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清閑 PERSONAL DIARY

2026.10.10(土) 偶然のことながら

この日記のための画像には、これまで数え切れないほどのデジタルカメラを使ってきた。その色味が劇的に良くなったのは、日記の最上部の画像に限っては2022年6月18日から。そしてその翌日からは、食事の画像も含めて一新をされた。それは、iPhoneに特殊なアプリケーションをダウンロードし、それにより諸々を撮るようになったからだ。

ところが先月13日の日記に書いたように、そのアプリケーションが突然、変調を来した。以降はiPhoneにデフォールトで装備された、色味の悪いカメラを仕方なく使ってきた。

今朝は偶然のことながら、今年6月に新調したLet’s note CF-SCにはじめから備わっていた画像編集ソフトにて、旧来の色味の取り戻せることが分かった。これは外注SEのシバタサトシさんも気づかなかった手で、僕の憂いは一気に晴れた。

この”Big Hand”に気づいていれば、つい先日までの旅の画像も綺麗な色で日記に上げられたところだった。しかし、まぁ、良い。とにかく一昨日10月8日の日記からは、なぜか3:4の縦横比に限ってではあるものの、元の色味を取り戻すことができたのだ。

ところで今月4日に”Son Charoen Nakon”で夕食を摂った際には「ずいぶん古いiPhone、使ってるな」と、コモトリケー君に言われた。僕の経済観念からすると、いまだ使えるiPhoneを新しい機種に替える気はしない。しかし次代のそれを手に入れれば、現在の「3:4の縦横比に限って」からも、解放されるかも知れない。


朝飯 納豆、揚げ湯葉の甘辛煮、明太子、なめこのたまり炊、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」のお茶漬け

昼飯 にゅうめん

晩飯 胡瓜の塩もみ、揚げ湯葉の甘辛煮、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、牛丼、「豊国酒造」の「一歩己純米」(燗)

2026.10.9(金) 境界標

半世紀ほども前に建てられた車庫が、会社から少し離れたところにある。かつては人の所有になるものも含めて多くのクルマが納められていたものの、今はほとんど空の状態になっている。この車庫の、特に外縁部分の傷みが激しくなっていることについては、数年前より、どうにかしなくてはいけないと考えていた。

その、レンガの崩れた花壇などを一掃し、アスファルトで舗装をする工事が、今夏、遂に行われた。土木建築会社からの請求書には、土地家屋調査士による測量の料金も含まれていた。道路や他所のお宅の土地に接する部分の工事であれば、必要なことなのだろう。

その測量の結果を確認する立ち会いが10月9日に行われることは、タイの田舎にいるときに、長男よりメッセンジャーで知らされていた。タイから戻ると、土地家屋調査士による図面は既にして僕の事務机に載せられていた。

立ち会いの時間として定められた10時の5分前に、自転車で会社を出る。現場には既にして、土木建築会社と土地家屋調査士の3名が待っていた。追いかけるようにして長男も来る。そして土地の要所に打たれた境界標を、次々と確認していく。

今回、分かったことのひとつに、車庫の土地は会社の所有でも、それに隣接する空き地は僕の名義だった、という事実だ。それが以前はオヤジのものだったのか、オフクロのものだったかは覚えていない。

上澤梅太郎商店の決算月は8月で、諸々の数字については、間もなく税理士との話し合いが持たれるだろう。そのときにはこの土地についても、相談をすることにしようと思う。


朝飯 トマトのソテーを添えた目玉焼き、揚げ茄子、大根おろしを添えた納豆、揚げ湯葉の甘辛煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみ合わせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、キャベツと若布の味噌汁

昼飯 にゅうめん

晩飯 納豆、夏太郎らっきょう、豚肉と椎茸と法蓮草の鍋、「豊国酒造」の「一歩己純米」(燗)、焼き菓子、Old Parr(生)

2026.10.8(木) 4日前は遠い過去

目を覚まして枕頭にiPhoneを探る。時刻は4時7分だった。即、起床する。一昨日の日記がいまだ完成していない朝は、とにかくそれを済ませるまでは気分が落ち着かない。きのうの日記はおろか、できれば今日の日記も、その現在まではリアルタイムで書いてしまいたい気持ちがあるのだ。

木曜日は配達係イザワコーイチさんの休みの日にて、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」への配達は、朝一番より僕がひとりで行う。すると驚くべきことに、きのうの15時には充分に納めたつもりだった商品の一部に売り切れが発生していた。よって取り急ぎ会社へ戻り、普段に倍する量を売り場および裏手の冷蔵庫に充実させる。

今日は、社員の個人面談が9時30分から4階で行われることになっている。それが決まるより前より予定されていた、ツバメの巣を撤去し、それがあったことにより汚れたところを掃除する業者が9時前に来る。当該の場所は玄関と4階のベランダで、先ずは4階の現場を見せて欲しいと言われる。業者は6名の大部隊にて、彼らを4階へ案内する。

その結果、作業は4階から始めることが決まる。よって個人面談の場所は4階から隠居へ移すことにする。業者には僕の携帯電話の番号を教え、何かあったら呼び出すよう言う。タイの田舎での日々が、まるで遠い過去のことのように思われる忙しさである。

個人面談は午後も続く。その最中にお客様の増える時間帯があって、1時間だけ店に降りたり、あるいは道の駅「日光街道ニコニコ本陣」に本日最後の納品をしたりする。そうしてまた個人面談の席に移る。

玄関と4階のベランダは、驚くほど綺麗になった。年が明けてしばらくしたら、その部分にツバメが営巣しない仕掛けを施すことになっている。「ツバメは縁起の良い鳥だから、その巣は大切に扱うべし」と言う人もいる。その言葉に逆らって、ツバメの巣はこれまでに数百を撤去してきた。食べるものを作る会社であれば、従うべきは俗言ではなく、科学であるべきと思う。


