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清閑 PERSONAL DIARY

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2018.10.25(木) 被占領地

日光市旧市街中心部の、東武日光駅前のロータリーから東照宮まで続く長いだらだら坂の途中までは、電柱が撤去され、架線はすべて地下に埋設をされて、街並みは隨分とさっぱりした。我が旧今市市旧市街中心部も遅ればせながら、電線の地中化が進められている。

日光街道と旧会津街道が交わる春日町交差点の北西の角に位置するウチの周辺にももちろん工事が及び、現在は、お客様用駐車場に接する歩道が掘削されている。

数日前に道ばたで現場監督と会ったため、その進捗につき訊いたところ、先般、予期せず地下に暗渠のあることが分かり、これの取り扱いにつき関係方面と協議をしたため、工期が遅れているという。そのときには「そうですか」くらいで話を終えた経緯があった。

1970年代に日光宇都宮道路が開通し、その今市I.C.から春日町の交差点まで取り付け道路が開通するまで、いま掘られているところはウチの土地だった。とすればその正体不明の暗渠とは何だろう。第二次世界大戦後も残された防空壕は、その場所より南西側にあったはずだ。

いずれにしても、現在は紅葉狩りの季節で、店は忙しい。昨年より好天に恵まれている今年は尚のこと、駐車場の一部が第三者の車両により占領される状況は痛い。工事ができるだけ早く終わることを、僕は望んでいる。


朝飯 納豆、切り昆布の炒り煮、ピーマンのコーンビーフのソテー、トマトのスクランブルドエッグ、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と大根と椎茸の味噌汁
晩飯 ニラと椎茸の卵とじ、春雨サラダ、3種の焼売、ごぼうのたまり漬、メシ、チョコレートケーキ


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2018.10.24(水) 凝りなのか、何なのか

土曜日の午後から、まるで頸椎が右にずれてしまったような感覚を背中の上部右側に感じ始めた。「気楽なものだった」と口では言いながら、実際には大いに緊張しつつ受けたに違いない、白内障の手術による凝りではないか、と家内が言う。急に良く見えるようになった目に対してからだの他の部分がついて行けないことによる凝りではないか、と長男は言う。どちらでもない。なぜなら現在の不快な感覚は、数ヶ月前にも経験をしているからだ。

その数ヶ月前のときには、仰向けになった背中の下に置いて背中を圧す仕組みの健康器具を3日ほど使ったところ、不快感は霧消した。よって今回もおなじ対策を講じているものの、凝りはなかなか去らない。

外科あるいは鍼灸による施術所を訪ねようにも忙しくて、この「忙しくて」とは忙しく立ち働いているわけではないものの、会社を空けられないという事情から、それが果たせない。

この不思議な凝りは一体全体、なにに由来をするものか。頸椎は本当に右にずれているのか、あるいはただ、右にずれているような気がするだけなのか、それだけでも知りたいところではあるけれど、毎朝、毎晩、むかしから家にある健康器具を背中の下に置いて凌ぐ日々である。


朝飯 生のトマト、切り昆布の炒り煮、厚揚げ豆腐と小松菜と人参の炊き合わせ、納豆、すぐき、ごぼうのたまり漬、メシ、コーンビーフとサラダ菜の味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 トマトと葡萄のサラダ、ポテトサラダ、刻みキャベツを添えたチキンフライと鶏もも肉の照り焼き、メシ、大根と厚揚げ豆腐と万能葱の味噌汁


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2018.10.23(火) 青紫

先週の火曜日に白内障の手術を右目に受け、翌朝、診察のためオーミヤナナサト眼科を訪ねると、おなじ日におなじ手術を受けた夫婦と診察室で隣り合わせになった。

そのダンナの方は、看護婦さんに眼帯を外されてしばらくすると、水色と白の縞のシャツの袖を指さして「白いところが手術した方の目では真っ青に見える。手術していない方では茶色に見える」と、驚きの声を上げた。真っ青や茶色は大げさにしても、その見え方には僕も気づいていた。手術を受けた方の目には、すべてのものが青みを帯びて見えるのだ。

その後、左目にも手術を受け、すると、右目と左目を交互に開けて「手術を受けた方では青く見える、受けていない方では黄色く見える」という左右の比較はできなくなった。そして今度は、すべてのものが青みを帯びて見えることが常態となった。

