2019.4.17(水) ステーキのタレを作る
昨年の10月下旬から始まった背骨と右の肩胛骨のあいだの痛みは、ここ20年ほどのあいだ通い続けた接骨院や鍼灸院では治せず、噂に聞く、知る人ぞ知る施術者を他県にはるばる訪ねたところ、他のどこよりも効かなかった。12月の下旬には仕方なく整形外科でブロック注射を打たれるに至ったが、これも効果は皆無。ようよう辿り着いた「宇都宮肩腰痛みの専門整体院」で「1週間に2回、計8回の治療で快方へ向かう可能性が高い。それで駄目なら更に8回」と、ワタナベマサヤス先生に診断されて通うことを始めた。
その、本日は23回目の施術日である。背中の痛みは前回までの治療でほぼ完治した。そしてすこし前からは、左の五十肩、および初回に「ぶっ壊れかけてる」と図星を突かれた右膝の治療に重点が置かれるようになった。
左肩の、入り組んだ筋肉の隙間に9,000ボルトの電子ペンを差し込まれたときには、その痛みにより脂汗と吐き気の伴う気がした。「そこまで嫌な感じがするなら、ここがようやく辿り着いた、最後の要所かも知れません」と、先生はギョロ目を更に見開いた。一方、膝の皿の真ん中に電子ペンを突き立てられる痛みも相当なものだ。しかしこの右膝の悪いことは、2013年7月にネパールのシヴァプリに登った直後から認識をしている。将来のためにも、今は耐えつつ治療を続けなければならない。
昼休みには玉葱をおろし、たまり漬「鬼おろしにんにく」、同「刻みザクザクしょうが」、また「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」などを使ってステーキのタレを作る。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、筑前煮、トマトのソテーを添えた目玉焼き、ウィンナーソーセージとピーマンのソテー、ふきのとうのたまり漬、塩らっきょう、メシ、揚げ湯波とレタスの味噌汁
昼飯 鍋焼きうどん
晩飯 トマトとベビーリーフのサラダ、茹でたブロッコリーと人参の細切り炒めとマッシュドポテトを添えたビーフステーキ、にんにくと玉子のチャーハン、“Almaviva 1997”
2019.4.16(火) 弥生祭もたけなわ
午前、ホンダフィットの助手席に座る。おなじ方角から出勤する包装係サイトーヨシコさんには「道、混んじゃって、行けないよ」と朝のうちに言われていたが、まぁ、どうにかなるだろう。あるいはどうにかしなくてはならない。
先ずは神橋の手前から左手の屈曲した急坂を登って日光金谷ホテルさんに至る。そしてその売店に、らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、なめこのたまり炊、日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露、日光味噌と日光湯波のフリーズドライ味噌汁をお納めする。坂を下って今度は東武日光駅前の早見商店さんにお寄りし、冷蔵ショーケースの在庫を確かめる。
そうするうち下、この「シモ」とは日光では東照宮の反対側、つまり日光街道の起点である日本橋の方角を指す言葉ではあるが、そちらから松原町の花屋台が近づいてくる。旧日光市のお囃子は、ここから6キロを下った旧今市市の威勢の良いものとは異なって、とても雅だ。ふと気づくと、警察官の姿が増えている。これから各町内の花屋台が次々に繰り出されることを考えれば、もはや一刻の猶予も無い。
裏道を辿って旧日光市街から脱出をする。そして会社に戻って即、普段の業務に復帰する。
朝飯 イカナゴの釘煮、納豆、筑前煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、ふきのとうのたまり漬、塩らっきょう、メシ、揚げ湯波と三つ葉の味噌汁
昼飯 「ふじや」のタンメン
