2018.12.23(日) なかなかままならず
僕の勤務は会社に合わせて「ほぼ年中無休」である。休みが無いことには慣れている。困るのは、床屋にかかる時間が捻出しづらいことだ。自社で仕事をしながら床屋へは行きづらい。カミソリを使われている最中に電話が鳴るのも迷惑だ。
そういう次第にて、住吉町のカトー床屋には半年以上も無沙汰をしてしまっている。それではいつ、どこで床屋にかかっているかといえば、ひとつは海外で、だ。6月はバンコクで、9月はチェンライで床屋にかかった。もうひとつは東京に出張をしたときにかかる手である。
むかしチョーヤさんというハンドルネームの勉強仲間がいた。大阪で就職した彼が首都圏の店に店長として転勤してきたときに、一夕、有楽町で飲酒活動をした。この日記を遡るとその日は2001年7月24日で、だから隨分と昔のことになる。
チョーヤさんの髪型は坊主だった。床屋への行きどきは髪に寝癖が付いたときと、チョーヤさんはつねづね語っていた。その基準からすれば、僕はとうのむかしに床屋へ行かなければならないところ、それがいつまでも果たせない。
社員の出勤表を見ると、28日は人数が厚い。床屋にはこの日にかかろうか。しかし師走の28日は毎年、神棚とお稲荷さんの掃除をすることになっている。中々に難しい、時間のやり繰りである。
朝飯 じゃこ、キャベツのソテーを添えた目玉焼き、納豆、切り昆布の炒り煮、らっきょうのたまり漬「つぶより」、メシ、揚げ湯波と若布と白菜キムチの味噌汁
昼飯 「大貫屋」のチャーハン
晩飯 ニラの「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、蓮根のきんぴら、薩摩芋の蜜煮、鶏肉とラーメンの鍋、芋焼酎「八幡」(お湯割り)
2018.12.22(土) 何故にビール
「人間の価値は、どんなヤツと酒を飲んでいるかで決まる」と言った人がいる。その解釈からすれば、独酌を好む僕の人間的価値はゼロ、ということになる。そんな僕も、たまには集団で飲む。今日は18時30分より、町内役員による忘年会が開かれる。昨年はこの忘年会に、少々お金を使いすぎた。今年はすこし締めなければならない。僕は会計係である。
「うーっ、寒っぶー」と身を縮めつつ店へ入るなり「取りあえずナマね」と頼む人が、日本にはいささか多すぎやしないか。寒いなら燗酒なり焼酎のお湯割りなりを飲めば良いではないか。冬の寒さを呪いながら、冷凍庫から取り出したばかりの霜の降りたジョッキに注がれたビールを所望するとは、どのような神経によるものか。
更には、ビールはアルコール度数が低い。よってこれを好む者は何杯も干して飽くことを知らない。会計係としては、そのあたりを牽制する必要がある。生ビールの注文は経費をいたずらに増大させる旨を、今日はあらかじめ町内役員のグループラインに流しておいた。
数時間後、その生ビール好きの協力もあって、本日の宴会はクエ鍋を頼んだにもかかわらず、無事、予算内に収まった。今回のことは、来年の12月まで覚えておくことにしよう。
ところで「ネパールのビール」という珠玉の文章がある。いまamazonで調べたところ、単行本は1円、文庫本は100円で出ていた。「取りあえずビール」派は特に、読むべきと思う。
朝飯 蓮根のきんぴら、切り昆布の炒り煮、納豆、トマトのスクランブルドエッグ、冷や奴の「なめこのたまり炊」のせ、広島菜漬け、じゃこ、メシ、揚げ湯波と玉葱の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 「和光」のお通しの巻湯波と鱈子の炊き合わせ、刺身の盛り合わせ、タン塩焼き、クエ鍋、その鍋で整えた雑炊、お新香の盛り合わせ、焼酎「眞露」(お湯割り)
2018.12.21(金) クリスマスはなぜめでたいか
朝のテレビは、スイッチが入っていても見ていないか、あるいは朝食を作る際の換気扇の音がうるさくて、アナウンサーの言うことはまったく理解できない。だったらなぜスイッチを入れるかといえば、まぁ、それが家内のクセなのだろう。
その、見るともなく、聞くともなくしていたテレビから「冬至」という言葉だけは耳にい届いた。僕は「ほう、今日は冬至か、年末もそこまで押し迫ったか」と、一瞬、虚を突かれた気持ちになった。これから夜は短く、昼は長くなる一方と思えば嬉しくないわけがない。
「クリスマスはなぜめでたいか」という議論を、23、4歳のころ、家内の親戚の家で交わした。その喧々がくがくのやり取りは「クリスマスは冬至に重なる。キリスト教などできる以前から、人々はこの時期を喜びと共に迎えていたはずだ」との、家内の叔母の意見により収束をした。
