2018.10.15(月) 先輩の箸置き
南青山での仕事を終え、長男とは表参道で12時30分ごろに分かれた。その後、僕は所用により新橋、京橋、日本橋と移動をして、夕刻に大宮に至る。今夜、大宮に泊まるのは、東武アーバンクラインの七里にある眼科で明朝、白内障の手術を受けるからだ。
明日は右目、そして3日後の金曜日は左目に人工水晶体を入れる。病院の案内によれば、術後1週間は禁酒だという。つまり明日から来週金曜日までの11日間は酒が飲めない。当然、今夜は飲んでおかなくてはならない。
大宮といえば東口の「いづみや」である。この日記に検索をかけたところ、前に来たのは2003年1月26日。実に、15年9ヶ月ぶりの訪問ということが分かった。満席を心配したが、店内は6割ほどの入りだった。
早速に席に着き、近づいて来たオバチャンにモツ煮とチューハイ、それからチューハイのアルコール濃度を高めるための焼酎を注文する。ふと左を見ると、人生の先輩ともいうべき老人が、吸い殻の数本入った灰皿を箸置きにしている。
僕は、人の吐いたタバコの煙を毛嫌いする。あるとき完全禁煙のモツ焼き屋をウェブ上に見つけ、喜び勇んで出かけてみた。濁りの無い、しっかりした店だった。規律が保たれるのは良いことだ。しかしその店には、いわゆる「フラ」が無かった。噺家だけでなく、飲み屋にも「フラ」があれば、僕は嬉しい。
「いづみや本店」の「フラ」の醸成には欠かせない存在と思われる老人は幸いにも、既にして喫煙を終えていた。他にタバコを吸う客は見あたらない。そうして3種の肴にてチューハイを3杯ほどもこなし、駅前の大きな道路を辿って今夜の宿に至る。
朝飯 おむすび、ごぼうのたまり漬、揚げ湯波とピーマンの味噌汁
昼飯 「ニューニコニコ」の新サンマ焼き定食
晩飯 「いづみや本店」のモツ煮、ハムエッグ、肉豆腐、チューハイ、そのアルコール濃度を高めるための焼酎
2018.10.14(日) 絶妙の時間
目を覚ますと素っ裸で布団の中にいた。いつもは枕の下に入れて寝るiPhoneが無いから時刻は分からない。寝台から起き上がり、床の乱れ籠に置かれた服を身につける。記憶を無くすほど酔っても、翌朝に着る服の準備は忘れなかったらしい。ベッドカバーの上にバスタオルが広げられているところからすれば、風呂には入ったようだ。
食堂に来て明かりを点けると、食器棚の電波時計は4時45分を指していた。早朝の仕事を始めるには絶妙の時間である。湯沸かしにいつもの量だけ水を入れ、スイッチをオンにして製造現場に降りる。そしてあれこれの用意を済ませてからいちど食堂に戻り、仏壇に供えるためのお茶を淹れる。
「真夜中の時間が大好きだから、深夜に寝ているようなことはしない」という人がいる。僕の場合は「夜が朝に変わる時間が大好きだから、明け方に寝ているようなことはしない」である。真夜中とは通年、0時から2時くらいで変わらない。だから「真夜中の時間が大好き」と言う人の生活には時間的なブレは無い。
ところが夜が朝に変わる時間は、季節により大きく変わる。夏至の前後は3時台から東の空が明るくなり始める。清少納言は「夏は夜」と書いたけれど、僕に言わせれば夏は断然、朝だ。
今朝は5時30分ごろからようやく夜の闇がほどけてきた。東の方には青い空と白い雲が重なりあって、太陽はいまだ望めない。
朝飯 筑前煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、「なめこのたまりだき」によるフワトロ玉子、納豆、塩鮭、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと椎茸とレタスの味噌汁
昼飯 「ふじや」の野菜麺
晩飯 春雨サラダ、炊き込みごはん、鶏肉と厚揚げ豆腐の鍋、胡麻焼酎「紅乙女」(お湯割り)、梨
2018.10.13(土) 早朝よりも早い時間の仕事
