2019.3.20(水) 安い買い物
真冬の寒さを思えば隨分と暖かくなってきた。しかしなにか慣性のようなものが働いているのだろう、今日もまたmont-bellの、上からかぶる式のダウンベストを着る。そしてこのベストの腹のあたりや腰のあたりの具合を確かめ「中身が大分、減ってきたようだ」と感じる。「もう捨てても良いころではないか」と考えつつ小遣い帳を検索すると、これを神保町の「さかいやスポーツ」で買った日は2006年10月24日と知れた。
僕はこのベストを毎年、12月の中旬から翌年の春彼岸くらいまでは着る。1年に3ヶ月余を13回も繰り返したとなれば、着用に及んだ日数は、およそ1,300日に達する。買った値段の7,900円を1,300日で割れば1日あたりのかかりは6円。安い買い物だった。
夕刻、冷蔵庫の氷温の引き出しに「丸赤」の極辛塩鮭を見つける。家内が仕舞い忘れたものだろう。よってその切り身を15分ほどかけて焼く。この鮭が焼き上がると、表面は厚く塩で覆われる。それほど塩気が強いから、1度に食べられるのは小指の先ほどだ。つまりこの塩鮭もまた、1日にならせば安い買い物、ということになる。
それはさておき、今日は火加減がちと強すぎたかも知れない。次はもうすこし弱い火で炙ってみたい。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、飛竜頭と茹で玉子のおでん風、細切り人参の炒り煮、蓮根のきんぴら、らっきょうのたまり漬、メシ、豆腐と揚げ湯波と三つ葉の味噌汁
昼飯 ふきのとうのたまり漬、梅干し、塩らっきょう、昆布の佃煮によるお茶漬け
晩飯 トマトとレタスとクレソンのサラダ、「金谷ホテルベーカリー」のチーズパン、同ぶどうパン、きのうのロールキャベツを流用したスープ、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”
2019.3.19(火) Body Mass Index
口の中で道路工事まがいのことをされる歯医者や胃カメラは、どうということもない。しかし採血だけは苦手だ。現在の、研究し尽くされた注射針は大した痛みも感じさせず血管に侵入する。しかし痛みが問題なのではない、皮膚に青く浮き出た血管に針を刺す、その不気味さに当方はおののくのだ。
会社の健康診断は8時30分に始まった。受付を済ませると、先ずは血圧の測定と採血と言われたが、採血はできるだけ後回しにしたい。指示された順番を無視して身長計と体重計の置かれた場所へ行く。
僕の体重がもっとも重かったのは64キロで、それは2012年5月から2013年6月にかけてのことと、この日記に検索をかければ知れる。本日、着衣のまま体重計に乗り「お洋服の分、1キロ、減らしておきますね」と説明しつつ白衣のオネーサンが専用の紙に記した数字は55.9キロだった。つまりこの5年間で、僕は約13パーセントの体重を減らしたことになる。この間、意図して体重を減らそうとしたことはない。また癌などの病気でもなければ、これは自然減なのだろう。
インターネット上のBMI計算機に僕の数値を入れると19.62と出た。適正体重の62.69キロには6.9キロ足りないものの、範囲としては普通だという。いま誂えているスーツは、以前のそれにくらべれば、隨分と細身のものになるだろう。
昼飯 「魚べえ」のあれや、これや、それや。
晩飯 ロールキャベツ、マカロニサラダ、ドリア、“Chardonnay Monovitigno Azienda Agricola Di Lenardo 2017”
2019.3.18(月) お彼岸の入り
本日はお彼岸の入りにて、朝、如来寺にあるお墓に家内とお参りする。3月も下旬にさしかかろうとしているのに、花立てに溜まった雨水は凍っていた。
お墓の、石と石の重なったところに苔が見える。「さて、水が凍るほど気温が低いにもかかわらず、もう苔か」と、その部分を乾いたタオルで強く拭くと、苔ではなく杉の花粉だった。乾いたタオルの次は、2本目の、水を固く絞ったタオルで更に強く墓石を拭く。
