2022.7.14(木) 夏空の
このところ梅雨の戻ってきたような天気が続いている。その鬱陶しさに促されてか「梅雨は本当に上がったのか」とか「梅雨明け宣言など、しなかった方が良かったのでないか」と言う人まで出てきた。ウェザーニュースの予報を見ると、今日から10日後の24日まで、雨や曇りの日が続いている。26日と27日は埼玉と東京へ行く。雨の日に外で行動するに当たって困ることを挙げていけば、十指にも余るかも知れない。
血圧や血中の脂質について定期的に調べてもらっているオカムラ外科に、10時前に出かける。今日の血圧は、上は110台、下は60台だった。「良いですね」と先生は言ったものの、降圧剤を飲んでいれば、まぁ、こんなものだろう。
午後は、いつの間にか胃腸に関してはかかりつけとなった、宇都宮のサクライ消化器内科を訪ねる。おとといに覚えた胃痛を気にしてのことだ。胃カメラによる検査を受けたのはいつだったかと訊ねると、先生はコンピュータのカルテを覗き込んだまま「令和元年は平成何年でしたっけ」と僕に確かめた。僕は子供の生まれ年さえ元号では覚えていない。先生は僕に2、3の指示を与え、それでしばらくは様子を見ることとして、薬は処方しなかった。
飛行機で空を飛んでいると、雲に出たり入ったりしながら、時には揺れの大きなることがある。宇都宮と日光の上空にも、そのような雲の濃淡があるのだろう。クルマで走るあいだも、雨は強くなったり弱くなったりを繰り返した。夏空の、できるだけ早く戻ってくれることを、僕は望んでいる。
朝飯 水の炒り煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、トマトのスクランブルドエッグ、納豆、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、ごぼうのたまり漬、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、メシ、豆腐と豚もつとレタスの味噌汁
昼飯 「やぶ定」のカレー南蛮蕎麦
晩飯 トウモロコシのすり流し、トマトと胡瓜とレタスのサラダ、冬瓜と豚三枚肉の炊き合わせ、もつ煮、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、揚げ春巻き、麦焼酎「こいむぎやわらか」(ソーダ割り)
2022.7.13(水) 1972年7月13日
起きて食堂に来て時計を見ると時刻は3時56分。鳥の啼きはじめようとする時間である。本日は、妹が14歳で病没してから50年目の日にあたる。以下は今日の、ではなく、きのうの日記になる。
道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の売り場の掃除と納品を済ませて、9時前に家内と如来寺のお墓へ行く。霧雨よりも弱い雨が降っている。家内は草を抜く。僕は濡れた墓石を乾いたタオルで拭く。花立てと線香立てを水場で洗い、花のみを供える。
10時40分に如来寺の、今度は玄関を上がって声をかける。係の人はすぐに出てきてくれた。そして11時より本堂にて、クワカドシューコー僧正に五十回忌の法要を執り行っていただく。クワカドさんは墓前でもお経を上げてくださり、また線香も供えてくださった。回忌は今回でひと区切りとなる。しかし僕が妹のことを思い出さない日は、これからも絶えることはないだろう。
15時を過ぎて、小倉町の年金事務所を訪ねる。日本年金機構から数日前に届いた調査用紙の、記入方法を教えてもらうためだ。その結果、この書類は僕においては提出の必要のないことが分かった。ついでに、そろそろ入り始めるだろう年金についても確認をする。
年金を65歳から受け取るべきか、それとも繰り下げ受給を選ぶべきかは、社会保険労務士の中でも意見は異なる。繰り下げ受給は、年金による支出を抑えるべく、国が苦しまぎれに編み出した仕組みと僕は理解をしている。
