2024.10.9(水) 硝子戸の中、事務机の上
おとといの朝は6時にようやく目が覚めた。今朝の目覚めは5時17分だった。普段は3時台、時には2時台に目を覚ましている僕としては、異常に遅い。旅先では気楽にしていたつもりでも、どこかに疲れが溜まっているのかも知れない。
バンコクを発つ先週の金曜日には、マッサージ屋で足の角質を削ってもらった。一連の作業を終えるとオバサンは「触ってみろ」と身振りで僕に促した。かかとはまるで、赤ん坊のそれのように柔らかくなっていた。それもつかの間、一昨日にはアカギレの兆候が現れ、きのうはそれが切れ、今朝はそこに楊枝の先で軟膏「ハクシン」を盛り、バンドエイドのキズパワーパッドで覆った。虫の声は既にして無い。みな死んでしまったのだ。
ところでここ数日は、どうにも仕事の能率が上がらない。その原因は事務机の上の乱雑さにありそうだ。そう考えて、正午を過ぎるころより、その整理整頓に取りかかる。整理整頓とはいえそれは、大まかに言えば机の上に積み重なったあれこれを躊躇せず捨てていく、ということに他ならない。また、8月3日の日付のある手紙にようやく返事を書いたりもする。
机の上が片付くと、溜まっていた仕事もすぐに終わりそうな気がしてくるから不思議なものだ。そしてその仕事の量は大して多くなかった。
朝から降ったり止んだりの天気だったものの、午後も遅くなって日が差してくる。西の空が明るければ、明日は晴れるだろうか。
朝飯 蓮根のきんぴら、目玉焼き、納豆、隠元の胡麻和え、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と大根の葉の味噌汁
昼飯 汁うどん
晩飯 めかぶの酢の物、菠薐草の胡麻和え、炒り豆腐、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、なめこのたまり炊、鶏肉とズッキーニのオリーブオイル焼き、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)
2024.10.8(火) 紅葉はいまだ
予報に違わず雨が降っている。よって店の生活雑貨を仕入れている問屋には、タクシーで向かった。仕入れは、自分の好みを無視するわけにはいかないものの、それが買っていただける品か否かを考えることも勿論である。もっともその考えが当たるかどうかは、それを店に並べ、しばらく時が経つまでは分からない。問屋から浅草まではこれまたタクシーを使い、浅草10:00発の下り特急スペーシアに辛うじて間に合う。
毎年、秋の行楽シーズンの繁忙は体育の日のからむ連休、つまり今年は今週末からはじまり、11月末の勤労感謝の日のからむ連休まで続く。広葉樹の頂点は紅葉のときにこそあると、どこかで読んだことがある。万緑のときにあると信じて疑わなかった僕には意外も意外、大意外、だった。
今月から来月にかけての特に連休は、日光方面は渋滞が激しい。今月2日の日記に書いた「人はすでに知られた場所へ行き」かつ「名もない丘に咲く名もない花の美しさ」にはまったく興味を示さないことによる。渋滞の車列に閉じ込められてにっちもさっちもいかない状態を避けるには「すでに知られた場所」は目指さず「名もない丘に咲く名もない花の美しさ」を求めるに限る。折角の休日に押しくらまんじゅうも、つまらないではないか。
朝飯 「コメダ珈琲」の選べるモーニング、ミニサラダ
昼飯 汁うどん
晩飯 夏太郎らっきょう、なめこのたまり炊、キャベツと肉団子と豚三枚肉の鍋、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)
2024.10.7(月) よそ行き
春:長袖ヒートテックシャツ+長袖フリースセーター
晩春:長袖ヒートテックシャツ+長袖Tシャツ
初夏:半袖ポロシャツ+長袖Tシャツ
盛夏:半袖ポロシャツ
秋:半袖ポロシャツ+長袖Tシャツ
晩秋:長袖ヒートテックシャツ+長袖Tシャツ
初冬:長袖ヒートテックシャツ+長袖フリースセーター
真冬:超極暖長袖ヒートテックシャツ+長袖フリースセーター+ダウンベスト
物理の世界だけでなく、人にも慣性というものがあるから、気温があるていど高くなっても、あるいは低くなっても、衣替えの次の段階に移るには、実際の気温には従いづらいところがある。加えて薄着を好む性格から、できるだけ盛夏の「半袖ポロシャツ」を維持したい。しかし今日は遂に、その上に長袖のTシャツを重ねた。
午後は上記の仕事着を脱ぎ、一般の人からすれば普段着でも、ぼくの感覚ではよそ行きのズボンとよそ行きの白いシャツに着替えた。先月8日の日記に書いたオールデンのVチップは、今朝になってようようカビ取りをした。しかし天気予報は雨の可能性を伝えている。雨にコードバンは禁物。よっていつものトリッペンを履いて家を出る。
