。このモタサイがすこし行きすぎたため、大規模な建設中の建物の脇の歩道橋でラチャダムリの通りを西から東へと渡り、しかし階段は降りずに古色蒼然とした商業ビルに入る。ビルの二階はシャッターを降ろされた店と、営業中のマッサージ屋が多数。しかしこの状況では、このビルも、息を長らえることはできないだろう。
目指すマッサージ屋のメニュには、評判だという角質削りはなぜか無くなっていた。よってフットマッサージを1時間だけ頼む。料金は300バーツ。担当の29番Maiさんの施術は強烈。痛みに耐えていたからか、1時間が異常に長く難じられた。Maiさんには100バーツのチップ。
プラトゥーナムからは、またモタサイの運転手に声をかける。
「プルンチットの駅まで」
「BTSのプルンチット?」
「そう」
スクーター型ではなくスポーツタイプのオートバイを、オジサンは前傾姿勢で操縦しつつ、裏道のゲンソンロードに入った。「なるほど、この経路は合理的だ」。オジサンはプルンチットの駅へ上がるエレベータの前にピタリとオートバイを着ける。20バーツ札2枚を手渡すと、オジサンは混み合うスクムビット通りを無理やりUターンして去った。
さて手帳に記した今日の予定のうち「ゲートウェイエカマイでのラオカーオの購入」は、この時間からではもう無理だ。タイで日中に酒類を買うことができるのは、11時から14時までに限られる。よってその手前のトンローまでBTSを乗り「いちばん好きなお菓子はマンゴーのカリカリのやつ」と言う孫のリコのためにそれを買う。彼女の弟や妹はいまだ幼いから、姉と同じものを食べればこと足りるだろう。
ナナまで引き返して、サイアムとトンローで買ったものをホテルの部屋へ置く。タイでは何かをするたびに浴びるシャワーを浴びないまま15時52分に部屋を出る。そしてナナから乗ったBTSをサイアムで、スクムビット線からシーロム線に乗り換える。
サパーンタクシンをコモトリ君の住まいの舟が出るのは16時10分。そのサパーンタクシンには16時8分の着。「2分あれば」と駅のエスカレータを降りたら即、走り出す。それにしても、キーンのワイメアは優れたサンダルでも、走りやすいというわけではない。桟橋には16時10分に駆け込む。舟は桟橋のすこし下流で方向を変え、夕刻の逆光の中を近づいてきた。
雨季、連日の豪雨、4日後は満月、という様々な要因が重なって、チャオプラヤ川の水位は異常に高い。4日後の満潮時には、首都のあちらこちらに水害が発生するのではないか。
コモトリ君の家で心づくしの夕食をいただいて後は、19時の舟でサパーンタクシンに戻る。きのうコモトリ君が「まるでパタヤのホテルみてぇだな」と評した古ぼけたホテルには、19時47分の着。シャワーを浴びて空気調整器は動かさず、20時すこし過ぎに就寝する。
朝飯 “RED HOG BAR”の前の屋台のバミーナム
晩飯 コモトリケー君の家の其の一、其の二、其の三、其の四、他あれこれ、ラオカーオ”TAWANDANG”(ソーダ割り)
2025.10.2(木) タイ日記(8日目)
ウドンタニーのホテルとは異なって、このホテルにガウンの用意はなかった。よってきのうはサイドテーブルにパジャマを準備をしておいた。しかしそれを身につけることなく素っ裸で、ただし布団には入っていた、クーラーは付けっぱなしでも、きのう寝る前に温度は28℃、更に”COOL”ではなく”DRY”に設定をしておいたから、呼吸器は傷めていない。クローゼットの扉は開いたまま、セキュリティボックスも開いたまま。しかしきのう使ったお金はすべて、手帳に記入がされていた。
ウエスタンやアメリカンのブレックファストは好みでない。野菜を徹底的に欠いているからだ。いま泊まっているホテルにブッフェはない。目の前の通りつまりsoi8に並ぶ主に西洋人を対象とした料理屋が店の前に置く朝食の案内はすべて、アメリカンブレックファストだ。価格は平均して300バーツ内外。
