2019.11.16(土) 恵比須講
この週末は、紅葉狩りの観光客がもっとも多く日光鬼怒川に詰めかけるはずだ。その土曜日の本日にはまた、10時30分から、市役所職員による地震と家屋についての出張講座が町内公民館で開かれる。11時には取引先の来訪が予定されている。更に今夜は恵比須講のため、家内はその料理にかかりきりで店にはなかなか出られない。重なるときには重なるものだ。
11時すこし前にiPhoneが震える。取引先が来たことを報せる、事務係カワタユキさんからの電話だった。出張講座を中座することは、町内役員や市役所の人にはあらかじめ断ってあった。即、会社に戻る。事務室では取引先と長男が、既にして商談を始めていた。
農家では五穀豊穣を祈り、商家では商売繁盛を祈る恵比須講を、ウチは旧暦で行う。旧暦の方が感じが出る、ということもあるし、新暦では年末に当たって余計に忙しい、ということもある。
閉店は17時30分。18時までの30分間は、掃除や後片付け。それから15分も過ぎればすべての社員は帰宅する。18時45分に自宅へ上がる。その和室の床の間には、既にしてお膳が整っていた。一対の蝋燭に火を点し、家族5人で二礼二拍手一礼をする。
これでひと安心。明日も忙しい1日になるだろう。
朝飯 納豆、冷や奴、白菜漬け、ふきのたまり漬、メシ、缶詰の鯖と万能葱の味噌汁
昼飯 3種の佃煮、大根の千枚漬け風、ふきのたまり漬によるお茶漬け
晩飯 鰤の煮つけ、ほうれん草のおひたし、紅白なます、けんちん汁、麦焼酎「ひゅうが晴」(お湯割り)、「廣尾瓢月堂」の「六瓢息災」、Old Parr(生)
2019.11.15(金) 大抵のことは個々に帰する
「悪りぃと思って訊かなかったけど、カラダ、大丈夫」と、店に来た町内のタケダショージさんは僕の表情をうかがった。「大丈夫ですよ」と答えると「いや、ここんとこ、ずいぶん痩せたように見えるからさ」と、タケダさんは付け足した。
自分の体重は63キロが最上と考えていた。このときのBMI値は22.3である。2014年の正月にいささか食べ過ぎの感を覚えて久しぶりに体重計に乗ってみた。体重は案に相違して61.5キロに減っていた。その後も体重は漸減し、現在のそれは知らない。家にあるバネ式の古い体重計をここ数年は信用せず、年に1度か2度、温泉旅館などの浴場にあるそれを使うのみだったからだ。
先日、家内がタニタの最新式の体重計を買った。これを本日、風呂上がりに使ってみた。最新式だから、ただ乗れば良い、というものではない。試行錯誤しつつあちらこちらのボタンを押し、ようやく示された数字は57.7キロだった。
検索エンジンに「BMI 計算機」と入れて現れたページにそれを入れてみる。結果は「BMI20.44、適正体重62.9kg、適正体重より-4.39キロ」というものだった。
加齢と共に太る人がいる一方、痩せる人もいる。昨年、業界の旅行のときにこの話題を出したところ、両者の数は半々で拮抗していた。傾向としては、太る方はそれを嘆き、痩せる方は恬淡としている例が多いように思われた。太る、痩せる、変わらないのうち、いずれがもっとも健康的かは、個々に帰することだろう。
朝飯 大根の千枚漬け風、納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、牛蒡のきんぴら、秋刀魚の梅煮、ふきのたまり漬、メシ、きのうの鍋の残りによる味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 トマトとアボカドとベビーリーフのサラダ、長葱のコンフィとラタトゥイユを添えたハムのステーキ、たまり漬「鬼おろしにんにく」によるガーリックライス、Petit Chablis Billaud Simon 2016、自由学園のクッキー、Old Parr(生)
