2025.9.16(火) 保冷剤
屋上へ上がって明け方の空を眺める。東の中天にあるのは明けの明星。天頂には旧暦7月26日の月がある。そのちかくの明るい星は何だろう。そのようなことを天文の好きな人に訊ねると、嬉々として一時間もしゃべり続け、分からないことが余計に分からなくなるから、そのようなことは決してしないよう、みずからに戒めている。
屋上から4階の食堂に戻り、丸いテーブルに開いたままのコンピュータで、あれやこれやをふたたび始める。僕には決まった休日が無い。僕にとっての休日は、明け方から朝食までの、数時間の集積なのだと思う。
5時45分を過ぎると、南東に面した窓の縁から朝日が差しはじめて顔を直射する。よって窓は開け放ったまま、カーテンを降ろす。直下の国道121号線からは、行き交うクルマの音が間断なく、しかしうるさいほどでもなく届き続けている。
会社の電子会議室に上がった情報によれば、昨年は9月21日が、日光における最後の夏日だったという。上澤梅太郎商店は、夏日のあいだはお客様のお買い上げ品に保冷剤をお付けする。その夏日が、今年はお彼岸より先まで続くのではないか。とすれば、保冷剤の現在の在庫は少しく心配という意見もまた、会議室の発言には添えられていた。
そういう次第にて、来夏まで持ち越すことが明白な量の保冷剤を、午前中に発注する。保冷剤は、早くも明後日には届けられるらしい。
朝飯 茄子の揚げびたし、目玉焼き、モロヘイヤのたたき、刻みオクラの鰹節かけ、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と若布と揚げ湯波の味噌汁
昼飯 茄子の揚げ出しと擂り胡麻のつゆで食べる素麺
晩飯 塩キャベツ、鶏肉と鶏レヴァの唐揚げ、玉子焼き、薩摩芋の甘煮、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、Old Parr(ソーダ割り)
2025.9.15(月) しその実
きのうは店がとても賑わった上に不定期の業務もあって、かなり忙しかったという。
四半世紀ほども前までは、9月は静かな月だった。それがそうでなくなったのは、祝日法の改正いわゆるハッピーマンデー制度によるところが大きいように感じる。そして来年の9月に到っては、シルバーウイークが土曜日も含めれば五連休になる。観光地の混雑、道路の混雑、鉄道の混雑、航空券の高騰は、いかほどになるだろう。
列島の各地区によって祝日の日程を変えてはどうかと提案をしたのは、星野リゾートの社長だったと記憶をする。先週金曜日の日記ではないけれど「細分化して、ずらす」ことにより、いろいろなことが円滑に流れ始めるという「科学」は、確かにあるのだ。しかし国民の祝日ともなれば、場所によりそれをずらすことは、国にとっては「できない相談」かも知れない。
それはさておき、今年は「しその実」の集まりが早い。しその実は稲とは異なって、脱穀機は使えない。人の指を使ってしか、茎から実を外すことはできない。それを飽かず日がな行って、3キロ、5キロ、10キロと農家の方々は持って来てくださる。しその実は、放置をすると熱を持って黒変する。だからできるだけはやく水で洗って塩と混ぜる必要がある。
上澤梅太郎商店の、しその実を用いた商品は「しその実のたまり漬」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、そして「ホロホロふりかけ」の三種類だ。つまり「しその実」が枯渇すれば、これらの商品を作ることはできない。今年も沢山の「しその実」が塩蔵できれば嬉しい。
朝飯 刻みオクラの胡麻和え、生玉子、納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と若布と揚げ湯波の味噌汁
昼飯 納豆と玉葱のつゆで食べる素麺
晩飯 “THE FLYING-GARDEN”のフレッシュマッシュルームサラダ、トマトと野菜の煮込みハンバーグ、カラフの赤ワイン
2025.9.14(日) 行ったり来たり
オフクロの妹の訃報をオフクロの弟から知らされたのは11日。お通夜は15日、告別式は16日とのことだった。
