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清閑 PERSONAL DIARY

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2025.5.21(水) あとはよろしく

まぶたの内側が明るい。「さては部屋の電気を点けっぱなしで眠ってしまったか」と悔やみつつまぶたを開く。明るさは天井の明かりではなく、カーテンに差す朝日だった。きのうの就寝は21時ころ。今朝の目覚めは5時。8時間も眠り続けたのは、飛行機の中での寝不足によるものだろう。すぐに起きて、仏壇へのお供えをするなどの、朝の諸々を始める。

今日は月に1度の店休日。しかし都合のつく社員はすべて出社をして、普段の仕事の他、話し合いや社内の整備を行う。午前、その話し合いのため隠居へ赴くと、座敷に差し込む夏の日の一部を遮るための、グリーンカーテンが作られていた。

午後からは全員が2階の資材置き場へ上がり、取り置くべきものには赤、捨てるべきものには青、取り置くか捨てるかについて相談の必要なものには黄色のステッカーを貼っていく。青いステッカーを貼られたものの整理は来月の店休日に行う。そのことは作業の前に知らされていたものの、皆、走り出したら止まらない慣性のようなものに取り憑かれて、階下の一角には処分すべきものが早くも山になった。

来月の店休日には、僕は不在になる。「あとはよろしく」である。


朝飯 鮭の「日光味噌と粕漬け」焼き、スペイン風目玉焼き、納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、葱坊主の天ぷらとカラシ菜の味噌汁
昼飯 「カルフールキッチン」のおむすび弁当、いちご
晩飯 “JOHNNEY’S CAFE 638″のフォカッチャトリッパの煮込みブレシア風ゆばとたけのことたまり漬「鬼おろしにんにく」と山椒のキッシュ鰯のブカティーニ牛テールシチューカラフの赤ワインバスクチーズケーキ、おまかせのウイスキー(生)


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2025.5.20(火) 日本は5月

70Hの座席の背もたれを最大に倒し、amazonで購入した、航空会社がただでくれるものより格段に優れるアイマスクを着けても眠気は訪れない。

01:40 ふと気づいてアイマスクを外す。いつの間にか眠っていたらしい。機は南シナ海の北部を飛行中
03:00 またまたふと気づくと僕の左手すぐ後ろに朝食を運ぶワゴンが来ている。「眠れない」と焦燥しても、またまたいつの間にか眠ったらしい。朝食は3分の1ほどしか食べられず。それはそうだ、時刻はいまだ3時。睡眠時間は2時間ほどのものだろう。機は沖縄の上空を飛行中
03:27 最後尾ちかくの通路側に席を占めていれば、朝食のトレーは自分でギャレーに片づけられる。その帰りにラバトリーに入り、備えつけの歯磨きセットで歯を磨く

03:32 機の揺れが激しくなる。乗客はシートベルトを締め、客室乗務員はそれぞれの席へ戻るよう、アナウンスが流れる。
03:55 機は四国と紀伊半島のあいだの数百キロメートル南方を飛行中。
04:30 「羽田空港には日本時間で7時に到着」のアナウンスが流れる。
04:55 TG682は定刻の日本時間06:55ちょうどに羽田空港に着陸。以降の時間表記は日本時間とする

07:10 機外に出る。
07:15 入国審査場を通過。
07:56 「まさかロストバゲージでは」と心配になるころ、ようやくスーツケースが回転台から出てくる。
07:57 税関を通過。
08:13 羽田空港第3ターミナルを京急空港線急行京成高砂行きの車両が発。

ホテルのwifiが使えない状況で、MG会場のwifiを頼りにローカルのエディタからWordPressに文章を写し、ホテルで加工した画像をはめ込み忙しなく公開した先週金曜日の日記を京急線の車内でiPhoneを使って読む。その結果、誤字のとても多いことに気づく。

09:02 京急空港線急行京成高砂行きの車両が都営浅草線の浅草に着。
09:13 京急空港線急行京成高砂行きの車内で特急券を確保したリバティ会津113号の席に着く。
09:30 リバティ会津113号が浅草を発車。次の北千住に着くまでに、先週金曜日の「タイ日記(5日目)」の誤字すべてを直す

11:10 リバティ会津113号が下今市に着。ローカルのエディタに書いておいた、先週土曜日と日曜日の日記は画像も含めて車内で完成をさせた。駅に迎えに来てくれた家内が「暑いでしょ」と同意を求める。しかし僕は、日本の5月の爽やかさのみを感じている。

帰社して以降は自宅に上がって荷物の整理をする。ついでに素麺を煮て、これを昼食とする。そうして事務室に戻ると、僕の机の上には先週月曜日からの郵便物や書類が山になっている。遁世すればこのようなものは目にしなくてよくなるのだろうけれど、「このようなもの」からは死ぬまで逃れられなさそうな気もする。


朝飯 “TG682″の機内食
昼飯 にゅうめん
晩飯 鯛の煮付け、炒り豆腐、胡瓜と蕪のぬか漬け、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、豚薄切り肉とグリーンアスパラガスのソテー、メシ、「片山酒造」の「素顔純米吟醸」(燗)


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2025.5.19(月) タイ日記(8日目)

きのう一昨日とおなじ理由により、5時30分にロビーに降りる。そしてきのう一昨日とおなじくソファに座った膝の上にコンピュータを開き、ローカルのエディタにてきのうの日記を書く。また、部屋の電源はテレビのそれ以外は死んでいるため、ソファの横のコネクタにてiPhoneを充電する。

さて最終日の今日にすべきことで欠かせないのは、きのう洗濯屋に預けた洗濯物の回収、および土産の購入だ。ウチはおじいちゃんが土産を配ることを好んだたため、その習いが今にまで続いている。業界の旅行に行くと、社員に土産を買うのは僕くらいのものだから、世間一般がウチと同じ、というわけではないらしい。

8時がちかくなったところでIKEAのトートバッグを提げて外へ出る。洗濯屋は大通りを挟んではす向かいにあるものの、横断歩道の無いところで道を渡ることは、この通りに限っては危なくてできない。よってアソークの大きな交差点まで戻って反対側の歩道を北へ歩く。洗濯屋にはきのうとおなじ女の子がいて、僕の持つ控えと仕上がった洗濯物の伝票を注意深く照合し、洗い上がった衣類を手渡してくれた

その、結構な大きさのプラスティック袋を部屋へ置き、ふたたび外へ出る。そして最初の、大通りの店には思うような品が無かったため、麺やお粥の屋台がふたつみっつ出ているだけのソイカウボーイを抜けてsoi23に出る。そして2軒目となる店で、できるだけ嵩張らないものを買い物カゴに入れる。

それらを提げて部屋へ戻る。そして洗濯屋が仕上げた衣類を圧縮袋に詰め、また買ったばかりの土産もスーツケースに納めて、荷作りのあらかたを終える。

ここで時刻は9時がちかくなった。腹は減っているものの、今日は近場では済ませない。先ずは部屋のコンセントが役に立たないことをレセプションのオネーサンに説明し、その上で、コンピュータに充電をしてくれるよう頼む

部屋に戻って今度はタイのセブンイレブンのエコバッグに本と財布とiPhoneを入れて外へ出る。そしてBTSで東にふた駅のトンローに移動をする。ホテルを出るときの弱い雨は、雷雨に変わっていた。閉じていた傘を再び開いてsoi53とsoi55のあいだの狭い道を北へ歩く。しかしトンローのsoi1までは行かない。右手のカフェの名は”Herringbone”。ここで朝昼兼用の食事を摂る。

