2026.6.1(月) 空あをあをと
きのう僕を三度たずねて、しかし三度とも話す機会を得られず帰った人がいる。一度目は僕がキャッシュレジスターの前で忙しくしているときに来た。二度目は僕がお客様を蔵見学にご案内しているときに来た。三度目は僕が取引先の社長のお通夜に出かけた後に来た。「連絡をしてから来れば確実に話ができるのに」と不思議に思うものの、そのような人は、実は意外や多い。
長男が学生時代にアルバイトをしていたピザ屋には、毎度、予約をせずに来店し、そのたび入れない人がいたという。「メシ屋へなど、わざわざ予約をして出かけるものではない」という美学の持ち主を、僕はひとり知っている。しかし目的の店に入れなければ、それ以降の時間を無駄にするか、意に沿わない店に転じて意に沿わない食事をすることになる。しかしまぁ、そのような人は、そのような状況を、それほどのこととは感じていないのだろう。
「ちかくまで参りましたのでお寄りしました」とは、日本のビジネスマン、ビジネスウーマンの常套句だ。しかし仕事中の当方にとっては大いなる迷惑、ということもある。いわゆる「アポ無し」は、日本に生産性の低さをもたらしている大きな要因のひとつと考えるけれど、どうだろう。
僕は合理性を好む。そうして絞り出した時間で「何もしないこと」をするのだ。南の国のプールサイドに寝転がって本を読む、とか。
朝飯 なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと大根と小松菜と玉子の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 チーズ、TIO PEPE、グリーンアスパラガスとベーコンのスパゲティ、Chablis Billaud Simon 2018
2026.5.31(日) 日本語における数字のあつかい
縦書きの日本語においては、例外を除いては、数字はすべて、漢数字で書かれていただろうか。活字中毒ではあるものの、そこまで観察をしながら本を読んでいるわけではない。そして横書きの場合には、例外を除いては、数字はすべて、算用数字で書かれるものなのだろうか。そのあたりが、このところはあやふやになっていた。
一汁一菜、一朝一夕とは書いても、1汁1菜、1朝1夕とは、たとえ横書きであっても書かない。だったら「一回目」は、横書きではどう書くべきか。「一回目」、「三大事件」、「五ヶ国首脳会議」などの数字は漢数字にした方が自然な感じがする。しかし「1回だけ」となると、これは算用数字を用いるべし、という気もする。そのあたりについて、僕を納得させる意見を聞いてみたい。
いつの頃からか、建物の階数の表記を、例えば我が家の食堂に関して言えば「四階」と書くようになった。しかし違和感を覚えつつ変換をしていたことは否めない。そして今日になって、今月2日から読み始めた、東北のある出版社の社員によるリレー日記を確かめてみた。その結果、横書きのウェブログにおいて、彼らは階数の表記に算用数字を用いていた。「そうであれば」と、これからはそれを真似ることにする。
そしてしばらくは、もうすこし気をつけながら、文章を読むことにしよう。
朝飯 生玉子、冷や奴、納豆、ちりめんじゃこ、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、小松菜の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 グリーンアスパラガスのソテー、牛丼、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、麦焼酎「むぎっちょ」(お湯割り)、プリン、Old Parr(生)
2026.5.30(土) 雨の降りどき
目を覚ましたのは3時49分。4時になる前に起床する。おとといの日記は、きのう北千住から乗った下り特急の中で完成させておいた。きのうの日記は「何時何分に何をした」の形で半分以上は埋められるから簡単だ。土日月は上澤梅太郎商店が運営する朝食の専門店「汁飯香の店 隠居うわさわ」の厨房に家内は早くから入るため、朝食は自分で準備をする。今朝の炊飯器にはきのうの夜のごはんが残っていたことを幸いとして、お茶漬けで簡単に済ませる。
今回の旅の初日、つまり21日の日記に、朝の街を歩きながら「あー、気持ちいいなー」と思わず声が出たと書いた。しかし現在の日光も、とても気持ちが良い。ほんの少し前までは、寒さに閉じ込められていた。それが今では窓を開け放ち、暖かく乾いた風を存分に、家の中に通せるのだ。