オフクロの妹は、オフクロの、木更津にある実家を嗣いでいた。僕が子供のころは、夏休みの数週間をその家で過ごし、遠浅の海で遊んだ。だからオフクロの妹についても、思い出は尽きない。僕の妹が中学1年と2年の春休みに病を得て千葉大学病院に入院をしたときには、木更津から毎朝、見舞いに来てくれたという。だから「忙しさは分かっているから来るに及ばず」とオフクロの弟は言ってくれたものの「あぁ、そうですか」というわけにはいかない。
現在はしその実と茗荷の買い入れ中であり、また15日は会社の人手が少ない。16日になると、長男は新宿高島屋の11階で17日から23日まで催される「美味コレクション・グルメフェス」へ出発をする。よってお悔やみには本日に行くこととして、下今市07:02発の上り特急に乗る。
僕は鉄道は、日光鬼怒川と浅草を結ぶ東武線、および東京の中心部にあるそれしか乗り慣れていない。スマートフォンの乗り換え案内と首っ引きで曳舟、錦糸町と移動をして、09:03発のJR総武線快速の君津行きに乗る。ふたたび子供のころに戻れば、内房線の窓外には白砂青松の浜があった。今は埋め立て地に工場、線路際には家の建ち並ぶばかりだ。木更津には10時18分に着いた。
駅ちかくのホールには故人の長男夫婦が待っていてくれた。そして霊安室に寝かされていた叔母に線香を供え、深く頭を下げる。
木更津からは、これまたスマートフォンの乗り換え案内に頼って蘇我、錦糸町、秋葉原と移動をする。いつもの大衆床屋は、生憎と月に一度の休みだった。スマートフォンで近辺の床屋を調べると、どちらの店にも結構な値段が示される。僕は、頭もヒゲもバリカンによる丸刈りで、それほどのお金は使いたくない。ようよう末広町に安い店を見つけて神田から銀座線に乗る。散髪代は「60歳以上割」により、顔剃りやシャンプーを含めて1,650円で済んだ。
末広町からは銀座線で京橋へ行き、そこから日本橋まで徒歩で戻りつつ、あれやこれやで時間の調整をする。今日の東京の最高気温は34℃。涼しくはないものの、汗をかくほどのこともない。
勉強仲間のマツモトタケシさんが、またまた新しい店を作った。そのオープニングパーティは今日。しかし連休の最中に東京へ行くなどはとてもできないと、参加は諦めていた。ところが冒頭に書いたお悔やみの発生により、今は東京にいる。そういう次第にて、三たび銀座線に乗って先ほどの末広町に戻る。
17時45分、社長のマツモトさんは、いかにも真新しいドアの向こうにいた。案内された席でしばらくするうち、東南アジアにマネジメントゲームを広めているタナカタカシさんが来た。おなじく勉強仲間のイワサキナオトさんも来た。人見知りの僕には有り難い限りだ。
2時間ほどの歓談の後、僕のみ店を出て本日4回目の銀座線に乗る。そして浅草19:59発の下り特急に乗って、22時前に帰宅を果たす。
朝飯 「セブンイレブン」の二種のおむすび、お茶
昼飯 「ドトール」のチーズトースト、コーヒー
晩飯 「大衆しゃぶしゃぶ勝治」のあれや、これや、それや。飲みものあれや、これや。
2025.9.13(土) これが本当の今年最後
「今年の麺つゆ作りは多分、これが最後になるだろう」と日記に書いたのは先月19日のことだった。出来高は2.2リットルだった。その麺つゆはしかし、きのうの昼に枯渇してしまった。「今は、もう秋」という詞の歌がむかしあった。「冗談じゃねぇよ」と、それに逆らう気持ちがある。
ワイン蔵に保管した材料を見に行くと、昆布や干し椎茸や鰹節の在庫は充分ながら「かえし」の残りが少なくなっていた。よって今年の1回目から4回目までは2.1リットルの水を用いたものの、今回はそれを1.5リットルに減らして、今度は本当に、今年最後の麺つゆ作りにきのうの夕刻より取りかかった。
麺つゆは、自分で作るより既製品を買った方がよほど安い。しかし自分で作った方がよほど美味い。レシピは昨年の8月25日に決定版を得ている。仕上げについては今年の8月1日に新たな知識を得た。そして今年最後の麺つゆは昼前に完成した。
その麺つゆは、僕が昼食を摂る13時30分にはいまだ温かみを帯びていた。またそれほど気温も高くなかったため、今日の昼食はにゅうめんにした。
明日の昼食は外で簡単に済ませることが決まっている。今日の麺つゆで素麺が食べられるのは、明後日の昼になるだろう。
