2019.10.19(土) 台風19号から1週間
台風19号により寸断されていた物流は、徐々に復旧しつつある。ヤマト運輸は数日前よりクール宅急便を荷受けするようになった。しかし到着日や到着時間の指定を受けるまでには至っていない。
いつ着くかが不明のままでは商品は受け取れないから注文はキャンセル、という東京の卸先が「いつまで欠品が続くのも…」と、従来の、クール宅急便による納品を容認してくださったのは有り難かった。一方、宇都宮の卸先には台風の去った直後より、自社便で商品をお届けしている。
今日はいつもより早く朝食を摂り、6時35分に事務室へ行く。長男は本日、東武日光線の下今市駅で開かれる「二宮金次郎の日光大収穫祭」のための納品書を作っていた。
06:54 ホンダフィットに商品その他を積み込んで会社を出る。
07:35 JR宇都宮駅の駐車場に到着。
07:40 駅ビルの商業施設パセオの物産店「宮源」さんへの納品を完了。
07:47 JR宇都宮駅の駐車場を出る。
07:53 福田屋百貨店宇都宮店さんに到着。
07:57 福田屋百貨店宇都宮店さんの巡回を完了。
08:50 「二宮金次郎の日光大収穫祭」会場への納品を完了。
東武日光線は、浅草と下今市のあいだで、いまだ2ヶ所が寸断されている。「二宮金次郎の日光大収穫祭」へは、どれほどの方が来てくださるだろう。
朝飯 納豆、里芋と鶏挽き肉の淡味炊き、生玉子、胡瓜と隼人瓜のぬか漬け、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、かき揚げの味噌汁、トマトの蜜煮
昼飯 「ふじや」の野菜麺
晩飯 トマトとモッツァレラチーズとブラックオリーブのサラダ、鮭とマカロニのグラタン、2種のパン、Petit Chablis Billaud Simon 2016
2019.10.18(金) 彦名まで
夜、長男と次男との3人で列車に乗るべく、上野駅のプラットフォームに立つ。やがて列車が来てそれに乗り込む。我々に同行するわけではないけれど、町内の人が複数、ちかくにいると耳にして、僕のみプラットフォームに降りる。そしてそれらの人を探すうち、気づくと列車は走り出していた。速度は既にして、それに追いつきタラップに駆け上がれる限界を超えている。あるいはもとより、日本の列車の扉は、走り出したときには既にして閉じている。呆然とするうち上野駅は東武日光線の下今市駅に変わっていた。
こうなれば新幹線で追いかけるしか道は無い。行き先は彦名である。下今市駅からJR今市駅まで歩き、その待合室でiPhoneの乗り換え案内を調べる。旅館の宿泊券は僕が持っている。どうにか長男と次男に追いつかなくてはならない。
焦燥しながら目を覚ます。時刻は2時21分。枕の下からiPhoneを取り出し、乗り換え案内を開いて、JR今市から「彦名」という、これまで耳にしたこともない、だからそれが実在するかどうかも分からないところまでの経路を調べてみる。「彦名」という場所は鳥取県の米子市に実在した。夜に上野を発って、その晩のうちに着けるところではない。
先ほど上野駅で列車に置いていかれた顛末を、漫才師の僕は舞台で話している。相方の顔は見えない。二度寝の中で、先ほどの夢の続きを見ている。
しばらくすると季節は真冬で、僕は日光湯元にあるスキー場を目指している。いろは坂を上りきった先の道は幅50メートルほどもあって、長い下り坂だ。「子どものころは、湯元に行き着く前に、ここでスキーをしたものだ」と思い出しつつ、しかしその道に雪はなく、茶色い土が乾いている。
どこかの湖のほとりに出る。そこでは真冬にもかかわらず、大人や子どもが泳いでいる。驚いて水に手を入れてみると、それほど冷たいものでもない。「オレも泳いでみようかな」と呟いて、すぐ横にいる誰かに止められる。以降も、風景写真にひっかき傷のような螺旋模様の徐々に広がる夢を見る。