この感覚が顕著になるのは、雨が降り始めたときだ。屋根が濡れ、地面が濡れ、草木が濡れ、道を往くクルマも濡れると、あたりはすべて、それまでの青みに紫を加えた、更に不思議な色に変わるのだ。しかしそれは、何年もかけて風景を黄濁させてきた水晶体を抜き取り、そこに透明のレンズをいきなりはめ込んだことによる錯覚と思われる。

眼科では「3ヶ月から数ヶ月」と伝えられている回復期を過ぎれば、その青や青紫の世界を脳が通常と判断し、何の奇異さも感じなくなってしまうのだろう、多分。


朝飯 切り昆布の炒り煮、納豆、生玉子、厚揚げ豆腐と小松菜と人参の炊き合わせ、すぐき、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと小松菜の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 トマトサラダ、カレーライス、らっきょうのたまり漬


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2018.10.22(月) 鼻歌まじり

先週の火曜日に右目、そして金曜日には左目に受けた白内障の手術は、僕にとっては気楽なものだった。白内障の手術を鼻歌まじりに受けるための要諦は、病院と執刀医を信頼することだ。逆から言えば、信頼できる病院と執刀医を見つけることだ。加えて、これは先週土曜日の日記にも書いたことだが、術後は間を置かず、頻繁に診察がある。よってひとりで行動しづらい人は、通いやすい病院を選ぶことが肝要になる。

もうひとつ、白内障と診断をされたなら、できるだけ早く手術を受けるべきだ。先延ばしにすれば医学もそれだけ進歩するだろう、という考えはある。しかし自分の脳や肉体は日々、衰えていく。

脳が衰えれば、医師や看護師の言うことが理解しづらくなる。手術の前後には、右目と左目に、それぞれ異なる複数の目薬を、それぞれ異なる頻度で注すという、これまた脳の衰えた人にはなかなかに難しい作業が発生する。「だったらボケる前にさっさとやっちまえ」である。

下今市07:45発の上り特急スペーシアを春日部で乗り換え、七里の駅から徒歩数分のオーミヤナナサト眼科には9時20分に入った。検査の結果、視力は両目で1.0だった。院長の診察によれば「経過は良好」とのことだった。次の診察は今週の金曜日。なかなかに頻繁である。

近視、遠視、乱視に関わるメガネは生涯に亘って九分九厘必要なくなるものの、加齢黄斑変性の原因となる紫外線を避けるメガネについては、これを新調するため、七里から池袋に移動して馴染みのメガネ屋を訪ねる。

帰りは北千住13:42発の下り特急スペーシアに間に合った。それに乗って15時すぎに帰社して即、仕事に復帰する。


朝飯 厚揚げ豆腐と小松菜と人参の炊き合わせ、納豆、サラダ菜とトマトのサラダ、蓮根のきんぴら、切り昆布の炒り煮、ごぼうのたまり漬、メシ、浅蜊と小松菜の味噌汁
昼飯 「ドトール」のチーズとベーコンのたっぷり4種のチーズとコク旨ベーコンのカルツォーネジャーマンドック、コーヒー
晩飯 ポテトサラダカレー南蛮鍋

2018.10.21(日) 紅葉狩りはたけなわ

日光が紅葉狩りの観光客で賑わいはじめるのは、毎年、体育の日の絡む連休からだ。この時期の渋滞を知る人は、できるだけ早く山に上がりたい。その気持ちに応えるため、ウチでは定時の8時15分より前から商品を販売させていただいている。目印はらっきょうの絵のあるノレン。このノレンが出ていれば、準備はおおむね整っている。ノレンは大抵、7時30分にはお出ししている

そんな忙しい最中に、オフクロの祥月命日である10月15日に墓前に供えた花を、いまだ片付けていなかったことに気づく。仕事の合間に如来寺のお墓を訪ねてみれば、真夏とは異なって、花はいまだ生気を保っていた。よってその花に水を足し、線香立ては水で洗って元の位置に戻した。数日を経たら、また来てみることにしよう。

本日はまた「今市屋台まつり」の日である。僕は会計係として、裏方を務めている。屋台の準備、片づけ、巡行、直会への参加などは長男に任せている。我が春日町1丁目の彫刻屋台が日光街道を下りつつ春日町の交差点を通過したのは11時45分。祭りは夜まで続くだろう。