僕の着いた大テーブルの端では「君、そんなにたくさんのもの、食えるわけねぇだろ」という量の、いかにも見ばえのする料理と飲み物を、若い女の人がいつまでもDJIのカメラで撮っている。その行いは、僕が注文した品をすべて食べ終えても、なお続いている。「つまり彼女は客ではなくて、広告代理店のカメラマン、ということか」と納得しかけたところでその女の人はふたり分の料理と飲み物を隣のソファ席に移し、そこで男の人と食べ始めた。

「見ばえのする料理の動画をSNSに上げ、多くの承認を得ることによる満足感の方が、作りたてを愉しむよりより上」という価値観を否定するものではない。しかし料理を作る人からすれば、それは面白いことでは決してないだろう。「男の方も、よくもまぁ黙って待っているものだ」と、大いに感心をする。というか、呆れる。

カフェのテーブルでは2時間ほども本が読めた。次はBTSでひと駅を戻ってプロンポンで降りる。そしてこの旅で3回目となるマッサージ屋に傘を返す。ここで「それでは」と去ればお金を使わずに済むところ、窓の無い湿気た部屋に戻る気もしない。天井の灯りのよく届く寝椅子を指定して、2時間の足マッサージを受ける。料金は600バーツ。オバサンには150バーツのチップ。

バンコクに来て以降、盛り場の鮨屋を訪ねるなどの「よそ行き」を除いては、ユニクロの緩いズボンを穿いている。そのズボンに大きな油染みのあることにきのう気づいた。油気のあるものをいくら食べこぼしても、これほどのシミはできないだろう。しばらく考えて、それは脚をマッサージされたときの油によるものと考えが到った。シミは、普通の洗濯でも落ちるだろうか。

帰国日の残り時間はいまだ潤沢にある。プロンポンの駅の北側を広範囲に歩き、あれやこれやを見る。看板は日本語がほとんど、という通りもある。スクムヴィット線のサイアムからトンローのあいだに宿を取れば、便利さはこの上ない。しかしそこここで日本語を目にする、あるいは耳にする、そのことにより旅の感興が削がれる、ということはあるだろう。

午前に洋風の食事を摂ったら、午後にはもうタイ料理が恋しくなった。プロンポンからアソークの部屋へ戻り、シャワーを浴びて外へ出る。アソークの大通りをはす向かいの角へ渡るには、横断歩道を渡るより空中歩道を伝った方が時間は節約できそうだ。しかし今回は敢えて横断歩道を選ぶ。そして夜の駅から眺め降ろせばいつも満席の人気店で、早めの晩酌を始める。空港まではスーツケースを曳きつつ電車で行くことを考えて、ラオカーオは封印してビールにしておく。

料理ふた品とビール2本の料金は500バーツちょうど。物価の低い田舎が主戦場の僕からすれば、仰天するほどの高値だ。その値段でも日の暮れるころには観光客と在住外国人で鈴なりになるのだから、店側の値付けは正解なのだ。客は多分、バンコクの真ん真ん中にあるにも関わらず古き良き時代のバンコクを味わえる、そんなところが気に入ってこの店に来るのではないか。ホテルまでは横断歩道は使わず、駅から伸びる空中歩道を伝って戻る。

19:07 シャワーを浴び、歯を磨く。
19:37 ホテルを出る。
19:44 MRTの車両がスクムヴィットを発。
19:45 その車両がペチャブリーに着。
19:55 エスカレータと空中歩道を使ってエアポートレイルリンクのマッカサン駅へ移動。スワンナプーム空港までの料金は35バーツ。頭と顔は既にして汗まみれになっている。

19:58 ARLの車両がマッカサンを発。次のラムカムヘンから座れる。空港の3駅手前のラックラバンでほとんどの乗客が降りるわけは何だろう。
20:21 ARLの車両がスワンナプームに着。
20:34 4階のDカウンターで、タイ航空の職員の手を借りてチェックインそして荷物預けを完了。スーツケースの重さは13.9キログラム。

20:43 エスカレータを上がって保安検査場を通過。羽田とは異なって、コンピュータはバックパックから出すよう言われる。今回はトリッペンの、ブーツではなく短靴を履いてきたため、靴は脱がされずに済む。
20:45 出国審査場を通過
20:52 シャトルトレインの車両がメインターミナルを発
20:54 その車両がサテライトターミナルに着。

21:05 3月にはカードの会員証で入場を断られたミラクルラウンジに、今日はiPhoneに仕込んだデジタル会員証を見せて受付を通過。腹は減っていなかったものの「折角だから」と、いささか乾き気味のサンドイッチを肴にして南アフリカ共和国のカベルネソーヴィニョンを飲む。また、空港に来る途中で汗をかいたため、シャワーを借り、半袖のTシャツを、襟の高い長袖のシャツに着替える。
21:52 ミラクルラウンジを去る。
21:53 ボーディングパスに指定されたS112Aゲートに着く。ここでジャージー地のカーディガンとウインドブレーカーを長袖のシャツに重ねる。
22:40 なぜかS112Bゲートから搭乗開始。

自分の背もたれの後ろには空間があるばかりの70Hの席に着く。そして最後尾のギャレーにいた男の客室乗務員に「薬を飲むのでコップの水をください」と声かかける。彼は水のペットボトルをひとかたまりにしているプラスティックの幕を専用の器具で切り裂き、その中から1本を取り出して、手渡してくれた。

23:11 Boeing777-300ER(773)を機材とするTG682は、定刻から26分おくれてスワンナプーム空港を離陸する。


朝飯 ”Herringbone”のクロックムッシュ、ソルティカラメルラテ
晩飯 “Suda Restaurant”のホイライパットプリックパオバミーヘンシンハビール


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2025.5.18(日) タイ日記(7日目)

きのうとおなじ理由により、5時をまわった頃合いを見計らってロビーに降りる。そしてきのうとおなじく、ローカルのエディタにてきのうの日記を書く。きのうと異なっているのは、枕元のコンセントがUSB、AC共に電力を供給しなくなったこと。よって今朝は壁に掛けられたテレビをずらし、そのコンセントからiPhoneを充電した。

空は曇っているものの、有り難いことに雨は降っていない。「さて、日曜日の今日も開いているだろうか」と、ホテルから徒歩10秒の、朝から昼にかけては人通りも疎らなソイカウボーイを西から東へと抜ける。きのうより20分ほど遅れて入ったsoi23の食堂は、早くもほとんどのテーブルが埋まっていた

部屋に戻って今度は、木曜日に洗濯をして以来の洗濯物をプラスティックバッグに入れ、てアソークの大通りを渡る。Googleで見つけたクリーニング屋”Super Clean”はGoogleの情報の通りに営業中で「タイらしくねぇな」と思いつつ、しかし嬉しいことは嬉しい。店にはそれほど大きくもない洗濯機と乾燥機が1台ずつあった。量りに載せた洗濯物は1.07キログラム。料金は132バーツだった。伝票に記された完成時間は本日の17時。店番の女の子には、引き取りは明日になると伝えて店を出る。アソークのような大都会の真ん中に、今もこのような洗濯屋のあることは貴重だ

バンコクMGの会場には8時45分に入る。きのうの日記に書いたように、ホテルのwifiでは日記を書くためのブラウザが開かない。そのためMG会場のwifiを借りておととい金曜日の日記に画像を添え、あわただしく「公開」ボタンをクリックする。

第19回バンコクMGの2日目は、予定通り9時15分より始められた。講師のタナカタカシさんによる講義は太い線による図を多用し、難しいことを易しく説くための比喩も的確だ。そして第4期のゲームに先だって、きのうの第3期に663円で売上高1位を記録した僕は、第4期の市場の状態や経費の倍率を決めるサイコロを振る。出た目は6。これは厳しいことになった。