もうひとつ。「今の若い人は大変だね、自分の世代はたっぷりもらえるからね」と気持ちよさそうに言い放った人が、年金の受給開始からいくらも経たずに頓死した例を知っている。
「年金などもらわず、一生、働くべし」と僕に勧めた人もいるけれど、自分の労働の対価の中から営々と積み上げてきたお金を国にくれてやるつもりは無い。65歳より満額の年金を得るべく、昨秋よりいろいろなことをしてきた。
年金事務所の人は、僕の昨年の誕生日から現在までの未払い金額、そしてこれからの年金額について、丁寧に説明をしてくれた。いよいよ夢の隠居生活である。もっとも隠居とはいえ、雑用はこれからもしていくつもりである。
朝飯 揚げ湯波と蕪の葉の炒り煮、茄子とピーマンとパプリカの味噌炒り、納豆、紅白なます、水茄子のぬか漬け、長芋のたまり浅漬け、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、メシ、もつ煮汁
昼飯 メシ、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、もつ煮
晩飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、もつ煮、枝豆、水餃子、麦焼酎「こいむぎやわらか」(ソーダ割り)
2022.7.12(火) ソウルフード
目を覚ましてしばらくのあいだ、からだを休める。「目を覚ましたなら、からだは充分に休まっているだろう」と問われれば、僕は朝、目覚めたときが一番、疲れを感じているのだ。そしてその疲れは起きてしまえば一掃される。この疲れとは一体全体、何だろう。
スマートフォンで時刻を確かめたりしては、ついウェブニュースなどに見入って時を無駄にする。よって今朝は枕の下のそれに手を触れないまま起床する。着替えて洗面を済ませて食堂に来ると、時刻は2時21分だった。「早すぎた」と気づいても、後もどりはできない。
「マイルス・デイビス自叙伝」は面白い。分厚い文庫本2冊と、文章の量もたっぷりあるから、その分、長く楽しめる。ここにはマイルス・デイビスの子供時代の思い出や、当時の黒人の食べものなどの記述もある。彼らは豚の周辺部をよく食べていた。周辺部とは肉や主だった内臓以外の部分である。
「肉や主だった内臓以外の部分」でもないけれど、豚の腸を煮たもつ煮は栃木県民のソウルフードだと思う。しかしウチではこれを作らないし食べない。食べたければ自分で作るのみだ。作り方は自己流である。
おととい買っておいた豚の腸1キロは、二度煮してある旨が袋に書いてある。よって煮こぼすことはせず、網のボウルに出して、大量の熱湯をかけてほぐす。それを大きめの鍋の、1.6リットルの水に入れる。
玉葱は1個まるごと、缶詰のトマトの水煮400グラム、北野谷商店のデコボコンニャク400グラム、松葉屋の木綿豆腐1丁は、適当な大きさに切って加える。ここまでの所要時間は30分。鍋が沸騰したら、火を弱くする。豚の腸からもトマトからもコンニャクからも盛んにアクが出る。それを何度もすくう。アクのあらかた無くなったところで日本酒1合を加える。
味付けは、大さじ2杯の塩と、直径8センチのお玉にすり切り1杯の味噌。味噌は、味噌汁に使う「日光味噌梅太郎白味噌」では勿体ない気がしたから「日光味噌粒味噌」にしておく。火を落として冷ました後は、家の中でも涼しい玄関の棚に夕刻まで置く。
もつ煮は、これから数日のあいだは食べ続けることができるだろう。
朝飯 茄子の揚げびたし、揚げ湯波と蕪の葉の炒り煮、納豆、ミズの炒り煮、水茄子のぬか漬け、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、茗荷の天ぷらと豆腐の味噌汁
昼飯 トースト、ミルク番茶
晩飯 もつ煮、長芋のたまり浅漬け、鶏そぼろと香り野菜の冷や素麺、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)
2022.7.11(月) どうということもない。
