2026.3.12(木) タイ日記(11日目)
目を覚ましたのは2時30分。次いで3時15分。3時45分に起床して顔を洗い、口をゆすぐ。と、ここまで書いて「口をゆすぐ」よりも、正確を期して「水で口をゆすぐ」と書いた方が良いのだろうかと考える。しかしそうすれば、顔についても「水で顔を洗う」と書かなければならない。しかしそれはちとしつこい気もする。そして「そうせき」と入力して変換ボタンを押す。「漱石」にはサンズイが付いている。「だったら水は省いても構わないのか」と、ふたたび考える。と、こういうことを書いているから、僕の日記は長くなるのだ。
時刻は6時15分。外ではオニカッコウは無論のこと、種類の知れない南国の鳥も啼き始めた。よって机のすぐ右のカーテンを開けるも、外はいまだ暗い。
きのうの日記はきのうのうちに書き上げてある。その前に、既にして完成している一昨日の日記を公開する。その他、コンピュータによるあれこれをこなして7時25分にロビーに降りる。今日の朝食券を求めると「エイトサーティ、ナ」と、きのうタクシーの手配を頼んだ、その女の人がフロントのカウンター越しに、僕に声をかける。「ありがとう、ありがとう」と、僕は”Thank you”を二度、繰り返す。
今日の昼食の時間は確保できない可能性もある。よって朝食は30分ほどをかけて、充分に摂っておく。きのうの白人は、今朝も、大きな水中眼鏡をかけて、食堂の脇のプールを往復していた。
08:18 すべての荷物を持って部屋を出る。三階の階段の上には、客に顔を合わせると、その都度、胸の前で手を合わせて頭を下げ、しかし言葉は曖昧に発するメガネのオニーチャンがいた。そのオニーチャンにスーツケースを運ぶよう身振りで促す。そしてロビーにて、そのオニーチャンに無理やり20バーツ札を握らせる。
8:22 内も外も磨き抜かれたマツダ車にてホテルを出る。運転手は至極、折り目正しい。
その車が走り出していくらも経たないころ、ズボンの左ポケットに何かの入っている感触を覚える。それを取り出し見ると、ホテルのカードキーだった。
08:40 メイファールンチェンライ国際空港に着。トランクルームからスーツケースを降ろし、釣銭が必要ならそれを取り出そうと、ボディバッグのジップに手を欠けている運転手に100バーツ札3枚を手渡し、お釣りは要らないと言葉を添える。またホテルのカードキーを差し出して「申し訳ないことながら、これはホテルに戻して欲しい」と頼む。運転手はすこし驚いた顔をしてから、慇懃に頭を下げた。
08:45 既に受け入れを始めていたタイ航空のカウンターでチェックインを完了。
08:47 その左横のX線装置のベルトコンベアに自らスーツケースを載せて、荷物預けを完了。
08:50 制限区域内に入る。
08:52 保安検査場を通過。
08:53 2番ゲートに入る。
おととしの秋には、ここからバンコクへの便が機材不良にて4時間も遅れた。その際に使ったラウンジのwifiが自然とiPhoneに繋がったため、メッセンジャーを使って日本と少々のやり取りをする。
09:58 搭乗開始。
10:06 右列最後尾窓際の54Kの席に着く。
10:25 プルバックを開始。
10:35 Airbus A320-200(32X/3206)を機材とするTG131は、定刻に20分おくれてメイファールンチェンライ国際空港を離陸。
飛行機の窓から見おろすチェンライの街は美しい。コック川のほとりに建つホテル”The Riverie by Katathani”、またまた遠い山の中腹に鎮座する白い大仏は、いつも容易に見つけることができる。しかしこの数日を過ごしたホテル近くの寺ワットジェットヨットは、中心部の屋並みに紛れて、よく分からなかった。
今日のTG131は、ほぼ満席。配られた軽食のスプーンを、手を滑らせてシートと壁のあいだに落とし、しかしどう手探りしても拾えないため、客室乗務員に代わりをもらう。
11:40 青い空に屹立する積乱雲は、いつまでも見飽きない。
11:53 車輪の降ろされる音がする。
11:55 TG131は定刻に1分だけ早く、スワンナプーム国際空港に着陸。
12:16 機外に出る。
12:18 沖まで迎えに来たバスに乗る。
12:25 空港の建物内に入る。
12:33 早くも回転台にスーツケースが出てくる。
12:37 到着階の二階からエスカレーターで地下一階に降りる。
12:46 空港と市内を結ぶエアポートレイルリンクの車両が空港駅を発。ちなみにこの路線には、数ヶ月前よりVISAのタッチカードで乗れるようになった。
空港からホテルのあるプロンポンまでの、鉄道を使った経路は悩ましい。乗り換えを1回に留めようとすれば、遠回りになる。近道をしようとすれば、乗り換えが2回になる。その料金と所要時間を比べたことはないものの、今日は乗り換え2回の、通過する駅の少ない方を選ぶ。
エアポートレイルリンクをマッカサンで降りて、地下鉄MRTのペチャブリーを目指してスカイウォークを往く。首都の天気は雨。傘は持参していない。地下鉄MRTのスクムヴィットからは、高架鉄道BTSのアソークまで地下道を歩く。
13:34 そのBTSの車両がプロンポンに着。本日の空港からの所要時間は48分だった。そして幸いなことに、雨は上がっていた。
13:38 水たまりを避けつつスーツケースを曳き、ホテルにチェックインする。部屋に入れるのは15時からとのことで、荷物を預けて外へ出る。
13:52 LINEにて14時に予約をしておいたマッサージ屋”MIE”に入り、足の角質削りと1時間30分のオイルマッサージを組み合わせたコースを頼む。
15:45 ホテルにチェックインを果たす。「五階まではエレベータ、その先は階段を上がって欲しい」とフロントのオネーサンに言われた部屋のドアを開けた途端「おー」と声が漏れる。想像以上に広く、想像以上に明るく、想像以上にモダンで、バスルームにはバスタブまで備わっていた。宿泊料の1,960バーツは、チェックインの際に現金で支払った。
さて、明日はこの国を去る日であれば、中々に忙しいだろう。そう考えてこの日記のここまでを書き、17時17分にホテルを出る。
ホテルとプロンポンの駅は指呼の距離にある。来た道を戻るようにしてBTSでアソークへ行く。今やもう慣れた経路を辿ってMRTのスクムヴィットからルンピニーまで三駅を地下鉄に乗る。
ルンピニーの、英文では”Ngam Duphli Alley”とある、どう発音すべきか不明の通りは、1982年にも歩いたし、また2023年の春にはここに建つホテルに泊まったから、土地勘はある。
バンコク在住の同級生コモトリケー君は、路地の奥のイタリア料理屋に、既にして来ていた。そして上出来のあれこれにて相当の量の赤ワインを飲み、コモトリ君がGrabで手配してクルマにてホテルのある通りに戻る。以降のことは、まったく覚えていない。
朝飯 “BLUE LAGOON HOTEL”の朝のブッフェの紅茶、トースト、目玉焼きを添えたサラダ、お粥、カプチーノ
昼飯 TG131の機内スナックのココナツのお菓子、コーヒー
晩飯 “Rido”の其の一、其の二、其の三、其の四、其の五、カラフの赤ワイン
2026.3.11(水) タイ日記(10日目)