朝飯 なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、具だくさんの味噌汁
昼飯 胡麻のつゆのざるうどん
晩飯 親戚の家の其の一、其の二、其の三、其の四、其の五、其の六、「甚平」の鮨あれこれ、他あれこれ、「八海醸造」の「八海山純米大吟醸」(冷や)
2024.10.6(日) 赤い帽子
気に入っていたサイクルキャップを、6月のバンコクで紛失した。スワンナプーム空港から市内へ向かったタクシーの車内に置き忘れたものと思う。丸井北千住店のハンズちかくの帽子売場で求めたもので、商標は付されていなかったから、再度の購入は無理だろう。
それを悔しく感じて、バンコクにいるあいだに”narifuri”のジェットキャップを注文し、以降はそれを愛用してきた。この、僕の経済感覚からすれば決して安くない帽子を、今回のバンコクで紛失した。コモトリケー君のコンドミニアムからホテルまで使ったタクシーの中に置き忘れたものと思う。
今度は販売元がしっかりわかっているから、これまたバンコクにいるあいだにそのサイトを訪ねると、僕好みの紺色は売り切れていた。ウェブ上の中古市場を調べてみると、色違い、たとえば赤などであれば、出品があった。
虫や動物には、いかにも毒々しく、あるいは猛々しく目立って身を守るものもあれば、周囲に溶け込み目立たないことによって身を守るものもある。赤い帽子も使いようではあるだろうけれど、今は気が進まない。悩ましい限りである。
朝飯 牛肉と糸コンニャクのすき焼き風、茄子とピーマンとパプリカの味噌炒り、生玉子、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と若布の味噌汁
昼飯 胡麻のつゆのざるうどん
晩飯 水菜と厚揚げ豆腐と榎茸と豚肉の鍋、ごぼうのたまり漬、夏太郎らっきょう、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)
2024.10.5(土) 帰社して仕事
03:10 周囲の騒がしさが、徐々に耳に届いてくる。席は最後尾に近い右側3列の通路側。直後より2列になるため、僕の後ろに席は無い。そのことにより、夜中に目覚めた際に、気兼ねすることなく背もたれが倒せたらしい。タイ航空の最後尾の常として足元は寒いものの、腰に貼った使い捨てカイロが効いて、気分は悪くない。
03:17 沖縄の上空を過ぎる。
03:20 朝食が運ばれる。そのうちヨーグルトと果物とコーヒーのみを口にする。
ミャンマーのパスポートを持った右隣の女の子は、注がれたコーヒーをいつまでも飲まない。それが、機が揺れるたびテーブルにこぼれる。女の子はそれを紙ナプキンで拭く。それでもコーヒーはそのまま置かれ、またまたこぼれ、またまた拭く、それを繰り返している。
女の子は実は気分が悪かったらしく、機が着陸態勢に入ってから遂に席を立ち、洗面所へ向かった。連れの女の子も心配をして席を立つ。眼下に東京湾アクアラインが見えてくる。乗務員さえ席に着いている。ふたりの女の子はそれこそ羽田に降りる寸前に、席に戻ってきた。
04:59(日本時間06:59) Boeing 777-300er(778)を機材とするTG131は、定刻に4分おくれて羽田空港に着陸。以降の時間表記は日本時間とする。
07:14 機外に出る。羽田上空の天気は雨。
回転台からスーツケースが出てくるまでの、ウンザリするほど長い時間をベンチで過ごす。複数の検疫探知犬が、乗客の手荷物や、回転台の上の荷物の匂いを嗅いで回っている。そして犬に興味を示され、別の場所へ案内された乗客もまた、複数がいた。
08:06 京急空港線急行印旛日本医大行きが羽田空港第三ターミナルビルを発車。
東武日光線の下り特急の切符を予約すべく、スマートフォンを開く。北千住09:13発、09:43発、10:12発のすべてが満席。10:42発の残り少ない座席のひとつを、すんでのところで確保する。北千住駅での待ち時間は1時間34分。それでもスターバックスコーヒーできのうの日記を書くうち、時間はまたたく間に過ぎた。
下今市には12時11分に着いた。小雨が降っていたものの、駅前には運良く客待ちのタクシーが1台だけあった。それを使って12時20分に帰宅。それからの1時間と少々は荷物整理。それが済むと同時に事務室に降りる。
留守中に届いた郵便物の開封と確認だけで数時間もかかる。会計事務所からは署名の必要な書類が届いていた。8月20日から9月30日までの茗荷の買い入れ、および9月2日から同18日までのしその実の買い入れの、伝票と現金の突合の仕事も残されていた。「はやくスッパリ引退してぇなぁ」と思う。
朝飯 TG682の機内食
昼飯 「いぶきうどんエキア北千住店」のちくわ磯辺天うどん