晩飯 南瓜のにんにく蒸し、金目鯛のオーブン焼き、トマトと浅蜊の炊き込みごはん、”Petit Chablis Billaud Simon 2015″、“TIO PEPE”
2019.4.15(月) 考えを改める
子供のころは、風邪による熱の下がった朝は、光輝燦然とした爽やかさと共に目を覚ますことができた。その気分を久しぶりに味わったのは20代のころ。そして以降は今に至るまで、病み上がりの気分ははなはだはっきりしない。そういう気分のまま、きのうに引き続いて早朝に製造現場に降り、本日、袋詰めするための商品の手入れをする。
取引先や銀行に寄りつつセキネ耳鼻咽喉科へ行く。「先生、今朝はどうも、喉にすこし痛みがあって、うがいをしました」と説明すると、先生は僕の喉を覗き込み「ぜーぜん」と笑った。子供のころと異なって、風邪は去ったのか、あるいはいまだ自分の身中に留まっているのか、それがよく分からないのだ。
「明日も飲酒は控えるべし」ときのうの日記に書いた舌の根も、否、筆の先も乾かないうちに何ではあるけれど、夕食のおかずが金目鯛のアクアパッツァであれば、飲まないわけにはいかない。ただし最大限の譲歩をして白ワインは止め、ドライシェリーをソーダで割る…
と、ここまで書いたのが4月15日の夕刻。しかし長男の調理によるそれを目にして考えを改めた。冷蔵庫の野菜室には思いがけず飲みさしの白ワインが横たわっていたから、それを取り出しテーブルに立てる。
朝飯 「金谷ホテルベーカリー」のソーセージパン、「スープストックトーキョー」の菜の花のポタージュ、イチゴのヨーグルト和え
昼飯 「大貫屋」のチャーハン
晩飯 金目鯛のアクアパッツァ、豚の背脂とグリーンアスパラガスのパン、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”
2019.4.14(日) つつましやかな人
いまだ体調は元には戻っていないものの、早朝は製造現場に降りて、本日、袋詰めするための商品の手入れをする。9時までのことはきのうとおなじ。道の駅「日光街道ニコニコ本陣」への配達は、日中に2度、行った。昼に館内電話で事務室に呼び出される。16時に明日の、商品ごとの販売個数の決定。18時に閉店作業。それ以外の仕事は休む。
「花火は、見ないまま音だけを聴く方が風情がある」と、何度かこの日記に書いたことがある。今日は寝室にいて、日光街道を渡御していく行列の、お囃子の音を聴いていた。こちらは花火とは異なって「何も手伝えなくて申し訳なし」の気分が増すのみだ。
これまで3、4日のあいだ続いた病人食を、今夜から普通食に戻してみる。冷やしトマトやスパゲティサラダや豚の生姜焼きをおかずにして、酒ではなくごはんを食べる。そのごはんの白い色を見るうち、なにやら自分がつつましやかな人になったような気がした。
明日も飲酒は控えるべし。それが僕の、自己診断である。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の雑炊、ふきのとうのたまり漬、梅干
昼飯 いちごのヨーグルト和え
晩飯 スパゲティサラダ、生のトマトとレタスとグリーンアスパラガスのソテーを添えた豚の生姜焼き、大根のぬか漬け、メシ、豆腐と大根と万能葱の味噌汁
2019.4.13(土) そちらはできなくてもこちらはできる
明け方の体温は36.7度。それでもからだが楽になったわけではない。今朝の平熱は、鎮痛解熱剤により人工的に下げられた体温である。とはいえすべきことは諸々ある。
仏壇に花と水とお茶と線香を供えてから食堂でコンピュータを起動する。そして先ずは3日前、水曜日の日記を完成させて「公開」ボタンをクリックする。その勢いに乗じて木曜日と金曜日、そして今日の、ここまでの日記を書いてしまう。総鎮守瀧尾神社の春の大祭が予定通り催行されることを報せる花火が上がって、6時になったことを知る。
