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清閑 PERSONAL DIARY

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2018.9.26(水) タイ日記(2日目)

チェンライの朝の空気は澄んでいる。このホテルには広い庭にランナー様式を模したいくつかの棟があり、そのうちの、僕は客のほとんどいない旧館に泊まっている。団体客は新館に案内をされているらしく、だからとても静かだ。

部屋のベランダから目と鼻の先の食堂棟の様子をそれとなく覗っていると、きのうからの団体客は、7時30分に大型バスに乗り込み去った。それを見届けてから、朝食を摂るため、その食堂棟に降りていく。

きのうの日記は9時までに完成させようと考えていたが、10時までかかってしまった。移動日の日記は、どうしても長くなるのだ。そしてようやく街に出て、先ずは馴染みの床屋で髪と髭を短く刈ってもらう。料金は、顔剃りと洗髪を含めて210バーツだった

エジソンデパートのはす向かいに新しいカフェができ、そこでは自転車の貸し出しもしていることを、きのう街歩きの最中で知った。若い女の子に「2、3時間」と伝えて料金を訊くと、60バーツとのことだった。真新しく整備の行き届いた自転車であれば、その値段は妥当だろう。

ハンドルの前の籠に、気に入ったタイパンツと日本から持参した生地、そしてきのう旅行社の親切なオネーサンに書いてもらったタイ語によるメモを入れて、旧時計塔横の市場の前に自転車を停める

きのう人のいなかった仕立屋には、男の老人と中年の女の人がいた。老人にタイ語のメモを手渡す。老人は老眼鏡をかけて、そのメモをゆっくりと読んでいく。そして女の人に二言三言なにかを言う。女の人は黙って首を横に振る。ここもまた、実は仕立屋ではなく、修理専門の店だったのだろうか。

老人は、きのう2度3度と歩いた、肉売り場を突っ切る通路まで僕を連れて行き、反対の方を指さした。そこはきのう、布地屋の、インド系のあるじが「仕立屋はそちらの方にある」と教えてくれたあたりだ。きのうは足を踏み入れなかった通路まで入ってみると、ミシンを置いた店があった。ふたりいたうちのひとりのオバサンにメモを差し出すと、オバサンは店主らしい、もうひとりのオバサンにメモの内容を伝えた。それを耳にしたオバサンはやはり、首を横に振る。もはやこれまで

“OVERBROOK HOSPITAL”のちかくに、スーツやドレスを誂える店のあることは知っている。しかしそのような店ならバンコクにもある。タイパンツの仕立てについては、バンコク在住の同級生コモトリケー君に頼ることを決め、一旦、ホテルに戻ってコモトリ君にその旨を記したメールを送る。

次はラオカーオだ。僕の最も好きなラオカーオは”BANGYIKHAN”だ。3月にフアヒンのテスコロータスで2本を買い、今回は500ccのペットボトルに入れて持参したそれは、明日にも尽きるだろう。そして目抜き通りの酒屋に、きのうこの酒は無かった。

ホテルから自転車をこぎ出し、パホンヨーティン通りを一路、南下する。しばらく走ればチェンマイまで延びる幹線道路沿いに巨大なスーパーマーケット”Big C”の看板が見えてくるだろう、そう考えてペダルを踏むも、目指す”Big C”の文字はなかなか現れない。「あまり深追いをすると、帰ってこられなくなるぞ」と、山で遊んでいたころ身につけた赤信号が脳に点灯する。しかし遂に、”Big C”ではなかったものの、タイ人は「センターン」と鼻に抜けるように発音する”Central Plaza”の看板が見えてきた。

その看板にはまた”Tops”の文字もある。”Tops”はタイ人が「ロータッ」と発音する”Tesco Lotus”や”Big C”よりも高級に寄った品揃えで、ラオカーオは置いていない可能性が高い。しかしここまで来たなら行ってみよう。駐輪場に駐めた自転車に鍵をかけ、首に巻いた麻のバスタオルで顔の汗を拭く。

「センターン」の中の”Tops”には、しかしやはり、ラオカーオは1種類しか置かれていなかった。またまた20分ほどもペダルをこぎ続けてホテルやバスターミナルのある旧市街の中心部まで戻り、次男とチェンライに来たとき見つけた小さな道を辿って花市場に出る。そしてそこの、これまた行きつけのイサーン料理屋でトムセーップを頼む。