その第4期の僕の売上高は1,110円で、自己資本は第1期初の300円から378円に伸張した。しかしこの期の売上高1位はモロタカヒロさんに明け渡した。

MGでは、昼食のあいだにスピーチの順番が回ってくる。出されたテーマは「私とコンピュータ」または「1日半やってみて」。このときの、日本語は片言、MGには初の参加というタイ人チェンさんの、身振り手振りを交えた饒舌な感想には大感動をした。生まれて初めてのMGでは、その辛さに耐えかねて2日目は出てこない、という人もいる中で、言葉のハンディキャップを背負いつつ大きな気づきを得たチェンさんの、今後の明るいことを祈らずにはいられない

食後は第5期を前にして、第4期で売上高第1位を記録したモロさんがサイコロを振る。その第5期において、否、一見、上手く行ったかのように思われた第4期から、ゲーム下手の僕の命運は決まっていたのだ。リスクカードによりふたつの戦略チップを失って以降は安値の市場に活路を求めたものの、最後は小さな荒利を稼ぐことに汲々として赤字に転落。自己資本は265円に落ち、債務はその自己資本を超過した。これがまぁ、僕の実力である

第5期は、期初にサイコロを振ったモロさんの圧勝。僕は第2期と第3期の売上高区間賞、第2期から第5期までA卓を維持した4A、そして第5期の決算順位1位の計数力に爪痕を残すに留まった。バンコクMGには、その開催日が上澤梅太郎商店の外せない日程に重ならない限り、今後も年に一度くらいは参加をしようと考えている

さて今夜の皆との会食はムーカタ。いかにも「タイに来た」と感じさせてくれる食事は嬉しい。そして歓談は2時間ほども続いた。

夜のモントリ通りはいつまでもクルマの往来が激しいそしてアソークの交差点を渡ってホテルに戻り、21時すぎに就寝する。


朝食 “JOK RUAM JAY”の2種のおかずのカオゲーン
昼食 バンコクMG支給の弁当
晩飯 “LIB STORY”のムーカタ、ソムタムタイ、ヤムウンセンムーサップエンコーカイ、他あれこれ、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


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2025.5.17(土) タイ日記(6日目)

目を覚ましたのは3時30分のころ。枕頭のiPhoneを引き寄せると、きのうの就寝前に枕元のUSBコネクタに電源コードを差し込んでおいたにもかかわらず、バッテリーの残量が10パーセントになっている。コネクタは経年劣化によるものか緩い。即、隣のACコネクタにコードを繋ぎ直す。

部屋にコンピュータを開く空間の余裕は無い。よって5時になったところでロビーへ降りる。そして、おとといの日記を完成させるべく、ソファに腰かけ、膝に載せたコンピュータの電源を入れる。wifiには、きのうの設定にて簡単に繋がる。ところが日記を書くためWordPressを開こうとすると、ブラウザには安全を確保できない旨の警告が出て、先へ進めない。

試みにメーラーを回すと、こちらはいつものように巡回する。facebookも開く。他の一般のウェブページも閲覧できる。パスワードを必要とするサイトにはアクセスができない、ということなのだろうか。仕方なくローカルのエディタを開き、きのうの日記はどこまで書いただろうかと記憶を辿りつつ、続きの部分を書いて保存する。

朝食は、週末の朝7時40分にもかかわらず有り難いことに営業を始めていたsoi23の食堂。ここで今回の訪タイでは初めてになるカオゲーンを注文する。ごはんに2種のおかずを載せて価格は60バーツ。ヤワラーの簡素な粥が70バーツだったことを考えれば、驚くほど安い。おかずに混じっていた、皮の下に豊富なゼラチン質を蓄えた魚は何だろう。

さて今日は第19回バンコクMGの初日にて、その場所を確かめるべく、一旦戻った部屋から外へ出る。facebookページの案内は紙に印刷して持っている。講師のタナカタカシさんから送られた、GoogleマップのURLも届いている。会場は、アソークの交差点の北東の角。つまりバンコクでもっとも便利な場所。言葉を換えればバンコクで1、2を争う地価の高いところだ。しかしそこに建つビルの中の、一体全体、どこに会場があるのかが分からない。よって朝はやくから迷惑とは思ったものの、そのことについてタナカさんにメッセンジャーで案内を請うておいた。

間もなく戻ったタナカさんからの返事に従って、空中歩道からInterchange21ビルに入る。そうして歩きまわった結果、ULという日本には無い階に会場となる”PERSONNEL CONSULTANT”をようやく見つける。すっかり安心してアソークの交差点に出ると、ちょうど向いからタナカさんと助手のシミズタカヒロさんが歩いてくるところだった。

第19回バンコクMGは、9時30分に始まった。参加者のうち、日本から来たのは僕とモロタカヒロさんの2名のみ。他はすべて現地からの参加で、中には日本語が片言のタイ人もいる。インドシナにMGを広めようとしているタナカさんは、ハノイでもMGを開催するようになった。それに伴って、バンコクMGは以前の年4回から2回に減った。そのためか、2日間で5期分の経営を盤上に展開するMGの、第1期を前にしての講義は通常より長いものになった

ところで僕のMGは、1991年から始めて今年で34年目になるにもかかわらず、ゲーム運びは異常に下手だ。頭がおかしいのではないかとさえ考えている。よってゲームに臨んでは余裕など無い。「窮鼠」のように、いつも怯えている。そうして始まった第1期に2枚目の研究開発チップを買うと、右隣でゲームに参加しているシミズさんに「ウワサワさん、ガチですね」声をかけられる。「ガチ」もなにも、当方は「会社を倒産させないこと」しか頭にない「窮鼠」である

その、事実上の「勝負開始」である第2期から僕は黒字、売上高は参加者中の第1位を記録した。珍しいこともあるものだ。一方、日本語は片言、漢字は読めない初参加のタイ人チェンさんは、皆に遅れつつもマトリックス決算書による決算を無事に完了させた。僕は自分が初心者だったころの決算のひどさを思い浮かべて、思わず拍手をする。その拍手はすぐに、会場全体に広がった。

第3期の市場の状態や経費の倍率を決めるサイコロ振りは、第2期の売上げトップ、つまり僕が振る。そしてその第3期においても僕の売上高は参加者中の第1位。「アソークの交差点でクルマに撥ねられて死んだりして」と、思わず冗談を洩らす

その第3期の決算を全員が終わろうとするうち19時が近づく。ここで本日のカリキュラムは修了。Interchange21ビルの裏口から皆と出た僕は、ひとり離脱をしてホテルに戻る。そしてトートバッグのコンピュータをスーツケーへ納め、ペットボトルに小分けしたラオカーオを取り出す。スーツケースに鍵を掛けることは忘れない。そして賑わい始めたソイカウボーイを抜けてsoi23を北へ急ぐ。

交流会場”Wanakaam”の門の前には申し訳ないことに、シミズさんが僕を待っていてくれた。以降は次々と運ばれるタイ料理を肴にラオカーオのソーダ割りを飲みつつ皆と歓談を尽くす。そのかたわら明日のゲームにはどのような工夫を凝らそうかと考えても、妙案は浮かばない。そんなものが浮かべば、ハナから苦労は無いのだ。


朝食 “JOK RUAM JAY”の2種のおかずのカオゲーン
昼食 バンコクMG支給の弁当
夕食 “Wanakaam”のプーパッポンカリートードマンクンソムタムタイパットパックブンファイデーンコームーヤーンヤムウンセンタレーパッタイ、他あれこれ、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