深更0時すぎに、雷と強風を伴う強い雨があった。一時はとうなることかと心配をしたものの、夜が明けてから窓の外を眺めてみれば、となりの空き地には地面の乾いたところも見えたから、安心をした。
7時30分より食堂で朝食を摂り、8時を過ぎたところで一昨日からの衣類をプラスティック袋に入れ、一昨日も使ったコインランドリーへ行く。洗剤の自動販売機、洗濯機、乾燥機の扱いも、今日はもう、慣れたものである。その乾燥機の回っているあいだに、部屋できのうの日記を書き始める。乾いた衣類はおとといとおなじくその場で畳み、部屋に戻ったら即、圧縮袋に入れた。
その後はコンピュータを1階のロビーに降ろし、11時15分に、きのうの日記を完成させる。二日つづけて朝食を軽くした。その結果でもないだろうけれど、今日は昨日の昼どきより腹が減った。
きのう自転車で街を逍遥しつつあるとき、清楚な女の子の働く店を、チェットヨット通りに見た。そういう女の子の働く店に外れはないと踏んで、ワンカムホテルの裏手に自転車を駐める。その店の目玉焼きとベーコンのサンドイッチは確かに、特にパンが美味かった。代金は、タイのミルクティーと共で199バーツだった。
そのあたりは大昔から白人の群れ集まるところにて、自転車をそのままにして、しばし散策をする。そして今夜の飲酒の場所を見定めて後、遠回りをしながら12時40分にホテルへ戻る。
プールサイドには12時55分に降りた。そして15時15分に設定したiPhoneのアラームに促されて本を閉じ、庭の寝椅子を去る。部屋に戻る途中でロビーに寄り、明朝8時30分のタクシーを予約する。代金の250バーツは、運転手に渡してくれとのことだった。
シャワーを浴びて身のまわりを整理するうち15時50分。必要なもの、すなわち読みさしの本などをセブンイレブンのエコバッグに入れ、自転車なら数十秒で達するマッサージ屋”PAI”の駐輪場に自転車を繋ぐ。
窓から僕の姿が見えていたか、女将に足を洗ってもらって着いた安楽椅子には、既にして熱いお茶が用意してあった。受けた足マッサージは1時間。女将には100バーツのチップ。
そこからジェットヨット通りの”Nice Rental”に自転車を戻して、預け金の1,000バーツを返してもらう。そのまま北に歩き続けて、今夜の飲酒喫飯の店を探す。昼に目をつけておいた店の、店頭に開いたメニュのラザニアには惹かれたものの、一方、おとといの日記に書いた”Surf & Turf”の跡地のイタリア料理屋には”Pizza&Pasta by Hungry Nest”の看板があった。「そうであれば」と、この店の外の席に着く。
ワインを置いた店では常に、グラスにすべきかカラフにすべきかボトルにすべきかで悩む。そして結局は、赤と白のワインをそれぞれグラスで注文する。席に運ばれたワインは特に、赤が良い感じだった。スパゲティプッタネスカは熱く、添えられたチーズの質も良く、頼まなくても塩と黒胡椒のミルを持って来てくれたところにも好感が持てた。そして、すべてを食べ終えても時刻はいまだ17時52分だった。
徒歩でホテルに戻ったら、明日の朝は忙しいだろうから、今日の日記のあらかたを書く。荷作りもする。今日のシャワーは一日を通して水しか出ない。そして20時32分に寝に就く。
朝飯 “BLUE LAGOON HOTEL”の朝のブッフェの紅茶、お粥
昼飯 “The Hungry Nest”のベーコンと目玉焼きのサンドイッチ、タイのミルクティー
晩飯 “Pizza&Pasta by Hungry Nest”のスパゲティプッタネスカ、赤と白のグラスワイン
2026.3.10(火) タイ日記(9日目)
目を覚ましたのは1時32分。次は5時12分。起床は5時58分。6時15分より夜が明けてくる。
「ホーイッ、ホーイッ」と啼くタイの鳥はオニカッコウという種類らしい。この鳥は夜中にも啼く。しかし雀などの小さな鳥は、日本と同じく、夜明けと共に啼き始める。チェンライの良さは、街なかに緑の多いこと。鳥が賑やかに啼くことも、また朝のひとときを良い気分にしてくれる。
13時20分にようよう前日の日記を書き終えた、きのうの轍は踏みたくない。上はパジャマ用のTシャツ、下はバスタオルを巻き付けた姿から、ユニクロのTシャツと、これまたユニクロのゆるいズボンという普段着に着替えてロビーへ降りる。そして今日の食券を受け取って食堂へ行く。
いまだ肌寒い朝のプールに泳ぐ人の姿がある。もちろん白人である。昼どきになっても空腹を覚えない、これまたきのうの轍は踏みたくない。今朝は紅茶とお粥を摂るのみにて、食堂を去る。
8時37分にロビーに降りて、きのうとおなじ場所できのうの日記を書く。水の落ちる音に気づいて外へ出てみる。雨が降っている。玄関のマットを敷き直している女の子に「雨だね」と、声をかけてみる。「はい、雨です」と、女の子は驚いたように、しかし笑顔を向けてくれた。
コンピュータを開いたテーブルに戻って”CHIANG RAI WEATHER 24H”と検索エンジンに入れてみる。雨は正午には上がるとそこにはあったから、ひと安心をする。雨が降っては、僕が南の国で楽しみにしているほとんどは、封殺をされるからだ。
きのうの日記は9時55分に書き終えた。雨であれば、今日の日記のここまでも、また書いてしまう。時刻は10時15分。きのうにくらべれば、大余裕の時間運びである。
朝食を調整したこともあって、今日は昼を前にして腹が空いてきた。雨も幸い上がった。よって正午過ぎに、街へ自転車をこぎ出す。気温は、半袖のTシャツ1枚では涼しすぎるほどに低い。
これまで数え切れないほど通った汁麺屋は、驚くことに、向かって左半分がマッサージ屋になっていた。汁麺のメニュは、トッピングを選べるカオソイ、それにナムニャオのみになっていた。カオソイもナムニャオもタイの北部を代表する麺で、チェンライには名店の誉れ高い店もあるけれど、僕にはこの店のそれで充分だ。汁麺の代金は50バーツだった。
帰りがけに隣のマッサージ屋がドアに貼った料金表を見てみれば、足マッサージが30分間で180バーツ、頭と背中と肩のマッサージが30分間で200バーツとあった。この法外ともいえる料金に、果たして入る客はいるだろうか。
ウドンタニーではいつまでも見つけられないでいる貸し自転車が、この街にはいくらでもある。だから機動力を得ることができる。ジェットヨット通りから金色の時計台の前に出て、そこから北へ延びる道に入る。しばらく進んだ右手に、目指す酒屋は、ある。
ところで僕は先週水曜日の日記に「タイの、タバコや酒に関する規制は日本のそれよりよほど厳しい。日中に酒を買うことのできる時間帯は、11時から14時に限られる」と書いた。しかしこれは誤りにて、タイではしばらく前よりその規制が緩み、酒を買うことのできる時間は11時から深夜0時までとなった。しかし「タイの法律など、いずれすぐに変わるに違いない」と高を括って、記憶に留めることをしなかったのだ。
僕の最も好むラーカーオは”BANGYIKHAN”。料金は、おなじ店で昨年の2月に買った1本185バーツよりなぜか安い180バーツだった。
