トップへ戻る

MENU

お買い物かご

清閑 PERSONAL DIARY

< 古い日記へ  

2026.3.19(木) 早くも夏の

夏の贈答の季節を迎えるころにお客様へお送りする手紙の挨拶文は、3月8日が締め切りと、デザイナーには伝えられていた。その文章が頭に浮かんだのは3月6日。ウドンタニーのホテルのプールサイドで、だった。数ヶ月先の時候のことに触れつつ文章を作るについては、中々に難しいものがある。しかし今回は日本の夏とかわらない暑さの中にいたため、いくらかは楽だったかも知れない。

さて今日はその挨拶を含むお知らせの、お送り先を特定する日と、前から定められていたらしい。しかしそれを、僕は失念していた。思い出させてくれたのは、事務主任のカワタユキさんである。事務机の左手に提げたカレンダーを見てみれば、そのことは確かに、僕の手書きで書き込まれていた。

そういう次第にて、お客様名簿を最新のものに更新した上で、道具一式をトートバッグに入れ、四階の食堂へ上がる。そして小一時間ほどをかけて、結果を出す。事務室に降りたらそれをサーバに上げ、三名の事務係は、それを自分のコンピュータに取り込む。以降は彼女たちの視認により、お送り先は更に精査をされる。

ところで僕は仕事においては、いつまでもおなじ方法を採ることはしない。抽出の正確性は今日の作業を経て、またまた進化をした。ますます精進をしたい。


朝飯 牛蒡と人参のきんぴら、納豆、山芋のすり下ろし、生玉子、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、芋がらと万能葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 「和光」のお通しの独活と油揚げの煮つけ鰹の刺身のたたき風ポテトサラダタン焼き牛すじ肉のカレー煮、麦焼酎「吉四六」(お湯割り)


美味しいおうちごはんのウェブログ集はこちら。

2026.3.18(水) 嬉しい限り

食堂の遮光カーテンを巻き上げたのは5時18分。南東の空は雲と空の重なり合うところが紅く染まりつつあって、思わず「おぉ、綺麗だ」の声が漏れる。美しさが更に増したら屋上でその写真を撮ろうと考える。しかし以降の空は徐々に白茶けて、ただの曇り空になってしまった。

7時30分に朝食を終え、持ち物を整えて、7時40分にホンダフィットにて家を出る。きのうできなかった墓参りには、7時45分より取りかかる。先ずは古い方のお墓で、こちらには江戸時代からの石塔が並んでいる。前回の掃除のときに伏せておいたステンレス製の花立ては七対にて、これを墓石にねじ込み、水を満たし、白菊を活けていく。石塔がいくつあるかは不明ながら、献仏不假香多により線香は6本のみを供える。

手順の合理性を考えつつ、次は叔父と叔母のお墓へ向かう。こちらにも白菊と線香を供え、最後は僕の妹が14歳で病没した際に造った、もっとも新しいお墓の敷地に入る。こちらでは水を含ませ固く絞ったタオルで石塔を拭く。伏せておける形式ではない花立てには雨水が溜まっている。よって線香立てや蝋燭のホヤも含めて水場で洗う。そしてこちらの一対の花立てと線香立てには、それぞれ白菊3本と線香3本を供える。

この一連の仕事を終えると時計の針は50分も進んでいた。意外や時間を食ってしまった。そこから目と鼻の先の道の駅「日光街道ニコニコ本陣」にホンダフィットを回し、これから納めるべき商品を決める。

会社に戻り、商品をホンダフィットに積み、それらを道の駅に納める。そしてその棚出しの最中に開店の9時が来て、正面の口からはお客様が入り始めた。

ところで本日は、月に一度の店休日。毎月のように書いているが、上澤梅太郎商店は、店は休みでも、その裏では経営者も社員も、何かしらのことをしている。本日の社員は三班に別れて、街の諸方の見学へ出かけて行った。一方、隠居には10時より、客席のガラス戸に手を加える工事が入る。それを請け負った面々は、10時ちょうどに現れた。よって彼らを案内して、先ずは隠居の柴折り戸を、次におなじ裏手の大戸を開けて、彼らのトヨタハイエースを招き入れる。

今月の前半はタイへ行っていたため、隠居の庭には半月以上も無沙汰をしていた。その庭の白梅と紅梅は、いままさに満開を迎えていた。座敷の床の間には、菜花を謳った野村素軒の「筑後途上五絶」が掛けられていた。とうとう冬を脱して春になったのだ。嬉しい限り、である。


朝飯 揚げ湯波の甘辛煮、小松菜とベーコンのソテー、牛蒡と人参のきんぴら、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、菠薐草の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 トマトとレタスのサラダパン牛肉とトリッパと根菜類のスープCono Sur Bicicleta Reserva Cabernet Sauvignon 2018


美味しいおうちごはんのウェブログ集はこちら。

2026.3.17(火) 春彼岸

ホンダフィットで会社を出たら、必要な場所をできるだけ合理的に回って会社に戻るべく、その経路をメモにして、フィットの計器板に貼る。しかし、そのメモの通りにあれこれの運ぶ保証は、無い。