空は雲ひとつなく晴れて、風は皆無。蝋燭に火を点けるには、何の苦労も無い。
昨年の4月26日、家内の父の一周忌で訪れた禅寺で「献仏不假香多」という張り紙を目にした。「仏は香の多さを求めない。見た目や形にはこだわらず、心を込めることこそ大切」という意味の言葉だという。心を込めることは難しいけれど、以来、僕はお墓では、左右それぞれ3本のみ線香を上げることにしている。
花の茎の切り落としたところや使い終えたマッチの軸などを古紙に包み「さて」と立ち上がって二三歩を踏み出してからお墓を振り返ると、供えたばかりの花は涼やかに、朝日を受けて光っていた。
朝飯 納豆、温泉玉子、しもつかり、らっきょうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と三つ葉の味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」の塩焼きそば
晩飯 蓮根のきんぴら、春菊の胡麻和え、かまぼこの「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」かけ、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、ウィンナーソーセージと2種のパプリカのソテー、塩らっきょう、サヨリの干物、麦焼酎「黒麹道」(お湯割り)、2種のぼた餅、”TIO PEPE”
2019.3.17(日) 夜半の雨
きのうは北千住20:13発の下り特急リバティに乗り、下今市には21:50に着いた。そして披露宴の引出物と、オフクロの妹からの個人的なお土産を両手に提げ、歩いて帰宅した。今朝、窓から外を眺めると、国道121号線のアスファルトが濡れている。雨は、僕が家に帰った後に降り始め、夜が明ける前に止んだのだろう。夜のみに降る雨は有り難い。
その雨のお陰で、ホンダフィットの屋根や窓に付着していた杉の黄色い花粉は、ほとんどすべて流されていた。僕には花粉症は皆無、ということはないものの、その症状は日に1度か2度の目薬が欲しくなる程度の軽いものにて、助かっている。
花粉症といえば、オフクロの親戚に、齢70を過ぎて引退し、この時期には毎年、沖縄に長期の滞在をする人がいる。花粉に弱い人からすれば、とても羨ましい境遇である。その人は沖縄での数ヶ月を、何をして過ごしているのだろう。あるいは、とりたてて何もしていないのかも知れない。
ところで「琉球列島の南下は、いちど経験をすると、なかなか止められない」と聞いたことがある。琉球の島々は、それだけ魅力に富んでいるのだろう。僕は更に南へ行ってしまうから、その「なかなか止められない」は知らないま終わるように思う。
朝飯 細切り人参の炒り煮、切り昆布の炒り煮、しもつかり、ベーコンのソテーを添えたスペイン風目玉焼き、春雨サラダ、蕗のとうのたまり漬、メシ、白菜の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 山葵の花の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、生のトマト、ほうれん草の胡麻和え、豆腐となめこの味噌汁、大根おろしを添えた厚焼き玉子、鶏もも肉の「日光味噌ひしお」炒め、「縣屋酒造」の麦焼酎「黒麹道」(お湯割り)、桜餅、”TIO PEPE”
2019.3.16(土) 久しぶり
スーツに合わせてもおかしくない、黒い革の小さなショルダーバッグに最小限のものを入れる。そしてそれのみを荷物として、下今市12:05発の上り特急スペーシアに乗る。15時30分から始まる披露宴の場所は、千葉みなとの駅前にあるという。その駅には思いのほか早く、14時40分ころに着いた。
木更津の、オフクロの実家はオフクロの妹が跡を継いでいる。本日、使い古された言葉を使えば華燭の典を挙げるのは、その、オフクロの妹の孫、つまり僕の従兄弟の長男である。