通称キュービクル、正式にはキュービクル式高圧受電設備という。6,600ボルトの高圧電力を外部から引き込み、それを社内で使える100ボルトや200ボルトまで落とす、いわば変圧器である。製造現場の北西に四畳半ほどの面積を占めて置かれているそのキュービクルの、メーターを交換する時期が来ていることは、8月の下旬に東京電力から知らされていた。
このメーターを交換する際には、2時間ほど停電する。ウチは「ほぼ年中無休」の体制を採っているため、この作業を日中に行うことはできない。そして指定したのが10月13日の4時30分から、という時間である。
僕は早寝早起きではあるけれど、もし寝過ごしでもしたら、関係の各方面に多大の迷惑をかける。そういう次第にて、iPhoneには3時30分の目覚ましを設定しておいた。
今朝は、その音と共に起床し、先ずは仏壇に花と水とお茶を供える。そして自分も「お流れ頂戴」とばかりに食堂でお茶を飲んでいると、3時55分に電話が鳴った。東京電力の依頼を受けた電気工事会社が早くも到着したらしい。
事務室に降りると時刻は3時59分。製造現場の北西にあるシャッターを開けたのが4時3分。外には青い作業服を着てヘッドランプを点した5人が立っていた。そのうちの、電話をかけてきた人にふたたび事務室に戻ってもらい、持参の発電機を回してもらう。そこから伸ばしたドラムのコンセントに、電話の主装置と電気スタンドのコンセントを繋ぐ。
聞いていた通り、4時30分ちょうどに社内の電源が落ちる。するとコンピュータのサーバから警告音が響き始めた。即、そのコンセントも発電機からのドラムに繋ぐ。
発電機は途中、2度、止まった。事務室内は真っ暗になり、電話の主装置とコンピュータのサーバが警告音を発し始める。そのたび、停電灯に薄明るく照らされた社内の通路を歩き、作業の現場まで人を呼びに行く。
突然、事務室の明かりが点る。時刻は5時21分。どうやら作業は無事に完了したらしい。よってコンピュータを立ち上げ、ブラウザを開こうとすると「インターネット側の接続が確立されていないため、設定を確認せよ」とのポップアップが立ち上がった。「設定を確認せよ」と言われても、その手のことには極端に疎い。
社内のルーターは諦め、iPhoneによりインターネットの回線を確保する。そして外注SEのシバタサトシさんにメッセンジャーを経由して状況を説明する。
05:45 シバタさんから予期せず「これから行ける」との返信が届く。
05:50 シバタさんが事務室に到着する。
05:55 ルーター経由でのインターネット回線を復旧させ、シバタさんが去る。
06:03 電気工事会社の求めに応じて作業完了報告書2葉に署名をする。
06:05 いつもは5時から始める早朝の仕事にようやく取りかかる。
腹が減っている。そして7時前にようやく、おむすびと味噌汁による朝食にありつく。
夜は4階の応接間に社員を集め、先月の4日から5日にかけて行われた日光MGの社内的表彰式を行う。
朝飯 5種のおむすび、ごぼうのたまり漬、揚げ湯波とキャベツの味噌汁
昼飯 「大貫屋」の味噌ラーメン
晩飯 カプレーゼ、茄子のグラタン、3種の野菜のピクルス、秋刀魚のコンフィ、レタスと人参のサラダ、ポテトサラダ、揚げパン、フォカッチャ、ローストビーフ、トマトと白海老のスパゲティ、南瓜のプリンのキャラメルがけ、”Barolo Marchesi di Barolo 1998″、”Jacques & Francois Lurton Gran Araucano Cabernet sauvignon 1997″、”Old Parr”(生)
2018.10.12(金) 日本酒ばかりを飲む会
日本酒に特化した飲み会「本酒会」で、僕は書記および酒の取り寄せ係を務めている。本日は5名の出席で、用意した四合瓶は4本だ。採点表は僕がA4の紙に出力をして人数分を複写する。その日に飲むお酒は、月ごとに変わったり変わらなかったりする会場がウチから遠ければイチモトケンイチ会長が、例会日の朝に取りに来て会場まで運ぶ。会場が近ければ、僕が手に提げて持参をする。