晩飯 トマトと茸のスパゲティ、パン、Chablis Billaud Simon 2018、Bodega Contador PREDICADOR 2015
2024.10.4(金) タイ日記(9日目)
首都に来ると夜が遅くなるため、田舎にいたときのような起床時間は望めない。朝食は、8時がちかくなるころに摂った。食後は部屋できのうの日記を書く。簡単に済むはずではあったものの、飛行機の遅れ騒ぎにより、予期せず文字数が増える。
南に旅しての一番の楽しみは、プールサイドに寝転んでの本読みだ。しかし今日は朝から小雨が降っている。それでもとにかくパラソルの下の寝椅子に大判のバスタオルを敷いて「百代の過客」を開く。雨が弱くなることと引き替えのようにして、顔の周りを小さな虫が飛び始める。五月蠅くても、どこかに留まるわけではないから、捕らえようもない。それでも顔の前で両手を打ち合わせるうち、ようよう殺す。すると次の1匹が、どこからともなく現れる。次の旅には蠅にも効くというという蚊取り線香を持参しようと思う。
「百代の過客」の上巻は12時12分に読み終えた。これで活字は枯渇した。次の旅にはおなじ本の下巻、それだけでは足りないから「続百代の過客」の上巻を持参することにしよう。
部屋に引き上げてシャワーを浴び、いつもの汁麺屋へ出かけて戻ってまたシャワーを浴びる。とにかく何かをするたびに汗だらけになるのだ。風呂嫌いの人は、タイへ来たら、一体全体、どのようなことになってしまうのだろう。
部屋は15時までのレイトチェックアウトを選んでおいた。旅の最終日に大きな気持ちの余裕が持てるからだ。その15時前にスーツケースとザックをフロントに預け、持ち物は胸のセキュリティポーチのみ、という身軽さで外へ出る。チェンライのマッサージ屋”PAI”ではフットマッサージが1時間で200バーツだった。トンローの駅前では、それが30分で250バーツに跳ね上がる。BTSでひと駅のプロンポンに移動し、駅ちかくのマッサージ屋で足の角質けずりとオイルマッサージを組み合わせた1時間30分のコースを頼む。それだけでは夕食の時間にはいまだ早いため、駅に直結の商業ビルに入ってしばらく逍遥する。
「タイでの最後のメシはここ」となかば決めているトンローの食堂の、外の席に着く。オネーサンにはメニュを所望し、はじめての料理を取る。”Fried squid with salted eggs”と説明のあるその料理のタイ語での名を訊くと「パムパッカイレーン」と、オネーサンは教えてくれた。”salted eggs”とは鹹蛋のことで、タイ語ではカイケム。料理名に「ケム」が抜けているのはなぜだろう。このパムパッカイレーのソースを残すに忍びなくて、オネーサンにごはんを注文する。「小さいお椀で」と添えると「お椀の大きさは決まっています」と言われて納得をする。
そのごはんの運ばれるのが遅いから、オネーサンに催促をする。オネーサンは「分かってます」と返事をしてくれたものの、更に若い女の子が運んできたのはこの店の名物オースワンだった。「これは頼んでないよ」と強く言うと女の子はいちど奥に下がったものの、先ほどのオネーサンが「確かに注文されてます」と、それをふたたび持って来た。「ホントに」と僕は怪しみながらも、それを食べることにする。美味いことは美味いのだ。そしてごはんは遂に届かなかった。このようなことにいちいち激高をしているようでは、タイを楽しむことはできない。
スクムヴィット通りは上りも下りも大渋滞。トンロー通りは北から南へ下る車線のみ大渋滞。空港へのタクシーは、トンロー通りを南から北へ上がる車線で拾うと都合が良い。しかし雨が降ってきたこと、もうひとつはそれほど酔っていないことにより、空港へは鉄道で行くことにする。タイのタクシーやトゥクトゥクは、雨と同時に強気の料金を主張し始めることが多いからだ。
19:34 BTSスクムヴィット線の車両がトンローを発車。
19:51 その車両がパヤタイ着。
きのうはスワンナプーム空港で、僕の前に券売機に並んだ白人の女の子ふたりが、それで乗車用トークンを買うことを遂に諦めた。何が難しかったのだろう。
19:59 エアポートレイルリンクの車両がパヤタイを出発。満席ではあったものの、運良くマッカサンから座れる。
20:27 その車両がスワンナプーム着。
20:40 タイ航空のカウンターでチェックインを完了。
20:54 保安検査場を通過。
20:58 完全に自動化された出国審査場を通過。
21:05 サテライト棟へのシャトルトレインが発車。
21:07 その車両がサテライト棟に着。
21:15 107番ゲートに達する。搭乗券には22:05と示されている搭乗時刻が、こちらの電光掲示板では22時45分と示されている。