2019.11.14(木) 人生史上最強の
宇都宮のカイロプラックティックでの、ことし1月11日から数えて39回目の今日は治療日だ。治す場所は背中の右側、左の肩ときて、現在は右膝に集中している。
右膝の不調に気づいたのは2013年の7月、カトマンドゥ郊外の低山シヴァプリに登って下りた直後だった。右膝に、外側から押されてX脚になったような感触を覚え、且つ痛んで、階段の上り下りが不自由になった。痛みは1週間か10日で去って、以降は放置をした。それを、背中の痛みのために訪れたカイロプラクティックで見事に見抜かれた、というわけだ。
右膝の周辺およそ7ヶ所に9,000ボルトの電子ペンを押し当てられると、皮膚が破れるのではないか、思われるほどの痛みを感じる。その痛みは、固まりきった筋が緩むに従って和らぐ。この治療を2週間に1度の割合で、先月の末までにどれほど続けただろう。快方に向かってはまた元に戻ることを繰り返すうち業を煮やしたのか、前々回から先生は攻撃の矛先を、膝から右太ももに転進させた。
電子ペンによる痛みには無言で耐えられる。しかしこの、右太ももの筋肉や靱帯をヒジで攻めていく施療には悲鳴を上げて七転八倒した。7日間は蹲踞もできなかった。正座ができるまでに10日もかかった。その2週間後の責め苦には何とか耐えられた。今日の攻撃も、痛いことは痛かったが、何とか逃げずに受け通せた。先生によれば、膝は徐々に、快方に向かっているらしい。
右の膝は、年内には復旧するのではないかと、希望を伴いつつ観測をしている。腰痛などは数十秒の、頸骨の調整だけで雲散霧消させる、人生史上最強の治療院なのだから。
朝飯 牛蒡のきんぴら、納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、大根の千枚漬け風、秋刀魚の梅煮、ふきのたまり漬、メシ、里芋と万能葱の味噌汁
昼飯 “COCO’S”のカキフライランチ
晩飯 だし巻き玉子、大根の千枚漬け風、ふきのたまり漬、柿の葉すし、肉団子と白菜の鍋、麦焼酎「ひゅうが晴」(お湯割り)、柿
2019.11.13(水) 3回くりかえして
下りの始発特急の乗車率は、いつも2割くらいのものだ。だからその特急券の買えるウェブページには、地下鉄千代田線が北千住に着いてからアクセスした。ところが今日に限っては6両編成に、片手で数えられるくらいしか席が空いていない。即、意に沿わない通路側の席をひとつ確保する。
大きなスーツケースを曳く人たちと団子のようになりながら、浅草から来た特急スペーシアに乗り込む。指定された席には、窓際に座った人のカバンとコートがあった。「すいません」と声をかけても、相手はスマートフォンに指を滑らせることに熱中している。「すいません」を3回くりかえしたところで「外国人だろうか」と不審に思う。その瞬間「あら、スミマセン」と、女の人はようやく通路に立ちつくす僕に気づいた。
鉄橋の骨組みが、目に留まらない速さで過ぎていく。それを透かして青い空と枯れた草と利根川の黒い流れが見える。乗客のほとんどは、日光へ向かう紅葉狩りの観光客だろう。「晴れて良かったね」と腹の中で言う。「でも混んでるぞ」と、これまた腹の中で言う。
日光、鬼怒川の行楽地は、今週末に混雑の頂点を迎える。そして来週末の連休まで賑わう。それが過ぎれば冬へ向かってまっしぐらだ。10月の災害を思えば、例年どおりの繁忙は、いかにも有り難い。
朝飯 「小諸蕎麦」のたぬき蕎麦、ライス
昼飯 ラーメン
晩飯 2種の茸のスパゲティ、ラタトゥイユとベビーリーフと茹でたブロッコリーを添えたビーフステーキ、無花果の赤ワイン煮、Cateau Puygueraud Haut Cote de Bordeaux 2010、自由学園のクッキー、Old Parr(生)
2019.11.12(火) 焼き鳥屋修業