よってそれらの看板は無視をして、ナナの駅を目指して歩く。そして右側に見つけた「猪脚飯」と看板を出した屋台でそれを注文する。「ここで食べる?、それとも持ち帰り?」と女主人に訊かれて「ティニー」と答える。彼女はすぐ後ろに何客か並べられた鉄製のテーブルを目で示した。そしてそのカオカームーは、充分に美味かった。価格は50バーツだから、首都のそれとしては妥当、あるいは充分に安い。
10時より庭先のプールサイドへ降りて、公開したばかりのきのうの日記をiPhoneで読む。例に漏れず誤字脱字、てにをはのおかしなところを見つけては、これまたプールサイドに持ち込んだコンピュータで修正をしていく。それにしても、コンピュータで書いた文章をおなじコンピュータで読むと、誤りには気づきづらい。しかし別の道具で読むと、誤りにはすぐに気づく。そのあたりには、どのような関係があるのだろう。
日記の修正を終えて、10時25分からは本を読むことに切り替える。プールの水面には小さなゴミが目立つから、泳ぐ気はしない。レセプションの親切なオネーサンが貸してくれたタオルをレセプションのカウンター前に置かれた籠に戻し、部屋には11時33分に戻った。
今日はコモトリ君と、できたばかりの巨大な商業施設ワンバンコックを視察するため、13時に待ち合わせをしている。そのため12時2分に部屋を出る。手にはウドンタニー以来の洗濯物の入ったプラスティック袋を提げている。駅にほど近いマッサージ屋が洗濯屋も兼ねていることは、きのうのうちに気がついていた。
店先の女の子に袋を手渡す。女の子は、まるでマッサージより洗濯の方が本業であるかのように、その袋をすぐ脇の計りに載せた。洗濯物の重さは1.3キログラム。洗濯代なのだろう、女の子は「130」の数字を複写式の伝票に記入した。できあがりの時間を問えば、女の子はやはり店先に座っているオニーチャンに照れながら何ごとか訊く。オニーチャンはやはり照れ笑いを浮かべつつ要領を得ない。そこに奧から女将らしき人が顔を出して”Tommorow same time”と、ぶっきらぼうに告げた。ちなみに代金は後払い。タイは「微笑みの国」と言われているけれど、それはごく一部のことと、この国を訪ねた人は悟るだろう。
今朝カオカームーを食べた屋台のちかく、”RED HOG BAR”の看板の下に店を出した汁麺屋台は、いつも客を集めている。客は、バーが外へ出したままのスツールに腰かけて、その汁麺を食べる。機会があれば、僕も試してみることにしよう。
ナナからアソークまではBTSでひと駅。僕はPASMOのようなカードを作ってあるから、乗り降りはとても便利だ。BTSアソークに接続しているのはMRTのスクムビット。MRTはVizaのタッチ式カードで改札口を通過できるものの、僕はクレジットカードを街で持ち歩く気はしない。
券売機の前に立ち「ワンバンコクって駅ができてるよ」と、きのうコモトリ君の教えてくれたとことを頼りにその駅を探すも見あたらない。「場所からすれば駅はルンピニーのはずだが」と不審に思いつつコモトリ君に電話を入れる。彼は困って「だったら駅の窓口に訊いてみたら」と言う。
結構な人数の列に並んで僕の番が来る。駅員は、こういうことを書けばそのうち「ボディシェイミング」と叱られることになるのだろうけれど、比較的面積の広い顔に比較的黒い肌、そこに赤い口紅を塗ったオニーサンだった。「ワンバンコクへ行きたい場合、駅はどこになるでしょう」と訊く僕に「ルンピニーですね」とオニーサンは柔らかに答え、僕が差し出した2枚の20バーツ紙幣に対してお釣りの18バーツを、爪を綺麗にした手で丁寧に渡してくれた。
ルンピニーの駅には12時33分に着いた。13時がちかくなるころコモトリ君から電話が入る。そして二人が立っている場所を徐々に縮めるようにして落ち合う。
鳴り物入りで開業したワンバンコクは、地下鉄の駅に直結する食堂街や、その周辺こそ客を集めているものの、上階へ行くにつれ人の数は減り「これほど経費をかけてカッコ良い店を作り、とてつもなく高かろう毎月の固定費を支払えば、すぐに行き詰まるだろう」と思われる店も少なくなかった。店の新陳代謝は、驚くほど早くなるのではないか。