ところで東京の古い飲食店は、僕が三十代のころまでは焼酎を置かないところが多かった。「あんなものは車夫馬丁の飲むもの」との差別感からである。タイの伝統的な米焼酎「ラオカーオ」も、同じ地位にある。しかしタイも酒についての文化が向上すれば、ラオカーオはかならず、正当な評価を得るに到るだろう。
部屋には意外や早く、12時55分に戻った。「一寸の光陰、軽んずべからず」とばかりに、日本から持ち来た1枚、それに数日前に買った2枚の計3枚の絵はがきに、ボールペンで文を書く。開け放った窓の外には、大した眺めでもないけれど、熱帯の大木の緑、そして鳥の声がある。
そうしてまたまた外へ出て自転車を漕ぎ、昨年の2月に見つけた郵便局へ行く。”LANNA POST OFFICE”とは、洒落た名前である。日本までのエアメールの代金は、昨年その価格の高騰ぶりに驚いた1枚あたり60バーツ。3枚なら180バーツでラオカーオ1本とおなじ値段なのだから、日本の常識に照らしても、あるいはタイの物価に照らせば相当に高い。
13時55分にホテルに戻って以降は、プールサイドで本を読む。朝の雨のせいで涼しければ、泳ぐことはしなかった。そして16時より目と鼻の先のマッサージ屋”PAI”へ出かけ、1時間の足マッサージを受ける。代金は200バーツ。オバサンには50バーツのチップ。
足マッサージの利点は、それを受けながら本の読めるところだ。マッサージの後は、乗りつけた自転車を夕刻の街に走らせて、今日はどこにしようかと迷いつつ、結局は慣れた店へ行く。
席に着くやいなや「ソーダですか」と、オニーチャンが訊いてきたのには参った。メニュも見ずに豚挽き肉の玉子焼きを注文する。しかし席に運ばれたそれは、鹹玉子と豚の挽き肉を炒めたものだった。これでは酒の肴にしても、いかにも塩辛すぎる。結局は先日に引き続き、お椀に2杯のメシを平らげることになった。
さて旅の残りの日も少なくなれば、社員に土産を買う必要がある。よってナイトバザールのちかくに自転車を駐める。おととしまとまった買い物をしたところ、予期せずおまけをしてくれたオジサンが今年も店を出していることは、きのうのうちに確かめておいた。そして今回も、そのオジサンからあれやこれやを買う。オジサンはおととしよりも多い、2割5分ほどの値引きをしてくれた。おなじ品が首都の空港では”SPECIAL PRICE”などと、いかにも安そうな値札を付けて、その実、このオジサンの店の三倍ほどで売っているのだから、断腸亭の言葉を借りれば「笑ふべし」である。
部屋には18時25分に戻った。そしてSNSに画像と説明を上げ、また返信を付けるなどする。夜の空を飛んでいくのは、18:55発のバンコク行きタイ航空機だろうか。そして19時30分に寝に就く。
朝飯 “BLUE LAGOON HOTEL”の朝のブッフェの紅茶、お粥
昼飯 「カオソイポーチャイ」のバミーナムニャオ
晩飯 「ジャルーンチャイ」のカイジャオムーサップ、カオスアイ、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2026.3.9(月) タイ日記(8日目)
2時28分、次いで5時43分に目を覚ます。南の国ではあたりの明るくなる時間が僕の感覚からすると遅いから、つまり早朝の美しい空を愛でることはできないから、たとえ早く起きても、あまり面白いものではない。あるいは朝の空は、タイでも、春よりは秋の方が綺麗なのかも知れない。
机の前の壁には、毎日すべきことを記した日程表を貼っている。それによれば洗濯は今週の水曜日にすれば良いことになっているものの、既にして着た衣類を数えてみれば、今朝にも洗濯をすべきではないか、という考えが浮かんだ。どうも、日程表と実際の着替えとがずれているような気がするのだ。
そういう次第にて、きのうまでに身につけたものをプラスティック袋に入れて、ホテルを出て右に数軒のところにあるコンランドリーへ出かける。この店は2024年の9月にも使った。しかし2025年の2月にはおなじチェンライでも別のホテルに泊まり、コインランドリーも別の店を使った。店が違えば洗濯機や乾燥機の使い方も変わる。よって今朝はまた、壁や洗濯機の説明を、まじまじと見ることから始める必要があった。
僕の持ち込んだ衣類はたかだか数日分だから、洗濯機は9キログラム用の、もっとも小さなもので済む。その代金は冷水による洗濯で40バーツ。その前に壁の自動販売機にて、液体洗剤を5バーツで買う。そして洗濯機に衣類を入れ、ガラスのドアを閉め、上のフタを開けて液体洗剤を流し入れる。しかして後に10バーツ硬貨4枚を次々と所定の場所に入れ、スタートボタンを押すと、洗濯機はただちに回り始めた。
ひと息をついたところで係のオネーサンが出勤してくる。時刻は8時だった。そういえば、前回は既にしてオネーサンがいて、洗剤の買い方、洗濯機の使い方を、次々と説明してくれたのだった。今日も数分を遅れて来れば、楽ができたのだ。
さて洗濯の時間は30分間だから、洗濯物はそのままにしてホテルへ戻り、朝食を摂る。この食堂はプールサイドに位置していて、壁はない。一日中、壁のないところで食事のできる南の人が、僕は羨ましくて仕方がない。寒くないとは、素晴らしいことである。
洗濯機は、コインランドリーに戻って1分の後に止まった。次は乾燥機。設定はデフォールトで”High”になっていた。こちらの料金は50バーツ。ドアの完全に閉まらないことを心配しつつ、とにかくスタートボタンを押す。
24時間営業のコインランドリーは通りに向かって開け放たれていて、先ほどの食堂とおなじく気持ちが良い。よって部屋へ帰ることはせず、乾燥は本を読みつつ待つことにする。
途中でふと振り返ると、僕が衣類を入れた乾燥機のスイッチを、オネーサンが入れ直しているところだった。「大丈夫ですか」と訊くと「ソーリー、エラー」と、オネーサンは振り向いて笑った。僕のドアの締め方が、悪かったのかも知れない。
洗濯を終えた衣類は、コインランドリーのテーブルで畳んだ。おととし今のホテルに泊まっているときに、ベッドの上に広げた衣類を畳んでいて「すわ、ギックリ腰」という瞬間を経験しているため、もはやその姿勢はとりたくないのだ。部屋に持ち帰った衣類は、今度は混乱しないよう、そこらへんに出しておくことはせず、すべて圧縮袋に収めた。
さてこのホテルを予約した日の日記に書いたことだが、部屋の椅子はスツールで、これに座って机に向かい続けると腰が痛くなる。よって背もたれの付いた椅子をフロントで借りようとしていたものの、それも面倒だ。ここでは日記はすべてロビーの丸テーブルと籐椅子を使うこととして、一階に降りる。
移動日の日記はどうしても長くなる。「タイ日記(7日目)」を書き終えると、ロビーの、ふたつの錘と長い振り子を持つ大きな時計は13時20分を指していた。”PAI”に予約したマッサージの時間は15時。だったら自分はそれまでに何をするべきか。
部屋へ戻って水着に着替え、プールサイドへ降りる。南の国に旅して最もしたいことは、プールサイドでの本読みに他ならない。川本三郎著「荷風の昭和」前編の全567ページは、13時56分に読み終えた。そして即、セブンイレブンのエコバッグから、その後編を取り出して開く。