5年前に家内と来たときには、いまだ子供のようだった女の子が、今は立派に調理場を仕切っている。そのオネーサンが、僕に何ごとか声をかける。多分、米は付けるかと訊いているのだろう。腹はそれほど減っていないので「マイカーオ(ゴハンは要らない)」と答える。すると今度はオネーサンの発する問いに「カオニャオ」という言葉が混じった。先ほどの僕の返事は間違っていたらしい。「マイカオニャオ(おこわは要らない)」と返す。オネーサンはまた、僕に分からないタイ語を発した。辛さについてのことと想像して「タマダークラップ(普通でお願いします)」と頼むと、オネーサンは得心した様子で鍋に向かった

それにしても、部屋に出入りするたび40段の階段を上り下りし、小さいとはいえプールを何往復も泳ぎ、1日に何キロも歩き、そして今日は自転車を1時間以上もこぎ続けた。いつもの僕からすれば大した運動量だ。それに加えて生姜やレモングラスや唐辛子をたっぷり含むスープを飲んで大汗をかいている。チェンライでの休暇は、健康に良いことずくめのような気がする。

自転車をカフェに返却しきのうの酒屋でラオカーオ”YEOWNGERN”を買う。30分ほど前に雷鳴の聞こえたときには、頭上には青空が広がっていたから、何も心配はしなかった。しかし気づくといつのまにか涼しい風が吹き始め、日の光はどこにも無い。

ホテルの裏口へと続く田舎道を歩くうち、大きな雨粒が落ちてくる。建築資材屋のトタン屋根は、その雨粒を受けて大きな音を立てている。すんでのところでホテルに戻る。そして水量の極端に少ないシャワーを浴びつつ「明日は休養に勉めよう」と決める。

プールサイドには15時30分に降りた。先ほどのにわか雨はまるで幻だったように、見上げる空はどこまでも青い。「タイパンツの仕立てはどうにかなるだろう」と、コモトリ君から電話が入る。そして17時まで本を読む。

ナイトバザールのフードコートは、きのうにくらべて静かだった。ホテルで330ccのペットボトルに入れ替えるラオカーオは、きのうも今日も、1度では飲みきれない。ホテルには、20時より前に戻った。いつ、どこにいても、早寝早起き、である。


朝飯 “Diamond Park Inn Chiang Rai Resort”の朝のブッフェのサラダと目玉焼きトーストとエスプレッソ
昼飯 花市場にあるイサーン料理屋のトムセーップ
晩飯 ナイトバザールのフードコートのヤムママー品書きには”ANGUS BEEF”と書いてあった牛串の照り焼きラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


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2018.9.25(火) タイ日記( 1日目)

今夜の機材は新しく、照明はタイ航空のイメージカラーに合わせたか紫色で、バブル期の遙か以前に流行ったサパークラブを思わせた。通路を進むと、僕の席69Hは最後尾の通路側で、ほぼ言うことは無い

00:37 “AIRBUS A350-900″を機材とする”TG661″は、定刻に17分おくれて離陸。
00:45 ベルト着用のサインが消えたため、椅子の背もたれを最大に倒してデパスとハルシオン各1錠を飲む。

04:05 機がかなり揺れている。というか、今夜は離陸の少し後からほぼずっと揺れ続けたような気がする。そのため眠りは浅い。
04:45 完全に目が覚める。周囲の乗客はすっかり寛いで、なにやら賑やかだ。
04:48 洗面所へ行くため靴を履こうとしているところに朝食の配膳が始まる。
05:10 3つ並びの席の真ん中の空席に食べ終えたお膳を置き、洗面所で歯を磨く。
05:22 ダナンの海岸線が近づきつつある。ここを過ぎればバンコクには1時間で着く

“TG661″は、定刻より18分はやい日本時間06:32、タイ時間04:32にスワンナプーム空港に着陸。以降の時間表記はタイ時間とする。

04:52 機から出て空港の通路を歩き始める。
04:54 国際線から国内線に乗り換えるためのパスポートコントロールに達する
05:08 バンコクエアウェイズのカウンターでチェックインを完了。搭乗ゲートはA9。
04:14 パスポートコントロールを抜ける。
04:22 保安検査場を抜ける。