事務机の上の書類はきのう1時間をかけて処理、整理をしたから、浄机とは言えないまでも、だいぶ片付いた。僕の留守中に溜まった事務係からの仕事の依頼は、すべてきのうのうちに済ませた。店は人員がすこし不足気味だったため、お客様が多くなるたび、手伝いに入った。
さて、とても気持ちの良い現在の気候ではあるけれど、梅雨は、いつごろ訪れるだろう。できれば雨は、夜に降って、昼には晴れてもらいたい。
朝飯 納豆、鮭の日光味噌「梅太郎白味噌」と酒粕漬け焼きほぐし、揚げ玉、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、なめこのたまり炊のお茶漬け
昼飯 にゅうめん
晩飯 焼いたブロッコリーを添えた鶏のトマト煮、パン、チーズ、Chablis Billaud Simon 2018
2026.5.29(金) 帰国
眠っているのか、はたまた目を覚ましているのか、そのはざまを行ったり来たりしつつアイマスクを外す。ウインドブレーカーの胸ポケットから取り出したmont-bellの小さな灯りで腕時計を見ると、2時を過ぎたばかりだった。2時間半の、それも中途半端な睡眠では話にならない。外したばかりのアイマスクを引き上げて、ふたたび目をつぶる。
気づくと朝食を運ぶワゴンは僕の席の脇まで来ていた。「チキンソーセージとオムレツの、どちらがよろしいですか」と訊かれて「オムレツ」と答えるも、口に運べたのは果物とヨーグルト、そしてコーヒーのみだった。
羽田からバンコクに飛ぶ深夜便の朝食は、離陸から4時間を過ぎたころに供される。それに対してバンコクから羽田に飛ぶ深夜便の朝食は、離陸からおおむね3時間後に運ばれる。今日の朝食は2時35分に届けられた。「深夜の2時半に朝メシを食えと言われても、それは無理でしょう」とは思うものの、右手のふたりを見れば、揃って付け合わせのカリフラワー以外はすべて平らげていた。
04:30 TG682は、定刻より25分はやい日本時間06:30に羽田国際空港に着陸。以降の時間表記は日本時間とする。
06:43 機外に出る。そして長々と、動く歩道の上を歩いて行く。空は晴れている。駐機場には日本航空機の尾翼が立ち並んでいる。
06:54 入国審査場を通過。
07:03 前回にくらべれば、随分と早く回転台から荷物が出てくる。スーツケースの取っ手に何年かぶりに取り付けられた”Priority”の札が効いているのだろうか。
07:05 税関申告書を通過。
07:16 羽田空港第3ターミナルを京成佐倉行き急行の車両が発車。
海外から戻る日が週末であれば、浅草または北千住から日光方面への特急券は、売り切れている可能性が高い。特急券は座席指定券も兼ねていて、それが無ければ特急には乗ることができない。今回の帰国は金曜日ではあるものの、本日の北千住09:43発の特急券は、日本を出る前に買っておいた。しかし今日の荷物は入国から僅々7分後に出てきた。よって特急券の09:43発を、京浜急行の車内から、スマートフォンを使って08:43発に変更する。
08:18 京成佐倉行きの車両を人形町で日比谷線に乗り換えて北千住に着。駅の構内にて朝食を済ませる。
08:43 特急リバティきぬ109号が北千住を発。
10:12 その車両が下今市に着。野山の緑は日本を留守にしていた8日のあいだに随分と濃くなっていた。
下今市から会社までは徒歩で戻る。店舗駐車場の紅葉の根元が、ドクダミの白い花で埋め尽くされている。この8日間の季節の移り変わりは、いかにも急だったらしい。
四階に上がって荷物整理に1時間。シャワーを浴びて仕事着に着替える。事務室に降りれば机には大量の書類が積み重なっていた。この処理に、また1時間を要する。13時より昼食。14時前に通帳を持って銀行へ行き、売れた土地の代金が振り込まれていることを確かめる。
以降は普段の仕事に復帰して夕刻に到る。夕食の後はすぐに入浴をして、20時30分に寝に就く。
朝飯 TG682の機内食、「ドトール」のハムタマゴサラダ、コーヒー
昼飯 にゅうめん
晩飯 レタスとベビーリーフのサラダ、豚挽き肉と春雨の中華風炒め、白菜とベーコンのクリーム煮、焼売、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、ごぼうのたまり漬、麦焼酎「むぎっちょ」(お湯割り)、エクレア、チーズ、Old Parr(生)
2026.5.28(木) タイ日記(8日目)
