2021.6.26(土) いつか、ギラギラする日々
四季のうち夏を最も好む僕が、夏至を待ち望まないわけはない。しかし今年のそれは、意識しないうちに過ぎてしまった。夏至は梅雨の最中に巡ってくる。それについては、どうにも納得のいかないものがある。河野典生の「いつか、ギラギラする日々」は、いまだ本棚にあるだろうか。「夏至」という言葉には、ギラギラと照りつける太陽こそが似合いと思うけれど、どうだろう。
予報によれば、今日は芳しい天気には恵まれない可能性が高かった。それでも早朝から空を眺めるうち雲は切れ、やがて日が差しはじめた。雨は夜にのみ降って夜明けと共に上がる、その理想が今朝は実現した。雨の後の日の光は殊に美しい。
「汁飯香の店 隠居うわさわ」は本日、正午までご予約で埋まっていた。そのことは朝礼で皆に伝えた。
昼前に販売係のササキユータ君が「隠居、どうでしょう」と事務室に顔を出す。彼の行いは正しい。「無理を承知で訊くけれど…」と隠居に電話を入れる。早めにいらっしゃって早めにお帰りになったお客様がいらっしゃって、ちょうど席の空いたところだという。僕は喜んで、そのお客様を隠居までご案内する。
午後は、今秋より容器の意匠を一新する10種の商品についての、新しい惹句を考える。小一時間ほど考えて作ったそれらを電子メールで長男に送る。駄目を出すよう伝えたものの、長男はそれらにひと文字も加えず削らず、複数の取引先が出入りする電子会議室へ上げた。最終の意思決定は、いずれ面談の上で成されることになるだろう。
朝飯 酒の粕味噌漬け焼き、鶏の幽庵焼き、めかぶの酢の物、「なめこのたまり炊」の冷や奴、油揚げの網焼き、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、小松菜の味噌汁
昼飯 きのう「食堂ニジコ」から持ち帰ったソース焼きそば
晩飯 トマトとモッツァレラチーズとベイジルのサラダ、2種のパン、オムレツとラタトゥイユを添えた鱈のバター焼き、Chablis Billaud Simon 2015、メロンと桜桃
2021.6.25(金) 人流
きのうは「緊急事態」をどうにか乗り切るべく、夕刻より社内の各方面と対策を協議した。その話し合いにより導き出された様々なことが、今朝から始められる。電話によるご注文は、カワタユキさんが発送伝票にしている。ウェブショップからのご注文は、ツブクユキさんが発送伝票にしている。ふたりの手を休ませないため、電話連絡の必要なお客様には、長男がその任に当たる。
午後もなかばに至るころ、きのうウェブショップで承ったご注文のすべてに、ツブクユキさんが返信を送り終える。返信には納期を記入する必要がある。よってこの仕事には、荷作り係との意思の疎通が欠かせない。その荷作りには、販売係からひとりが配置転換をされている。
夕刻、明日に出荷する分の発送伝票が箱にまとめられる。その量に、ふたりの事務係は驚き、笑い声を上げた。こう書けば何やら景気が良さそうに思われる。しかしコロナ以降、人の流れはさっぱりだ。観光のお客様は、いつ、日光に戻るだろう。
外では強い雨が、降ったり止んだりしている。
朝飯 めかぶの酢の物、スペイン風目玉焼き、菠薐草のソテー、納豆、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、なめこの味噌汁
昼飯 焼き鮭、梅干、ごぼうのたまり漬、なめこのたまり炊のお茶漬け
晩飯 「食堂ニジコ」の酒肴盛り合わせ、青椒肉絲、トマトと玉子と海老の中華風、牛薄切り肉のたたき、3種の日本酒(冷や)
2021.6.24(木) 緊急事態
目を覚ましたのは2時台、起きたのは3時台だった。5時台に仕事のため製造現場へ降りながら「今日は日記が書けなかったなー」と、声を出さずに独りごとを言う。
午前10時より取引先とのZOOM会議が予定されている。今朝は先ず、その取引先に求めた修正が資料に正確に反映されたかどうかの確認をした。しかしそれに取られた時間は、そう長くもなかった。以降はきのう読み終えた本田靖春の「現代家系論」の、後藤正治による解説を読んでいた。そうするうち5時を過ぎてしまったのだ。
製造現場から戻って以降は「一戔五厘の旗」のしおりを挟んだページを開き、読みさした「重田なを」を読み終える。
正午前より環境を整えた事務机に着く。
