2026.3.2(月) タイ日記(1日目)
僕の選ぶ最後部のみのことかも知れないけれど、深夜便の機内は寒い。よって今回は、ユニクロの超極暖ヒートテックタートルネックTにモンベルのULサーマラップジャケットを重ねてきた。しかし駐機中の機内は、やけに暑い。通路を往く女性の客室乗務員は、手にした書類で自分の顔を扇ぐまでしている。そのうち涼しく、更には寒くなるのだろうか。
00:39 Airbus A350-900(359)を機材とするTG661は、定刻に19分おくれて羽田空港を離陸。
「今回も、眠れずに苦労するんだろうな」と考えつつ、今回はオフクロの遺したデパスとハルシオン各一錠を胸のポケットに入れてきたことを思い出し、ペットボトルの水で服用する。
04:20 目を覚ます。
僕の経験上、深夜便の中でデパスとハルシオンが効くと、3時間の熟睡と共に爽快な目覚めが訪れる。今回は、典型的なそれを得ることができたのだ。機は台湾と海南島の間を飛んでいた。取りあえずは、離陸の直後に配られたとおぼしいチーズとポテトサラダを具にした丸パンを食べ、ラバトリーで歯を磨く。
04:48 朝食のためのワゴンが動き始める。
05:32 ダナンの上空を通過。「ここまで来ればこちらのもの」という気分になる。
05:39 朝食は、クロワッサンを除くすべてを平らげる。
06:05 「バンコクまで40分。現地の天気は曇り。気温は28℃」とのアナウンスがある。
06:38 バンコクの灯りが見えてくる。
06:40 TG661は定刻より10分はやい、タイ時間04:40にスワンナプーム空港に着陸。以降の時間表記はタイ時間とする。
04:56 機外に出る。
05:13 入国審査場を通過。
05:16 回転台からスーツケースが出てくる。
到着階の二階から出発階の四階にエスカレータで上がり、もっとも端にあるタイ航空のカウンターへと向かう。そして近くのオネーサンを「ウドンタニーまで行きます」と呼んで、タイ航空の自動チェックイン機でチェックインをしてもらう。オネーサンはディスプレーに示された空席を差して「どちらがよろしいですか」と訊く。「もう決まっています」と僕は答える。オネーサンは黒変している54Kの席を見て「あぁ、こちらですね」と、すぐに理解してくれた。
そこまでは良かったものの、今朝のバンコク-ウドンタニー便は昨秋のそれとは異なって、随分と混んでいる。気は急いても他に採るべき手は無く、若い人の目立つ列に並ぶ。
05:48 スーツケースの預け入れを完了。
05:54 エスカレータとエレベータを使ってすばやく降りた地下一階の、今回はスーパーリッチのブースで両替を完了。日本円とタイバーツの交換比率は遂に、1万円あたり2,000タイバーツを割って、今朝のレートは1,995バーツだった。
06:01 何のために設けられているのか、まったく厳しくない検査場を通過。
06:15 保安検査場を通過。
ちかくのトイレの個室に入り、ユニクロの超極暖ヒートテックタートルネックTとモンベルのULサーマラップジャケットを脱ぐ。そして半袖のTシャツに着替え、首にインド綿のスカーフを巻く。これでようやく人心地がつく。僕にとって冬の服は、仕方なしに着るものに他ならない。
06:25 B9ゲートに達する。タイの夜は明けきっていない。ベンチで搭乗を待つあいだに、日本から長めの電話が入る。
06:45 搭乗開始
06:58 沖までバスで運ばれてタラップを上る。
07:23 Airbus A320-200(32X3206)を機材とするTG002は、定刻に28分おくれてスワンナプーム空港を離陸。
昨秋のおなじ便は空いていて、ひとつ置いた席には刺青だらけの、沈没組と思われる白人の年寄りが、不気味な咳をし続けていた。しかし今回の機内には英語を話す若い人が多く、ほぼ満席の盛況である。
08:13 TG002は定刻に13分おくれてウドンタニー国際航空に着陸。ちなみに「国際」とはいえ実際には、この空港に国際便は発着しない。
08:25 機外へ出て通路を行く。二階から見おろす一階の回転台では、既にして僕のスーツケースが運ばれていた。
昨秋のタクシーは、空港内のカウンターでチケットを発行してもらった。今朝も見覚えのあるその場所へ近づき、ホテルと、それのある通りの名をオネーサンに告げた。ところが今回は、オネーサンはちかくに立つオジサンに声をかけ、オジサンは僕を先導して空港から外へ出た。慣れない国や場所であれば頭の中に警戒警報の鳴り響く場面ではあるものの、そのままオジサンに付いていく。