22:41 うたた寝をするうちあたりが騒がしくなって、それが搭乗のはじまりだった。
23:02 最後尾から3番目の通路側。70Hの席に荷物を置くと同時に洗面所へ行き、使い捨てカイロを腰に貼る。
朝飯 “La Petite Salil Sukhumvit Thonglor1″の朝のブッフェ其の一、其の二、其の三
昼飯 「東明」のバミーヘン
晩飯 “55 Pochana”のパムパッカイレーン、オースワン、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2024.10.3(木) タイ日記(8日目)
目を覚ましたのは2時38分。日記を書くことをはじめ、あれやこれやするうち時間はたちまち過ぎる。荷作りを終えると時刻は7時25分。朝食を急がなくてはならない。
食堂からプールサイドを経てロビーに戻る途中で、ポーチに車の横付けされているのが見える。時刻は7時45分。きのうの夕刻、フロントに明朝8時のタクシーを頼んだ。それがそのクルマだとすれば、随分と早い出迎えである。
07:50 そのクルマにてホテルを出る。
08:12 空港着。空港ちかくの道には雨水が溢れ、複数の警察官が交通整理に当たっていた。
タイ航空のカウンターへ行くも、職員の姿はいまだ見えない。ロビー中ほどまで進んで、椅子でひと休みをする。
08:32 エックス線も含めたチェックインを完了。
08:48 保安検査場を通過。
08:49 2番ゲートに到る。
09:00 楽天のゴールドカードを契約すれば誰でも持てるプライオリティカードに対応した”The Coral Lounge”を見つけて、ここに落ち着く。
09:55 レースのカーテン越しに見る2番ゲートはいまだ開かないものの、飛行場の場内アナウンスで呼び出されたことのある僕は粗相を恐れてラウンジを出る。
10:20 搭乗口の頭上にある電光掲示板に”DELAYED”の文字が現れる。
“DELAYED”の理由を確かめるためか、乗客が搭乗口に並び始め、僕もその列に加わる。僕の番が来ると係のオニーチャンは「機材の不良にて、別の機材をスワンナプーム空港から手配中です」と言う。「どれくらいの遅れですか」と訊く。オニーチャンの「Two P.M.」という答えを聞いた途端「エーッ」と思わず声が出る。こんなことは初めてだ。
11:05 「TG131の乗客には飲み物と食べ物のクーポン券をお渡しします」とのアナウンスが流れると、ふたたび搭乗口に人が並び始めた。しかし僕は「メシはラウンジで食えばいいや」と、コンセントでiPhoneに充電をしながら動かない。
12:50 午前にも使ったラウンジに入り直して昼食を摂る。
13:51 搭乗開始。席に着いた途端、雨が降ってくる。
14:20 Airbus A320-200(328/3203)を機材とするTG131は、定刻に3時間55分おくれてメイファールンチェンライ国際空港を離陸。
14:36 機内食のチキンスピナッチのサンドイッチを食べて、腹が満杯になる。
15:35 西方にバンコクのビルのスカイラインを望みつつスワンナプーム空港に着陸。
15:50 機外に出てバスに乗り込む。
16:02 バスを降りて空港の屋内に入る。
16:07 驚くべき速さで回転台から荷物が出てくる。
16:18 日本から持参した現金で充分とは考えつつ、エアポートレイルリンクの乗り場ちかくのスーパーリッチで念のため1万円のみを両替する。得られた現地通貨は2,230バーツ。
16:25 エアポートレイルリンクの車両がスワンナプームを発車。
16:55 パヤタイ着。
17:00 ケーハ行きBTSスクムヴィット線の車両がパヤタイを発車。
次の駅ラチャテウィーからサイアムに向かいつつ「トンローのホテルに荷物を置いていては、約束の時間には間に合わない」と考えて、サイアムでバンワー行きのシーロム線に乗り換える。サパーンタクシンに何時に着いたかは記録していなかった。
むかしの石原慎太郎の小説には「ポンツーン」という言葉が盛んに出てくる。浮き桟橋のことである。サトーンの船着場のそれは、雨季、大雨、夕刻の満ち潮が重なって、乾季よりも数メートルは高かった。バンコク在住の同級生コモトリケー君のコンドミニアムの舟は、その桟橋を18時12分に離れた。
コモトリ君の家のリビングルームには。心づくしの夕食が既にして並べてあった。高層階からのバンコクの夕景はチラリとしか見ず、食事と飲酒と会話に専念をした。
コモトリ君が手配してくれたクルマには、20時44分に乗り込んだ。クルマはタクシン橋の渋滞を避けて南へ迂回し、ラマ三世橋を東に渡った。
ホテルに着いた時刻は記録していなかった。どこかを出る時の時間は大抵 メモをする。しかし着いたときにはホッとして、それをし忘れるのだ。ベルボーイはエレベータの3階のボタンを押したものの、部屋番号の先頭の数字は2だったから、いささか混乱をする。
