2025.9.25 (木) タイ日記(1日目)
僕の席62Hは右列最後尾からひとつ前の通路側。右列には三席があるも、窓際と通路側のあいだの一席は空いている。
00:38 Airbus A350-900(359)を機材とするTG661は、定刻に18分おくれて羽田空港を離陸。
「背もたれを元に戻してください」からどれほどの時間が経ったか、今度は「座ってください」との、英語による女の人の大きな声が聞こえたような気がする。しかし夜の機内で客室乗務員が大声の叱声を発するはずはない。幻聴だったのだろうか。
まったく眠れない。あるいはまったく眠れないような気がしている。目は、航空会社からただでもらえるアイマスクよりよほど優秀なそれにより光を遮断されている。それを外してディスプレーを確かめたらいまだ日本近海の上空でガッカリ、というようなことは避けたいため、とにかくアイマスクの内側で、かたくなにまぶたを閉じ続ける。
03:53 コーヒーの香りが鼻に届いて、アイマスクを取る。機内は既にして明るく、客室乗務員は、一般の乗客のそれよりも先に、特別らしい朝食を運んでいる。ディスプレーは、機が台湾と海南島のあいだを飛んでいることを示している。朝食は「照り焼きとライス」と「オムレツとベーコン」から前者を選んだ。
そのディスプレーの地図を見るうち、面白いことに気づく。ミャンマーの首都はネピドーでも、地図には以前の首都であったヤンゴンが、あたかも今でも首都であるかのように点を打たれている。その都市の名が、言語の違いにより異なっているのだ。
日本語ではヤンゴン。英語とイタリア語はYangon。中文簡体の「迎光」は、やはりヤンゴンと読むのだろう。ところがフランス語とドイツ語ではRanoonと表記されている。その理由は何だろう。僕の年代では、ミャンマーはビルマ、ヤンゴンはラングーンの方が記憶に強く刻まれているような気がする。
機の最後尾にちかい通路側の席の利点のひとつは、食事を終えたら即、自分のお盆を後方のギャレーに片づけられることだ。しかしそこに客室乗務員がいると、あまり良い顔はされない。彼らはトレーは、それを運んできたワゴンに収めたいからだ。しかしまぁ、僕は自分の自由を確保したい。そしてラバトリーで歯を磨く。
04:59 機がダナンの上空に達する。ディスプレーには”Estimated Arrival Time 4:06″と出たから思わず「いいぞ」と心の中で声を上げる。”Distance to Bangkok 794Km”の案内も見える。
05:42 「スワンナプーム空港まで20分。現地の天気は曇り、気温は28℃」のアナウンスが流れる。
05:52 地上の灯りが見えてくる。
05:59 車輪の降ろされる音が聞こえる。
06:02 TG661は定刻より48分も早い、タイ時間04:02にスワンナプーム空港に着陸。以降の時間表記はタイ時間とする。
04:21 機外に出る。
04:26 サテライトターミナルからシャトルトレインが発車。
04:27 その車両がメインターミナルに着。
04:29 「人っ子ひとりいない」と表現しても過言ではない入国審査場を通過。
04:44 回転台から荷物が出てくる。
この日記にはこれまで数え切れないほど書いてきたことだが、日本からスワンナプーム空港に飛び、そこからチェンマイ、チェンライ、プーケット、クラビ、サムイ、ハジャイ、トラートのいずれかへ乗り換える場合には、日本で機内に預けた荷物はそのまま最終目的地まで運ばれる。タイへの入国も、小さな審査場を通るだけで済む。
しかし上記以外のところへの乗り換えでは本来の、時間によっては長蛇の列のできる入国審査場を通り、預けた荷物を受け取り、到着階の三階から出発階の四階へ上がって乗り換えるべき航空会社でチェックインの上、ふたたび荷物を預ける必要がある。乗り換え時間の短い場合には結構な綱渡りにて、乗り継ぎの便に乗り遅れる人も珍しくない。
僕は、綱渡りは嫌いな方ではないものの、勿論、乗り遅れは避けたい。だから先ほどまで乗っていた機内でバンコクへの早い到着を知ったときには「よし、いいぞ」と喜んだのだ。