疲れるようなことは何もしていないにも関わらず疲れたように感じるのは、きのうのマッサージの揉み返しによるものだろうか。きのうは自分のせいとはいえ寝入りばなをたたき起こされ、以降は眠ったり目を覚ましたりを繰り返した。そのため今朝の起床は6時台と、僕としては甚だ遅くなった。
おとといの日記を「公開」し、きのうの日記に目鼻を付けて外へ出たのは8時過ぎ。上出来のメシ屋には、初日から今日までの8日のうち、休業日の週末を除いて6回も通うこととなった。
9時をすこしまわったころにプールサイドへ上がる。その西側からは、隣のホテルのプールサイドを見おろすことができる。僕のいるホテルよりよほど高級であることは一目瞭然。しかしそのホテルは高い建物に挟まれている。よって部屋からの眺めは期待できないだろう。
その、隣のホテルのスイミングプールを今日もうかがいに行こうとしてプールサイドを行くと、プールの中にいた、人の良さそうな男の人に「タイ人ですか」と声をかけられた。それだけ僕が日焼けをした、ということなのだろう。「日本人です」と答えてから「あなたは」と問うと、フィリピンの人だった。フィリピンの海辺に行きたい気持ちもあるけれど、しかしまぁ、僕はタイの最北部で充分だ。訪問の範囲を広げれば、経験値が逆に薄まることもあるだろう。プールサイドには正午過ぎまでいて、随分と本が読めた。
さて今日は空港へ行く日であれば、荷作りをする必要がある。きのうクリーニング屋から届いた洗濯物は、まるで真空パックのように固く袋詰めがされている。よってそれは、そのままスーツケースに収める。初日にゲートウェイエカマイで買ったラオカーオは3本。1本はバンコクMGの初日に皆で夕食を摂った店の経営者に贈るつもりだったものの、その人とは会えなかった。
日本からは、前回、飲み残したラオカーオを持参したから、購入した3本のうちの2本は手つかず。残る1本も、ほとんど減っていない。それらの中味は、このホテルで空にしたミネラルウォーターのペットボトルに移した。更にはこれまた初日に買った、社員と孫への土産がある。そうして往路にスーツケースに収めたゴム草履は、復路においてはバックパックにはみ出すこととなった。
旅の最終日の行動については、あれこれと考えるところがある。その結果、今日の午後は、ほぼ何もしないことに決める。汗をかきたくないのだ。よってマッサージ屋はホテルはす向かいの、いつものクリーニング屋が兼業しているところを選び、2時間のオイルマッサージを頼む。
マッサージを終えたのは16時5分。徒歩で1分もかからないホテルへ戻り、部屋で最後の細々としたことをする。チェックアウトは16時56分。フロントに荷物を預けたら、これまたちかくのビール酒場へ行く。ビールはそれほど好まない。しかし帰国日に蒸留酒のラオカーオは危険である。ドアも壁も無い、いかにも南の国らしいビヤホールの料理はなかなか悪くなかった。ビール好きには良い店だと思う。
18:26 預けた荷物を受け取ってホテルを出る。
18:33 徒歩で地下鉄MRTのスクムヴィット駅に着。既にしてかなり汗をかいている。
18:36 MRTの車両がスクムビット駅を発。
18:38 その車両がペッブリー駅に着。
MRTのペッブリー駅からエアポートレイルリンクのマッカサン駅までは、空中回廊とでも呼ぶべきスカイウォークを辿って数分の距離にある。空港行きのプラットフォームには、長蛇の列があった。
18:48 最初に来た車両には乗れず。
18:57 次の空港行きがマッカサンを発車。ふたつ目のフアマークで座ることができる。車窓から見える高速道路は、それほど混んでいない。
19:21 スワンナプーム空港着
プラットフォームには、平たく長いベンチがあった。よってここにスーツケースを開き、Tシャツ1枚と、日本を出る時には必ず複数枚を持つプラスティック袋1枚を取り出し、ザックに入れる。
スワンナプーム空港で階を上下するときにはエスカレータが有利と分かっていながら、地下一階のエレベータの前で長々と待つ。
19:40 出発階の四階にて、タイ航空のオネーサンに手伝ってもらいながらチェックインを完了。
19:41 タイ航空のカウンターで荷物預けを完了。スーツケースの重さは11.9キログラム。往路より300グラム重いのは、明らかに、ペットボトルに移し替えたラオカーオによるものだ。
19:48 保安検査場を通過。気に入っているブーツを履いてこないのは、保安検査の際に脱がされるからだ。日本の空港にはスリッパの用意があっても、タイの空港には、そのような気づかいは無い。もっとも世界標準に照らせば、日本人が神経質すぎる、ということになるのだろう。
19:52 出国審査場を通過。この関門を無人化した羽田では、希望をすれば出国と入国のスタンプを押してくれる。しかしこの空港には、その仕組みは無い。寂しい限りだ。