部屋に荷物を置くと、いまだ余力を感じた。よって外へ出て、トンローのパクソイ周辺をぐるりと散歩する。
朝飯 “Blue Lagoon Hotel”の朝のブッフェ其の一、其の二
昼飯 “The Coral Lounge”の其の一、其の二、TG131の機内スナック
晩飯 コモトリケー君の家のおかず其の一、其の二、其の三、其の四、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2024.10.2(水) タイ日記(7日目)
先日、コインランドリーへ行って以降に着た衣類をIKEAのトートバッグに詰め込む。外出をする際に使うセブンイレブンのエコバッグには、ナムニャオの赤い汁やら、きのう雨上がりの道をサンダルで歩きつつ飛び散らしたらしい泥が付いていた。タイパンツを穿こうとすると、これにも泥の粒がたくさん跳ね上げられていたから、エコバッグ同様、こちらも洗うことにする。
コインランドリー”Otteri”には6時50分に入った。液体洗剤の自動販売機に10バーツ硬貨を入れて、5バーツの液体洗剤を買う。「おつりのボタンはここかな」と、灰色の四角いボタンを押すも、何も起きない。「おつりの出ない販売機だったか」と、しかたなくもう1袋を買う。
洗濯機の使い方は、先日、係のオネーサンがテキパキと代行してくれたから、いまだ不明の点はいくつかあったものの、無事に動き出した。先日の使用料は50バーツだったにもかかわらず、今朝は30バーツだった。「早朝割引きか」としばらくは得をしたつもりでいたものの、後から、それは選んだ水温が今日はデフォールトの”COLD”だったためと気づく。
洗濯機はそのままにしてホテルに戻り、食堂へ直行する。前夜、外から戻った際に受け取ったはずの食券が、今朝は見あたらなかった。机の下の冷蔵庫の裏まで調べて、しかし見つからなかった。それをフロントのオネーサンに話すと「部屋の鍵を係に見せていただければ大丈夫ですよ」と教えられて拍子抜けをした経緯が今朝はあった。
朝食の最中に雨が降ってくる。しかもその勢いは強い。食堂の出口に広げてあった傘をさしたまま「そこのランドリーまで」とベル係のオジサンに断ってから外へ出る。乾燥機が止まるまでの30分間は本を読んで過ごす。ちかくには「8時30分から20時までは毎日、洗濯、乾燥、畳みを無料で引き受けます」と書いた黒板が置かれている。ビックリ仰天のサービスである。
きのうの日記にも書いたことだが、部屋のwifiは極端に遅い。更には頻繁に切れる。椅子は化粧台のスツールのようなもので、これまたコンピュータを使うには適していない。よって試しにロビーに降りて、ここで日記を書いてみる。wifiの速度は驚くほど高かった。途切れもしない。これでは、ホテルの人には客の苦労は分からないだろう。
朝の雨はスコールだったらしく、すぐに上がった。常夏の空と雲を愛でるべく、10時45分よりプールサイドに降りる。
昼食は、何年ぶりかの食堂に出かけて摂る。意匠を凝らした店にもかかわらず、汁麺の料金は安い。汁の中で煮込まれた、オクラのように粘性のある野菜はなんだろう。納豆のような発酵臭もする。変わったナムニャオを試したければ、こちらを訪ねるべしと思う。
16時を回ったところで”PAI”に出かける。足マッサージの前半の30分間は本を読む。後半の30分間は、うつらうつらして過ごす。オバサンには50バーツのチップ。ラオカーオとコップをエコバッグに入れ忘れたため、一旦、部屋に戻る。
空は相変わらず青い。雲は白い。昼のあいだは目立たなかったツバメがどこかからたくさん現れて、その空を縦横に、また斜めに切り裂くように翔びまわっている。
ナイトバザール奥のフードコートの、黄色い鉄のテーブルに開いた「百代の過客」の「いほぬし」の章に面白い部分を見つける。
……
彼が褒めるものが、常に最もよく知られた光景や音声などにかぎられるのは、いったいなぜであろう。どうやらこれは、中世の旅人に典型的な流儀らしいのである。彼らはまず、先人の歌によってすでに知られた場所へ行く。そして彼らがそこで褒めほそやすのは、桜かもみじにかぎられ、名もない丘に咲く名もない花の美しさには、一言一句も費やすことがないのである。
……
僕が思うに、このような「好み」はなにも、中世日本の旅人に限らない。時代を問わず国籍を問わず、大方の旅行者は有名どころに押しかけ、それ以外のものには目もくれない。「松島」は芭蕉が心奪われた様子で詠嘆したがために、現在の惨状を呈するに到ってしまったのだ。おなじ例は、世界中に数え切れないくらい存在しているだろう。
本を置くと、隣のテーブルでは若い男女がチムジュムを食べている。「君たちは先が長げぇから大変だな」と思う。「オレは先が短けぇから楽だな」とも思う。