朝飯 生玉子、ゴーヤーチャンプルー、南瓜の甘煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と若布の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 ピッツァ其の一、ピッツァ其の二、Chablis Billaud Simon 2018
2025.9.12(金) ゴールドラットは読めないけれど
上澤梅太郎商店が運営する朝食の専門店「汁飯香の店 隠居うわさわ」は、毎週土日月の営業。その開店時間は8時30分で、最終入店は12時30分。調理は家内、お運びはタカハシリツコさんのふたりの体制だが、満席になると、8時30分から14時までは一切、休むことができない。「それではさぞかし辛かろう」と、途中に30分間の中休みを設けることはできないだろうかと、ぼんやりとではあるものの、考えてきた。
このようなことについては、頭の中に状況を浮かべてみても、妙案は浮かばない。そこで先日は遂に、ひと月分の予約表を複写し、その11時から11時30分のあいだにピンク色の蛍光ペンで帯を入れてみた。そしてその前後に、大小あわせて4席の埋まり具合を青い蛍光ペンで引いてみた。その結果、席の繰り合わせ方によっては30分間の休憩を確保しつつ現在の最高人数でも受け入れられるシフトを見つけた。
それをきのう家内に見せたところ、来月からの運行に彼女は同意をした。よって即、10月から12月までの、3枚の予約表を書き換えた。既にして予約の入っている表の書き換えはなかなかに面倒だった。そして今朝は2時台に起きられたことを奇貨として、いよいよ「ぐるなび」の予約システムの書き換えに取りかかる。そして1時間と15分をかけて、10月から年末までの空席を設定し直した。
「ぐるなび」の予約システムは、三ヶ月先の日程まで調整をすることができる。新春の休日と空席の設定は、ウドンタニーかバンコクで行うことになるだろう。
朝飯 グリーンアスパラガスのソテーと生のトマト、スクランブルドエッグ、納豆、大根おろし、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、玉葱と若布の味噌汁
昼飯 納豆と大根おろしのつゆで食べる素麺
晩飯 夏太郎らっきょう、牛丼、「角口酒造店」の「いいやまのさけ特別純米」(冷や)
2025.9.11(木) 軽い焦燥の中で
1995年10月から使い始めたThinkPadが国産から中華人民共和国製になって質感を落とし、それに失望してLet’s noteに乗り換えたのは2011年8月。それが古くなって、次のLet’s noteに乗り換えたのは2019年6月。ThinkPadは16年のあいだに10台を次々と換えたものの、Let’s noteは14年のあいだに2台のみ。「流石」である。
その、2台目のLet’s noteの電源ボタンの接触感度が落ちてきたのは数ヶ月ほど前のことだった。秋葉原にあって、僕が愛して止まなかったPanasonicの修理工房は、新型コロナウイルスが蔓延する中でひっそりと閉じられた。この工房は、ウェブを通じて予約さえすれば、午前に持ち込んだコンピュータをその場で治し、午後には手渡してくれたものだ。
現在、不具合のあるLet’s noteは、兵庫のセンターまで送らなければ治してもらえない。僕は、幾日もコンピュータを欠いては仕事も趣味もすることはできない。だからLet’s noteは電源ボタンの感度が落ちてからも、心配をしながら使い続けてきた。
きのうの朝は遂に、早朝の食卓でこのボタンを右にスライドさせても特徴的な緑のランプが点灯しない、という事態が起きた。「遂に来たか」である。朝食を摂り終え事務室へ降りて、今度はバッテリーではなく電源コードを差し込んで、電源ボタンをスライドさせてみた。すると緑のランプはふたたび点り、コンピュータは無事に立ち上がった。
秋葉原の修理工房さえあれば、現在の不具合は数時間で解決しただろう。しかしその駆け込み寺は、もはや無いのだ。そこで、一代目のLet’s noteが8年ちかく保ったことに対して現在の二代目は6年と少々しか使っていないものの、新機に換えるべきかどうかを考える。
今月の下旬にはタイ行きを控えている。コンピュータが新しくなれば、使い勝手も変わる。新機に慣れるには、これまでの経験からして、ひと月くらいはかかる。旅先ではそれが叶わない。