タイの空港の保安検査場では多く、靴を脱ぐことを要求される。靴を脱ぎ、靴下で床に立つと、床の汚れが靴下に付き、その汚れは靴の中底に付く。それが嫌だから裸足になろうとすると「そこまでは…」と係が僕を制止する。”No problem”とか適当に答えつつ靴下を脱ぐ。裸足になれば、床の汚れは足の裏に付く。しかしこのときの足の裏の汚れは、後に履く靴下の内側を汚すのみで、靴の中底は汚さない。僕が更に神経質であれば、専用のゴム草履を用意するところだが、そこまでは流石にしない。

指定されたA9ゲートに向かう途中、バンコクエアウェイズのラウンジが左手に現れる。同社のボーディングパスさえ持っていれば、誰でも入れるラウンジだ。ここの電源付きカウンターにコンピュータを開き、きのうタイ航空機に乗り込んでから現在までの日記を書く。このラウンジのwifiは、羽田空港のそれより格段に速い

コンコースのトイレを使い、ラウンジに戻ると、入口のオネーサンが僕のボーディングパスを見て「もう搭乗が始まってますよ」と言う。そこに記されている搭乗所時刻は06:45。現在時刻はいまだ5時台。「せっかちもいいところじゃねぇか」と、今度はカウンターではなくソファに落ち着き、エスプレッソを飲む。

いよいよ席を立ってA9の搭乗口を目指す。通路を突き当たりまで進むと、しかしそこはA6だった。スワンナプーム空港で困ったことが起きたときには、薄紫色の上着を着た、タイ航空の職員を頼るべし。ちょうど前から近づいて来たオバチャンに「A9って、どこですか」とボーディングパスを見せると「オーッ」とオバチャンは一瞬、眉間に皺を寄せてから「一旦、A1ゲートまで戻ります。そこを左に折れて、下の階に降りてください」と、もと来た方を指した。それにしても、オバチャンが眉間に寄せた皺の意味は何だったのだろう。

オバチャンの説明は的確だった。A9ゲートに足を踏み入れるか入れないかのところで係らしきオネーサンが近づいてくる。そのオネーサンにボーディングパスを見せる。オネーサンは即、僕をカウンターに案内する。カウンターの係はパスのバーコードを読み取り、外に停まっているワゴン車まで僕を連れて行ってくれた。ワゴン車には僕のほかにもうひとり、中年の男が乗った。ワゴン車は間もなく走り出し、飛行機の下まで我々を運んだ。搭乗者名簿を手にしたオネーサンが外からワゴン車のドアを開けてくれる。僕はザックを背負ってタラップを昇り、機内へと入る。

古くて小さな飛行機の座席に着くと、気分はようやく落ち着いた。それにしても、なぜ皆、それほど急ぐのか。念のため、iPhoneの時刻表示と腕時計を確かめてみる。iPhoneが示すバンコク時間は7時19分、腕時計のそれは6時19分。バンコクに着いて2時間遅らせるべき時計の針を、僕は誤って3時間も遅らせていたのだ。バンコクエアウェイズの係は、よくもまぁ、僕を待っていてくれたものだ

“AIRBUS A320″を機材とする”PG231″は、定刻に12分おくれて07:37に離陸した。雲の上を1時間ほども飛べば、タイも最北部に達する。眼下に「常春の国」は晴れている。機は定刻より10分はやい08:45にメイファールン国際空港に着陸をした。

タラップを降りて徒歩で空港ビルに入る。乗客たちに混じって通路を往くと、僕の胸の”BAGGAGE CLAIM”のシールに気づいた、唇にピンク色の紅を差したオニーサンに声をかけられる。同じように呼び止められたオバチャンとふたりでオニーサンの後に着いていく。見慣れた回転台には驚くべし、既にして僕のスーツケースが回っていた。国際線からこの国内線に乗り換えた乗客は、どうやら僕とオバチャンのふたりだけだったらしい

チェンライでいつも泊まる”Dusit Island Resort”に部屋を確保できなかった事情については、7月4日の日記に書いた。はじめて泊まる”Diamond Park Inn Chiang Rai Resort”を、空港を出てすぐ左側にあるタクシー申込所のオネーサンは即、理解して運転手を呼んだ。運転手は僕のスーツケースをタクシーの際まで運び、丁寧な手つきでトランクに収めた。