あたりには掃除のオバサンしかいないような物陰にて、汗で濡れたTシャツを、地下一階のプラットフォームでスーツケースから取り出したTシャツに着替える。首に巻いていたインド綿の長いスカーフも、じっとりと湿っている。下着もズボンの胴回りの部分も湿っているものの、こちらについてはいかんともし難い。
夕刻のバンコクは渋滞に閉ざされる。そのためホテルから空港までは徒歩と鉄道で移動をした。しかし今年は僕も齢70になる。「そろそろタクシーか、ホテルが手配するタクシーかなぁ」とも思う。しかしそのためには、より空港にちかいところに滞在をするか、あるいはより早い時間にホテルを発つ必要があるだろう。
20:05 ボーディングカードにあるC6ゲートへ降りる階段は遮断されていた。よってその脇のベンチに落ち着く。
21:25 眠くなってくる。ひとり旅に寝落ちは禁物である。
21:28 乗客を遮断していた横断テープが片づけられたため、C6ゲートへ降りる。
22:10 ファーストクラスおよびボーディングカードの1番グループから搭乗が始まる。
22:20 後方70Hの席に着く。往路とは異なって、ほぼ満席と思われる。
23:00 Boeing777-300ER(77B)を機材とするTG682は、定刻に15分遅れてスワンナプーム国際空港を離陸。
23:25 眠りかけているところに夜食のパンと水が届けられる。
朝飯 「クイジャップアソーク」のカオゲーン
晩飯 “Beer Garden Sukhumvit 19″のヤムヌア、カオパットアメリカン、生ビール、シンハビール
2026.5.27(水) タイ日記(7日目)
「その日の金銭の出納は、その日のうちに記帳しなくては気が済まない。だからたとえ夕食の前に税務署の調査が入っても、何も困ることは無い」と言った先輩がいる。僕の場合には、特別な場合を除いては、きのうの日記に決まりを付けない限り、朝食の準備に取りかかる気がしない。今朝もそうしてひと区切りの付いたところで外へ出る。日課のようにして通っているぶっかけメシ屋も、今朝で5回目の訪問になった。
プールサイドに上がったのは、きのうより遅い9時すぎ。熱帯の朝日を避けられる寝椅子には先客がいた。よって仕方なく、次に日の当たらない寝椅子にバスタオルを敷く。先客の寝椅子からは、スマートフォンが発しているのか、ラップがうるさく聞こえていた。その音が消えたと思って首を上げると、その、顔つきはインド系ながら、膝から下に派手な刺青があったから、インドに住むインド人ではなかろうと感じていた男はいなくなっていた。即、その寝椅子まで歩き、更にはそれを庇の近くまで引き寄せて、自分の場所を確保する。
このホテルのスイミングプールは、最上階の九階から階段を更に上がったところにある。その階段の手前の安楽椅子では毎日、白人のオジーサンが上半身はだかで本を読んでいる。「うらやましい限り」と羨望すれば「オマエだって、同じじゃねえか」と返されるだろうか。しかし僕は、明日には羽田行きの便に乗らなくてはならない身、である。
川本三郎の「荷風の昭和」の前篇は、ことし3月2日にウドンタニーで読み始めた。その全567ページは3月9日にチェンライで読み終え、即、後篇に移った。その後篇の「あとがき」も含めた全590ページを10時53分に読み終える。その余韻にしばらくひたったら、トートバッグから今度は後藤正治の「拗ね者たらん 本田靖春 人と作品」を取り出す。こちらは活字が枯渇したときのための、予備として持って来たものだ。プールサイドからは部屋へは、12時13分に降りた。
それにしても、このホテルのある界隈を僕は気に入った。アソークというバンコク随一の商業街にありながら、窓からは緑も覗うことができ、比較的静かなのだ。次のバンコクMGのときにも、このあたりに滞在したい。しかしホテルは替えても良いのではないか。そう考えて外へ出て、いつものsoi19ではなくsoi15に足を踏み入れる。
ホテル前の道がsoi15に突き当たったとろには、開高健なら「ヴィラ」と書きそうな古い邸宅があった。タイには相続税が無い。だから親が亡くなっても、必要に迫られて土地を売る必要は無い。よってバンコクの中心部には、驚くほど緑が残っている。そのsoi15を南に下って目に付いたホテルのロビーに入り「ここも悪くはねぇな」などと考えたりする。
そこを出て更に南下をすれば、四六時中、クルマの動かない渋滞だらけのスクムヴィット通り。左に折れればロビンソン百貨店、そしてきのう両替をしたターミナル21。その建物に今日も入り、二階のスターバックスでマンゴーとパッションフルーツのスムージーを飲む。暑気は、内側から払うのが、もっとも効果的なのだ。
