2020.8.5(水) 着々と
きのう、おとといの日記に書いたようなわけで、隠居では本職の3人により撮影が行われているだろう。「だろう」と人ごとのように書くには理由がある。新しい受注方法につき、その仕組みを開発した会社から連日、事務係のカワタユキさんは電話で使い方を教わっている。事務係は他にツブクユキさんもいるけれど、僕もまた事務仕事を手伝うのだ。
そうして待機をしているところに「いつから茗荷を買ってくれるのか、その知らせが無いから心配をしている」と、女の人から電話が入る。たまり漬の原材料となる茗荷は、毎年お盆を過ぎると買い始める。そしてそれを報せるハガキはお盆の直前に投函する。しかし今しがたの電話を受けて「他にもそわそわしている農家があるかも知れない」と、即、ハガキの準備に取りかかる。
茗荷としその実を買い入れる時期は、先日の場長会議で決めていた。案内の文章も、既にしてできている。ハガキの購入、本文の印刷、宛名の印刷、投函と、すべてひとりでこなす。これくらいのことなら僕もひとりでできるのだ。
午後も半ばを過ぎるころ、仕事の合間を見計らって隠居へ行ってみる。撮影は香盤表にしたがって、着々と進められていた。
朝飯 蓮根のきんぴら、炒り豆腐、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、胡瓜のぬか漬け、ごぼうのたまり漬、生のトマト、メシ、トマトとピーマンの味噌汁
昼飯 「報徳庵」の湯波の刺身、とろろ蕎麦
晩飯 「和光」のあれや、これや、それや、他あれこれ、麦焼酎「吉四六」(オンザ日光の天然氷)
2020.8.4(火) とても涼しい
「好き」と「快」、「嫌い」と「不快」は、かならずしも等号で結ばれない。四季の中で最も好きなのは夏だ。しかし今朝は、30分ほど肉体を使って働きながら、夏の不快さを思い知った。蒸し暑さは嫌いではない。ただしそれは、遊んでいるときに限られるらしい。
アンコールワットでは、気温35度、湿度90パーセントの環境で、連日15キロを歩いた。ある日の最後に訪れたのはプノン・バケンで、それは小高い丘の上にあった。高いところは好きだから、僕は急く気持ちを抑えながら密林の赤土を踏んだ。そして丘の上に出ると、更に遺跡の第五層までよじ登った。不思議なことに、遊んでいるときの蒸し暑さは気にならないのだ。
きのうの日記に書いたデザイナーとカメラマンは、明早朝からの撮影に備えて夕刻に到着した。終業後、その3名を、JR通りの旅館「熱海館」へ迎えに行く。居酒屋の「和光」は入口の引き戸から小上がりの窓まで開放されていて、とても涼しい。
朝飯 炒り豆腐、オクラのおひたし、茄子の揚げびたし、納豆、菠薐草のおひたし、蓮根のきんぴら、胡瓜のぬか漬け、メシ、若布とズッキーニと万能葱の味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」の冷やし中華
晩飯 「和光」のあれや、これや、それや。他あれこれ。麦焼酎「吉四六」(オンザ日光の天然氷)
2020.8.3(月) 不思議なこと
「汁飯香の店 隠居うわさわ」は、上澤梅太郎商店が運営する朝食の専門店だ。このウェブページには多く、僕や長男による写真が使われてきた。これを玄人によるものに一新すべく、明後日よりデザイナーやカメラマンが入る。
デザイナーからは数日前に、香盤表が送られてきた。それを元にして、きのうは家内や長男と共に、作るべき料理を逐一、挙げてみた。撮影日には、調理係の家内は「隠居」の営業日より忙しくなるかも知れない。
そして今日は「隠居」の座敷のしつらえについて、やはり家内や長男と、現場にてあれこれ考える。もっとも目立つところは、やはり床の間だろう。
そういう次第にて「隠居うわさわ」のお客様がお帰りになった14時30分より、母屋からあれこれの絵を長男と隠居に運ぶ。そしてそれらを代わる代わる床の間に置きながら、ためつすがめつする。その最中に、ある絵について「線が細い。面白みも無い」と僕が評したところで家内の笑いが止まらなくなった。「シロートがしたり顔で何を生意気言うか」という、それは笑いだろう。
母屋から持ち来た絵の中に、3人が3人とも、否定的に考えていた1枚があった。それもまた、他の絵と同じように、先ずは床の間に置いてみる。意外や悪くない。次は、しかるべき高さに掛けてみる。するとそれは以前よりそこにあることが必然だったように、床の間に収まった。