ホテルには20分ほどで着いた。運転手には50バーツのチップを手渡した。レセプションのある建物からオニーチャンが出てきて僕のスーツケースを持つ。チェックインが済むと、オニーチャンはそのスーツケースを最上階の3階まで運び上げてくれた。このホテルにエレベータは無い。このオニーチャンにも50バーツのチップを手渡す。

部屋は予約時に指定したとおり3階の角部屋だった。デスクの真ん中に置かれたパナソニック製のテレビを持ち上げると意外に軽い。よってこれを箪笥の上に片付ける。4つもある枕は、そのうちの3つを部屋の隅のソファに重ねる。素早く部屋を、自分ごのみのそれに変えていく。

さて今回、僕は木綿と麻の混紡の、紺色の生地を持参した。手持ちのタイパンツは4本。そのうち特に形の気に入っている1本が、この5年間の使用により古びてきた。持参した生地は、この1本とまったくおなじものを、チェンライのどこかで作ってもらうためのものである。

その生地と見本のタイパンツをプラスティックの手提げ袋に入れて街に出る。そして馴染みの旅行社で、バンコクに移動する日のタクシーを予約する。その際、係のオネーサンに、この街でタイパンツを作ることについて話す。色の黒い、愛嬌のある顔つきのオネーサンは、僕の望むことを紙にタイ語で書いて、手渡してくれた。大いに有り難し。

タイの田舎の街は、その中心に時計塔を持つ例が少なくない。旧時計塔の横の市場まで歩いて仕立屋を探す。しかしどうにも見つからない。生地のほかに糸なども売る大きめの店に入ると「何かお探しですか」とでも言っているのだろうか、インド系のあるじに声をかけられた。仕立屋を探していると答えると、紙に何やら書いてそれを僕に手渡し「この先で、この紙を見せれば、誰かが教えてくれる」というようなことなのだろう、なにか説明しつつ通路の先を指で示した。

教わった通り、すこし先の、Tシャツなどを売る店のオバサンにそれを見せると、はす向かいの、調味料などを売るオバサンに何ごとか訊く。オバサンはもと来た方を指して「サイムー」と言う。「サイ」は「左」の意味だが「ムー」とは何だろう。

教わったあたりの、やはり布地を売る店の、耳たぶにピアスをした静かなオニーサンに先ほどのメモを見せる。オニーサンは腰掛けから立ち上がり、市場の中心部の、肉や魚を売る場所を横切り始めた。「そっちじゃないと思うけど」などとは言えない、そのまま着いていくと、市場の屋根の尽きるあたりに、異なる種類の3台のミシンを備えた店があった。礼を述べるとオニーサンは特に表情は変えず、自分の店の方へときびすを返した。

その仕立屋には、しかし人はいない。昼食中なのだろうか。当方の旅は、そう急ぐものでもない。わら半紙に青いインクの判を捺した名刺を箱から取り、出直すことにする

既にして1時間以上も歩き続けている。腹も減っている。いま食べたいのは、何といってもバミーナムニャオだ。市場からホテルに戻る道すがら、ジェッヨッ通りの通い慣れた店に入る。今日のバミーナムニャオは、昨年のそれより隨分と辛い。気温はそう高くないものの、噴き出る汗が止まらない。ホテルに帰ると即、本日2回目のシャワーを浴びた。

プールサイドに降りたのは13時28分。本を読む合間に25メートルほどのプールを6往復する。やがて日差しが弱まって、涼しい風が吹き始める。部屋に戻って本日3度目のシャワーを浴びる。

行きつけのマッサージ屋”PAI”は、ホテルの裏口を出て西に真っ直ぐ歩けば、その道がパホンヨーティン通りと交わる左手前の角にある。そのガラス戸を押し、脚と肩のマッサージを頼む。係は馴染みのジェップさん。1時間のマッサージが終盤にさしかかるころ、テレビに国王賛歌が流れ始める。時刻は18時、ということだ。マッサージ代はバンコクでのそれより隨分と安い200バーツ。ジェップさんには50バーツのチップを手渡す。