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2025.5.16(金) タイ日記(5日目)

きのうは18時30分ころに寝に就き、22時すぎに一度、目を覚ました。隣の部屋のテレビの音が、薄い壁を通して聞こえていた。ヤワラーの大通りからは、群衆となった観光客の声が、二重窓を通り抜けて届いていた。そこでに二度寝に入れたのは幸いだった。次の目覚めは1時30分のころ。次は3時30分のころで、以降は起きてしまうこととした。

7時45分の朝食の会場に、宿泊客の姿はすくなかった。きのうの日記は画像のはめ込みも含めて9時20分に完了した。以降は今日の日記のここまでを書く。更に書き続けることもできるものの、いつまでコンピュータにかじりついて以降の時間を忙しくする、という悪癖が僕にはある。それを知っているから9時54分にコンピュータを閉じ、荷物をまとめることにする。

チェックアウトは10時45分。ワットマンコンの駅まではスーツケースを曳いても徒歩3分。とても小さな粒の雨が、ほとんど何も濡らさないだろう疎らさで降っている。

東へ向かうMRTの車両が発車をしたのは11時1分。さてアソークへ行くにはどこで乗り換えるべきだったかとスマートフォンを取り出し、バンコクの路線図を見る。ワットマンコンからアソークまでは、スクムヴィットで降りれば乗り換えは不要だったことに改めて気づく。

11時14分にMRTの車両の着いたアソークは、僕の感覚からすると新宿の都庁側のような感じで、あまり好きなところではない。しかし交通の便利さはバンコクで随一だ。駅から目と鼻の先のホテルを目指してアソークの大きな交差点に沿って歩く。

するとそのホテルの前に見慣れた顔がある。手を挙げると相手は一瞬のあいだ思考が止まったような表情を浮かべ、それはすぐ笑顔に変わった。日光の片山酒造の前社長カタヤマタカユキさんの同級生であり、またコモトリケー君の後輩でもあるカトリアキナリさんだった。カトリさんはたまたま、これから僕が泊まろうとしているホテルに友達を迎えに来たところだった。海外ではしばしばこの手の偶然に遭遇する。

レセプションのオネーサンに知らされたチェックインの時間は14時。現在時刻は11時18分。よってスーツケースとバックパックを預かってもらい、今度はBTSで隣のプロンポンに移動する。そして月曜日とおなじマッサージ屋で前回とおなじ2時間の施術を受ける。その最中に大きな雷鳴が何度も聞こえてくる。オバサンには200バーツのチップ。それにしても僕がバンコク入りしてからは、毎日のように「驟雨沛然」が日に何度も起きる。オバサンは小さめながら、傘を貸してくれた。

その傘を差してホテルに戻ると時刻は14時5分。さてここからが忙しい。フロントに預けたスーツケースとバックパックを持って小さなロビーの脇の小さなエレベータに乗る。家庭用と見まがうばかりの小さなそれがゆっくりと動いて3階に着く。エレベータから廊下に出るには、自分でドアを押す必要がある。僕の部屋は目の前にあった。

明日から月曜日までは「どうせ寝るだけだから」と、窓の無い、小さな、交通至便と安さだけが取り柄の部屋を予約した。しかし一歩を踏み入れてみれば、スーツケースを開くスペースも無く、歯を磨くときのコップも無く、これは予約時から分かっていたが、椅子もデスクも無いという無い無いづくしの部屋だった。仕方なくスーツケースはベッドの上で開き、襟付きの白いシャツを取り出して、Tシャツからそれに着替える。サンダルは革靴に履き替える。そしてふたたび傘を差して外へ出て、アソークの大きな交差点を渡る。

BTSの車両が隣のトンローからなかなか来ないのは、大雨のせいだろうか。ようやくプラットフォームにすべり込んできたそれに飛び乗り、サイアムでシーロム線のバンワー行きに乗り換える。サパーンタクシンには15時2分に着いた。そうして15時10分の舟でコモトリケー君の家へ向かう

コモトリ君は既にして、火曜日に手渡した上澤梅太郎商店の商品や生野菜を食卓に並べ、また台所では火を使う準備も整えておいてくれた。「なめこのたまり炊」のフワトロ玉子だけは慣れている僕が調理し、それらにて夕食のひとときを持つ。

ベランダの向こうには、いつの間にか首都の夜景が広がっている。いつまで寛いでいたい気分だが、今いる場所からアソークは、それほど近くもない。20時発の、コンドミニアムの専用船でサパーンタクシンに渡る。そうしてBTSにて来た道を逆に辿ってアソークには20時42分に着く

部屋に戻ってシャワーを浴び、備えつけのガウンなどないからスーツケースの圧縮袋からパジャマを取り出す。部屋が狭すぎるため、必要なものをあらかじめ出しておく、ということができないのだ。そうして「もういい年なのだから、そして今やバックパッカーでもなければ、こんな節約旅はこれでお仕舞いにしよう」と決める。


朝飯 “Hotel Royal Bnagkok”の朝のブッフェ其の一其の二
晩飯 らっきょうのたまり漬「ピリ太郎」とナチュラルチーズのカナッペ、野菜スティックの「辛ひしお」添え、牛肉の鉄板焼き「鬼おろしにんにく」添え、「なめこのたまり炊」のフワトロ玉子、たまり漬「ホロホロふりかけ」のまぜごはん、日光味噌のフリーズドライ味噌汁”with Love”、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


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2025.5.15(木) タイ日記(4日目)

南の国では、日当たりの良い部屋は、却って嫌われる。僕のいる1108号室の窓は西を向いている。その西の空には傘をまとっているものの、月が見えている。「今日の天気は、いくらかは良くなるだろうか」と期待をした瞬間、雷光が走る。

旅に出て3日目ともなれば、また僕は観光などはしないから、特筆するようなことは少なくなってくる。そのお陰できのうの日記は朝食の前に書き終えた。

朝食の会場へ向かうには服を着る必要がある。昨夜はシャワーを浴びなかった。新しいシャツに袖を通す前にはからだを洗っておきたい。よってシャワー室に入るも、今日も水は熱くならない。仕方なく、ぬるま湯にはほど遠い水を全身に浴びつつ「インドの安宿でもあるめぇになぁ」と、バックパッカーをしていたころのことを思い出す。

さて今日は洗濯の日にて、袋に集めておいた5バーツ硬貨10枚、1バーツ硬貨10枚、それに100バーツ紙幣1枚を手にフロントに降りる。そしてそれらを10バーツ硬貨16枚に替えてもらう。フロントのオネーサンは、10バーツ硬貨を10枚と6枚に分けて、それぞれをセロテープで巻いて渡してくれた。

部屋に戻り、日曜日に家を出てから昨日までの洗濯物をクローゼットの引き出しから出し、IKEAのトートバッグに入れる。9階の洗濯室の、液体の洗剤と柔軟剤はカゴに無造作に入れてある。そこから洗剤のみを取り出し、サムソンの洗濯機のしかるべき場所に絞り出す。

洗濯機に洗濯物を入れ、洗濯機の右手に取り付けられた投入口に10バーツ硬貨10枚を入れる。すると洗濯機はコントロールパネルのいくつかの場所を賑やかに光らせ、水も流れ始めた。人がすべきことは10バーツ硬貨10枚を投入するのみだった。これは楽だ。”Delay End”の文字のある脇の液晶には58の数字が出ているため、iPhoneに58分間のアラームを設定して部屋に戻る。

