2020.3.16(月) 練習の2日目
今月の28日に開業する「汁飯香の店 隠居うわさわ」の、今日は調理と接客の練習の2日目。
初日のきのうは、お客様役の社員10名から、様々な意見が寄せられた。それらのうちの採り入れるべきものは早速、今日の仕事に反映させていく。宇都宮の和食店「了寛」のタマキノリヒロさんが朝から厨房に入ってくれたことは、きのうと変わらない。お膳の内容は、きのうのものとすこし変えた。
ごはんはガス釜でも土鍋でも炊けるようになっている。きのうのごはんはガス釜で炊いた。今日のごはんは土鍋で炊くこととして、厨房はその準備に余念が無い。
11時30分より2名、12時より2名、12時30分より3名、13時より2名の、お客様役の社員が次々と玄関の戸を開く。彼らにはきのうとおなじく、帰るまでに感想を書くよう頼む。
タマキさん、家内、長男と共に、14時よりまかないの昼食を摂る。その場で、本日の仕事で分かったこと、またそれへの対策を話し合う。長男は、2度の練習では不安だという。それを受けて、これから開業日までに、更に複数の練習日を持つことを決める。
朝飯 納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、しもつかり、切り昆布と豚三枚肉の炒り煮、生のトマト、胡瓜のぬか漬け、らっきょうのたまり漬、メシ、大根と万能葱の味噌汁
昼飯 「汁飯香の店 隠居うわさわ」のまかない
晩飯 刺身湯波、榎茸と菠薐草のおひたし、胡麻豆腐、筑前煮、胡瓜のぬか漬け、麦焼酎「むぎっちょ」(お湯割り)、サラミソーセージ、TIO PEPE
2020.3.15(日) 練習の1日目
きのうの雪をまとった鶏鳴山が、今朝は日を浴びてまぶしく光っている。
今月の28日に開業する「汁飯香の店 隠居うわさわ」の、今日は調理と接客の練習の1日目だ。朝から隠居に詰めていた長男が10時30分に事務室に来て、そろそろ準備をするよう促される。今日の僕の仕事は諸々の写真撮影。飲食店の開業、調理、運営に関する指導をお願いしている、宇都宮の和食店「了寛」のタマキノリヒロさんは、朝の8時30分から厨房に入ってくれているという。
ニコンの”D610″と3本のレンズをたずさえて隠居へ行く。先ずはタマキさんに挨拶をし、写真を撮り始める。厨房の中で人を撮るときには広角レンズ、できあがりつつある複数の料理を撮るときには接写レンズを用いる。このレンズの交換が、なかなか忙しい。やがてお客様役の社員が玄関の外に見え始める。
11時30分から5名、12時から3名、12時30分から2名が、次々と訪れる。厨房も忙しければ、接客係のタカハシリツコさんも忙しい。この「忙しいと感じる気持ち」を払拭していくことが今後の課題と思われる。
夕刻にいまいちど隠居へ行く。そして先ずは「杉の間」と名付けられた個室から廊下へ出る障子の敷居に蝋を擦りこむ。それまで簡単に開け閉めできなかった障子は、驚くほど簡単に滑るようになった。先ほどまで開け閉めをするたび不快な音を立てていた厨房の戸は蝶つがいに潤滑油を与えられ、その油が行き渡るとすぐ静かになった。
本日、お客様を務めた社員からは、感想を記した紙が多く届けられた。その中の課題には、明日にも解決できることがいくつもある。明日の朝は、その感想をいまいちど読み直すところから始まるだろう。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、しもつかり、切り昆布と豚三枚肉の炒り煮、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、万能葱の味噌汁
昼飯 「汁飯香の店 隠居うわさわ」の一汁五菜膳
晩飯 カレー南蛮鍋、らっきょうのたまり漬、麦焼酎「むぎっちょ」(お湯割り)、チーズケーキ、マンゴーのシャーベット、Old Parr(生)
2020.3.14(土) 土曜日は寒くなる
「土曜日は寒くなる」と予報では聞いていた。列島の地図の、雪の予想される地域に日光が含まれていることも知っていた。しかしまさか、本当に降るとは思っていなかった。それまでの小雨が雪に変わったことに気づいたのは、10時のころだった。