気づいてふたたび枕の下からiPhoneを取り出す。時刻は4時34分。このまま横になっていれば、すぐ5時になってしまう。5時台まで起床を引き延ばしたときの「損感」には僕の場合、馬鹿にできないものがある。よって慌てて服を着て顔を洗い、食堂に出て湯沸かしポットのスイッチを入れる。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、大根おろしを添えた厚揚げ豆腐の網焼き、中華風春雨炒め、胡瓜のぬか漬け、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、白菜の味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」のラーメン
晩飯 酒肴あれこれ、里芋と鶏挽き肉の淡味炊き、かき揚げ、トマトの蜜煮、牛肉と三種の茸の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」炒め、おむすび、隼人瓜のぬか漬け、夏太郎らっきょう、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、白菜とズッキーニの味噌汁、小豆と桃の抹茶ゼリー、4種の日本酒(冷や)
2019.10.17(木) コロモガヘ
高等学校の制服は毎年、6月1日に夏服になり、10月1日に冬服になった。僕は仕事着については、年間で、以下8回の衣替えをする。
春:長袖ヒートテックシャツ+長袖フリースセーター
晩春:長袖ヒートテックシャツ+長袖Tシャツ
初夏:半袖ポロシャツ+長袖Tシャツ
盛夏:半袖ポロシャツ
秋:半袖ポロシャツ+長袖Tシャツ
晩秋:長袖ヒートテックシャツ+長袖Tシャツ
初冬:長袖ヒートテックシャツ+長袖フリースセーター
真冬:長袖ヒートテックシャツ+長袖フリースセーター+ダウンベスト
今年は梅雨がいつまでも続き、夏は短かった。しかし残暑は長かった。夏8月の季語でもある「残暑」が不適当なら「気温は10月の頭まで下げ渋った」と言い換えても良い。
今年は、実に今週のはじめまで半袖のポロシャツで仕事をしていた。上に照らせば「盛夏」の服装である。そしておとといの15日にいたってはじめて、これに長袖のTシャツを重ねた。
クローゼットに押し込んだ箪笥の中身は自分で替える。私服については、既にして夏のものは一掃した。しかし仕事着の引き出しは、いまだ夏のそれと変わっていない。「着ぶくれ」は冬12月の季語である。
朝飯 納豆、トマトのスクランブルドエッグ、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、胡瓜のぬか漬け、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、豆腐と大根の葉の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 白菜のおひたし、巻湯波の淡味炊き、お多福豆、春雨の中華風炒め、厚揚げ豆腐の酢豚風、胡瓜と隼人瓜のぬか漬け、芋焼酎「宝山」(お湯割り)
2019.10.16(水) 荒療治
昨年末からの、日に鎮痛薬を2度も用いないと消せない背中の痛みをどうにか治められたのは、ことし1月11日から通い始めた、宇都宮のカイロプラクティックの治療による。その背中の痛みは、ことし3月はじめのサワンカロークへの旅の最中に再発したが、帰国して治療を受けると、すぐに鎮まった。
このカイロプラクティックでは、初診のときに「右膝がぶっ壊れかけてる」と先生に指摘をされたものの、とにかくそのときには背中の治療のみに集中することとした。一方、この日記に「左肩」で検索をかけると、2017年10月3日に、チェンライのマッサージ屋”PAI”で馴染みのマッサージ師ジェップさんに「ここが痛い」と説明しながら、入念に揉みほぐしてもらった記述が出てくる。その左肩の痛みは昨年10月にぶり返し、年末にいたっては市内の外科でブロック注射を受けるほどに悪化をしていた。
背中の痛みが治まると、カイロプラクティックでの治療は左肩と右膝に移った。