“PAI”の、顔を見知ったオバサンのオイルマッサージは、押される場所によってはかなり痛かった。バスでの長旅により、からだのあちらこちらが凝っていたのかも知れない。「このマッサージを二日つづけて受けるのはきついな」と考えて、女将には明日午後4時の足マッサージを予約した。
さて今日はいまだ自転車に乗っていない。乗らなければ1日分の貸料100バーツは無駄になる。そして夕刻の街に自転車を乗り出し、先ずはチェットヨット通りを北上する。昨年はじめて食べてその美味さに驚いた洋食の”Surf & Turf”は、残念なことに店を閉じていた。だからといって「そこいらへんの店」に入って不味ければ悲しい。ワインの飲める店は明日に調べることとして、ハンドルをナイトバザールへと向ける。
ナイトバザールの、鉄製の黄色い椅子とテーブルを並べた広場では、持ち込んだ食べものや飲み物は摂れないことになっている。それを知りながらペットボトルのラオカーオを飲んでいて、昨年は酒売り場のオバサンに言いつけられたガードマンに注意を受けた。そういう面白くない思い出があるため、今日は”Special Rum”とレッテルにはある”Sang Som”の小瓶とソーダとバケツの氷を酒売り場で買った。料理は顔見知りのオバサンの店にラーメンサラダを頼んだ。酒一式の価格は255バーツ。料理は120バーツだった。
すっかり酔って自転車を駐めた場所まで歩いても、空は昼と変わらず明るい。戻った部屋のシャワーは、今日は燈刻に到っても、寒くないくらいの水しか出なかった。そうしてSNSに情報を上げたり返信をつけたりして、19時20分に寝に就く。
朝飯 “BLUE LAGOON HOTEL”の朝のブッフェのトースト、カフェラテ、目玉焼きとハムを添えたサラダ
晩飯 ナイトバザール奧のフードコートのヤムママー、ラム”Sang Som”(ソーダ割り)
2026.3.8(日) タイ日記(7日目)
いつの間にか眠りについて、何かのきっかけで目を覚ます。席は、背もたれが深く倒れる点、足元が広い点により、飛行機のエコノミー席よりも、よほど快適である。いつの間にか眠れることに、有り難さを感じる。
00:15 車内の明かりが点いて、次の停留所の近いことを知らせる。7名が降りて、5名が乗ってくる。その中には10歳くらいの女の子もいて「よく起きていられたなぁ」と、一驚を喫する。
00:35 大きなターミナルに着く。きのうの出発時に毛布や水やスナック菓子やサンドイッチをくれたオジサンが、特に僕を見て「トゥウェンティミニッツ」と声を発する。バスを降りてオジサンに場所を訊くと「ピサヌローク」とのことだった。
昨夜21時30分にトイレに行けなかったこともあって、取りあえずは用を足す。大きなトイレには個室が並び、熱と湿気が充満していた。多分、シャワーを浴びることもできるのだろう。
そこから戻りつつ、建物の中を覗く。その入口の上には”VIP”の文字がある。当方は「特に必要な人」でもないものの、見ていると、バスの切符を係に差し出した人たちが中へ入っていく。僕も真似をしてみると、切符にはミシン目が入っていて、係はその一部をもぎった。
社員食堂のようなそこには、汁麺のセルフサービス、お粥のセルフサービス、そしてカオゲーンつまりぶっかけ飯のカウンターにはオバサンがいた。僕は自分の腹具合を勘案して汁麺を選んだ。汁はぬるかったものの、具の大根は熱くて良かった。
01:31 「トゥウェンティミニッツ」とオジサンに言われたため、汁麺は大急ぎで片づけたものの、バスは、ここに着いて1時間ちかくも経ってからようよう発車した。
04:20 爽快な気分と共に目を覚ます。Googleマップによれば、バスは、大ざっぱに言えば、2017年3月に訪ねたことのあるプレーからランパーンの方向を目指して、北西に進んでいた。
05:04 これまたGoogleマップによれば、バスはランパーンから国道1号線に入り、チェンライへ向けて、一直線に北を目指しはじめた。
05:29 車内に明かりが点く。
05:32 パヤオの手前で、隣の女の子も含めた8名が降りる。未明の田舎の街道筋に彼らを迎えに来ているのは、家族や友人たちだろうか。
05:50 パヤオの市街を通過。
05:51 パヤオのバスターミナルに着。8名が降りる。
隣に女の子がいたときには遠慮をしていたものの、席と席のあいだにきのうから光を発していた正体を確かめれば、それはUSBのコンセントだった。よって電源の35パーセントまで減っていたiPhoneを、これに繋ぐ。
06:15 夜が明け始める。
06:19 知らない停留所で1名が降りる。
06:31 検問所でバスが停まる。警察のいわゆる「臨検」を受ける。僕のパスポートも入念に調べられる。
07:01 “Chiang Rai Educational…” と読める建物前の停留所で、夜中に乗り込んできた母娘が降りる。朝日が東の山の上に昇る。
07:20 チェンライバスターミナル2に到着。あわよくば街の真ん中のバスターミナル1まで行くのではないかと席に着き続けるも、オジサンに下車を促される。なおオジサンの言葉に慌てるあまり、きのうもらった、いまだ手を付けていない水とスナック菓子とサンドイッチは、席の前の網袋に置き忘れた。
さてこの郊外にある、2010年9月にチェンマイ行きのバスに乗る際に使ったバスターミナル2から市内までの交通の便は、現在、どのようになっているのか。元バックパッカーとしては、馬鹿馬鹿しい金の使い方はしたくない。
トラックの荷台を客席に改造したソンテウは、遠くに2台が駐まっているものの、そのちかくに人の姿は見えない。ターミナルの中の券売所はタイ語のみの案内にて、何が何やら分からない。すこし離れたところに複数の飲食店を認め、そこまでスーツケースを曳いていく。
そのうちのひとつの店に、気の利きそうな、あるいは気の強そうなオバサンがいた。店頭のポットに気づいて、コーヒーは飲めるかと訊く。オバサンは「はい」と答えて、店の前の石の椅子を僕に勧めた。
「ターミナル1まで行きたいんだ」と、オバサンに告げる。「だったらモタサイね、50バーツ」と、オバサンは料金まで教えてくれた。熱いコーヒーの代金は25バーツだった。オバサンはバスのプラットフォームちかくにたむろすモタサイの運転手を、大きな声で呼んでくれた。
予約したホテルは、街の真ん中にあるバスターミナル1からは、徒歩の圏内にある。しかし路線バスでもなければ、モタサイはホテルに直に着けてもらいたい。僕は運転手にホテルの名を告げ、更にタイ語を含むホテルの予約表を見せた。そうして料金を訊くと「80バーツ」とのことだった。僕は喜んで、このモタサイを使うことにした。
運転手は、機内持込サイズとはいえ、僕のスーツケースをシートの前の低くなっているところに置いた。ゴム紐も掛けずに、落ちることはないのだろうか。モタサイは「何かあったら完璧に死ぬ」という速度で広い道を飛ばす。後席から運転手の肩越しに速度計を覗き込むと、それはしかし壊れていて、針は動いていなかった。
モタサイの疾走する道は、見覚えのある目抜き通りに直結していた。「なんだ、ターミナル2は、そんな位置にあったのか」と、不思議の思いに囚われる。ターミナル2からホテルまでにモタサイが費やした時間は僅々7分だった。100バーツ札を差し出すと、運転手は釣りの20バーツ札を返してよこした。その20バーツ札を僕は「お釣りはいいや」と、運転手に戻した。