タイへ出かける前に準備した釣銭は、きのうの夕刻にて枯渇した。よって朝一番には、種銭を主に5,000円札と1,000円札に両替すべく、銀行へ行く。また、お金の入ってくる銀行からお金の出ていく銀行に資金を移したりもする。

複数の銀行および郵便局から戻ると間もなく、きのう商談の約束をした取引先の社長が顔を見せる。当方はほとんどすべてのことに不案内にて、専門的なことは、社長およびその部下の方にお任せをする。

それにしても、今回の旅に持参した川本三郎著「荷風の昭和」は面白かった。ウドンタニーでの初日に前篇を読み始め、チェンライでの二日目にそれを読み終えると即、後篇に取りかかった。「あとがき」も含めて全590ページの後篇は、バンコクでの最終日に342ページまで読み進んだ。残余の248ページは、日本でひもとくには勿体ない。再来月のバンコクまでは、封印をすることにしよう。

その5月のバンコクには、活字の枯渇による焦燥を避けるため、次の一冊を持つ必要がある。野見山暁治になるか、関川夏央になるか、それとも本棚から自己を主張してくる他のものになるか、とにかく旅の一番の楽しみは、本を読むことに他ならない。

ところで「必要な場所をできるだけ合理的に回って」は結局のところできず、朝から夕刻までのあいだにどれほど会社を出たり入ったりしたか、しまいには分からなくなった。そして今日できなかったお彼岸の墓参りは、明朝に延期をすることとする。


朝飯 揚げ湯波の甘辛煮、牛蒡と人参のきんぴら、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」を薬味にした納豆、菠薐草のおひたし干し海老かけ、蕪と胡瓜のぬか漬け、メシ、万能葱と揚げ玉の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 グリーンアスパラガスと蛸とトマトのサラダパン牛肉とトリッパと根菜類の煮込み、Cono Sur Bicicleta Reserva Cabernet Sauvignon 2018、Chablis Billaud Simon 2018、干し柿、Sang Som(生)


美味しいおうちごはんのウェブログ集はこちら。

2026.3.16(月) 検診

医療の専門集団が来てくれる会社の検診は、今年は3月3日に行われた。しかしその日程は僕の訪タイに重なっていた。よってそれに先立つ2月27日に、その医療施設に一人で行くこととしていた。ところがこともあろうにその前日に熱を出し、だからその予約はキャンセルせざるを得なかった。

予約をし直した日は今日。これ以上を遅らせることはできない。そういう次第にて8時45分にトヨタハイエースにて会社を出る。Googleマップで所要時間45分間と示された宇都宮東病院には、9時25分に着いた。

問診票その他を受付に出すと、係は53番の番号札を手渡してくれた。その番号が呼び出されたら、今度はそれと引き替えにロッカーの鍵を受け取り、普段着を診察着に着替える。

身長、体重、腹囲、視力、聴力の測定、医師による問診と、検診は次々と進む。もっとも苦手とする採血は、数年前より注射器と3本の採血管を繋ぐ管が固いものから柔らかいものになって、随分と恐怖心が軽減された。採血の係にそれを伝えると、採血をする方もまた、器具の進歩によって気が楽になったとのことだった。最後に心電図を取られて、検診は1時間ほどで完了した。

さて今日の販売係は人数が少ない。時間の合理性からすれば、昼食は病院で摂るのがもっとも有利だろう。そう考えて二階の食堂へ行き、日替わり昼食を注文する。

帰社したのは12時15分。13時30分から1時間の販売補助を、販売主任のサイトーミホコさんより頼まれる。17時以降はまた、店であれこれの手伝いをする。

実は昨年も、会社の検診はひとりで受けた。その際の腹囲は前年より7センチメートル細くなっていて、驚いた係は二度、計り直した。今回は逆に前年より7センチメートル太くなっていて、またまた計り直すこととなった。体重は2キログラムが増え、身長は加齢によるものだろう、1センチメートルほど低くなっていた。体脂肪の10.4パーセントが、状態として良いのか良くないのかは分からない。

もっとも楽しみなのは、採血の結果である。LDLコレストロールやγGTPは、今回は、どれくらいの値になっているだろう。


昼飯 宇都宮東病院内「ななつ星食堂」の日替わりランチ
晩飯 トマトサラダパン牛肉とトリッパと根菜類の煮込みCono Sur Bicicleta Reserva Cabernet Sauvignon 2018


美味しいおうちごはんのウェブログ集はこちら。

2026.3.15(日) 次の計画

早朝、南の空に、旧暦1月27日の月が出ている。僕は、夜は飲酒喫飯に専念をして早く寝る。よってその空をしげしげと見ることはない。月に気づくのは大抵、朝になる。

さて今般の旅は「2週間ほどの日程で、ウドンタニーからチェンライへバスで移動をする」という、何年か前に思いついたことを実現させたものだった。バスはウドンタニーを16時54分に発って、チェンライには翌朝の7時20分に着いた。その所要時間は14時間26分。座席は飛行機のエコノミー席のそれより楽だったものの、飛行機なら、席とラバトリーとの行き来に、少なくとも数十メートルは歩くことができる。しかしバスの中では、ほとんど座りっぱなしになる。南の国の常識により空気調整器は20℃ほどの低温に設定され、しまいには膝と足首の痺れる始末だった。

