2019.2.3(日) 節分
社員名簿を調べてみると、1959年に製造係として入社したヒラノショーイチさんは、2003年の12月に退職をしていた。ヒラノさんが会社にいるあいだは、ヒラノさんが節分の豆まきを担当してくれていた。いくら強力な鬼でも、あの大音声と共に豆を投げられては尻尾を巻いて逃げるしかない、そんなヒラノさんがいなくなって以降の豆まきは、僕の役目になった。
長男が結婚をしてからは、豆まきは嫁のモモ君にしてもらっている。そして今年からは孫のリコが、そのかたわらに着いた。僕は気楽になるばかりである。
ところで3月中に、お得意様に宛てて葉書をお送りする。その手紙の部分には僕の肉筆を用いることとして、午後、事務係のカワタユキさんに、縦書きの便せんに薄く鉛筆で罫線を引いてもらう。4回の推敲を経た文章はなかなかに長く、便せんは3枚を要した。
夕食のお膳には節分にふさわしいものを並べるべきと考えたものの、今夜は僕しか家にいない。更にはなぜかウィスキーのお湯割りが欲しい。よって2種のパンを肴にその温め酒を飲み、早々に就寝する。
朝飯 大根の麹漬け、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、しもつかり、ピーマンと人参のきんぴら、生のトマト、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、なめこと揚げ湯波の味噌汁
昼飯 「ふじや」の広東麺
晩飯 「ポンヌッフ」の2種のパン、”Old Parr”(お湯割り)
2019.2.2(土) 初午
本日は初午にて、日光市沢又地区のサイトートシコさんが、赤飯、しもつかり、大根の麹漬け、ほうれん草のおひたしを届けてくれた。ウチでは家の中のお祭はほとんど旧暦で行うので、しもつかりも、そのときに作る。よって今日のところはお稲荷さんより1ヶ月以上も早く、人間である僕が赤飯としもつかりをいただく。有り難いというか申し訳ないというか、まぁ、そんな感じだ。
しかしこれを書いている今になって「とはいえ、赤飯は重箱のまま、しもつかりはタッパーウェアに入れられたままでも、取りあえずはお供えをした方が良かっただろうか」という思いが頭をよぎった。そして即、このことを忘備録に残す。
昼のしもつかりは赤飯のおかずにした。夜のしもつかりは酒の肴にした。普段は焼酎またはワインを飲むことが多いものの「今日ばかりは日本酒だろう」と考え、2階の酒蔵に降りていく。飲みさしの四合瓶は、いかにも冷やが似合いそうだったけれど、敢えてお燗にして2合ばかりをゆるゆると飲む。
朝飯 ピーマンと人参のきんぴら、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、「しいたけのたまりだき」と牛肉と里芋のすき焼き風、柴漬け、薩摩揚げ、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、なめこと揚げ湯波の味噌汁
昼飯 赤飯、しもつかり、大根の麹漬け
晩飯 ほうれん草のおひたし、しもつかり、大根の麹漬け、ニラの「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、白菜と豚三枚肉の重ね鍋、「山本合名」の「ピュアブラック純米吟醸」(燗)
2019.2.1(金) 夜のいまだ明ける前に
夜のいまだ明ける前に、洗面所の遮光カーテンをずらして外の様子をうかがう。水銀灯に照らされた瓦屋根は、うっすらと白い。視線をすこし移すと、地面は黒く光っている。降る雪は着地をするそばから融けたらしい。
昨年2月2日の売上金額が極端に低いのは、明らかに雪のせいだ。雪が積もるとその日だけでなく、後遺症のようにして、数日はお客様の足が鈍る。社員の大部分は仕事よりも先に、雪かきに当たらなくてはならない。今日はまた「なめこのたまりだき」を完成させる日に当たっている。雪が積もらなくて本当に良かった。
朝食を食べ終えて食器を洗うころ、太陽が見る間に上がってくる。冬の朝日を斜めから浴びて、景色が青く輝き始める。夜の闇の中を抜けてきたらしいクルマは、その青い光の中を、明かりを点けたまま走り去っていく。それを見届けてから応接間を抜け、廊下に出てエレベータの扉の「開」ボタンを押す。そうして張り切って、仕事場へ向けて降りていく。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、「しいたけのたまりだき」と牛肉と里芋のすき焼き風、ピーマンと人参のきんぴら、柴漬け、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、なめこの味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 トマトとジャガイモと鶏肉のスープ、スパゲティサラダ、パン、チーズとパセリのオムレツ、イチゴ、”Petit Chablis Billaud Simon 2015″