朝飯 揚げ湯葉の甘辛煮、切昆布の炒り煮、秋刀魚の梅煮、ブロッコリーのソテーを添えたスクランブルドエッグ、納豆、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、メシ、豆腐と若布と万能葱の味噌汁

昼飯 にゅうめん

晩飯 ブロッコリーのソテーとキャロットラペ、マッシュドポテト、ベビーリーフのサラダを添えたハンバーグステーキ、「豊国酒造」の「一歩己純米」(燗)

2026.10.7(水) 朝の月

目を覚ましたのは4時42分、起床は5時3分。ようやくまともな時間に目の覚める朝が来た。仏壇に花と水とお茶と線香を供え、2週間ぶりに日本茶を飲む。

食堂のテーブルでコンピュータのキーボードを叩きながら、にわかに眩しさを覚える。右手の窓に目を遣ると、東の高い建物と銀杏の向こうから、太陽の一部がはみ出たところだった。時刻は5時57分になっていた。そして朝食の準備を始める6時30分の直前に、ようよう一昨日つまりタイでの最後の日の日記を書き終える。

きのうまで気づかずにいたけれど、今日は店休日だった。上澤梅太郎商店では、月に1度だけお休みをいただいている。店は休みでも、ほとんどの社員は出勤をする。そして店を休みにしてこそできる諸々をする。今日は9時から皆が隠居に集まって全体会を行う。そして午前のうちに、事務室で事務係との会議、店舗での販売係との会議をこなす。

午後は席を4階に移して個人面談を行う。15時が近づいたところで道の駅「日光街道ニコニコ本陣」に検品のため行くと、らっきょうのたまり漬が残り数袋になっていた。店休日には道の駅で売れる量が増えるとはいえ、13時に配達係のイザワコーイチさんが検品と納品に来たときには、2時間後の事態は想像できなかったに違いない。即、会社に戻って冷蔵庫から準備済みの通用箱を台車に載せ、それをホンダフィットに積み替えて道の駅へ運ぶ。

以降も個人面談は続き、最後は経営者のみの会議を17時45分まで持つ。


朝飯 法蓮草のおひたし、煮卵、切昆布の炒り煮、大根おろしを添えた揚げ茄子、納豆、揚げ湯葉の甘辛煮、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、メシ、大根と若布と万能葱の味噌汁

昼飯 肉まん

晩飯 春雨サラダ、「食堂ニジコ」の豆腐の塩煮、鶏もも肉の唐揚げ、酢豚、ソース焼きそば、チャーハン、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、麦焼酎「むぎっちょ」(お湯割り)、杏仁豆腐

2026.10.6(火) 帰国

02:30 寝不足による不快感とは逆の、むしろ爽やかな気分で目を覚ます。機内は既にして薄明るく、客室乗務員たちは、一般とは異なった食事を配り始めている。

02:35 オムレツか、あるいは和風のチキンライスかと問われて後者を選ぶ。しかし口に入れたものは結局のところ、ヨーグルトと果物とコーヒーのみに留まる。
02:50 機は沖縄の上空を離れて、九州の南部海上を目指している。
03:12 太平洋を覆った雲の東の果てには、明けつつある空の紅い色が見え始めている。

04:18 TG682は定刻より37分はやい日本時間06:18に羽田空港に着陸。以降の時間表記は日本時間とする。

06:40 入国審査場を通過。その手前には、これまで見たこともないほどの人が溢れている。
07:29 回転台からようやく荷物が出てくる。荷物の出てくるまでの時間が異常に遅いのは、荷物が出てきても、その持ち主が、いまだ入国審査場を通過せず、だからおなじ荷物が回転台の上を回り続け、続く荷物はその手前で滞留していることが原因と思われる。隣の回転台ではそれ以上の溢流が発生し、持ち主の現れない荷物はすべて、回転台から降ろされて床に並べられている。このような光景を目の当たりにするのは、初めてのことだ。

07:35 税関を通過。
07:48 京成高砂行きの急行が羽田空港第3ターミナルを発。
08:53 その車両が北千住に着。駅の構内で朝食を済ませ、コーヒーを飲みつつ時間を調整する。
09:43 リバティきぬ105号が北千住を発。

下り特急の車内では、既にして完成している一昨日の日記を公開し、ウェブ上に上がったそれを読んで、修正すべきところを修正する。また「日本のいちばん長い日」を読み終える。

11:12 リバティきぬ105号が下今市に着。家内が迎えに来てくれている。

スーツケースは、本体や車輪を濡れたティッシュペーパーで拭くなどしてから家に上げる。朝食は普段より2時間以上も遅く摂ったため、昼食は抜く。13時までに荷物の仕分けを終え、着替えて13時30分より事務室へ降りる。

旅から戻って真っ先にすべきは、事務机の上に盛り上がった郵便物や連絡のためのメモの処理だ。郵便物の半分は開封と同時に、あるいは開封をしないまま、資源ゴミ置き場へ回す。残り半分のうちのほとんどは、メモを付けて長男の机に置く。

瀧尾神社での責任役員の会議は18時からと定められていたため、その15分前に、神社の駐車場にホンダフィットを乗り入れる。タイへ行っているあいだに日はますます短くなって、あたりは既にして真っ暗だ。

準備万端の役員がいること、また周囲の要請により二つ返事で役を受けてくれる役員がいて、会議は1時間ほどで完了した。

夕食の席では、燗をつけた日本酒が捗った。日本は既にして温め酒の似合う季節になった、ということだろう。


朝飯 TG682の機内食、「小諸蕎麦」のたぬきそば、ライス

晩飯 蓮根のきんぴら、茹でたブロッコリー、豚ひき肉と春雨の中華風炒め、秋刀魚の梅煮、東坡肉、胡瓜と大根の糠漬け、「齋彌酒造」の「雪の茅舎秘伝山廃純米吟醸」(燗)

2026.10.5(月) タイ日記(12日目)