やがてオジサンは駐車場に駐めた車内にいる別のオジサンに声をかけ、僕には「200バーツ」と伝えた。こと料金に限っては、昨秋と変わらない。
08:38 タクシーが空港の駐車場を出る。
08:53 昨秋とは異なって、今回の運転手は迷うことなくホテルにクルマを滑る込ませる。
08:55 昨秋も相手をしてくれた女装のオジサンにチェックインの手続きをしてもらう。部屋が準備できるのは12時すぎとのことで諒承する。
08:59 早朝の電話により仕事が発生したため、一階のレストランの外の席にコンピュータを開き、800字ほどの文章を書く。
10:20 ロビーに戻ってしばらくするうち、部屋に入れる旨の案内が先ほどのオジサンからある。多いにありがたい。
部屋に入ったら、多すぎる枕や見ることのないテレビのリモートコントローラーを邪魔にならないところへ移す。使わない館内電話は電線を外して遠ざける。逆に、ベッドの両脇にある電気スタンドの片方は、コンピュータを使うテーブルに置く。日常に使う細かいものは、日本から持参したジュエリートレイにまとめてテーブルの端に寄せる。そうして部屋を、自分の好みにしていく。
そんなことをするうち昼が近くなる。昨秋になじみになったマッサージのオバサンには、LINEで予約を入れておいた。グラミチの細いパンツはニクロの太いものに、革靴はゴム草履に替えて外へ出る。気温は34℃くらいだろうか。すこぶる気持ちが良い。
マッサージの後は、ちかくのバスターミナルへ行く。5バーツでトイレを借り、券売所に入る。冷房の効いた館内に座るオバサンに声をかけられたため「チェンライへ行く」と伝えると「ソンバッ」と、オバサンは外を指した。ウドンタニーからチェンライへのバスの切符は、やはりソンバットツアーの独占らしい。
昨秋、ソンバットツアーのカウンターには太ったオネーサンがいた。そして今日は、優しそうなオバサンがいた。7日に出るバスの切符を買いたいとオバサンに伝える。オバサンは、切符を買うにはパスポートが必要だという。財布からパスポートのコピーを取り出そうとする僕を制して、本体を持って来るようオバサンは言う。仕方なく300メートルほどを歩いてホテルへ帰り、ふたたび戻ってパスポートをオバサンに手渡す。
壁の時刻表には16:00発と18:30発のスタークラス、そして17:00発と20:45発のスーパークラスがあった。運賃は、スタークラスの655バーツに対してスーパークラスのそれは764バーツだから、大した違いはない。トイレのあることを期待して17時発のスーパークラスに決めると、オバサンは席を選ぶよう言って、コンピュータのディスプレーを僕に向けた。僕は最前列の通路側画を選んだ。眺めはよろしいかも知れないけれど、事故には弱い位置だ。
オバサンに紙幣と硬貨で計1,015バーツを手渡す。オバサンは怪訝な顔をして1,000バーツ札のみを受け取った。お釣りは240バーツ。オバサンの手元には電子卓上計算機があるにもかかわらず、である。タイで使える電話を持たない僕に、16時にはこの券売所へ来るよう、オバサンは言った。切符のの”Platform1″の文字を指して「これは、そこ?」と目と鼻の先のターミナルを差してみる。「だから私があたなを、別のターミナルまで送っていくのよ」と、オバサンはもどかしそうに口を開いた。僕が礼を述べたことは、言うまでもない。
「さてこれで一段落」と、ちかくの食堂で汁麺を食べる。頼まなくても出てきたペットボトルの水を含んだ価格は70バーツ。汁麺の美味さと安さは明らかに、ウドンタニーよりチェンライに軍配が上がる。
ホテルへ戻り、シャワーを浴びて、すこしゆっくりする。そして日の陰り始めるころに外へ出て、ウドンタニーの駅へ続く目抜き通りを往く。気温は昼よりも上がって、素晴らしい蒸し暑さだ。そして新型コロナウイルスが蔓延し始めた2020年3月に来たときよりも、更に綺麗になった”UD TOWN FOOD CENTER”に入って行く。
飲み残しのラオカーオは、荷物に入れ忘れた。しかも病み上がりの身、である。飲み物を売るブースでチャンビールを注文し、現金で支払おうとすると、支払いはカードでの取り扱いに限られると、オネーサンには言われる。即、納得をして、現金をこのフードコート専用のカードに換える場所を教えてもらう。食べものは、声をかけてきたオニーチャンにカオカームーを頼んだ。
そのカオカームーとチャンビールクラシックを肴にして川本三郎の「荷風の昭和」の前編を開く。至福の時間である。それにしても、ビールは腹に溜まるのが難点だ。更には強くない度数にもかかわらず、五日ぶりのアルコールは僕を充分に酩酊させた。