上着を着ようとして袖に左腕を通そうとしても、左肩が痛くてそれがままならない、その治療ははじめ左肩にのみ施されていた。しかしいつまでも一進一退を繰り返すため、先生は新たに左鎖骨のもっとも中央に寄った部分に目を付けた。そして、右のそれに較べて倍ほどに肥大したその部分に9,000ボルトの電子ペンを突き立てることを繰り返した。その結果、左肩の調子はほとんど正常なところまで戻った。問題は、右膝である。
新春の初診から数えれば29回目の施術の本日、左肩のときとおなじく、先生は右膝以外のところに目を向けた。右の太ももに走る2本の筋である。僕を仰向けに寝かせると、先生はこの2本の筋を肱で強く押し始めた。電子ペンによる痛みもかなりのものだ。しかしそれは、数十秒を我慢すれば次第に薄れていく。しかし今回の、太ももの2本の筋を、膝から股関節に向かって間断なく肱でいじめていく痛みには参った。
声を上げ、身をよじり、休憩を求めても先生は応じない。そしてこの数分間の拷問に耐え、別室のベッドで低周波を数十分ほども流し、ふたたび床に足を降ろしたときには、太ももの痛みによりまともには歩けなくなっていた。
午後はずっと、脚を引きずりながら歩く。夜の入浴後は、右の太ももに4枚の湿布を貼る。右膝の不調が、背中の右側や左肩のように、治ってくれれば幸いである。
朝飯 ケープムー(豚の皮のカリカリ揚げ)の雑炊、細切り昆布の佃煮、浅蜊と珠芽の佃煮、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、胡瓜と隼人瓜のぬか漬け
昼飯 「丸亀製麺」のわかめうどん(天かすと長葱は自分でトッピング)
晩飯 ポテトと「夏太郎らっきょう」のサラダ、人参の炒りつけ「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」風味、巻湯波の淡味炊き、隼人瓜のぬか漬け、夏太郎らっきょう、ピーマンの肉詰め、芋焼酎「宝山」(お湯割り)
2019.10.15(火) 献仏不假香多
今日はオフクロの祥月命日にて、墓参りに行く必要がある。墓参りは、開店前に済ませるのが、時間の使い方としては最上だ。しかしきのうは祝日だったこともあって、花は買い置いていない。取りあえず掃除と線香を上げるだけして、花は後から供えに行こうか、そんなことも考えたけれど、現実はなかなか忙しく、9時30分を過ぎてようやく、いくらかの余裕ができた。
自転車で日光街道を下り、小倉町の「花一」の前まで来ると、シャッターが閉まっている。申し訳ないとは感じつつ、脇に回ってインターフォンのボタンを押す。白い菊ばかり6輪を買って、今度は日光街道を上る。そしてそのまま如来寺の、お墓の水場まで自転車を乗り入れる。
墓石の一部は、いまだきのうの雨に濡れている。よって水を固く絞ったタオルではなく、乾いたタオルでその天辺から地面に接するところまでを拭く。白菊を左右それぞれ3輪ずつ供え、また昨年、麻布の禅寺で「献仏不假香多」という便利な言葉を知ったため、線香も左右の線香立てに3本ずつのみ上げる。
次の掃除とお参りは、来月の、オヤジの祥月命日のときになるだろう。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、納豆、トマトのソテーを添えた目玉焼き、なめこの醤油煮、胡瓜と隼人瓜のぬか漬け、メシ、玉葱と隼人瓜とオクラの味噌汁
昼飯 朝のおかずを流用した弁当
晩飯 「グルマンズ和牛」の其の一、其の二、其の三、其の四、其の五、其の六、ウイスキー(オンザロックス)、其の七、コーヒー
2019.10.14(月) 知らない言葉
今月20日に開催される屋台まつりについての、2回目の会議がきのう、町内の公民館で開かれた。その際に配られた印刷物に「拗飯」の文字があった。何と読むべきか分からない旨を発すると、どこからか「知んねぇんけ」の声が聞こえた。直後に「拗飯」の読みは「コジハン」で、朝昼晩の三食以外の食事を指すと、神社世話人を務めるアイザワヒロシさんが教えてくれた。
今朝、検索エンジンに「こじはん」と入れてみて、これが栃木県から茨城県にかけての方言と知る。栃木県に63年間も住みながら、いまだ知らない言葉の現出することを面白く思う。