2019.1.31(木) 金沢の雪
日本酒に特化した飲み会「本酒会」の旅行で金沢を訪れたのは、20年ちかく前のことだっただろうか。そう考えつつこの日記を検索すると、それは2001年1月21日から23日までの3日間と知れた。
その日は積もったばかりの雪を踏みつつ8時49分にJR今市駅を出発した。そこから宇都宮、大宮、越後湯沢、直江津と経由して金沢には14時9分に着いた。「街に雪はどれほど豊富だろうか」と胸を躍らせて来た金沢だったけれど、雪は街路樹の根元に残るのみで、大いに落胆をした。前日のテレビのニュースでは、北陸の大雪を伝えていたのだ。
人とは勝手なもので、冬に北国へ旅をするときには雪が多くあって欲しいと望みつつ、自分の生活圏内では、できれば雪は降って欲しくない。
昼食の後にスイッチを入れたテレビのニュースに、列島の地図が映し出される。明朝は東京でも雪の降る可能性があると説明しながら気象予報士が指した地図の、雪の降る場所として白く塗りつぶされた帯の中には、我が日光も完全に収まっている。
17時30分に通用口を閉めようとして外へ出てみると、早くも、雨とは思われない小さな粒が空から落ちつつあった。明日はどれほど積もるだろう。戦々恐々の心境である。
朝飯 ピーマンと人参のきんぴら、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、「しいたけのたまりだき」とほうれん草の玉子焼き、納豆、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、揚げ湯波と万能葱の味噌汁
昼飯 「金谷ホテルベーカリー」の2種のパン、コーヒー
晩飯 デコポンとベビーリーフのサラダ、玉葱と白菜とベーコンのスープ、パン、浅蜊と槍烏賊のスパゲティ、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”、“Chez Akabane”のリーフパイ、”Old Parr”(生)
2019.1.30(水) 両名共に手元が危うい
朝飯に味噌汁は欠かせない。しかし夜は酒という水分を摂取することもあって、味噌汁はほとんど作ってこなかった。そうしたところ最近、2016年11月に生まれた孫がことのほか味噌汁を好むことを知った。そうであれば、これを用意しないわけにはいかない。
朝の味噌汁はほとんど僕が作る。その流れからすれば、夜の味噌汁も僕が作るべきだろう。孫は椎茸を好む。だったらなめこも好きだろうかと、今夜の味噌汁の具にはなめこを用意した。この、粘性のあるきのこを椎茸と同じく孫が食べるかどうかは不明である。
冷蔵庫を調べると、薬味になりそうな野菜は万能葱のみだったから、幼児には刺激が強すぎるかも知れないと考えて、代わりに若布を入れた。器は、1週間ほど前にウェブショップに注文して数日後に届いた朱塗りで、僕のものとおなじくユニバーサルデザインによる。
直径10.5cmの子供用のお椀ではあるけれど、それに、いまだそれほど温度を上げていないなめこの味噌汁をたっぷり注ぎ、孫の前へ置く。孫はそれを一気に飲み干し、お替わりをくれという。汁ばかりを飲ませては他のものが食べられなくなる。鍋からなめこのみを掬って孫の前へ置く。孫はそのなめこをひとつ残らず口の中へ入れて、ようやく気が済んだらしい。
これから孫と和食による夕食を摂る際には、味噌汁を作らなければならない。ひとあし先に酒など飲んでいる場合ではないのだ。
朝飯 大豆の炒り卵、蓮根のきんぴら、ほうれん草のおひたし、薩摩揚げ、納豆、白菜漬け、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、揚げ湯波と若布と万能葱の味噌汁
昼飯 「大貫屋」のチャーハン
晩飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、細切り人参の炒り煮、たまり漬「刻みザクザク生姜」と同「おにおろしにんにく」による豚の生姜焼き、「らっきょうのたまり漬」を隠し味にしたポテトサラダ、松前漬け、白菜漬け、なめこと若布の味噌汁、麦焼酎「ひゅうが晴」(お湯割り)、”Chez Akabane”のケーキ、”Old Parr”(生)