そのアラームが残り1分になったところで部屋を出て洗濯室へ向かう。洗濯機の”Delay End”には「1」の数字があった。洗濯室には広い窓があり、タイに入って4日目にしてようやく雨雲のない街が見晴らせた。洗濯機が電子音を発して止まる。次は隣の、今度は”Whirlpool”と社名のある乾燥機に洗い上がった洗濯物を入れる。10バーツ硬貨5枚を投入すると、そこには「25」の数字が出た。今度はiPhoneに25分間のアラームを設定して部屋に戻る。

洗濯は至極簡単に完了した。wifiが安定しない、シャワーから温水が出たのは2日目まで、工事によりスイミングプールが閉鎖されることを予約客に知らせてこないなど、このホテルは突っ込みどころは満載だが、ワットマンコンの駅から徒歩3分という利便性はとても魅力的だ。大通りとその周辺の食べ物屋の料金は高いものの、すこし歩けばバンコクの平均になる。よって気が向けば、僕はまたこのホテルを選ぶかも知れない。

さて時刻はいまだ9時30分。本を読む環境が欲しい。よって座り心地の良いソファを備えたカフェでもありはしないかと、セブンイレブンのトートバッグに本を入れて外へ出る。歩いたのはヤワラーの大通りの南側。

途中、ホテルの窓から見えていた、工事中のかなり大きなお寺の脇に出る。特に信心深いわけではないものの、門を入り、緑陰の下を進んで階段を上がる。無人の販売台に花と線香が置いてある。しかし蝋燭に火を着けるマッチは持ち合わせていないから、そのまま先へと進む。それをしたからといって何がどうなるわけでもないけれど、本尊らしい金色の仏像に手を合わせ、まるで体育館のように広い本堂を去る。立て札によればお寺の名前は”Wat Samphanthawong Saram Worawihan”とあって、これがタイ語になれば、更にわけが分からなくなるだろう。

炎天下を歩いても歩いても、そこには昔ながらのバンコクの街並み、そしてごくたまに、古い店を改装した画廊、古着屋、喫茶店が現れるものの「座り心地の良いソファ」はどこにも見つからない。そうするうちチャオプラヤ河畔に行き当たり、きびすを返す意図して建物と建物のあいだを歩き続けるうち今度は靴屋ばかりの並ぶ小路に出る。そうしてそこを抜ければ何と、初日の夜にオースワンを食べた食堂「笑笑酒楼」が間近にあった。

チェンライに滞在をしているときには、朝食をたっぷり食べれば昼食は不要と考えるほど腹は減らない。それは頭を使わないせいと考えていた。しかし今夏のバンコクでは、頭を使わないことはおなじでも、腹はなぜか減る。正午にはいまだかなり間のあるころにホテルを出て、ちかくの店で餡かけ麺を食べる。ホテルまではわざと、建物と建物のあいだの、昼なお暗い路地を辿って戻る。

正午を過ぎることにふたたび外を出て、おといからずっと通っているマッサージ屋で2時間の足マッサージを受ける。今日もまたその途中で眠ってしまって本はほとんど読めず。料金は600バーツ。悲鳴を上げる寸前という絶妙の強揉みをしてくれたオニーチャンは200バーツのチップ。

それにしても、プールサイドの寝椅子を与えられなければどれほど本が読めないか、ということが今回は良く分かった。しかし本は読みたい。ちかくのホテル「上海マンション」の入口は、夜はバンドの演奏もあるレストランになっている。外からの壁はなく開放的だが、天井からの冷気は歩道にまで及んでいる。ここに14時30分に出かけてマンゴースムージーを注文し、1時間30分ほど滞在をした。ライオネル・バーバー著「権力者と愚か者」は71ページまで進んだ

さて17時もちかければ夕食、ということになる。ホテルはヤワラーの繁華街の真ん真ん中にあり、一般には美味い食べ物屋の集合体、ということになっている。ちかくにはピブグルマンの店も点在し、そのようなところは僕の見たところ、18時までは空いている。しかし数分ほども考えた末、きのうとおなじ店に出かけることとする。僕が第一に求めるのは、美味さではない。南の国らしい屋外の席での、本を読みながらラオカーオを飲みながらの、更には押しかける客に遠慮をしなくてもよい食事、である。

部屋には早くも18時に戻ってしまった。そしてすることは何もない。相変わらず冷たいシャワーを浴び、ナイトガウンを羽織って寝台に上がる。外はいまだ、明るい。表の通りからは、いまだ人々の声は上がってこない。ヤワラーの夜は、いまだ始まっていないのだ。


朝飯 “Hotel Royal Bnagkok”の朝のブッフェ其の一其の二
昼飯 「如意」のミークローブラートナー
晩飯 “Aiem Pochana”のビーフンと魚貝類の炒めラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


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2025.5.14(水) タイ日記(3日目)

きのうの就寝は、僕としてはとても遅かった。それにもかかわらず、今朝は4時台に目が覚めた。焼酎やジンを随分と飲んだ記憶がある。しかし気分はそれほど悪くもない。

昨日の日記にも書いたように、南の国の夜明けはそれほど早くない。そのこともあって、カーテンを早々と開けることはしない。6時がちかくなってそれを横にずらせてみれば、空は既にして明るかった。天気はきのう一昨日に引き続いて、あまりよくない。それでも数分のあいだは日が差した。

「あれだけ飲み食いをしたにもかかわらず、大したものだ」と思わざるを得ないけれど、腹が減っている。14階の食堂に上がって朝食を済ませ、部屋に戻ると時刻は7時45分。窓の外に雷光が走り、雷鳴も届く。雨季でもないのに雨続きとは、一体全体、どういうことだろう。

きのうの日記を書き終えると11時がちかくなっていた。とにかく屋上のプールが使えないのだから、どうにもならない。更にこの天気では、いずれにしても、外の寝椅子で本を読むことはできなかっただろう。

傘を差さなくてもどうにかなるほどの雨の中を、暗い路地を選んで北へ歩く。チャルンクルン通りに出たところで向かい側の歩道に渡り、東を目指す。すると左手に、金色の鍋で豚足を煮る清潔そうな店があったため、歩道から数段を上がって席に着く。時計は見ていなかったものの、早めの昼食になった。そして今日のカオカームーは、初日のプロンポンのそれとは異なって、かなり美味かった。

そのチャルンクルン通りを今度は西へ戻り、きのうと同じマッサージ屋「泰満足」に入る。GoogleマップではPhadung Dao Rd.に表示される「泰満足」だが、ヤワラーの大通りからワットマンコンの駅に続くPlaeng Nam Rd.にもまた、おなじ名の店があるのだ。コースはきのうとおなじ足マッサージを2時間。今日のオネーサンはそれほど上手でなかったため、チップは100バーツ。「権力者と愚か者」は、眠ってしまって1ページも読めなかった。

マッサージ屋の寝椅子でふと「今日は洗濯の日でなかったか」と気になり、部屋に戻って壁の日程表を見る。洗濯ははたして明日の備考欄に忘備があった。念のため洗濯室のある9階へ降り、案内に従って廊下を往く。ホテルの北西側に設けられた洗濯室には洗濯機3台と乾燥機2台があった。明日になってから慌てないよう、両者の使い方を記した壁の張り紙をザッと読んでから写真にも納めておく。その文章は以下。

WASHING MACHINE
1.Put clothes in tha machine and spread them out for effective washing.
2.Fill detergent and softner in the designated compatrments.
3.An alarm will active when the wash has finished.

DRYER MACHINE
1.Put clothes in tha machine and spread them out for effective washing.
2.n alarm will active when the DRYER has finished.