「汁飯香の店 隠居うわさわ」は、今月の28日に開業する。それに先だって、明日と明後日は、社員をお客様に見立てて、家内とタカハシリツコさんが、それぞれ調理と接客の練習をする。その隠居に、首からカメラを提げ、そのカメラを羽織ったウインドブレーカーで覆いつつ行く。
隠居の庭は先般、1週間以上かけて植木屋が整備をした。その仕事により、何年ものあいだ手を入れてこなかった池泉の、土に埋もれていた玉石の上に水が流れるようになった。庭には、今は梅の紅色しか見えない。しかし数週間の後にはそこに、桜の花の色も加わるだろう。
18時を過ぎても戻らない家内と長男を、懐中電灯を手に隠居まで迎えに行く。週末の夕食は多く、嫁の桃君が作ってくれていた。それに加えてこれからは月曜日も、桃君は夕食を作ってくれるという。それはとりもなおさず「汁飯香の店 隠居うわさわ」の営業日が、土日月であることによる。
朝飯 しもつかり、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、大根おろしを添えた油揚げの網焼き、切り昆布と豚三枚肉の炒り煮、生のトマト、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、揚げ湯波と玉葱の味噌汁
昼飯 バターとママレードと無花果のジャムとらっきょうのたまり漬のトースト、緑茶
晩飯 コーンポタージュスープ、トマトとレタスのサラダ、マッシュドポテト、紅白なます、たまり漬「鬼おろしにんにく」と同「刻みザクザクしょうが」によるソースを添えたビーフステーキ、CHATEAU BARATEAU HAUT-MEDOC 1994
2020.3.13(金) 準備は着々と
朝食に特化した「汁飯香の店 隠居うわさわ」は、3月20日(金)、21日(土) 、22日(日)の3日間に、関係各方面の方々をお招きして内覧会を催べく、その招待状は先月の29日にお配り、あるいは投函をした。
そのころ政府は、新型コロナウイルスによる肺炎の蔓延を防ぐため、多くの人の集まるスポーツの試合や文化活動の、3月15日までの中止を国民に要請していた。3日間、6回に分けて開く内覧会は席数の関係から、いずれも10名様前後の集まり、且つ開催日も、3月15日およびそれ以前には重ならない。
ところがその後、この未知のウイルスによる状況は日を追うごとに激変し、僕がタイにいるあいだに、家内と長男は内覧会の延期を決めた。それをお知らせするための文書もお配りし、また投函もした。
内覧会は延期をしたものの、今月28日の開業の日から、予約は既に、複数のお客様よりいただいている。よってこれへの準備は毎日、途切れることなく続いている。そして今日は、お米を炊く土釜の具合を確かめるべく、隠居の厨房にて簡単な昼食を家内が用意した。
日光市髙百地区で棚田を営むヤギサワヒロシさんの「ゆうだい21」は、僕には初めて味わうお米だった。ひとくちを咀嚼して、これは、ウチのおかずには極めて相性の良いものと確信した。お客様には、このお米と共に「汁飯香の店 隠居うわさわ」のおかず、漬物、味噌汁を、ぜひお楽しみいただきたい。地酒もあります。
朝飯 牛蒡と人参のきんぴら、しもつかり、油揚げと小松菜と2種の茸の炊き合わせ、ホウレンソウのソテー、スクランブルドエッグ、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、大根の味噌汁
昼飯 温泉玉子、胡瓜のぬか漬け、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、揚げ湯波と万能葱の味噌汁
晩飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、生のトマト、マカロニサラダ、TIO PEPE、茹でたブロッコリーとエリンギのソテーを添えた豚の生姜焼き、大根と人参と胡瓜のぬか漬け、Petit Chablis Billaud Simon 2016、「みしまや」の人形焼き、Old Parr(生)
2020.3.12(木) 日常