“PAI”を出て、この街の目抜きであるパホンヨーティン通りを北上する。間もなく右手にナイトバザールの入口が見えてくる。この街での夕食は大抵、ナイトバザールの奥の、野天のフードコートで摂る。いつものオバサンの姿は見えなかったから、それがオバサンの店かどうかは確かめられなかったけれど、とにかくチムジュムを肴にラオカーオのソーダ割りを飲む。その楽しさ、気楽さは、何とも喩えようがない

ホテルに戻る道の真正面に、大きな月が見えている。今夜は十六夜だったかも知れない


朝飯 “TG661″の機内食“PG231″の機内食
昼飯 「カオソーイポーチャイ」のバミーナムニャオ
晩飯 ナイトバザールのフードコート32番ブースのチムジュム、3月にフアヒンのテスコロータスで買った残りのラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


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2018.9.24(月) 空港へは何時に

04:35 起床
04:51 仏壇に花と水とお茶と線香を供える。
04:56 きのうまでの衣類や今朝まで着ていたパジャマなどを洗濯機に入れて回す。
05:14 きのう書いたおとといの日記を「公開」にする。
05:56 きのうの日記を書いて「下書きとして保存」にする。

06:03 東の空の雲の隙間から、やおら、太陽が現れる。
06:10 朝食の準備を始める。
06:48 朝食を食べ終える。
06:50 食器を洗い、シンクを排水口まで掃除し、レンジ周りはアルコールで拭く。
07:10 店舗に降りて冷蔵ショーケースの覆いを外し、シャッターを上げる。

07:28 おとといの朝食を会社のfacebookページに上げる。
07:35 道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の売り場を拭き、本日の納品数を決める。
08:10 定時に5分さきがけて店を開ける。
08:50 道の駅「日光街道ニコニコ本陣」に本日1回目の納品をする。
11:20 タイに持参する辛ひしお1Kgをフクダナオブミ製造顧問に詰めてもらう。

13:45 外食にしようと考えていた昼食を、思い直して自宅で摂る。
14:15 タイに持参する荷物の最後の確認をする。
14:43 道の駅「日光街道ニコニコ本陣」に本日2回目の納品をする。
14:58 如来寺のお墓へ行き、20日に供えた花を片づけて、花立ても洗う。
16:02 製造係のイトーカズナリ君と、あした蔵出しする商品の数を決める。

16:08 きのうの日記を「公開」にする。
16:17 きのうの朝食を会社のfacebookページに上げる。
18:00 閉店。
18:18 キャッシュレジスターを締め、売り上げ金を金庫に仕舞う。
18:27 4階の自宅に戻り、朝から用意しておいた服に急いで着替える。

18:39 長男の運転するホンダフィットで東武日光線の下今市駅まで送ってもらう。
19:00 定刻に3分遅れて特急スペーシアが下今市駅を発車。
20:49 定刻に4分おくれて特急スペーシアが浅草駅に到着。
20:01 都営浅草線の車両が浅草駅を発車。
21:44 都営浅草線の車両が羽田空港国際線ターミナル駅に到着。

21:57 タイ航空のカウンターでチェックインを完了
22:05 待機人数19人、待ち時間80分で、シャワーを諦める。
22:13 保安検査場を通過。
22:16 パスポートコントロールを通過。
22:34 夕食。

23:07 105番ゲートに達する。
23:11 サイフから日本円を出して封筒に収め、別の封筒から1,650バーツを財布に移す。
23:40 搭乗開始。
23:42 今日の日記を完成させて「公開」にする
23:44 今日の朝食を会社のfacebookページに上げる。


朝飯 納豆、「みょうがのたまり漬」を薬味に「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」をかけた冷や奴、生玉子、じゃこ、明太子、メシ、豆腐と長葱の味噌汁
昼飯 トースト、トマトとキャベツのサラダ、牛乳
晩飯 「魚がし日本一TOKYO SKY KITCHEN店」のばってら鮨


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2018.9.23(日) 筆の先も乾かないうちに

家内の作り置いた常備菜は、家内が新宿タカシマヤに8日間の出張をしているあいだに、ほぼ枯渇した。その家内は19日の水曜日に帰宅し、翌20日の夜に成田空港へと向かって去った。以降の朝食は、冷蔵にあるちまちまとしたものを、おかずにしている。おかずが冷たくても、ごはんが温かく、味噌汁が熱ければ、不満は全く感じない。