乾燥機は兎に角として、洗濯機にはたくさんのボタンがある。果たしてこれだけの説明で、僕は洗濯をすることができるだろうか

とにかく時間だけはたくさんあるから、部屋でコンピュータに向かううち、2018年3月26日から29日にかけての、フアヒンとバンコクでの日記の最下部に置いた3枚並びの画像が2枚しか表示されていないことに気づく。そしてこれを、いささか苦労しつつ復旧させる。

17時になりかかろうとするころ、トートバッグに本とラオカーオの小瓶を入れて外へ出る。そうしてワットマンコン駅の通りを抜け、7月22日ロータリーに近づいていく。楽宮旅社に逗留していた20代はじめのころには、このロータリーのタイ語の名をどうしても覚えられなかった。それは今もおなじである。

タイに来たら、夕食は、いかにもタイらしいところで摂りたい。それが今回は3日目にしてようやく叶った。路上に置かれたステンレス製の席に着き、牛鍋、ソーダ、バケツの氷を注文する。その鍋が美味いかどうかは、さして問題ではない。旅先での食事に僕が求めるのは「日本ではできない経験」である。

「ヤワラーの観光客がこのまま増え続ければ、このあたりもやがてははカオサンの2本奧の通りのように、洒落た店が建ち並ぶのではないか」と思わせる、今はどうということもない通りを歩いて大通りに戻る。昼の雨は上がったから、通りはまた夜遅くまで賑わうだろう

シャワーの水が、いつになっても熱くならない。シャワーは昼に浴びて後は汗もかいていないため、備えつけのナイトガウンを羽織り、いまだ19時になりかかるころではあったものの、寝ることにする。


朝飯 “Hotel Royal Bnagkok”の朝のブッフェ其の一其の二
昼飯 チャルンクルン通りの名前を知らない店のカオカームー
晩飯 “Aiem Pochana”のモーファイ(全部入り)ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


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2025.5.13(火) タイ日記(2日目)

目を覚まして枕頭のiPhoneを引き寄せる。時刻は4時19分。きのう寝に就いたのは多分、19時30分のころ。とすれば、僕としては随分と長く眠ったものだ。深夜便での寝不足をからだが取り戻そうとしたのだろう。

南の国に来て違和感を覚える第一は、夜の明ける時間について。日本では、夏が近づくに連れて、日の出は早くなっていく。しかし地球を赤道に向かって降りていくと徐々に、日の出の時間に季節の差はなくなっていく。日中は汗が滂沱の暑さにもかかわらず、つまり気温は日本の夏と同じにもかかわらず、夜明けはそれほど早くない。そのことに、いつも戸惑うのだ。

14階の朝食会場からの眺めは良い。しかし天気は優れない。食後はひとつ上の階の屋上に上り、現在は使ことのできないスイミングプールを目で確かめる。エレベータの中の張り紙によれば、工事期間は5月4日から27日まで。工事の内容はビニールライニングとハシゴの交換とあった。プールの改装工事は、今年3月28日の大地震を経験しての「できるだけ早いうちに万全を期しておこう」との考えによるものかも知れない。

プールのある屋上から11階の部屋に降りて、きのうの日記を書き継ぐ。

「タイに来ています」というような、途中経過を欠いた日記には残念な気持ちが募る。自分の旅の日記を読み返してもっとも面白いのは、移動日のそれだ。よってきのうの日記も長くなり、書いても書いても終わらない。それを一時のあいだ中断して、10時15分に外へ出る。

コモトリ君が行きつけの床屋はサラデーンのチャーンイサラタワーの中にあると何年か前に聞いた。そのときの担当者が、今はヤワラーの、ワットマンコンちかくの美容院で仕事をしているという。そういう次第にて、コモトリ君には今日の10時30分に予約を入れてもらった。

Googleマップの「ナビ」を設定したiPhoneは、ポケットの中で震えて道の分岐の近づいていることを教えてくれる。そうして辿り着いた美容院は、ワットマンコンの塀の脇にすぐ見つかった。時刻は開店5分前の10時25分。すると店の前で食事をしていたオバサンが機敏に立って、僕を店の中に入れてくれた。

2種のバリカンで髪と髭を刈り、眉を整え、顔を剃り、頭を洗う、そのすべては20分で完了。400バーツの料金は、昨年の6月6日に使った”Soi Na Wat Hua Lamphong”の小さな床屋のそれと同じではあるものの、顔剃りやシャンプーのある点、また店の設備の整っているところからして、今日は随分と得に感じた。

帰りは、細い路地の両側にびっしりと店の並んだ小さな市場を抜けていくその路地は想像以上に長くようやく明るいところに出るとそこはヤワラーの大通りで、路地の入口には”Yaowarat soi6″の表示があった。

ホテルには戻らず、そのまま歩くことを続ける。歩いた距離は地下鉄でふた駅くらいのものだっただろうか。1982年に僕が逗留していた楽宮旅社は、廃墟にはなっているものの、建物は残っている。魔窟や陋巷といった言葉の好きな人は、バンコクの中華街に来るべきだ。それらは熱帯の空の下に暗い口をあんぐりと開けて、訪れる人をいまだ待ってくれている。ただし急ぐべし。近くにはグランデセンターポイントホテルを建てるための、地上げをされた大きな空き地ができていた。

部屋に戻ってシャワーを浴び、ちかくの粥屋で昼食を摂る。この簡素な粥も70バーツ。ヤワラーは東京でいえば浅草のような観光地だから、物価もそれだけ高いのだろう。昼食の後はそのままマッサージ屋へ行こうと考えていたものの、流れる汗を止めるため部屋へ戻り、シャワーを浴びる。

ワットマンコン駅1番出口ちかくのマッサージ屋「泰満足」には14時5分に入った。そして2時間の足マッサージを頼み、窓際の寝椅子を指定して、ライオネル・バーバー著「権力者と愚か者」をようよう開く。マッサージの料金は600バーツ。女の子には200バーツのチップ。プールサイドの寝椅子が使えないらマッサージ屋の寝椅子、と考えた末のことだが、当然のことながら、マッサージ屋の寝椅子には、ただで寝転ぶことはできない

それにしても、14時5分から2時間のマッサージとは、時間の読みをちと間違えた。16時すぎに部屋へ戻り、着替えをする。足元はサンダルから革靴に履き替える。コンピュータなど起動してはますます時間が無くなる。そうして忙しなくワットマンコンの駅へと急ぐ。「タニヤプラザのスターバックスコーヒーの前に16時55分」との、コモトリ君との約束には30秒だけ遅れてしまった。

僕は、海外に来れば日本食はほぼ絶対に食べない。しかし今日は諸般の事情により盛り場の鮨屋に案内をされた。「これだけの広い店を運営するにはかなりの手腕が必要だろう」と思われる長いカウンターのほぼ中央で、あれやこれやを肴に奄美の焼酎を飲む。そこはまるで日本だった。

タニヤからヤワラーまでは、コモトリ君のクルマで送ってもらう。運転手には100バーツのチップ。今日は雨もほとんど降らず、ヤワラーの大通りにはいつもの人の波が戻っていた。そうして部屋へ戻ってシャワーを浴び、歯を磨いて即、就寝する。時刻については、よく覚えていない。


朝飯 “Hotel Royal Bnagkok”の朝のブッフェ其の一其の二其の三
昼飯 「陳義発」の猪肚粥
晩飯 「石司」のあれや、これや、それや、奄美の黒糖焼酎(水割り)、同(オンザロックス)


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2025.5.12(月) タイ日記(1日目)