7時20分から9時にかけてはきのうと同じ。10時30分からは、蔵の雨漏りのする個所を調べに来た防水業者を、非常階段から屋根スラブに案内する。以降は寝室に籠もって休む。
午後一番に、歯を磨き直して白いシャツを着る。紺色のパンツを穿き、橙色と緑の縞のネクタイを締める。そして紺色の上着を着て事務室に降りる。
「神社の役員の勤めは休みながら、自社の仕事はできるのか」と問われれば、春の大祭は「宮司一拝」から「開扉」を経て「撤饌」に至る、ほぼ1時間の祭祀を拝殿で見守らなくてはならないため、微熱を帯びたからだでこれに参加をすることは憚られた。それに対して午後の仕事は挨拶と書類の提出くらいだから、なんとかこなせると判断をしたのだ。
販売係ハセガワタツヤ君の運転するホンダフィットの助手席に収まり、旧日光市の市街におもむく。そして複数のお得意様を回って1時間後に帰社する。
夕刻から夜にかけてはきのうと同じ。そして20時前に寝室へと引き上げる。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の雑炊、ふきのとうのたまり漬
昼飯 スポンジケーキ、ホットミルク
晩飯 バナナのヨーグルト和え
2019.4.12(金) 仕事をしたり休んだり
明け方に計った体温は37.7度だった。からだはだるいけれど、務めは果たさなくてはならない。
朝食を済ませ、いつもより5分おくれの7時25分に事務室のシャッターを上げる。7時30分を回ったところで水を固く絞った布巾を持ち、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」へ行く。そうしてウチの売り場を拭き、本日、納めるべき品とその数を決めて会社に戻る。
その納品を9時前に完了させ、その足でセキネ耳鼻咽喉科へ行く。頭の使い過ぎか、からだの使い過ぎか、あるいはその双方によるものか、長男はインフルエンザにより10日から伏せっている。「だったらオレもインフルエンザだろうか」とも思ったけれど、先生はそれを否定した。処方をされたのは、風邪薬とうがい薬、そして熱が上がったときに備えての鎮痛解熱剤だった。
帰社して間もなく、冷蔵庫、これは家庭にある冷蔵庫ではなく、テニスコートほどの面積の冷蔵庫だが、その蛍光灯をLEDによる照明に取り替える業者が来たため、後をフクダナオブミ製造顧問に托して自宅へ戻る。
午後に至って体温が38.1度まで上がる。鎮痛解熱剤を必要とする目安をセキネ先生は「38度」と言った。それを思い出して、処方されたばかりのそれを飲む。そうして総鎮守瀧尾神社のタナカノリフミ宮司に電話を入れ、明日の大祭には責任役員としての務めが果たせない旨、また当番町の自治会長と大膳にも一報を入れてくれるよう頼む。
明日はどの商品をいくつ作るか、ということを製造係と決めるため、16時に事務室に降りる。それを済ませるなり4階に戻って休み、今度は閉店準備のため17時45分に店に降りる。
「風邪をひいたときには、体力をはやく回復させるため、食事は無理にも摂るべし」という人もいれば「食欲不振は、食べない方が身のため、というからだからの信号なのだから、無理に食べない方が良い」という人もいる。今夜の僕は、食欲があるの無いのか判然としなかったため、鍋焼きうどんをようよう胃に入れて、その3時間後に眠りに就く。
朝飯 白粥、イカナゴの釘煮、梅干、蕗のとうのたまり漬
昼飯 バナナのヨーグルト和え
晩飯 鍋焼きうどん
2019.4.11(木) 10ヶ月ぶり
目を覚ました瞬間、鼻の穴の両方とも詰まっていることに気づく。花粉の飛ぶ季節には珍しいことではない。今朝はそれに加えて、気管支に若干の苦しさがある。しかしこれくらいの苦しさであれば、どうということもない。食堂に出て食器棚の引き出しから龍角散を取り出して飲む。そしておとといの日記を書いて「公開」ボタンをクリックする。