今朝のごはんは、隨分と地味なものになった。まるで、あるとき銀座で入った小料理屋で、近くに住むらしいお婆さんが食べていた夕食のような風情だ。しかし僕も齢62に達したことを考えれば、食事はこのくらい簡素な方が良いのかも知れない。

このところ続いていた雨は、ようやく止んだ。午前の早い時間から空は晴れ始め、気温も上がった。そのこともあってかどうかは不明ながら、今日は多くのお客様に恵まれた。有り難い限りだ。

店舗入口右側の季節の書は、先々週に「鬼灯」から「秋惜」に掛けかえた。惜しむべき秋は、いつごろまで続くだろう。

「食事はこのくらい簡素な方が良いのかも知れない」などと書いた舌の根も、否、筆の先も乾かない夜にはソーセージやミートローフをフライパンで焼き、それらを肴に白ワインを飲む。


朝飯 「みょうがのたまり漬」を薬味に「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」をかけた冷や奴、じゃこ、明太子、メシ、キャベツと若布の味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 刻みキャベツと生のトマトを添えた焼きソーセージとミートローフ“Petit Chablis Billaud Simon 2015”


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2018.9.22(土) 人を一発で納得させる言葉

以前は、きのうの日記を今日の昼ごろにウェブに上げていた。このところは、おとといの日記を今日の早朝に上げることが多い。今朝は、やはりおととの日記を書いて「公開」ボタンをクリックし、続いてきのうの日記を書き上げた。これからの3日間は特に、日記を遅らせるわけにはいかない。

来週月曜日の夜は羽田空港へ行く。翌朝はタイの最北部に着いている。現地のwifi事情によっては日記の公開が遅れる。よって月曜日の日記は当日のうちに、見える形にしておきたい。そのような理由から、日記は遅らせたくないのだ。

「誰が読むでもない日記にそれほど気を遣うことがあるか」と問われれば「趣味だから」としか答えようは無い。

ところでこの「趣味ですから」は、なかなか便利な言葉だ。以前、ダイエットを宣言しながら一向に痩せない人が、SNS上でやんわりとからかわれていた。からかわれた当人は「ダイエットは趣味ですから」と、笑い混じりに返していた。なるほど痩せようとする行為そのものが趣味であれば、たとえ痩せなくても、誰に責められるものではない。

その「趣味ですから」に似た言葉を数ヶ月前に聞いた。その人は敏腕の経営者で、繁盛店をいくつも作る。しかしそれに飽き足らず、難しい条件の下に新しい店を開いて塗炭の苦しみを味わっていた。「儲かっている店がいくつもあるのに、どうしてそんなことをするんですか」と訊いた僕に対する答えが「ビョーキっすねぇ」だった。「あ、ビョーキじゃしょうがねぇ」と、僕は納得をしたものだ。


朝飯 納豆、生玉子、明太子、みょうがのたまり漬、すぐき、メシ、トマトと小松菜と若布の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 アオキマチコさんにもらった「趣味の店」の3種のフライ、刻みキャベツ、チューハイ


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2018.9.21(金) 「温め酒」は秋10月の季語

きのうの夜は閉店前に会社に戻り、社員とのミーティングをこなした。3台のキャッシュレジスターは、そのうちの2台が既にして締められていたため、売上げの計算は、割と早く終わった。そして19時30分に、家内を下今市駅に送った。家内は今日から1週間ほどインドネシアへ行く。中々の忙しさである。

そして今朝は、長男が関西へと向かった。家内も長男もいなければ、僕はひとりで夕食を摂る。きのうの昼の恨みを晴らすわけではないけれど、卓上には日本酒に合いそうなものばかりを並べた。

ところでバンコクでは、2年ほど前から路上の屋台が排除されつつある。屋台は、そこに住む人たちには便利、旅行者にとってはまことに風趣を感じるものながら、中には歩道を占有して人は車道を歩かざるを得ないようなところもあるから、当局の方針も、分からないではない。あるいはまた、裏にはそれ以外の事情もあるのだろう。

屋台街の中でも、トンローsoi38のそれを失ったことは特に痛い。トンローはバンコク中心部の東側に寄ったところで、そこまで足を延ばす機会が僕には無かった。おととし始まったバンコクMGの会場はトンローで、以降、年に一度はトンローで数日を過ごせるものの、失ったものは戻ってこない。