小倉ヒラクさんは「発酵文化人類学 微生物から見た社会のカタチ」や「日本発酵紀行」の著者であり、また「発酵デパートメント」の代表でもある。その小倉さんが日本テレビの「ヒルナンデス」で「らっきょうのたまり漬」を発酵食品の日本一として推薦してくださることは、すこし前に知らされていた。youtubeの同時配信で同番組を見ながら、その時を待つ。「らっきょうのたまり漬」が紹介され始めたのは12時30分ころ。その直後より、電話が鳴り止まなくなる。
電話は、2本の回線が埋まれば「お話し中」になる。ウェブショップには、その制約が無い。まるで瀧の水のように、注文が入り続ける。緊急事態である。
夕刻、事務係のカワタユキさんとツブクユキさんから状況を聞く。それを受けて、社内の各方面と対策を協議する。そして本日ご注文くださったお客様への「らっきょうのたまり漬」は、何としても、今月末日までに出荷することを決める。
朝飯 木須肉丼、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、若布とキャベツの味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」のスーラーメン
晩飯 空心菜の豆豉炒め、鴨のコンフィ、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、蒸し焼売、「飯沼名醸」の「杉並木無濾過原酒純米吟醸」(冷や)
2021.6.23(水) “UD”
昨年の夏まで愛用した汁椀は、2012年8月30日に手に入れた。
その日、日本橋タカシマヤでは「バーナード・リーチ展」が開かれていた。これを観た僕は、おなじ階の「民藝展」へと回った。会場を歩くうち目についたのは、漆器の売場にあった”UD”の2文字だった。責任者らしい人に問うと、それはユーティリティデザインの略で、体の機能の衰えた人にも使いやすい設計と、教えてくれた。
生来の不器用によるものか、あるは粗忽な性格によるものか、僕は手に持ったものを落としやすい。味噌汁の入ったお椀もまた、例外ではない。僕はその”UD”と表示のあるお椀を手に取り、その感触を確かめて、赤と黒の2色を買った。
お椀は手によく馴染み、文字通り手放せないものになった。赤も黒も自分の専用とし、その日の気分により使い分けた。そして8年が経つと、流石に「くたびれ」が見えてきた。”UD”の意味を教えてくれたイワダテタカシさんの名刺は、食器棚に大切に保管しておいた。
岩手県二戸市浄法寺町漆沢の「漆工房やまなみ」に2客を送ったのは、昨年の8月3日だった。イワダテさんによれば、塗りは若い女の人がする。その人はいま山に入って漆かきをしている。納品は来年の春になるだろうとのことだった。僕は、上質のものを修理しながら長く使うことを好む。待つことは厭わないと、イワダテさんには伝えた。
先月10日、塗師のヤマザキナミコさんから電話が入った。念には念を入れて、仕事をしているらしかった。次の電話は本日に入った。納品は明日とのことで、同時に伝えられた代金は、仰天するほど安かった。
この日記の公開ボタンをクリックするのは明後日。よって塗り直しの完了したお椀の画像は、ここに載せることができるだろう。
朝飯 納豆、春雨サラダ、菠薐草のおひたし、生のトマト、らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐とキャベツの味噌汁
昼飯 「ふじや」のタンメンバター
晩飯 蓮根の梅肉和え、榎茸と菠薐草のおひたし、蕪と胡瓜のぬか漬け、鯛の煮付け、茄子とパプリカと牛肉の味噌炒め、「飯沼名醸」の「杉並木無濾過原酒純米吟醸」(冷や)
2021.6.22(火) 融通無碍ではあるけれど
道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の商品の売れ具合を確認しながら、ふとお墓のことが気にかかる。関係者用通用口のそばに駐めた自転車を、目と鼻の先の、如来寺に乗り入れる。そのまま真っ直ぐに進んで水場のちかくにそれを駐める。閼伽桶に水を汲み、そこから先は歩いてお墓へ向かう。花立ての水は、果たして半分くらいのところまで減っていた。その水を捨て、新しい水で満たす。花は、おとといの朝より増えていた。多分、叔母が新たに加えたものだろう。
13時45分、事務机の引き出しの中でiPhoneが鳴る。左手に提げたカレンダーの「15:00 公民館」の覚え書きを見て、今度は14時45分に警告音を設定する。
公民館にはウカジシンイチ自治会長、イケダツトム公民館長、会計係の僕、イケダ建築のイケダミツヒロさんが集まった。そして現在の畳を木張りにするための打合せをする。