なお、こちらもこの日記にはたびたび書いていることだが、旅の楽しみは、行った先のみにあるものではない。準備も楽しければ、時には困難を伴う移動も、月日が経てば忘れがたいものになる。だから僕は、移動については時間も明確にして、その経過を細かく記すのだ。
さて元に戻れば、回転台から出てきた荷物を曳いてロビーに出るなりエスカレータを探して出発階の四階に上がる。タイ航空のカウンターは、これがタイのフラッグシップだからなのか、カウンターに冠されたアルファベットのもっとも若いところ、つまりいま僕の立っている場所からすればもっとも遠いところにあった。
04:57 タイ航空のオネーサンに助けられながら、自動チェックイン機でチェックインを完了。この機械からは、搭乗券と共に荷物に付けるバーコードも出力をされる。そのバーコードは、タイ航空のオニーサンが、スーツケースの取っ手に付けてくれた。
05:05 出発階の四階から地下一階にはエレベータで降りる。空港と街を結ぶ鉄道ARLの乗り場ちかくに開いていた両替所は4ヶ所。交換率はどこも同じにて、もっとも空いていたカシコン銀行のブースで10万円を21,450バーツに換える。
1982年には、邦貨1万円は約1,000バーツになった。随分と円が弱く感じられるものの、当時の物価では、楽宮旅社の宿泊料はひと晩50バーツだったから邦貨にすれば500円。安食堂の料理はひと皿10バーツ、つまり100円に満たなかった。
その後は仕事が忙しいとか他にも色々とあって、次の訪タイは1991年。このときの円とタイバーツの交換率は記録していない。ただしマンダリンオリエンタルホテルの宿泊料は、邦貨にして一泊3万円ほどだった。本格的に訪タイを再開したのは2009年8月。このときは1万円が4,000バーツを超えた。屋台の汁麺は25バーツで食べられた。それが2025年9月現在では1万円が2,145バーツ。首都の汁麺は50バーツなら安い方だ。
つまり2009年から2025年までの16年間で、タイにおける円の価値は、汁麺換算で4分の1になった。これを嘆き、日本政府を呪う人も多々いる、しかし2009年8月の日経平均株価が1万円を切っていたことに対して、きのうの終値は45,630円なのだから、損得は正に「あざなえる縄のごとし」ではないか。
と、こういうことを連ねていると、日記はいつまでも書き終えることができない。よって主題に戻る。
05:21 出発階の四階に戻る。
05:24 国内線の保安検査場を通過。
05:27 B8ゲートに達する。
搭乗券にある搭乗時間は6時30分。退屈を感じるほどの大余裕だ。しかし羽田からバンコクまでの飛行機が今日より1時間おくれれば乗り遅れなのだから、この乗り換えはやはり、綱渡りに他ならない。
05:30 トイレの個室に入り、家から着てきたgicipiの襟の高いシャツ、それに羽田で重ねたジャージー生地のカーディガンとウインドブレーカーを脱ぎ、半袖のTシャツに着替える。タイの夜は、いまだ明けていない。
06:15 ロイヤルシルククラスおよび介助を必要とする人から搭乗が始まる。
06:35 冷蔵庫のように冷えたバスで沖まで運ばれ、飛行機のタラップを上がる。
07:15 Airbus A320-200(32X/3205)を機材とするTG002は、定刻に15分おくれて離陸。
機は先ず左に旋回をして南へ下る。サムットプラーカーンやチャチューンサオの、シャム湾に接する場所のほとんどは、魚や海老の養殖池と思われる。
ところでこの便の、全156席のうち埋まっているのは5分の1ほど。それだけ空いているにも関わらず、右列最後部のひと席となりには、B8ゲートにいるときから怪しげな咳をし続けていた、服装や持ち物からすれば沈没組と思われるファランが座った。
それはさておき、新型コロナウイルスの世界的な蔓延により国境が閉鎖される直前の2020年3月の、ウドンタニーの農地はまるで土漠のように茶色かった。しかし今朝のそれは、一面の緑に覆われている。乾季と雨季とでこれほど景色が異なるとは、大きな驚きである。
08:03 TG002は定刻より8分はやくウドンタニー国際航空に着陸。ちなみに「国際」とはいえ実際には、この空港に国際便は発着していない。
08:11 機外に出る。