ホテルへ戻ったら、本と共にラオカーオを満たしたペットボトルをトートバッグに入れて外へ出る。アソークからプロンポンまでは歩ける距離と、バンコクMGの2日目に知ったものの、疲れることを避けてBTSに乗る。そして行きつけのマッサージ屋の、かかりつけのオバサンに2時間のオイルマッサージを頼む。オバサンには背中の右側と腰を、特に強く押してもらった。
さてそのマッサージ屋のある短い小路soi37を奥まで歩き、顔を左右に振ると、ふたつの屋台が目に入る。右の方は超繁盛店。しかし左の方も捨てがたいことは、今年の3月13日に確認済みだ。その屋台で飲酒喫飯を済ませても、時刻はいまだ17時35分。たかだか35分のあいだに、僕はしたたか酔った。
プロンポンからはスクムヴィット通りを西へ歩き、soi23を北上。日曜日も歩いた短い道を抜ければ、目の前はぶっかけメシ屋ちかくの交差点。ホテルへ戻ったら届いている洗濯物を受け取り、ついでに明日のレイトチェックアウトについて訊く。その追加の料金は17時までなら600バーツ、18時までなら1泊分の値段と言われて、17時と決める。
部屋へ戻ると窓の外には、いまだ昼と変わらない空があった。しかし僕の今日は、ここでは終わらなかった。
聞き慣れない音に目を覚まされ、枕元の受話器を取る。相手が何を言っているのか分からず「取りあえず、ロビーへ降りるわ」と返事をする。パジャマのままロビーへ急行すると、男のフロント係は、僕も洗濯を頼んだクリーニング屋の伝票を僕に見せる。側には僕と同じくらいの年齢の、白人の大きな男の人が立っている。そこでピンと気づいた僕は部屋にとって返し、灯りを点ける。使っていない方のベッドの上には、僕の洗濯物を入れたマックスバリューのピンク色の袋と共に、トップスマーケットの赤い袋もあった。ホテルに戻った際に、フロント係がその双方と手渡し、酔っていた僕は、何の不思議も感じず、それらを受け取ってしまっていたのだ。
僕はその赤い袋を白人男性に手渡しながら、その男性とフロント係に丁重に詫びた。それにしても、明日のレイトチェックアウトについて相談をしながら、いくら同時に差し出されたからといって、それを何の疑問を覚えず受け取ってしまうものだろうか。ラオカーオによる酔い、恐るべし。白人男性の寛容さには、大いに助けられた。枕元のiPhoneは、20時34分を示していた。
朝飯 「クイジャップアソーク」のカオゲーン
晩飯 「アダージョホテル」前の屋台のソムタムテン、コームーヤーン、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2026.5.26(火) タイ日記(6日目)
5時に起床して洗面を済ませ、5時10分にコンピュータを開く。鳥の声に気づいてテーブルに置いた腕時計を見ると、時刻は5時16分だった。タイの鳥といえば何と言っても「ホーイッ、ホーイッ」と啼くオニカッコウではあるけれど、今回はなぜか、その声は聞こえてこない。
それはさておきこのホテルでは、7階の部屋まで小さな蟻が上がってくる。宿泊して2、3日目には、サプリメントを入れたピルケースの中にまで、その蟻が入り込んでいた。「安いホテルに泊まるから、そんなことになるんだ」と言われれば、蟻など、それこそ、どこにでもいるのではないか。このホテルが強力かつ大量の殺虫剤を使っていないだけなのではないか。そしてピルケースは、今後は冷蔵庫で保管することとする。
きのうの日記を書き終えたらホテルを出てアソークの大通りに出る。そしていつものぶっかけメシ屋でオカズを選び、朝食とする。
ホテルのプールサイドに上がったのは8時30分。東からの太陽を避けるため、寝椅子を少し、建物の庇の側に寄せる。ここでの本読みは、午前中に行うことが最上かも知れない。プールサイドからは正午に降りた。
さて荷物を嫌う僕は、着替えはよくよく考えて、最低の枚数を持つ。しかしコモトリ君との夕食などの際には、昼間に着たシャツを、真新しいシャツに替える。今回はきのうの食事が予定外に発生したため、シャツが1枚、足りなくなった。今朝、袖を通したのは、きのうの夕刻から夜にかけて着たものだ。残りはすべて、洗濯に出してしまっている。
きのう洗濯屋で手渡された伝票には、17時までにホテルのフロントへ届ける旨が記されている。しかしその時間まで、きのう着たシャツは身につけていたくない。何しろ37℃の気温の中で歩きまわっているのだ。