朝飯 たたき牛蒡の胡麻和え、真菰筍の炒りつけ、切り昆布の炒り煮、厚揚げ豆腐と小松菜と人参の炊き合わせ、納豆、「なめこのたまりだき」のフワトロ玉子、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と小松菜の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 鶏肉団子の鍋「本沢屋」の2種の団子


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2018.10.20(土) あつあつハムチーズ

朝、宿の共同浴場で、着ている室内着をロッカーに入れる。そして浴室への引き戸を開けると目の前に、二の腕に刺青をしたアンチャンが素っ裸で眠っていた。よってそのアンチャンを跨ぐようにして、更に先のタイルに爪先を伸ばす。なかなかに妙味のある宿である。

風呂上がりに乗った体重計は56.0Kgを示した。酒は食べ物を美味くする過給機だ。それを欠けば食べる量も減る。加えて手術の日は安静を保って日に2食しか食べなかった。体重が減るのも道理である。

東武アーバンクラインの、大宮09:11発に乗って09:20に七里に着く。オーミヤナナサト眼科には9時28分に入った。きのう手術を受けた左目は視力検査の結果、火曜日に手術した右目ほどは劇的な視力の向上を示さなかった。看護婦さんから何度も瞳孔を広げる薬を目に注されつつ、診察の番を待つ。

いよいよ名前を呼ばれて院長の前に座る。右目の経過は良好。そして先ほど眼帯を外されたばかりの左目も、おなじく状態は良いという。左目の視力について訊くと「白内障の手術から3ヶ月ほどは目も慣れを要するため、今から心配をすることはない」と諭された。また近視、遠視、乱視に関わるメガネは生涯に亘って九分九厘必要なくなるものの、紫外線を遮るためのメガネは、加齢黄斑変性を予防するためにも使った方が無難とのことだった。

次の診察日を記した紙を帰りに受け取る。その日付は10月22日。なんと明後日もまた、この眼科に来なければならない。ひとりで行動しづらい人が白内障の手術を受けるときには、地理的なことも、病院を選ぶ条件のひとつに加えるべきだろう。

七里11:10発の春日部行きに乗れば、春日部11:33発の下り特急リバティに間に合う。そうして昼すぎに帰社して即、仕事に復帰する。


朝飯 「ドトール」の「あつあつハムチーズ」、コーヒー
昼飯 「つけ汁うどんあくつ」の「さっぱりおろしのつけ汁うどんセット」そのセットに含まれるやわらか黒糖プリン
晩飯 トマトとモッツァレラチーズのサラダ野菜スープトーストベーコンエッグエクレア、コーヒー


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2018.10.19(金) 白内障の手術(左目)

夜中に目を覚まし、絨毯張りの部屋からおなじく絨毯張りの廊下に素足で出て共同便所へ行く。時刻は3時だった。「3時まで眠れた良かった」と安堵しつつ部屋に戻り、これから朝までどう過ごそうかと考える間もなく眠りに落ちる。次に目を覚ますと7時を過ぎていた。

「東京に出張をする際にはドヤに泊まる」という人を知っている。気分が落ち着くのだという。「ドヤに泊まると気分が落ち着くとは、一体全体、どのような神経の持ち主だろう」と不思議に感じたけれど、自分もその「ドヤ」で7時間も眠れたではないか。驚くほかはない。

11時30分、正午、12時30分、13時と、散瞳つまり瞳孔を広げるための薬、抗菌薬、抗炎症薬からなる3種の目薬を注す。13時30分の点眼はオーミヤナナサト眼科のロビーで行った。火曜日と同じく手術を受けるに際しての同意書を提出する。やがて「こんな人、”KARA”にいなかったか」というようなオネーサンに案内されて手術室のある2階に上がる。

今日は手術を受ける人が多い。僕は15時をすこし回ったころ手術室に入った。

施術の手順は火曜日とまったく同じ。しかし僕には記憶ちがいがあったらしい。本日、胸に心電計のパッド、そして右腕に血圧計のための布が巻かれたのは、レーザーによる目の切開が終わり、次の、そこにレンズを入れるための手術が始められる前だった。目に液体が流水のように注がれ続ける感じがしたのは、レーザーで目を切られているときではなく、レンズを入れられているときだった。