08:17 早くも回転台に荷物が出てくる。
ロビーに出ると正面に案内のカウンターがあったため、タクシーの切符はどこで買うべきか訊くと、係は何ごとか答えつつ、はす向かいを指した。よって運転手らしい人たちの群れるそのブースに近づき、オネーサンに声をかける。
張り紙の数字を見て「200バーツですか」と訊いてみる。
「お客様、どちらまで」
「サンパンタミッ」
「それなら200バーツです。ホテルはお決まりでいらっしゃいますか」
「バンブア」
「かしこまりました」
料金は1,000バーツ札で支払う。大きなお札は釣銭の潤沢そうな場所で細かくしておくことが肝要だ。オネーサンは複写式の黄色い伝票を僕に手渡しながら、ちかくにいた運転手の一人に「バンブア」と告げた。
田舎の空港は、どこもかしこもそれほど大きくはない。極めてにこやかな運転手はその小さな空港の建物を出て、自分のクルマまで僕のスーツケースを曳いていく。
08:23 タクシーが動き出す。
ウドンタニーの空港は、極限までお金を節約したいバックパッカーなら、徒歩でホテルを目指すほど街に近い。僕も200バーツは惜しいけれど、まぁ、仕方が無い。
ソイサンパンタミットといえば、知らない人はいないほど有名な通りのはずで、バンブアも悪くないホテルだ。しかし運転手は幹線道路を行きすぎてUターンをし、以降はスマートフォンに口を近づけ「ロンレーム、バンブア」と繰り返している。更にはクルマを駐めて、ちかくの人に道を訊ねることまで始めた。ウドンタニーに来て、いまだ日が浅いのだろうか。
しまいには「その先、右折」、「ここで左折」と、僕が指先で案内をする。バンブアは、ソイサンパンタミットに入って100メートルほどの右側にある。運転手はそれを見過ごして更に進もうとするから、僕は右を指して「ここ、ホテル、バンブア」と、慌てて声をかける。
08:50 直線距離にすれば空港の駐車場から3.5キロメートルほどのホテルまで、実に27分もかかって到着する。運転手は最後まで愛想が良かったものの、チップとしてポケットに用意した40バーツは渡さなかった。
ホテルの清潔なロビーの一角には、それほど大きくない受付のカウンターがあった。そこにひとりだけいたオバチャンに声をかけ、agodaの予約票を見せる。ホテル側の書類の僕の名前には誤りがあったため「ペンで書き直しましょうか」と問えば「その必要はありません」とオバチャンはその紙をカウンターの内側へ戻しつつ「いまは部屋の準備ができていません。しばらくお待ちください」と笑顔を浮かべた。「チェックインは14時ですもんね」と僕は答え、スーツとパックパックの預かりを頼む。
ロビーのソファに腰かけ「しかし」と考える。チェックインが14時とすれば、これから5時間もある。そのあいだ活字を欠いたままでいることはできない。オバチャンの許可を得て奥の部屋へ入り、スーツケースから読みさしのラオイネル・バーバー著「権力者と愚か者」および2020年3月にこの街のマッサージ屋のオバチャンにもらったセブンイレブンのエコバッグを取り出す。そしてそのバッグを提げて外へ出る。
気温はバンコクとおなじ28℃くらいだろうか。先ずはホテル前のソイサンパンタミットから目抜き通りに出て左に折れる。するとタイ国鉄のウドンタニー駅はすぐ目に入る。ここから4駅を北上すれば、そこはもうラオスである。ところで来年の3月には、このウドンタニーからチェンライへバスで行くことを決めている。そのバスについて調べるため、駅前からショッピングセンター”central plaza”南にある古いバスターミナルまでの5分ほどを歩く。
この街からバンコクあるいはチェンライに路線を持つバス会社「ソンバットツアー」はすぐに見つかった。メガネをかけた太ったオネーサンによれば、チェンライ行きのバスが出るのは19時すぎ。出発の場所は”Number 4″とのことだったが、よく分からない。目と鼻の先のバスステーション1に足を踏み入れ、その4番プラットフォームにある札を見ても、行き先はチェンライではない。しかしまぁ、それについては来年の3月に、改めて訊いてみることにしよう。
