2025.10.14 (火) 伊豆治療紀行(40回目の1日目)
オフクロが亡くなったのは2014年10月15日。その祥月命日に、僕は地元にいない。よって数十分前に自社の売場を掃除し、商品を納めた道の駅「日光街道ニコニコ本陣」に、今度は家内の運転にてふたたび行く。そして開店の9時と同時に入店して一双の花を買い、ひとり歩いて如来寺のお墓へ行く。
墓石は水を固く絞ったタオルで拭く。花立ては秋彼岸の後に掃除をしたから汚れてはいないものの、溜まった雨水を捨てて水場で洗う。そうして花を供え、線香は2018年に麻布の禅寺で「献仏不假香多」という便利な考えを知ったから左右に短いものを三本ずつのみを上げる。茶碗の水は不要と、すこしく特殊なウチのお墓のいわば「先生」に教わったから、オフクロの一周忌からこのかたは置かなくなった。
お墓から東武日光線の下今市駅へは、崖を階段で下る近道がある。現在は歩くことの得意でない家内とは駅で落ち合った。そして9時34分発の上り特急に乗る。
特に事情のない限り月に一度は通うこととしている伊豆のカイロプラクティックに指定された時間は16時30分。伊東駅前のレンタカー屋に入れた予約は15時。それにちょうど良い新幹線は13時27分発のこだま729号。昼食を済ませても、それが出るまでにはいまだ90分もの余裕がある。次回からは、家内より90分ほど遅れて会社を出て、新幹線のプラットフォームで待ち合わせることを決める。
「伊豆高原痛みの専門整体院」のワタナベ先生は、治療台にうつぶせになった僕のからだの各所を押して「あ、いいですね」と言った。僕の身体の調子は、タイから戻った直後はおおむね良い。今回は多分、ウドンタニーでの六泊あいだに受けた六回のオイルマッサージ、およびバンコクでの四泊のあいだに一回ずつ受けたオイルマッサージと足マッサージが効いているのだ。
9,000ボルトを発する電子ペンによる治療は、患部の状態が悪いほど痛い。今回は腰の四ヶ所こそ、そこそこの痛みを感じたものの、膝については「ただ触れているだけ」くらいの軽さだった。ひどいときには拷問まがいの我慢を一時間も続けなくてはいけない治療も、今日はあっけなく十五分ほどで終わった。
夜、宿で眠りに就くころ、家内の声にて覚醒の世界に引き戻される。テレビには親善試合とはいえ、日本がブラジルに勝ったサッカーの試合が映し出されていた。日本が上げた三点のうち一点は相手のミスに乗じてのもの、もう一点は相手のオウンゴールによるものだった。来年のFIFAワールドカップは、前回以上に盛り上がるだろうか。
朝飯 目玉焼き、筑前煮、茄子の揚げびたし、納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「つぶより」(四つ割り)、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と若布の味噌汁
昼飯 「そばいちグランスタ東京」の冷やしわかめそば
晩飯 「伊東小涌園」のあれや、これや、それや、他あれこれ、日本酒(燗)