そのような軽い焦燥の中で、簡単な修理であれば即日の対応が可能という業者を見つけた。そして今朝は、これまでの顛末について長男に話した。長男はそれを聞くなり「先ずはシバタさんに相談をしてみては」と言った。
上澤梅太郎商店には。仕事の種類によりふたりの外注SEがいる。そのうちのひとりで近くに住むシバタサトシさんには、主にハードとネットワークの部門で世話になっている。9時を過ぎたところでシバタさんに電話を入れる。すり合わせの結果、僕が血圧の管理のため二ヶ月に一度の頻度で通っているオカムラ外科のロビーで10時に待ち合わせることになった。
10時すこし前にオカムラ外科へ出かけると、シバタさんはロビーではなくカウンターの内側にいた。どうやらこちらの仕事も請け負っているらしい。
ロビーのソファーでシバタさんは僕が持ち込んだLet’s noteの電源ボタンをスライドさせ、それがなかなか反応しないことを確認した。そして僕とのあいだで短い質疑応答をしながら、新規を購入することを概ね決めた。
オカムラ外科からは各々のクルマで上澤梅太郎商店に戻る。事務室に上がったシバタさんは僕のLet’s noteを使ってPanasonicのサイトにアクセスし、最適な機種について調べた。納期は今月の下旬。それではタイ行きには間に合わない。「ちょっと待ってください」とシバタさんは言い残して一旦、自宅へ帰った。
戻ってきたシバタさんの手には小さな工具箱があった。シバタさんはそれを使って僕のLet’s noteを分解し始めた。そして数分後に「原因はこれです」と、当該の個所を指した。僕にはよく見えなかったものの、そこには6年分の綿ぼこりが溜まっていたらしい。シバタさんはスプレー式のコンプレッサーでそのホコリを吹き飛ばしてから、分解したばかりのLet’s noteを元に戻した。
電源ボタンを右にスライドさせる。緑のランプは間髪を入れず点灯した。技術料はしっかり請求するよう、僕はシバタさんに念を押した。「めでたし」である。
朝飯 秋刀魚の梅煮、小松菜のおひたし、トマトのソテーを添えた目玉焼き、納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と若布の味噌汁
昼飯 納豆と玉葱のつゆで食べる素麺
晩飯 牛蒡の人参のきんぴら、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、秋刀魚の塩焼き、グリーンアスパラガスのソテー、鶏のつくね、「角口酒造店」の「いいやまのさけ特別純米」(冷や)
2025.9.10(水) ということは
今月の7日、および8日の日記に書いた祝儀袋に、あらかじめ数えておいた千円札の新券を収めていく。これを町内の70歳以上の方々に配る複数の役員に手渡すのは土曜日の夜。このような細かなことを遅滞なく次々と進めていかないと、南の国で夏のキリギリスのように過ごすことはできないのだ。
今日は月に一度の店休日にて、9時30分より隠居へ移動をして、上長研修に臨む。座敷の南東側に設けた朝顔の垣の一葉に、体調6センチメートルほどの青虫が貼り付いている。青虫は、葉を食べるためにそこにいるのだろうか。それにしては、葉に食べた後の穴は無い。
昼食を挟んで上長ミーティング。短い休みを挟んで全体ミーティング。最後に経営者ミーティング。日が傾くにしたがって気温が下がりつつあるのだろう、寒さを覚えて冷風機と扇風機を次々と止める。
夕刻に到って朝顔の葉に目を遣ると、青虫は葉の茎に沿って身を反らし、からだの色は青虫とは呼べないほど茶色くなっていた。ことによると、蛾になる準備を始めているのかも知れない。
座敷から見て右手の梅の木は、葉を随分と黄色くしている。「ということは、秋ですかー」と、何やら寂しい気分になる。床の軸も、高久隆古の「秋景山水之図」から田崎草雲の「巌菊之図」へと、リレーのようにして掛けかえるべきだろう。
朝飯 秋刀魚の梅煮、納豆、ゴーヤーチャンプルー、南瓜の甘煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と若布と玉葱の味噌汁
昼飯 「セブンイレブン」のサンドイッチ、蜜柑ジュース
晩飯 「あづま」のロースカツ上定食、大根と胡瓜のぬか漬け、日本酒(燗)
2025.9.9(火) ダイヤル回して
浅草8:30発の下り特急リバティに乗って、10時すぎに帰社する。