2019.1.29(火) 道案内
地元の整形外科で処方された、朝昼晩の食後に飲むこととされている鎮痛剤は、おとといの昼からきのうの夜まで、およそ55時間ほど抜いても背中の痛みには何とか耐えることができた。そして今日は「1週間に2回の割で通院して、計8回で快方へ向かう可能性が高い」と言われたカイロプラクティックでの、6回目の施術日である。
今日の予約時間は10時30分だから割と早い。朝の諸々の用事を済ませて9時35分に会社を出る。僕はクルマでの移動はほとんどしないから道に疎い。宇都宮のカイロプラクティックへは、はじめの2回ほどはiPhoneのgoogleマップに頼った。しかし3回目からはさすがにその必要もなくなった。
電子ペンを患部に押し当てられたときの痛みは、前回26日のそれより更に弱くなった。姿勢やからだの使い方における長年の癖により凝り固まった筋肉は、順調にほぐれているらしい。
ところが帰路に着くと、またまた背中の痛みが強くなってきた。これがいわゆる好転反応なのかどうかは、素人の僕には分からない。家に帰って即、鎮痛剤を服用する。そして夜も鎮痛剤を飲んで早々に寝る。
朝飯 鮭の昆布巻き、牛蒡と人参のきんぴら、納豆、大豆の炒り卵、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、白菜漬け、トマトと揚げ湯波と万能葱の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 ほうれん草のおひたし、薩摩揚げ、「しいたけのたまりだき」と牛肉と里芋のすき焼き風、鮭のバター焼き、白菜漬け、麦焼酎「ひゅうが晴」(お湯割り)
2019.1.28(月) 塩らっきょう
トンロー、つまりスクムビットsoi55… と書いて、この「つまり」は説明にも何もなっていないけれど続ける。そのトンローのパクソイ、つまりトンロー通りの根元から北へ向かって右側の歩道を往くと、間もなく右手に上出来の骨董屋が見えてくる。
昼ひなかでもその店は入口に鍵を掛けている。しかしドアの取っ手に手をかければ即、奥に控える人が駆け寄って鍵を外してくれる。店の中はまぁ、アリババの洞窟だ。自分には高価で買えない、あるいは大きくて持ち帰れない逸物がほとんどではあるけれど、ひとつ、磁器製の小さな高台が目に付いた。訊けば清代最後期のものだという。
商談が成立すると店の人はその高台を丁寧に包み、それを僕はホテルの部屋で更に、持参したエアクッションにくるんだ。
この器には、いつも塩らっきょうを盛る。塩らっきょうを盛って、これほど似合う器は初めてだ。タイではその後、節約に励んでいるため、その骨董屋には入っていない。前を歩くことはあるものの、いつも脇目で通り過ぎている。
朝飯 大根と豚三枚肉の炊き合わせ、蓮根のきんぴら、柴漬け、塩鮭、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、トマトとピーマンと揚げ湯波の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 冷やしトマト、長芋の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」がけ、キムチ鍋、麦焼酎「ひゅうが晴」(お湯割り)
2019.1.27(日) 降雪
研究開発室に用事があって、早朝に仕事場へ降りる。すると裏玄関から出たところで消火栓のポンプがいつの間にか働き、工場内の床の一部が水浸しになっていることに気づいた。
24日に行われたキュービクル式高圧受電設備の交換に際しては、社内すべての配線がくまなく調べられ、翌25日には、齟齬のある部分につなぎ替えが施された。しかし消火栓の配電盤については、工事にあたった電気工事会社にも不明のところがあったという。本日は生憎と日曜日。よって明朝は即、防災担当の取引先に来てもらって、電気工事会社とすり合わせをしてもらうことを決める。築40年を過ぎた建物の中には、色々と分からないところがあるのだ。
1月は昇給の月にて、午前、子供を産み育てるために長期休暇を取っている以外の、すべての社員への給与辞令を作る。そしてそれに署名捺印をして、各々の給与明細と共に封筒に詰める。
通常、土曜日は平日の2倍いそがしく、日曜日は平日の3倍いそがしい。しかしこの週末に限っては不思議なことに、土曜日の売上げの方が良かった。