木更津にあるオフクロの実家には、夏になると、広い家と海を求めて、僕の、関東地方に住む従兄弟たちは大抵、そこに集合した。そして長いときには数週間も滞在した。未知の居候がいたりしたことを考えれば、そのころから面倒見の良い家だったのだろう。
大人になってからは、その関係も、冠婚葬祭も含めて薄れ、だから今回、披露宴の招待状が届いたときには少なからず驚いた。従兄弟の、幼児期の姿し知らない長男は、いつの間にか中学校の先生になっていた。
披露宴もお開きになろうとするころ、新郎が今年度に担任した生徒たちが「いきなり」という形で紹介され、会場に入って壇上に並んだ。ひとりで気ままにしていることを好む僕も、この場面ではそそくさと席を立ち、その壇上に近づいて、なにしろ荷物は最小限に絞っていたからデジタルカメラではなく、iPhoneをその風景へと向ける。
朝飯 しもつかり、ほうれん草と湯波のおひたし、細切り人参の炒り煮、スクランブルドエッグ、トマトとレタスのサラダ、切り昆布の炒り煮、メシ、大根とピーマンの味噌汁
昼飯 「ローソン」のひと口もち食感チーズ、牛乳
晩飯 「ホテルポートプラザちば」のあれや、これや、シャンペン、ビール
2019.3.15(金) 初午
初午にはお稲荷さんに赤飯としもつかりと日本酒を供え、宮司に祝詞を奏上してもらう。ウチは初午を旧暦で行う。今年の初午は今月の10日だった。そのとき僕は、いまだスワンカロークにいた。すべては家内と長男が仕切ってくれたのだろう。
ところでウチの倉庫には、むかし初午のお祭を盛大に行っていた時代の旗や幟が遺されている。それを本日、湿気を避けるための茶箱から長男が出してきた。旗竿まで残っていたのだから大したものだ。赤や白の旗や幟の中から長男は明治23年、つまり129年前のものを選んで竿に取り付け、店に飾った。
「奉献正一位上澤稲荷神社 明治二十一年麗月初午日 米處凞敬書」と書かれたそれは、店の奥の壁には横にしても収まらず、斜めに吊られた。
関東南部で桜の花の開くころ、こちらでは梅の花が盛りになります。お彼岸を過ぎれば、暖かさも急に増してきます。これからご来店くださるお客様は、是非、ご覧になってください。旗は、4月の上旬までは飾っておく予定です。
朝飯 しもつかり、納豆、ベーコンエッグ、切り昆布の炒り煮、細切り人参の炒りつけ、ふきのとうのたまり漬、メシ、キャベツの味噌汁
昼飯 「カルフールキッチン」のサンドイッチ、コーヒー
晩飯 しもつかり、春雨サラダ、「なめこのたまり炊」のなめこおろし、飛竜頭と茹で玉子とたぐり湯波の煮つけ、ほうれん草と湯波のおひたし、麦焼酎「日田全麹」(お湯割り)、3種の和菓子、”TIO PEPE”
2019.3.14(木) 帰国
69Kの席、つまり僕の右手、窓側に座ったオバサンが、僕の膝を乗り越え通路に出ようとしている気配で目を覚ます。時計を見ると時刻は1時43分だった。昨夜は飛行機に乗り込み席に着くなり眠ってしまったのだろう。足元が冷えるため必須の毛布は、どこにあるのやら見あたらない。オバサンが手洗いから戻ると同時に背もたれを倒し、二度寝に入る。
03:16 朝食の配膳が始まる。その朝食にはほとんど手をつけないままふたたび眠りに落ちる。
04:08 「誰の読書灯だ、眩しいな」と目を開けると、それは機窓から差し込む朝日だった。
04:40 “BOEING 747-400″を機材とする”TG682″は定刻より15分はやく羽田空港に着陸。日本時間は6時40分。以降の時間表記は日本時間とする。
07:30 回転台から荷物が出てくる。
羽田空港国際線ターミナルから浅草までは、京浜急行と都営地下鉄銀座線の乗り換え無し。浅草09:00発の下り特急リバティに乗り、下今市10:42着。駅までは家内に迎えに来てもらった。
昼にトムヤムクンラーメンを食べると、その強いレモングラスの香りを聞いて、もうタイが懐かしい。午後は食品衛生指導員としての更新教育を受けるため、日光の総合会館へ行く。
