2019.4.27(土) 続・朝の納品
いつもより1時間ほどはやく朝食を済ませ、6時15分に仕事場に降りる。そしてきのう製造係の数名が用意した商品をホンダフィットに積み、6時30分に会社を出る。JR宇都宮駅までの行程は45分と予想をしていた。しかし実際には35分後の7時5分に着いた。出張先の東京から戻った長男と7時15分に落ち合って、クルマを南へ向ける。
四半世紀ほども付き合いの途絶えていた福田屋百貨店さんとは、ひょんなことから取り引きが再開し、今月の9日にはFKD宇都宮店さんに初めての納品をさせていただいた。それに続いて今日は、FKDインターパーク店さんにも納品をさせていただくことになっている。約束の時間は8時だったが、現場には7時41分に到着した。
僕は、割り当てられた棚にアルコールを噴霧し、磨き上げることを繰り返す。長男は商品にシールを貼り、それを棚に並べていく。本日の納品は、小一時間で完了した。帰りは、いまだ開店前のFKD宇都宮店さんに立ち寄って、売り場の様子を見る。
10連休の初日から新しい仕事ができて、大いに嬉しい。
朝飯 切り昆布の炒り煮、納豆、目玉焼き、ポテトサラダ、薩摩揚げの淡味炊き、ふきのとうのたまり漬、メシ、ほうれん草と玉葱の味噌汁
昼飯 「CoCo壱番屋」のポークカレー、野菜サラダ
晩飯 らっきょうのたまり漬、カレー南蛮鍋、トンローのローカルスーパーマーケット「杜泰興」で買った長寿麺をカレーの鍋で煮て「百德食品公司」の豆板醤で和えたもの、麦焼酎「黒麹道」(お湯割り)、どら焼き、“Almaviva 1997”
2019.4.26(金) 大事を取って
来るべき10連休に備えて、釣り銭の両替を水曜日、木曜日と行った。なぜ2日に亘ったかといえば、1度では重くて持ちきれなかったからだ。更に今日は最後の調整として、いまいちど両替を行った。一銭にもならない仕事を引き受けてくれる近所の信用金庫に対しては、何やら申し訳ない気分を感じている。
釣り銭用の紙幣や硬貨は、小口現金と混じり合わないよう、別の場所に置いている。釣り銭を納めた金庫は、今のところは汗牛充棟に見える。これがまたたく間に減って、顔が青ざめるくらい、10連休が忙しくなれば有り難い。
ところでこのところの暖かさから急転直下、今日は気温が下がった。山沿いには降雪の予報すら出ている。夕刻、店の外に寒暖計を置くと、色は赤いから水銀柱とはいえない、とにかく気温は10度を下まわった。
夜は、僕が書記を務める、日本酒に特化した飲み会「本酒会」の例会にて、大谷川の向こうまで出かける。明日は大切な用事があるため徒歩や自転車は避け、往きはホンダフィット、帰りは代行車を頼んだ。21時すぎに帰宅してしばし製造現場に入り、明日のための商品を確認する。
朝飯 切り昆布の炒め煮、薩摩揚げの淡味炊き、納豆、トマトのスクランブルドエッグ、ふきのとうのたまり漬、メシ、大根と大根の葉の味噌汁
昼飯 「ふじや」の広東麺
晩飯 「天幸」のあれや、これや、それや、他あれこれ、4種の日本酒(冷や)
2019.4.25(木) ミャンマーの葉巻
春夏秋冬、年に4本のタバコまたは葉巻を吸う。なぜ吸うか。このようなドラッグまがいのものを国は国民に許している、そのいい加減さが面白いから吸う。なぜ年間4本に限るか。タバコはマリファナとは異なって、1日に1本、それを1週間ほども続ければ立派な中毒患者になれる。そして元の世界にはなかなか戻れない。それを嫌っての年に4本である。
2016年6月にミャンマーの田舎で買った安葉巻が、事務机の引き出しに1本だけ残っていた。それを今日は夕食後に外で吸った。
タバコ代とは畢竟、時間代と、僕は感じている。空中に様々な模様を作る煙を、何も考えないまま目で追う、その静かな時間を、タバコを仲立ちとして買っている気がする。ミャンマーの葉巻は、風味こそその安値に似合ったものではあったけれど、とにかく数十分は持ちこたえた。
年に4本とはいえ、昨年も、また一昨年も、実際には3本しか吸わなかった。春夏秋冬でいえば、冬には吸わないことが多い。吸えば血管が縮んで即死するような気がするからだ。