「この時間までに目を覚ましていないとマズイぞ」という理由により、iPhoneに目覚ましを設定している。しかしこれが鳴るまで眠っているということは、ほとんどない。今朝は例外にて、その音に促されて5時に起床する。飛行機は、昼の時間を無駄にしない深夜便が好きだ。しかし睡眠時間は確実に減る。そして製造現場へ降りて、早朝の仕事に従う。また、日常が戻ってきた。
昼前、店の入口の足ふきマットの位置を直しているところに、3人のご家族連れがいらっしゃる。後からゆっくり歩いていらっしゃった御老人のために、自動ドアの敷居をまたいで、ドアを開いたままにする。御老人は店にお入りになると、らっきょうのたまり漬を並べた冷蔵ショーケースにお近づきになり、試食をされて「そうそう、この味」とおっしゃった。数年ぶりのご来店という。
「そうそう、この味」と喜んでいただける試食ではあるけれど、社会の情勢に鑑み、またお客様の健康を第一として、これをしばらくのあいだ、お出ししないことを考えている。
早朝に製造現場へ降りる日常は戻ってきた。新型コロナウイルスの蔓延による社会不安から抜け出して、世界がまた日常に戻るのは、いつになるだろう。
朝飯 牛蒡と人参のきんぴら、菠薐草のおひたし、油揚げと小松菜と2種の茸の炊き合わせ、しもつかり、納豆、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、きのうの鍋の残りによる味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 ユミテマサミさんの畑の初トマト、生のレタス、クリームシチュー、たまり漬「刻みザクザクしょうが」と同「鬼おろしにんにく」によるソースを添えたハンバーグステーキ、Petit Chablis Billaud Simon 2016
2020.3.11(水) 春
00:02 “BOEING 777-200ER”を機材とする”TG682″は、定刻に17分おくれてスワンナプーム空港を離陸。
03:44 あたりが急に明るく賑やかになった気配で目を覚ます。
03:47 朝食の配膳が始まる。機内食は、最近は真ん中の大きな器にはほとんど手を付けない。
04:00 機は九州南部の東洋上を飛行中。
04:45 機が千葉県の最南端をかすめて東京湾の上空に入る。
“TG682″は、定刻より6分はやいタイ時間04:49、日本時間06:49に羽田空港に着陸。以降の時間表記は日本時間とする。それにしても、低い搭乗率の便だった。
07:18 入国審査場を通過
07:27 回転台で荷物が運ばれてくる。
07:47 羽田空港国際線ターミナルから京成高砂行きの電車に乗る。
08:51 人形町で乗り換えて北千住着。
09:12 下り特急リバティが北千住を発車。
10:42 下り特急リバティが下今市に着。
下今市駅のプラットフォームから外へ出ると、空気はすっかり春のそれに変わっていた。駅からは歩いて帰宅をして、着替えをしないまま、10時30分から始められていた場長会議に加わる。
14:46 4階の食堂にいて、遠くから渡り来るサイレンの音に気づく。しばし、その場に立ちつくす。
朝飯 “TG682″の機内食、「小諸蕎麦」のたぬき蕎麦
昼飯 ラーメン
晩飯 しもつかり、胡瓜のぬか漬け、らっきょうのたまり漬、白菜と豚肉団子と春雨の鍋、麦焼酎「むぎっちょ」(お湯割り)、羊羹、”Old Parr”(生)
2020.3.10(火) タイ日記(9日目)
「キュウィッ、キュウィッ」と啼く鳥の名前は何だろう。その声は「ホウイッ、ホウイッ」と聞こえるときもある。いずれにしても、おなじ種類の鳥だろう。時刻は3時24分。この鳥は、日の昇る前から啼く。昼も啼くから、夜行性というわけではない。
時刻を確かめるため見るiPhoneの画面には、このところは多く、ダウ平均株価の乱高下を伝えるニュースが現れる。先週までの下げは、長く続いた官製相場の揺り戻しと思われる。しかし今週からのそれは明らかに、新型コロナウイルスが作り出した社会不安によるものだ。
窓の外が明るくなりつつある、6時すぎより荷造りに取りかかる。荷造りは、小一時間ほどで完了した。来たときより減ったところに社員への土産を納め、重さは多分、来たときと同じ10キロ前後。ひとり公共の交通機関を使いながらの旅なら、これくらいの重さが僕には限度だ。