最初の手術で、まぶたを開いたままにする輪を目の周りに嵌められ、機械が眼球に限りなく近づくと、正方形の角の関係に並んだ4つの光が見える。その真ん中の暗いところを見つめるよう院長に言われる。4つの光はやがて4つの黒い輪に変わる。その輪の細い線をなぞるように、黒く太い線がグルリと動いていく。今こそが、水晶体前嚢がレーザーにより切開されつつある数秒間なのかも知れない。

白濁し、かつ硬化した水晶体が綺麗さっぱり取り去られ、そこに3焦点のレンズを入れるための手術の最中には、機械の発する音が様々に変わることに気づいた。その音は「まだまだ」、「もうすこし」、「よし、そこ」と、レンズの正しい位置を報せるためのものだろうか。そしてこの手術は、火曜日よりもすこし時間を要したように思われた。しかし手術室から出て壁の時計に右目を遣ると、時刻は15時25分だったから、全体の所要時間は却って短かったようだ。

2階の椅子に座ってしばらくすると「ご気分はお変わりないですか」と水色のナース服のオネーサンに声をかけられ、1階に降りる。そして本日の手術費用を支払い、明日の診察時間を書いた紙を手渡されてオーミヤナナサト眼科を去る。

よその街へ行ったなら、特に夜は、その街で生まれ育った店で飲み食いをしたい。そして事実、どこででも、僕はそのようにしてきた。しかし今回「術後の1週間は禁酒」という制約を科されてみると、どうも地元の店には一歩を踏み出せない気持ちの芽生えることを知った。よい年をして「あの-、お酒、飲めないんですけど、よろしいですか」などとは訊きづらい。あるいは「アルコールフリーの飲物を置かない店だったらどうしよう」という気後れが働くのだ。

そして結局のところ、夜は駅ビルの中にある鮨のチェーン店に入り、いくつかの握り鮨を肴にノンアルコールビールを飲む。


朝飯 「ドトール珈琲農園」の「ジャンボンハムとたまごのサンド」、コーヒー
晩飯 「築地玉寿司」の平貝の握りトロたく巻き、他あれこれ、”Asahi DRY ZERO”


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2018.10.18(木) ドヤ

下今市17:32発の上り特急スペーシアは満席だった。自分の席は、きのうのうちにウェブ上で確保していた。この時期、つまり紅葉狩りの季節の東武日光線は、観光客により著しく混む。僕が高等学校に通っていたころは、年末年始とゴールデンウィークを除いては、このようなことはなかったように思うけれど、どうだろう。

左目の白内障の手術に備えて今夜は大宮に泊まる。今週の月曜日とおなじである。しかし宿は異なる。先般のまともなホテルは、月曜日からの2泊しか取れなかったのだ。

20時前に今夜の宿の前に立って、改めて、その厳しさを知る。フロントのある4階から階段を降りて、会議室の仕切り板のようなもので囲われた部屋に入り「やっぱり」と、その侘びしさを実感する、まるで「ドヤ」である。東京および首都圏にある宿泊施設の需給は、かなり逼迫をしているらしい。

1980年、1982年とインドを旅した。インドは旅する者にとっては”tough”であり”spartan”であり、また”bloody”な土地だ。そのインドを旅しながら「しかし、こと宿泊においては、日本よりも気は楽だわな」と感じた。泊まるところは無数にあり、小遣いを求められることはあったものの、そこいらへんにいる有象無象がみずからすすんで案内をしてくれたからだ。

とにかく今夜は、この「ドヤ」に泊まるしか方法はない。そしてサイフと共に明日の手術費用も”Eagle Creek”のポーチに収め、それを手に今夜の食事場所を探すため外へ出る。


朝飯 納豆、蓮根のきんぴら、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、人参の細切りサラダ、ごぼうのたまり漬、たたき牛蒡の胡麻和え、メシ、揚げ湯波とほうれん草の味噌汁
昼飯 “FLYING GARDEN”のランチスープトマト煮込みハンバーグ、ライス
晩飯 「串カツ田中」のマカロニサラダ、串カツあれこれ、冷やしトマト、ホッピーの白(外のみ)ホッピーの黒(外のみ)


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2018.10.17(水) 笑うおばさん

きのうオーミヤナナサト眼科で白内障の手術を右目に受け、帰るとき受付で手渡された紙には、今日の診察時間は10時と書いてあった。それに従って、8時30分に部屋を出る。朝食をゆっくり摂り、大宮から七里まで電車に乗って、病院に着くと時刻は9時45分だった。