今日の午後までは、母屋の廊下のどん詰まり、便所の戸の脇に立てかけられて不遇を託ってきた絵だった。それがいきなり端然と臈長けて、おのれの位置を占めてしまった。不思議なことも、あるものである。
朝飯 炒り豆腐、茄子と獅子唐の味噌炒り、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、胡瓜と人参のぬか漬け、発芽ニンニクの「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、メシ、若布と長葱の味噌汁
昼飯 「ふじや」の冷やし味噌ラーメン
晩飯 トマトとレタスと黒オリーブのサラダ、パン、鶏レバとマッシュルームのコンフィ、Petit Chablis Billaud Simon 2016、ケーキ、Old Parr(生)
2020.8.2(日) 日記の405文字は理想の長さ
起きて食堂に出ると、先ずは既にして完成しているおとといの日記を「公開」する。次に、きのうの日記を書く。しかし8月1日の日記は例外的に、きのうの朝のうちに書けてしまった。よって今朝は本を読む。
2018年の秋に、三焦点レンズを目に入れた。そのお陰でメガネは必要なくなった。しかし早朝の外光と天井の明かりだけでは、小さな文字は読む気がしない。本棚から食堂に持ち来た本は、他にくらべて文字が大きく、印刷も明瞭と記憶していたものだ。そしてこれを数十ページをどもこなして後は、朝食の準備に取りかかる。
正確には覚えていないものの、日中、会社と道の駅「日光街道ニコニコ本陣」のあいだを7回か8回ほども往復する。売場には作りたての商品を置きたいこと、もうひとつ、今日はいわゆる「大人買い」のお客様がいらっしゃり、売り切れの連絡が現場から入ったことによる。
その、会社と道の駅との往復の最中に買った夏の野菜にて、夜は焼酎のソーダ割りを飲む。
朝飯 茄子と獅子唐の味噌炒り、蓮根のきんぴら、炒り豆腐、胡瓜と人参のぬか漬け、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と玉葱の味噌汁
昼飯 ざるラーメン
晩飯 菠薐草のおひたし、万願寺唐辛子の網焼き、冷やしトマト、塩らっきょう、焼き鮭、麦焼酎「むぎっちょ」(ソーダ割り)、納豆、「渡邉佐平商店」の「純米地酒焼酎」(お湯割り)
2020.8.1(土) 今日は暑くなる
寝室から洗面所を経由して食堂に出る。カーテンを巻き上げながら、東の空にひときわ明るい、黄色みを帯びた星が目に飛び込んでくる。「おー、すばらしー、なんて星だ、金星か」と、思わず声が漏れる。時刻は3時28分だった。
むかし「オンラインボトル」というものを考えた人がいた。たとえば六本木の店でボトルを入れる。出張などでこれまたたとえば博多の系列店へ行く、すると、六本木で入れたボトルの残量が分かるようになっている。そして六本木と同じように、これを楽しむことができる。
なかなかの妙案に思われたが、この仕掛けはそれほど流行らず、そのうち消えてしまった。その理由は何だろう。
コロナ騒ぎのあおりを受けて、ライン上での飲み会というものができた。僕は、夜は静かにしていたい。そして早く寝たい。きのうは20時前に寝室に入った。そのお陰による、明けの明星、である。
朝食の専門店「汁飯香の店 隠居うわさわ」の、8時30分の開店にあわせて、ホッピー先輩がご家族と来てくださる。ホッピー先輩とは、この日記を通じて知り合った。そして十数年を経た2013年の秋に、先輩の勤務先である東京大学の構内ではじめて顔を合わせた。
隠居の席にお着きになったホッピー先輩とご家族の目の前には、梅雨明けを思わせる、緑したたる庭が広がっている。「東京物語」の笠智衆ではないけれど、今日は暑くなるだろう。
朝飯 ハムと玉葱のサラダ、納豆、ピーマンと人参の炒り煮、生のトマト、柴漬けのしその葉、らっきょうのぬか漬け、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトとズッキーニの味噌汁
昼飯 ざるラーメン
晩飯 モッツァレラチーズのオーブン焼き、ブロッコリーと発芽ニンニクのソテーを添えたビーフステーキ、Furano Wine Zweigeltrebe 2000
