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清閑 PERSONAL DIARY

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2020.2.16(日) 明確でも気づかない

目を覚まして枕の下からiPhoneを取り出し見る。時刻は2時台。起きるにはいかにも早すぎる。次に気がつくと、4時がちかくなっている。またまた眠りに落ちれば寝過ごしの恐れがある。よって即、起床して食堂に出る。時刻は4時15分。朝はやはり、これくらいの余裕は欲しい。

ところで「これくらいの余裕は欲しい」と書きながら、その空いた時間を何に使うかといえば、ほとんど何もしない。ことによると僕は、早朝の、何もしない時間を捻出するために規則正しい生活を送っているのかも知れない。

午前、すこし困ったことにつき、昨秋、コンピュータに記録した人に電話を入れる。話し合いは穏やかに進み、心配ごとは、とりあえず解決した。その結果を、本日は3名全員が出社した事務係に伝える。

ささやかなものではあるけれど、解放された気分を感じつつ4階の食堂に上がる。そしてお茶を淹れる。目の前の棚に、これまでその上に封筒が重ねられていたため気づかなかった、昨年に買ったバンコクの案内本が見える。amazonに注文をしたものの、届いてみれば、自分には用の無い本だった。僕は旅先では、ほぼ何もしない。何もしない人間に案内は不要である。それほど明確なことに、僕はなぜ気づかなかったのだろう。


朝飯 豚三枚肉と切り昆布の炒り煮、人参と牛蒡のきんぴら、トマトと南瓜とレタスのサラダ、菜花と小柱の辛子和え、ごぼうのたまり漬、沢庵の油炒め、メシ、大根と若布の味噌汁
昼飯 バターとママレードとブルーベリージャムとらっきょうのたまり漬の焼きバゲット、ヨーグルト
晩飯 トマトとモッツァレラチーズのサラダTIO PEPE刻みキャベツを添えたメンチカツチーズCHATEAU DUCRU BEAUCAILLOU 1982苺のシュークリーム、Old Parr(生)


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2020.2.15(土) お彼岸まで5週間

「こんなに明るくなっても、閉めちゃっていいんでしょうかね」と販売係のササキユータ君に訊かれたのは、記憶は定かではないけれど、10日か2週間ほども前のことだ。明るかろうが何だろうが、ウチは昨年の9月21日から、閉店時間は17時30分と決めた。野球の投手の登板間隔と同じく、このようなことは、決めたからには守らなくてはならない。それに、10日か2週間ほども前といえば2月のはじめで、17時30分の空は、いまだ夜に近かったはずだ。

僕の日程管理に検索をかけてみれば、国道121号線に沿って立つ看板の照明は、10月10日に電源を入れるよう記してある。しかしその電源をいつ切るかについての覚え書きは無い。10月10日といえば、秋彼岸の2週間後。とすれば、看板の電源を落とすのは春彼岸の2週間前、というあたりが順当かも知れない。

日本橋高島屋で2月12日から18日までの7日のあいだ開かれている「老舗名店味紀行」は、今日で中日を越えた。準備日から現場に詰めていたハセガワタツヤ君は本日、ササキユータ君と交代をする。そういう次第にて、15時45分にササキ君を東武日光線の下今市駅までホンダフィットで送る。

閉店直前の17時25分に、外へ出て空の具合を確かめる。看板の照明はやはり、いまだしばらくは、点けておく必要があるだろう。


朝飯 蕗と姫竹とグリーンピースの炊き合わせ、菠薐草のソテー、厚揚げ豆腐の網焼き、豚三枚肉と切り昆布の炒り煮、こんにゃくの煮つけ、ごぼうのたまり漬、メシ、菜花と茎若布の味噌汁
昼飯 バターとブルーベリージャムとらっきょうたまり漬のトースト、ヨーグルト
晩飯 春雨サラダ、なめこのたまり炊によるなめこおろし、河豚の唐揚げ、ごぼうのたまり漬、麦焼酎「安心院蔵」(お湯割り)、「岡埜栄泉」の大福、TIO PEPE