部屋には19時24分に帰着。シャワーを浴びて即、就寝する。
朝飯 “Blue Lagoon Hotel”の朝のブッフェ其の一、其の二、其の三
昼飯 「パ・ヌワン」のカノムチーンナムニャオ
晩飯 ナイトバザール奥のフードコートのモツ焼き其の一、カイジャオ、モツ焼き其の二、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2024.10.1(火) タイ日記(6日目)
天気は小雨。本館と食堂をのあいだのプールサイドには、色とりどりの傘が用意してあった。9時を前にして、ふたたび雷鳴が聞こえ始める。今日の天気は、地元の予報によれば以下の通り。
……
それほど暑くはなく、曇り。朝に時どき雨と雷雨、午後も時どき雷雨。最高気温は28℃。夜は曇り。夕方に時どき雨と雷雨。夜遅くには所々で雷雨。最低気温は23℃
……
9時30分よりプールサイドに降りる。このホテルの寝椅子のいくつかはパラソルではなく半透明の樹脂製の屋根の下にあるから、雨でもそれほどは困らない。ところが実際には、足の先には雨が当たる、空は活字が終えないほどに暗い、それに加えて落雷も心配なことにより、9時47分に部屋へ戻る。部屋はその17分のあいだに綺麗になっていた。枕銭は、おろそかにすべきではないのだ。
雷雨はますます激しくなる。出るも入るもできない豪雨である。フロントのオネーサンに確かめたわけではないけれど、ホテルのレストランは朝食のみが対象ではなかったか。おとといの日記に書いたように僕は間食をしないから、チョコレートも煎餅も持参してはいない。「なるようにしかならねぇ」と居直って、きのうの日記を書くことに専念をする。
3階の僕の部屋に限ったことかも知れないけれど、それにしてもwifiが遅い。それどころか頻繁に途切れる。だから単語をいくつか書くごとにコントロールキーとSキーを押して文字を固定させる。画像のアップロードにも時間がかかるから、電波が渋いときには机を離れ、寝台に寝転がって、すべてが転送されるまで待つ。
突然、外で鳥が啼き始める。鳥は多く、夜明けと雨の止んだときに鳴く。窓辺に近寄るとやはり、雨は上がっていた。時刻は14時25分だった。さて昼食はどうしたものか。いま食べては夕刻の酒が不味くなるのではないか。しかし食べずにいて雨雲が戻ってくれば、昼も夜も食べられなくなる。
思い切って外へ出る。おとといマッサージ屋”PAI”のオバサンが「あそこは美味しい」と指を差して教えてくれたクイティオ屋までは、たかだか100メートルほどの距離だ。小栗康平の「泥の河」で田村高廣と藤田弓子が営んでいた食堂のような粗末な、といっては失礼だが、その店の汁麺のスープは、いかにもタイ人が好みそうな甘さだった。
16時をまわったところでふたたび外へ出て”PAI”の扉を押す。そして足をマッサージしてもらいつつ「百代の過客」の上編を開く。マッサージは健康のためではない。慰み、である。頼んだ1時間の後半は、うたた寝をする。オバサンには50バーツのチップ。
目抜き通りにはいまだ入ったことのない店がたくさんあるものの、ピザ屋だのステーキ屋だの中国人観光客を目当てに作られたのだろう火鍋屋などで飲み食いをする気にはならない。きのう16時30分ころ訪ねていまだ営業していなかった店への、ひとけのない、すこし不気味な道を往く。雨上がりの気温は多分、日本のそれよりよほど低いだろう。
18時もちかければ、果たして店は営業をしていた。前回とおなじく道に面したテーブルに着く。僕の顔を覚えていたオニーチャンが笑顔を浮かべつつ近づく。僕は彼に英語のメニュを持って来るよう頼む。タイの田舎、タイのメシ、タイの酒、そして活字が揃えば天国である。
英語では”STIR-FRIED EGGPLANT”、中国語では「紅焼茄子」と表記のあった一皿を肴にラオカーオのソーダ割りを飲みつつ、先ほどとは別のオニーチャンに「この料理はタイ語では何というの」と訊くと彼は「パッマクーワ」と答えたから「それはそうでしょう」と笑いそうになる。そのときの「百代の過客」は94ページ。「唐土へ行く人よりもとどまりてからき思ひは我ぞまされる」という歌を読んで「なるほど。しかしゲンナリだね」などとひとり感想を漏らす。
それにしても今日は、きのうとは逆に酒が捗る。小さなペットボトルにラオカーオは適量と思われる量しか入れてこなかった。残念という他はないけれど、飲み過ぎもいけない。料理とソーダと氷の代金は285バーツ。釣りの15バーツは店に残した。
落ちてきはじめた雨は、大粒ではあったものの、いかにも疎らだったから、慌てもしなかった。そして、来るときの道は避けて、遠回りでも人通りのある道を辿ってホテルに戻る。時刻は18時58分。夜はこれから、という時間である。