総鎮守瀧尾神社は春に2回、夏に1回、秋に1回のお祭を持つ。人口が減っていく今後、そのお祭をどのように維持していくかの話し合いは、各町内の公民館を会場として、数年に亘って続けられた。このとき畳に座布団を敷いて座る式の公民館の、今やほとんど淘汰されたことを我が町内の面々は知った。
和室の便利さは、融通無碍なところにある。しかし座って何かするには机と椅子が圧倒的に楽だ。工事は八坂祭の翌日の7月12日から始められ、数日で完了の予定だという。
朝飯 目玉焼き、納豆、菠薐草のソテー、竹輪とズッキーニの天ぷら、生のトマト、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と長葱の味噌汁
昼飯 朝のおかずを流用した弁当
晩飯 菠薐草のナムル、春雨サラダ、キムチ冷や奴、白花豆の甘煮、木須肉、芋焼酎「妻」(生)
2021.6.21(月) トマトサラダ必勝法
「草野球必勝法」という文章が山口瞳にある。これを今朝は読んだ。登場するのは坂根進や柳原良平など、寿屋における山口の同僚だ。しかし社名は「東西電気」と仮のものになっている。山口瞳は熱血の人だ。その熱血漢が、同時に冷徹な目も持ち合わせている。その綾が面白い。
それはさておき先日「トマトサラダ必勝法」とでも呼ぶべきものを発見した。文字にすれば以下になる。
1.トマトを賽の目に刻む。種の苦手な人は真横から半割にし、種を除いてから賽の目に刻む。
2.それをボウルにとる。
3.塩、油、酢を振って箸で混ぜる。
4.塩と油と酢の馴染んだトマトをひとかけらずつ箸で器に盛る。
要点はひとえに「箸で器に盛る」ところにある。そうすればドレッシングの過剰分やトマトの水分はボウルに残り、一方、器に盛られたトマトの歯ごたえ、舌ざわりは良好なまま保たれる。
「なんだそんなことか」と嗤わば嗤え、だ。「職人はちょっとしたことを出し惜しんで人に伝えない」と、むかし街の真ん中にあった蕎麦屋「糸屋」のオヤジさんは言った。なぜ出し惜しむか、それはその「ちょっとしたこと」こそが勘所だからに違いない。
朝飯 鶏の幽庵焼き、納豆、トマトサラダ、らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、昆布の佃煮、メシ、長葱の味噌汁
昼飯 焼き鮭、ごぼうのたまり漬、しその実のたまり漬、なめこのたまり炊のお茶漬け
晩飯 「食堂ニジコ」の胡瓜の辛子和え、ネギメンマ、ピータン、エビチャーハン、冷やし中華、麦焼酎「二階堂」(お湯割り)、家に帰ってからのエクレア、Old Parr(生)
2021.6.20(日) 西暦
2013年に102歳で亡くなったおばあちゃんの、今日は祥月命日だ。よって5時より準備を整え、家内と如来寺のお墓に参る。このところの雷雨によるものだろう、地面から跳ね上げられた土が、線香立てや花立てを汚している。それらを閼伽桶の水を換えながら、あるいは水場まで運んで洗う。元旦の墓参りとは異なって、いくら水を使ってもアカギレの心配の無いことは有り難い。
如来寺には、嘉永とか安政とか文久などと彫られた墓石が目立つ。いずれも幕末のものには違いない。しかしそれらが西暦のいつに当たるかは、僕には分からない。そういえばおばあちゃんは、特定の年を説明するのに元号を用いない人だった。明治の生まれとしては、珍しい例かも知れない。
ところでいわゆる「ワクチン証明書」は、7月の中旬から各市町村にて交付が始められるという。その報に接してfacebookでやり取りをする中に「証明書が日本語かつ令和暦で書かれていないことを望む」との発言が、アメリカ合衆国に長く住んだ下級生のスゲタミノル君よりあった。あり得ないことではない。しかし日本の役所もさすがに、それには英語と西暦を併記するだろう。
ふと思いついて、数日前に作った私製の接種証明書に目を遣る。生年月日は元号表記でも、接種年月日には2021年とあった。
朝飯 揚げ茄子、納豆、めかぶの酢の物、炒り豆腐、焼き鮭、ごぼうのたまり漬、メシ、レタスの味噌汁
昼飯 「大貫屋」の味噌ラーメン
晩飯 トマトサラダ、「ミラノピザ」のピッツァ其の一、其の二、TIO PEPE
2021.6.19(土) 雨の日
本日の「汁飯香の店 隠居うわさわ」には、12時30分に、日本語以外のお名前で3名様のご予約を戴いていた。よってその時間が近づくと事務室から店に移動をして、外に注意を払う。やがて道向こうの駐車場に傘を差した3名様があらわれ、そのうちのおふたりはスマートフォンを覗き込んでいらっしゃる。ほぼ、間違いはない。