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2020.2.14(金) タクシーでシンガポールへ行く話

警察の催しにオヤジと出かけて、町内の自動車整備工場「エガワ自動車」の脇まで戻ってくる。今日の移動手段はタクシー。オヤジはこのまま宇都宮へ行くという。それなら渡りに船だ。僕は夕刻の便で香港へ行く。宇都宮からは、羽田空港までのバスが出ている。

タクシーの運転手が、宇都宮へ向かう旨を会社に無線で知らせる。ところがタクシー会社の社長はそれを許さない。これほど陽気の良い日に宇都宮まで足を延ばすとは、ピクニックあるいはドライブで、それは仕事ではなく遊びだ、と言い張っているらしい。おかしな理屈もあるものだ。僕は怒り心頭に発し、その社長に電話を入れようとするが、うまく繋がらない。

事を荒立てる必要はない、運転は自分ですればいいのだと、オヤジはタクシーの運転席に着く。僕はスーツケースをトランクに収め、助手席のドアを開く。運転は自分でしながらタクシー料金は払うということに、僕はいまだ、釈然としない気持ちをかかえている。

タクシーはやがて宇都宮の街に達する。そこで小休止のため喫茶店に入る。強い日差しを避けるため、店のひさしは低い。薄暗く古ぼけた店の、簡素なテーブルに着く。客は白人ばかりだ。テーブルの真ん中には大きなガラス瓶があって、中にはバゲットが立ててある。左手ふたり目の女の人が、1本だけ残っていたそれをそこから取り出す。左隣の男の人は、そのバゲットに太く長いソーセージを挟み込んだ、巨大なホットドッグ状のものを食べている。

場所は、数十年前のシンガポールだった。喫茶店のオバサンが僕に近づいてくる。僕は熱いお茶を、なぜかタイ語で注文した。

眠りと覚醒の境界が薄れていく。枕の下でiPhoneが鳴る。時刻は5時。そこで、今日は製造現場に早朝の仕事のあったことに気づく。そして着替えて食堂に出て、先ずは湯沸かしの電源を入れる。


朝飯 鮭の焼き漬け、細切り人参の炒り煮、豚三枚肉と切り昆布の炒り煮、筑前煮、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐とクレソンの味噌汁
昼飯 バターとブルーベリージャムとらっきょうのたまり漬のトースト、ヨーグルト
晩飯 トマトとクレソンとマカロニのサラダ刻みキャベツを添えた牡蠣フライと鶏の唐揚げPetit Chablis Billaud Simon 2016チョコレート、Old Parr(生)


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2020.2.13(木) あの時代の旅行

「私は来年五月までニ渡米、南米からロオマのオリンピツクなどと考へて居ますがどうなりますやら」とは、昭和34年、つまり1959年10月13日の日付を記した、川端康成から三島由紀夫への手紙の一部だ。このとき川端は60歳。

今、1960年のローマオリンピックについて調べてみれば、開会式は8月25日とある。大作家の旅行なら、行く先々に案内役がいて、世話をしてくれることは間違いない。それにしても、5月にアメリカに入って南米に下り、そこから大西洋を横断して8月にイタリアとは大旅行で、川端はよほど体力に自信があったとみえる。

新潮文庫の「川端康成・三島由紀夫往復書簡」の巻末にある川端の年譜の、1960年には「五月、アメリカ国務省の招きで渡米。続けて七月に、ブラジルのサンパウロで開催された国際ペンクラブ大会に、ゲスト・オブ・オナーとして出席し、八月帰国」とある。川端は、本当に行ったのだ。

日本が海外への渡航を自由化したのは1964年。その4年前であれば、行く先々での不便は想像してあまりある。しかし逆に、面白いことも多々あったに違いない。同文庫の三島の年譜に目を移してみれば、こちらもまた、一旦海外に出れば、その旅程は数ヶ月に及ぶ。滅多に得られない機会ゆえ、それを最大限までしゃぶり尽くそうとしたのだろう。

