2025.10.2 (木) タイ日記(8日目)
ウドンタニーのホテルとは異なって、このホテルにガウンの用意はなかった。よってきのうはサイドテーブルにパジャマを準備をしておいた。しかしそれを身につけることなく素っ裸で、ただし布団には入っていた、クーラーは付けっぱなしでも、きのう寝る前に温度は28℃、更に”COOL”ではなく”DRY”に設定をしておいたから、呼吸器は傷めていない。クローゼットの扉は開いたまま、セキュリティボックスも開いたまま。しかしきのう使ったお金はすべて、手帳に記入がされていた。
ウエスタンやアメリカンのブレックファストは好みでない。野菜を徹底的に欠いているからだ。いま泊まっているホテルにブッフェはない。目の前の通りつまりsoi8に並ぶ主に西洋人を対象とした料理屋が店の前に置く朝食の案内はすべて、アメリカンブレックファストだ。価格は平均して300バーツ内外。
よってそれらの看板は無視をして、ナナの駅を目指して歩く。そして右側に見つけた「猪脚飯」と看板を出した屋台でそれを注文する。「ここで食べる?、それとも持ち帰り?」と女主人に訊かれて「ティニー」と答える。彼女はすぐ後ろに何客か並べられた鉄製のテーブルを目で示した。そしてそのカオカームーは、充分に美味かった。価格は50バーツだから、首都のそれとしては妥当、あるいは充分に安い。
10時より庭先のプールサイドへ降りて、公開したばかりのきのうの日記をiPhoneで読む。例に漏れず誤字脱字、てにをはのおかしなところを見つけては、これまたプールサイドに持ち込んだコンピュータで修正をしていく。それにしても、コンピュータで書いた文章をおなじコンピュータで読むと、誤りには気づきづらい。しかし別の道具で読むと、誤りにはすぐに気づく。そのあたりには、どのような関係があるのだろう。
日記の修正を終えて、10時25分からは本を読むことに切り替える。プールの水面には小さなゴミが目立つから、泳ぐ気はしない。レセプションの親切なオネーサンが貸してくれたタオルをレセプションのカウンター前に置かれた籠に戻し、部屋には11時33分に戻った。
今日はコモトリ君と、できたばかりの巨大な商業施設ワンバンコックを視察するため、13時に待ち合わせをしている。そのため12時2分に部屋を出る。手にはウドンタニー以来の洗濯物の入ったプラスティック袋を提げている。駅にほど近いマッサージ屋が洗濯屋も兼ねていることは、きのうのうちに気がついていた。
店先の女の子に袋を手渡す。女の子は、まるでマッサージより洗濯の方が本業であるかのように、その袋をすぐ脇の計りに載せた。洗濯物の重さは1.3キログラム。洗濯代なのだろう、女の子は「130」の数字を複写式の伝票に記入した。できあがりの時間を問えば、女の子はやはり店先に座っているオニーチャンに照れながら何ごとか訊く。オニーチャンはやはり照れ笑いを浮かべつつ要領を得ない。そこに奧から女将らしき人が顔を出して”Tommorow same time”と、ぶっきらぼうに告げた。ちなみに代金は後払い。タイは「微笑みの国」と言われているけれど、それはごく一部のことと、この国を訪ねた人は悟るだろう。
今朝カオカームーを食べた屋台のちかく、”RED HOG BAR”の看板の下に店を出した汁麺屋台は、いつも客を集めている。客は、バーが外へ出したままのスツールに腰かけて、その汁麺を食べる。機会があれば、僕も試してみることにしよう。
ナナからアソークまではBTSでひと駅。僕はPASMOのようなカードを作ってあるから、乗り降りはとても便利だ。BTSアソークに接続しているのはMRTのスクムビット。MRTはVizaのタッチ式カードで改札口を通過できるものの、僕はクレジットカードを街で持ち歩く気はしない。
券売機の前に立ち「ワンバンコクって駅ができてるよ」と、きのうコモトリ君の教えてくれたとことを頼りにその駅を探すも見あたらない。「場所からすれば駅はルンピニーのはずだが」と不審に思いつつコモトリ君に電話を入れる。彼は困って「だったら駅の窓口に訊いてみたら」と言う。
結構な人数の列に並んで僕の番が来る。駅員は、こういうことを書けばそのうち「ボディシェイミング」と叱られることになるのだろうけれど、比較的面積の広い顔に比較的黒い肌、そこに赤い口紅を塗ったオニーサンだった。「ワンバンコクへ行きたい場合、駅はどこになるでしょう」と訊く僕に「ルンピニーですね」とオニーサンは柔らかに答え、僕が差し出した2枚の20バーツ紙幣に対してお釣りの18バーツを、爪を綺麗にした手で丁寧に渡してくれた。