6月も前半には、寝室に床暖房をかけていた。早朝の食堂では、足元に温風暖房機を引き寄せる日もあった。そのいずれも今は昔の物語だ。梅雨明け以降、テレビは電力の逼迫を伝えている。それと同時に、クーラーのスイッチは躊躇なく入れるべし、とも伝えている。部屋にいながら熱中症で死ぬ人がいるのだ。
オフクロは暖房を嫌った。最後の1年は、暖は電気毛布のみで取っていた。冷房も嫌った。仕方なく扇風機を買ってきたら、扇風機も嫌いだと言って、南に向いた部屋で平然としていた。その扇風機は現在、店で使っている。
先日、定期的に来社する東京電力の人と言葉をやり取りした。「クーラーのスイッチは躊躇なく入れろなんて言われても、僕のオフクロは『冷房は嫌いだ』でしたからね」と世間話の中で言うと「うちの母も同じです」と、制服姿のその人は苦笑した。
「クーラーは、冷房ではなく除湿で使っても部屋は冷える。そして電気代は安い」と何年も前に、先輩のクスヤマモッちゃんがSNSに書いていた。それからはウチも、天井に埋め込んだ空気調整器は除湿で動かすことが多くなった。
もっとも、一番きもちが良いのは早朝に窓を開け放つことだ。現在、鳥は4時ころから啼く。「蒼天翔ける日輪の」のはるか前の時間、である。そういえば先日、読売巨人軍が不調と聞いた。調べてみると、セントラルリーグでの順位は2位だった。「なんだ、2位なら騒ぐほどのことでもねぇじゃねぇか」と考えつつ更に目を凝らすと、首位のヤクルトスワローズとの差は13.0。「なるほど」と思う。とはいえ野球のチームに贔屓はないから、どうということもない。
朝飯 焼き鮭、納豆、揚げ玉、塩もみ胡瓜の「みょうがのたまり漬」和え、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」のお茶漬け
昼飯 日光味噌のフリーズドライ味噌汁”with LOVE”を汁にしたざる素麺(汁のオリーブオイルは後から追加)
晩飯 玉蜀黍のすり流し、胡瓜とレタスを添えた豚の冷しゃぶ、茄子の揚げびたし、ミズの炒り煮、オールドイングランド(オンザロックス)
2022.7.10(日) 盛りだくさん
朝礼の後は道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の売り場の掃除と納品。次は第26回参議院議員通常選挙の投票のため今市小学校へ。戻ってほとんど間を置かず、八坂祭により、瀧尾神社の宮司と当番町朝日町の方々が渡御で立ち寄ってくださる町内の公民館に顔出し。
「隠居」は昨日に引き続いて満席。10時30分に、ご予約のお客様をご案内しながら、10リットルの如雨露で4回、打ち水をする。昼は会計係として、町内の役員と蕎麦屋で食事。
町内の子供みこしは2019年の夏以来、3年ぶりの復活。祝儀を用意し、午後、笛の音のいよいよ近づいてきたところで外へ出る。担いでくれているのは、ベトナムから日光の工場へ働きに来ている方々。町内には、おみこしを担げるだけの子供がいないのだ。地域は国の縮図。2018年6月にハノイのイオンへ行ったときには、子供の数の多さに文字通り仰天した。「がんばれ!ニッポン!」などと声高に叫んでも、子供を欠いてはどうにもならない。
閉店の17時30分を前に雨が降ってくる。3台のキャッシュレジスターの精算を手早く済ませる。店内では同時に掃除が行われていて、シャッターは降ろしていない。よって閉店時間をすぎてもお客様は入っていらっしゃる。当然、僕は喜んで商売をさせていただく。
「自転車なら5分だ」と考えていたものの、雨のため傘を差して外へ出る。ツツミタイヨーさんとの約束は、ツツミさんが滞在中の旅館「熱海館」に18時30分に迎えに行く、というものだった。しかし数分、遅刻をしてしまった。ツツミさんは外で待っていてくれた。
九州に会社を持つツツミさんは勉強仲間である。そしてタイが好き、という共通点がある。もっとも、タイに滞在している日が重なっていても、ツツミさんは首都の少し南、僕は最北部か東北部の国境付近にいることが多く、大抵は顔を合わせない。広島のタナカタカシさんが講師を務めるバンコクMGでは、ツツミさんは前夜祭に出ず、僕は1日目夜の交流会に出ず、だから夕食を共にするのは2日目夕方の打ち上げくらいのものだ。そのツツミさんが今回は日光に来てくださって、ようよう二人飲みを果たす。