そういう次第にて午後はsoi19を南に辿ってスクムヴィット通りのターミナル21に脇の入口から入り、ユニクロでめぼしいものを物色する。しかしそれは、今日これから洗濯物の届くまでの数時間だけの用途に過ぎず、日本へ持ち帰ればタンスの肥やしになること明白である。よってシャツを買うことはせず、正面の入口から外へ出ようとして、そこに”Super Rich”の両替所を見つける。
カウンター脇の交換率を見ると、1万円が2,045バーツと、今回バンコクに入ってから最高の値が出ている。よって6名ほどの列に並んで、手持ちの1万円札すべてをタイバーツに換える。余談ではあるけれど、ここの係員による紙幣の確認は厳密を極め、12枚の1万円札を、機械が1回、人は5回も数えなおした。
昼食は、そこからsoi23まで歩き、なかなかの繁盛店、そしてそこそこの有名店にて汁麺を注文する。加齢によるものか、日本では数年前より、ラーメンには食指が伸びなくなった。しかしタイの汁麺は量が少ないため、いまだ食べられるのだ。
ホテルに戻ったのは14時ちょうど。フロントのカウンターには、僕が洗濯物を出したときのピンク色の袋が早くも載せられていた。「助かった」である。
南の国で味わえる楽しみは、プールサイドでの本読みや屋外での食事に加えて、空気調整器による涼しさの中で、寝台に大の字になって休む、というものもある。そうして午後の光で本を読むなどしながら、16時になったところで新しいシャツを身につけ、ズボンを穿き、靴を履いて外へ出る。
昨年のいつごろからか、バンコクの地下鉄MRTは、VISAのタッチ式のカードでも乗れるようになった。よってそれを使ってスクムヴィットからシーロムまで4駅を乗る。駅からスラウォン通りまでは、クラウンプラザやジムトンプソンの本店前を回るよりは、スカイウォークを辿ってシーロム通りから北上した方が近いことを、今日は知った。
きのうも来たマッサージ屋の有馬温泉でタイマッサージ1時間30分の値段を訊くと、2時間の料金とおなじだという。「それじゃぁ、つまらねぇなぁ」と、きのうとおなじ1時間の足マッサージを頼む。今日のオバサンは、きのうとは異なって、大いなる強揉み。今日は耳掃除は頼まなかったから、マッサージの最中は、ずっと本を読むことができた。
今日の夕食はチムジュム。それを食べ終えたら、帰りは地下鉄ではなく、高架鉄道BTSできのうとおなじくナナで降り、スクムヴィット通りを東へ進む。気温は昼より明らかに下がって、心地が良い。ホテルには19時30分に帰着し、20時に就寝する。
朝飯 「クイジャップアソーク」のカオゲーン
昼飯 「アイヤーアロイ」のバミーナム
晩飯 “HAPPY BEER GARDEN”のチムジュム、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2026.5.25(月) タイ日記(5日目)
4時25分にコンピュータを起動して、先ずは長男からのメールに返信を送る。以降は書きかけの、おとといの日記に取りかかる。きのうの日記まで完成をさせると、時刻は7時50分になっていた。
僕は、間食はほとんどしない。海外へ出れば、その傾向は更に強くなる。つまり腹が減っている。初日、2日目と使ったメシ屋を3日ぶりに訪ねべく、外へ出る。街には朝の光が溢れている。いつものぶっかけメシ屋は、まずメシの盛りが良い。おかずは美味い。そして値段は安い。このメシ屋がある限り、来年もバンコクMGの際には、僕は、この界隈のホテルを予約するような気がする。
そのメシ屋へ行きながら、ホテルはす向かいのクリーニング屋が、既にして店を開けていることは確かめておいた。よって部屋へ戻るなり、袋に用意しておいた初日からの洗濯物を提げて、その”Ayothaya Laundry @19″へ向かう。そして店先のオネーサンに声をかける。台秤による洗濯物の重さは1.8キログラム。「アイロンは必要ですか」と問われて「必要ありません」と答えると、オネーサンは複写式の伝票になぜか「1.2×100」と記入し、僕は120バーツを支払った。ちなみにこのクリーニング屋は、半径2キロメートル以内のホテルへならば、無料にて配達をしてくれる。まったく以て、便利な店である。
屋上のプールサイドには、9時30分に上がった。そこには正午までいて、川本三郎著「荷風の昭和」の後篇を読んだり、あるいは泳いだりした。それにしても暑い。タイの最暑期は去ったものと思うけれど、暑さの好きな僕からしても、今日の暑さは格別である。
午後はこれまたホテルから目と鼻の先のフランス総菜屋へ赴き、サラダと飲み物を摂る。昼時を過ぎた店は空いていたため、飲み物を飲み終えてもしばらくは、本を読み続けた。