チェンライは中心部にも緑が多く、長く滞在するには良い街だ。しかしウドンタニーにもまた、捨てがたいものがある。「そうであれば」と、飛行機による移動を考えてみた。ウドンタニーとチェンライのあいだに空路は拓かれていない。バンコクを経由してのそれは、以下が考えられる。

ウドンタニー08:40発→スワンナプーム09:50着
スワンナプーム11:35発→チェンライ13:10着

しかしいくら国内線とはいえ、この、スワンナプーム空港での1時間45分の乗り換えには無理がありはしないか。スワンナプーム空港から午後の便を使う手もあるものの、そうすれば貴重な1日が無駄になる。合理性においてはやはり、夜の移動に如くものはないのだ。

今回、バスで最前席を確保したのは失敗だった。運転席と客席を隔てる壁によって「面壁八年」の達磨のような状態を強いられたからだ。次があるとすれば、右列最後尾の窓際を選ぶことにしよう。アウトドア用のヘッドランプがあれば、隣の人に迷惑をかけずに本を読むことができる。しかし荷物を増やすことはしたくない。

今年の9月には、今回の旅をなぞってみようか。日程は、いまだ数日は延ばしたいものの、会社の予定を見てみれば、今回と同じ日数がせいぜいらしい。


朝飯 冷や奴、納豆、生玉子、なめこのたまり炊、ごぼうのたまり漬、メシ、キャベツの味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 ウフマヨネーズベーコンと三種のキノコのスパゲティChablis Billaud Simon 2018エクレア、Old Parr(生)


美味しいおうちごはんのウェブログ集はこちら。

2026.3.14(土) 帰国

00:10 夜食の丸いチョコレートパンと水が配られる。
02:40 ふと気づくと機内が明るくなっている。すこしは眠ることができたらしい。

これまでのタイ航空の深夜便は、上半身は半袖のポロシャツと木綿のセーターとウインドブレーカーだけでは足りず、下半身は機内用の毛布を腰から足首まで巻く必要があったほど寒かった。よって今回は大事を取って、往復とも、Tシャツにユニクロの超極暖ヒートテックタートルネックTを重ね、更にはモンベルのULサーマラップジャケットまで着た。しかしその往復ともに、離陸するまでの機内はひどく暑く、離陸して以降も、それほど気温は下がらなかった。次回の深夜便については、また服装を見直す必要があるだろう。

02:45 機内食が運ばれる。食べ終えれば即、お膳を後方のギャレーに勝手に片づけ、ラバトリーに備えつけの歯磨きセットで歯を磨く
03:12 機は沖縄本島と九州のあいだを飛行中
04:15 ふたたび眠れたらしく、アイマスクを外すと、既にして夜が明けていた

04:25 「あと24分で着陸」のアナウンスが、女性の客室乗務員よりある。
04:37 「左の窓から富士山が見えます」のアナウンスが機長からあっても、僕の席は右列のため、そのような景色は望むべくもない。
04:42 車輪の降ろされる音がする。
04:47 東京湾のアクアラインが見えてくる。
04:51 TG682は定刻より4分はやい日本時間06:51に、羽田国際空港に着陸。以降の時間表記は日本時間とする。

07:05 機外に出る。
07:14 入国審査場を通過。
07:50 回転台からようやくスーツケースが出てくる
07:54 税関検査場を通過。

08:05 京浜急行の印旛日本医大前行きの急行が、羽田空港第3ターミナルを発車。
09:03 人形町で乗り換えた地下鉄日比谷線の車両が北千住に着。

きのう午前、昨秋の日記を参考にして、3月14日の、北千住09:48発の下り特急の座席指定券を買おうとした。ところが土曜日のためか、特急は朝から何本も満席が続き、残席のあるもっとも早い下り特急は11:12発だった。よって今朝の北千住駅では、構内で朝食を済ませると同時におなじフロアのドトールコーヒーに入った。そして既にして完成しているおとといの日記を公開し、更にはきのうの日記のほとんどを書く。

11:12 上記の下り特急が北千住を発
12:40 上記の下り特急が下今市に着。スーツケースを曳いて歩いて帰宅し、以降は四階で荷物の整理をする。きのうスワンナプーム空港で買ったドライドマンゴーを仏壇に供えながら、子ども達がこぞって線香を供えたのだろう、仏壇のそこここに灰の散っていることに気づく。よってそれを濡れ布巾で拭くうち、他のところまで気になって、結局はあちらこちらを清めることになった。お彼岸がちかいことを考えれば、却って手間が省けて良かった。

チェンライで買った社員への土産は、タイムカードの近くにお盆に載せて置いた。以降は事務机に溜まった書類を片づけつつ夕刻に到る。17時からは販売係のササキセーラさんを手伝って、店に立つ。

さて今回の旅は出発の4日前より体調を崩し、38℃以上の熱を出して、一時はどうなることかと思った。しかし出発日には何とか回復し、現地では日本の夏とおなじ気温の下で元気を取り戻した。連日のマッサージも、健康には寄与したことだろう。次は5月。田舎が好きな僕ではあるけれど、首都に8日間の居続けである。