朝食を済ませるとすぐに、プールサイドへ降りる。そしてきのうより読み始めた本を開く。パンツは濡らしたくないから、今日は泳がない。
となりの寝椅子に、孫娘を連れた、白人のオバーサンが来る。オバーサンは、ローレンス・サンダーズの大きく分厚い本をたずさえている。しかし3、4歳の活発な孫を伴っていては、とてもではないけれど、本を読むことはできないだろう。
オバーサンは僕を気にして、静かにするよう、しきりに孫に声をかける。女の子はそのうち、プールの中からオバーサンに水をかけ始めた。親でもなければ、オバーサンも、それほど強くは叱れない。
日除けの傘と、プールサイドに植えられた樹木のあいだに太陽が顔を出す。やがて僕の全身を、直射する光が焦がしはじめる。暑い。そして眩しい。しかしここで寝椅子を離れれば、僕が孫娘を嫌って移動をしたと、オバーサンは考えるだろう。
「マダーム」
「私のことですか」
「太陽の光がきつくなり始めました」
寝椅子を指す僕に「確かに暑いわね」と、オバーサンは同意をする。
「ですから僕は、あちらの日影に移ります。どうぞお楽に」
「どうも有り難う」
プールサイドのバーの時計が11時になりかかるのを認めてから寝椅子を離れる。からだは汗に覆われている。上半身にタオルを巻き、その上にシャツを巻き付ける。こうしておけば、裸でロビーを横切ったことにはならなないだろうという、僕の勝手な解釈である。
シャワーを浴び、水着とゴム草履をスーツケースに収めるなどの、最後の荷造りをする。パスポートや現金の扱いには、特に注意をする。必要な金額のみをサイフに収め、フロントに降りてチェックアウトを済ませる。このホテルのそれが特に高いわけではないけれど、クリーニングの代金は、ウドンタニーの洗濯屋の10倍だった。スーツケースとザックを預けて外へ出る。
現在時刻は12時15分。それに対してタイ航空機の出発時刻は23時45分。
先ずはsoi8まで歩き、エイトトンローの正面、セブンイレブンに向かって右手の、建物と建物の隙間に店を出すガオラオ屋に入る。トンローにいながら、この店に寄らないわけにはいかない。ガオラオは数年前に5バーツだけ上がって40バーツ、大盛りは45バーツになった。
昼食を済ませ、トンローの大通りを、クルマやオートバイを避けつつ横断する。目と鼻の先のセンターポイントグランデのロビーを奥まで歩き、エレベータを5階で降りる。そしてそこにあるLet’s Relax Spaの扉を押す。ここは日本にあるサウナ風呂の高級版だ。入浴料は700バーツ。受付の女の人が体温計を僕の額に向ける。僕は熱いスープを胃に収めたばかりで、しかも炎天下を歩いて汗をかいている。「あー、まずい」と一瞬、心配しかけたものの、体温は36.6度で、無事に入店を許される。
土曜日の現地紙は、バンコク最大の国鉄駅フアランポーンを、防護服に身を固めた職員が消毒する様子を載せていた。金曜日、空港からエアポートレイルリンクに乗る際に、僕は改札口で警備員に体温を測られた。そして今回の検温である。今、日本の駅で、プラットフォームを消毒しているところはあるだろうか、あるいは日本のスーパー銭湯やスポーツジムで、入場前に客の体温を測っているところはあるだろうか。
Let’s Relax Spaの造作は、まるで007の敵スペクターの秘密基地のように立派だった。しかし客は僅々5名。その空き具合もあって、風呂上がりに休む部屋の快適さは最高。本を持ち込んだものの、それを読める明るさではなく、しばし昼寝をする。いや、しばしよりは長かった。
いささか寝過ごして外へ出る。昨年トンローに滞在した6月にくらべて、どうも赤バスの本数の減った気がする。しかも渋滞が始まっている。ここからトンローの駅までは1キロ弱。汗はかきたくない。小さな接触事故でも死の可能性のあるモタサイはできるだけ避けたいものの、便利は便利だ。これを使ってsoi1のちかくまで、ほんの1、2分で移動する。そしてホテルに預けておいたふたつの荷物を引き上げ、駅のちかくで2時間のマッサージを受ける。