高校1年の夏休みの最後のころに、自由学園の那須農場で、同級生たちと労働をした。そのころこの農場は近隣の農家から子弟を受け入れて、農学塾を開いていた。その塾生の話す言葉は、おなじ栃木県内に生まれ育った僕にも理解しかねるもので、しばらくは不便をした。アマゾン川のこちら側とあちら側では言葉が通じないと子どものころに読んで大いに驚いたが、日本でも数十キロを隔てれば、おなじことが起きるのだ。
お互いの言葉が通じれば便利だ。しかし言葉が通じないところには面白さがある。自国の言葉が世界の殆どのところで通じるイギリス人やアメリカ人の旅は便利でも、僕の感じるような面白さには、なかなか気づかないような気がする。
朝飯 納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、茄子とパプリカのソテー、ほうれん草のおひたし、隼人瓜のぬか漬け、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、里芋とオクラの味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 鮭の焼き漬け、トマトと南瓜のサラダ、蓮根のきんぴら、鶏肉と厚揚げ豆腐と白菜の鍋、芋焼酎「宝山」(お湯割り)
2019.10.13(日) 昭和30年代なら数千人が亡くなったはず
枕元を手探りしても、iPhoneは無い。食堂のコンセントに繋いだままに違いない。起きることを決めて服を着る。「4時は過ぎただろうか、まさかもう5時台ではあるまいな」と考えつつ洗面所に入って明かりを点ける。低いところに置かれた時計には「2:56」の数字があった。外はしんと静まりかえっている。
食堂に出て窓を開ける。雨は既に止んでいる。空には、晴れているらしい真っ黒なところに雲がまだらに見えている。生暖かい風が吹いている。鈴虫の声が賑やかだ。
きのうの天気予報によれば、日光市は朝は曇り、11時から晴れてくるとのことだったが、普段は見られないような、幾重にも層を成した黒雲のむこうから朝日が昇る。6時を過ぎたところでテレビのスイッチを入れ、今般の台風19号が、特に関東甲信越から東北地方にかけて、甚大な被害をもたらしたことを知る。
8時の朝礼では、台風が去ったことを受けて、各部署がすべきことを伝える。販売係のササキユータ君は、風に飛ばされてきた諸々を掃いて袋に詰めるため、いつもの数倍の時間を掃除に費やした。製造係のイトーカズナリ君は、蔵の各所で発生した雨漏りについて、逐一、報告に来る。ウチで最も古い建物である、江戸末期のものと思われる隠居には、ひとかけらの被害もなかった。
宅急便はきのうから荷物を預かることを止めている。しかしJR宇都宮駅に隣接する商業施設にある宮源さんからは、正午の納品を頼まれている。これについては長男が、普段なら数十分で行けるところを2時間30分の余裕を見ながら配達をした。帰ってきたところで話を聞けば、あの、いつもなら堤防から10メートルちかく下を薄く流れるのみの田川が氾濫し、JR宇都宮駅周辺の道路はかなりの部分で通行止めとなって、ブルドーザーが泥をかいていたという。
お客様の中には、9月上旬の台風15号、そして今回の台風19号により被災をされた方もいらっしゃるに違いない。そういう次第にて、年末の贈答の季節に向けてお送りするダイレクトメールの挨拶文は、既にして発注済みではあるけれど、それは届いた後に捨てることとして、新たに書き直す。
閉店後は食堂に戻り、ハイボールで心を鎮める。19時より屋台まつりの話し合いのため、町内の公民館へとおもむく。話し合いは手際よく進んで数十分で完了した。そして家に戻って簡単な夕食を摂る。
朝飯 なめこの醤油煮、納豆、ほうれん草のソテーを添えたベーコンエッグ、胡瓜のぬか漬け、ごぼうのたまり漬、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、オクラとシメジの味噌汁
昼飯 朝のおかずを流用した弁当
晩飯 だしあごの網焼き、Old Parr(ソーダ割り)、スパゲティナポリタン、G7 The 7th Generation Cabernet Sauvignon 2018