ルンピニーの駅には12時33分に着いた。13時がちかくなるころコモトリ君から電話が入る。そして二人が立っている場所を徐々に縮めるようにして落ち合う。
鳴り物入りで開業したワンバンコクは、地下鉄の駅に直結する食堂街や、その周辺こそ客を集めているものの、上階へ行くにつれ人の数は減り「これほど経費をかけてカッコ良い店を作り、とてつもなく高かろう毎月の固定費を支払えば、すぐに行き詰まるだろう」と思われる店も少なくなかった。店の新陳代謝は、驚くほど早くなるのではないか。
ホテルにはコモトリ君のクルマで送ってもらった。彼は運転手付きの自家用車で動くため、公共の交通機関には詳しくないのだ。
ホテルに戻るころポツリポツリと降り出した雨は、きのうとおなじような豪雨になった。プロンポンの行きつけのマッサージ屋には16時の予約を入れてある。「マズイことになった」と、外で揺れる南国の木々を五階の窓から眺める。しかしその雨は幸い、15時を過ぎるころには収まった。
15時32分に部屋を出てナナからプロンポンまでBTSで移動をする。バンコクでは、以前はチャオプラヤ川沿いにホテルを定めることが多かった。しかしBTSスクムビット線の便利さを体感するようになってからは、もはや他の場所に泊まる気はしない。
オイルマッサージは2時間。ウドンタニーの600バーツが、バンコクの盛り場では900バーツに跳ね上がる。これがトンローであれば、もっと高くなるだろう。
施術後に「お茶はどうする」と訊かれて勿論、求める。「チャーローン」とはいえタイのそれは、コーヒーや紅茶ほどは熱くない。そのぬるいお茶を飲みつつ「このあたりに美味いイサーン料理屋はないかな」と訊く。オバサンたちは「あそこがあるよ」「え、どこ」「あー、あそこか」と声を出し合って、直後、僕を担当したオバサンは僕の手を引くようにして外へ出た。
数十メートルを歩いてオバサンが指したのは、僕がきのう探して見つけられなかった通称「soi39のイサーン屋台」だった。「soi39」と呼びなわされながら、しかしその屋台は、実際にはsoi37の「ワットポーマッサージ」のはす向かいにあった。
屋台には三人の待ち客がいた。店の人は、順番がちかくなった客にメニュと紙とボールペンを手渡し、それにあらかじめ注文を書いてもらう方式を採っていた。僕に手渡されたメニュにはタイ語があった。それを見て、白人のカップルの次に来た女の三人組のうちの親切なオネーサンが「この人たちには英語のメニュをください」と言ってくれた。
僕はオネーサンを振り向いて「僕は大丈夫です」と答えた。オネーサンのタイ語は一切、理解できなかったが「あらすごい、タイ語が読めるのね」と言ったのだろう。「いえ、口で注文すれば」と添えるとオネーサンはまたしてもタイ語で「あぁ、そういうことね」と答えたのだと思う、納得した顔で快活に笑った。
「外国へ行ったときには、その国の挨拶より先ずは数字を覚えろ」と、むかし本で読んだことがある。「なるほど」の意見である。僕はそれに加えて料理の豊かな国では特に、料理の名を覚えることが肝要と考える。僕の注文は海鮮サラダ、鶏の炙り焼き、餅米、水、そして氷。
僕は15分ほど待って、調理場のちかくの一人か二人しか座れない席に案内をされた。先に出てきたのは海鮮サラダ。その烏賊をフォークに突き刺して食べて「美味いではないですか-」と感心をする。そのサラダのドレッシングに丸めた餅米をひたして食べる。鶏の炙り焼きは、時間を経て冷えたものを出す店もあるものの、この屋台のそれは温かく、肉の骨離れも良かった。
価格は締めて225バーツ。その計算は、いかにもイサーン出身の、浅黒い顔に白い歯の目立つ、若くて可愛い女の子がしてくれた。満足の夕食だった。そして空席を待つ客の数は更に延びていた。ここで夕食を摂りたければ、17時には来る必要があるだろう。
プロンポンからナナまではBTSで僅々ふた駅。夜は特に賑やかなsoi8を辿り、ホテルには19時12分に戻った。そしてシャワーを浴びて歯を磨き、今夜こそはパジャマを着る。そしてこれまた今夜こそは部屋の明かりを落とし、19時43分に寝台に上がる。
朝飯 スクムビット通りからsoi8に入ってしばらく歩いた左側の屋台のカオカームー
晩飯 通称「soi39のイサーン屋台」のヤムタレー、ガイヤーン、カオニャオ、ラオカーオ”TAWANDANG”(水割り)