外へ出て、国道121号線のこちら側から声をおかけする。そして蔵と隠居のあいだの信号機が青になるまで、そこでお待ちする。
辰巳に面した門までご案内をして、ノレンを跳ね上げる。目に飛び込んでくるのは緑、また緑だ。花は紫陽花。石の橋を渡りつつ「お写真は、どうぞご自由にお撮りください」と、ご説明をさせていただく。3名様のうちのおひとりは玄関前の壺に傘をお立てになった後、ふたたび庭にお戻りになり、しばらくあたりをお撮りになっていた。
水に浸けることにより、表情を一変させる陶器がある。草木の、雨による変わり様は、それ以上だ。雨の降る日は庭に明かりを点ける。その明かりは夜に見るより美しい。緑の力を借りて輝くのかも知れない。
朝飯 きのうのキムチ鍋の残りのぶっかけ飯、ごぼうのたまり漬、若布と長葱の味噌汁
昼飯 きのうのキムチ鍋の残りを具にしたうどん
晩飯 トマトとミートソースのスパゲティ、Chablis Billaud Simon 2015、スポンジケーキ、Old Parr(生)
2021.6.18(金) 薔薇宮
バンコクで三島由紀夫が取材を切望して果たせなかった「薔薇宮」について「いつか突き止めて、ちょっと覗いてみたい」と3日前の日記に書いた。
共産主義者鎮圧作戦本部と聞けば、場所としてはドゥシット地区が真っ先に浮かぶ。「薔薇宮」なら英名は”rose palace”だろう。そう考えて検索エンジンに当たっても、それらしい情報は一向に現れない。1960年代の大人のうち、生き残っているのは70代から90代。当時の社会情勢に詳しそうな長老を現地に探すしか方法はないかと考えた。
しかし今朝になってようやく、それらしい場所が特定された。現在の名はサンプラーン・リバーサイド。旧名はローズガーデン。
場所は予想したドゥシット地区からチャオプラヤ川を渡り、西へ数十キロほどのナコンパトム。現在は、象の芸やタイの伝統舞踊などを見せる観光施設や農産物の直売所、更にはホテルから結婚式場までも備えた複合体になっている。しかしその、サンプラーン・リバーサイドに関するページを開いても開いても「暁の寺」で三島が精密に描写した建物は出てこない。「薔薇宮」は、本当にここにあったのだろうか。
背表紙のみが記憶に残る「豊穣の海」の4冊は、今、家のどこにも見あたらない。嫁に行った叔母の私物だったのかも知れない。プールサイドに寝転がって読むには文庫が最適だ。しかしこの4冊に限っては、世に出たときのハードカバーで読みたい。第一、新仮名遣いでは感じが出ないではないか。
朝飯 納豆、めかぶの酢の物、炒り豆腐、生のトマト、蕪のぬか漬け、なめこのたまり炊、メシ、若布と長葱の味噌汁
昼飯 「ふじや」の味噌ラーメン
晩飯 蒲鉾、キムチ鍋、なめこのたまり炊、芋焼酎「妻」(お湯割り)
2021.6.17(木) 派手な色の名札
光輝燦然、凱風快晴、元気溌剌、千紫万紅。気分はまったく爽やかだ。新型コロナウイルスワクチンの副反応から完全に復帰、復活したのだ。
このワクチンの接種を1度でも受けたことのある者は、社内には僕しかいない。社員の家族にも、いまだこれを経験した人はいないらしい。今回の僕をモルモットとして、その様子を父母や祖父母に伝え、時が至れば自身も参考にするよう、朝礼では伝える。
日本に生まれれば、人は大人になるまでに相当数のワクチンを打たれる。それらにくらべて今般のワクチンが急ごしらえであることは否めない。よってその接種については、これを忌避する人がいる。まぁ、それは、いるだろう。
ワクチンの接種を望まない中には「自分は絶対に罹らない」と、自信満々の人もいる。「多分、罹らないだろう」と、根拠に欠ける確信の下に嵐の収束を待つ人もいる。「コロナも怖いがワクチンも怖い」と、じっと身を固くしている人もいる。
僕は、社会との関わりを絶つわけにはいかないから接種を受けた。「ワクチン接種済」と大書した派手な色の名札を国は作ってくれないか。そうすれば僕は、これを首から提げて歩くだろう。
北村敬の「天然痘が消えた」は、20代の前半に読んだ。今は古書の市場で高値が付いている。「コロナ」がその値を押し上げたのかも知れない。
朝飯 炒り豆腐、納豆、ハムのソテー、スクランブルドエッグ、菠薐草の胡麻和え、酢蓮の梅肉和え、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、メシ、若布と長葱の味噌汁
昼飯 弁当
晩飯 「コスモス」のトマトとモッツァレラチーズのサラダ、カレーライス、ドライマーティニ