「誕生日はなぜめでたいか」についても僕は理解できずにいたけれど、それから数年後の「また1年、生き延びることができた、ということがめでたい」とオフクロに言われて得心をした。13歳の娘を病気で亡くしたオフクロの発した言葉となれば、その思いが軽いわけはない。
「正月はなぜめでたいか」ということを僕に的確に気づかせてくれたのは、ある年の元旦、朝日新聞に大きく載ったサントリーの宣伝上での高橋義孝の随筆によるが、長くなるのでここには引用しない。
「正月はなぜめでたいか」と自分なりに考えれば、それは正月が「クリスマスのめでたさ」と「誕生日のめでたさ」のふたつを持ち合わせているからだと思う。むかしの人はみな、ひとしく元日が誕生日だったのだ。
そんなことを頭に巡らせるうち、日の出の直前の、つまりもっとも美しい空は、いつの間にかありふれた、普通のそれへと変わっていたから「しまった、冬至の朝の写真を撮り損なった」と、いささか残念な気持ちになった。
いまだ冬至ではないと気づいたのは、それから数時間後のことである。
朝飯 納豆、なめこのたまり炊のフワトロ玉子、蓮根のきんぴら、じゃこ、切り昆布の炒り煮、広島菜漬け、メシ、椎茸と若布と揚げ湯波の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 玉葱とジャガイモのポタージュ、ハムとレタスと炒り卵のサラダ、“brivory”の食パンによるトースト、2種のジャムとレバーペースト、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”
2018.12.20(木) 朝の好みと晩の好み
日本にいる限り、朝は和食を食べたい。味噌汁は大抵、自分で作る。味噌汁はむかしながらの手順を踏んだとしても、おそらくは世界でもっとも作り方の簡単なスープだ。朝のお膳に臨んでは、先ずこの味噌汁を口に含む。味噌汁は毎日ほぼ例外なく美味く、他に目もくれず半分ちかくを一気に飲んでしまうこともある。この、家での朝食を欠けば、僕の人生から楽しみがひとつ抜け落ちることになる。大げさではない、本当のことだ。
夜になると、今度はなぜか洋食が食べたくなる。その洋食とは日本で独自の発達を遂げた、いわゆる「洋食」ばかりでない、とにかく、動物性蛋白質やデンプン質を、おなじく動物から取り出した出汁や乳脂肪で調理したものを肴にワインが飲みたくなるのだ。
ところが今日も夕刻に至ってみると、その洋食を避けたい気分が強くなってきた。そうして僕としては年に1度あるか無いかのことと思われるけれど、夕食は和食にするよう家内に頼んだ。
冷蔵庫にあったものを茹でたり炙ったり、あるいは朝食のために作り置いたおかずで飲む焼酎のお湯割りはなかなかに美味かった。年末年始を控えてもっとも注意すべきは健康である。今夜に限っては、僕のからだが和食を欲していたに違いない。
朝飯 じゃこ、生のトマト、切り昆布の炒り煮、ウィンナーソーセージとピーマンのソテー、納豆、らっきょうのたまり漬「つぶより」、メシ、若布と白菜の味噌汁
昼飯 牛肉と玉葱のスープ、アスパラ菜のソテーを添えたハムエッグ、「進々堂」の2種のパン、マーマレード、オレンジキウィのジャム、紅茶
晩飯 「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」で調味した松前漬け、鰯の明太子詰め焼き、蓮根のきんぴら、アスパラ菜のおひたし、千枚漬け、薩摩芋の蜜煮、芋焼酎「八幡」(お湯割り)
2018.12.19(水) 新らっきょう
店の入口の右側に季節の書を掛けている。おとといまでのそれは「冬耕」だった。それをきのう「新らっきょう」に掛けかえた。
らっきょうの季語は夏6月。収穫は季語に等しく夏のはじめ。それがなぜ、完成までに半年ちかくもかかるかといえば、塩漬けによる乳酸発酵に3ヶ月。その発酵が止まったら一粒ずつ頭と尻尾を落として皮を剥く。以降は異なる濃度の甘酢に複数回を漬けていき、最後に「日光味噌のたまり」で仕上げる。そういう複雑な工程を経ての、師走の新らっきょうである。今年も無事の蔵出しができて、とても嬉しい。
ところで今日は大安にて、午前のうちに門松が届いた。昨年から取り引きをするようになった業者の門松は中々の立派さで、満足をしている。門松を飾る期間は地域により、または家により異なる。ウチは新年の14日まで置くため、ほとんどひと月のあいだ飾れることになり、何となく得をした気分だ。門松の届けについては、来年からも早めの日を指定していきたい。