さてここで時刻は7時46分。ホテルの定めたチェックインの時間は正午。フロントには見覚えのある、細くて可愛いオネーサンがいた。「二年前にも泊まったんだよ」と、オネーサンに声をかける。オネーサンはすぐに部屋の鍵をくれた。三階の部屋までは、ベルのオジサンがスーツケースを運んでくれた。オジサンには40バーツのチップ。時刻は7時50分。素晴らしい、チェンライでの滑り出しである。
しかしながら、僕にはひとつの心配があった。僕は、コンピュータとその充電器は、盗難を恐れてスーツケースには入れない。移動の際には常にバックパックに入れて手元に置く。その、赤いポーチに入れた充電器が、バスの中では見あたらなかったのだ。そして通された三階の320号室にスーツケースを開いても、それは入っていなかった。
きのうまで滞在したホテルでは、チェックアウトから完全に去るまでに2時間ちかくの時間があった。もし部屋に置き忘れたなら、メイドがフロントまで届けただろう。とすれば充電器は、どこに消えたのか。
充電器がなければコンピュータの電源は数時間で尽き、以降はこの日記を書くことができない。だったら今朝、モタサイの後席から右手に眺めたセントラルプラザの電気売場で探すしかない。「面倒なことになった」と、念のため、バックパックの中の、黒いバッグインバッグを開けてみる。すると充電器の赤いポーチは果たして、その中に収められていた。「やった、あった、あった」と、僕は小さな声で快哉を叫んだ。
きのうの日記は、そのANKERの充電器に繋いだコンピュータで10時55分に書き終えた。次にすべきは、自転車を借りることだ。
おととしの9月には、やはりこのホテルに泊まって、近くの寺ワットチェットヨットはす向かいの”Nice Rental”で自転車を借りた。昨年の2月には、別の洒落たブティックホテル「ナイヤー」に泊まった。ここには貸し自転車があって無料で借りられたものの、宿泊料が異常に上がってしまったため、今回は避けた経緯があった。
“Nice Rental”の店頭にはオートバイが目立つものの、奧には自転車も置いてある。そのうちの1日の貸し賃が100バーツの安いものを選び、書類を作ってもらう。「水曜日まで借りたい」と告げると女主人は「水曜日の現在時刻11時15分まで3日間で300バーツ」とボールペンを走らせたため「水曜日は夕方まで借りたいね」と、延長を申し出る。女主人は「だったら4日分の400バーツ」と、今しがた書いた数字の上に、訂正の数字を、より太く、濃く、書き入れた。
その400バーツと保証金の1,000バーツを支払ったところでシートを下げるよう頼む。亭主らしい男の人は、悪戦苦闘をしながら僕の脚の長さに合うところまで椅子を下げた。海外の貸し自転車は白人の体格に合わせてあることが多い。ついでに「鍵はちゃんと働きますか」と続ける。亭主はダイヤル式の鍵を回してみる。当然のようにして、それは円滑に動かない。彼はしばらくのあいだ、あちらこちらに潤滑油をスプレーし続けた。南の国の貸し自転車は、本当に、いい加減なものが少なくないのだ。
その自転車を、ナイトバザールの入口ちかくの食堂「ナコンパトム」に乗りつける。そしてカオマンガイとペットボトルの水を注文する。この店の蒸し鶏は、僕の舌が酢豆腐や「ツウ」の水準に達していないからかも知れないけれど、いつも文句の付けようがない。量も多い。だから水も含んだ料金の70バーツは、とても安く感じる。
それはさておき、この食堂の真ん前の、工事用の鉄の塀に覆われた大規模な工事現場には、以前は何があっただろう。銀行やらタイ航空の事務所が並んでいたような気もするけれど、今となっては、その記憶も曖昧である。
自転車に付属の鍵はタイヤを動かせないようにする種類のもので、そのままクルマにでも載せれば簡単に盗むことができる。よって念のため、日本から持参した鎖と南京錠を用いて、ホテルの玄関前の柱に固定した。
13時15分からは庭のプールサイドに降りて本を読む。このホテルの寝椅子は本を読むに適した形をしている。またその頭上にはプラスティック製の大きな屋根があるため、太陽の動きに従ってパラソルや寝椅子を動かす煩わしさが無い。僕がこのホテルを選ぶ、理由のひとつである。やがて昼下がりの暑さに根を上げて、遂に水に入って数十メートルを泳ぐ。部屋には14時50分に戻った。
さて次はマッサージ。行きつけの”PAI”は目と鼻の先にある。そのガラス戸を押して「オイルマッサージ、2時間」と告げる。近づいて来た女将は「今日は無理」と言う。よって足マッサージを1時間だけ頼む。驚いたことに、今日は女将みずからが僕の足をタライの湯で洗ってくれた。更にはマッサージも女将がしてくれた。マッサージ師の数が足りていないのだろうか。アカギレはふさがっているものの、平滑でない僕のかかとを女将は専用の道具で削ってくれて、そうこうするうち1時間30分ほどが経った。にもかかわらず請求は1時間分の200バーツだったから、女将には100バーツのチップを手渡した。
そして帰りしなに「明日、午後3時、オイルマッサージ、2時間、どう」と訊くと、女将は「大丈夫」と請け合ってくれた。これくらいでもタイ語で話せるようにしておくと、意思の疎通は早い。
17時の直前にホテルから自転車をこぎ出して、これまで何度も通っている食堂を目指す。この食堂は、通りに面した小さなテーブルの居心地が良く、ペットボトルのラオカーオを持ち込んでも、何も言われない。ここで通りを往く人やクルマを眺めながら本を読み、飲酒喫飯をする時間は、何ものにも代えがたい。
僕の顔を見知っているオニーチャンは、黙っていても、タイ語に中国語と英語を併記したメニュを持って来てくれる。今日はそのメニュにないモツ煮の有無を訊いてみた。元々がお粥屋であれば、それを置いている可能性が高いのだ。果たしてそれはすぐに席に運ばれた。
チェンライの、晴れた夕刻は最高だ。僕は空心菜の油炒めとメシを追加した。更にはそのメシをお代わりした。「空心菜炒めとタイ米の組み合わせは、タイで食べられる最も美味いもののひとつ」と言ったら、人は嗤うだろうか。
僕がチェンライを好む理由のひとつは、子供のころ、オフクロの、木更津の実家で過ごした日々を、何とはなしに思い出させるからだ。そんな道を辿って18時20分にホテルに戻る。部屋のシャワーは本日3度目にして、ようやくお湯が出るようになった。そして多分、19時より前に就寝をする。
朝飯 ピサヌロークのバスターミナルのセンミーナム、チェンライのバスターミナル2ちかくの食堂のホットコーヒー
昼飯 「ナコンパトム」のカオマンガイ
晩飯 「ジャルーンチャイ」のサイパロー、パットパックブンファイデーン、カオスアイ、ラオカーオ”NIYOMTHAI”(ソーダ割り)
2026.3.7(土) タイ日記(6日目)
目を覚ましたのは2時30分。二度寝をして6時15分にカーテンの隙間から空を見上げれば、外はいまだ暗い。6時30分に起床し、ベランダにて歯を磨く。