目を覚ましたのは1時台。いかにも早すぎるため、4時台の半ばころまでは、寝台に横になっている。

そのうちどこからともなく奇妙な音が聞こえてくる。それは1秒に1回ほどの間隔で断続しているから、時計に関係するものと考えて、枕元にそれらしいものを探る。しかしそのあたりは静かなままだ。うるさくはないものの、鳴り続ければ神経を疲れさせるような音は、やがて止んだ。よくよく考えて、それはエアポートレイルリンクの高架の真下を走る在来線の踏切の警報と、思い当たる。

5時より一昨日の、午後のあたりまでしか書いていなかった日記を完成させ、公開する。その最中に、仕事に関する質問が長男よりメッセンジャーで届いていたことに気づく。資料として後々まで検索ができるよう、コンピュータのメールアドレスに宛てて返信をする。

長男には、日本時間の9時までは電話を受けることができる旨を、メールの返事に添えた。その日本時間の9時、タイ時間の7時を過ぎたところで外へ出る。

5月のバンコクMGの際に見つけたカオゲーン、つまりぶっかけ飯屋を、僕はとても気に入っている。そこまではアソークモンティ通りの一本道。とはいえGoogle Mapsで調べれば距離は1,400メートル、徒歩では22分と出たから、歩く気はしない。地下鉄に乗ればひと駅だが、運転間隔の長さを考えれば、使う気はしない。

天気は晴れ。しかしバンコクらしく、空はそれほど青くもない。外の通りは、この時間から既にして混み始めている。先ずはアソークモンティ通りを渡り、次いでペチャブリー通りを渡る。そして歩道で待機をしていたモタサイの運転手に「MRT、スクムビット」と告げる。

およそモタサイほど客を危険にさらす乗り物は無い。しかしその手軽さ、便利さには抗しがたい。地下鉄ひと駅分の距離の運賃は20バーツだった。

「味よし、盛りより、オヤジの愛想よし」のカオゲーン屋のメシは、今朝も美味かった。帰りもモタサイを捕まえて、瞬く間にホテルへ戻る。

今日は移動日であれば、日記は長くなるだろう。明日の負担を減らすには、チェックアウトの正午までに、きのうの日記をできるだけ文字にしておく必要がある。コンピュータにかじりつくと時を忘れる性分のため、iPhoneには念のため11時にアラームを設定しておく。

きのうの日記は9時55分に書き終えた。よって次はきのうの画像をiPhoneからコンピュータに取り込んで取捨選択し、日記に使える形にする。ここで時刻は10時24分。11時のアラームを待つことなく、荷造りの仕上げに取りかかる。今日の日記のここまでも書きたいところではあるけれど、それは避けて11時22分にホテルをチェックアウトする。ただしスーツケースとバックパックは、フロントの奥に預かってもらう。

タイにおける最終日は、何をして過ごすべきか。そのホテルにプールがあれば、できるだけそこで過ごしたいため、追加の料金を支払ってチェックアウトを遅らせる。しかし今回のホテルにプールは無い。そういうときには僕の場合、マッサージ一択である。

先ずはペチャブリーからシーロムにMRTで移動をする。地上に出たら、タニヤの横丁の屋台街で、汁無し麺を食べる。80バーツの料金は超強気に思われるけれど、バンコクの物価の上昇は、それほど急なのだろうか。

そのうち空が暗くなって、風が吹いてくる。一部の屋台では「それ急げ」とばかりに、ビニールシートの屋根からはみ出るところに置いてあるものを、大わらわで片付けている。僕の席の頭上には有難いことに、鉄の骨を持つ、ビニールハウスのような屋根がある。やがて降り出した驟雨は、僕が麺を食べ終えるまでのたかだか5分のあいだに土砂降りになった。「出るも入るもできない雨」である。

幸い、眼の前にはチャーンイサラタワーの2階へ上がる、ケモノ道のような階段がある。食後はそれを昇ってビルの中に逃げ込み、しばし徘徊をする。しかし立ったままでは、あるいは歩いていては、いかにも楽でない。ビルの中にはスターバックスコーヒーもあったものの、外の見える構造にはなっていない。

スターバックスコーヒーなら、タニヤプラザの中にもある。そこなら壁はガラス張りだから、雨の具合を確かめることができる。そうして雨の勢いがいくらか弱まったところで、意を決してケモノ道の階段を降りる。タニヤ通りの屋台街側からタイヤプラザの側へは、プールサイドのパラソルほど大きな傘を持ったタニヤプラザの従業員が、親切にも渡してくれた。

こちらのスターバックスでは、小さなトートバッグから「日本のいちばん長い日」を取り出して読む。本は持っても傘は持たない、というあたりが僕の泣き所である。

傘を差さずに歩く人たちがちらほら見えてきたところで僕も外へ出る。しかし雨は、いまだ無視できないほどの量で降っていた。ウインドブレーカーを羽織っていれば何とかなったかも知れないものの、それもまた、ホテルに預けたバックパックの中だ。

タニヤ通りを小走りにスラウォン通りへ向かう途中、外に傘を立てかけて売る薬局があった。価格は100バーツ。僕は、チップの100バーツは、理由さえあれば躊躇なく出す。しかし日本に持って帰ることのできない傘に100バーツは惜しい。しばし考えて、結局はその傘を買う。そしてそれを差して100メートルほどを歩き、マッサージの有馬温泉に入る。

足マッサージ1時間と耳掃除の料金は600バーツ。マッサージのオバサンには100バーツ、耳掃除のオネーサンには50バーツのチップ。ここで時刻は14時。プロンポンのマッサージ屋に入れた予約は15時だから、それまでの時間はどこで過ごそうか。

そうして頭を巡らせた結果、サラデーンから乗ったBTSをサイアムで降りる。そしてsoi2を奥まで歩き、先ずは”Deus Ex Machina Thailand”に入る。しかし僕はその店よりも、むしろおなじsoi2にある”PRONTO”の品揃えに惹かれた。ただしそれらを買うか買わないかは、また別の問題である。ユニクロの品質と価格を考えれば、ほとんどの衣類は、今や買う気が起きないのだ。