朝飯 “TG682″の機内食
昼飯 「センターポイントシーロム」のクーポンで買ったトムヤムクンカップラーメン
晩飯 切り昆布の炒り煮、しもつかり、人参の炒り煮、穴子の照り焼き、たぐり湯波の淡味炊き、厚焼き玉子、塩らっきょう、大根とジャガイモの味噌汁、麦焼酎「日田全麹」(お湯割り)
2019.3.13(水) タイ日記(7日目)
早朝4時30分より荷造りを始めるものの、一度で済むことに二度手間をかけることが多く、能率が上がらない。どうにか形のついた5時30分からおとといの日記に取りかかる。閉まっている窓の外からでも聞こえる鳥の声を更によく聞こうとして窓を開ける。サワンカロークで盛んに啼いていたフーイッ、フーイッという鳥ではない。バンコクに聞こえるのは雀の声ばかりだ。
8時10分にきのうのクイティオ屋をソイ46に訪ねると、残念ながら休みだった。そのままチャルンクルン通りに出て、これまで食べていたクイティオ屋の前まで行き、しかしどうも気分が乗らない。ソイ44を西に歩いてバンラック市場に入る。そしてここに店を出しているぶっかけメシ屋で、普通盛りのゴハンにふたつのおかずを載せてもらう。値段は35バーツ。インフレーションが亢進しつつあるバンコクにあって、何年も値上げをしていないらしい。
ソイ46から「陋巷」と呼ぶにふさわしい家と家のあいだを入って、きのうの洗濯屋へ行く。あたりの、まるでスラムのような風景には似合わず、洗濯物は綺麗に畳まれ透明の袋に入ってできあがっていた。その洗濯物が揃ってようやく、荷造りがほぼ完了する。
9時すぎから11時を回るまではプールで本を読む。旅の楽しみはいろいろとあるけれど、もっとも楽しみにしているのは、多分、このプールサイドでの本読みだ。それも、次にタイに来る6月までお預けである。
チェックアウトを済ませて正午にホテルを出る。昨年の11月に完成したアイコンサイアムへの舟にはサトーンの桟橋のどこで乗るのか、きのうコモトリ君に訊いたら「行ったことがねぇから分かんねぇんだよ」とのことだった。ホテルとは目と鼻の先の桟橋へ行き、しばらく様子を見ていると、アイコンサイアムの看板を屋根に取り付けた、渡し舟などとは比較にならないほど大きな双胴船が近づいて来た。それが着岸する前に、近くにいた係のオジサンに「どこに着くの」と息せきを切りながら訊く。「左の通路の奥」と、オジサンはすかさず教えてくれた。アイコンサイアムとサトーン桟橋のあいだを往復する舟は、アジアティークに客を運ぶ舟とおなじ、川に向かってもっとも左に着いた。
アイコンサイアムのグランドフロアは、たとえて言えば百貨店のディズニーランド、あるいは百貨店の日光江戸村である。脇の入口には観光バスが続々と横付けをされて、中国からの団体旅行客が次々に吸い込まれてくる。すこし旅費の高いらしい、これまた中国からの団体客は、店内にあっていかにも高級そうな海鮮料理屋”JUMBO”の席のほとんどを占めている。
昼食をいまだ摂っていなかったこともあって、僕は水上マーケットの舟を模した店でカノムチーンゲーンキヨワーンを食べた。この”SOOK SIAM”という場所の食べ物屋の料理は、少ない例外を除いては価格を50バーツに統一しているようだった。
フロアの案内板をしばし眺めて、今度は6階の展望レストラン”FaLLabeLLa”の扉を押す。いやはや素晴らしい眺めだ。チャオプラヤ川にもっとも近い席に着き、マンゴージュースを注文する。「本、持ってくりゃ良かったなー」と後悔しても、本はホテルに預けたスーツケースの中だ。隣のテーブルではムスリムの少女4人が互いに写真を撮りあっている。あまりにも居心地が良いため、彼女たちが飲んでいたコカコーラを追加で注文する。