朝飯 焼き鮭、ピーマンの網焼きオリーブオイルかけ、納豆、めかぶの酢の物、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと若布と玉葱の味噌汁
昼飯 「やぶ定」の冷やしたぬき蕎麦(大盛り)
晩飯 「和光」のあれや、これや、それや、他あれこれ。麦焼酎「吉四六」(ソーダ割り)
2022.7.9(土) 予約と制約
東の空には、その低いところに長く雲が伸びている。南の空も同じく。西の空に雲はなく、北の空には高いところに綿のような雲がある。しかしそれらの雲の量は、天球の面積にくらべれば、ほんの2、3パーセントに過ぎない。だからあたりには朝の日の光がふんだんにあって、万物の輪郭を浮き立たせている。
芭蕉が「あらたうと青葉若葉の日の光」と詠んだとき、日光の天気は実は雨だったと、曽良の日記にはあるという。僕の、今朝の空についてのことに嘘は無い。
本日、最初のお客様は、ご自身がお勤めのお店でお使いになる日光味噌と上一醤油をお求めの若い女性だった。お買い上げ品を両手にお持ちでは、クルマのドアは開けづらい。よってふたつの紙袋は、僕がお車までお持ちする。
次のお客様は、若い、それも体格の良い男性ばかり5名様。らっきょうのたまり漬の試食をお勧めすると「いや、あの、食事」とおっしゃるので「あぁ、ご予約の…」とお応えをすると「えっ、予約、要るんですか」と、まさに、きのう日記に書いたばかりの応答となった。これまたきのうの日記に書いたように、今日の隠居は開店の8時30分からオーダーストップの13時まで満席である。5名様のうち幹事役らしい方には隠居の名刺をお渡しし、次の機会にはかならずご予約くださるよう、お願いをする。
もっとも、いくら予約をお勧めしても、予約は絶対にしない、という性分の方が、世の中には一定の割合で存在している。予約は、自分の行動に制約を与えることになるからだ。あるいは特に、日本のむかしの男に多かったような気がするけれど「メシ屋の予約などするな」という、ある種の美学の持ち主もいる。そして「オレの場合は、どうだろう」と考える。
僕は、ひとりで軽く昼食を摂る店には予約は入れない。しかし昼でも人を伴う場合には、店の種類によっては予約を入れる。夜はほとんど予約を入れる。あるいはその店が営業しているかどうか確認の電話を入れる。「難民」は、避けたいではないか。
そして夕食の後、行きつけの店に明日の夜の予約を入れる。
朝飯 茄子とピーマンとパプリカの味噌炒り、生玉子、納豆、紅白なます、塩もみ胡瓜の「みょうがのたまり漬」和え、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、若布とレタスの味噌汁
昼飯 しょうがのたまり漬の牛しぐれ煮のおむすび、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」
晩飯 らっきょうのたまり漬と鶏と胡瓜とレタスとトマトのサラダ、カレーライス、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、GILBEY’S VODKA(ソーダ割り)、エクレア、Old Parr(生)
2022.7.8(金) 空の明るいことが
本日は旧暦の6月10日。よって店の犬走りの柱にくくりつけた七夕飾りは、いましばらくそのままにしておこうと思う。
週末が控えている。週末を前にしては、釣り銭の在庫に気を遣わなければならない。しかし現金以外による支払いが増えたせいか、昨年の中ごろより、必要とする釣り銭は極端に減った。現在、釣り銭つくりは、月に1度ほどしかしていないような気がする。