今回の採点表には、その最上部に「2018.1012 第305回本酒会出品酒」の文字がある。例会は月に1回だから、305を12で割ると25.4。ただの飲み会でも四半世紀も続けば素晴らしい、という意識は僕にはない。他の会員も、また会長も同じではないだろうか。まぁ「ただ飲んでるだけ」である。
例会はいつも、19時30分に始められる。採点表と四合瓶4本の入った袋を提げて通用口から外へ出ようとしているところに取引先から電話が入る。その電話は意外や長引いた。日本酒を飲む会に日本酒を持つ人間が遅参をしてはまずい。電話は幸い、19時23分に終わった。よって余裕を以て今月の会場へと徒歩で向かう。
朝飯 筑前煮、大根のたまり漬、納豆、鮭の昆布巻き、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、スクランブルドエッグ、メシ、大根と小松菜の茎の味噌汁
昼飯 「コスモス」のランチセットのスープとサラダ、豚の生姜焼き、ライス、デザート、コーヒー
晩飯 「魚登久」の先付け、松茸の土瓶蒸し、刺身盛り合わせ、烏賊と大根の炊き合わせ、会の予算により無理なお願いをしている鰻重、漬物盛り合わせ、赤だし味噌汁、4種の日本酒(冷や)
2018.10.11(木) 山の料理屋
運動会の季節である。僕の運動会の弁当は、おむすびと決まっていた。巻き寿司や稲荷寿司は甘いため、子供のころでさえ好まなかった。おむすびこそ僕の弁当の大本命である。おむすびは、朝に食べるのも、また好きだ。
「今朝はおむすびにしようか」と家内が言ったため、喜んで同意をした。味噌汁はいつも通りに僕が作った。おむすびは鮨とおなじく酒の肴になるから、夜に食べても悪くはないけれど、夜におむすびを食べた経験は、ほとんど無い。
夜は家族5人で小来川の和食屋「炉心庵」へ行く。古い農家を再生させた建物を持つこの料理屋は、夜はひと組の客しか取らない。人柄の良いあるじ夫妻には小さな子供がいる。よって当方は気兼ねなく孫を同伴できる。肝心の味は、とても良い。酒は隨分と安く感じられる。山の中にあるため、ウチからクルマで25分ほどかかる点を除けば良いことずくめだ。
そうして特に僕は「おまかせ」で頼んだ燗酒を相当にきこしめして「熊に注意」などという看板も立てられている山道を帰宅する。
朝飯 5種のおむすび、大根のたまり漬、豆腐と水菜の味噌汁
昼飯 カレーうどん
晩飯 「炉心庵」の其の一、燗酒「い」、其の二、其の三、其の四、燗酒「ろ」、其の五、其の六、燗酒「は」、其の七、其の八
2018.10.10(水) 「ガバナンス」は「統治」と言ってくれ
秋にタイの最北部から戻ると、初秋はおろか仲秋の空気さえ、既にして失われていた。つい数日前には台風25号の置きみやげのようなフェーン現象があり、列島の各所で30℃以上の気温が観測をされた。しかしそれは気温だけのことで、日は確実に短くなっている。
先週土曜日の夕刻、18時の閉店直前に駐車場に出て何気なく視線を上げると、国道121号線沿いの看板がいやに暗い。その瞬間、看板に時限装置着きの…と、その字面を眺めれば何やら物々しい、つまり「タイマー」という外来語を使いたくないからそう書いたわけだけれど、とにかく照明の電力通断機…これまた「スイッチ」という外来語を使いたくないからそう書いたわけだけれど、つまりタイマー付きの照明のスイッチを入れる時期が来ていたことに気づいた。
よって翌日の昼に、その看板の直下にある制御板の扉を開き、タイマーを設定した。今のところは16時から18時までの通電である。そうして夕刻を迎えると、当たり前のことながら看板の「日光味噌のたまり漬」の文字が闇に浮かび上がり、心は落ち着いた。
それはさておき、かつての植民地や多くの旧植民地では、高等教育の現場において、教科書は宗主国のそれをそのまま輸入して使われることが多いと、どこかで読んだ。つまり宗主国の言語の読み書きが自国語並みにこなせなければ、高等教育は受けられない、ということだ。