2019.10.12(土) 「台風クラブ」はいまだ観ていない
「本日10月12日(土)は、台風19号の接近が伝えられていますが、上澤梅太郎商店は通常どおり、朝8時30分から夕方17時30分まで、営業いたします。どうぞお気をつけて、お出かけくださいませ。またお留守番の方は、どうぞ御身安全にお過ごしくださいませ」という文章を、朝、撮ったばかりの店の画像と共に、会社のfacebookページに上げる。雨風ともに、大したことはない。本日の口開けは、福島県からのお客様で、ご来店の時間は開店前の8時25分だった。
道の駅「日光街道ニコニコ本陣」のウチの売り場には、きのうの夕刻に売り切れた商品を補充し、少なくなってはいるものの、今日1日くらいは保つだろうと思われる品については「売り切れたときには、すぐに持って参りますので」と商業施設の方に告げて店に戻る。
「今日はお店、やってますか」という電話を午前中に何本か受ける。受注係のカワタユキさんも、おなじ内容の電話を何本か受けたようだ。
昼が近づくにつれて、風雨が強くなってくる。長男は日光の卸先である金谷ホテルさんと早見商店さんに、火事見舞いならぬ台風見舞いに出かけ、昼すぎに戻った。
4人の子どもを持つ包装係のタノイチカさんは、正午に退社をした。販売係のオバタタキコさんも昼に退社をした。包装主任のヤマダカオリさんに続いて包装係のセオヨーコさん、タカクコータロー君も、14時に退社をした。事務係のカワタユキさんに声をかけると「心配なので」と、14時30分に退社をした。風雨はますます激しくなる。
「開いてて良かったわー、日光からここまで来るあいだ、どこのお店も閉まってましたよー、まるでゴーストタウン。お土産が買えて嬉しいわー」と、午後に見えたお客様が喜んでくださる。
どこもかしこも店を閉じる状況の中で通常通りに営業をするとは、まぁ、ウチの美学のようなものだ。「美学とは大げさな」と言われれば、痩せ我慢、あるいは意地と言い換えても良い。実利、つまり損益分岐点比率を考えれば休んだ方が得策でも、どうにもそれはできかねる。
終業時まで残った社員は製造主任のマキシマトモカズ君、製造係のタカハシアキヒコ君、販売主任のハセガワタツヤ君、販売係のササキユータ君の4名。「とんでもないこと」が起きたら、それこそとんでもないことだが、それがない限り、今日のような非常時の雰囲気は、嫌いではない。
社員がすべて去った蔵の中にふたたび照明のスイッチを入れ、雨漏りが心配されるところを見てまわる。蔵の大屋根から玄関前の川に雨水を逃がすための、直径20センチのパイプが不気味な音を立てて揺れている。これについては週明けにでも、ハヤカワ住宅設備に診てもらうことにしよう。
夕食のテーブルには肉の塊があるにもかかわらず、孫のリコは非常食のインスタントラーメンを食わせろと泣いている。小さな子どものいる家は、なかなかに賑やかだ。
朝飯 ほうれん草のおひたし、なめこの醤油煮、茄子のソテー、納豆、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」と3種のぬか漬け、メシ、隼人瓜の味噌汁
昼飯 「金谷ホテルベーカリー」の2種のパン、コーヒー
晩飯 ラタトゥイユとオムレツを添えたレタスのサラダ、フレンチフライを添えたビーフステーキ、たまり漬「鬼おろしにんにく」によるガーリックライス、G7 The 7th Generation Cabernet Sauvignon 2018、きのうの残りのケーキ、Old Parr(生)
2019.10.11(金) 毎年のように「過去最大級」が来る
吉野彰先生のノーベル化学賞受賞のニュースは、ほんの2日ほど新聞やテレビを賑わせたのみだった。以降はそれまでの、千葉県に大きな被害をもたらした台風15号なみの勢力を持つという、そして明日12日の夜には関東地方への上陸が予想される台風19号のことが、報道をほぼ独占をしている。
きのうの朝礼では、子を持つ社員は、12日は遠慮なく休むよう伝え、今朝の朝礼でもそのことを繰り返した。ヤマト運輸は日本の各地において、12日の集配停止と営業所の休業を決めた。宅急便が休むとはよほどのことだが、嵐の中でもご来店になるお客様かならずいらっしゃるから、ウチは休むことはしない。
