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清閑 PERSONAL DIARY

2025.7.30 (水) 伊豆治療紀行(38回目の2日目)

今回の宿は素泊まりにて、朝食は、整体院から2キロメートルほど手前のファミリーレストランで摂ることとした。その食事の最中に整体院から電話が入る。先生によれば、明日に予約をしていた三重県からの患者が、何を間違えたか現在、クルマで伊豆に向かいつつあるという。まさか断るわけにもいかないため、早めに来てくれれば有り難いとのことだった。当方は願ったり叶ったりだから即、席を立つ。

その2キロメートルの道にレンタカーを走らせている最中に、サイレンが鳴り響く。聞き慣れた火事のそれではないため、整体院に着いて先生に訊くと、津波警報ではあるものの、現在の場所は海抜にして200メートル以上のところにあるから心配は皆無、とのことだった。

今日の治療はきのうに引き続いて、腰へのそれは念入りに行われ、膝は幸い軽く済んだ。家内の、今年の2月にいきなり悪くなった膝も、急速に良くなっているらしい。

三重県の患者の勘違いにより、正午まで予約してあったレンタカーは、10時30分に返すことができた。その伊東駅前の営業所で、伊豆急行線が全線にわたって止まっていることを知らされる。

目と鼻の先の伊東駅には、タクシー待ちの列ができていた。列車はしばらくは動かないだろう。駅ビルのベックスコーヒーショップは満席。急ぐ旅でもないらしい白人のバックパッカー数名は、早くも駅の庇の下で横になった。

僕は家内を駅に残して、休むことのできる喫茶店を商店街へ探しに行く。そしてそこに、携帯電話により家内を呼び寄せる。

昭和の雰囲気を残した喫茶店には大きなテレビがあった。津波の原因はカムチャツカ半島沖の大地震で、津波の高さは30センチメートル。それが伊豆半島の東岸に達するのは11時30分と、ニュースはおなじ内容を繰り返している

その11時30分が来ても、静岡テレビに映し出される伊豆の海に、大した変化は見られない。しかしアナウンサーは「津波は何度も繰り返し来ます」とか「○○地震のときには、9時間後にもっとも大きな津波が発生しました」と、おなじ原稿を何十回も読み続けている。それを観ながら「伊豆急行は、しばらくは動かないね」との結論に家内と達し、2時間と少々を居させてくれた喫茶店を出る。

駅ビルの中は既にして無人、入口はすべて閉ざされている。タクシー待ちの行列の最後尾に並んだのは12時45分。最前列に立てたのは13時35分。すべり込んできたタクシーの助手席の窓が開く。「熱海までのお客様はいらっしゃいますか」と運転手が呼びかける。「僕たちは熱海です」と答えると、運転手は数メートルを進んでタクシーを停めた。

僕はすかさず行列の後方へ向かって「熱海までの方は、いらっしゃいますか、2名まで」と、人差し指と中指を立てた右手を挙げて見せた。「はい」と、随分と後ろの方で手が挙がる。我々より2、30歳ほども若く見えるカップルは「助かったー」と、そのタクシーに乗り込んできた。

タクシーが伊東の駅前を出たのは13時37分。右手に見える海は平穏そのものだ。14キロメートルをこなして熱海駅に着いたのは14時12分。長距離割引きなるものを受けた料金は7,990円。1,000円札4枚を差し出した男の人に家内はそのうちの1枚を返し、残りは自分の財布から出した。

熱海駅のタクシー乗り場には長蛇の列。みどりの窓口にも、なぜか長蛇の列。とにかく駅の前は大混雑。しかし東海道新幹線は、何ごともなかったように動いている。そのプラットフォームに上がったのは14時17分。そして14:35発の、こだま722号の自由席に、無事に収まる。

以降は大したことは起きず、日本橋で夕食を摂って、21時すぎに帰宅を果たす。ちなみに伊豆急行線は、20時30分に、全線が運転を再開したらしい。


朝飯 「ガスト」のモーニングセット「目玉焼き&ベーコンソーセージセット」
晩飯 「吉野鮨本店」のあれやこれやそれや、他あれこれ、「櫻正宗」の「宮水の華特別純米」(冷や)、同「上撰」(燗)


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上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

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