朝飯 “Blue Lagoon Hotel”の朝のブッフェ其の一、其の二
昼飯 名前を知らない食堂のバミーナム
晩飯 「ジャルンチャーイ」のパットマクーワ、ガイサップルートロット、カオトム、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2024.9.30(月) タイ日記(5日目)
目を覚ましてちかくのiPhoneに手を伸ばし、見ると時刻は0時02分だった。幸いにも二度寝ができて、今度の時刻は3時08分。即、起床する。
このホテルのチェックアウトの制限時刻は正午。今日から宿は、川向こうの郊外に移る。景色は広々とするだろうけれど、利便性は著しく落ちる。よって雑用は午前のうちに済ませておく必要がある。
タイバーツは、日本を出るときには12,339バーツがあった。未明にカーテンを開けたまま窓の近くでこんなことをしては危ないのではないかと考えつつ数えた残金は7,724バーツだった。ということは、きのうまでの4日間で使ったお金は4,615バーツ。1日に均せば1,154バーツになる。
川向こうの不便なところへ行けば、これまでのように毎日マッサージを受けることもなくなるだろう。7,724バーツは充分以上と考えて、この街で日本円をタイバーツに換えることは放念する。雑用は朝食の動画撮影と自転車の返却と散髪のみになった。
朝食は、これまで1、2度だけ入ったことのある、目抜き通りの繁盛店へ自転車で出かける。いまだ7時を過ぎたばかりにもかかわらず、席は半分以上が埋まっていた。注文はタイ語に英語が併記された、値段入りの伝票に自分で記入する式だった。僕はカオマンガイを選んだ。そしてその鶏肉は大当たりだった。営業時間が長ければ夜にも来たいくらいだが、多分、午後には閉まるだろう。
ホテルに戻り、今度はホテルの朝食を摂る。川向こうの郊外へ行けば、店は疎らになる。川沿いのリゾートホテルともなれば多分、周囲とは隔絶された環境に違いない。食いだめをしておくことに如くはない。
オートバイと自転車を貸す”NICE RENTAL”の開店する8時が過ぎたことを確かめてから、自転車を通りにこぎ出す。ジェットヨット通りのそこまでの所要時間は2分。1,000バーツの預け金は無事に戻った。次は散髪である。
チェンライに来るたび、ということはないけれど、2015年ころから通っている、その名も”BARBER SHOP”という目抜き通りの床屋には9時10分に入った。先客は3名。何とそのうちのふたりが白髪染めを始めた。「白髪なんて、気にすることねぇじゃねぇか」と考えつつベンチで待つ。待ち時間が発生するとは思ってもみなかったから、本は持参しなかった。
鏡の前の椅子に案内をされたのは9時40分。髪と髭を2番のバリカンで刈り、顔と襟足を剃り、髪を洗い、眉を整え、耳の掃除を終えたのは10時25分。顔のマッサージは断って、料金は260バーツ。雑用のすべてを完了して部屋に戻る。
荷作りは早朝に済ませてある。正午の直前までプールサイドで本を読む手もあるが、これから行く”The Imperial River House Resort”はコック川に面した広いプールが自慢のホテルだ。本ならそちらで読もうと、ザックを背負い、スーツケースを提げてロビーに降りる。
新しいホテルまでの距離は、Googleマップによれば3.7km。ホテルでタクシーを呼んでもらえば200バーツくらいのことは言われるかも知れない。よって外へ出て、ちかくの辻でいつも客待ちをしてるトゥトゥクの運転手に声をかける。彼の言い値の100バーツは、僕には安く感じた。というのも、2013年からしばらく、ナイトバザールのゲート前から2kmの距離にある当時のドゥシットアイランドリゾート、現在のザ・リバリーバイカタタニまでの、トゥクトゥクの夜の料金は80バーツだった。それがいつの間にか80バーツは昼のみで、夜は100バーツになった。それを思えば、まぁ、外人価格ではあるのだろうけれど、3.7キロメートルで100バーツは理にかなっている。
トゥクトゥクは並木道を抜け、タナライ通りを突っ切り、数週間前までは「決して近づかないでください」と警報の出ていたコック川を渡る。しばらく進んで右折。更に右折。しばらく行くと、ホテルの庭なのだろうか、耕す前の田んぼのような、荒れた土の上で仕事をする人たちが見えた。
「さーて、チェンライの後半戦は、川沿いでリゾートライフだ」と勇躍、乗り込んだホテルのロビーは限りなく清潔だった。フロントのデスクには丸メガネの若い女の人がいて、後ろには若いオニーチャンが立っていた。
「予約をしたウワサワです」と声をかけると、オネーサンは怪訝な顔をする。コンピュータの画面を確かめ、僕に向き直って「お客様、当ホテルは洪水の被害により休館中でございます」と言う。「なんと」である。