「あの時代に小型のビデオカメラがあって、動画と音声が残されていたらなぁ」と、つくずく思う。川端や三島のそれに、ではない、あの時代の旅行というものに、興味があるのだ。


朝飯 蕗と姫竹の炊き合わせ、生玉子、白菜漬け、ごぼうのたまり漬、牡蠣飯、菜花の味噌汁
昼飯 バターとブルーベリージャムとらっきょうのたまり漬のトースト、チーズ入りパン、ヨーグルト
晩飯 トマトとクレソンとマカロニのサラダハムエッグPetit Chablis Billaud Simon 2016蓮根餅、TIO PEPE、チーズ、Old Parr(生)


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2020.2.12(水) 隠居の厨房

3月下旬に開業する、朝食に特化した「汁飯香の店 隠居うわさわ」に、今日は厨房器具が設置をされる。企画担当の長男および調理担当の家内は日本橋高島屋へ出張中のため、現場監督は僕に託された。

昼食を早めに済ませて事務室で業者を待つ。13時に冷蔵庫が運ばれてくる。「職人さんは…」と、運転手が言う。「職人さんと言われても…」と困惑しているところに厨房機器の会社「タニコー」のトラック2台が到着をする。「なるほど職人さんとは彼らのことだったか」と、先ずは3人を隠居に案内する。

現場にもっとも近い駐車場を教え、隠居にトラックを後退で入れられる戸を開く。彼らはすぐに要領をのみこみ、次の行動に移った。そのうち厨房を設計した「リビングカマトク」のアキザワマサアキさんも到着する。

家庭用のそれよりはるかに大きな冷蔵庫やガス台や調理台が、果たして築150年の伝統家屋の、狭い隙間を縫って奥まで入れられるものだろうか。しかしさすがは本職、4時間と少々という時間は要したものの、すべては真新しい厨房に隙無く収まった。

一方、僕はその4時間と少々のあいだに家屋の内外をくまなく回り、これから解決すべきこと30件弱を箇条書きにした。試験操業は、1ヶ月の後に迫っている。


朝飯 茹でたブロッコリー、鮭の焼き漬け、豚三枚肉と切り昆布の炒り煮、細切り人参の炒り煮、沢庵の油炒め、ふきのたまり漬、メシ、若布と菠薐草の味噌汁
昼飯 バターとらっきょうのたまり漬とブルーベリーのジャムのトースト、ヨーグルト
晩飯 生のトマト、白菜漬け、Petit Chablis Billaud Simon 2016、ハッシュドビーフのソースをかけたスパゲティCHATEAU DUCRU BEAUCAILLOU 1982チーズ、TIO PEPE


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2020.2.11(火) 心ゆたかに

2月12日から18日までの7日のあいだ、日本橋高島屋で「老舗名店味紀行」という催しがある。場所は本館の地下1階。上澤梅太郎商店は、ここに参加をさせていただく。

準備は先月から怠りなく進められた。そして本日できたての品を載せて、長男と販売係のハセガワタツヤ君は14時に、使い初めのトヨタハイエースで会社を出発した。ハセガワ君は土曜日まで現場に詰め、日曜日からは代わってササキユータ君が売場に立つ。家内は昨年から東京に泊まり込むことを止め、日光と日本橋のあいだを通勤することになった。

これから8日か9日のあいだは、僕は夕食はひとりで摂る。暖冬とはいえ2月であれば、夜に外へ出る気はしない。出来の良し悪しは別として、自炊は一向に苦にならない。残り物や自作のあれこれに、ワインか焼酎さえあれば、心ゆたかに過ごせるというものだ。

終業後、ひと気のない製造現場に、明早朝に使う白衣や帽子やマスクを運ぶ。それから4階へ上がって湯船にお湯を溜める。タイマーは14分。そしていそいそと、夕食の準備に取りかかる。