今日は、食事の配分に気をつけなければいけない。空腹を覚えず昼食を抜くことになっても、夕食を摂る時間は無いのだ。よっていつもの店では、パンの数をこれまでよりひとつ少なくした。そして9時20分になったところで「今日はうかうかしていられない」と席を立つ。荷作りは、10時5分には、あらたか終わった。以降は11時30分まで寝台で本を読み、正午の直前にチェックアウトをする。
昼食は、おとといカオマンガイを食べた”Food Place”の別の店で、鶏のガパオライスを注文した。目玉焼きを付けた価格は60バーツ。まぁ、妥当なところだろう。味は良かった。この店が夕刻まで営業をしていれば、定食を肴にしてラオカーオを飲むことができる。それは今秋の課題としよう。
さてマッサージのオバサンに送った「チェンライ行きのバスに乗るため、今日はソンバットツアーに16時に行く。よって具合さえ良ければ14時前にマッサージを受けに行く」とのLINEは未読のままだ。よって炎天を歩いて、とはいえ距離は大したこともない。マッサージ屋へ行くと、オバサンは外のベンチではなく屋内にいた。送ったLNEをオバサンに見せる。オバサンは「今日は大丈夫」とのことで、取りあえずはホテルに戻り、涼しいロビーで本を読む。そして13時40分に、預けたスーツケースを曳き、バックパックは背負ってホテルを去る。
2時間を頼んでも、2時間以上はし続けてくれるマッサージだが、今日はすこし短かった。客が立て込んでいるのだろう。オバサンは有り難いことにシャワーを勧めてくれた。よってオバサンの出してくれたバスタオルを遠慮なく受け取り、熱めのシャワーを浴びる。
ソンバットツアーの事務所には15時45分に着いた。カウンターの中には、初日に切符を手配してくれたオバサンがいた。そのとき切符の”Platform1″の文字を指して「これは、そこ?」と目と鼻の先のターミナルを差してみたところ「だから私があたなを、別のターミナルまで送っていくのよ」とオバサンは言ったと僕は解釈をした。しかしそれは、英語をほとんど解さないオバサンの言葉を僕が聞き違えたもので、正しくは「だから、バスの出る場所は、当日に、私が教えて上げるから」だった。オバサンは「ファイブオクロック、プラットフォームフォー」と、数十メートル先の乗り場を指した。
その、オバサンのいるカウンターのそばのベンチで本を読むうち、オバサンがなにやら大声を発する。すると奥のベンチに座ったり横になっていた客たちは三々五々、外へ出た。オバサンは僕にも視線を向けたため、いまだ16時22分ではあったものの、席を立ってバス乗り場へ行く。
オバサンに言われた4番プラットフォームは、昨年の9月25日に、やはりソンバットツアーの太ったオネーサンが教えてくれた”Number 4″と同じところなのだろう。その頭上の看板には”RAYONG”と”BANGKOK”の文字があるけれど、心配をすることはなかったのだ。
16:25 運転手なのか車掌なのか不明のオジサンが、僕のスーツケースをバスの胴体に積む。
16:27 初日に指定した”1C”の席に着く。窓際には、若くて太った女の子が、既にして座っていた。先ほどのオジサンが、毛布と水とスナック菓子を手渡してくれる。運転席と客席はドアを設けた壁に仕切られていて、前方の景色はまったく望めない。
16:54 定時を前にして、バスが乗り場を離れる。乗客は10名。
17:13 街から離れて片側三車線の大きな道に出る。
17:15 ウドンタニー北バスターミナルに着く。4名が乗り込んでくる。
17:19 先ほどのオジサンがツナとマヨネーズのサンドイッチを手渡してくれて、何となく胸をなでおろす。
17:31 いかにも寂しげな北バスターミナルからバスが出る。
17:45 網棚からバックパックを降ろし、そこからユニクロの超極暖ヒートテックタートルネックTとモンベルのULサーマラップジャケットを出して、半袖のTシャツに重ねる。
18:05 大きな夕陽が車窓右前方に、いつまでも見えている。それはそうだろう、バスは一路、西を目指しているのだ。
18:12 車窓から差し込む夕日がいよいよ弱くなったため、それを頼りに本を読むことを諦める。
18:30 マツダ、ニッサン、いすゞの大きなディーラーが並ぶ街ノンブアランプーのターミナルに着く。
18:33 同ターミナルをバスが出る。
19:05 日が完全に落ちる。
19:06 車内に灯りが点る。
19:10 不明の停留所から3名が乗り込んでくる。
19:35 不明の停留所から1名が乗り込んでくる。
20:25 チェンライのそれより、更にはチェンマイのそれより立派かも知れないルーイのバスターミナルに着く。ここで8名が乗り込んでくる。
最前列通路側の席から見おろす運転席の計器板により、空気調整器の設定温度は22℃、風量は最強とのことが分かる。この寒さを望んでいる乗客は、ひとりもいないのではないか。しかし冷房は寒いくらいに効かせることがサービスとの常識が南の国にはあるため、誰も疑問には思わないのではないか。
21:35 最後尾のトイレに入ろうとして、ふらつく足元を踏みしめつつ最後尾へ行く。しかし客席と最後部を隔てるドアがどうしても開かないため、そのまま席へ戻る。バスは、Googleマップによれば、ラオスとの国境を右手にして、西へ進み続けている。
朝飯 “Morning House”の中華ソーセージとベトナムソーセージを挟んだベトナムパン、アイスカフェラテ
昼飯 “Food Place”に入って左手数軒目のブースのパッガパオガイカイダーオ
2026.3.6(金) タイ日記(5日目)
極端な早寝により、昼夜が逆転している。目を覚ましたのは0時10分。窓の外のバービヤ街は、いまだひどくうるさい。
寝台の脇の電気スタンドは、本が読めるまでの明るさは提供してくれない。そのまま輾転反側しても、とてもではないけれど、夜明けを待つことはできない。湯を沸かして粉末のコンソメスープを飲み、コンピュータを開いてきのうの日記を書き上げる。
このところ通っている朝食の店は7時に開く。今朝は8時がちかくなるころに行って、9時前に部屋へ戻る。
きのう体調を崩したマッサージのオバサンには、からだの具合をLINEで訊ね、調子が悪いようなら今日も遠慮をするから無理をすることはないと、言葉を添える。「タイにマッサージ屋など星の数ほどあるだろうに」と問われれば、このオバサン以外の店はどこもかしこも、そこで働く女たちの顔つきや客を待つ姿勢が良くないのだ。これ見よがしにはだけた胸元に刺青のあることも少なくない。
空はこの街に来て以来、ずっと晴れている。しかし今日ばかりは雲が多い。それを幸いとして、10時前よりプールサイドに降りる。曇っていても紫外線は大量に降り注いでいるはずだから、それを防ぐためのメガネはしっかりとかける。マッサージのオバサンからは「今日も偏頭痛で休みたい」旨の返信があった。よって「明日に復調すれば午後に行く」と返信をする。
ところで僕はこの旅の最中にひとつ宿題を抱えていた。150文字ほどの挨拶文を作る、という仕事がそれだ。プールサイドで本を読むうち、その前半部分ともいうべき数十文字を思いつく。iPhoneを引き寄せ見れば時刻は11時をまわったばかりではあったものの、部屋へ戻り、コンピュータを開く。