駅を背にした西の空には夕焼けがあった。ホテルに戻ってシャワーを浴び、備えつけのバスローブを身につけても、時刻はいまだ19時を1分だけ過ぎたところだった。「それがどうした」と、即、寝台に上がる。
朝飯 TG661の夜食のパン、同機内食、TG002の機内スナック、コーヒー
昼飯 バスターミナル1のちかくの食堂のバミーナムトムヤム
晩飯 “UD TOWN FOOD CENTER”のカオカームー、チャンビールクラシック
2026.3.1(日) 親切なオネーサンと親切なオニーサン
東武鉄道の特急券を買うアプリケーションが、今朝は混み合っていて、いつまでも開かない。よって業を煮やして下今市駅へ行き、上りの特急券を確保する。日曜日の夕刻から夜にかけての上りは、東京から日帰りで来た観光客の帰りに重なるため、うかうかしていると売り切れるのだ。会社へ戻る途中に道の駅「日光街道ニコニコ本陣」へ寄り、在庫を確かめる。からだは昨日にくらべて格段に軽く動いている。
以降は会社には出ずに、荷作りの最後のところに取りかかる。今回のスーツケースに、いつもより余裕があるのはなぜだろう。持ち物の一覧表には折りたたみ傘が含まれている。備考欄には「バカニセズモツコト」の添え書きがある。しかしウドンタニーの天気を調べてみれば、これから一週間の降水確率は、5パーセントの日が3日に10パーセントの日が2日。チェンライに到っては5パーセントの日が1日のみのため、今回もまた、傘は持たないことにする。
荷作りを終えたところで食卓にコンピュータ開く。「ぐるなび」の管理画面に入ってみると、3月になったからなのだろう、6月の予約表が操作できるようになっていた。よって電話でご予約くださったお客様をその表に確定させ、他に休み時間なども設定する。
さていつのことだったか、旅の初日にタクシーを頼んだところ、その時間なら自分が送れると、家内に言われたことがある。よって駅までは、家内の運転するホンダフィットにて送ってもらう。
18:49 けごん52号が下今市を発。
20:21 けごん52号が北千住に着。
20:24 日比谷線の車両が北千住を発。
20:40 日比谷線の車両が人形町に着。
20:44 都営浅草線の羽田空港行き急行が人形町を発。
21:23 その車両が泉岳寺を経由して羽田空港第3ターミナルビルに着。
21:30 預け荷物がある場合には、セルフチェックイン機を使っても意味がないため、Kカウンターの長蛇の列に並ぶ。
22:04 蛇行する行列に34分のあいだ並んで荷物あずけを完了。スーツケースの重量は9.3キログラムだった。なお今日の係のオネーサンは、スワンナプーム空港での、ウドンタニー行きへの乗り換えに際して荷物が早く出てくるよう、僕のスーツケースには、コンテナではなく、手での積み込みを指示する”BULK”の紙を貼ってくれた。多いに有り難い。このような親切な扱いを受けたのは初めてのことである。
22:16 保安検査場を通過。
22:19 出国審査場を通過
楽天のゴールドカードがあれば誰でも手に入れることのできるプライオリティパスは、僕の場合、年に5回しか使えない。残りの権利は1回のみにて、それは帰りのスワンナプーム空港に取り置いて、今日はラウンジは使わない。147番ゲートへ向かう途中でホットドッグとコーヒーを夕食とする。
23:05 147番ゲートから変更された148番ゲートに達する。
23:34 ロイヤルシルククラスから搭乗が開始される。
23:48 右列最後尾通路側の63Hの席に着く。
23:51 薬を飲むためのコップの水をくれるよう客室乗務員のオニーサンに頼む。「コップの水」というのは、以前、一度だけのことではあるけれど、ペットボトルの水をオネーサンに求めて断られたことがあったからだ。ところが今日のオニーサンは1本ならず2本もくれようとしたため、その分はあわてて断って席へ戻り、おととい処方をされた咳止めと去痰剤を服用する。
朝飯 鮭の焼きほぐし、梅干、なめこのたまり炊、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬のお茶漬け
昼飯 にゅうめん
晩飯 “Cafe&Bar RAGE Tokyo Sky Kitchen”のホットドッグ、コーヒー
2026.2.28(土) 一気呵成に
目を覚まして枕頭に体温計を手探りし、その細長いプラッスティック製のケースから取り出した本体を左の脇に差し入れる。数分後に音を発したそれをパジャマの胸元から取り出し、iPhoneに付属の灯りを点けてディスプレイの数字を見る。体温は予想に反して35.7℃まで落ちていた。腰の痛みを除いては、気分は平時のそれと変わらない。咳もだいぶ収まっている。よって寝台の下の乱れ籠に用意した服を身につけ、起床する。