朝飯 切り昆布の炒り煮、大根おろしを添えた薩摩揚げの淡味炊き、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、ふきのとうのたまり漬、らっきょうのたまり漬、メシ、浅蜊と万能葱の味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」のサンラーメン
晩飯 玉子サラダ、牛肉のトマト煮、自分で作るサンドウィッチ、“TIO PEPE”、“Almaviva 1997”
2019.4.24(水) 道具を見送る
むかしオートバイで山の中を走る会に入っていた。会に入るためにはオートバイを手に入れる必要がある。その会では、オートバイは、ある特定の店で買うことになっていた。しかし僕は、その店ではオートバイを買う気がしなかった。店の裏庭には工具が散らばっていて、オーナーはその工具をタイヤで踏みつけながら、オートバイに乗る練習をしていた。
一方、東京から日光に移り住み、古典車の修復家として一時代を築いたバンノーセーイチさんは、毎年、大晦日にはスナップオンの工具を箱に整頓し、酒を注いで感謝の意を表していた。
たまり漬の袋の口を、それまでの輪ゴムから針金で結束する形に変えたのは、大阪万国博覧会の前夜、つまり1969年のことと記憶する。以来、その形態はことしの3月31日まで、実に半世紀のあいだ続いた。真空包装機が導入されたことにより使われなくなった結束機は9台。そのうちの2台は取り置き、残りの7台は、これまで維持管理をしてくれてきたエスワイ産業に譲ることとした。
蔵の奥にズラリと並べられた7台の結束機には、僕が酒を注ぎ、長男が塩を盛った。そうしてエスワイ産業のサイトータケシさんの先導により、集まった社員たちと、その7台に二礼二拍手一礼をした。
サイトーさんは真新しいトラックに7台の結束機を載せ、北方に去った。蔵の中は隨分と片付いて、気分は大いに悪くない。
朝飯 塩昆布、塩鮭、梅びしお、たまり漬「刻みザクザクしょうが」、ふきのとうのたまり漬、らっきょうのたまり漬による雑炊
昼飯 「大貫屋」の味噌ラーメン
晩飯 冷や奴、春雨サラダ、「百德食品公司」の豆板醤を添えた水餃子、文旦、チューハイ
2019.4.23(火) くすのき
家内の母の十七回忌、および父の三回忌のため、広尾の駅を降りて南部坂を上がる。ホテル王の夫婦が住む、高く反り返った鉄柵で囲まれた、まるで要塞のような家を過ぎれば、山の上の禅寺は目と鼻の先に迫っている。朝のニュースでは、今日の気温の高いことを気象予報士が伝えていた。僕は夏用の背広を着て、しかし汗はかかない。
今日の法事は、これまでのそれとは異なって、ごく内輪で行った。よってその後の食事もちかくの懐石料理屋ではなく、麻布十番のラーメン屋で摂ろうと考え、仙台坂を下る。十番商店街を北上しつつクルマの窓から左手にその店を確かめると、しかしそこには「火曜日定休」と書かれたシャッターが降りていた。即、方向を転じて鳥居坂を上がる。
空が晴れていさえすれば、景色は大抵、美しい。国際文化会館のコーヒーショップでサンドイッチをつまみつつ「ビールの好きな人なら、飲まずにはいられない環境だ」と考える。僕は酒は好むがビールはほとんど口にしない。昼酒も、つき合い以外では飲まない。夜に白ワインを飲んだら良さそうな気もするが、折角の庭は闇に沈んでいるだろう。
前回、ここに来たのはある団体の設立総会のときで、それは4年前の4月の夜だった。その集まりからは「自分の本当に好きなことは何か」と考えた結果、すぐに抜けた。
浅草16:00発の下り特急に乗って終業直前の会社に戻る。閉店の作業をして社員を送り出し、夕食の後は入浴をして早めに就寝する。
朝飯 納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、目玉焼き、大根おろし、ふきのとうのたまり漬、らっきょうのたまり漬、梅びしお、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁
昼飯 “THE GARDEN”のクラブハウスサンドイッチ、レモングラスティー
晩飯 だし巻き玉子、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、素麺の吸い物、鮨あれや、これや、「新政酒造」の「純米大吟醸生原酒ナンバー6」(冷や)、蓮根菓子「西湖」