歩くことに疲れてホテルへ戻り、ロビーのソファで本を読むうち、先ほどのオバチャンに呼ばれる。どうやら部屋の準備ができたらしい。時刻は10時ちょうど。オバチャンには、定刻の4時間も前から部屋に入れてくれることへの感謝として50バーツのチップ。部屋までスーツケースを運んでくれたベルボーイにも50バーツのチップを手渡す。
三階の部屋は小さなバルコニーを備えて、明るく綺麗だった。ベルボーイが去ったところで早速、部屋を自分ごのみにしていく。枕は4つも要らないから、3つはクローゼットの上の天袋に収めてしまう。テレビは見ないから、そのリモートコントローラーはテーブルの端に移す。そのテーブルに持参のジュエリートレーを組み立て、文房具やビタミン剤を置く。朝スワンナプーム空港で両替したタイバーツと前回の訪タイで余らせたタイバーツを合計し、そこから今日すでにして使ったお金を引いて、齟齬の無いことを確かめる。そのようなことをしてからシャワーを浴びる。
昼がちかくなるころ外へ出る。腹は大して空いていない。先ほどその前を通り過ぎたショッピングモール”central plaza”に入って地下へ降りる。するとタイではお馴染みのたくさんのフードコートがあり、しかし書店も複数あったから「この街の民度は結構、高いんだな」と感心したりする。前回あまらせたラオカーオは、ことによると今夜のうちに枯渇する。よって奧のスーパーマーケットに入り、酒類の棚から未知のラオカーオ1本を取り出す。これまで飲んだことのない”TAWANNDANG”という銘柄のそれは、720ccほどの容量で130バーツだった。
昼食は、できることならショッピングセンター地下のフードコートではなく、街の食堂で食べたい。しかし腹はいまだ減らない。ホテルへ戻るには遠回りにはなるものの、大きな通りを向かい側に渡る。そして駅のある方向へ歩き始めると間もなく、右手のマッサージ屋から声がかかる。
タイのマッサージ師は、大抵は店の外で休みつつ道行く人に声をかける。誰にでも分かるとは思うけれど、まともなマッサージ師とそうでないマッサージ師は、すぐに見分けがつく。声をかけてきたオバサンは前者に属するもので、すこし通り過ぎてからきびすを返し、2時間のオイルマッサージを頼む。飛行機の座席に座り続けたことが原因か、何となく感覚の怪しくなってきた腰の一点を、オバサンには特によく押してもらった。
オバサンのマッサージはなかなか上手だった。マッサージ代は600バーツ。チップは200バーツ。帰りしなに明日の午後4時にまた来たい旨を告げる。タイ語の時間の呼び方は日本語や英語にくらべて複雑なものの、覚えておいて良かった。時刻はいまだ14時20分。時間に追われがちな日本での日常を考えれば、大贅沢、である。
15時より二階のプールサイドで本を読む。日が徐々に傾いても日除けのパラソルは複数あるから、寝椅子を移れば問題は無い。明日はプールサイドのバーで、愛想の良いオネーサンに飲み物を頼んでみることにしよう。
16:15 部屋に戻ってシャワーを浴びる。南の国ならではの嬉しいひとつは、寝台に敷いたバスタオルの上で、裸で涼めることだ。
17:05 セブンイレブンのエコバッグに、タイ航空の小さなペットボトルに小分けした前回のラオカーオと本を入れて外へ出る。ちなみにこのエコバッグをくれたオバサンさんのマッサージ屋は、昼に調べたものの、残念ながら代替わりをしていた。
前回2020年3月に食べて美味かったホイトード屋は、驚くべきことに、今や英語と中国語に加えて日本語とハングルによるメニュまで揃えていた。しかし前にあったバケツ入りの氷はなぜか置かなくなっていた。そういう次第にてソフトドリンク用のクラッシュドアイスとプラスティック製のコップでラオカーオのソーダ割りを飲む。今夜の「トード」の中では特に烏賊が美味かった。
ホテルに戻ったのは18時10分。シャワーを浴び、クーラーは止め、枕元に本とiPhoneを置く。以降のことは、よく覚えていない。
朝飯 TG661の機内食、TG002の機内軽食
晩飯 “Je Huay Hoi Tod”の烏賊と海老とムール貝と牡蠣のトード、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)