“FaLLabeLLa”の、ちょっと気の効いたオネーサンを手招きして、食べ物のメニュを見せてもらう。営業時間は10時30分から真夜中まで。階下の店は22時に閉まるので、以降はエスカレーターではなくリフトで1階に降りる。サトーンへの舟の最終便は23時30分。日暮れ時から夜にかけての来店で良い席に着きたければ、平日でも予約をした方が無難、などということを聞き出す。
帰り際に船着場のオネーサンにサトーンへの最終便を訊くと、彼女もまた23時30分と答えた。タイは「マイペンライ」の国なので、大切なことは複数の人に確認をしておかないと、なにかと失敗をすることが多いのだ。
サトーンへの舟は15時23分にアイコンサイアムの桟橋を離れた。舟はおおむね1時間に4本くらいが動いているようだ。
おととい夕食の帰りにバンラックの巨大な立体駐車場の中を抜けるとき、その1階に床屋のあることに気づいていた。そこへ行くとオニーチャンはスマートフォンで動画を見ていた。「大丈夫か」と訊くと、彼は商売のできることを身振りで示した。その、客は地元のアンチャンばかりだろうと思われる床屋で髪と髭を切ってもらう。髪だけなら120バーツだが髭もあるから200バーツとは、店に入ったときに説明をされていた。彼の仕事は南の国の床屋としては、割に丁寧だった。
16時前に、チャルンクルン通りソイ44と46のどん詰まりを繋ぐ、つまりシャングリラホテルのアパート棟の裏に面したマッサージ屋に入り、足マッサージ1時間、頭と肩のマッサージ1時間を受ける。寝椅子に半覚半生の状態でいると、騒がしい複数の客が来た。薄目を開けるとアジア人のようだが、店の人とは英語で交渉をしているから、壁に貼ってある「お静かにお願いします」の英文が読めないわけはない。民族にかかわらず、人は集団になると大抵、騒がしくなるものだ。
18時にホテルに戻り、預けてある荷物を受け取って18時09分にホテルを去る。BTSがサパーンタクシンを出たのは18時18分。シーロム線とスクムビット線を乗り継ぎ、パヤタイには18時36分に着いた。駅の下に降りたら横断歩道が無いのでふたたび駅に上がって向こう側に渡る、というようなことをするうち、駅の真下にありながら、フロリダホテルのコーヒーショップ”TAMPA”までは17分も費やしてしまった。
ソーダとバケットの氷を注文し、席に届いたそれでラオカーオのソーダ割りを作って飲む。メニュのページを行きつ戻りつして、サンドイッチのところから”Triple-Deccker Club Sandwich”を選ぶ。持参した全183ページの岩波新書は2日ほどで読み終えていた。これと平行して読み始めた633ページの厚い方は、450ページまで進捗をした。
20:10 “TAMPA”を去る。料金は214バーツだった。
20:20 エアポートレイルリンクの車両がパヤタイを発車する。
20:35 フアマークを過ぎても高速道路の渋滞は途切れない。
20:40 バンタップチャンを過ぎても高速道路の渋滞は途切れない。
20:50 スワンナプーム空港着。
タイ人は一体に歩きたがらない。豊かになればなるほど、その傾向は強くなる。駅の階段を昇ったり降りたりすることなく、涼しい車内で座ったまま移動することを好む。その性向が都市の大渋滞を生む。渋滞に1時間、2時間と閉じ込められることを知っていながら、タイ人のうちのかなりの数、またタイに慣れてしまった人たちは、座ったまま移動することを選ぶ。バンコクでは東京より頻繁にランボルギーニを目にする。渋滞の中のウラカンは、まるで蠅取り紙にくっついたカメムシだ。
21:09 チェックインを完了。
21:40 ベンチで330ccのペットボトルに残ったラオカーオを生で飲み干す。
21:52 保安検査場を抜ける。
22:07 パスポートコントロールを抜ける。
22:22 楽天のゴールドカードを持っていれば誰でも使えるミラクルラウンジへ行く。
“BOARDING TIME 22:35″と印刷されたボーディングカードをミラクルラウンジのオネーサンに示して滞在可能時間を訊くと「15分」と答える。シャワー室への入口に係の姿は見えない。受付に戻ってオネーサンに係を呼んでもらう。その係からタオル一式が納められた乱れ籠を受け取る。午後からの汗を流し、シャツを着替えて待合室へ急ぐ。搭乗は既にして始まっていた。