その仕組みは、外国語をひとつ強制的に身につけさせられる、という点においては優れている。しかし不便といえば不便、情けないといえば情けない。
日本では、明治初期の先輩方が頑張って外来語を日本語にしてくれた。しかし以降はその頑張りが弱まって、外国語をそのままカタカナで表すことが多くなった。何でも漢字にしてしまう中国語の文化圏に暮らす人たちが、なんとなく羨ましい。
朝飯 レタスとトマトのサラダ、鮭の昆布巻き、筑前煮、納豆、穴子の佃煮、大根のたまり漬、メシ、豆腐と万能葱の味噌汁
昼飯 「ふじや」の広東麺
晩飯 ジャガイモとレタスとセロリのサラダ、5種のパテ、パン、3種のソーセージ、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”、”TIO PEPE”
2018.10.9(火) 長持ちをさせる方法
お客様から商品の代金をお振り込みいただく銀行と、取引先に買掛金を振り込む銀行は異なっている。よって支払日が近づくと、いわゆる「移し替え」をする必要がある。他の用件にても銀行や郵便局を回る必要があり、そのために午前中の2時間ほどを費消する。「金の入ってくる銀行と、金の出て行く銀行を同じにしてしまえば楽ではないか」と言われれば、銀行にはそれぞれ利便性に異なったところがあるため、それはできないのだ。
午後、今年の4月から半年のあいだ履き続けた、メレルのジャングルモックをクリーニングに出す。そして昨年の9月から今年の4月まで履き続けてクリーニングに出し、仕舞っておいた、おなじくジャングルモックを下駄箱から出す。そして保革兼防水のスプレーを吹きつけた上で履く。こうして使えば靴は長持ちをする。しかし底は減る。ジャングルモックは底の張り替えが利かない。
紐を必要とせず、靴べらも使わず済む靴で、底の張り替えられるものがどこかにないか。あれば即、2足を買って、死ぬまでその2足を履き続けるだろう。
朝飯 細切り昆布の佃煮、梅干し、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、穴子の佃煮、塩鮭、大根のたまり漬によるお茶漬け
昼飯 「大貫屋」の塩チャンポン
晩飯 トマトエッグドロップスープ、洋風のおかずあれこれ、パン、チーズ、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”、2種のケーキ、”Old Parr”(生)
2018.10.8(月) 一日一食
きのうは22時を過ぎてビーフステーキを食べた。そのせいか、今朝はまったく空腹を覚えない。よって朝食には家内ひとりで行ってもらった。普段ならまったく考えられないことながら、9時45分までベッドにいて本を読む。
長男の結婚式のとき、驚いたのは、嫁の父親の時間管理の真面目さだった。「会場には〇時までにお集まりください」と係から言われれば、その30分前には服装を整え、待機をしていた。しかし僕はいつになっても、そのような余裕のある行動はできない。
今回は、ホテル内の写真館に10時30分までに来るよう言われていた。その時間に合わせて10時がちかくなってからシャツを着る。シャツは着られたものの、蝶ネクタイが締められない。仕舞いには「ホテルの中の写真館なら、美容師くらい、いるだろう」と高を括る始末である。
8階の部屋を出て3階の写真館には10時25分に着いた。こうしてどうにか間に合ってしまうから、いつまでも同じ行動を繰り返すのだ。
従姉妹の結婚式は、祝福のうちに、無事、完了した。披露宴では、”Louis Jadot”の”Meursault”をいささか飲み過ぎた。今日は一日一食で充分だろう。