ホテルにはコモトリ君のクルマで送ってもらった。彼は運転手付きの自家用車で動くため、公共の交通機関には詳しくないのだ。
ホテルに戻るころポツリポツリと降り出した雨は、きのうとおなじような豪雨になった。プロンポンの行きつけのマッサージ屋には16時の予約を入れてある。「マズイことになった」と、外で揺れる南国の木々を五階の窓から眺める。しかしその雨は幸い、15時を過ぎるころには収まった。
15時32分に部屋を出てナナからプロンポンまでBTSで移動をする。バンコクでは、以前はチャオプラヤ川沿いにホテルを定めることが多かった。しかしBTSスクムビット線の便利さを体感するようになってからは、もはや他の場所に泊まる気はしない。
オイルマッサージは2時間。ウドンタニーの600バーツが、バンコクの盛り場では900バーツに跳ね上がる。これがトンローであれば、もっと高くなるだろう。
施術後に「お茶はどうする」と訊かれて勿論、求める。「チャーローン」とはいえタイのそれは、コーヒーや紅茶ほどは熱くない。そのぬるいお茶を飲みつつ「このあたりに美味いイサーン料理屋はないかな」と訊く。オバサンたちは「あそこがあるよ」「え、どこ」「あー、あそこか」と声を出し合って、直後、僕を担当したオバサンは僕の手を引くようにして外へ出た。
数十メートルを歩いてオバサンが指したのは、僕がきのう探して見つけられなかった通称「soi39のイサーン屋台」だった。「soi39」と呼びなわされながら、しかしその屋台は、実際にはsoi37の「ワットポーマッサージ」のはす向かいにあった。
屋台には三人の待ち客がいた。店の人は、順番がちかくなった客にメニュと紙とボールペンを手渡し、それにあらかじめ注文を書いてもらう方式を採っていた。僕に手渡されたメニュにはタイ語があった。それを見て、白人のカップルの次に来た女の三人組のうちの親切なオネーサンが「この人たちには英語のメニュをください」と言ってくれた。
僕はオネーサンを振り向いて「僕は大丈夫です」と答えた。オネーサンのタイ語は一切、理解できなかったが「あらすごい、タイ語が読めるのね」と言ったのだろう。「いえ、口で注文すれば」と添えるとオネーサンはまたしてもタイ語で「あぁ、そういうことね」と答えたのだと思う、納得した顔で快活に笑った。
「外国へ行ったときには、その国の挨拶より先ずは数字を覚えろ」と、むかし本で読んだことがある。「なるほど」の意見である。僕はそれに加えて料理の豊かな国では特に、料理の名を覚えることが肝要と考える。僕の注文は海鮮サラダ、鶏の炙り焼き、餅米、水、そして氷。
僕は15分ほど待って、調理場のちかくの一人か二人しか座れない席に案内をされた。先に出てきたのは海鮮サラダ。その烏賊をフォークに突き刺して食べて「美味いではないですか-」と感心をする。そのサラダのドレッシングに丸めた餅米をひたして食べる。鶏の炙り焼きは、時間を経て冷えたものを出す店もあるものの、この屋台のそれは温かく、肉の骨離れも良かった。
価格は締めて225バーツ。その計算は、いかにもイサーン出身の、浅黒い顔に白い歯の目立つ、若くて可愛い女の子がしてくれた。満足の夕食だった。そして空席を待つ客の数は更に延びていた。ここで夕食を摂りたければ、17時には来る必要があるだろう。
プロンポンからナナまではBTSで僅々ふた駅。夜は特に賑やかなsoi8を辿り、ホテルには19時12分に戻った。そしてシャワーを浴びて歯を磨き、今夜こそはパジャマを着る。そしてこれまた今夜こそは部屋の明かりを落とし、19時43分に寝台に上がる。
朝飯 スクムビット通りからsoi8に入ってしばらく歩いた左側の屋台のカオカームー
晩飯 通称「soi39のイサーン屋台」のヤムタレー、ガイヤーン、カオニャオ、ラオカーオ”TAWANDANG”(水割り)