トンローから空港へ向かうときにはいつも、スクムビット通りに面した55ポーチャナーで、オースワンを肴に飲酒活動をする。今日も外の席に着き、オースワン、ソーダ、バケツの氷、そしてプリックナムプラーを頼む。
「弱くなったんだから、もう、あんまり飲まない方がいいよ」とは、このところ家内にたびたび言われることだ。それが頭にあって、ホテルの部屋を出るときには、ラオカーオは小さな空のペットボトルの半分ほどまでしか入れなかった。そのラオカーオが見る間に減っていく。
帰国便の時刻は先週の水曜日に、23:15発が23:45発に変更されている。「ラオカーオの残りは少ないけれど、あとひと品、頼むか」と、何年も前から外を担当している、金色に染めた髪を妙な具合に束ねたオバチャンに、メニュを持って来てもらう。そして昨年だったか、店内にいる現地の客が食べていて羨ましかった、豚の内臓の煮込みらしい写真を見つける。メニュのタイ語を読んでもらうと「サイフォロー」とオバチャンは言った。その発音はまた「サイパロー」と聞こえないこともない。とにかく”Crispy pork’s stomach”と英語の添えられたそれを注文する。
席に届けられたそれは豚の胃袋ではなく、小腸の煮込みだった。いずれにしても、この手は大好物である。残り少なくなったラオカーオは、2本目のソーダで薄く割った。
21:01 BTSスクムビット線とエアポートレイルリンクを乗り継いでスワンナプーム空港に着く。
21:39 ちょっとした列に並んで搭乗手続きを完了。
混んでいたのはタイ航空の一部のカウンターのみで、空港内は、これまで見たこともないような、人の少なさである。
21:54 保安検査場を通過
22:02 出国審査場を通過
旅の初日、僕の、マツモトキヨシの破れたプラスティックバッグを見かねて、マッサージのオバチャンがセブンイレブンのエコバッグをくれた。搭乗ゲートへ向かう途中の”DEAN & DELUCA”が売るトートバッグには、セブンイレブンのそれの、60数倍の値札が付いている。「バカ、あたりめぇじゃねぇか」と嗤う人もいるだろう。しかし僕の趣味からすれば、セブンイレブンのそれの方が、いかにも格好良く感じられてならない。
22:20 E1Aの搭乗口に達する。途中、僕でも入れるラウンジはあった。しかしそこで眠り込んでしまうことが怖いから、使うことはしない。
23:08 周囲に人の動く気配で目を覚ます。どうやら搭乗が始まったようだ、そしてバスに運ばれた先で飛行機に乗り込む。
朝飯 “SALIL HOTEL”の朝のブッフェ其の一、其の二
昼飯 エイトトンロー正面のセブンイレブン右手のガオラオ屋のガオラオ(大盛り)
晩飯 “55 Pochana”のオースワン、豚の小腸の煮込み、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2020.3.9(月) タイ日記(8日目)
2日間のバンコクMGを終え、先週の木曜日までとおなじ「何もしなくてもよい日」が戻ってきた。朝食も、いつもより時間をかけて摂る。バンコクに来て以来、天気はずっと晴れ。日影にいれば、汗はかかない。プールサイドへ降りようとしながら、部屋であれこれするうち10時を回る。時間がここまでくれば、先ずは買い物を済ませたい。タイでは法律により、酒類は、昼間は11時から14時までの3時間にしか買えないのだ。
ホテルからトンローの駅までは、徒歩で5分ほど。エカマイまではBTSでひと駅。運賃は16バーツ。
僕の最も好きなラオカーオ”BANGYIKHAN”は、バンコクではパタデパートでしか目にしたことがない。しかしこの店のあるピンクラオは、市の中心からは、いささか遠い。タイ料理の好きな人の集まるSNSでそのことを伝えたところ「トンローに滞在するなら、ゲートウェイエカマイ1階のマックスバリューで手に入る」と教えてくれた人がいる。
初めて足を踏み入れるゲートウェイエカマイの2階には、日本の食べ物屋ばかりが軒を連ねていた。エスカレータを降りてスーパーマーケットらしい一角を探す。いまだ11時前にて、酒類の棚には鎖が巡らされていた。よって時間までは、他の売場を見てまわる。ちなみにタイでは、スーパーマーケットでも市中でも、マスクは売り切れていない。