朝飯 TG682の機内食「吉野家」の牛丼、味噌汁、おしんこ、生玉子
晩飯 カレー南蛮鍋、なめこのたまり炊、ごぼうのたまり漬、麦焼酎「むぎっちょ」(お湯割り)、イチゴのジャムを添えたロールケーキ、Old Parr(生)


美味しいおうちごはんのウェブログ集はこちら。

2026.3.13(金) タイ日記(12日目)

気がつくと、30℃に設定した空気調整器は止められていた。しっかりとパジャマを着ている。寝台の下にはスーツケースから出したのだろう、ゴム草履が並べられている。iPhoneは長い方のコードで枕元のコンセントに繋がれている。きのうの記憶は、ホテルちかくの道でクルマの運転手に声をかけられ、目を覚ましたところでプッツリと途切れている。しかしフロントの係に部屋の番号を告げ、鍵を受け取り、部屋に戻り、シャワーを浴びてと、一応は身のまわりを整えたらしい。

さて朝食は、どうしよう。ちなみにこの、スクムビット通りの北側にあるホテルは食堂を備えていない。外へ出て、一旦はプロンポンの駅を歩道橋のようにして北側へ渡り、結局は南側に戻って弁当を買う。それを部屋へ持ち帰って、窓際のカウンターのような机で食べる。

ホテルのチェックアウトは正午だろう。それまでにきのうの日記を完成させ、荷作りを終える。そして正午のすこし前にホテルを去る。スーツケースとバックパックはフロントに預けた。

きのうフロントのオネーサンにレイトチェックアウトの相談をしたろころ「18時までの延長であれば、もう一泊分の料金が必要になります」と言われ、それもつまらないため、断った経緯があった。今夜のフライトは23時15分発。その2時間前に空港へ行くとすれば、21時15分。市の中心部から空港までの公共交通機関を使っての所要時間は1時間。つまり街を20時に出ても、飛行機には間に合う。だったらそれまで何をして時間を調整すべきか。

ふとスラウォン通りのマッサージ屋のことが頭に浮かんで、プロンポンから高架鉄道BTSに乗る。そのスクムビット線をサイアムでシーロム線に乗り換えてサラデーンで降りる。昼のBTSの運行は頻繁ではなく、移動には結構な時間を要してしまった。

バンコクで羽化登仙を味わいたければ、マッサージ屋の有馬温泉で足マッサージと同時に耳そうじを頼むべし。足マッサージ1時間の料金は250バーツ。おおむね30分で終わる耳そうじの料金は350バーツ。チップはオバサンとオネーサンに、それぞれの100バーツと50バーツを渡した。

スラウォン通りはむかしの風情を残していて、バンコクでも好きなところのひとつだ。その通り沿いの喫茶店で冷たいものでも飲もうとしたものの、きのうのマッサージ屋には15時に予約を入れてある。それに遅れてはいけないため、ふたたびサラデーンからBTSに乗る。駅に直結のドンキホーテでは抹茶のセールス中で、399バーツの茶筅を山ほど売っていたのには驚いた。

今度は乗り換えが上手く運んで、プロンポンには14時30分に着いてしまった。よってマッサージ屋ちかくの洒落たカフェ”SARNIES”にて、ブラウンバターラテなるものを飲みつつ本を読む。客のほとんどは白人と、小金のありそうなタイ人ばかりだ。ラテの料金は税込で188バーツ。邦貨にして千円は、コンピュータを使った作業や商談ための場所代と考えるべきだろう

“MIE”のオイルマッサージ2時間の料金は900バーツ。オバサンには200バーツのチップ。とはいえこの店では2時間を頼んでも、大抵は1時間30分ほどで終了が告げられる。ウドンタニーやチェンライの行きつけとは大違いである。

昨秋は目と鼻の先の「soi39の屋台」で満足すべき夕食を摂った。しかしきのうはホテルの前に、別の屋台ができてることを知った。そうであれば、今回はこちらを使ってみよう

きのうの夕刻にルンピニーへ行こうとしながら、この屋台の客が、細麺を炒めた、僕の好きなひと皿をテーブルに並べているところを見た。だから僕もそれを頼もうとしたものの、料理の名は知らない。「細麺の炒めたの」と注文しても、店の男の人は「無い」の一点張りだ。「しまった、きのう、その未知の人に料理名を訊いておくべきだった」と後悔しても、当然のことながら、もう間に合わない。

取りあえずはシンハビールと海鮮サラダを注文する。2本目のビールと共に、今度は豚の首肉の炙り焼きを追加する。それにしても、この店の炙り焼きは、これまで食べたどこのものよりも美味かった。出色の出来である。5月には裏を返すことにしよう。料理ふた品とビール2本の代金は410バーツだった

18:10 夕食を完了。
18:18 ホテルに預けた荷物を受け取り、外へ出る
18:25 BTSの車両がプロンポンを発。
18:50 エアポートレイルリンクの車両がパヤタイを発。