所用にて昼前に宇都宮へ行く。用事を済ませたところで他に寄りたいところが頭に浮かぶ。しかしどうにも体調が優れず、その寄りたいところにホンダフィットのハンドルを向けることができない。そのまま帰社して事務室の席に着いたところで「これは、放っておいても治るたぐいの風邪ではないな」と確信する。
そう確信をしても、行きつけの耳鼻咽喉科は木曜日は休みだ。即、4階に上がって寝室で横になる。夕刻に計った体温は37.5度だった。よって前回の風邪、それは小遣い帳には2018年6月5日のところに記されてあるが、そののときに処方された薬を飲む。
夕食は美味く、少なくない量を食べることができたから「今回の風邪は、それほど強いものでもないだろう」と軽く考えつつ床に就く。
朝飯 納豆、筑前煮、スペイン風目玉焼き、イカナゴの釘煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、ふきのとうのたまり漬、塩らっきょう、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁
昼飯 梅干湯
晩飯 きのう「鬼怒川温泉夜桜大宴会」でお土産にいただいたポトフをかけたごはん、茹でたグリーンアスパラガス、いちご
2019.4.10(水) うかうかするうち
初更、鬼怒川温泉の、西側の山裾に延びた道を走りながら赤信号で停まると、ホンダフィットの屋根に積もった雪がその勢いでボンネットの上に滑り落ち、ワイパーが動かなくなった。後続のクルマがいるから早々にはクルマを歩道側に寄せられない。というか、歩道がどのあたりにあるのかも分からない。ようよう停まって外へ出て、フロントグラスの下半分ほどまで覆った雪を素手で払う。
その道から護国神社への坂道が、また難物だ。「前輪が滑って上れないのではないか」と恐れつつ、アクセルを踏む右足を微妙に動かす。家を出るときには止み加減だった雪も、そこから15キ北の鬼怒川においては、いまだ勢いを衰えさせていないようだ。ロープウェイの駅の脇の駐車場にホンダフィットを駐め、護国神社の鳥居をくぐる。昨年おじゃました「鬼怒川温泉夜桜大宴会」に、裏を返したのだ。
花札では「桜に幕」だけれど、今日は「桜に雪」で、これはこれで悪くない。しかしこの季節外れの大雪に祟られて、客の数は関係者のそれよりも少なかった。
弁当を肴に燗酒を飲んでいると「シャチョー!」といきなり芸者に呼ばれる。用意された遊びは「拳」の一種「こんぴらふねふね」である。「シャチョー!」と呼ばれるからには大島を着て床の間を背負いたいところだけれど、僕の服はユニクロの、それも毛玉の付いたフリースである。
僕が若いころは「伊勢丹のハンカチ売り場から転職してきた」などという若い子もいたけれど、現在、鬼怒川温泉の芸者は3、4人と聞いた。つまりこの3、4人に座敷をかければ鬼怒川芸者の総揚げ、ということになる。一生に一度くらい、そんなことをしてみても良いのではないか。うかうかするうち、自分も含めて皆、朽ちてしまうのだから。
朝飯 筑前煮、ほうれん草のおひたし、「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」をかけた煮奴、納豆、イカナゴの釘煮、蕗のとうのたまり漬、塩らっきょう、メシ、アオサと三つ葉の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 「鬼怒川温泉夜桜大宴会」の弁当、片山酒造の日本酒(燗)、清開酒造の日本酒(燗)
2019.4.9(火) 朝の納品
宇都宮の福田屋百貨店さんには、20代のころ配達に行った遠い記憶がある。それから四半世紀ほども付き合いが途絶えていたところ、ひょんなことから今年の1月に商談の機会ができて、4月からの取り引きが決まった。その最初の納品に、朝、長男とおもむく。