午前、釣り銭とは関係のない用事にて、ふたつの銀行へ行く。会社へ戻ってからは「汁飯香の店 隠居うわさわ」のお客様が食後にお書きくださった内容を、コンピュータに入力する。この仕事を2ヶ月分ほども溜めた今年の春には、すべてを整頓するために大苦労をした。以降は毎週、几帳面に行うこととして、今に至っている。
「これだけ暑いと、お客様も、お出かけを控えるのだろうか」などと、あちらこちらの人と言い交わしたのは先週のことだ。しかし明日の「隠居」の席は、今日の午前までにご予約で満ちた。
いきなり隠居へいらっしゃり、満席を伝えられて「ここは予約制の店ですか」とお訊きになるお客様がたびたびいらっしゃる。「隠居」は予約制の店ではない。しかし勿論、予約はお受けしている。そのことにより、日によっては席が埋まってしまうのだ。
夕刻の暑さは耐えがたく、否、窓を開け放てば暑さはそれほどのものでもない、多分、仕事を終えても空の明るいことが嬉しかったのだろう、ウォッカのソーダ割りを作り、夕食までの30分ほどを、本を読んで過ごす。
朝飯 茄子とピーマンとパプリカの味噌炒り、納豆、茹でたブロッコリー、紅白なます、塩もみ胡瓜の「みょうがのたまり漬」和え、揚げ湯波と蕪の葉の炒り煮、メシ、胡瓜と若布の味噌汁
昼飯 「ふじや」の冷やし味噌ラーメン
晩飯 GILBEY’S VODKA(ソーダ割り)、ズッキーニの酢醤油漬け、グリーンアスパラガスとトマトのソテーとポテトグラタンを添えたポークソテーバターレモンソース、TIO PEPE
2022.7.7(木) タナバタ
きのうの日記を書きながら、誤りを避けるため「新橋 TSUTAYA」と検索エンジンに入れてみた。そうしたところ、この店は今年の1月31日に閉店をしていた。赤坂店も、おなじ日に閉店。「TSUTAYAに用があるなら、銀座線に乗ってギンザシックスの6階へ行ってくれ」ということだろうか。
それにしてもTSUTAYAの、ギンザシックスの広大な店は、賃貸料だけで月に数百万円はかかっていそうな気がする。それで利益を出すには、開店時から閉店時まで、帳場に長蛇の列ができるくらい本が売れなければ採算が合わないように思われる。一体全体、どのようにやり繰りをしているのだろう。
10時より、社会保険労務士のオカザワセキヤさんと話し合いを持つ。13時30分より、販売係の全員と話し合いを持つ。16時より、税理士のスズキトール先生と話し合いを持つ。
ふたりの孫は、夕食を済ませると食堂から応接間に移動をして遊び始める。朝に供えた花と水とお茶を片付けた後の仏壇の扉を開け、カンカンとリンを打ち鳴らし、二礼二拍手一礼のまねごとをしたりする。人が死んでホトケになるかどうかは知らないけれど、この孫の行いに腹を立てるご先祖様は皆無だろう。皆ニコニコと笑っているに違いない。そしてそう想像するのは、生きている者の自由というか勝手というか特権である。
朝飯 焼き鮭、ズッキーニの酢醤油漬け、納豆、ピーマンの網焼き、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと玉葱と若布の味噌汁
昼飯 らっきょうのたまり漬を使ったサンドイッチ、ミルク番茶
晩飯 レタスを添えた4種のパテとラタトゥイユ、パン、Chablis Billaud Simon 2015
2022.7.6(水) 伊豆治療紀行(6回目の2日目)
伊豆に1泊しての2回の治療では、初日より2日目の方が、電子ペンによる痛みは少ない。それは、1日目の治療により患部が快復をするためと考えていた。しかし今回は、きのうより今日の方が辛さが増しているような気がした。とはいえ今日の治療も昨月までのそれとは異なって、随分と早く終わった。24時間の契約できのう13時に借りだしたレンタカーも、12時30分に返した。
伊豆高原13時20分発の熱海行きに乗り、新橋には15時29分に着いた。家内とは17時30分に伊東屋で待ち合わせることとして、いつもの床屋にかかる。散髪は数十分で完了した。
時間を調整するには、本屋へ行くことが最上である。「桜田小学校の跡地の向こうにTSUTAYAがあったな」と思いつく。「しかしTSUTAYAなら、ギンザシックスにもあったわ」と考え直す。