エアポートレイルリンクと時に併走する高速道路は、ラックラバン付近で上りの路線がひどく渋滞をしている。

19:22 エアポートレイルリンクの車両が空港に着。プロンポンからの所要時間は57分。つまり空港とプロンポンのあいだは2回の乗り換えを要しても、今回の往路の方が9分だけ速かった、ということになる。しかしエアポートレイルリンクで確実に座りたければ、今回のように、始発のパヤタイから乗るべきだろう。

19:35 自動チェックイン機の前には係が必ずいるので、彼らを使わない手は無いそして荷物預けも完了。スーツケースの重さは9.2Kgだった。
19:51 保安検査場を通過。
19:54 出国審査場を通過

チェックインが早すぎたか、搭乗券に搭乗口は印刷されていなかった。よってちかくの電光掲示板にて、それがS119であることを確かめる

20:04 サテライトターミナルへのシャトルトレインが発車。
20:05 その車両がサテライトターミナルに着。
20:13 楽天のゴールドカードを持っていれば誰でも使うことのできるミラクルラウンジに入る。制限時間は2時間とのことを、係のオネーサンに告げられる。ラウンジでは主に、本を読んで過ごした。
22:02 シャワーを浴び、新しいTシャツに着替えてラウンジを去る。
22:17 S119ゲートに達する

ここでTシャツにユニクロの超極暖ヒートテックタートルネックTを重ね、更にモンベルのULサーマラップジャケットを着る。また、財布のタイバーツと封筒の日本円を入れ替える。

22:49 「搭乗まで15分」のアナウンスが流れる。「搭乗まで15分」にもかかわらず、アナウンスと同時に人が並ぶのはなぜだろう。そのまま座っていた方が楽ではないのか。
22:56 子ども連れとロイヤルシルククラスに続いてエコノミー席の搭乗が始まる
23:08 右列最後尾72Jの席に着く。往路のときとおなじく機内は暑く、頭の汗を手ぬぐいで何度も拭く。
23:35 プルバックが始まる。
23:48 Boeing777-300er(77B)を機材とするTG682は、定刻から32分おくれでスワンナプーム国際空港を離陸。


朝飯 ポロンポン駅北側直下の屋台の弁当
晩飯 アダージョホテル前の屋台のヤムタレーコームーヤーンシンハビールスワンナプーム空港ミラクルラウンジのチキンミートボールと椎茸のクリーム煮をかけたごはん


美味しいおうちごはんのウェブログ集はこちら。

2026.3.12(木) タイ日記(11日目)

目を覚ましたのは2時30分。次いで3時15分。3時45分に起床して顔を洗い、口をゆすぐ。と、ここまで書いて「口をゆすぐ」よりは、正確を期して「水で口をゆすぐ」と書いた方が良いのだろうかと考える。とすれば、顔についても「水で顔を洗う」と書かなければならない。しかしそれは、ちとしつこい気もする。そして「そうせき」と入力して変換ボタンを押す。「漱石」にはサンズイが付いている。「だったら水は省いても構わないのか」と、ふたたび考える。と、こういうことを書いているから、僕の日記は長くなるのだ。

時刻は6時15分。外ではオニカッコウは無論のこと、種類の知れない南国の鳥も啼き始めた。よって机のすぐ右のカーテンを開けるも、外はいまだ暗い。

きのうの日記はきのうのうちに書き上げてある。その前に、既にして完成している一昨日の日記を公開する。その他、コンピュータによるあれこれをこなして7時25分にロビーに降りる。今日の朝食券を求めると「エイトサーティ、ナ」と、きのうタクシーの手配を頼んだ、その女の人がフロントのカウンター越しに、僕に声をかける。「ありがとう、ありがとう」と、僕は”Thank you”を二度、繰り返す。

今日の昼食の時間は確保できない可能性もある。よって朝食は30分ほどをかけて、充分に摂っておく。きのうの白人は、今朝も、大きな水中眼鏡をかけて、食堂の脇のプールを往復していた。

08:18 すべての荷物を持って部屋を出る。三階の階段の上には、客に顔を合わせると、その都度、胸の前で手を合わせて頭を下げ、しかし言葉は曖昧に発するメガネのオニーチャンがいた。そのオニーチャンにスーツケースを運ぶよう身振りで促す。そしてロビーにて、そのオニーチャンに無理やり20バーツ札を握らせる。

8:22 内も外も磨き抜かれたマツダ車にてホテルを出る。運転手は至極、折り目正しい

その車が走り出していくらも経たないころ、ズボンの左ポケットに何かの入っている感触を覚える。それを取り出し見ると、ホテルのカードキーだった。

08:40 メイファールンチェンライ国際空港に着。トランクルームからスーツケースを降ろし、釣銭が必要ならそれを取り出そうと、ボディバッグのジップに手を欠けている運転手に100バーツ札3枚を手渡し、お釣りは要らないと言葉を添える。またホテルのカードキーを差し出して「申し訳ないことながら、これはホテルに戻して欲しい」と頼む。運転手はすこし驚いた顔をしてから、慇懃に頭を下げた。

08:45 既に受け入れを始めていたタイ航空のカウンターでチェックインを完了
08:47 その左横のX線装置のベルトコンベアに自らスーツケースを載せて、荷物預けを完了。
08:50 制限区域内に入る
08:52 保安検査場を通過。
08:53 2番ゲートに入る。