7時2分に会社を出て、福田屋百貨店さんのお店のひとつFKD宇都宮店には7時57分に入った。1階の食料品売り場に割り当てられた場所は、すぐに分かった。水を固く絞った布巾でその棚を入念に拭き、また用意してくださった什器も拭く。僕は商品にシール類を貼る。長男はそれを陳列する。すべてを整え、通用口にバッジを返して、納品業者用の記録用紙には「09:01」と、退店時刻を記入する。
帰社して11時30分からは、装飾の業者と店内の暖簾や照明についての話し合い。午後は、きのうの場長会議で各部署から出た意見や要望に基づき諸方に電話。また、互いに契約書に交わす商談をひとつこなす。
午後の遅い時間に「夕食は洋もの」と知らされたから、終業後は2階のワイン蔵に寄って白ワイン1本を取り出し4階に上がる。夕食の、具体的な内容を聞いていないにもかかわらず赤ではなく白いワインを選ぶのは、ウチでは鶏肉や豚肉を多く食べて、いわゆる赤肉はそれほど口にしないことによる。
朝飯 納豆、切り昆布の炒り煮、ほうれん草のソテーを添えた目玉焼き、筑前煮、イカナゴの釘煮、ふきのとうのたまり漬、塩らっきょう、メシ、トマトと揚げ湯波と三つ葉の味噌汁
昼飯 「ふじや」の味噌ラーメン
晩飯 人参と干しマンゴーとレタスのサラダ、ソーセージと青梗菜のソテー、トマトとベイジルと粉チーズのスパゲティ、生ハムとキャベツのパン、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”
2019.4.8(月) すべては豆板醤のために
「らっきょうのたまり漬」についてのことを夢の中で考えつつ、ゆっくりと目を覚ます。枕の下からiPhoneを取りだし見ると、時刻は2時7分だった。東京と大阪への、ウチとしては少なくない数の「らっきょうのたまり漬」の出荷が控えている。その仕事の進捗の具合を確かめるため、白衣と帽子とマスクを身につけ、製造現場へ降りる。食堂に戻ると、食器棚に置かれた電波時計は2時55分を指していた。
きのうは昼前に4名様を蔵見学にご案内した。そのお客様が蔵から店にお戻りになると、僕は味噌蔵のある庭に引き返し、戸締まりをしたり、あるいは蔵の中で履いていただいたサンダルを片付けたりする。そうして外へ出たところで、息せき切って僕を呼びに来た家内に声をかけられる。
店には女性のお客様がいらっしゃった。お話によれば、このウェブログに「そこまで固執するか」と呆れるほどたびたび上がる百德食品公司の豆板醤と辣椒油を、この春に社会人になろうとされているご長男が就職を前に旅された香港の、中国語なら嘉咸街、英語ならGraham St.と表される細い坂道を上って右側にある九龍醤園で買ってきてくださったのだという。「恐懼」とは、このようなときのためにある言葉だと思う。僕はお客様に何度も頭を下げ、店の前に出てお見送りをさせていただいた。
「数年前に香港で購った百德食品公司の豆板醤はほとんど使い果たし、しかしその残りには惜しくて手が出せない」の一節は、この日記に検索をかけて見つけ出した、2007年6月4日のものだ。とすれば本日いただいた豆板醤と辣椒油は、およそ12年ぶりの味、ということになる。
夜は豆腐と揚げ湯波の鍋を作ってもらった。その、熱く煮えた豆腐と湯波を器に取って、貴重な豆板醤を添える。そうして口に運んでみれば、それは間違いなく「あの豆板醤」だった。本日のお客様には、厚く御礼を申し上げます。そして今度こそ、香港へは自分で行かなくてはならない。
朝飯 イカナゴの釘煮、ジャガイモとピーマンとパプリカの「日光味噌梅太郎白味噌」和え、切り昆布の炒り煮、巻湯波の淡味炊き、納豆、ラタトゥイユ、蕗のとうのたまり漬、塩らっきょう、メシ、揚げ湯波とキャベツの味噌汁
昼飯 カレーライス、塩らっきょう
晩飯 茹でたグリーンアスパラガス、長男が歌舞伎町で中国人のオバサンにもらった臭豆腐ほか、豆腐と揚げ湯波と豚肉の鍋、”ABSOLUT VODKA”(ソーダ割り)、バームクーヘン、”Old Parr”(生)