機内69Jの席に着いて左腕の時計を見る。時刻は23時20分だった。
朝飯 バンラック市場のぶっかけメシ屋の2種のおかずを載せたごはん
昼飯 “SOOK SIAM”のカノムチーン屋のカノムチーンゲーンキヨワーン
晩飯 “TAMPA”の”Triple-Deccker Club Sandwich”、ラオカーオ”Colt’s Silver”(ソーダ割り)
2019.3.12(火) タイ日記(6日目)
おとといの夜、屋台街から裏道を辿って帰るとき、イスラム寺のそばの電柱に”LAUNDRY”と看板の出ていることに気づいた。センターポイントシーロムはサービスアパートメントの体裁が整えられていて、部屋には大抵、洗濯機が備えられている。しかし今回の部屋は狭く、その洗濯機が無い。
きのうの朝、建物と建物の隙間を抜けてこの洗濯屋を訪ねると、オジサンがいて、洗濯物は朝に出してくれれば夜にはできあがると教えてくれた。日程を考えれば、洗濯物はできるだけ溜めてから出す方が得策だ。よってすべての洗濯物を袋に入れ、きのうとおなじ8時にこの洗濯屋へ行く。オジサンは洗濯物の枚数を丁寧に数えてから紙に「490」と書いた。洗濯機一丁で勝負する街場の洗濯屋としては安くないと感じたが、これ以上の着替えは持っていない。出来上がりは18時とオジサンが言うので「その時間は晩ごはんを食べているので、明日の朝、また来ます」と答えて店を出る。
宿は巨大なバンラック市場と路地、正確にはチャルンクルン通りソイ46を挟んである。市場のもっとも外側、その路地に面してクイティオ屋のあることは以前から知っていた。ものは試しと、今朝はそのクイティオ屋の椅子に着く。汁麺はとても美味かった。この店には明日も来ようと思う。
部屋に戻り、手持ちの現金を数えてみる。その額は1,998バーツ。今夜はタイ在住の同級生コモトリケー君とビーフステーキによる夕食を摂る。コモトリ君には昨年の10月に布と見本を渡して仕立てを頼んでおいたタイパンツの仕立代500バーツ、明日の朝は洗濯屋に490バーツを支払わなくてはならない。とすれば、1,998バーツは絶対に足りない金額だ。
9時にホテルを出てサパーンタクシンの駅へ行く。紙幣の使える自動販売機はこの駅には無いから、サラデーンまでの切符というかカードを窓口で買う。以前はBTSの駅では両替しかしてくれなかったと記憶をするけれど、今回はどこの駅の係員も親切だ。そうして9時20分にタニヤの両替商も兼ねる酒屋へ行くと、店はいまだ空いていなかった。よってちかくのマッサージ屋「有馬温泉」まで歩き、足のマッサージと耳掃除をしてもらう。
10時を過ぎると街の気温は急に上がる。タニヤの酒屋では3万円のみ両替をした。今朝のレートは1万円が2,840バーツ。1万円が4,000バーツを超えた2009年が懐かしい。しかしそのころの日経平均株価は1万円を切っていた。何が良いのかは、人それぞれである。
ところで明日は帰国日だ。夜の便に乗る帰国日に悩ましいのは、ホテルをチェックアウトした後の過ごし方と、夕食の場所である。
数年前の大渋滞を思い出すたび、空港へは電車で行きたい。夕食には酒がつきものだ。しかし酔った状態でスーツケースを曳き、ザックを背負って複数の乗り換えはしたくない。空港の高いメシは食べたくない。とすれば夕食の場所としては、空港まで一直線で行けるエアポートレイルリンクの駅パヤタイが頭に浮かぶ。
サラデーンからBTSのシーロム線とスクムビット線を乗り継ぎパヤタイへ行く。プラットフォームから下を覗くと、良さそうなフードコートがある。逆の、ケーハ行きのプラットフォームにも上がっておなじく下を覗いてみる。こちらには、夜になると店を開けるらしいテーブルと椅子が見える。