おととしの秋には、ここからバンコクへの便が機材不良にて4時間も遅れた。その際に使ったラウンジのwifiが自然とiPhoneに繋がったため、メッセンジャーを使って日本と少々のやり取りをする

09:58 搭乗開始
10:06 右列最後尾窓際の54Kの席に着く
10:25 プルバックを開始。
10:35 Airbus A320-200(32X/3206)を機材とするTG131は、定刻に20分おくれてメイファールンチェンライ国際空港を離陸。

飛行機の窓から見おろすチェンライの街は美しい。コック川のほとりに建つホテル”The Riverie by Katathani”、また遠い山の中腹に鎮座する白い大仏は、いつも容易に見つけることができる。しかしこの数日を過ごしたホテル近くの寺ワットジェットヨットは、中心部の屋並みに紛れて、よく分からなかった。

今日のTG131は、ほぼ満席。配られた軽食のスプーンを、手を滑らせてシートと壁のあいだに落とし、しかしどう手探りしても拾えないため、客室乗務員に代わりをもらう。

11:40 青い空に屹立する積乱雲は、いつまでも見飽きない。
11:53 車輪の降ろされる音がする。
11:55 TG131は定刻に1分だけ早く、スワンナプーム国際空港に着陸。
12:16 機外に出る。
12:18 沖まで迎えに来たバスに乗る。

12:25 空港の建物内に入る。
12:33 早くも回転台にスーツケースが出てくる
12:37 到着階の二階からエスカレーターで地下一階に降りる。
12:46 空港と市内を結ぶエアポートレイルリンクの車両が空港駅を発。ちなみにこの路線には、数ヶ月前よりVISAのタッチカードで乗れるようになった。

空港からホテルのあるプロンポンまでの、鉄道を使った経路は悩ましい。乗り換えを1回に留めようとすれば、遠回りになる。近道をしようとすれば、乗り換えが2回になる。その料金と所要時間を比べたことはないものの、今日は乗り換え2回の、通過する駅の少ない方を選ぶ。

エアポートレイルリンクをマッカサンで降りて、地下鉄MRTのペチャブリーを目指してスカイウォークを往く。首都の天気は雨。傘は持参していない。地下鉄MRTのスクムヴィットからは、高架鉄道BTSのアソークまで地下道を歩く。

13:34 そのBTSの車両がプロンポンに着。本日の空港からの所要時間は48分だった。そして幸いなことに、雨は上がっていた
13:38 水たまりを避けつつスーツケースを曳き、ホテルにチェックインする。部屋に入れるのは15時からとのことで、荷物を預けて外へ出る。
13:52 LINEにて14時に予約をしておいたマッサージ屋”MIE”に入り、足の角質削りと1時間30分のオイルマッサージを組み合わせたコースを頼む。

15:45 ホテルにチェックインを果たす。「五階まではエレベータ、その先は階段を上がって欲しい」とフロントのオネーサンに言われた部屋のドアを開けた途端「おー」と声が漏れる。想像以上に広く、想像以上に明るく、想像以上にモダンでバスルームにはバスタブまで備わっていた。宿泊料の1,960バーツは、チェックインの際に現金で支払った。

さて、明日はこの国を去る日であれば、中々に忙しいだろう。そう考えてこの日記のここまでを書き、17時17分にホテルを出る。

ホテルとプロンポンの駅は指呼の距離にある。来た道を戻るようにしてBTSでアソークへ行く。今やもう慣れた経路を辿ってMRTのスクムヴィットからルンピニーまで三駅を地下鉄に乗る。

ルンピニーの、英文では”Ngam Duphli Alley”とある、どう発音すべきか不明の通りは、1982年にも歩いたし、また2023年の春にはここに建つホテルに泊まったから、土地勘はある。

バンコク在住の同級生コモトリケー君は、路地の奥のイタリア料理屋に、既にして来ていた。そして上出来のあれこれにて相当の量の赤ワインを飲み、コモトリ君がGrabで手配してクルマにて、ホテルのある、まるで広場のような通りに戻る。以降のことは、まったく覚えていない。


朝飯 “BLUE LAGOON HOTEL”の朝のブッフェの紅茶トースト目玉焼きを添えたサラダお粥カプチーノ
昼飯 TG131の機内スナックのココナツのお菓子、コーヒー
晩飯 “Rido”の其の一其の二其の三其の四其の五、カラフの赤ワイン


美味しいおうちごはんのウェブログ集はこちら。

2026.3.11(水) タイ日記(10日目)

深更0時すぎに、雷と強風を伴う強い雨があった。一時はとうなることかと心配をしたものの、夜が明けてから窓の外を眺めてみれば、となりの空き地には地面の乾いたところも見えたから、安心をした。

7時30分より食堂で朝食を摂り、8時を過ぎたところで一昨日からの衣類をプラスティック袋に入れ、一昨日も使ったコインランドリーへ行く。洗剤の自動販売機、洗濯機、乾燥機の扱いも、今日はもう、慣れたものである。その乾燥機の回っているあいだに、部屋できのうの日記を書き始める。乾いた衣類はおとといとおなじくその場で畳み、部屋に戻ったら即、圧縮袋に入れた。