部屋へ戻り、モヘアのタキシードから伸び縮みする短めのパンツと自転車用のポロシャツに着替えると、一気に身軽になった。家内は所用によりもう1泊をする。ひとりエレベータに乗ってロビーに降り、日比谷公園に面した車寄せから外へ出て、日比谷の駅へと向かう。
昼飯 帝国ホテルのバンケットルームの其の一、其の二、其の三、其の四、其の五、其の六、其の七、其の八、”Lanson Black Label Brut”、”Meursault Louis Jadot”(醸造年までは確認せず)、赤ワイン(銘柄、製造年ともに確認せず)
2018.10.7(日) そろそろ紅葉狩り
日光の秋の繁忙は、体育の日が絡む、この週末から始まる。夏の猛暑から急に気温を落とした年の紅葉は美しいという。今年の秋は「急に気温を落とした」とは、いまだなっていない。関東南部を含む列島の各所は、きのうも今日も30℃を超えているのだ。
忙しく仕事をして18時に店が閉まる。キャッシュレジスターを締め、売り上げ金を金庫に仕舞う。iPhoneで調べたところ、東武日光線の上り特急はすべて満席になっている。19時と時間を指定してタクシー呼び、JR今市駅へ行く。そして19:10発の列車で宇都宮に出る。
東北新幹線「やまびこ156号」は、フェーン現象に伴う強風により、少し遅れてプラットフォームに入ってきた。その座席に落ち着き、東京駅にはやはり少し遅れて21時前に着く。僕ひとりなら山手線で有楽町まで行き、そこから歩くところ、今日は家内がいるためタクシーで帝国ホテルへと向かう。
銀座に出ても、飲食店は休みのところが多いだろう。時間も時間である。よってホテルの中の気楽な食堂にて、それほど高くないビーフステーキを肴にそれほど高くない赤ワインを飲む。
朝飯 牛蒡と人参のきんぴら、納豆、温泉卵、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、塩鮭、大根のたまり漬、メシ、豆腐と長葱の味噌汁
昼飯 チェンライのセブンイレブンで買ったインスタントラーメン「ママー」
晩飯 「帝国ホテルパークサイドダイナー」のアメリカ産牛肉によるステーキ、パン、“Wente Southern Hills Cabernet Sauvignon 2015”
2018.10.6(土) 帰国
足元の寒さに目を覚ます。時刻は2時30分だった。6月に、ハノイのノイバイ空港から乗った全日本空輸のビジネス席は暑かった。タイ航空の飛行機も、ビジネス席のある前の方は暑いのだろうか。眠りに就いてから3時間も経たないうちに目を覚ますことは避けたい。次からは必ず、脚に毛布を巻くことにしよう。
03:30 眠れないまま、朝食の配膳が始まる。その朝食はほとんど残した。きのうの離陸直後に配られた夜食には手を付けないまま、丸ごと返した。
04:55 定刻ちょうどに羽田空港に着陸。日本時間は6時55分。以降の時間表記は日本時間とする。
07:15 パスポートを自分で機械に読み取らせる式のパスポートコントロールを通過。
07:45 回転台からようやくスーツケースが出てくる。
07:47 羽田空港国際線ターミナル駅のプラットフォームに立つ。
07:57 京成高砂行きの車両が発車をする。
08:45 都営浅草線の浅草駅に到着。
9:00発の下り特急リバティけごん11号は満席だった。仕方なく9:08発のスペーシアけごん63号の切符を買う。タイ航空の、夜食はもとより朝食もほとんど口にしていない。しかし空腹は覚えない。地下鉄銀座線の乗り場に向かうところのドトールコーヒーでコーヒーのみ飲む。
下今市駅までは家内に迎えに来てもらった。そして午後より通常の仕事に復帰する。
朝飯 “TG682″の機内食
昼飯 チェンライで麺のみ食べた「ママー」のスープによるうどん
晩飯 キャベツと人参とウィンナーソーセージのスープ、鶏とマカロニのグラタン、食パンその1、食パンその2、“TIO PEPE”、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”、3種の葡萄