“BANGYIKHAN”は、首尾良く手に入れることができた。トンローの駅からホテルへ帰るあいだに昼食を摂り、社員への土産を買う。部屋に戻ってシャワーを浴びると時刻は12時25分。冷房を回してしばし休む。
午後はプールサイドに降りて本を読む。泳げば水温は高く、とても気持ちが良い。ホテルのオネーサンが注文をとりに来る。メニュを頼んでざっと眺め、西瓜のジュースを注文する。そしてこの旅で2冊目の本を百数十ページほどもこなしたところで寝椅子を離れる。
夕刻はBTSに乗ってサラデーンへ行く。腹はそれほど空いていない。しかしそれでは夕食が美味くない。”FOOT 150″と大書したマッサージ屋でフットマッサージを1時間だけ受ける。それにしても”FOOT 150″とは、どういう意味だろう。マッサージの料金は250バーツ。「サバイディーマイ、シャチョー」と、キャッシャーのオバチャンに声をかけられる。このあたり、つまり日本の企業戦士の慰安のために発達した盛り場では、若い男は「オニーサン」、一定以上の年齢の男は「シャチョー」と呼ばれる。いまだ昭和が生き残っているのだ。揉んでくれたオニーチャンには100バーツのチップを手渡す。
さて今夜の食事場所は珍平酒楼。入口に立つ案内のオジイサンや客席の様子は、古き良き時代の香港を僕に思い出させた。それにしても、そしてすべての店で可能なわけではないけれど、香港以南の、飲物を持ち込める料理屋は有り難い。いまだ外の明るいうちから夕食を摂るということも、何やら日本の夏のようで気分が良い。
ホテルに何時に戻ったかは、記録していない。もちろん、そう遅い時間ではなかったと思う。
朝飯 “SALIL HOTEL”の朝のブッフェ其の一、其の二
昼飯 「東明」のバミーヘン
晩飯 「珍平酒楼」のガイヤーン、スッキーヘン、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2020.3.8(日) タイ日記(7日目)
このホテルに入ったおとといは、部屋の、冷蔵庫の頭上の明かりの消し方が、どうにも分からなかった。しかたなく隣の部屋を掃除中のメイドを呼び、スイッチの場所を訊いた。果たしてそれは、冷蔵庫の上の電子レンジを横にどけた奥にあった。僕は用意しておいた20バーツ札を、その黒く小さく乾ききったオバチャンに差し出した。「こんなささいなことで、チップなどは、とてももらえない」と身振りで断るオバチャンの手に「まぁまぁ」と、その20バーツ札を押しつけた。オバチャンは「コップンカー」と、手を合わせて元の仕事に戻った。
コーヒーは、高いスターバックスを避けて屋台で買う。そういうところはケチなくせに、チップについては、これを払わないことには何とも気が済まない。きのうの全支出165バーツのうち、140バーツはチップである。
今日こそは赤バスに乗って、soi10のMG会場を目指す。外資系や「意識高い系」の喫茶店のそれとは異なって、タイの飲物屋台のコーヒーは、はじめから強烈に甘い。海外へ出ると、先ずは朝食のコーヒーに砂糖を入れる。そこに屋台のコーヒーを加えれば、摂取する砂糖は大変なものになる。今朝もsoi10の会場へは早めに着いたが、きのうの屋台でコーヒーを買うことはしなかった。
ところで僕は、MGはほとんど、ニシジュンイチロー先生によるものしか受けない。それは自分の、源流至上主義による。バンコクMGの講師タナカタカシさんは、自らが講師になっても、ニシ先生の下での勉強を欠かさない。タナカさんの講義は、いつも明快である。
さて、盤上に2日間で5期分の経営を展開するMGに「勝者こそ尊い」という考えは無い。しかし勝負であれば、表彰のあった方が、参加者の励みには、なる。表彰は、来期への備えを充分にした上で、到達自己資本の高かった順にされる。今回の最優秀経営者賞は、長崎県から参加したヤマモトジョージさんが588円で、優秀経営者賞は静岡県から参加のオガワヨーコさんが493円で、またおなじく静岡県から参加のウチヤマリョーイチさんが461円で、それぞれ得た。