00:00 搭乗。駐機場の黒く光る様を見て、雨の降っていることを知る

昨年9月にチェンライのセブンイレブンで買った、効くか効かないか不明の睡眠導入剤は、ラウンジで飲んでおくべきだった。63Hの席に着いてからそのことに気づき、すぐ後ろのギャレーに水をもらいに行く。いつかの女性客室乗務員は「ペットボトルでは上げられない」と紙コップの水を差しだしたけれど、今日の男性客室乗務員は、330ccのミネラルウォーターをすぐにくれた

00:35 席でうとうととするうち、Airbus A350-900(359)を機材とするTG661は定刻に15分おくれて羽田空港を離陸。
02:55 窓ぎわの乗客が手洗いに行くとのことで、3人並びの席の、通路側の僕と真ん中の女の人が通路に出る。当然、ここではっきりと目が覚める。機は沖縄の上空を飛行中。

04:21 機内はいまだ暗いものの、背後のギャレーで朝食の準備を始めたらしい音がする。機は台湾南部を抜けて南シナ海上を飛行中。
04:55 アイマスクを完全に外す。機内は薄明るくなりつつある。
05:00 機内が完全に明るくなる。

05:30 朝食が席に運ばれる。この便は離陸直後から小刻みに揺れ続けていたが、ここに来てその揺れが一層、激しくなる。コーヒーをこぼしては面倒だから、カップは手に持ったままでいる。「客室乗務員のサービスは一時中断」とのアナウンスが流れる。「いつまで持ったままではいられない」と、コーヒーを飲み干そうとして、むせて咳が出る。

05:50 客室乗務員の来る前に、朝食のお膳を自分でギャレーに片づける。その足でラバトリーに入り、備えつけの歯磨きセットで歯を磨く
06:06 「バンコクまで55分」の表示がディスプレイに出る。

財布の日本円はすべて封筒に収め、前回の訪タイ時に余らせたタイバーツの封筒から当座の分のみ財布に移す。睡眠導入剤は飛行機に乗り込む前に飲んでおく。使い捨てカイロを腰に貼る。そういう、きのうラウンジで済ませておくべきことは、すべてし忘れた。それらを箇条書きした紙を、次回はポケットに入れておく必要があるだろうか。

前回の反省から、今回は搭乗の前に、襟の高い長袖シャツにジャージー地のカーディガン、それにウインドブレーカーを重ねたものの、機内はなお薄ら寒い。帰国に際しては、カイロはかならず腰に貼ろうと心に決めるものの、また忘れてしまうかも知れない。

06:25 「スワンナプーム空港まで30分、現地の気温は27℃」とのアナウンスが流れる。
06:48 雲に阻まれて見えなかった地上の灯りが見えてくる。機はしかしすぐにまた雲の中に入る。
06:50 車輪が降ろされる。
06:56 TG661は定刻に6分おくれてタイ時間04:56にスワンナプーム空港に着陸。以降の時間表記はタイ時間とする。

05:22 TDACのQRコードをディスプレイに出したスマートフォンとパスポートを入国審査場のカウンターに並べる。両手の親指と右手の中指にはアカギレにバンドエイドが巻かれているものの、指紋の採取は問題なし。「何日滞在するか」と係官に訊かれて、特に指折り数えたわけではなかったものの、咄嗟に「8日間」と答えておく。

05:25 11番の回転台ちかくのソファに落ち着き、封筒の、前回に余らせた6,700バーツから1,700バーツのみを財布に移す。
05:33 回転台から荷物が出てくる
05:39 地下1階のエアポートレイルリンクの乗り場に降りる。「始発は6時だから」と、椅子で待つうち、市中心部から来たらしい乗客が向こうから集団で歩いてくる。それを見て「もう乗れるのか」と、席を立つ。

券売所では、自動販売機を使わず、窓口に1,000バーツ札を出して「マッカサンまでひとり」と係に告げる。釣銭は915バーツ。大きなお札は迷惑にならないところでくずしておくことが肝要である。

06:02 ARL(エアポートレイルリンク)の始発が空港駅を発車。地上には霧が濃い。
06:25 ARLの車両がマッカサンに着。地下鉄のペチャブリー駅までは、空中の歩道を往く。

ペチャップブリー駅では500バーツ札を出して「ワットマンコンまでひとり」と係に告げる。釣銭は465バーツ。とはいえすべての紙幣や硬貨を細かく数えているわけではない。

06:38 MRTの車両がペチャブリー駅を発。日本の近距離列車の吊り革は、窓際の長座席に平行して2列のあるのみだ。しかしタイの地下鉄のそれは更に車両の中心にも1列があって「これは混雑時には、すごく有り難い設備だ」と、大いに感心をする

06:54 MRTの車両がワットマンコンに着。出国前に見たGoogleマップを頭に浮かべつつ地下鉄の構内を歩き、1番出口から外へ出る。ヤワラーの大通りに続くPlaeng Nam Rd.は目の前にあった。道の両側には、いずれ劣らず美味そうな店が軒を連ねている

07:02 駅から徒歩3分にしてホテルに着く。このホテルの定めたチェックインの時間は14時のため「部屋に早く入れるなら、その分の支払いはもちろんする」旨の添え書きを予約時にしておいた。レセプションのオネーサンはその金額を500バーツと僕に伝えた。「安いじゃないですかー」である。しかしこのあと、オネーサンはおなじ口から「なお、スイミングプールはお使いいただけません」と、衝撃的なことを事務的に発した。

僕は南の国に旅することが好きだ。その楽しみの過半、否、大半はプールサイドでの本読みが占める。このホテルは屋上のスイミングプールがいかにも良さそうなため予約をした。しかしてそのプールが現在は閉鎖中だという。今回の旅で最初の「タイ、あるある」である。

とにかく部屋に入り、気を取り直して身のまわりを整える。そして机の上で財布を逆さにし、大きな札を細かくした、その金額を確かめる。

空港で財布に入れたタイバーツは1,700バーツ。ARLの運賃は85バーツ。MRTの運賃は35バーツ。1,700-85-35=1,580のところ、財布には1,630バーツがあった。ということは、ARLかMRTの係が釣銭を50バーツ多くくれた、ということになる。今回の旅で2回目の「タイ、あるある」である。

それはさておき旅の初日の日記は長くなる。それに備えて先ずは革靴をサンダルに履き替え、シャワーを浴びる。きのうの日記のほとんどを書き上げると、なぜか少々の空腹を覚えた。

「こんなものは自分には不要」といつも考えている、そして眠っていれば置かれないこともあるタイ航空の夜食であるチーズとポテトサラダの丸パンが、今朝は半分だけ開いたテーブルにあった。だから今日の朝食はその丸パンと機内食だった。充分以上に食べたとは思うけれど、小腹の空いているのも事実。よって外へ出てしばらくの徘徊の後、ホテルはす向かいの、建物と建物のあいだに雨除けを施しただけの、地元の人で賑わっている汁麺屋に入る。

鍋の横を席へ向いつつ、ちかくのオジサンに「バミーナムをお願いします」と声をかける。それが席に届けられたところでオジサンに100バーツ札を手渡す。戻った釣銭は30バーツ。「70バーツかー、高くなったなー」と驚きつつその簡素な汁麺を食べる。魚丸ルークチンのひとつは中に豚の挽き肉を仕込んだ凝り様だが、しかし70バーツはいささか高い。壁の品書きにもその金額があるから別段、ボラれているわけでもないだろう。第一、高くて不味ければ地元の人は来ない

バンコクの汁麺の値段が50バーツになって驚いたのは2018年。それから7年が経てば、そんなものなのだろうか。昨年6月7日にプロンポンのミシュラン店”Rung Ruang”で食べたバミーナムトムヤムの価格は残念ながら、記録をしていない。