本日はまた、取引先の3名さんが東京から来て、家内や長男や販売主任のハセガワタツヤ君と仕事をしている。この3名さんが帰京できなくなれば大ごとのため、情報が確定するという13時に東武日光線の下今市駅へ出向き、本日は最終の上りまで通常通りの運行であることを確認する。
上澤梅太郎商店は新鮮な商品のみをお客様に提供することを旨とし、非常時にも造り溜めはしない。16時に包装主任のヤマダカオリさんが事務室に来て、明朝から包装する商品の種類と数量を決める。
19時30分、取引先の3名さんをホンダフィットにて下今市駅へお送りする。雨はいまだ降っていない。風もいまだ穏やかだ。帰宅してテレビのスイッチを入れると、ニュースはなお「過去最大級」の台風について、伝え続けている。
朝飯 納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、牛蒡と人参のきんぴら、「なめこのたまり炊」のフワトロ玉子、胡瓜のぬか漬け、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、薩摩芋の甘煮、メシ、大根の味噌汁
昼飯 「ふじや」の雷ラーメン
晩飯 トマトとモッツァレラチーズのサラダ、ラタトゥイユ、2種のパン、鶏肉とマカロニのグラタン、Petit Chablis Billaud Simon 2016、“Chez Akabane”のケーキ、Old Parr(生)
2019.10.10(木) 年賀状
年賀状を年内に投函していたのは学生のころまでと記憶する。以降は、撮りためた写真の中から1枚を選んで街のプリントショップに作ってもらったり、長男が絵を描けるようになってからはそれを印刷したハガキを用いて、届いた年賀状に返事を書いていた。そしてここ20年ほどは、それもしなくなった。ただし、戴いた年賀状に、旅先から返事を書いて送ることはしている。
2014年6月、バリ島の”Patra Jasa Bali Resort & Villas”でコンシェルジュに投函を頼んだハガキの大部分は、届かなかったような気がする。2016年2月、バンコクの”The Grand Sathorn Hotel”のフロント係に投函を頼んだハガキは、1枚も届かなかった。後者においては多分、僕の書いたハガキと支払った切手代を預かった使いっ走りが、ハガキは捨て、切手代は懐に入れてしまったのだろう。
以降、旅先がチェンライであれば、街の真ん中にあるエジソンデパート内の郵便局の出張所に、あるいは空港内の郵便局にハガキを托すようになった。これで届かなかったことは、過去に一度も無い。
先月チェンライを訪ねると、前述のエジソンデパートは廃業をしていた。というか、郵便局の出張所は何年か前から無くなっていた。空港内の郵便局は、チェンライを去る日の9時を過ぎても開かなかった。よって前日にホテルのプールサイドで書いたハガキ15枚は、チェンライから着いたスワンナプーム空港内の郵便局から投函し、それらは日本国内の、地域により6日後から9日後には届いた。なぜそれが分かるかといえば、ハガキを受け取った人が、そのことをメールやハガキで報せてくれるからだ。
表面の宛名も、また裏面の文章もすべて印刷、という年賀状は読むことさえしない。しかし裏面にいくらかでも手書き文字のある年賀状には、できるだけ返事を書きたい。ほんの1行ほどの手書き文字に対して数百文字を記した返事を書くことは、旅先での半日を費やすことも手伝って、結構な負担ではあるけれど。
朝飯 納豆、トマトとハムのソテーを添えたスクランブルドエッグ、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、牛蒡と人参のきんぴら、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、薩摩芋の甘煮、メシ、隼人瓜の味噌汁
昼飯 「大貫屋」の味噌ラーメン
晩飯 春雨サラダ、ごぼうのたまり漬、水餃子、ABSOLUTE VODKA(ソーダ割り)、葡萄