朝飯 塩鮭、納豆、トマトとほうれん草のソテー、なめこのたまり炊、ふきのとうのたまり漬、メシ、シジミとアスパラ菜の味噌汁
昼飯 きのうの朝食の一部を流用した弁当
晩飯 らっきょうのたまり漬とツナとレタスとトマトのサラダ、トマトと根菜類のスープ、玉葱とベーコンのオムレツ、「進々堂」の2種のパン、マーマレード、オレンジキウィのジャムとレバーペースト、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”
2018.12.18(火) 学名は”Wollemia nobilis”
忙中閑あり、でもないけれど、ホンダフィットを西北西に8キロメートルばかり走らせて、大谷川の急流に赤い神橋の架かるその直上、日光金谷ホテルへの急坂を登る。
ロビー右手の、そこは読書室なのか、あるいは談話室なのか、とにかく長椅子の幾つも置かれた部屋の棚にはなかなか面白そうな本が並んでいる。ここに長く逗留をし、それらの本を読んで過ごしたら、どれほど楽しいだろう。そしてその、暖かい部屋のソファから眺める日光の山々は、ウチからのそれにくらべていかにも近く、大きい。
その庭に、どこか鳥かごを思わせる不思議なものがある。訊けば20世紀の最後のころにオーストラリアで発見されるまでは化石の中にしか存在しないとされてきた、つまり恐竜が現世にいきなり出現したような稀少な植物だという。いまは膝丈くらいでも、そのうちジュラ紀の巨木のように、天を突くまでに育ってしまうのだろうか。
終業後は4日前の日記をようやく整え公開ボタンをクリックする。文章は書けていたものの、その冒頭に置く画像を用意できずにいたのだ。
朝飯 鮭の昆布巻き、松前漬け、生のトマトを添えたハムエッグ、じゃこ、広島菜漬け、ふきのとうのたまり漬、メシ、玉葱とアスパラ菜の味噌汁
昼飯 「日光金谷ホテル」のグリーンサラダ、霧降高原牛のステーキ日光味噌のバターソース、葡萄パン、フレンチコッペパン、キリン零ICHI、コーヒー
晩飯 白菜キムチ、薩摩芋の蜜煮、キムチ鍋、その鍋で食べる長寿麺、芋焼酎「八幡」(お湯割り)
2018.12.17(月) booze
「こと鮨に関してはオヤジが威張るだけのことはあるけれど、酒については首をかしげざるを得ない」とか「ステーキこそ大したものだけれど、ワインは国産の、それも180ccのボトルしか用意がない」というような食べ物屋が、むかしはそこここにあった。それから数十年、今はさすがに、若い人の集まる居酒屋のような店でも、複数種の、あるいは数え切れないほど多くの酒を品書きに連ねるところが当たり前になった。客としては有り難い。
「酒は料理を美味くするbooster」と考える僕のもっとも好きな店は、特に鮨屋や小料理屋においては、しかし多くの中から好きな酒の選べるところではない。「お酒、ください」と頼むと「はい」と、そのときの僕がもっとも美味く感じるだろう酒を黙って出してくれる店こそ最高だ。
昔の男はものの味にはうるさいことは言わなかった。あるいは、ものの味にあれこれ注文をつけることに恥ずかしさを感じていた。たとえば、酒場の席に着くなり”booze”のひとことで通す男は様子が良い、という頭が僕にはある。それゆえの「お酒、ください」である。
今日は、育児休暇などで休職中を除く22名の社員のうちの18名ひとりひとりと面談を交わしつつ賞与を手渡した。残る4名との面談は明日に行う。というわけで、年が明けたらそれなりの店に行って、先ずは「お酒、ください」と、口を開いてみたい。
朝飯 おでん、納豆、冷や奴、鮭の昆布巻き、蕗のとうのたまり漬、メシ、トマトと揚げ湯波と若布の味噌汁
昼飯 3種のおむすび
晩飯 トマトと玉葱のサラダ、エリンギと根菜のバターソテーを添えたビーフステーキ、本物のワインで漬けた本物のワインらっきょう”rubis d’or”、“Almaviva 1997”、アップルクランブ、銘柄不明のコニャック
2018.12.16(日) ことし最後のころもがえ
寒さがいよいよ増してきたことはきのうの日記に書いた。それでもいまだ、自分の考える最低気温帯までは達しないため、屋内では、上半身には2着の長袖を重ねるのみで耐えてきた。なぜ耐えるかといえば、着ぶくれによる不快さよりは、いまだ寒さの方が我慢できるからだ。
しかし今朝あたりからは、気温の低さが我慢の範囲を超えてきた。よって昼すこし前に自宅へ戻り、mont-bellのダウンベストを取り出して着る。着てしまえば当たり前のことながら暖かく、多分、来年の3月までは、これが手放せなくなるだろう。