練習しなければ上達しない、というものが苦手だ。子供のころピアノを無理やり習わされていた。それが原因かも知れない。例外は文章である。文章に対してだけは、指導を受け、それに従い、向上する意欲がある。
2週間ほども前の夕刻、facebookから飛んだ先で、文章についての教室のあることを知った。参加の申込みは翌早朝にした。人見知りの僕にしては素早い判断だった。
地下鉄新宿線の市ヶ谷から地上へ出る。時刻は18時15分。iPhoneにgoogleマップを開く。指定された場所は、見知った書店や喫茶店の入るビルの上階だった。会場の長机には、お茶のペットボトル21本が並べられていた。すなわちそれが、今夜の参加者の数なのだろう。最前列かつ中央の席に着く。
定刻の19時に講師の下川裕治が登壇する。最初の30分間は「これで最後まで話が保つのだろうか」と案じたものの、それは杞憂だった。研修に含まれるワークショップは大抵、鬱陶しくて好きでない。しかし今夜のそれは例外だった。予定の21時30分を過ぎても、講師と参加者による質疑応答はしばらく続いた。結論として、今夜の勉強会は、とても身になった。
遅い夕食の最中に鴨志田穣の紀行文を開く。あらためて読むその文章は、先ほど教えられたばかりの「定石」に見事に一致をしていた。鴨志田穣が修業をしたのは焼き鳥だけではなかった。それをこれまで気づかずに来てしまったのは、勿論、僕の不覚による。
朝飯 牛蒡のきんぴら、納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、秋刀魚の梅煮、生のトマト、大根のぬか漬け、ふきのたまり漬、メシ、若布と揚げ湯波と万能葱の味噌汁
昼飯 「セブンイレブン」の2種のおむすび
晩飯 「三幸園」の皮蛋、木須肉、紹興酒「古越龍山銀龍」(常温)
2019.11.11(月) 豆腐
目を覚ますと時刻は2時26分。起きるにはいかにも早すぎる。iPhoneでウェブニュースを読んだり、それに疲れて闇の中でひっそりと休んだりして、ふたたびiPhoneのホームボタンを押すと時刻は4時56分になっていた。2時間半のあいだ目を覚ましたままとは、いくらなんでも考えづらい。気づかないうちに眠ったり目を覚ましたりを繰り返していたのだろう。5時を過ぎての起床は僕に著しい「損した感」を覚えさせる。即、掛け布団を跳ね上げ床に足を降ろし、着替えを始める。
おとといの日記のための画像を食堂で加工しながら、外を走るクルマの、路面の雨水を切る音を聞く。「週末は、よく天気が保ってくれたな」と、有り難く感じる。しかしいつまでその水の音を愛でているわけにはいかない、製造現場へ降りて、きのうのうちに用意しておいた白衣を身につけ、不織布による帽子をかぶり、マスクをして朝の仕事に従う。
今朝のお膳には冷や奴がある。朝の冷や奴、つまりごはんのおかずにするそれは好きだ。しかし夜に酒の肴として冷や奴を口にすることはない。夜のお膳には、豚肉と共に煮られた豆腐があった。酒の肴には、暖かい豆腐が似合う。その肉豆腐を孫のリコは食べない。訊けば「豆腐は味噌汁が好きなんだよ」と言う。
豆腐ひとつをとっても、人の好みには、色々と難しいものがあるらしい。
朝飯 秋刀魚の梅煮、2種の茸のソテー、冷や奴、生のトマト、茹でたブロッコリー、ふきのたまり漬、メシ、シメジと若布と万能葱の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 刺身湯波、牛蒡のきんぴら、肉豆腐、鮪の付け焼き、ふきのたまり漬、メシ、なめこの味噌汁、麦焼酎「ひゅうが晴」(お湯割り)
2019.11.10(日) 花と紅葉
10月15日の、オフクロの祥月命日に供えた花は、折に触れ如来寺のお墓を訪ね、水を換えてきた。しかし3週間以上も経れば、さすがに片づけ時だろう。そう考えて今朝も見に行くと、花立てにはこれまでの白菊に代えて色とりどりの可憐な菊が、いまだ瑞々しくあった。どなたがお供えくださったかは不明ながら、とてもかたじけなく思う。そしてその水を新しくして会社に戻る。花は、来週のオヤジの祥月命日までは、余裕綽々で保つだろう。