2019.4.22(月) 花見
味噌蔵のある庭の隠居には数年前まで、実生のものも含めて少なくない数の桜があった。それに対して「育ちすぎれば倒木による被害を避けるため、鉄筋コンクリートの塀を壊し、重機を入れて処分する必要がある。しかし今なら梯子とチェーンソーだけで伐れる」と出入りの植木屋に言われ、惜しげなく減らした。その結果、現在は山桜、染井吉野、枝垂れ桜の3本のみになっている。咲く順番は、いま書いた通りで、最後に残るのが、庭のほぼ真ん中にある枝垂れ桜である。
きのう清楽亭寄席を開いた座敷で、今日は終業後に社員を集めて花見を行う。花見は一時期「花より団子」とばかりに街の飲食店ですることもあったけれど、ここしばらくは元の形に戻して続けている。
花見の日には毎年、10年、20年、30年の永年勤続表彰をする。今年は包装係のタノイチカさんが入社20年を迎えたものの、彼女は4人の子持ちで、だから途中、産前産後と育児休暇を5年ちかくは取っているはずだ。よって5人目の子供を産まなかったとしても、表彰は5年後になるだろう。
皆で穏やかに飲んで食べて、20時30分に散会する。
朝飯 モッツァレラチーズの「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬けとトマトのサラダ、納豆、豆腐の卵とじ、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、らっきょうのたまり漬、メシ、ほうれん草の味噌汁
昼飯 「ふじや」の味噌バターラーメン
晩飯 キャベツのサラダ、冷やしトマト、カキ菜の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、だし巻き玉子、ジャガイモとズッキーニとパプリカの素揚げ「日光味噌梅太郎白味噌」和え、たまり漬「鬼おろしにんにく」と同「刻みザクザクしょうが」を薬味にした鰹のたたき、おむすび、焼き鳥各種、チューハイ
2019.4.21(日) 清楽亭寄席
味噌蔵のある庭の隠居で「清楽亭寄席」を開くようになって、今年で4年になる。寄席の名は、築150年の建物の六畳にかかっていた額による。企画は長男、準備のほとんども長男。12時からの昼席と14時30分からの夕席の各々の中入りには、たまり漬を使ったおむすびとらっきょうのたまり漬と味噌汁を、お客様にお出しする。僕の仕事は、味噌汁の出汁を前夜から引くこと、本宅と隠居のあいだの食器の移動、当日の受付と給仕である。
「清楽亭寄席」に出演する噺家は、原則として瀧川鯉白。長男のこだわりは、そこに必ず色物を加えるところにある。今年は音曲の桂小すみ先生。「先生?」と不思議に感じる人もいるかも知れないが、色物の芸人につける敬称は「先生」と決まっている。
今年の「清楽亭寄席」も、街うち、あるいは県内、遠くは東京からのお客様に恵まれて、無事に完了した。長男と僕と家内が隠居に詰めているあいだ、週末の忙しい店を守ってくれる社員のいることが有り難い。
夜は春日町1丁目の会計係として、町内の総会に臨む。
朝飯 キクラゲと鱈子の佃煮、塩鮭、梅干し、塩昆布、ふきのとうのたまり漬によるお茶漬け
昼飯 「しその実のたまり漬」と「刻みザクザクしょうが」によるおむすび、揚げ湯波とカキ菜の味噌汁
晩飯 マカロニサラダを添えた鶏の唐揚げ、”ABSOLUT VODKA”(ソーダ割り)
2019.4.20(土) 朝の景色、夕方の景色
4時に目を覚まし、その20分後に食堂に来てカーテンを巻き上げると、東の空には水色と桃色による帯が、既にして淡く重なっていた。夏至まではいまだ2ヶ月もあるというのに、隨分と早くから明るくなるものだと、すこし驚く。その空がもっとも美しくなるころに写真を撮ろうと、おとといの日記を書きつつ待ち構える。しかしふと気づくと、空は、夜と夜明けのあいだを離れて朝のそれに近くなっていた。よって軽い落胆と共に立ち上がり、見まわりのため製造現場へと降りる。
特に何も無い一日という日は一日として無い… と書きながら「オレが日本語を習得しようとする外国人だったら『この和文を翻訳せよ』なんて問題が試験に出たらイヤだな」と思う。とにかく、特に何も無い一日という日は一日として無い。今日も、何も無いようでいて、あれこれのことが僕の耳に集まってくる。そしてそれらのあれこれは、数日後には、あるいは数週間後には、僕もそこに加わって、手やからだを使うことになるのだ。色々と楽しみである。