16時3分前に「お祭の話し合いに行くのではなかったか」と家内に声をかけられて、今日は16時から朝日町の公民館で「当番町を考える会」が開かれることを思い出す。そのことを記したポストイットを事務机の目の付くところに貼っておいたにもかかわらず、この始末である。
そそくさとウィンドブレーカーを着て手袋をする。春日町から朝日町までは下り坂だから、自転車ではほとんどペダルを回すことなく朝日町の公民館に着く。会議は幸い、始まったばかりだった。数十分のあいだに2つの発言をして、ふたたび店に戻る。
事務机の左にかけたカレンダーに目を遣れば、来週の水曜日には早くも門松が届く。いつまで今年のつもりでいても、大晦日は2週間の後に迫っているのだ。
朝飯 納豆、ほうれん草のソテー、野菜の素揚げ、広島菜、なめこのたまり炊、メシ、豆腐と万能葱の味噌汁
昼飯 きのうの夜のきりたんぽ鍋を流用したうどん
晩飯 ポテトサラダ、「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」をかけた厚焼き玉子、白菜漬け、広島菜漬け、揚げ湯波と万能葱の味噌汁、おでん、鶏肉と大根の炊き物、芋焼酎「八幡」(お湯割り)、「湯沢屋」の酒饅頭
2018.12.15(土) 南天
今年の12月上旬は異常な高気温が続き、列島には夏日を記録したところもあった。しかし先週の末ごろからは急転直下の寒さにて、それまでが暖かかっただけに、その気温の低さが余計に際立って感じられる。もっともユニクロのヒートテックとフリースのセーターを重ね、そこにウィンドブレーカーを羽織れば自転車に乗れるのだから、今の寒さがこの冬の気温の下限であるはずはない。年末から新年にかけて、寒さはますます厳しくなるだろう。
それはさておき店頭の風景が、このところめっきり年末らしくなってきた。「年末らしさ」とは多分、業種業態によって違う。おなじ業種業態でも土地が変われば、その「らしさ」はまた異なってくるだろう。自身を振り返ってみれば、なにやら落ち着かない気分のまま大晦日まで突き進んでしまいそうな予感がしている。
それはさておき、お客様から立派な南天をいただいた。「南の国から渡来した」と書けば大層なものに感じられるけれど、それほどでもない壺を長男は蔵から店に運び、そこにその南天を活けた。
「南天は難を転ずる」とは、オフクロがつねづね口にしていたことだ。南天はお客様がお茶をお飲みになる一角に静かにあって、店の、今年から来年への橋渡しをしてくれるように、僕には見えている。
朝飯 じゃこ、塩鮭、納豆、野菜の素揚げ、スクランブルドエッグ、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波とキャベツの味噌汁
昼飯 じゃこ、梅干し、納豆、ごぼうのたまり漬、塩鮭、蓮根と昆布の佃煮によるお茶漬け
晩飯 マカロニサラダ、鶏の唐揚げ、広島菜漬け、きりたんぽ鍋、麦焼酎「いいちこ」(お湯割り)、蓮根菓子「西湖」
2018.12.14(金) 飛行機の切符を買う
来年3月の飛行機の切符を買った。買い物はウェブ上で済ませることの好きな僕も、飛行機の切符に関しては、LCCを除いては馴染みの旅行社で買う。担当者と交わすメールは3、4通。最後はPDFで送られた予約確認書を紙に出力し、それに署名してファクシミリで送信すれば、あとは発券を待つばかりだ。
出発はいつもの羽田00:20発。スワンナプーム空港にはタイ時間で04:50着。07:00発の国内線でスコータイには08:20着。呆気ないほどの速さである。
スコータイはユネスコの世界遺産に登録されている遺跡の街ではあるけれど、遺跡には特段、興味は無い。目を覚まして日記を書き、朝食の後はプールサイドで本を読む。昼食に出かけながら散歩をし、帰ってまた本を読む。夜はそこいら辺の食堂で飲酒喫飯をし、部屋に帰って20時台に就寝という、僕の旅の定形を保つのみだ。
「だったらなぜスコータイに」と問われれば、スワンナプーム空港から朝のうちに飛べる街を、いくつかの条件に従って消去していったらスコータイが残った、ということだ。
ホテルについて調べたところ、旧市街に散らばるそれらは意外と安く、agodaのポイントも手伝って、3泊の合計は邦貨5,000円に収まった。その余勢を駆って、首都の3泊分も予約する。
朝飯 焼き海苔、蓮根と昆布の佃煮、ごぼうのたまり漬、梅干し、切り昆布の炒り煮、じゃこ、塩鮭によるお茶漬け
昼飯 「ふじや」の野菜麺
晩飯 マカロニサラダ、ソーセージのソテー、”brivory”の食パンによるトースト、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”