さて今回の旅の初日に戻ってみれば、僕はサラデーンでの食事を終えると、バンコク在住のコモトリケー君に地下鉄MRTのカードを借りた。よって帰るまでに、これを返す必要がある。
MRTのスクムヴィットからアソークまでは4駅。借りたカードの残高は333バーツ。待ち合わせの18時まで1時間15分の余裕をみたのは、それまでにマッサージを受けるためだ。シーロムやサラデーンでの行きつけは、ベタではあるけど「有馬温泉」である。理由は、ここには耳を綺麗にしてくれるオネーサンがいるから。1時間の足マッサージと耳掃除の代金は600バーツ。マッサージのオバサンと耳掃除のオネーサンには、それぞれ100バーツと50バーツのチップ。
コモトリ君との夕食は、バンコクでもむかしの面影を残すスラウォン通りに面した屋外の店で摂った。二次会は、コモトリ君行きつけの店。MRTに乗るためのVISAカードはホテルに置き忘れてきたため、こちらのカードは持っている高架鉄道BTSシーロム線にサラデーンから乗る。
そのBTSをサイアムで東へ向かうスクムヴィット線に乗り換えたら、アソークのひとつ手前のナナで降りる。そしてスクムヴィット通りを東へ辿る。昼にくらべて気温は下がっている。ナナからアソークまでのひと駅分の距離は、山手線の上野と御徒町のあいだよりは広いかも知れないけれど、いずれにしても、大したものではない。
スクムヴィット通りからsoi19を北へ辿り、ホテルに帰り着いた時刻は21時30分。そして22時に就寝する。
朝飯 「クイジャップアソーク」のカオゲーン
昼飯 “VIVIN”のサラダニソワーズ、ココナツサワースムージー
晩飯 “Shenanigans Irish Sportsbar & Restaurant”のフィッシュアンドチップス、ピッツァマルゲリータ、シンハビール(生)
2026.5.24(日) タイ日記(4日目)
きのうビルを退去すべき18時30分までに決算を終えられなかった人のために、インストラクターのタナカタカシさんは、今朝は7時30分に会場を開けると言った。その会場に近づけば、第3期の決算を懸命にする、初心者の姿が見えた。インストラクターのタナカさんにおいては、東南アジアにマネジメントゲームを根付かせるための、渾身の仕事ぶりである。
さてきのうの僕の第3期は、倒産への下り坂を転がり落ちていくところで終わった。はじめあった300の資本金は、56まで落ちている。本日は何としても、起死回生の手を打たなければならない。幸いきのうの交流会では「マネジメントゲームが絶望的に下手な人に与えた助言」の話をスミタヨシタカさんから聞いた。今日はひとつ、それを試してみようではないか。
そうしてその結果、第4期には助走の時間が必要なことから自己資本は33に落としたものの、第5期にはそれを109まで持ち上げ、次期繰越現金は315円と、借金地獄からも脱出することができた。次の僕のMGは今秋の日光MG、あるいは来春の日光MGになる。そのときには是非、また今回の手法を試してみることにしよう。
僕は、今回のMGにおける「ことがら表彰」には昇り龍と計数力に爪痕を残せたものの、昇り龍は、きのうの交流会でのスミタヨシタカさんからの示唆によるもの、第5期の計数力は、まぁ、偶然だろう。
なおマネジメントゲームには「勝者こそ偉い」という考えはないものの、第6期への備えをした上で、自己資本を高く積み上げた者が表彰をされる。今回の最優秀経営者賞は、第5期到達自己資本453のスミタヨシタカさんが、優秀経営者賞は初心者ながら314まで頑張ったトキタハルヒコさんが、また次点の優秀経営者賞はフクモトカツマサつさんが307で得た。
戦い済んで日が暮れれば打ち上げ。というわけで、今日は参加者11名のうちの8名がちかくの料理屋に集って、楽しく賑やかに歓談をした。
散会の後、その料理屋からsoi23を北上し、soi21へ続く道を辿れば、いつも渡る横断歩道は間近にあった。ホテルに戻ったのは20時すぎ。そして20時30分には就寝をしたように思う。
朝飯 “Best Comfort Bangkok Hotel”のトーストとコーヒー、お粥その一、お粥その二
昼飯 “NIGIRI-TATE”の弁当
晩飯 “Wanakaam”のソムタムタイ、ヤムカイダーオ、ガイトード、ヤムマクーワ、コームーヤーン、ラープムー、他あれこれ、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2026.5.23(土) タイ日記(3日目)