朝飯 蓮根と人参のきんぴら、納豆、スクランブルドエッグ、ほうれん草のソテー、塩鮭、ふきのとうのたまり漬、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁
昼飯 カレーライス、らっきょうのたまり漬
晩飯 「コスモス」のトマトとモッツァレラチーズのサラダ、マカロニグラタン、ドライマーティニ、”TIO PEPE”、家に帰ってからのチョコレートケーキ、”Old Parr”(生)
2019.4.19(金) 棚割り
来週の土曜日から10連休に入る。銀行も10連休だから、そのあいだに必要な釣り銭は、来週の金曜日までに準備を終えておく必要がある。その、金種別の数を推し量る。10連休とはいえ、途中にはかならず中だるみの日も出てくるだろう。それを考えれば、それほど大量の紙幣や硬貨を溜め込むこともないことが分かった。
海外に遊びに行く初日の、家を出て飛行機の座席に着くまでの気持ちは案外、恬淡としたものだ。それにくらべて10連休を迎えようとしているそれには、何とはなしに華やいだものがある。遊びより仕事の方に、より浮き立つ気分を感じるとは、一体全体、どのような心の働きによるものだろう。
きのう出かけた先で読みさした本を、夜になってから本棚に戻す。本は、その内容に従って、棚のしかるべき場所に区分けをされている。しかし本が増えるに連れ、その「しかるべき場所」からはみ出すものも出てくる。
インターネットで本を買うときに困るのは、初見の書き手については、その文体が確かめられないことだ。あるいはまた、むかしの文庫本は、現代の水準に照らして文字が小さすぎる。そのふたつを理由として、買われたものの読まれない本は、徐々に、確実に、増えていく。そんな本ばかりを集めた一角を棚に作ってみるのも面白いかも知れない。
朝飯 人参と蓮根のきんぴら、納豆、トマトのソテーを添えた目玉焼き、エノキダケと胡瓜の酢の物、ふきのとうのたまり漬、キクラゲと鱈子の佃煮、メシ、大根と大根の葉の味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」のラーメン
晩飯 ジャガイモとレタスとブラックオリーブのサラダ、モッツァレラチーズの「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、パン、牛タンと根菜のスープ、“Chablis Billaud Simon 2015”
2019.4.18(木) タルヒヤ
日光の勉強仲間が西研究所のマイツール経営教室に参加をするというので、息抜きも兼ねて、会場のある品川区まで出かける。
僕がこの教室で学んだのは1992年4月。僕にとって幸いだったのは、そのときの僕の中には、コンピュータの「コ」の字も無かったことだ。空洞だったからこそ、新しいことが、水が高きから低きに流れるように入ってきたのだ。稀代のデータベースソフト「マイツール」に出会い、習得していった自分を振り返るときにはいつも「幸いなるかな心の貧しき者、天国はその人のものなり」という、マタイ伝第5章の一節を思い出さないわけにはいかない。
会場ではニシジュンイチロー先生に促され、上に書いたようなことを、10分間ほどで話させていただく。
いまだ空に明るみの残るうちに湯島の天神下に至り、シンスケの縄のれんをくぐる。桜の咲くころには終わってしまうとばかり思っていた樽酒は、いまだ残っていた。これを冷やした「タルヒヤ」を、上出来のあれこれを肴にして飲む。どのような理由によるものかは分かりかねるが、今日はいくらでも飲める。とはいえいつかは仕舞いにしなくてはならない。
そうして北千住を経由して23時前に帰宅する。
朝飯 ほうれん草の胡麻和え、納豆、トマトのスクランブルドエッグ、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、ふきのとうのたまり漬、メシ、天ぷらと三つ葉の味噌汁
昼飯 「カルフールキッチン」の2種のサンドイッチ
晩飯 「シンスケ」の小鰭酢、キャベツと帆立貝のサラダ、鮭の焼漬け、タルヒヤ