プロンポンのミエマッサージには、15時を1分すぎるころに入れた。足の角質削りとオイルマッサージを組み合わせた2時間のコースは900バーツ。オバサンには200バーツのチップ。ここで時刻は17時。「また、そこのイサーン屋台か」と笑いかけたオバサンには「今日の晩飯はアソークで、だよ」と答えて店を出る。

深夜便を使う帰国日にラオカーオは危険だ。蒸留酒は、閾値を超えると、そこでいきなり効く。空港の搭乗口で眠りに落ち、名前を呼ばれても目を覚まさないなどは、絶対に避けなければならないのだ。

アソーク駅直下のイタリア料理屋は、長方形の巨大なピザを切り売りする一方、店内でそれを食べることもできる。気楽なその店のガラス戸を押すと、席まではオネーサンが案内をしてくれた。いまだ夕食どきでもなければ、ほとんどの席は空いていた。

マルガリータの”1 Piece”とイタリアのピノ・グリをグラスで注文する。ピザはワンピースとはいえ、それを二つ割にした状態で出てきた。ピザはあらかじめ焼いたものの焼き直しではあるけれど、これがとても美味い。ワインも上出来である。ピザはおかわりをし、ワインは3杯を干した。

ホテル最寄りのペチャブリーまでは、目と鼻の先のスクムビットからMRTでひと駅。フロントに預けた荷物を出してもらい、結局は100メートルの距離にしか使わなかった100バーツの傘は、ホテルに進呈をした。

18:48 ホテルを出る。
18:57 ペチャブリーの駅からエスカレータでスカイウォークつまり空中に渡した歩道へ上がり、マッカサン駅の改札口を通過。
19:04 帰宅時間の駅は混み合っていたものの、パヤタイから来た車両には何とか乗り込める。

19:09 幸運にも次のラムカムヘンから座ることができる。バックパックを床に置くには忍びなく、いかにも重そうなそれを仕方なく背負っている、という風情のオバサンが目の前に立っているため、僕のスーツケースの上にそれを置くよう身振りで示す。しかしオバサンは遠慮をして、礼を述べるのみに留まった。ARLの線路に並行して伸びる高速道路は、特に空港から街へ向かう側が渋滞をしている。

19:26 ラムカムヘンでようやく席に着くことのできたオバサンと、しばらく世間話をする。
19:26 空港へ向かうARLはいつもなぜか、ラートクラバンで急に空く。いわゆるベッドタウンなのだろうか。
19:38 ARLの車両が空港に着。

19:40 地下1階から出発階の4階へ向かう。僕がいつもい選ぶエスカレータより、それと競うようにして上がってきたエレベータの方が、今日は一瞬だけ早く4階に達した。
19:45 タイ航空のオネーサンとオニーサンに助けてもらいつつ、自動チェックインを完了。
19:53 保安検査場を通過。
19:59 出国審査場を通過。
20:15 メインターミナルからサテライトターミナルまではシャトルトレインで運ばれて、S110ゲートに達する。

21:40 なかなか座り心地の良い籐椅子の上で睡魔に襲われ、たびたび眠りに落ちる。しかし近くにはヒンドゥー語だかウルドゥ語の大きな声で電話に応え続ける男がいて、だから僕はその都度、目を覚ますことができて、大いに有難い。

22:13 ロイヤルシルククラスから搭乗が開始をされる。
22:25 最後尾右列通路側の72Jの席に着く。
22:28 ラバトリーで腰と両太ももに使い捨てカイロを貼る。

22:44 Boeing777-300ER(77B)を機材とするTG682がプルバックを始める。鼻と口にはマスク、目にはアイマスクをする。以降の記憶は無い。


朝飯 “Kuay Jub Asoke”のカオゲーン

昼飯 タニヤの横丁の屋台のバミーヘン

晩飯 “Pala Pizza Romana”のマルガリータピザ、イタリアのピノ・グリ

2026.10.4(日) タイ日記(11日目)

長い夢のふたつ目を見ている最中に枕頭のiPhoneが6時のアラームを発する。夜中に目を覚ましたときに、朝の寝過ごしを心配して設定しておいたものだ。

既にして完成していた一昨日の日記は6時10分に、公開の命令をClaude Codeに発する。もちろん、公開されたそれを読めば直したいところは多々あったから、それらを修正する命令も、追って発する。

Claude Codeは日々、頭が良くなって、僕の発した命令に誤りがあるときには、それを訂正することまでしてくれる。よって今日の作業がすべて終わったときには
「有難うございます。また明日、よろしくお願いいたします。」
とねぎらいの言葉を打ち込んだ。すると
「こちらこそ、有難うございました。また明日、よろしくお願いいたします。バンコクへの移動、どうぞお気をつけて。」
と出たから、いささか薄気味の悪い気持ちが湧いた。僕がこれからバンコクへ移動しようとしていることを、なぜAIは知っているのだろう。

07:10 荷造りを完了。
08:05 朝食を完了。

3階から屋上へ上る階段には、毎朝、リネン類の入っているらしい大きく白い袋の脇に、男が座っている。今朝、そこにいたのは、初日にスーツケースを部屋まで運んでくれたり、あるいはロビーで日記を書く僕の背後で扇風機の電源を入れてくれたりしたオニーチャンだった。よって「荷物、ふたつね」と声をかけ、部屋まで入れて、スーツケースとバックパックを手渡す。

ロビーに降りて、やはり初日にフロント係を務めていた女の子にカードキーを返す。既にしてタクシーが待っていることを、女の子は教えてくれた。オニーチャンはそのまま外へ出て、ふたつの荷物を「広州汽車集団」の電気自動車AIONのトランクルームに納めてくれた。オニーチャンには40バーツのチップ。

08:23 タクシーがホテルの敷地から目抜き通りに出る。
08:40 時には時速100キロメートルを超える速度で飛ばしたタクシーが空港に横付けをされる。運賃は250バーツ。トランクルームからスーツケースとバックパックを降ろしてくれた運転手には50バーツのチップ。