「予約サイトからはメールでお知らせした筈ですが」とオネーサンは席を立ち、数メートル離れたプリンターから出力された紙を取り「ノーリプライになってますね」と、僕にそれを見せた。
「ホテルの中をご覧になりますか」と、オニーチャンが僕に誘いかける。「そうですね」と立って、オニーチャンに続く。コック川に面した庭の、自慢のスイミングプールは確かに、川と同じ泥の色だった。「ここまで水が来たんですよ」と、オニーチャンは自分のふくらはぎのあたりを示した。
オネーサンに呼んでもらったタクシーは間もなく来た。価格は150バーツと教えられていた。数十分前にチェックアウトしたばかりのホテルの駐車場に着くと、運転手はクルマを降り、後方へまわり、僕のスーツケースを降ろすと、それを曳くための取っ手を延ばすまでしてくれた。僕は財布から100バーツ札2枚を抜き取り「おつりは要りません」と、それを運転手に渡す。チップの習慣のある地域が、僕は大好き、である。
夜から昼にかけてフロントにいる、細身で色白で可愛いオネーサンに、また泊まりたい旨を申し出る。「いつまでですか」とオネーサンは問う。カウンターの上のカレンダーの今月のページを跳ね上げ、10月のページを出す。そして「4日の金曜日まで」と、その部分を指しつつ答える。更に「直に予約するのと、この場でagodaから予約するのとでは、どちらが安いかな」と訊いてみる。「すぐには分かりかねますが、我々の価格は1泊900バーツです」と、オネーサンは即座に答えた。「そんなに安かったのか」と腹の中では驚くも、顔には出さない。「それでお願いします」とオネーサンには伝え、4泊分の3,600バーツはカードで支払った。
スーツケースは初日のオジサンが3階の、数十分前までいた部屋まで運んでくれた。オジサンには50バーツのチップ。僕は全身、汗でずぶ濡れである。
シャワーを浴び、ひと息をついて「待てよ」と考える。オネーサンには金曜日までの4泊と伝え、代金も払った。「しかし」と、コンピュータを起動して日程表を見る。果たして僕がチェンライにいられるのは3日の木曜日までだった。
“Vary Sorry”とフロントのオネーサンに謝って、先ほどの決済は中止にしてもらう。そして新たに3泊分の2,700バーツをカードで払い直す。オネーサンは嫌な顔ひとつせず対応をしてくれた。時刻は12時10分になっていた。
朝に食いだめをしたにもかかわらず、腹が減っている。しかし食べればふたたび汗は滂沱と流れるだろう。汗はかきたくない。しかし腹は減っている。結局は初日の昼の汁麺屋まで数百メートルを歩き、ふたたび大汗をかきつつ部屋に戻る。
ドナルド・キーン編「昨日の戦地から」は、きのう、ナイトバザールの奥のフードコートで読み終えた。次に控えるのはおなじドナルド・キーン著「百代の過客」の上編である。
プールサイドに降りると、午後の日は庇の下にまで差し込んでいた。よってその直射を受ける太腿から下にバスタオルを掛けて、それを読み始める。時刻は13時50分。しかし日は時を追うごとに角度を変える。遂にそれを避けられなくなった14時22分に寝椅子から立ち上がり、以降は部屋で続きを読む。
タイの一食は日本のそれにくらべて量が少ない。だからなのか何なのか、タイ人は間食をよくする、しかし僕はそれをしない。16時を過ぎるころには早くも空腹を覚え始めた。今日の夕食はどこで摂ろう。この街に入って2日目の夜の店などどうか。
ホテルから9分間を歩いて着いたジャルーンチャイは、Googleの情報によれば16時に開店のはずだが、人の姿は無かった。仕方なく大回りをして、結局はナイトバザールの奥のフードコートへ行く。きのうおとといとおかずを作ってもらった店は開いていたものの、酒やソーダや氷を売る店にはシャッターが降りていた。タイでは酒類は、11時から14時、17時から翌朝の8時までしか売ることはできない。15分を待って17時が来ると、シャッターはようやく上がった。しかし今日はなぜか、氷は無いという。
むかし新橋に「チューハイに氷は決して入れない」という店があった。「酒が薄くなるから」というのが店側の理屈ではあったものの、氷を欠くソーダ割りでは、気勢はまったく上がらない。明日以降にこんなことがあれば、セブンイレブンで氷を買って、それを持ち込むことにしよう。
部屋には早くも18時前に戻ってしまった。ラオカーオが捗らなかったせいか、眠気は0時すぎまで訪れず、ただ雷の音を聞く。
朝飯 「ナコンパトム」のカオマンガイ、“Blue Lagoon Hotel”の朝のブッフェ其の一、其の二
昼飯 「ラーン・ポージャイ・カオソーイガイ」のセンヤイナムニャオ
晩飯 ナイトバザール奥のフードコートのカオパットガイ、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)