僕の日程や「すべきこと」は、事務机の左手に提げたカレンダーに記している。特に忘失するわけにいかないことについては別途、嫌でも目に入る電子卓上計算機に、おなじ内容のポストイットを貼る。数日前からのポストイットには「9/9(火)13:00大沢公民館」の、サインペンによる太い文字がある。それに従おうとして、しかし出発は諸般の事情により13時15分にずれ込んだ。
はじめて訪ねる大沢公民館は、体育館に隣接する新しくて立派なものだった。保健所が関係する講習や研修は、これまで会社から徒歩でも行ける中央公民館で開かれることが多かった。今回の大沢公民館での集まりは、その中央公民館が老朽化に伴って閉鎖をされたことによるものだろうか。
14時30分から始まった「令和7年度食品衛生指導員部会及び研修会」は定刻の16時より前に完了した。参加者は100名に近かっただろうか。
会社に戻ると事務机の上には「上の者を出せ」という電話に折り返すよう書いた、事務係ツブクユキさんによるメモがあった。そって即、受話器を取り上げメモの11桁の数字をプッシュする。4、5分ほどもお話しをさせていただくと、そのお客様は上機嫌で会話を切り上げてくださった。
「ダイヤル回して手を止めた」という詞の歌が流行ったのは、検索エンジンによれば1990年。しかしそのころの電話機は、プッシュ式に変わってから20年以上も経っていたはずだ。それでも「ダイヤルを回す」という慣用句が人々に受け入れられたのは、なぜだろう。
朝飯 「小諸そば」のたぬき蕎麦、ライス
昼飯 「蕎麦さくら家」の「にらそば」(大盛り)、サービスのコーヒー
晩飯 夏太郎らっきょう、秋刀魚の梅煮、ゴーヤーチャンプルー、南瓜の甘煮、「山本合名」の山廃純米「天杉」(冷や)
2025.9.8(月) 最後はサラリと終える日記
9月8日の未明には3年ぶりの皆既月食が見られるというニュースに触れたのは、きのうの夜のことだっただろうか。起きて諸々のことをしてから屋上へ上がる。時刻は4時27分。西の空の満月は確かに、地球の影により欠けていた。もっとも当方は天体ファンでもなければ「ふーん」くらいのところで階下へ降りる。
午前にちかくのシバタ荒物店に赴いて、多当と書けば分からない人もいるだろう、いわゆる祝儀袋100枚を買って事務室に戻る。そしてそのうちの75枚の上方に「寿」の判を赤で捺し、下方には「春日町一丁目自治会」の判を黒で捺す。そうして70歳以上の方のための袋74枚の裏には「1,000」、85歳の方のための袋1枚の裏には「3,000」の数字を記す。ここで時刻は10時30分。それらの袋を輪ゴムで留めて戸棚にしまい、4階の自宅へ戻る。
シャワーを浴びて服を着替え、事務室に降りる。今日は今月1日のような不首尾は犯さず、準備しておいた”trippen”の短靴”sheet”を履く。ここで時刻は10時41分。こぎ出した自転車を道の駅のセブンイレブンに駐めて10時44分。昼食を買って駅ちかくの駐輪場に着き、空いたところに自転車を押し込むと10時48分。「5分あれば楽勝だ」と、ゆるやかな坂を徒歩で下って改札口を通り、跨線橋を渡って既にして停車中の上り特急リバティに乗ったところで10時51分。車両は定刻の10時53分にプラットフォームを離れた。
北千住からは日比谷線で東銀座に出て、歌舞伎座の裏手にある”ALTRA TOKYO GINZA”へ行く。「店員が一対一で客につききりの対応をするため、15分を待っても待ち客の数が減らず、仕方なくきびすを返した」というクチコミがGoogleにあったため、いささか心配をしながらそのドアを押す。ふたりの店員はふたりの客に、何足もの靴を奥から取りだしては履かせている。客は店の中を歩いたり、ときおり首をかしげたりしている。そのふたりのうちひとりがようやく意思を明らかにして、僕の番が回ってくる。
店員は僕の希望を聞き、足のサイズを計って後、奧から”TORIN 8″と”FWD VIA”の2足を持ってきた。最初に履いたのは”TORIN 8″。それで数歩を歩き、”FWD VIA”に履き替える。それでまた数歩を歩いて即「これに決めます」と店員に伝える。代金を支払うまでに要した時間は5分間くらいのものだっただろうか。
