2025.9.8 (月) 最後はサラリと終える日記
9月8日の未明には3年ぶりの皆既月食が見られるというニュースに触れたのは、きのうの夜のことだっただろうか。起きて諸々のことをしてから屋上へ上がる。時刻は4時27分。西の空の満月は確かに、地球の影により欠けていた。もっとも当方は天体ファンでもなければ「ふーん」くらいのところで階下へ降りる。
午前にちかくのシバタ荒物店に赴いて、多当と書けば分からない人もいるだろう、いわゆる祝儀袋100枚を買って事務室に戻る。そしてそのうちの75枚の上方に「寿」の判を赤で捺し、下方には「春日町一丁目自治会」の判を黒で捺す。そうして70歳以上の方のための袋74枚の裏には「1,000」、85歳の方のための袋1枚の裏には「3,000」の数字を記す。ここで時刻は10時30分。それらの袋を輪ゴムで留めて戸棚にしまい、4階の自宅へ戻る。
シャワーを浴びて服を着替え、事務室に降りる。今日は今月1日のような不首尾は犯さず、準備しておいた”trippen”の短靴”sheet”を履く。ここで時刻は10時41分。こぎ出した自転車を道の駅のセブンイレブンに駐めて10時44分。昼食を買って駅ちかくの駐輪場に着き、空いたところに自転車を押し込むと10時48分。「5分あれば楽勝だ」と、ゆるやかな坂を徒歩で下って改札口を通り、跨線橋を渡って既にして停車中の上り特急リバティに乗ったところで10時51分。車両は定刻の10時53分にプラットフォームを離れた。
北千住からは日比谷線で東銀座に出て、歌舞伎座の裏手にある”ALTRA TOKYO GINZA”へ行く。「店員が一対一で客につききりの対応をするため、15分を待っても待ち客の数が減らず、仕方なくきびすを返した」というクチコミがGoogleにあったため、いささか心配をしながらそのドアを押す。ふたりの店員はふたりの客に、何足もの靴を奥から取りだしては履かせている。客は店の中を歩いたり、ときおり首をかしげたりしている。そのふたりのうちひとりがようやく意思を明らかにして、僕の番が回ってくる。
店員は僕の希望を聞き、足のサイズを計って後、奧から”TORIN 8″と”FWD VIA”の2足を持ってきた。最初に履いたのは”TORIN 8″。それで数歩を歩き、”FWD VIA”に履き替える。それでまた数歩を歩いて即「これに決めます」と店員に伝える。代金を支払うまでに要した時間は5分間くらいのものだっただろうか。
バーでバーテンダーを独占して長々と会話を交わすような客を、僕は好まない。もちろん自分でも、そのようなことはしない。「お店の人はみんなのもの」という考えが僕にはある。それだけ真面目、それだけ真剣なのは分かるけれど、靴屋で店員を自分だけのために数十分も拘束することは、僕の好むところのことではない。
“FWD VIA”をそのまま入れたトートバッグを肩に提げて四丁目の交差点まで歩き、今度は銀座線で外苑前まで行く。ワタリウム美術館ではTシャツが値下げをされていたものの、買っても着るのは今ある白いそれのみと分かっているから、見るだけにしておく。
22年のあいだ履き続けている”trippen”の短靴”sheet”には、このところ、歩くたび皺の寄る個所に亀裂があらわれてきた。この亀裂が内側まで達しては厄介だ。トリッペン原宿店では、その数ヶ所に修理を加えるよう頼む。このモデルがふたたび発売されればすぐにでも買うところではあるものの、いつまで待っても出ないのであれば、修理をし続けるのみだ。ちなみに僕の好きなものは長く保つもの、嫌いなものは安物、である。
外苑前からはふたたび銀座線に乗って上野で降りる。今日の東京の最高気温は35℃。かき氷と冷たい飲物にて身体を冷やしてから、予約をしておいたホテルに入る。そしてシャワーで汗を流し、下着とシャツと靴下を換える。
上野から市ヶ谷までは、山手線を秋葉原で総武線に乗り換えれば僅々十数分の距離だ。「コンピュータリブ」のナカジママヒマヒ社長が声をかけてくれた「西順一郎先生米寿を祝う会」は、北は北海道から南は九州からの教え子が100名を超える大盛況にて、先生の知の巨人ぶりとお人柄をあらためて強く感じさせるものだった。
お開きの後は旧知のテシマヨーちゃんが誘ってくれた二次会で数時間を過ごし、終電が心配になるころホテルに戻る。
朝飯 トマトとピーマンとウインナーソーセージのソテー、薬味の刻み玉葱の方が多い納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐とオクラの味噌汁
昼飯 「セブンイレブン」のサンドイッチ、牛乳
晩飯 「アルカディア市ヶ谷」の弁当、お吸い物、「大関」の「辛丹波」(常温)、「上海ブギ市ヶ谷店」のあれこれ、紹興酒(オンザロックス)