2020.7.31(金) どれほど好きかといえば
銀座のコリドー街を南西へ、つまり新橋を目指して歩く。するとやがて首都高速道路ではない、むかしは「会社線」と呼んでいたような気もするが、正しくは東京高速道路の下をくぐる。頭上を覆うものがなくなると、すぐ右手はこの道路に上がるための土橋の入口だ。その入口に沿って張られた金網に、夏になると咲く花がある。万事に疎い僕のことだから、花の名前はもちろん知らない。
それとおなじ花が、ここ何年かは店の坪庭の、竹垣に咲くようになった。そして今朝はふと思いついて、その花をiPhoneで撮ってみた。iPhoneには、花の名前を特定するアプリケーションが入っているのだ。
花の名前は果たしてマルバアサガオと知れた。説明によれば、それは雑草、それも農家を悩ませる問題雑草に分類され、種には毒さえ含むという。
実は僕は、この花が好きである。どれほど好きかといえば、よその家の飼い犬の頭を撫でるくらいの軽微さで好きだ。花を生業とする人なら見向きもしない、というあたりにもまた「あはれさ」を覚えるのかも知れない。
朝飯 牛肉のすき焼き風、納豆、トマトのスクランブルドエッグ、ピーマンと人参の炒り煮、ごぼうのたまり漬、メシ、長葱の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 らっきょうの塩漬け、TIO PEPE、スパゲティナポリタン、Petit Chablis Billaud Simon 2016、スモモのゼリー
2020.7.30(木) 太陽の季節
きのうの閉店後は販売係に製造係の面々が力を貸して、店の冷蔵ショーケースを掃除した。手の届くところはもちろん日々、綺麗にしている。しかし梅雨入り前と梅雨の上がるころには、商品をすべて出し、底板を外して、その下の部分まで拭き掃除をする。お客様の目に見えないところこそ、清潔に保つ必要がある。作業は45分ほどで完了し、ショーケースは、底板の奥底まで磨き上げられた。
秋には東京から本職を呼ぶ。そのときには各部を分解し、素人の手には負えない更に奥まで、蒸気を当てつつ清掃する。これもまた、毎年くりかえしていることだ。
街で人と顔を合わせれば、冬は寒さを嘆き、夏は暑さを呪う言葉が、とかく交わされる。今ならさしずめ梅雨の長さを指しての愚痴だろうか。
夏はいち早くプールや友達の家の持つ別荘に繰り出して遊びたい。そういう学生のころに一度、長梅雨に焦燥した経験がある。しかし今年の梅雨は、1951年に記録を始めて以来、もっとも長引いているという。梅雨が長ければ、その後に来る太陽の季節にも、なるべく長くあって欲しいと思う。
朝飯 牛肉のすき焼き風、納豆、ピーマンと人参の炒り煮、長葱の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、ごぼうのたまり漬、メシ、キャベツと若布の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 豆腐と茄子と万能葱の味噌汁、トマトと刻みキャベツを添えた豚のしょうが焼き、らっきょうのたまり漬、「渡邉佐平商店」の「純米地酒焼酎」(お湯割り)
2020.7.29(水) 暖簾に腕押し
5月より2、3日に1回の割合で、TikTokに朝食の動画を上げている。するとどういうわけか、4回に1回ほどは、その再生回数が1万を超える。中には84.8Kなどというものもある。観る人が多くなれば、感想も多く付く。
その感想の中で目立つものを上げれば、ごはん茶碗の位置がおかしい、漬物はお膳の向かって左に置くべきだ、納豆と玉子を混ぜると栄養成分が失われる、口を閉じて食べろ等々、なかなかにかしましい。
ごはん茶碗については、これを手前に置いて写真に納めると、ごはんがいわゆる「白飛び」を起こす。それを嫌っての位置である。左手で器を持ち上げなくても箸で取りやすい漬物は、左より右に置いた方が合理的だ。僕の朝食は、栄養のためでなく人生の喜びのひとつとしてある。よって栄養は考慮しない。口を閉じて食べろとは、多分、漬物を食べるときの咀嚼音を指してのことだろう。iPhoneのマイクは、口の中の音も明瞭に拾う。