その後はコンピュータを1階のロビーに降ろし、11時15分に、きのうの日記を完成させる。二日つづけて朝食を軽くした。その結果でもないだろうけれど、今日は昨日の昼どきより腹が減った。

きのう自転車で街を逍遥しつつあるとき、清楚な女の子の働く店を、チェットヨット通りに見た。そういう女の子の働く店に外れはないと踏んで、ワンカムホテルの裏手に自転車を駐める。その店の目玉焼きとベーコンのサンドイッチは確かに、特にパンが美味かった。代金は、タイのミルクティーと共で199バーツだった

そのあたりは大昔から白人の群れ集まるところにて、自転車をそのままにして、しばし散策をする。そして今夜の飲酒の場所を見定めて後、遠回りをしながら12時40分にホテルへ戻る

プールサイドには12時55分に降りた。そして15時15分に設定したiPhoneのアラームに促されて本を閉じ、庭の寝椅子を去る。部屋に戻る途中でロビーに寄り、明朝8時30分のタクシーを予約する。代金の250バーツは、運転手に渡してくれとのことだった。

シャワーを浴びて身のまわりを整理するうち15時50分。必要なもの、すなわち読みさしの本などをセブンイレブンのエコバッグに入れ、自転車なら数十秒で達するマッサージ屋”PAI”の駐輪場に自転車を繋ぐ。

窓から僕の姿が見えていたか、女将に足を洗ってもらって着いた安楽椅子には、既にして熱いお茶が用意してあった。受けた足マッサージは1時間。女将には100バーツのチップ。

そこからジェットヨット通りの”Nice Rental”に自転車を戻して、預け金の1,000バーツを返してもらう。そのまま北に歩き続けて、今夜の飲酒喫飯の店を探す。昼に目をつけておいた店の、店頭に開いたメニュのラザニアには惹かれたものの、一方、おとといの日記に書いた”Surf & Turf”の跡地のイタリア料理屋には”Pizza&Pasta by Hungry Nest”の看板があった。「そうであれば」と、この店の外の席に着く。

ワインを置いた店では常に、グラスにすべきかカラフにすべきかボトルにすべきかで悩む。そして結局は、赤と白のワインをそれぞれグラスで注文する。席に運ばれたワインは特に、赤が良い感じだった。スパゲティプッタネスカは熱く、添えられたチーズの質も良く、頼まなくても塩と黒胡椒のミルを持って来てくれたところにも好感が持てた。そして、すべてを食べ終えても時刻はいまだ17時52分だった。

徒歩でホテルに戻ったら、明日の朝は忙しいだろうから、今日の日記のあらかたを書く。荷作りもする。今日のシャワーは一日を通して水しか出ない。そして20時32分に寝に就く。


朝飯 “BLUE LAGOON HOTEL”の朝のブッフェの紅茶お粥
昼飯 “The Hungry Nest”のベーコンと目玉焼きのサンドイッチタイのミルクティー
晩飯 “Pizza&Pasta by Hungry Nest”のスパゲティプッタネスカ赤と白のグラスワイン


美味しいおうちごはんのウェブログ集はこちら。

2026.3.10(火) タイ日記(9日目)

目を覚ましたのは1時32分。次は5時12分。起床は5時58分。6時15分より夜が明けてくる。

「ホーイッ、ホーイッ」と啼くタイの鳥はオニカッコウという種類らしい。この鳥は夜中にも啼く。しかし雀などの小さな鳥は、日本と同じく、夜明けと共に啼き始める。チェンライの良さは、街なかに緑の多いこと。鳥が賑やかに啼くことも、また朝のひとときを良い気分にしてくれる。

13時20分にようよう前日の日記を書き終えた、きのうの轍は踏みたくない。上はパジャマ用のTシャツ、下はバスタオルを巻き付けた姿から、ユニクロのTシャツと、これまたユニクロのゆるいズボンという普段着に着替えてロビーへ降りる。そして今日の食券を受け取って食堂へ行く。

いまだ肌寒い朝のプールに泳ぐ人の姿がある。もちろん白人である。昼どきになっても空腹を覚えない、これまたきのうの轍は踏みたくない。今朝は紅茶とお粥を摂るのみにて、食堂を去る。

8時37分にロビーに降りて、きのうとおなじ場所できのうの日記を書く。水の落ちる音に気づいて外へ出てみる。雨が降っている。玄関のマットを敷き直している女の子に「雨だね」と、声をかけてみる。「はい、雨です」と、女の子は驚いたように、しかし笑顔を向けてくれた。

コンピュータを開いたテーブルに戻って”CHIANG RAI WEATHER 24H”と検索エンジンに入れてみる。雨は正午には上がるとそこにはあったから、ひと安心をする。雨が降っては、僕が南の国で楽しみにしているほとんどは、封殺をされるからだ。

きのうの日記は9時55分に書き終えた。雨であれば、今日の日記のここまでも、また書いてしまう。時刻は10時15分。きのうにくらべれば、大余裕の時間運びである。

朝食を調整したこともあって、今日は昼を前にして腹が空いてきた。雨も幸い上がった。よって正午過ぎに、街へ自転車をこぎ出す。気温は、半袖のTシャツ1枚では涼しすぎるほどに低い。