「駅の外へ出て、もうすこし見てみよう」とプラットフォームから階段を降りきると、iPhoneから顔を上げた女の子が泣き出しそうな、かつ安心を爆発させたような嬉しそうな表情を浮かべて小走りで近づいてきた。そしてなかなか上手な英語で「シーロムへ行くには、どちら方面行きに乗ったらいいでしょう」と訊く。僕はいま降りてきたばかりの階段を指して「こっちですね」と答えた。小柄で華奢で色白で、どうも日本人のような感じだったが、それは確かめなかった。それよりメシの場所、である。
BTSの駅の西側のフードコートに入り、奥へ進んでいく。商売熱心なオバサンが声をかけてくる。閉店時間を訊くと19時とのことで、それだとちと閉まるのが早すぎる。歩道を南へ下れば在来線の線路があって、そのかたわらにはクイティオ屋が店を出している。更に進むとまたまたフードコートがあったけれど、こちらも閉まるのは早そうだ。
反対の東側へ道を渡る。「夜になると店を開けるらしい」と書いたテーブルと椅子は、シーフードの露店だった。駅へ戻ろうとパヤタイ通りを北へ歩きながら、シーアユタヤ通りとの角に「フロリダホテル」という古びたホテルも見つける。駐車場から殺風景なロビーに入ると、右手のコーヒーショップの入口上に”TAMPA”というネオン管が取り付けてある。フロリダにタンパとは、いささかできすぎではないか。ベトナム戦争の時代に建ったホテルかも知れない。ここなら涼しい環境での食事が可能である。
部屋へ戻り、汗を流すためシャワー室に入る。そこで、シャワーヘッドと、それを固定するための上下に位置を調整できるステンレスのパイプが一新されていた。「初日から熱いお湯が出ないですよ」と、今朝、フロントに言ってあったのだ。しかしお湯とシャワーヘッドと何の関係があるのだろう。そう考えつつシャワーを浴びる。見事、熱いお湯は出るようになっていた。
ホテルの地下にあるトップスマーケットで買ったケーキと牛乳による昼食を摂ってからプールに降りる。寝椅子に仰向けになって本を読んでいると、上から複数の人の声がする。本から視線をずらすと、プールから5階上の北東に面した部屋のベランダで、男3人がしゃべっている。そのうちのふたりはタバコを吸っている。
このホテルにチェックインをするときには「全館禁煙の決まりを破ったら2,000バーツの罰金を支払います」と書かれた紙に署名をさせられ、更にはその2,000バーツをデポジットとして預けさせられる。「ああいうやからがいるからデポジットを取られるのだ。デポジットの2,000バーツがあれば、今日の両替も必要は無かったのだ」と、じっとその男たちを見上げて、しかしホテル側に通報をすることはしなかった。
バンコク在住の同級生コモトリケー君とは、18時にタニヤの酒屋の前で待ち合わせをしていた。そして連れだってちかくのステーキ屋に入る。タイの安い物価に慣れた身には、ワインはいかにも高く感じられるが、僕はビールは飲まないから仕方がない。
店を出た我々をトゥクトゥクが追い越した。それを停めてコモトリ君は、100メートル先のサラデーンまで行くよう告げた。運転手に100バーツをはずんだのは、コモトリ君なりの、タイへの貢献なのだろう。ホテルにはコモトリ君の会社のクルマで送ってもらった。時刻は21時すこし前。シャワーを浴びて即、就寝する。
朝飯 チャルンクルン通りソイ46を西に入って右側のクイティオ屋台のバミーナム
昼飯 バナナケーキ、牛乳
晩飯 “The Steakhouse Co”のサラダ其の一、サラダ其の二、パン、シャーベット、オーストラリア産ストリップロインのステーキ、ハウスワインの赤、テキーラキャラメル
2019.3.11(月) タイ日記(5日目)
いつもと変わらず夜明け前に起床する。顔を洗うため風呂場へ行くと、シャワー室の床は濡れていて、タオルも使ってある。酔って帰っても、どうやらシャワーは浴びたらしい。おとといの日記を書くうち、外はいつの間にか明るくなっていた。チャオプラヤ川を往く、船のエンジン音が聞こえてくる。