08:43 タイ航空のカウンターでチェックインを完了。
08:44 そのカウンターに向かって左側にあるX線のベルトコンベアにスーツケースを自分で載せて荷物預けを完了。
09:05 制限区域内に入る。
09:08 保安検査場を通過。

僕の乗るTG131の出発時刻は10時10分にも拘わらず、搭乗券には”BOARDING TIME 10:50”の印字があって、訝しく感じていた。ところが待合室の電光掲示場を見てみれば、当該の便は10:10発から11:20発に遅延の案内が出ていたから、納得をする。

10:35 TG131の遅延が11:20から更に12:05になったことを、これまた電光掲示板で知る。それでなくても空港には時間に充分の余裕を見て来ている。それが定刻の2時間遅れとは、馬鹿馬鹿しい限りだ。

11:45 ロイヤルシルククラスから搭乗が開始をされる。搭乗ブリッジまでの廊下の窓に貼られた遮光シールが恨めしくなるような好天である。
11:58 最後尾右窓際である54Kの席に着く。
12:04 プルバックが始まる。
12:12 Airbus A320-200(32X/3205)を機材とするTG131は、定刻に2時間2分遅れてメーファールアン・チェンライ空港を離陸。山腹の白い大仏と川沿いのホテル「ザ・リバリーカタタニ」は、機窓からすぐに見つけることができる。今日は更に、中心部の家並みの中にワットチェットヨットも探すことができた。

13:15 TG131は、定刻に1時間35分おくれてスワンナプーム国際空港に着陸。
13:30 機外に出てバスに乗る。

僕がウドンタニーで呑気にしていたころ、バンコクには大雨が降り続いて、洪水が起きた。その混乱により空港作業員の多くが出勤を阻まれ、飛行機が到着をしても、積まれていた荷物はいつまでも出てこない、という事故が発生した。僕が見たウェブニュースには、乗客に怒鳴られ、詰め寄られて、泣き出したタイ航空のグランドスタッフの画像があった。ところがバンコク在住の同級生コモトリケー君からのLINEによれば、荷物の運搬に支障を来したのはタイ航空のみで、そのCEOはとうに更迭をされたとのことだった。

13:46 回転台から早々と荷物が出てくる。つまりバンコクの混乱はすべて、僕が東北部にいたときに起きて、最北部にいるあいだに収束をしたのだ。

13:53 到着階の2階から地下1階に降りて、エアポートレイルリンクの改札を通る。切符売り場には長蛇の列がある。一方、エアポートレイルリンクは、タッチ式のVISAカードで乗り降りができる。VISAタッチは、それほどまでに普及が遅れているのだろうか。

14:04 エアポートレイルリンクの車両が空港駅を発車。
14:10 ラートクラバンの手前で、サッカーグラウンドが水びたしになっている。
14:15 バンタップチャンの手前から雨が降りはじめ、やがて雷雨に変わる。あたりはにわかに暗くなり、高速道路を往くクルマはおしなべて、ヘッドライトを点灯させている。
14:31 マッカサン着。駅の鉄傘を打つ雨の音は、耳を聾せんばかりだ。屋根があるにも拘わらず、雨が霧のようにしてプラットフォームに降り注ぐ。そのベンチにスーツケースを開いて傘を取り出す。上半身にはウインドブレーカーを羽織る。

14:45 傘を差してホテルに着。ARLのマッカサンの駅からMRTのペチャブリーの駅までは、スカイウォークを歩き、エスカレータを降りれば到達できる。その地下鉄の駅には1番口から入り、3番口から地上に出る。あとはほとんど建物の軒先を、雨を避けながらホテルまで来ることができた。4階の部屋は、僕にはまったく不足のないものだった。

部屋では傘を開いて床に置き、荷を解き、貴重品は金庫に入れる。そうして気を整えてから身支度をする。財布には、今朝までの5倍ほどの紙幣を入れる。コモトリ君とはサトーンの桟橋から16時10分に出る舟に、共に乗る約束になっている。

15:33 ホテルを出る。MRTペチャブリーのプラットフォームに降りると、シーロム方面への車両は正に、いま扉が閉まったところだった。バンコクの地下鉄MRTや高架鉄道BTSの、特に日中の運転間隔は開いている。ひとつを乗り過ごせば、次はなかなか来ない。

MRTの車両がペチャブリーからシーロムに着くプラットフォームは、地下の深いところにある。気が急いているから少し離れたところにあるエスカレータには目もくれず、階段を駆け上がって地上に出る。地上からスカイウォークへは幸い、エスカレータがあった。早足で歩いてBTSサラデーンの改札を抜ける。しかし車両はここでもなかなか来ない。

16:13 BTSの車両がサパーンタクシンに着く。サトーンの桟橋までは、走れば1分くらいのものだけれど、舟の時間は既にして過ぎている。コモトリ君の住むコンドミニアムの舟は諦めて、アイコンサイアムの舟の切符を買う。運賃は12バーツ。
16:29 定刻は16時30分と思われる舟が桟橋を離れる。
16:34 その舟がアイコンサイアムの桟橋に着く。洪水から何日も経ったせいか、川面は2011年秋のそれほどには高くない。

アイコンサイアムの特に”Sook Siam”は、百貨店の遊園地だ。コモトリ君とは4階の美術展の会場で、無事に会うことができた。

彼が予約をしておいてくれた料理屋は、アイコンサイアムからほど近い、旧い集合住宅にあった。旧いとはいえしかし、靴を脱いで上がったそこは、天井の高い1階と2階をメゾネット式に使っていて、まるで個人の邸宅に招かれたような錯覚を覚えた。

我々の注文が海老に偏りすぎたきらいはあったものの、タイの南方を思わせる料理は、おしなべて美味かった。それにしても、僕の動作は万事、日本風らしく、コモトリ君には「もっとゆっくり食えよ」と注意をされた。おなじことを僕は、タイ人にも言われるのだ。