このような説明を、いちいち僕が出て行って付けることはしない。TikTokの運用はすべて、外注SEのカネヒラケンジさんに任せている。カネヒラさんは、その手の感想には「苦笑」や「照れ笑い」を表す顔文字、あるいは「そうなんですねー」くらいの返信で済ませている。
カネヒラさんは、僕よりひとまわりは年少と思われる。しかし僕よりよほど、大人である。
朝飯 牛肉のすき焼き風、生玉子、ピーマンと人参の炒り煮、ごぼうたまり漬、長葱の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、茄子の塩漬け、メシ、揚げ湯波とズッキーニの味噌汁
昼飯 きのう「和光」から持ち帰った豚カツによる弁当
晩飯 オクラと山芋の酢の物、らっきょうのぬか漬け、豆腐と揚げ湯波と豚三枚肉と水菜の鍋、「松瀬酒造」の「松の司山廃純米」(冷や)
2020.7.28(火) 聴きながら眺めながら
「タイには毎年、3月と6月と9月に行くことにしています」と、タイに長く住んでいた人に話したことがある。「なにも、そんな悪いときをわざわざ選ばなくても」と、その人は笑った。
インドシナでは、3月は酷暑を迎えるころであり、6月は雨期のまっただ中、9月は雨季から乾季に移りつつあるときだが、時として大雨に見舞われる。しかし雨期においても雨がシトシトと降り続くことはほとんどない。大抵は一気に降り、すぐに上がる。旅行者は少なく、宿泊料は安い。つまり悪いばかり、でもない。
いばらの茂みを住み家にするウサギもいれば、家で飲む酒がいちばん美味い、という人もいる。ウサギは人ではないけれど、人の好みは様々だ。僕も家飲みばかりだが、たまには外へ出る。
街ではほとんどそこにしか行かない居酒屋の引き戸は開け放たれて、店の中には静かで涼しい空気があった。そして昭和の歌謡曲を聴きながら、あいだみつをのカレンダーを眺めながら、ビンの4分の1ほども焼酎を飲む。
朝飯 ピーマンと人参の炒り煮、牛肉のすき焼き風、冷や奴、長葱の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、柴漬け、茄子の塩漬け、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と若布の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 「和光」のお通しの茄子とモロッコインゲンの揚げびたし、鰹の刺身のたたき風、つぶ貝の刺身、サービスの冷やしトマト、豚カツ、「二階堂酒造」の麦焼酎「吉四六」(オンザ日光の天然氷)
2020.7.27(月) 「べらぼう」は能代にある居酒屋の名前
ウェブショップの、あるところの説明文について「分かりづらい」と、先日お客様よりご意見をいただいた。確認してみると、なるほど分かりづらい。よって即、書き換えの提案を、外注SEのカネヒラケンジさんにした。カネヒラさんによれば、その部分はシステムの都合上、前半が全角で25、後半も全角で25と、文字の数を制限されているという。
制約を受けながら生きていくことを嫌う人間と、僕はこれまで自覚してきた。しかし、こと限られた文字数の中で文章を組み立てる行いについてはこれを好む、ということが、今朝は分かった。
2時台に目の覚めたことを奇貨として「明日の朝、考えます」ときのうカネヒラさんに約束したその説明文を、3時すぎより練りはじめる。そこにはまた「に同意する」の5文字が、行尾に”default”として入る。これもまた制約のひとつである。
そうしてできあがった文章を、3時43分にチャットワークに上げる。カネヒラさんからは「はじめ改行が上手くいかなかったものの、前半25文字のポイント数を上げたところ、上手く収まった」との、画像を伴う返事が4時24分に届いた。「ブラボー」である。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、ピーマンと人参の炒り煮、柴漬け、長葱の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波とつる菜の味噌汁
昼飯 「大貫屋」の冷やし中華
晩飯 水菜とレタスと胡瓜のサラダ、カレーライス、3種の薬味、Old Parr(ソーダ割り)








