朝飯 豚三枚肉と切り昆布の炒り煮、菠薐草のおひたし、厚揚げ豆腐の網焼き、細切り人参の炒り煮、鮭の焼き漬け、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と大根の葉の茎の味噌汁
昼飯 玉葱と若布のうどん
晩飯 トマトのサラダおとといの夜に残った鶏肉とマカロニのグラタンPetit Chablis Billaud Simon 2016、チーズ、Old Parr(生)


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2020.2.10(月) 冬の景色

1982年から行きつけだった、住吉町のカトー床屋が昨年、店を閉めた。行きつけの床屋を換えるとは、行きつけの飲み屋を換えるよりも、ことによると難しい。オヤジさんが店を休みがちになった最後の1、2年から、新橋の大衆床屋をしばしば使うようになった。僕の仕事はほぼ年中無休で、決まった休みは無い。東京まで出てしまえば電話がかかってくることもなく、心も落ちつこうというものだ。

下今市07:45発の上り特急スペーシアに乗る。幾駅か過ぎたところで、すこし後ろの席の老人が、電話で誰かを責め始めた。「自分は4号車が良かったのに、そこは満席と、5号車に回された。しかし乗り込んでみれば、4号車には空席がたくさんあるではないか」と、くどくどと駅に苦情を述べ立てている。列車内での電話による通話は、デッキ部分に限られている。老人は、自分の正義にのみ忠実な人なのだろう。というか、こういう手合いは老人にこそ多い。

10時すぎに大衆床屋へ行く。待ち客は8人。ここできびすを返せば、次の機会は数週間後になるだろう。30分ほども待ってようやく僕の番になる。散髪は、カトー床屋の半分以下の、40分ほどで完了。そこから有楽町、銀座、日本橋と経由をして、夕刻に北千住に至る。それらいずれの場所でも空は晴れ上がり、太陽の光は建物や人に直射して、目に見えるすべてを平板にしている。とても美しい、冬の景色だ。


朝飯 豚三枚肉と切り昆布の炒り煮、納豆、なめこのたまり炊によるフワトロ玉子、細切り人参の炒り煮、茹でたブロッコリー、ごぼうのたまり漬、沢庵の油炒め、メシ、菜花の味噌汁
晩飯 「天七分店」のあれやこれや、他あれこれ、チューハイ、それを濃くするための「ナカ」、日本酒(燗)


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2020.2.9(日) 孫よりも先に

夜明け前に製造現場に降りてはじめて、風の強く吹いていることに気づく。頭上から、屋根の風を切る音が聞こえる。蔵の、それぞれ北東と南西に面したシャッターが、大げさに言えば、アコーディオンの胴体のようにたわむ。それによって蔵の中の気圧が変わるのか、機械類を覆ったビニールシートが揺れる。このような夜を経た朝の掃除は、なかなか厄介だ。枯れ葉が、そこここに吹き寄せられるのだ。

風の強い朝はまた、空は綺麗に、鮮やかに澄むことが多い。今朝の空もその例に漏れず、雲は、東の彼方に少しばかりあるのみだった。

午前、食堂に森川七月の”& Jazz”を流しながら、1,000円札の新券と並券を50万円ずつ卓上に用意し、それらを交互に重ねていく。11曲目の”Your Song”の、歌詞が”So excuse me forgetting, but these things I do.”に差しかかったところで計100万円の釣り銭を作り終える。紅葉の時期ならいざ知らず、今はお客様も少ない。これだけあれば、こと1,000札に限っては、しばらく保つだろう。

夜は長男夫婦が留守にしたため、3歳3ヶ月の孫の面倒は家内が見る。夕食の後、風呂から上がって寝室に入ると、孫は僕の枕の横ではしゃいでいた。僕はいつものように横になり、天井の明かりが点いたままにも関わらず、即、眠りに落ちる。