食後、チャロンナコン通りで声をかけたトゥクトゥクの運転手は、コモトリ君のコンドミニアムまでの運賃を200バーツと告げた。「話にならねぇ」とばかりにその場を離れようとすると、運転手は「待て待て」と我々を呼び止め、料金はいきなり半額まで落ちた。

19:00 コモトリ君のコンドミニアムの浮き桟橋を離れた舟が、チャオプラヤ川を下っていく。
19:15 その舟がサトーンの、これまた浮き桟橋に着く。浮き桟橋を「ポンツーン」と呼ぶとは、石原慎太郎の小説で知ったことだ。
20:02 サパーンタクシンからサラデーン、サラデーンからペチャブリーと、BTSとMRTを乗り継いで、無事にホテルに着く。

シャワーを浴びたら新三共胃腸薬3錠を服用する。そして即、寝台に上がる。


朝飯 “Blue Lagoon Hotel”の朝のブッフェ其の一、其のニ、其の三

昼飯 TG131の機内スナック、コーヒー

晩飯 “Son Charoen Nakon”の其の一、其のニ、其の三、其の四、ジャスミンライス、Signus Sauvignon Blanc Central Valley Chile 2024

2026.10.3(土) タイ日記(10日目)

1時台に目を覚まし、次は4時台に目を覚ます。そして6時を回ったところで起床する。

洗面を済ませたら窓を開け、上半身は裸、下半身にはタオルを撒いた姿で机に向かう。そしてきのう雛形のみ作っておいた、おとといの日記を公開させる命令を完成させ、それをClaude Codeに貼り付ける。すると「セキュリティのため、Claudeを引き続きご利用いただくには再度サインインしてください」の表示が出た。

Claude Codeを使い始めた8月の下旬からこのかた、このような警告めいた案内は初めてで、僕はそれに必要だろうログインIDもパスワードも知らない。即、電子会議室を通じて担当者に助けを求める。しかし長くは待てないため、おっつけ電話を入れて、疑問は数分のあいだに解消した。

今日は先月の29日に引き続いて、洗濯をする日だ。よって先ずは、wifiに繋がったままの、つまりおとといの日記を公開中のコンピュータをスーツケースに収めてダイヤル錠を回す。そして今朝までの洗濯物をトートバッグに入れて階段を降りる。ロビーへ続く廊下は朝日が眩しかった。

コインランドリーの”Otteri”の、もっとも小さい9リットルの洗濯機には、幸い、空きがあった。そこに洗濯物を入れ、上の専用の口から5バーツの液体洗剤を流し込む。そして10バーツ硬貨5枚を投入してスタートボタンを押す。洗濯時間は26分間と、赤いデジタル文字が現れた。そこでiPhoneに23分間のタイマーを設定し、部屋へ戻る。

23分が経って”Otteri”へ行くと、洗濯機には”7”の数字が示されていた。つまりは「あと7分を待て」というわけだ。その7分間を待って、脱水までを終えた洗濯物を、今度は乾燥機に入れる。そしてやはり10バーツ硬貨5枚を投入してスタートボタンを押す。乾燥機は、今度は28分間の所要時間を示した。よって今度は25分間のタイマーをiPhoneに設定し、ホテルの食堂へ直行する。

食堂の席に着いてはじめて気がついたことだが、今日は蒸し暑い。朝食を終えると、からだの特に首から上に汗が吹き出したため、また乾燥機には僕が使用中の他にも空きはたくさんあったため、先ずは最上階の3階まで階段を上り、部屋でシャワーを浴びる。

明日はバンコクへの移動日であれば、荷造りの時間はできるだけ短縮したい。よってコインランドリーには衣類の圧縮袋を持参し、乾燥を終えたものはすべて畳んで、それに収めた。

おとといの日記は今朝に公開をしていたものの、修正すべき場所はやはり、多々あった。それらを修正させる命令をClaude Codeに出し終えると時刻は8時40分。空は快晴。きのうの日記はほとんど書けていないものの、プールサイドに降りる。きのう改めて読み始めた「日本のいちばん長い日」は、172ページまで進んだ。

昼食は、いつもの汁麺屋。今日は趣向を変えてバミーナムを頼んだが、席に届いたものはバミーナムニャオだった。僕はこのようなときには、大抵、出てきたものを黙って食べる。バミーナムは多分、来年の2月まで、お預けになるだろう。

昼食から部屋へ戻ったら、壁の空気調整器を26℃、風の強さは”turbo”で回す。そして今日になって4度目のシャワーを浴びる。この国に来ると、正の字で記録をしておかない限り、1日あたりのシャワーの数は、覚えていられない。

14時からはロビーに降りて、ほとんど書けていなかったきのうの日記、およびそれを明日の朝に公開させる命令を完成させる。ここで時刻は15時59分。今日のマッサージは「多分、忙しくなるから」と、予約はしないでおいた。一方、明朝の空港までのタクシーは、きのうの日記を書きながら、フロントのオネーサンに予約を済ませた。

部屋に戻ったら荷造り。サンダルなど明日の朝まで使うもの、また明日に着る服などを除いては、ほとんどがスーツケースに収まった。はてさて今日にすべきことは、机の上のメモに残してある。最後は自転車の返却である。

ワットチェットヨット斜向かいの「ナイスレンタル」は、ホテルから自転車で1分ほどのところにある。自転車を戻すと、女将は鍵のかかった引き出しを開け、プラスティック袋に保管したデポジットの1,000バーツ札を返してくれた。「次は来年の2月にね」と女将には伝えて外へ出る。

さて自転車を欠いた状態では、旧空港通りのいつもの店は、すこし遠い。白人相手の歓楽街といったおもむきのチェットヨット通りをそのまま北へ歩き、ワンカムホテル前のイタリア料理屋に入る。

南の国へ行くのは、夏の気候が好きだからだ。だからその店に中の席と外の席があれば、大抵は外のテーブルに着く。そしてまずは白ワインを注文して「日本のいちばん長い日」を開く。