バーでバーテンダーを独占して長々と会話を交わすような客を、僕は好まない。もちろん自分でも、そのようなことはしない。「お店の人はみんなのもの」という考えが僕にはある。それだけ真面目、それだけ真剣なのは分かるけれど、靴屋で店員を自分だけのために数十分も拘束することは、僕の好むところのことではない。
“FWD VIA”をそのまま入れたトートバッグを肩に提げて四丁目の交差点まで歩き、今度は銀座線で外苑前まで行く。ワタリウム美術館ではTシャツが値下げをされていたものの、買っても着るのは今ある白いそれのみと分かっているから、見るだけにしておく。
22年のあいだ履き続けている”trippen”の短靴”sheet”には、このところ、歩くたび皺の寄る個所に亀裂があらわれてきた。この亀裂が内側まで達しては厄介だ。トリッペン原宿店では、その数ヶ所に修理を加えるよう頼む。このモデルがふたたび発売されればすぐにでも買うところではあるものの、いつまで待っても出ないのであれば、修理をし続けるのみだ。ちなみに僕の好きなものは長く保つもの、嫌いなものは安物、である。
外苑前からはふたたび銀座線に乗って上野で降りる。今日の東京の最高気温は35℃。かき氷と冷たい飲物にて身体を冷やしてから、予約をしておいたホテルに入る。そしてシャワーで汗を流し、下着とシャツと靴下を換える。
上野から市ヶ谷までは、山手線を秋葉原で総武線に乗り換えれば僅々十数分の距離だ。「コンピュータリブ」のナカジママヒマヒ社長が声をかけてくれた「西順一郎先生米寿を祝う会」は、北は北海道から南は九州からの教え子が100名を超える大盛況にて、先生の知の巨人ぶりとお人柄をあらためて強く感じさせるものだった。
お開きの後は旧知のテシマヨーちゃんが誘ってくれた二次会で数時間を過ごし、終電が心配になるころホテルに戻る。
朝飯 トマトとピーマンとウインナーソーセージのソテー、薬味の刻み玉葱の方が多い納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐とオクラの味噌汁
昼飯 「セブンイレブン」のサンドイッチ、牛乳
晩飯 「アルカディア市ヶ谷」の弁当、お吸い物、「大関」の「辛丹波」(常温)、「上海ブギ市ヶ谷店」のあれこれ、紹興酒(オンザロックス)
2025.9.7(日) 三大発明
きのうの夜は行きつけの居酒屋でカウンター活動をし、支払いを済ませた。そこまでは覚えているものの、以降の記憶は無い。しかし今朝は寝間着姿で寝台の上で目を覚ました。ということは、家に戻ってからはシャワーを浴びるなど、寝るための手続きはしっかり踏んだ、ということだ。起きて食堂へ行くと、調理台の上にはミルクパンに味噌汁の出汁が引いてあった。「まるで木口小平だね」と自分でも感心をする。
自宅にいる限り、朝は和食でなくては気が済まない。しかし家から離れれば、パン食でも気にならない。また海外へ出れば、和食への欲求は消える。不思議といえば不思議、である。
それはさておき今月は敬老の日がある。敬老の日には町内に住む70歳以上の方々に祝儀をお配りする。回覧板により各戸から集まった調査票は、町内の中央、東、西の地区委員長から既にして届いている。午前、その名簿を元にして、コンピュータの中のデータベースを更新する。この仕事を前任の会計係までは紙の帳面で行っていたから苦労もあっただろう。「人間の三大発明は火と蒸気機関とコンピュータ」と言った人がいる。そのコンピュータの定義は、これからも徐々に、ではなく急速に多様化し、変わっていくことだろう。
そうして事務机のコンピュータからふと顔を上げると、ガラス窓の向こうの店は随分と混み合っていたから即、席を立って、販売の手伝いに入る。
午後は、15時45分に会社を出て、自転車で日光街道を遡上する。瀧尾神社の責任役員会議は16時の開始。会社に戻ったのは閉店後の17時55分。3台のキャッシュレジスターを締め、今週の売上金をまとめて銀行へ渡すばかりする。それから「汁飯香の店 隠居うわさわ」への、インターネットを介したご予約への対応をするうち時刻は20時を回った。僕としては、すこしばかり忙しい1日だった。
朝飯 焼き鮭、納豆、めかぶの酢の物、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と若布と長葱の味噌汁
昼飯 オクラと擂り胡麻のつゆで食べる素麺
晩飯 にんにくのたまり漬とステーキのソースで食べる鰹の刺身、「山本合名」の山廃純米「天杉」(冷や)