人手不足が叫ばれる中、この、決して規模の大きくない眼科には、ほとんど若い女の人ばかり25人ほどが働いている。彼女たちの服装は、水色のナース服、白衣に黒のスキニーパンツ、紺色のスクラブに黒のスキニーパンツの3種類だ。その違いは、各々の職分によるのだろうか。太っている人は、ひとりとしていない。

そのうちの、白衣にスキニーパンツのオネーサン、いや、僕の年からすればオネーチャンと呼ぶ方がふさわしいほどの若い女の人が、とても丁寧に眼帯を外してくれる。3焦点のレンズを入れた右目には、6メートルほど離れたところで別の患者を診察する院長の、日焼けした禿げ頭が異様な立体感を伴って見えた。

今度は紺色のスクラブに黒のスキニーパンツの、ガールズバーにでもいたら似合いそうな女の子に呼ばれ、先ずは両目の眼圧、次に右目の視力が測られる。輪の一部が切れたお馴染みの視力検査表の、かなり下の方までよどみなく答えることができる。「良く見えてますねー」と、彼女はまるで我がことのように嬉しそうに表情を崩す。「どのくらい見えてますか」と訊くと「1.2です」に続けて「前はいちばん上も見えなかったですからね」と、自分でさえ忘れていたことを、若いけれど、立派に自立している女の子は僕に思い出させてくれた。

診察室内のベンチにふたたび戻る。僕の左には、きのうおそろいで手術を受けた夫婦が座っている。眼帯を外されたオバサン、まぁ、世間一般からすればオバーサンだろうけれど、ハンドバッグから老人向けのスマートフォンを取り出し、その画面の電話帳に視線を落とすなり「見えるっ、見えるっ、見えるっ、クッキッキー」と笑った。ダンナの方は水色と白の縞のシャツを指さし「白いところが手術した方の目では真っ青に見える。手術していない方では茶色に見える」と驚いている。真っ青や茶色は大げさにしても、その見え方には僕も気づいていた。濁った水晶体は、見えるものすべてを、知らず知らずのうちに黄色くするらしい。

最後に院長の前に呼ばれる。僕の右目が特殊な拡大鏡でモニターに映し出される。きのうレーザーで真円に切開された傷が明瞭に見えている。経過は順調らしい。そして「金曜日も頑張りましょう」と励まされて丸椅子から立ち上がる。

満席の特急リバティで昼すぎに会社に戻ると「どれ、どれ、どれ、見せて」と家内が駆け寄って、僕の右目を覗き込んだ。いくら凝視をしても、カラーコンタクトレンズでもあるまいし、レーザーにより切られた傷も、また埋め込んだレンズも、肉眼で確かめられるものではない。

眼科で手渡された「白内障手術後の生活について」には「手術日も含めて3日間は安静が理想」と書いてある。しかし昼食後は閉店時まで普通に仕事をする。

夕食は「ワインが無かったら始まらない」というような内容だった。しかし脳の中には何か、覚悟のようなものができあがっているのだろう、アルコールを欲する気持ちは一切、起きない。体重は明らかに、減ってきている気がする。そして入浴をして早めに寝室に入る。


朝飯 「ドトール珈琲農園」の「3種チーズのあつあつたまごグラタン」、トースト、コーヒー
昼飯 「食堂ニジコ」のラーメン
晩飯 野菜スープトマトとモッツァレラチーズとベビーリーフのサラダフォカッチャミートソーススパゲティのグラタンソーダ


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2018.10.16(火) 白内障の手術(右目)

7時、7時30分、8時と、散瞳つまり瞳孔を広げるための薬、抗菌薬、抗炎症薬と、3種の目薬を注す。各々の間隔は、成分を目に吸収させるため、3分間は置くよう注意書きにある。そして3回目の点眼が完了した8時10分に部屋を出る。8時30分の点眼は牛丼屋で、9時の点眼は本日、右目の手術をするオーミヤナナサト眼科のロビーで行った。

手術日の患者に義務づけられた5回の点眼を済ませたところで受付に声をかける。ややあって僕は、年配の男の人と共に呼ばれ、看護婦さんなのか視能訓練士なのかは知らないけれど、とにかく女の人に導かれ、手術室のある2階までエレベータで上がった。どこまでも綺麗な病院である。