部屋に戻って日記の続きを書くうち、タイ在住の同級生コモトリケー君から「到着はいつ?」とLINEが入る。部屋の窓からは、コモトリ君の住むコンドミニアムが見えている。東京でたとえれば、僕のホテルは浅草ビューホテル。そしてコモトリ君の家は隅田川の向こうのアサヒビール本社。そんな位置関係である。

もう部屋に入っている旨を返信すると、電話をくれと、ふたたび返信がある。よってLINEを使って電話をし、スイミングプールが使えなくなったことにより変更した今日の予定を伝える。すると「ヤワラーの船着場ラーチャウォンから渡し舟で対岸に渡れ、自分はそこで10時40分に待っている」というような意味のことを言う。現在の時刻は10時。まったく忙しい。

素肌に羽織ったガウンを脱ぎ、服を着る。足元はサンダルではなく革靴を履く。iPhoneのGoogleマップでラーチャウォンまでの経路を調べ、外へ出る。IKEAのトートバッグには、金曜日の夕食に使うべき上澤梅太郎商店の商品が納めてあり、これが結構、重い。

ヤワラーの大通りからは、古き良き時代のバンコクの風情が残る裏通りを辿り10分ほどでチャオプラヤ川の船着場ラーチャウォンに着く。下流からは、展望デッキに観光客を満載した大型船が遡ってくる。その波に翻弄されつつ小さな渡し舟が対岸からこちらに近づきつつある。「大きな観光船に乗って有名どころを回る」と「小さな渡し舟で知らない街を訪ね、さしたるあてもなく逍遥する」のどちらを選ぶかは、人それぞれだ

対岸の船着場ディンデーンが近づいてくる。時刻は10時50分。コモトリ君の手を挙げる姿が目に入る。バンコクの盛り場のひとつサラデーンの英語の綴りはSala Daeng。そのデーンの意味は「赤」。しかしディンデーンのデーンの綴りはDandだから、また別の意味があるのだろう。

前にも書いたように、今朝のバンコクには霧が濃かった。時が経つにつれて霧は晴れたものの、空は曇り、湿度はとても高い。ディンデーンの船着場から15分ほども歩くと上半身は汗だくになった。よってコモトリ君の家では真っ先にシャワーを借り、冷たい水をもらって飲む。

コモトリ君の家からは、12時の専用船でサパーンタクシンまで行く。途中で雨が降ってくる。サパーンタクシンから乗った高架鉄道BTSの中で眠りに落ち、気づくと終点の国立競技場前に来ていた。とはいえ乗り過ごしはひと駅のみだから大したことはない。サイアムに戻ってBTSをシーロム線からスクムビット線に乗り換える。雨は雷をともなう驟雨に変わっている。僕の旅の荷物の一覧表には傘も含まれているののの、実際に持参したことはない。

東へ延びるBTSがプロンポンに着く。ほんの十数分、ほんの数キロメートルを移動しただけで、雨は傘を必要としないほどに弱まった。駅構内の両替屋”SUPER RICH”に掲げられたバーツ円のレートは1万円あたり2,250バーツ。スクムビット通りからsoi22を南下して右手の小さな両替屋”KF Exchange”のバーツ円のレートは1万円あたり2,255バーツ。ここで邦貨10万円を22,550バーツに換える。ところで両替の「かえ」は「替」にもかかわらず「兌換紙幣」となると「換」の漢字が充てられるのは、日本語の「両替」に対して「兌換」は中国由来の熟語だからだと思うけれど、どうだろう。

プロンポン近辺のスクムビット通りには横断歩道はないから、駅のエスカレータとエレベータを使って北側に渡る。そして行きつけのミエマッサージで足の角質けずりとオイルマッサージを組み合わせた2時間のコースを頼む。料金は900バーツ。オバサンには200バーツのチップ。

マッサージ屋を去ったのは15時。雨は完全に上がった。ふたたびBTSで、先ほどのサイアムに戻る。

今年の3月7日にプロンポンのショッピングモール「エンポリアム」で予期せずコンバースのチャックテイラー70を目にしたときには「やっぱかっこいいーなー」の言葉が自然に漏れた。日本に戻って調べたところ、バンコクのコンバースの旗艦店はサイアム駅直結のショッピングモール「サイアムセンター」にあることを知った。

そのサイアムセンターに駅から一歩を踏み入れれば、前述のエンポリアムなどとはまったく異なって天井は低く、人は多く、その庶民的な様子には懐かしささえ覚えた。そしてコンバースの店は、何と言うことはない、すぐ目の前にあった。

ためらうことなくその店に入り、棚の右奥にチャックテイラー70を見つける。「そうそう、これ」と見入るとすかさず店のオニーチャンが近づいて来て「チャックテイラー、良いですよね」と、この上ない笑顔で話しかけてくる。「これ、試したいです」と答えるとオニーチャンは各国対応のサイズ一覧表を出して「普段のサイズはどのあたりですか」と訊く。「日本では26センチかな」と教える。

オニーチャンは店の奥へ行き、ふたつの箱を持って戻る。そして僕の左足にはサイズ9、右足にはサイズ9.5を履かせてくれ、更には紐まで締めてくれて、鏡の前に立つよう促す。僕はすこし考えて「右の方は大きすぎるかな」と感想を漏らす。「かしこまりました」とオニーチャンはふたたびスツールに腰かけた僕の両足からチャックテイラー70を脱がし、床のトリッペンをコンバースの箱に仕舞おうとするので「いや、その革靴で帰ります。そして箱は要りません」と伝える。オニーチャンは礼を言いつつサイズ9のチャックテイラー70を薄紙で包み、それを手に勘定場へ向かった。驚くべき親切さ、驚くべき笑顔、そして驚くべき速度である。価格は定価が3,290バーツのところ何やらのキャンペーン中で1割引き。支払いは2,961バーツ。良い買い物ができた。”MADE IN JAPAN”のコンバースは、僕には幅が広すぎるのだ。

サイアムからはBTSでサラデーン。そこからMRTのシーロムへは空中歩道を移動。シーロムからホテル最寄りのワットマンコンまではわずか3駅。ただしMRTは利用者の数の関係によるものか、運行している本数はそれほど多くない。よって駅での待ち時間は東京の地下鉄とおなじ、というわけにはいかない。

さて美味い食べもの屋の密集するヤワラーではあるけれど、雨がふたたび降り始めている。しかしその勢いは、傘を借りるほどでもない。18時を過ぎたところで外へ出る。そしてこの日記に検索をかければそれは2019年6月24日のことと知れる、コモトリ君と訪ねた笑笑酒楼の扉を押す

この店の、天井の蛍光灯に照らされる内装はいかにも古くさく、いかにも寂しい。しかし今回はふたつのテーブルに先客がいて、店員の数も揃っている。僕の注文はオースワンとソーダとバケツの氷。しばらくして届いたオースワンの量を見て一驚を喫する。6年前のそれとくらべて明らかに多い。今夜はこれのみにて、他は食べられないだろう。後半は片栗粉による煮こごりのようなところとモヤシは避け、蠣のみを箸で選って食べる。

インターネット上の動画で見る夜のヤワラーは大賑わいだが、雨の降る今日に限っては熱帯の夜気もなく、大きな屋台も閑古鳥のありさまだ。嬉しいのは、あたりにドリアンの香りの満ちていることくらいだろうか

部屋に戻ったのは19時すこし過ぎ。シャワーを浴びて歯を磨き、即、就寝する。


朝食 ”TG661″の夜食の丸パン、同機内食「ウンペンチュンルークチンプラー」のバミーナム
昼食 プロンポンの名前を知らない店のカオカームー
夕食 「笑笑酒楼」のオースワンラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


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上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

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