夜に極端に弱いことによりバンコクMG1日目の交流会には出ないと、きのうの日記に書いた。しかし2日目の、早く始まり早くにお開きになる交流会には参加をする。場所はいつも、トンローsoi10を東へ歩けばすぐのイサーン料理屋だ。
今回のバンコクMGは、折からのコロナ騒ぎのあおりを受けて、現地法人から申し込んでいた方々は、ほどんどすべて参加を自粛した。日本からも、飛行機の減便を受けて、泣く泣く参加を諦めた人もいる。そのような中で開催にこぎつけてくれた主催者、事務局には、厚く御礼を申し上げたい。
ラグビー日本代表の田村優にそっくりで、きびきびと動き、しかも接客の好きなことがありありと見て取れるオニーチャンには100バーツ、「そのお客さんは濃い目だよ」と、僕の酒の好みを覚えて、お代わりを作ろうとした女の子に指示を飛ばしたオバチャンには50バーツのチップ。交流会は、19時30分に中締めをされた。
僕はひとり集団を離れ、エカマイの通りを北へ歩く。そしてsoi10からトンローの通りに出て、今度は南を目指す。ときおり後ろを振り向くも、赤バスはいつまでも来ない。とうとうsoi1まで歩き通す。そして部屋へ戻って、先ずは湯船に湯を溜める。
朝飯 “SALIL HOTEL”の朝のブッフェ其の一、其の二、其の三
昼飯 バンコクMGで支給の弁当
晩飯 “Sabai Jai Kai Yang”のソムタムタイ、パークペットード、パックブンファイデーン、プーパッポンカリー、サイクロークイサーン、カオパックン、他あれこれ、“Sang Som”(ソーダ割り)
2020.3.7(土) タイ日記(6日目)
その初回にお邪魔をし、以降、その6月の部に参加をしてきたバンコクMGは、今回で丸4年、第16回目を迎える。トンローsoi10のメジャータワーにある会場には、朝9時に入れると記憶をしていた。遅れてはいけないと、8時20分にホテルを出る。
トンローの大通りの範囲内なら、どこから乗ってどこで降りても8バーツの便利な乗り物が赤バスだ。これが来たら飛び乗ろうと、後ろを振り返りつつ歩くうち、遂にトンローsoi10まで来てしまう。時刻は8時30分。関係者の姿はいまだ見えない。
トンローは、バンコクでは洒落た通りと言われている。ちかくにスターバックスコーヒーのあることは知っている。しかしタイに来ながら星鹿印もないだろう。値段も高かろうと思う。すこし先の小路に店を出す、何年か前にも来たことのある飲物屋台で冷たいコーヒーを買う。価格は25バーツ。ふたたびメジャータワーに戻り、外でこれを飲みつつ誰かが来るのを待つ。
マネジメントゲームの初日の夜には交流会が催される。しかし僕は、夜には極端に弱い。おととしから、僕はその交流会には出ないようになった。会場へ向かいつつある一行とは、soi10のドンキホーテの前で別れた。そこに間もなく、バンコク在住の同級生コモトリケー君が到着をする。そして彼の会社のクルマでルンピニーまで移動をする。
コモトリ君はタイの国柄やタイ人の人柄は愛するものの、タイの料理はそれほど好まない。今夜はイタリア料理屋でご馳走になってしまった。
ホテルには、来たときのクルマで送ってもらった。そのあいだコモトリ君は、イタリア料理屋の隣のマッサージ屋でひと休みである。
トンローsoi1に近づいたところで速度を落とす運転手に「左に曲がってください」と案内をする。運転手は薄暗いsoi1にゆっくりと黒いワゴン車を走らせる。「真っ直ぐ、真っ直ぐ」と指示し、ホテルの前まで来たところで停まるよう言う。運転手には100バーツのチップ。
湯船に溜めた湯の中でくつろぎ、涼しい部屋で明日の準備をする。そのときやおら、隣の部屋が騒がしくなる。複数が声高に話し、部屋の戸を強く開け閉めし、更には壁に体をぶつけたりする。白人の騒がしさには、独特のものがある。
何度か廊下を覗ううち、遂に彼らの姿を捉える。「静かにしろ、眠れねぇ」と、強く抗議をする。時刻は21時20分。彼らはすぐに、静かになった。
朝飯 “SALIL HOTEL”の朝のブッフェ其の一、其の二
昼飯 バンコクMGで支給の弁当
晩飯 “Lido”のカプレーゼ、ポルチーニのリゾット、槍烏賊のフリット、カラフの白ワイン、コモトリ君が持ち込んだ”Tanqueray”(生)