この店の女の子は驚いたことに「サラダとラザニアは同時にお持ちしてもよろしいですか」と僕に確認し、グラスの残りが少なくなればそれをまめに注ぎ足し、汗を手ぬぐいで拭えば、なんと席の近くまで扇風機を運び、僕に向けて電源を入れるまでしてくれた。とすれば、チップは釣銭の残り、というわけにはいかない。

1,010バーツの勘定に対しては、1,000バーツ札1枚と20バーツ札1枚をトレーに載せた。戻ってきた釣銭の10バーツ硬貨はポケットに納め、女の子には100バーツ札1枚を進呈した。

そこから目抜き通りに出てホテルを目指して歩いていくと、きのうまで受けていたマッサージ屋の外では、オーナーのオネーサンと二人のオバサンが龍眼を食べていた。彼女たちが僕に声をかけたことは、言うまでもない。そして1時間の足マッサージを受け、だからいつもより1時間おそい19時40分に部屋へ戻る。そして多分、今日になって6回目のシャワーを浴び、コンピュータを充電器に繋いでから寝台へ上がる。


朝飯 “Blue Lagoon Hotel”の朝のブッフェ其の一、其のニ、其の三

昼飯 「カオソイポーチャイ」のバミーナムニャオ

晩飯 “La Gatta”のミックスサラダ、ラザニアのラグーソース、カラフの白ワイン

2026.10.2(金) タイ日記(9日目)

きのう、いまだ日も改まらない22時過ぎに目が覚めたときには、いささか焦燥した。しかし以降は眠れて、今朝の3時15分には、爽やかな気分で寝台を離れることができた。

おとといの日記をClaude Codeに公開させる命令は、きのうのうちに書いておいた。今朝はきのうの画像を整え、きのうとおなじく5時55分に窓を開け、鳥の声を聴きつつ6時25分にきのうの日記を書き終えた。

食堂には7時に降りる。食事を終えたら屋上へ上がって、南から北へと、つまり180度の眺望を楽しむ。プールサイドにはきのうに倣って8時17分に降りた。

この旅には、半藤一利による「日本のいちばん長い日」に加えて、おなじ著者による「新版昭和史戦前篇1926-1945」を持参した。そして旅の初日より先ずは前者から読み始め、それをSNSに上げた。すると既にして2冊とも読んでいた自由学園の後輩ナカヤブノリマサ君が「自分もおなじく『日本の…』を先に読んだが、後から『昭和史…』を読んで、むしろこちらを先に読んだ方が良いと感じた」と、返信を付けてくれた。

僕の性格の中には、徹底的に反逆をするところもあれば、また妙に素直なところもある。確かに歴史の流れからすれば「昭和史…」を先に読んで、知識を蓄えておくべきだ。よって30ページまで読み進んでいた「日本の…」は脇へ置いて、改めて「昭和史…」を読み始めた経緯があった。

その、旅の2日目つまり先月25日から読み始めた「新版昭和史戦前篇1926-1945」の、年表と参考文献を除いた全552ページを10時に読み終える。すかさずそれを手に3階の部屋へ戻り、今度は「日本のいちばん長い日」を手にプールサイドへ降りる。

初日に30ページまで読み進んでいたとはいえ、ふたたび最初のページ、否、大宅壮一による「序」はあまり気持ちの良い文章ではないから、著者による「プロローグ」まで戻って、再び文字を追うことを始める。

寝椅子に仰向けになった足元から、太陽の直射を受ける部分が徐々にせり上がる。空には積乱雲が林立している。プラスティック製の屋根の下を離れて、パラソルの下の椅子に逃げて、更にページを繰る。

部屋に戻ってiPhoneに触れると時刻は奇しくも正午ちょうどだった。腹はそれほど空いていない。しかし妙な時間になってから空腹を覚えても困る。そういう次第にて、自転車をナイトバザール入口ななめ向かいのアイスクリーム屋に乗り付ける。そして”Nutty Crispy Towr”なる、平時には決して口にしない類のものを食べる。

16時からは、いつものマッサージ屋で1時間の足マッサージを受ける。そうしたら自転車を目抜き通りから旧空港の通りに転進させて、いつもの食堂で飲酒喫飯をする。

食後は「この街に来たからには、その様子を覗いていかないわけにはいかないわな」と、ナイトバザールの入口に自転車を駐め、奥のフードコートへ歩を進める。

矩形の広場に数え切れないほどのテーブルと椅子、その左右には料理や飲物を供する店がずらりと並ぶこちらは、かつては大好きな場所だった。しかし素朴だった土鍋は、一部地域からの気前の良い旅行者の需要に合わせて伊勢海老までを具にした豪華版になり、また飲食物の持ち込みは禁止をされるようになって、僕はラオカーオが飲めなくなった。そういう次第にて、以降は足が遠のいて、今に至っている。

部屋へ戻ると時刻は18時40分。もちろんすぐにシャワーを浴びて、すぐに寝台へ上がる。


朝飯 “Blue Lagoon Hotel”の朝のブッフェ其の一、其のニ、其の三

晩飯 「ジャルーンチャイ」のガイサップルートロット、パッカナームークローブ、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)

2026.10.1(木) タイ日記(8日目)

目を覚ましたのは、日付が変わったばかりの0時台。前夜の19時台に寝に就けば、不思議なことではない。それでも2時間ほどは横になったまま休み、そのあいだには、ことによると眠りに落ちたときもあったかも知れない。そして3時台に起床する。

ウドンタニーからチェンライへ移動中の先月29日の日記には、どこやら分からないバスターミナルについて、次に来るまでに「タイ語でターミナルの名を訊けるよう、準備をしておこう」と書いた。しかしGoogle Mapsの座標は分かっているから、早朝のよしなしごとのついでに「バスターミナル 名前 7P82W8RW+2J」とGoogleに入れてみた。すると立ちどころに以下が出た。