目を覚ましたのは1時台。「よく眠った」という感覚を覚えつつ次に目を覚ましたのは2時台の終わりころ。そして3時台のはじめに起床する。きのうの就寝は多分、20時30分のころだったと思う。つまり睡眠は充分、ということだ。
洗面を済ませたら、きのうのうちに完成させておいた、バンコクでの初日つまりおとといの日記を公開する。それを改めて読み直すことにはiPhoneを使う。コンピュータで書いたものを、おなじコンピュータで読むと、なぜか誤字や脱字に気づきづらいのだ。そうして公開したばかりの日記を修正していく。部屋はビジネス向きには設計されていず、いわゆるデスクは備えていない。照明もそれなりで、キーボードの文字はほとんど見えない。
修正を終えたところで空腹に気づく。しかし部屋には湯沸かしポットが無いため、持参のコンソメスープを飲むことはできない。予約サイトのレビューによればお粗末らしい、このホテルの朝食を待つばかりだ。
7時を回ったところで二階の朝食会場に降りる。入った右手には、目玉焼きをフライパンではなく、天ぷらかフライに用いるような油の中で作っているオニーチャンがひとりいて、彼が朝食全般を仕切っているらしい。部屋の鍵を確認されるなどは、特にされない。
先ずはカップにインスタントコーヒーを溶かし、それをテーブルに運んだら、今度はトースターで食パンを焼く。生野菜のたぐいは無い。粗末といえば粗末ではあるものの、中華粥で仕上げれば、我慢はできる。それはさておき、カップ麺を持ち込んでいる客がいたことには驚いた。
さて本日は第21回バンコクMGの1日目。僕はバンコクMGには、これが始まった2016年より、世界がコロナ禍に覆われた2021年から、その余波の残る2024年までの4年間を除いては、年に1回の参加を欠かさず続けてきた。会場は、2020年まではトンローのsoi10。それが昨年からはバンコク有数のビジネス街であるアソークの、それも真ん真ん中のインターチェンジ21ビルに移された。
ホテルから会場までは、スクムヴィットsoi21、つまりアソークの大通りの日陰を選んで歩く。そこから夜は賑やかなソイカウボーイを抜け、soi23に出て、ビルには裏から入った方が間違いが少ない。今回の研修室は、吹き抜けの天井と大きなガラス窓により、照明を必要としないほどの明るい空間だった。
今回の参加者は、バンコクで働く初心者が5名に、日本からの者が6名の計11名。参加の予定だったものの日本に仕事ができてしまった人は仕方がないとして、飛行機に乗り遅れた2名については慚愧に堪えない。
参加者の各自が自分の会社を持ち、二日間をかけて、盤上に5期分の経営を展開するマネジメントゲームについては、その棋譜とでも呼ぶべきものをここに開陳しても、経験者以外の理解は得られないだろうから、大まかに記す。
その第1期はルール説明をしながらの演習。6名がひとつの市場を形成しての激しい入札の応酬を繰り広げるのは第2期から。その第2期を、経験は長いながらゲームの絶望的に下手な僕としては、損益分岐比率98パーセントで無難に通過した。しかし陥穽は第3期に待ち構えていた。第3期末の損益分岐比率324パーセントは、倒産への下り坂を一気に転がり落ちていく数字である。これほどひどい展開は、初心者だった1990年代以来のものだと思う。
しかしまぁ「それはさておき」である。第3期の決算を終えた人も終えない人も、ビルの退去時間である18時30分にて解散。以降、希望者はアソークから賑やかなスクムビット通りを東へ歩いてプロンポンに到る。そして先に書いた「参加の予定だったものの日本に仕事ができてしまった人」の経営する店での交流会に参加をする。
その店”AT ESAN”には、僕は心底、驚かされた。お店の人たちはすべて清楚で感じが良く、料理はすべて、非常に美味いのだ。来年のバンコクMGの際に機会が得られれば、ぜひオーナーに会ってみたい。
交流会の場所からホテルまでは、タイ人なら決して歩かないだろう距離を徒歩で戻る。いくら鍵を回しても開かない部屋の扉は、フロントへ降りてオジサンを呼び、そのオジサンも苦労をしながら、ようやく開いた。就寝は多分、22時のころだったと思う。
朝飯 “Best Comfort Bangkok Hotel”のトーストとコーヒー、お粥その一、お粥その二
昼飯 “NIGIRI-TATE”の弁当
晩飯 “AT ESAN”の三品盆、サイクロークイサーン、コームーヤーン、パッタイクン、ソムタムタイ、ラープムー、空心菜の天ぷら、ガイトード、他あれこれ、アイスクリーム、ビアリオ、シンハビール








