プールサイドで思いついた文章は、その後、ほとんど形を変えつつ何とか完成した。デザイナーからは3月8日の締め切りを示唆されていて、それはホテルの壁に貼った日程表にも記してある。しかし考えてみれば、求められているのは便箋に手書きの文字。ところが僕は、専用のペンも便箋も荷物に入れ忘れた。そういう次第にて、それを読み込んだファイルをデザイナーに送ることができるのは、早くても15日になるだろう。
そうこうするうちベランダには日が差しはじめた。よって以降の本読みは、部屋の寝台で行うこととする。それにしても、天井の空気調整器は止めているものの、すこし肌寒い。外の気温は35℃くらいか。呆れられるかも知れないけれど、ベランダのドアを開き、外の暖かい空気を部屋に取り込む。ことほど左様に僕は南の国が好きなのだ。地上からはやがて、ココナツミルクの香りが届いてきた。
さて17時が近づいてきたため、服を着て外へ出る。そしてホテルはす向かいの洗濯屋にて、きのう預けた衣類を受け取る。部屋へ戻ってそれを置いたら、いつものように、セブンイレブンのエコバッグに必要なものを入れ、それを提げて、ふたたび外へ出る。
2020年にも2025年にも来た鉄板焼き屋は、ソーダを置いていなかった。2020年にその美味さに驚いたパッタイも、今はメニュにない。昨秋にも注文した海鮮の全部焼きは、今日はいささか量が多く感じられた。
部屋には18時13分に戻った。明日はこの街を離れる日ではあるけれど、荷作りは明日の朝にしても、充分に間に合うだろう。
朝飯 “Morning House”の中華ソーセージとベトナムソーセージを挟んだベトナムパン、カフェラテ
晩飯 “Je Huay Hoi Tod”の烏賊と海老とムール貝と牡蠣のトード、ラオカーオ”NIYOMTHAI”(オンザロックス)
2026.3.5(木) タイ日記(4日目)
きのう寝に着いたのは多分、18時30分のころだっただろう。それもあって、目を覚まして手元のiPhoneを引き寄せ見ると、時刻はいまだ22時30分だった。万仏節にてひと晩の休みを挟んだ眼下のバービヤ街は、それほどの客がいるとも思われないものの、重低音の効いた音楽が、ひどくうるさい。
それでも何とか眠れて、次に目を覚ましたのは2時30分。この時間でも、バービヤにはいまだ客が残っているらしく、なにがしかの音は聞こえてくる。
三度寝から覚めた時刻は定かでない。覚えている夢のうちひとつは、タイの、いかにも頼りないペットボトルのフタがいつの間にか外れて、そこに小分けした醤油をどこかの玄関に大量にこぼし、しかし旅先にて雑巾もバケツも持っていないから、なにもできずに焦燥しているもの。もうひとつは、客のためのスツールが二客のみの小さなバーで、スクリュードライバーをひとくち飲んだところで手を滑らせ、そのグラスを床に落として割ってしまうもの。バーテンダーはそのままどこかへ去って、ガラスの破片は自分で拾い集めた。いずれにしても、情けない夢である。
夜が明けるころに曇っていた空は、いつの間にか晴れた。その空をジェット戦闘機が一機だけ飛んでいく。たった一機でも、空気を切り裂く音は随分と大きい。尼さんなのだろうか、女の声によるお経の声が、スピーカーに乗って届いてくる。ベランダから通りを見おろすと、2020年と昨2025年に使った洗濯屋には、既にして人が動いている。時刻は8時50分。ベランダで歯を磨き、初日からきのうまでの洗濯ものをプラスティック袋に入れる。別途、セブンイレブンのエコバッグには、本と財布とiPhoneを入れて部屋を出る。
洗濯屋のオバサンが衣類を逐一あらためて作った伝票の総額は、71バーツだった。コインランドリーでも最低100バーツを要することを考えれば、異常に安い。できあがりは明日の17時と告げられた。
そこからいつもの朝食屋へ出かけると、今日は休みだった。だったらホテルのレストランで野菜を大量に食べる手だ。なお僕は、南の国では外の席を好む。責任者らしい男の人は、頭上の大きな扇風機を回してくれるなど、いろいろと気を遣ってくれた。そしてその席には11時20分までいて、ずっと本を読んだ。
それはさておき、今朝、部屋を出ようとしてドアを開けたところ、たまたまメイドのオバサンが用度品の台車を押していくところだった。よって取り急ぎ部屋へ戻り、枕の下の20バーツ札2枚を取り出し、それを手渡しつつ、トイレットペーパーは二巻を置くよう頼んだ。タイのトイレットペーパーは幅が狭く、巻きも少ないため、すぐに使い終えてしまうのだ。オバサンは僕が言いつけたとおり、二巻のトイレットペーパーを洗面台に残しておいてくれた。
タイの最暑期は3月から5月と言われている。今日の気温も35℃は超えそうだ。それは嬉しいことながら、プールサイドで太陽の直射を避けようと、寝椅子を移動させ続けるのも面倒だ。よって今日のところは、本は部屋の寝台で読むことにする。
ところで。チェンライでは、朝にホテルで充分の朝食を摂ると、日の傾くころまで本を読み続けることができる。しかしこの街ではなぜか、昼が過ぎると微妙に腹が減ってくる。今日はカオマンガイが食べたい。しかしホテルの前の通りには白人相手のレストランが並ぶばかりで、タイの軽食を出す店は無い。
ふと、2020年にも2025年にも夜に訪ねて、しかし今回はいまだ足を踏み入れていない、駅へ行く途中のフードコートは昼でも開かれているだろうかと考える。そしてその”Food Place”へ出かけてみれば、果たして多くの店が営業中だった。その中にはたったひとつだが、カオマンガイのブースもあった。あるいは明日の昼も、僕はここに、何かを食べに来るかも知れない。
午後も部屋に引き籠もって本を読んで、15時50分に外へ出る。約束の時間にマッサージ屋へ出かけると、オバサンはいつも外のベンチにいて、僕を見つけると笑顔で手を挙げる。しかし今日に限っては、外のベンチにはオバサンより明らかに年長と思われる別のオバサンがいて、ドアの内側を差した。
サンダルを脱いで中へ入り、安楽椅子に座ってオバサンを待つ。やがて現れたオバサンは「今日は一時間だけにしてくれないか」と言う。その顔色は赤く、何だか辛そうだ。よって「具合が悪いなら明日また来るよ」と答えると、オバサンは安堵をしたようだった。風邪でもひいたのだろうか。
一旦は部屋へ戻り、服を脱いでバスローブを着る。部屋の中では裸同然でいられる、というのも、南の国へ旅をしたときの、嬉しいことのひとつだ。そして17時を大分まわったところで再び服を着て外へ出る。目指すはきのうとおなじ、駅のちかくの屋台街である。
それにしても、この屋台街にある焼鳥屋の、1本5バーツの値段はひどく安く感じられる。一方、きのうのソムタムの80バーツや、今日のイカのサラダ120バーツは、屋台としては高い。それでもそれらを肴にしてラオカーオのソーダ割りを飲み、本を読む時間は、僕に無上の喜びを与えてくれる。きのうとおなじオバサンには、きのうに引き続いて20バーツのチップ渡した。
ホテルには18時38分に戻った。そしてシャワーを浴びて、すぐに就寝の体制に入る。
朝飯 “Banbua Grand Udon Hotel”の朝のブッフェ其の一、其の二
昼飯 “Food Place”のカオマンガイ屋のカオマンガイ
晩飯 ウドンタニー駅前の屋台街の2種の焼き鳥、ヤムプラムック、ラオカーオ”NIYOMTHAI”(ソーダ割り)
2026.3.4(水) タイ日記(3日目)