9時すぎにプールへ行き、2時間ほども本を読む。スコータイの宿の長方形のプールは、平泳ぎ13掻きで向こう岸に達した。こちらの楕円形のプールは35掻きだった。このプールから間近に望める、建築の途中に資金が途切れたか、何年も放置をされたままの巨大な廃墟ビルには、スコータイのキモトさんによれば、ここを縄張りにしている不良にお金を払えば入れるのだという。確かに大きな落書きがたくさん、最も高いところでは屋上の更に上の、エレベータの機械室にも見られるが、そこまで階段で昇るのは容易ではないだろう。
クロントイのモツ鍋屋「ヘンチュンセン」には何年も前から行ってみたくて仕方がなく、しかし朝から15時までの営業、しかもひとりでは食べきれない量のため、長く行けずにいた。ところが先月だったか、この店をfacebookに上げているタイ在住の日本人がいたため、すかさずメッセンジャーで事情を知らせた。そうしたところすぐに返事があって、本日13時の待ち合わせが決まった。初見の人には特に遅刻は失礼と、ホテルは早めに出る。
サパーンタクシンから乗ったBTSをサラデーンで降り、シーロムからMRTに乗り換えクロントーイに着く。時刻はいまだ12時10分。外へ出て休む場所がなければ暑さに参る。よって冷房の効いたプラットフォームのベンチで12時45分まで本を読む。
現地のSIMカードを持たないため、iPhoneはデータのローミングを停めている。しかしあらかじめgoogleマップをダウンロードしておけば、1ヶ月の期間限定ではあるけれど、オフラインでもGPSが機能する。ヘンチュンセンには12時52分に着いた。
タイの好きな人たちの集まるfacebookページで知り合ったタカハシマサヤさんは、すぐに分かった。席に着くと、次々に計4名が集まった。注文はモツ鍋の大。3名はビールを頼んだが、僕は夜の酒をできるだけ美味く飲むため、テーブル上のポットのお茶を飲む。歓談は2時間以上に及んだ。タカハシさんには大いに感謝をしたい。
ところでここまで来たならオンヌットのテスコロータスへ行きたい。バンコクでラオカーオの品揃えが良いのは、僕の知る限りテスコロータスとピンクラオのパタデパートだけなのだ。MRTとBTSを乗り継いでオンヌットに着き、駅からテスコロータスへの歩道を歩きながら、タイでは酒は、日中は11時から14時のあいだ、夕刻は17時からしか買えなかったことに気づく。現在の時刻は16時を回ったばかりだ。
広い店内に突き止めた酒の売り場には、親切なことに進入禁止の帯が渡してあった。オンヌットは繁華街ではないから、マッサージ屋がそこここに見つかるはずはない。すこし考え、おなじフロアのフードコートへ行く。そしてテンモーパンつまり西瓜のジュースを注文し、それを飲みつつカウンターで本を読む。
ラオカーオの棚には、僕の最も好きな”BANGYIKHAN”は残念ながら無かった。しばらくあれこれのラオカーオを眺め渡し、最も高い”CABALLO”を199バーツで、次に高い”RUANG KHAO”を170バーツで手に入れる。
夜はオースワンを肴に飲もうと、宿のちかくの”Thip Volcanic Fried Mussel & Oyster”へ行くと、ミシュランに載ったせいか行列ができている。即、きのうとおなじ屋台街へ回り、空心菜と海老の炒めを肴にする。今夜は中国から来たオニーチャンと、しばし話をした。オニーチャンは女の人とふたりで13日間の日程でタイに来たが、相手とは興味のおもむくところが異なるため別々に行動をしていて、明日はアユタヤへ行くのだという。
屋台街は、かまぼこ形の巨大な立体駐車場を取り巻くようにして、鉤の手に延びている。その露店と露店のあいだを、来たときとは逆に辿って部屋に戻る。
朝飯 きのう”PG211″の機内で配られたほうれん草のパイ、インスタントスープ
昼飯 「ヘンチュンセン」のモツ鍋(大)
晩飯 シャングリラホテルバンコクサービスアパートメント裏の屋台のパックブンファイデーンサイクンドゥワイ、ラオカーオ”Colt’s Silver”(ソーダ割り)