洗面所を経由して食堂に来て、仏壇と自分のためのお茶を淹れる。直近の二日間は、家内に任せていたことだ。
WordPressを開いてみると、今週火曜日の日記は既に完成していた。しかしこれを公開すべき木曜日の朝には体温が37.7℃まで上がっていたため、起きてそれをする気が起きなかった。その火曜日の日記を公開する前に、本日土曜日の日記のここまでを書く。「日記は時系列にかかわらず、書けるときに書いておく」が、僕の流儀である。
そして火曜日の日記を公開した後は、滞っていた水曜日、木曜日、そして金曜日の日記を一気呵成に完成させる。
なお、熱は下がったものの大事を取って、仕事場へは朝のほんの短いあいだのみ降りた。以降は火曜日の日記に書いた一覧表に従って、旅の荷物を整える。
朝飯 お粥、なめこのたまり炊、ごぼうのたまり漬、カレーライス、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」
昼飯 にゅうめん
晩飯 親子丼、ごぼうのたまり漬、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」
2026.2.27(金) 川上、金田、別所、青田
今朝の体温は、またしても37.7℃。からだの具合が悪ければ、いつにも増して人の助けが必要になる。そのようなときにはいつも、ザ・ピーナッツとハナ肇による「おとっつぁん、おかゆができたわよ」「いつもすまねぇなぁ」の、いにしえのテレビの一場面が頭に浮かぶ。何の事やら分からない人は、検索エンジンに頼って欲しい。
きのう入れた予約に従って、10時20分にセキネクリニックへ行く。そして診察を受け、解熱、咳止め、去痰のための処方箋をもらう。その薬をハセガワ調剤薬局今市本町店で受け取って、家に戻る。
熱は収まってきたものの、咳は今日から頻繁になった。寝台の上では、痛む腰をかばって身体を丸くしたりする。
夕食は家族のそれが済んでからひとりで摂ると、家内には伝えておいた。やがて呼ばれた食堂のテレビでは、WBCの日本代表と中日ドラゴンズの試合が中継されていた。大谷の背番号は16。それを見て「あ、カワカミと同じだ」と、思わず声を漏らす。吉田正尚の背番号は34。それを見て「あ、カネダと同じだ」と、これまた声を漏らす。
プロ野球のニュースに別所毅彦が解説で出ると「あらベッショ、こんなに年とっちゃって」、青田昇が出れば「あらアオタ、こんなに年とっちゃって」と、オフクロは驚いた。そのころのオフクロよりも、今の僕は年長と思われる。時は流れる、のである。
朝飯 目玉焼き、ベーコンとブロッコリーのソテー、納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、小松菜の味噌汁
昼飯 鍋焼きうどん
晩飯 カレーライス、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、リンゴのジャムを添えたヨーグルト
2026.2.26(木) 不覚にも
きのうの上長会議のころより気管支が軽く苦しくなり始め、咳も出始めた。よってかかりつけのセキネクリニックで過去に処方された「ツムラ柴胡桂枝湯」を、夕刻と夜に服用した。
風呂上がりに腰と上半身にタオルを巻いた姿で食堂に来て水を飲み、その場でしばらく眠ってしまっても風邪はひかない。そのような自分を丈夫と感じつつ、しかし年に一、二度は具合を悪くする。そして今朝は、明らかに発熱をしている。だるいからだを引きずりつつ寝室から食堂へ行き、食器棚の引き出しから体温計を取り出し、寝台へ戻る。体温は37.7℃に達していた。
年に一、二度の不具合が、よりによってタイ行きを目前に控えて発生してしまった。しかも今日は木曜日で、個人営業の病院は大抵、休診である。「勉強仲間のカタヤマタカユキさんが風邪をこじらせて亡くなったのも木曜日だったな」と6年前のことを思い出す。
体温は、昼ごろには38.1℃まで上がった。もはや漢方薬では間に合わない。これまたセキネクリニックで過去に処方されたカロナール500を一錠だけ服用する。このことにより、体温は37.4℃まで下がった。
セキネクリニックの発熱外来の予約は、スマートフォンを用いて明日の10時30分に入れることができた。後は、栄養の補給と静養に努めるのみである。
朝飯 おかゆ、なめこのたまり炊、梅干
昼飯 プリン、ホットミルク
晩飯 刻みキャベツとトマトと茹でたブロッコリーを添えたコロッケ、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ
2026.2.25(水) 発表と見学
上澤梅太郎商店は、月に一日の休みをいただいている。その日は「社内メンテナンスのため休ませていただきます。」と書かれた看板を店の前に置く。つまり店は休んでいても、建物の内外では維持補修整備のたぐいが行われている、ということだ。そしてその対象には、建物や設備など物理的なもの以外も含まれる。
今日は、分かってるようで、しかしその細部までは分からない、他部署の仕事を知るための発表会が行われた。先ずは販売、次は事務、裏の通路を抜けて製造、更に包装、最後は「汁飯香の店 隠居うわさわ」で締められた。
結論として、今日の企画は大変に良かった。他部署の仕事を、より知ることができたということの他に、発表の資料を作る課程で、自分の部署の仕事を振り返る機会にもなったからだ。若い人たちのお陰、経験の浅い人たちのお陰と、ひとえに感謝をする。
社内各部署での発表と見学は、予定は少し過ぎたものの、午前のうちに完了した。午後からは、経営者と各部署の上長が集まっての会議を、隠居にて催す。
朝飯 春雨と豚挽き肉の中華風炒め、スクランブルドエッグ、納豆、菠薐草のソテー、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、トマトと菠薐草と若布の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 豚肉と厚揚げ豆腐とキノコと小松菜と若布の鍋、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、なめこのたまり炊、麦焼酎「むぎっちょ」(お湯割り)、プリン、Old Parr(生)
2026.2.24(火) 150点
必要なものを登録しておき、それが準備でき次第チェックを入れていく、というスマートフォンのアプリケーションを、TikTokで目にしたことがある。しかしアナログ派の僕は、すぐ上にスワイプしてしまった。僕が使うのは、コンピュータのデータベースから紙に出力をした一覧表である。それによれば、3月2日からの旅の持ち物は、150点に及んでいた。
150点とはいえ、たとえばパスポートや航空券やホテルの予約確認書のコピーはそれぞれA4の紙だから、重さも体積も皆無に等しい。また折りたたみ傘は一覧に含まれているものの、実際に持参したことはない。
極端な早寝早起きにて、目を覚ましてから朝食までのあいだにはかならず腹が減る。その空腹をなだめるためのスープは必須のため、それを保管してある二階の倉庫へ行く。粉末のコンソメスープは、12食が残っていた。今回ホテルで迎える朝は10回だから、大抵は間に合うだろう。
きのうamazonに注文した上下本は、早くも昼前に届いた。一冊あたりのページ数は600弱。現地では12日間を過ごすから、日に50ページ以上をこなせば、上巻だけでは足りなくなる。しかし僕の本の読み方は、行きつ戻りつ、また疑問の点は他の媒体を用いて調べつつで、時間がかかる。二冊を持つか、あるいは一冊に留めるかについては、これから数日のあいだ悩んでみることにしよう。
朝飯 トマトのソテーを添えた目玉焼き、納豆、菠薐草のソテー、鮭の昆布巻、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と若布と長葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 「食堂ニジコ」のキュウリのからし和え、ピータン、鶏モモ肉の唐揚げ、あんかけ焼きそば、麦焼酎「二階堂」(お湯割り)
2026.2.23(月) いよいよ
食器棚の電波時計は3時46分を指していた。昨日おとといとコンピュータは持参していたものの、日記を書く時間の余裕、また気持ちの余裕はなかった。だから今朝の早い目覚めは幸いだった。
きのう2月22日には「あと10日でタイ行きか」と、漠然と考えていた。しかし今朝になって食堂の小さなカレンダーに目を遣れば、今年の2月は28日までしかなく、よって6日後の夜には、自分は羽田空港にいる、ということが分かった。谷口正彦の「冒険準備学入門」をひもとくまでもなく、旅行の楽しみのかなりの部分は、その準備が占める。しかし残された時間はたったの6日。これは中々に忙しい。