これまで数え切れないほど通った汁麺屋は、驚くことに、向かって左半分がマッサージ屋になっていた。汁麺のメニュは、トッピングを選べるカオソイ、それにナムニャオのみになっていた。カオソイもナムニャオもタイの北部を代表する麺で、チェンライには名店の誉れ高い店もあるけれど、僕にはこの店のそれで充分だ。汁麺の代金は50バーツだった。

帰りがけに隣のマッサージ屋がドアに貼った料金表を見てみれば、足マッサージが30分間で180バーツ、頭と背中と肩のマッサージが30分間で200バーツとあった。この法外ともいえる料金に、果たして入る客はいるだろうか。

ウドンタニーではいつまでも見つけられないでいる貸し自転車が、この街にはいくらでもある。だから機動力を得ることができる。ジェットヨット通りから金色の時計台の前に出て、そこから北へ延びる道に入る。しばらく進んだ右手に、目指す酒屋は、ある。

ところで僕は先週水曜日の日記に「タイの、タバコや酒に関する規制は日本のそれよりよほど厳しい。日中に酒を買うことのできる時間帯は、11時から14時に限られる」と書いた。しかしこれは誤りにて、タイではしばらく前よりその規制が緩み、酒を買うことのできる時間は11時から深夜0時までとなった。しかし「タイの法律など、いずれすぐに変わるに違いない」と高を括って、記憶に留めることをしなかったのだ。

僕の最も好むラーカーオは”BANGYIKHAN”。料金は、おなじ店で昨年の2月に買った1本185バーツよりなぜか安い180バーツだった

ところで東京の古い飲食店は、僕が三十代のころまでは焼酎を置かないところが多かった。「あんなものは車夫馬丁の飲むもの」との差別感からである。タイの伝統的な米焼酎「ラオカーオ」も、同じ地位にある。しかしタイも酒についての文化が向上すれば、ラオカーオはかならず、正当な評価を得るに到るだろう。

部屋には意外や早く、12時55分に戻った。「一寸の光陰、軽んずべからず」とばかりに、日本から持ち来た1枚、それに数日前に買った2枚の計3枚の絵はがきに、ボールペンで文を書く。開け放った窓の外には、大した眺めでもないけれど、熱帯の大木の緑、そして鳥の声がある

そうしてまたまた外へ出て自転車を漕ぎ、昨年の2月に見つけた郵便局へ行く。”LANNA POST OFFICE”とは、洒落た名前である。日本までのエアメールの代金は、昨年その価格の高騰ぶりに驚いた1枚あたり60バーツ。3枚なら180バーツでラオカーオ1本とおなじ値段なのだから、日本の常識に照らしても、あるいはタイの物価に照らせば相当に高い

13時55分にホテルに戻って以降は、プールサイドで本を読む。朝の雨のせいで涼しければ、泳ぐことはしなかった。そして16時より目と鼻の先のマッサージ屋”PAI”へ出かけ、1時間の足マッサージを受ける。代金は200バーツ。オバサンには50バーツのチップ。

足マッサージの利点は、それを受けながら本の読めるところだ。マッサージの後は、乗りつけた自転車を夕刻の街に走らせて、今日はどこにしようかと迷いつつ、結局は慣れた店へ行く。

席に着くやいなや「ソーダですか」と、オニーチャンが訊いてきたのには参った。メニュも見ずに豚挽き肉の玉子焼きを注文する。しかし席に運ばれたそれは、鹹玉子と豚の挽き肉を炒めたものだった。これでは酒の肴にしても、いかにも塩辛すぎる。結局は先日に引き続き、お椀に2杯のメシを平らげることになった。

さて旅の残りの日も少なくなれば、社員に土産を買う必要がある。よってナイトバザールのちかくに自転車を駐める。おととしまとまった買い物をしたところ、予期せずおまけをしてくれたオジサンが今年も店を出していることは、きのうのうちに確かめておいた。そして今回も、そのオジサンからあれやこれやを買う。オジサンはおととしよりも多い、2割5分ほどの値引きをしてくれた。おなじ品が首都の空港では”SPECIAL PRICE”などと、いかにも安そうな値札を付けて、その実、このオジサンの店の三倍ほどで売っているのだから、断腸亭の言葉を借りれば「笑ふべし」である。

部屋には18時25分に戻った。そしてSNSに画像と説明を上げ、また返信を付けるなどする。夜の空を飛んでいくのは、18:55発のバンコク行きタイ航空機だろうか。そして19時30分に寝に就く。


朝飯 “BLUE LAGOON HOTEL”の朝のブッフェの紅茶お粥
昼飯 「カオソイポーチャイ」のバミーナムニャオ
晩飯 「ジャルーンチャイ」のカイジャオムーサップカオスアイラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


美味しいおうちごはんのウェブログ集はこちら。

< 古い日記へ  

上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

2026

2025

2024

2023

2022

2021

2020

2019

2018

2017

2016

2015

2014

2013

2012

2011

2010

2009

2008

2007

2006

2005

2004

2003

2002

2001

2000

蔵見学