「東京の人は東京タワーを観ない」という、箴言ともとれる話がある。それとおなじく、かどうかは知らないけれど、僕は紅葉を観ない。家の庭の紅葉や、せいぜいおなじ町内の紅葉は目に入るものの、景勝地の紅葉をわざわざ観に行くことはしない。店には観光のお客様もいらっしゃるから、本来であれば、そのお客様にあれこれご説明ができるよう、まめに観に行くべきなのだろう。しかし年中無休で動く僕には、その時間が捻出できないのだ。
旅館や物産店に味噌や漬物を配達していたむかしを思い起こしてみれば、もっとも美しいと思われた紅葉は、鬼怒川温泉と川治温泉のあいだに色づくそれだった。今年の紅葉は、どのような具合だろう。
朝飯 オムレツ、茹でたブロッコリー、生のトマト、納豆、胡瓜のぬか漬け、メシ、きのうの鍋の残りによる味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 Noilly Prat、南瓜とレタスのサラダ、ポトフ、自家製パン、Petit Chablis Billaud Simon 2016
2019.11.9(土) 歯止め
「終活」という言葉はウィキペディアによれば2009年に世に出て2010年の「新語・流行語大賞」に候補のひとつとして挙げられ、2012年のやはり「新語・流行語大賞」でトップテンに選出されたとある。「人生最後のクルマ」という表現は自分の死を、死が大げさなら老いを強く意識したもので、これが言い始められたのも、あるいは「終活」という言葉に影響を受けてのものかも知れない。
周囲の幾人かが「人生最後のクルマ」として選んだそれぞれを思い起こしてみれば、既にして老いた自分にふさわしい無難なものから、みずからの履歴の中でもっとも高価なもの、あるいはもっとも馬力重量の大きなものと、様々だ。最後の「もっとも馬力重量の大きなもの」は「最後のクルマ」とはいえ、しばらくは体力気力を充実させておく必要がある。
指折り数えてみれば、僕は8台のクルマを所有してきた。その8台のうち、最後の1台を手に入れてから四半世紀が経つ。言い換えれば、四半世紀ものあいだクルマは買っていない。そして2013年秋の断捨離以降は特に「個人のクルマは終生、買うまい」と決めた。
しかし僕はときおり小石に躓くようにして、簡単に間違いを犯す。「人生最後のクルマ」を免罪符にしつつロータスセブンなど注文することのないよう、取りあえずはデニス・オーテンバーガー著、新村達夫訳、二玄社刊による「Lotus Seven スポーツカーの原点」をamazonより取り寄せて、これを読み始める。
朝飯 切り昆布の炒り煮、納豆、トマトのソテーを添えたハムエッグ、胡瓜と大根のぬか漬け、ふきのたまり漬、メシ、大根と揚げ湯波の味噌汁
昼飯 カレーライス、ふきのたまり漬、らっきょうのたまり漬
晩飯 鮪の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」とたまり漬「鬼おろしにんにく」によるヅケ、里芋と牛肉の肉じゃが風、「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」による松前漬け、肉団子と白菜と春雨の鍋、麦焼酎「ひゅうが晴」(お湯割り)
2019.11.8(金) 紅葉狩り
体育の日を含む連休から、紅葉狩りによる繁忙が日光地方では始まる。最寄りの銀行へは、多いときには週に2度も、釣り銭を作る両替のため通うことになる。ところが今年の10月は、第2土曜日の12日に台風19号が吹き荒れて、列島の特に関東甲信越以北は甚大な被害を被った。当日、意地で店を開けたウチの売上金額は、前年同日の1割以下。夕刻にご来店くださったお客様は、日光東照宮からウチまでの8キロメートルに、土産の買えそうな店はすべて閉まっていたとおっしゃった。