ギンザシックスのTSUTAYAでは、主に文庫本の、細長く置かれているところが好きだ。今日はそこに、ドナルド・キーンの著作が並べられていた。先般、石垣島では彼と徳岡孝夫による「三島由紀夫を巡る旅」を読んだ。きのう読み始めた中村安希の「食べる。」は既にして読み終えている。時間を調整するには、本を読むことが最上である。
貧乏性により、本はほとんど古書でしか買わない。しかし目の前の「思い出の作家たち」を取り上げ裏表紙を見ると、価格は430円だった。この値段なら、新品も古書も大して変わらないだろう。そう考えてこれを帳場へ運ぶ。次はそれを手に、おなじ階のフードコート”EATALY”で、同級生ウエキコータ君の会社「ルチアーノ」の製造とおぼしき塩レモンのアイスクリームを注文する。そしてこれを食べながら、手に入れたばかりの本を開く。
家内とは首尾良く17時29分に落ち合って、ちかくの中華料理屋で夕食を摂る。そして浅草19:59発の下り特急に乗り、22時前に帰宅をする。
朝飯 「ガスト伊豆高原店」の「よりどりバランス朝定食」、別添えの納豆
昼飯 「手鞠」のざる蕎麦(大盛り)
晩飯 「天龍」の冷菜の盛り合わせ、焼き餃子、広東焼きそば、焼酎「鏡月」(オンザロックス)
2022.7.5(火) 伊豆治療紀行(6回目の1日目)
右の人差し指のアカギレは、爪楊枝の先で軟膏を詰め込み、バンドエイドを巻けば数日で治る。しかしバンドエイドを外せば、また切れる。先週の月曜日に石垣島へ向かうときも「また切れる」の直前だった。面倒さから放っておいたその指先は、驚くべきことに、南の島では切れずに治癒してしまった。
木曜日に日光へ戻ると、右の人差し指の先はふたたび怪しくなって、4日後のきのう、遂にまた切れた。今早朝はそこに軟膏を詰め込み、またまたバンドエイドを巻く。
07:45 下今市より上り特急けごん14号が発車。
09:19 北千住着。
09:38 北千住より常磐線の車両が発車。
09:56 東京着。
10:27 東京より東海道新幹線こだま717号が発車。
11:12 熱海着
11:32 JR伊東線の車両が熱海を発車。
12:17 伊豆高原着。
北千住から上野東京ラインで品川、品川から踊り子7号で伊豆高原12:03着、という手もあるものの、品川での乗り換え時間は僅々3分。名古屋で新幹線から紀勢本線に2分で乗り換えた経験があるとはいえ、それは18歳のときのことだ。安全策を採れば、踊り子号は使いづらい。
伊豆高原の駅は、伊豆急行の駅としてはかなり大きい。昼食は、その待合室で済ませた。13時ちょうどに駅前でレンタカーを借り、「伊豆高原痛みの専門整体院」には13時12分に入る。
家内の治療は僕より早く済む。続いて僕が治療室に入る。仰向けになった僕の両膝の皿を先生は両の親指で動かし「良いね-」と言う。次はうつぶせになって、今度は先生は、僕の両膝の両側を両手で掴むようにして、また「良いねー」と言う。続いて先生は僕の左側に回り、背骨を調整しながら「良いねー、この前とはだいぶ違う」と断言した。
9,000ボルトを発する電子ペンは、患部の状態が悪ければそこに激痛を発生させ、悪くなければただ触れているほどの感触しか発生させない。拷問まがいの痛さは、今日は6個所くらいにしか感じなかった。電子ペンを当てる場所も今日は激減し、治療は家内とあわせても90分で終了した。
赤沢温泉のいつものホテルは、15時前にもかかわらずチェックインをさせてくれた。風呂に入り、夜はボトルを入れてある焼鳥屋にて、すっかり寛ぐ。
朝飯 焼きおむすび、茄子の揚げびたし、蕪と胡瓜のぬか漬け、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、モロッコインゲンの胡麻和え、トマトと若布と玉葱の味噌汁
昼飯 東京駅の「紀伊國屋」で購入した「笹八」のおむすび、JAWA TEA WHITE
晩飯 「和居」のあれや、これや、それや、他あれこれ、麦焼酎「いいちこシルエット」(ソーダ割り)