朝飯 豚三枚肉と切り昆布の炒り煮、納豆、菠薐草のおひたし、細切り人参の炒り煮、沢庵の油炒め、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と長葱の味噌汁
昼飯 バターと苺ジャムとらっきょうのたまり漬のトースト、キャベツと豚肉のスープ
晩飯 トマトとブロッコリーのサラダ鶏肉とマカロニのグラタンPetit Chablis Billaud Simon 2016「久埜」の草餅、Old Parr(生)


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2020.2.8(土) マスクに加えて

この歳で、全寮制の高等学校に入学した夢を見た。初めての環境に対する戸惑いは、48年前に経験したものと変わるところがなかった。幸いにも、というべきか、夢はすぐに終わった。目を覚ますと時刻は3時52分だった。

中華人民共和国の武漢で発生した新型コロナウイルスによる肺炎が、留まることなく世界中に広がっている。中国以外でもっとも感染者の多く見つかっているのは日本だ。マスクは既にして市場から払底している。加えて医療用のアルコールも不足しているらしく、それを個人病院の院長が心配する様を、先日はテレビが伝えていた。

ウチでは社内の各部署にアルコールスプレーを備えている。各々の残量は充分ながら、そこに継ぎ足すための、大元の在庫が空になった。僕が目端の利く人間なら、肺炎についての報道が喧しくなりつつあった昨月のうちに注文をしていただろう。

心配をしながらいつもの店に電話を入れる。果たして一斗缶入りのそれは、いまだ普通に流通をしていたから胸をなでおろす。この18リットルを使い果たす頃には、騒ぎも収まっていて欲しいものと思う。


朝飯 納豆、じゃこをのせた菠薐草のおひたし、煮奴、細切り人参の炒り煮、牡蠣と切り昆布の甘辛煮、ごぼうのたまり漬、メシ、三つ葉の味噌汁
昼飯 バターとママレードを分厚く塗ったトースト、ヨーグルト
晩飯 ルッコラとベビーリーフのサラダチキンライスロールキャベツPetit Chablis Billaud Simon 2016チーズ、Old Parr、“Chez Akabane”のショートケーキ


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2020.2.7(金) 稼働開始

きのうは20時に寝室に入った。今朝は2時30分に目が覚めた。きのうは宴会だったから、普段よりも酒量は多かった。二日酔いにならなかったのは、二次会への誘いを丁重にお断りし、すると先方もそれ以上は押すことをしなかったからだ。多いにありがたい。

既にして書けていたおとといの日記に食事の画像をはめ込む。しかし最上部に置くべき大きな画像は用意できていないため「公開」ボタンはクリックできない。僕の日記では、よくあることだ。そしてきのうの日記を書き、やはり食事の画像のみ設置をする。

朝食の準備を始めるべき時間までは、いまだ充分に余裕がある。よって今日の日記のここまでも書く。24度に設定したエアコンディショナーの風を暖かく感じないのは、外の気温が低いせいだろう。春日町の交差点付近から聞こえていた夜間工事の音は、いつの間にか止んだ。

社員の出勤する時間になって、事務室のシャッターを上げる。そのとき改めて、きのう宴会で留守にしているあいだに、新しい営業車であるトヨタハイエースが届いていたことに気づく。このクルマは来週からの、日本橋高島屋での出張販売において、稼働開始の予定である。


朝飯 菠薐草のおひたし、細切り人参の炒り煮、揚げ玉と長葱を薬味にした冷や奴、ごぼうのたまり漬、沢庵の油炒め、牡蠣と切り昆布の甘辛煮、メシ、大根と若布の味噌汁
昼飯 バターとママレードを分厚く塗ったトースト、ヨーグルト
晩飯 軟骨ソーキと大豆とブロッコリーと人参のスープレタスのサラダ合鴨とトマトのスパゲティCHATEAU DUCRU BEAUCAILLOU 1982


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上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

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