それはさておきそのトンローでおととし、昼日中も内側から鍵をかけっぱなしの骨董屋を見つけた。良いものばかりを扱っていることはガラス越しにも分かる。その骨董屋で僕は、磁器の高台に目を付けた。「清代最後期のもの」と店の人は口を添えてくれたが、そのようなことはどうでも良い。

いま、その器はらっきょうを食べるときの専用として使っている。日光の畑で収穫してひと月も経たないうちに蔵出しする「夏太郎」とは味わいの異なる今夜の塩らっきょうは、今月末にも売り切れるかも知れない。


朝飯 塩鮭、納豆、生玉子、すぐき、明太子、みょうがのたまり漬、メシ、小松菜と若布の味噌汁
昼飯 「成喜」の広東麺
晩飯 ウルメイワシの網焼き、納豆、トマトと胡瓜のサラダ、塩らっきょう、明太子、穴子の佃煮、「浅舞酒造」の「天の戸夏田冬蔵純米吟醸」(燗)


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2018.9.20(木) 食べたい気持ちには逆らわない

所用により下今市11:35発の上り特急スペーシアに乗る。東武日光線に限らず、乗り物の席に着き、1時間を超える移動をするときにはいつも、心がとても落ち着く。

終点の浅草に着き、大階段を降りて地下鉄銀座線の乗り場を目指す。途中左手の、何十年もなじんだキヨスクが両替所に模様替えをされている。張り紙には「9月10日にオープンの予定でしたが…」というようなことが書いてある。両替所の面積は、隨分と小さい。ここに人が入るのだろうか。浅草の治安が悪いとは言わないけれど、裏手の通用口からの、毎日の現金の出し入れにはかなり神経を遣いそうだ

ところでいつもなら小麦粉による麺を好む僕が、今日は珍しく蕎麦を欲している。よって銀座線を神田で降り、すこし歩いてむかしからある蕎麦屋に入る。店内は、ほぼ満員。相席でも構わないかと女店員に訊かれて「もちろん」と答える。案内された席には僕より10歳ほど年長と思われるオジサンがいた。

オジサンの日本酒は常温。肴は銀杏。オジサンは次に飛竜頭を注文した。なかなか渋い。それとなく観察をしている僕も酒は好む。しかし昼の酒はほとんど飲まない。昼には昼の楽しみがあって、酔うと、それを充分に味わうことができなくなるからだ。まして今日は仕事も控えている。

新日本橋から錦糸町を経て北千住に戻ると時刻は14時55分。15:12発の下り特急に間に合う時間ではあるけれど「すこしゆっくりしても良いよな」と自分に許可を与え、駅の中の喫茶店に入って本を開く。

16:12発の下り特急スペーシアが下今市に近づく。雨の勢いは弱くない。時刻は17時38分。この時間は閉店を控えて忙しく、誰かに迎えを頼む気にはなれない。持参したウインドブレーカーを着て駐輪場から自転車を乗り出し、夕刻の日光街道を遡上する。


朝飯 小松菜のおひたし、納豆、生のトマトを添えたベーコンエッグ、明太子、塩鮭、みょうがのたまり漬、メシ、浅蜊と小松菜の味噌汁
昼飯 「室町砂場」の天ぷら蕎麦
晩飯 ジャガイモとケールとホタテ貝と蛸のサラダ2種のパン牛タンのオムレツ鱈子とにんにくのスパゲティ“Petit Chablis Billaud Simon 2015”レーズンウィッチ、”Old Parr”(生)


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2018.9.19(水) この1週間の不思議

先週火曜日の準備日から数えれば、8日のあいだ新宿タカシマヤに出張をしていた家内と長男が午後一番で戻ってきた。この1週間は、本店でも新宿タカシマヤでも、どうにも理解しかねる好調が続いた。

タカシマヤに送り込む商品は、過去の記録を元に計画を立て、その数を記した一覧表が、事務室と製造現場に置かれる。2005年に親父が亡くなって以降、このような催しには出ずに留守を守る僕は、毎日、長男から入る連絡によりその一覧表の数字を書き換え、製造現場に走る。