その、台風19号による傷に被災者がいまだ呻吟している次の土曜日にも、列島を大雨が襲った。災害に備えての、食料品などの買い溜め需要のあった一部を除いて、この10月は大きな損失を、多くの法人や人々は被った。いまだ途方にくれている人たちも少なくないだろう。我々は、はやくこの苦境から脱しなくてはならない。
幸いなことに、日光地方には11月に入ってから、観光のお客様が急速に増えてきた。今日にも底を突きそうな釣り銭を補給するため、10時に銀行へ行く。週末に晴れるのは8月末以来のことと、テレビの天気予報が伝えている。行楽の秋の、できるだけ長く保つことを祈るばかりだ。
朝飯 茹でたブロッコリー、納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、切り昆布の炒り煮、胡瓜と大根のぬか漬け、ふきのたまり漬、メシ、里芋と万能葱の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 Noilly Prat、トマトとレタスと2種の茸のサラダ、鶏とマカロニのグラタン、Petit Chablis Billaud Simon 2016、メロン
2019.11.7(木) 胸をなで下ろす
孫の七五三は今月14日に祝う予定でいたところ、その日は保育園で誕生日会が開かれることが後に分かった。「お着物を着るのと、お誕生日会と、どっちにする」と嫁のモモ君が訊くと「お誕生日会」と孫のリコは答えたという。そういう次第にて、七五三の日程は1週間を前倒しして、今日に変更をされた。
9時55分に写真屋さんが来る。10時30分に予約したとばかり考えていた当方は大慌てである。髪を結って赤い着物を着た孫は、可愛いことは可愛いけれど、機嫌はあまり芳しくなく、母親の胸に抱かれて降りようとしない。外へ出たところで被布を着せかけると「紫色は嫌いだ」と、どうしてもそれに袖を通さない。髪飾りも着けさせない。草履も履かない。「いいよ、いいよ」と、そのまま写真を撮ってもらう。
そこからクルマで瀧尾神社へ向かい、昇殿をしてタナカノリフミ宮司に祝詞を上げてもらう。その後、千歳飴を手渡されたあたりでようやく機嫌を直し、被布と髪飾りを身につけたところで、ここまで同道してくれていた写真屋さんが「今だ」とばかりにシャッターを切る。ここから家に戻る途中で孫はすこし吐いたという。
家に帰るなり普段着に着替え、すこし休んで昼すぎに事務室へ来た孫は、なにやら元気になっていた。そして席を用意した鰻屋で大人の胆焼きを横取りして食べるころには、いつものあばれ娘に戻っていた。周囲の面々が胸をなで下ろしたことは言うまでもない。本日はまた孫の3歳の誕生日にて、夜はそのお祝いをする。
朝飯 切り昆布の炒り煮、納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、秋刀魚の梅煮、大根の葉と揚げ湯波の炒りつけ、人参と蓮根のきんぴら、ふきのたまり漬、メシ、揚げ湯波と万能葱の味噌汁
昼飯 「魚登久」のサラダとお新香、胆焼き、鰻重とお吸い物、アイスクリーム
晩飯 大豆と海老の炊き物、だし巻き玉子、生雲丹、鮒鮨の飯、「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」で漬けた松前漬け、ほうれん草のおひたし、焼き鮭の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、胡瓜と大根のぬか漬け、麦焼酎「ひゅうが晴」(お湯割り)、「久埜」のお菓子、Chablis Billaud Simon 2016