起床はきのうと変わらない5時30分。既にして完成しているきのうの日記を公開する。その誤字や脱字は、コンピュータよりスマートフォンで読み返した方が見つけやすいのは、なぜだろう。
南の国にいて違和感を覚えるひとつは、日本の夏と同じほどに気温は高いにもかかわらず、夜明けは特に早くないことだ。外の明るくなるころを見計らってカーテンを開け、ついでにベランダに続くドアも開け放って、外気を部屋へ入れる。
旅の日記は、移動を伴わない二日目のそれからは短くなる。きのうは初日の日記を10時25分までかかって書いた。今朝は、7時にはきのうの日記を書き終えて、ベランダで歯を磨く。
今日はきのうより随分と早く、8時を過ぎたところできのうとおなじ店へ出かけ、しかしきのうとはすこし違うものを朝食にする。部屋に戻ったら10年以上も前から取り寄せているメールマガジンを読み、10時45分よりプールサイドに降りる。
ウドンタニーの紫外線は曲者だから、できるだけ避ける必要がある。はじめはホテルの建物に隠れていた太陽が、いつの間にか顔をまぶしくする。頭上のパラソルは重い土台に埋め込まれていて、動かすことはできない。よって寝椅子を傘の陰まで引きずって移す。それでも太陽の直射から身を隠せなくなれば、別の寝椅子に移動する。寝椅子をふたつ移って、それでもどうにもならなくなって、今度は庇の下の、椅子は椅子でも背中を立てていなければならないところに移って本を読み続ける。そして13時30分に部屋へ戻る。
タイの、タバコや酒に関する規制は日本のそれよりよほど厳しい。日中に酒を買うことのできる時間帯は、11時から14時に限られる。よってそれに間に合うよう、トートバッグを提げて、部屋のベランダからも望むことのできる”central plaza”へ行く。そして地下のトップスマーケットにて、昨年とは異なるラオカーオを1本だけ買う。ついでにおなじ階で昼食も済ませる。その汁麺屋は大繁盛で、ほんの狭い一角ながら、10名ほどの若い人が働いていた。
ところで今日のマッサージは、オバサンが母親を病院に連れて行くとかでお休み。だから午後はすることがない。することがないとは、実に素晴らしい。こんな時間をどれほど過ごせば、人は退屈をするのだろう。
17時を前にして、初日の晡下に見つけた、本当に屋台らしい屋台の集まった場所、それはウドンタニーの駅に最も近い大きな交差点の北東の角であるけれど、そこへ出かける。慣れない場所に少しく緊張しつつ、目指す店に飲み物の冷蔵庫のあること、そこにソーダの置かれていることに気づく。近づいてきたオバサンは「すしざんまい」の木村清社長に似ていた。そのオバサンにソーダとバケツの氷、そしてグラスは使い捨てのプラスティック製ではなくガラス製のそれにするよう頼む。
焼き鳥とソムタムを肴にホテルでペットボトルに小分けしてきたラオカーオのソーダ割りを飲み、断腸亭についての文章を読む。そのときの僕は正に無用の人に他ならず、心地よさと嬉しさ、楽しさが、ふつふつと湧いてくる。
背が低くて太っていて首の短いオバサンは、僕が帰るころは交差点のあたりで同僚とおしゃべりをしていた。そのオバサンに20バーツのチップを手渡す。帰りの道は、いまだ昼のように明るい。
部屋には18時13分に戻った。そしてシャワーを浴びて即、寝台へ上がる。
朝飯 “Morning House”の目玉焼きとサラダのホットサンド、アイスカフェラテ
昼飯 “central plaza”地下一階のボートヌードル屋のバミーナムトムヤム(大盛り)、ココナツプリン
晩飯 ウドンタニー駅前の屋台街の2種の焼き鳥、ソムタムタイ、ラオカーオ”NIYOMTHAI”(ソーダ割り)
2026.3.3(火) タイ日記(2日目)
きのうの就寝は19時すぎ。とはいえ先週なかばの風邪による体力の衰え、また深夜便による寝不足もあったのだろう、寝台を離れる気になったのは、5時を30分も過ぎてからだった。外の充分に明るくなったところでカーテンを開け、ベランダに出てしばし、南の国の空気を吸う。眼下のバービヤ街は、きのうから今朝にかけては、それほどうるさくなくて助かった。
僕は移動を克明に記したいため、旅の1日目の日記はどうしても長くなる。それを10時25分に書き上げたところでバスローブを服に着替える。そして昨秋にも訪ねた店で、遅い朝食を摂る。特にめぼしい屋台でも出ていない限り、この街での朝食はずっと、パンもコーヒーも美味いここに決めて良さそうだ。豚の挽き肉と中華ソーセージをはさんだ小さなコッペパン3個とコーヒーの代金は145バーツだった。
ところで、この街を訪ねるのは今回で3回目になる。初回は新型コロナウイルスの蔓延し始めた2020年3月。このときは雨がちで寒く、南の国の有難味も半分ほどだった。次は昨年の9月から10月にかけてで、薄曇り、更にはプールサイドではパラソルの下にいたにもかかわらず、耐えがたいほどの日焼けをして、それを鎮めるためのジェルを薬局で求めた。そして今回は、きのうも今日も快晴。そういう次第にて、プールサイドにはバスローブを着て降りる。昨年のような日焼けは、もう二度としたくない。
きのうバンコクからこの街へ来たときの飛行機とおなじく、今日のプールサイドも、また混んでいる。寝椅子で寛いでいるのは、僕より年長と思われる白人がほとんどだ。彼らが首都を避け、田舎で過ごす理由は何だろう。
本を読むうち時を忘れて次の用事に支障を来す悪癖が僕にはある。iPhoneには、15時15分のアラームを設定しておいた。しかしそれが鳴る前に部屋へ戻り、シャワーを浴びて服を着る。
16時に予約をしておいたいつものマッサージ屋で2時間のオイルマッサージを受ける。代金は昨年と変わらずの600バーツ。そこからの帰りにこの街で最も大きなショッピングセンター”central plaza”に寄る。
地下の両替所の円とバーツの交換比率は、1万円あたり1,998バーツになっていた。昨秋に飲み残して日本に持ち帰ったラオカーオを持参し忘れたため、酒売り場へ行くと、その一角には赤いテープが巻かれ、張り紙には「Bucha Dayにより3月2日の0時から翌3日の0時までは酒類の販売を停止中」とある。タイの、酒とタバコに対する規制は、日本のそれよりよほど厳しい。
そのままホテルのある通りに戻り、ホテルはす向かいの、昨秋も二度ほど使ったイタリア料理屋に入る。そして開口一番「白ワイン、カラフで」と、オバサンに声をかける。するとオバサンは胸の前で拝むように手を合わせて「今日はお酒はお出しできない」と答えた。なるほど”Bucha Day”なら、それもむべなるかな、だ。席を立つことも考えたものの、だったらどこへ行けばよいというのか。ふたたび外の席に現れたオバサンには、サラダとソーダ水を注文した。
朝のパンには肉が挟まれていたけれど、そして今しがたのサラダにはカリカリに焼いたベーコンが混ぜ込まれていたけれど「まるで精進の一日だったなぁ」と感じつつ席を立つ。
朝飯 “Morning House”の中華ソーセージと豚の挽き肉を挟んだベトナムパン、アイスカフェラテ
晩飯 “da Sofia”のシーザーズサラダ、ソーダ水








