16時35分にお得意様から電話があり、すこし遅れても店を開けておくよう頼まれる。快諾をして店に立つうち、しかしそのお客様は閉店よりも前にご来店くださった。帰宅する社員に声をかけつつ3台のキャッシュレジスターを締めて4階に上がる。テレビのスイッチを入れると、豪栄道と貴景勝による結びの一番が始まるところだった。僕が相撲をもっとも面白く感じていたのは、富士櫻が全盛だった1980年前後だと思う。
朝飯 鮭の昆布巻き、大豆の炒り卵、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、揚げ湯波とキャベツの味噌汁
昼飯 「ふじや」の野菜麺
晩飯 トマトと人参とベーコンのスープ、林檎とレタスとチーズのサラダ、オムレツ、ピッツァその1、ピッツァその2、ピッツァその3、ピッツァその4、”Petit Chablis Billaud Simon 2015″
2019.1.26(土) 息つくひま
北千住07:42発の下り特急スペーシアに乗って、9時20分に帰社する。それからの2時間は、有り難いことに大型バス2台を含む少なくないお客様が入ってくださったこともあって、息をつくひまもない忙しさだった。
本日はまた「1週間に2回の割で通院して、計8回で快方へ向かう可能性が高い」と言われたカイロプラクティックでの、5回目の施術日だ。ホンダフィットの運転席に着き、宇都宮を目指して11時35分に会社を出る。
1回目に受けた低周波による治療では、その出力を最強にしても僕の症状の重さには効果を発揮しない。そう考えたらしい先生は、2回目からは道具を電子ペンに切り替えた。この治療器は、本体とペンを繋ぐ電線がからだに近づいただけで筋肉に電気が流れるほどだから、その手の感覚に弱い人は、説明を聞く前に逃げ出すかも知れない。しかしてそのペン先により感じる痛みは、前回のものよりも大分、軽くなっていた。
帰社すると時刻は14時20分。明日の朝に蔵出しする商品の数を包装係と決めるのは15時。以降17時までは、比較的おだやかな時間が流れる。
地元の整形外科で処方された、朝昼晩の食後に飲むこととされている鎮痛剤を、きのうは昼と夜、今日は昼のみの服用で何とか凌げた。
鎮痛剤を常用せざるを得ない人の話を耳にするたび「よくもまぁ、そんな不気味なことができるものだ」と感じていたが、いざ自分がからだに痛みを持つと、不気味さなどはどこへやら、痛苦を消すことが最優先になることを、文字通り身を以て知った。しかしいつまで鎮痛剤を飲み続けることはできない。全快の待たれるところである。
朝飯 「吉野家」の牛丼、生玉子、おしんこ、味噌汁
昼飯 「だるま食堂」のタンメン
晩飯 レタスと黄ピーマンとモッツァレラチーズのサラダ、クリームシチュー、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”、小さなお菓子、”Old Parr”(生)
2019.1.25(金) アルプス席とアリーナ席
テシマヨーちゃんは、稀代のデータベースソフト「マイツール」の伝道者のひとりだ。その、全国あちらこちらで月に1度ほどの頻度で開かれる小さな勉強会に、僕は昨年のうちから申し込んでいた。どちらかといえば引っ込み思案とされる日本人がほとんどの集まりであるにもかかわらず、人の発表を聴くアルプス席よりも、自分が発表するアリーナ席の方が先に埋まっていくところが面白い。それは、ヨーちゃんの巧みな手綱さばきによるところが大きいように僕は感じている。本日のアリーナ席は、以下の通り。
1.自社の日時MQ達成グラフ by クマキカオリ
2.「毎度お世話になります!名簿」 by ウワサワタクヤ
3.MT名簿で年賀状管理 by ワダノリコ
4.顧客名簿からのDMの抽出と分析 by ナガツカマモル
5.自社の2年分のデータ入力 by マエザワカズヒロ
6.V型ファイル、X型ファイルの活用法 by マエカワコータロー
今回の発表でもっとも驚いたのは、マイツールに触れて僅々2ヶ月にもかかわらず、自社の荒利が固定費をいつ超えるかを、日を追いつつ知ろうとするクマキカオリさんの試みだった。それにしても、弁当による夕食を摂りつつ21時まで続くこの勉強会は、中々に”tough”だ。
勉強の後の、いわゆる交流会にはほとんど顔を出さない僕ではあるけれど、今夜ばかりはつき合って、23時30分まで神田のお好み焼き屋に居つづける。
朝飯 「ドトールコーヒーショップ」の熱々ハムチーズ、コーヒー
昼飯 「ラッキー屋」の赤魚鯛粕漬け定食
晩飯 勉強会の会場に出前の弁当、「日光味噌」の湯波とほうれん草のフリーズドライ味噌汁、「おきばり屋」のあれや、これや、それや。トマトハイ、それを濃くするためのナカ、チューハイ、それを濃くするためのナカ