2階の待合室で更に、瞳孔を広げるための目薬を10回ちかく注される。どうやら僕の目には、散瞳薬はあまり効かないらしい。やがてその瞳孔も開いたらしく、呼ばれて手と顔を、それぞれの専用洗剤で洗うよう言われる。それを済ませると、不織布による手術着を着せられ、おなじく帽子をかぶらされた。その姿で元の席に戻り、しばらく座っている。

僕と共に2階に上がった年配の男性は僕より先に手術を受け、やがて待合室に戻ってきた。顔に安堵の笑みを浮かべているところからして、手術はそう辛いものでもなさそうだ。

壁の時計を確認したわけではないけれど、僕が呼ばれたのは10時15分のころだったと思う。手術室に入り、指定された椅子に着く。この眼科をはじめて訪ねた7月17日以降、何度も診察してくれた院長が、手術着を着て立っている。

椅子はモーターにより動いて、僕のからだを仰向けにする。看護婦さんの指導を受けて、頭の位置は自分で調整する。やがて院長により、まぶたを開けたままにするための輪が右目に嵌められた。緊張していないといえば嘘になる。しかし恐怖は感じない。恐怖を感じたくないからこそ、人の手に握られたメスではなく、ミクロン単位の精密さで水晶体前嚢を真円に切るフェムトセカンドレーザー手術を選んだのだ。

看護婦さんが襟元から僕の胸に手を突っ込み、心電計のためのパッドを4つ付ける。別の看護婦さんは血圧を計るための布を右腕に巻き付け、更に右手の人差し指にクリップ式の心電計を取り付ける。僕の心臓の鼓動を知らせる電子音が、どこからともなく聞こえてくる。

右目に液体が注がれる。本日3回目の麻酔薬かも知れない。以降は別の液体が、今度は流水のように注がれ続ける。左目はマスクにより覆われ、右目だけが露出をしている。水晶体前嚢を真円に切開し、水晶体の硬化した濁りを破砕し、角膜を切るための機械が目のすぐ前まで近づいているらしい。

「すこし押される感じがします」と院長に言われて眼球が押されるのかと身構えたが、押されたのは眼窩の周囲に限られていた。僕の目には、万華鏡の中で回る墨流しのようなものが、形を変えながら見え続けている。今、正に、濁って固くなった水晶体が細かく砕かれ、吸い出されているところなのかも知れない。

「あと30秒です」と、横に立っているらしい看護婦さんが教えてくれる。「あと15秒です」に続いて「あと5秒です、もうすぐ終わります」と逐一おしえてくれる看護婦さんの声が、僕の心を落ち着かせる。

「レーザーの手術は上手くいきましたよ」と、院長が教えてくれる。僕は椅子に寝かされたまま、別の機械のところまで動かされていく。目は院長の指示により閉じているから、何も見えない。

さて今度は、積年の濁りを吸い出された右目に、最新式の3焦点レンズを埋め込む手術だ。こちらの方は、先ほどの手術の4倍くらいの時間がかかったように感じられたが、実際のところは分からない。目には、そのレンズがはめ込まれ、また位置を調整されるに従って、様々な光が見えてくる。

やがて、右目のまぶたを開けたままにするための輪が外される。「目を開けてみてください」と院長が言う。「私の手が見えるでしょう」と、院長は僕の目の前で手を振ってみせた。僕は「はい」と答えてふたたび目をつぶった。その右のまぶたには眼帯が絆創膏で貼られた。

手術室を出て壁の時計を見ると、時刻は10時40分だった。実際に手術を受けていた時間は20分もなかっただろう。院長も手術室から出てきて「レンズを入れる手術も上手くいきました」と声をかけてくれる。最初から最後まで、痛みはまったく感じなかった。

七里から大宮まで電車で戻り、ホテルの部屋に入って時計を見ると、時刻は11時50分だった。腹も減っていなければ昼食は摂らず、夕刻までベッドに仰向けになって安静にしている。

窓の外が暗くなり始めて「さて、今夜はどこで食事をしようか」と考える。そして結局はきのうとおなじ「いづみや本店」へ出かけ、3つ4つの肴と共にウーロン茶を飲む


朝飯 「吉野家」の牛丼、生玉子、お新香、味噌汁
晩飯 「いづみや本店」のモツ煮冷やしトマトげそわさハムカツ、ウーロン茶


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上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

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