今回は、来る日も来る日も追加、追加の連続で、しまいには商品だけでなく、包装資材などの用度品まで足りなくなって送ることになった。

お得意様、僕や家内や長男の友人、またSNSをご覧になってご来場くださった方々はもちろんのこと、当方の想像の及ばない理由によりお買い上げくださった方が、たくさんいらっしゃったものと思われる。厚く御礼を申し上げます。

今回の数字は精密に記録し、現在の繁忙が去ったらそれを分析し、またいくつか浮かび上がった反省点は忘れることなく、次回2月の日本橋タカシマヤでの販売に活かしていきたい。


朝飯 酢蓮、塩鮭、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、細切り人参の炒り煮、じゃこ、みょうがのたまり漬、メシ、大根とピーマンの味噌汁
昼飯 じゃこと胡瓜の汁無しうどん
晩飯 白海老とあれこれの野菜のサラダ2種のパン揚げパン人参とズッキーニのスープ煮と安納芋を添えた茹で牛タン“Petit Chablis Billaud Simon 2015”チョコレートケーキ、”Old Parr”(生)


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2018.9.18(火) 虫の声

深夜と明け方のあいだに起きて食堂に来て、先ずは角部屋の、南東に向いた窓を開ける。次に南西に向いた窓を開ける。すると地面から虫の声が聞こえてくる。僕は森羅万象、あらゆることに無知だから、その声がどのような種類の虫から発せられているかについては分からない。そして、夜と朝のあいだの湿り気を帯びた空気の中に身を置きながら、暖房も冷房も必要としない、いまの気温を不思議に思う。

僕が高等学校に通っていたころは、東京にいても、10月の上旬を過ぎるころには吐く息が白くなった。ということは、暖房は10月には必要になって、多分、4月の上旬までは使うと思う。6月には冷房が必要になって、今年は9月の上旬まで使っていた。つまり、暖冷房を使わずに済む期間は、年間で実に、1、2ヶ月しか無いということになる。そういう事実があるからこそ現在の、暑くもなく寒くもない気温を不思議に感じるのだろう。

ことし満91歳を迎えたというニイチさんが昼前に大量の茗荷を持って来て「これで終わりだ」と言った。今日は少し時間があったので、ニイチさんと外のベンチでしばらく話をした。自分の家系で90歳を超えられたのは、自分と奥さんが初めてだという。その長寿には、今の便利な暮らしが大きく働いていることは疑いようもない。

「来年も元気で、また茗荷、持って来てください」と、ニイチさんを送り出す。ニイチさんは買ったばかりの軽トラックを国道121号線に乗り出し、南西の方面へと去った。


朝飯 酢蓮、じゃこ、塩鮭、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、細切り人参の炒り煮、秋刀魚の梅煮、みょうがのたまり漬、メシ、豆腐とズッキーニの味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 「大昌園」の並カルビ子袋とホルモン、もやしナムル、テグタンラーメン、麦焼酎「田苑シルバー」(オンザロックス)


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2018.9.17(月) 秋もなかば

「5連休より3連休ふたつの方が、道は混みづらいのではないか。何となく、嬉しい」と日記に書いたのは、さきおととい15日のことだ。道が混むとなぜ嬉しくないか、それは、折角の休みを利用して日光に来て下さった観光客に多くの落胆をもたらすからだ。「遊びなどは、混雑を避けてすべきだ」という意見もあるだろう。しかし「こんなときにしか休めない」という人が多く存在するからこその混雑でもある。

18時の閉店を前にして、店の中から正面の、南東の空を見る。その空は、ここ数ヶ月のあいだ見慣れた明るいものではなく、すっかり暗くなっていて驚いた。考えてみれば、夏至から既にして3ヶ月が経とうとしているのだ。夕刻の空の、紺と黒のあいだの色も「むべなるかな」である。

販売係のハセガワタツヤ君に手伝ってもらいつつ3台のキャッシュレジスターを締める。売り上げ金を金庫に収めると18時25分。それから電子卓上計算機のキーボードを叩き、この3日間の売上げは、昨年のそれに較べて3割以上も高かったことを知る。


朝飯 酢蓮、じゃこ、塩鮭、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、秋刀魚の梅煮、細切り人参の炒り煮、みょうがのたまり漬、メシ、豆腐と胡瓜の味噌汁
昼飯 大葉と白胡麻の汁なしうどん
晩飯 トマトサラダ、ハムカツ、メンチカツ、チューハイ


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上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

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