……
ご提示いただいたプラスコード(Plus Code)7P82W8RW+2Jが指す場所は、タイのピッサヌローク県にあるピッサヌローク第2バスターミナル(Phitsanulok Bus Terminal 2)です。地元では「ボーコーソー・マイ(新しいバスターミナル)」の名で親しまれており、バンコクをはじめとするタイ各地(北部・東北部・中部・南部の一部)を結ぶ長距離バスが数多く発着する中心的な拠点となっています。
……

なるほど、とすれば、僕が危うく置いてきぼりにされかかった場所は、ピサヌロークの旧バスターミナル、あるいは第1バスターミナルだったのかも知れない。よく覚えておくことにしよう。

夜明けを待ちわびつつ、5時55分にカーテンと窓を開ける。瞬時に流れ込んできた空気は部屋のそれよりも冷えていて、いかにも気持ちが良い。食堂にはいつもより早い7時に降りた。おなじ時間に朝食を摂っていたのは中年のカップルのみ。それほど今は、客が少ないのだろうか。

このホテルのプールサイドの寝椅子は、本を読むには最適の形をしている。その上にはプラスティック製の屋根があるから、パラソルよりは長いあいだ、日を遮ってくれる。しかしきのうの14時ころは、その屋根があっても太陽が顔を直射した。よって今日の朝食後はいつまでコンピュータに向かうことをせず、8時過ぎよりプールサイドに降りる。僕の正面、つまり真西には旧暦8月21日の月があった。

10時を過ぎると屋根の切れ目から太ももに日が差し始めたため、そこにかけるための、2枚目のバスタオルを借りる。やがて顔にも日が差し始める。時刻は11時2分。それにしても今日は随分と長く、プールサイドで本を読むことができた。明日も晴れれば、今日とおなじように時間をやりくりしよう。

このホテルの最大の長所は、先程も書いた、プールサイドの寝椅子の心地の良さ。次は安価、交通至便が続く。短所は部屋にクローゼットと金庫と背もたれを備えた椅子の無いことで、特に金庫の無いことには困っている。貴重品は仕方なくスーツケースに入れて鍵をかける。しかし部屋を出るたび、また部屋に戻るたび、このダイヤル錠を締めたり、また解いたりすることが面倒でならない。

今日はまた、プールサイドから部屋へ上がってこのダイヤル錠を所定の数字に合わせても、鍵が外れない。何かの拍子に設定が変わってしまったのだろうか。僕のスーツケースはフレーム式ではない。よって刃物があれば、ジップの部分を切って開くことができる。しかしまさか、それはできない。とすれば3つのダイヤルをひとつずつずらしながら、変わってしまった三桁を発見するしか方法は無い。「ひとつひとつのダイヤルのずらしは、10×10×10の1,000回だろうか」などを考えつつ先ずは左端のダイヤルをひとつだけずらすと、そこで鍵は開いた。僕は何と幸運なのだろう。

即、コンピュータを取り出し開いて「remowa エッセンシャル ダイヤル 合わせ方」とGoogleに入れる。そして現れた説明に従って、元の数字の並びを再設定する。

そうこうするうち昼が近くなったため、服を着て外へ出る。今日の昼も、きのうとおなじ汁麺を食べる。日本のラーメンには、2年前から食指が伸びなくなった。しかしタイに来れば、いまだ汁麺が欲しくなる。それはひとえに、日本のラーメンの量が、僕の胃袋に対して過大になったからだ。

汁麺屋の「カオソイポーチャイ」は、ワットチェットヨットと金色の時計塔を繋ぐ道にある。そこから目抜き通りに出てたら、自転車を押しつつ日陰を選んで歩道を往く。この国の歩道は、敷かれたタイルを踏むといきなり傾いて、その下に溜まっていた水が足を濡らしたり、あるいは外れたタイルから地下の空洞があからさまに見えたりと、油断がならない。よってサンダルには、つま先を守る形が求められる。そして今日の目抜きにも、タイルの大きく割れたところがあった。これまた「タイ、あるある」である。

外はいかにも暑く、プールサイドには屋根があっても太陽が顔を直射する、その14時あたりからは、きのうの日記を書くことにする。部屋には前述のスツールしか無いため、今日はロビーに降りる。一流ホテルのロビーとは異なって、ここには空気調整器が動いていないから、至極気持ちが良い。チェックインのときにスーツケースを部屋まで運んでくれたオニーチャンは、僕の背後の扇風機のスイッチを入れてくれた。

そのまま能率を上げていくと、やおら、左後ろに開け放たれた窓から煙が侵入してきた。その量は「充満」ともいうべきものだ。匂いは火事の際の焦げ臭さではなく、むしろ芳香にちかい。びっくりして「これは何だ」と言葉を発する。フロントにはやはりチェックインのときの女の子がいて「それがどうした」とでもいった顔で「モスキートー」と答えた。蚊を駆除するための薬剤が、あたり構わず噴霧されているのだろう。開いたままのコンピュータを手に階段を上がり、部屋に避難したことは言うまでもない。これまた「タイ、あるある」である。

それにしても、何事も起きなければこの日記も短くできて、僕も楽に違いない。しかし毎日なにかしらが起きて、だから僕は、夜明け前や日の高い午後に、コンピュータに向かい続けることになるのだ。

そして今日もまた16時よりいつもの店でマッサージを受け、いつもの店で17時過ぎより飲酒喫飯をする。そこからの帰りにはきのうのオジサンをナイトバザールに訪ね、社員への土産を買う。

部屋に戻ると時刻はいまだ18時30分。シャワーを浴びて空気調整期は30℃の弱風に設定し、寝台に上がる。すると22時に目が覚めたから困惑しつつあれやこれやし、以降のことは、よく覚えていない。


朝飯 “Blue Lagoon Hotel”の朝のブッフェ其の一、其のニ、其の三

昼飯 「カオソイポーチャイ」のバミーナムニャオ

晩飯 「ジャルーンチャイ」の茄子の油炒め、豚足の煮込み、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)

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上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

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