先ずはamazonに本を注文する。この上下二巻は、数ヶ月前にはメルカリに安く出ていたものの、なにかのきっかけから僕はメルカリにログインできなくなっているから、それを手に入れることはできなかった。amazonの方は折に触れて調べていたものの、古書はほとんど出ず、出ても大して安くはなかったから、結局は二冊とも定価で買った。amazonに若干のポイントの残っていたことが、せめてもの慰めである。
ところで今日は「もう啓蟄か」と勘違いをしてしまうど、街に人が出た。「まさか、まだだよな」と検索エンジンに頼ったところ、今年の啓蟄は3月5日から20日までと出た。東京の青梅市では、25℃の夏日を観測したらしい。いよいよ冬ともおさらば、なのだろうか。
朝飯 春菊のおひたし、豆腐の玉子とじ、納豆、鮭の昆布巻、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、白菜と人参と若布の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 レタスのサラダ、木須肉、春雨と豚挽き肉の中華風炒め、チャーシュー、チャーハン、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、麦焼酎「むぎっちょ」(お湯割り)
2026.2.22(日) MG50周年記念フェスティバル(2日目)
今日の講演は9時から。一人目はカワイヨシフミさん、次はシミズノブヒロさん、締めは西佳恵先生。
僕は、ほぼどのような集団にも馴染みづらい性格である。その自分に仲間を与えてくれたのはMGである。MGを知り得ていなかったら、自分の世界は現在の100分の1ほどの広さに過ぎなかったと思う。MGに出会えていなかったら利益感度分析もSTRACも知らず、コンピュータをコンピュータらしく使うこともできないまま、今の今まで来てしまったことだろう。MGがなかったら、上澤梅太郎商店は、そして後継者の育成は、どうなっていただろう。MGには、ただ感謝のあるばかりだ。
参加者の、書き終えた感想文を手にした列は、東京プリンスホテルのプロビデンスホールを半周以上もする長さになった。
ホテルの敷地から歩道へ出たばかりにもかかわらず、折良く東京慈恵医科大学病院の方からタクシーが来た。運転手には、飯倉から六本木の交差点を目指すよう言う。東京のタクシーの運転手の、このところの接客態度の良さには驚くばかりだ。
ひとり昼食を済ませて地下鉄日比谷線に乗る。はじめは銀座で降りるつもりであったものの、急に億劫になって、そのまま北千住を目指す。そしてその車内で、14:42発の下り特急の席を、東武鉄道のアプリケーションにて確保する。
帰って着替えて16時50分より店に立つ。環境のめまぐるしく変わった今日ではあったものの、忙しなさは感じなかった。夜は外へ出て、ひとり飲酒喫飯をする。
朝飯 「東京プリンスホテル」の朝のブッフェ
昼飯 「みそめぼれ」の塩おむすび、豆腐と若布と万能葱の味噌汁
晩飯 「和光」のお通しの具だくさん汁、鰹の刺身のたたき風、槍烏賊のマヨネーズ和え、麦焼酎「吉四六」(お湯割り)
2026.2.21(土) MG50周年記念フェスティバル(1日目)
西順一郎先生がマネジメントゲームという画期的な教育を発表をしたのは1976年。その50周年の節目に講演をするよう、先生ご夫妻に依頼を受けたのは昨年夏のことだった。高いところに上がらせていただくような人間では、僕はない。しかし両先生からそれを言われれば、お断りをすることも憚られる。講演への準備については、直近の日記に書いてきた通りだ。会場の東京プリンスホテルには10時に着いた。
参加者は400名。基調講演はもちろん西順一郎先生。次いでチバヒトシさん、ショージカズヨシさん、そして最後は僕。
講演は、その持ち時間の延びることが多い。僕は16時からの予定ではあったけれど、壇に上がったのは16時10分。先生には17時に切り上げるよう言われたものの、そして話そうとしていたことの5分の1はきのうレジュメからバッサリと切り落としていたものの、結局は17時12分まで話し続けることになった。
会場を移しての大交流会は、18時30分から。日程表には20時30分までとあったような気もしたものの、20時がちかくなったところでその場を去り、部屋へ戻って入浴の後、すぐに就寝する。
朝飯 ほぐし塩鮭、納豆、擂り胡麻、梅干、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬のお茶漬け
昼飯 「東京プリンスホテル」のいちごのショートケーキ、コーヒー
晩飯 「東京プリンスホテル」のあれや、これや、それや、他あれこれ、ビール、赤ワイン








































